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見る力、言葉にする力、形にする力。

生成AIを使って遊んでいると、つくづく「言葉の力」の不十分さと面白さを感じるようになったので、雑記的に書いておきます。

生成AIに向かって、あれこれと言葉で画像作成の指示を出すわけですが、それが意外な形になって返ってくる面白さと、思うようにならない苛立ちとは、ちょっとディレクションの作業にも似ています。自分の頭の中のイメージをどのような言葉で整理するかという作業と、相手がどのような意識で、どのような考え方をしているのかを推測しながら次の言葉を探すという作業です。
どんな言葉を使っても、何回指示を変更しても、AIは嫌な顔もせずに創り続けてくれます。「ああ、コイツはきっと、コンナ思考回路で僕の指示を理解しているのだな。」と想像しつつ、「自分の言葉はコレで十分なのか?」と自問を繰り返しながら作業を進め、大きな前進が得られた時は、思わず「エライぞ!よくやった!」とほめたくもなります。それは、間違いなく相手がどのような視点を持っているかを推理する作業であると同時に、自分の視点の「解像度」を振り返る作業でもある訳です。

随分昔に、彫刻家の船越保武さん(だったと思います。)が、佐藤忠良さんとの対談の中で「見えている。確かに見えているのだけれど、見えることと、それを形にすることは全く別なんだ。」と語っていらっしゃったのを思い出しました。
「目と手」をつなぐ力は「言葉」だけではないのかもしれませんが、両方の解像度を高めることで、表現の精度は高まっていく(特にチーム作業の場合)のだと思います。

因みに表題のイラストは、MS-Bingで創ったドラゴンです。

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