見出し画像

摂食障害の長い長いトンネルを抜けて~「痩せたい」と「食べたい」に囚われた私~第1話(創作大賞2022応募作品)


……こんばんは、今日はどうされましたか?

痩せたい、痩せたくて仕方がない……のですか?

大変失礼な言い方かもしれませんが、私には太っているようには見えません。むしろ、痩せる必要がないくらい、痩せているようにも見えるのですが、私の偏見かもしれませんね。

ごめんなさい……今言ったことは、忘れてください。

今よりも痩せることが、あなたにとって必要なことであり、あなたの心からの望みであり、そしてあなたを幸せにすることが出来るのであれば、私の出来る範囲でサポートはさせていただきます。

ただし、日常生活を自ら送ることが困難になるようであったり、あるいはそれを超えて生命維持に危機が迫るようであれば、私のサポートよりも医療行為を優先させていただきます。

それから、これは私の個人的な考えなので、あなたに賛同していただきたいとか、「こうあるべき」だとかを押し付けるつもりは全くないので、ただこの場だけ聞いていただければ、それで十分なのですが……あなたが今より10キロ痩せたとしても、あるいは不幸にも痩せなかったとしても、あなたに対する接し方や態度が変わることはありません。私は、あなたが痩せているからサポートする訳ではなくて、ただあなたが魅力的で、信じることが出来て、応援したい、と思うからサポートしたい、と考えています。

どうですか、痩せたい思いに変わりはないですか?

……では、始めましょう。あなたに合った痩せ方で、無理のない範囲で、痩せることを一緒に考えていきましょう。痩せることは、決して悪いことではありません。それが本当にあなたの望むことであるのであれば、可能な限り実現させるために、あらゆることを考えて、実践していきましょう。

……こんばんは、調子はいかがですか?

何かこう……何もかもが順調で、満足されているように見えるのですが。

表情が、生き生きとしてらっしゃる。お望み通り、ダイエットに成功しているのですね。私も、あなたの幸せのために、ほんの少しでもお手伝いが出来て、嬉しい限りです。

……ただ、確かに表情は生き生きとして、とても素敵なお顔をされていますが、何か、動作がぎこちないようにも見えるのですが。そう……ドアを開ける時も、椅子に腰かける時も、少しだけ違和感を感じましたが。……すみません、思い過ごしかもしれませんね。

ところで、一つ気になることがあるのですが。ちょっと確認させていただいてもよろしいでしょうか。今回のダイエットに関して、私の指示以外で、ご自分の判断で追加で何かおやりになっていることはありますか?

そうですか、特にないようでしたら、安心いたしました。ただ、見るからに私の予想を上回ってお痩せになっているように見えたものですから。すみません、これもわたしの偏見かもしれません。どうか、お気を悪くなさらないでください。

それからこれは、私の独り言だと思って、聞き流していただいても構いませんが……

ダイエットは紙一重です。世の中の多くの方々がダイエットに挑戦しては、なかなか続かなかったり、リバウンドを経験されています。それが現実です。そして、だからこそ、ダイエット情報が世間に溢れかえっており、またダイエット産業が相変わらず拡大し続けているのです。

もしもダイエットを目指す方の多くが、自力でその目標をたやすく達成出来るのならば、そんな情報も、そんな産業も、もしかしたら要らないのかもしれません。

そしてあなたは、私のサポートがあったにせよ、世の中の少数派としてダイエットに成功しつつある。そう……あなたはもしかしたら目標達成のためにひたすら努力を続けられる方なのかもしれません。

それからもう一つ、もし、気になることや、お困りのことがあるようでしたら、どんな些細なことでも私にご相談ください。それが、あなたにとって良くない兆候であるならば、メニューを考え直さなければならないかもしれませんから。

とにかく今は、あなたの幸せを一緒に目指せる事を、非常に嬉しく思います。

……こんばんは、今日はどうされましたか?予定よりも随分早くいらっしゃいましたね。何か気になることでもございましたか?

「はい、あのう……何て言うか、最近思うように痩せられなくなってきて。それで、あの、その件でご相談が出来ればと思いまして……」

そうだったんですね。私で良ければ、何でもご相談に乗りますよ。どんなことですか?

「はい、それが……今まで、1、2か月くらい前までは、先生の言われたメニューで、割と順調、というか先生のおっしゃってた感じで痩せることが出来ていたんですが、最近は余り痩せなくなってきてて……っていうより、むしろ前日より太ったりする日が多くなってきたんです。その、太ったって言っても、500グラムとか、1キロとかなのですが」

そうでしたか、まあ、でもそれは、いつかは訪れる状態ではあります。なぜなら、いくら痩せるためにあらゆることを実践したからといって、永遠に痩せ続けることは出来ませんからね。極端に言えば、体重が0キロやマイナスになることはあり得ませんから。そのことは、頭では理解していただけますか?

「はい、まあ、それはその通りですよね」

あなたが最近そのような状態になってきたとすれば、もう痩せる余地がない、痩せる必要がなくなった、と言ってもいいのではないでしょうか。

「まあ、それはそうなのかもしれませんが……」

であれば、私たちの今回のプログラムは無事成功し、そしてあなたの望みは見事叶えられた、ということになりますね!おめでとうございます。私も、自分のことのように嬉しく思います。

「あ、ありがとうございます……」

思ったより早く、あなたの望みを叶え、そしてあなたが幸せになってくれて、本当に嬉しい限りです!……しかし、その割にはどこか表情がパッとしませんね。気のせいかもしれませんが。

「それがその……痩せられなくなってきた頃から、どうしても太るのが嫌で、1日水しか飲まない、とか自分の判断で食事制限をしてしまって……そしたら、何故だかわからないのですが、無性に食べたくなる瞬間があって、それで、その時は何とかやり過ごしたりしていたんですけど……」

そうだったんですね……それは辛かったのではないですか?それで、どうなさっていたのですか?

「それが、その……言いづらいのですが、あの、食欲を抑えられなくて、大量に食べてしまうんです……」

食欲を抑えられなくて、大量に食べてしまう……それはお辛いですね。その状況をもう少し、詳しくお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?

「は、はい……」

答えづらいかもしれませんが、聞いてください。私の提示したメニューは、抑えられない食欲を引き起こすような、そんな極端な食事制限ではないはずです。どちらかと言うと、代謝を上げたり、排泄を促すようなメニューで、決して食事の量や、ある特定の食べ物を制限するような、例えば糖質制限だったり、脂質制限のようなことではないはずです。ですので、あくまで私の想像ですが、あなたがさっきおっしゃったような、「1日水しか飲まない、とか自分の判断で食事制限をしてしまった」ことが原因だと思います。

「そうですね……はい、多分その通りだと思います」

痩せるペースが緩やかになって、痩せなくなったきたということは、あなたにとって、ダイエットのゴール、というか痩せることを達成した、ということだと思います。ですから、それ以上痩せる必要はないし、痩せることは出来ないし、いやむしろ痩せすぎな状態にまでなってしまった、と言えるのだと思います。

「……」

もう少し体重を戻してもいいくらいです。

「それは……ちょっと」

それはとりあえず置いといて……どうか、私には正直にお話ください。まず、今の心理状態、というか、どういう心境なのか、率直にお話くださいませんか。

「はい、あのう……何て言うか、とにかく何かを食べると太る気がして、食べるのをためらってしまうのです」

そうですか、それは、何を食べても太る気がしてしまうのですか?

「いや、何を食べても、っていうことでもないのですが、例えば甘い物とか、揚げ物とか、そういうものは、どうしても無限に太る原因みたいに感じてしまって……」

甘い物、例えばケーキとか、いわゆるスイーツですか?

「そう、そうです。スイーツとか、お菓子とか、菓子パンとか。とにかく砂糖とか、クリームとかが、いっぱい使われているものですかね」

揚げ物は、唐揚げとか、てんぷらとかですか?

「そうですね、あと、肉の脂身とか、ドレッシングとか……」

そうなんですね。ところで、食べても太らない、と思うものもあるのですか?

「そうですね、生野菜とか、こんにゃくとか、水とか。とにかくカロリーが低いものですね」

……わかりました。それでは、身体の状態、というか、体調的にはどのような感じなのですか?

「体調は……う~ん、良くはないですけど、そんなに悪い、ということもないです」

そうですか。そう、例えばめまいがするとか、ふらつく、などということもないですか?

「そうですねぇ、多少ボーっとしてしまうことはありますけど……あっ、でも駅の階段とか昇るのがちょっとキツイことがあるので、最近はエスカレーターを使うようにしています。でも、やっぱり以前よりは痩せたので、身体が軽い感じがしますし、洋服とかもかわいく着れるので、そういうことではちょっと、いや結構嬉しいです」

そうですか、ではあなたの望みが叶い、そして幸せを手に入れた、ということになるのではないですか、半分は。そして残りの半分、つまり「食欲を抑えられなくて、大量に食べてしまう」ということが、今のあなたのお悩みということになりますね。

「そうなんです、痩せたいのに食べてしまって……もうどうしていいのかわからないんです」

そうですね、「大量」がどれ程の量なのかにもよりますが、あなたがおっしゃるような甘い物とか、揚げ物とかを度を超して食べ続ければ、痩せない、というより今の体重や体型を維持し続けることは、ちょっと難しくなるかもしれません。ちなみに、大量に食べてしまうのって、どれぐらいの頻度なのですか?

「始めのうちは、疲れて家に帰ってきてホッとした瞬間とか、休みの時に何も予定がなくて、暇になった時に、無性に甘い物が食べたくなってしまって、コンビニに走って行ったり……多分、1週間に1回か2回くらいだったと思うんです。でも最近は、平日はほぼ毎晩、休日は特に出かける予定とかがないと、昼間でも食べたくなってしまいます。それを抑えることが出来なくて……」

私の考えでは、「食欲を抑えられない」ことは、人間として仕方がない、というかそれがむしろ当たり前だと思っています。おいしいものを食べたいとか、特にお腹が減っていなくても、ちょっと甘い物をつまみたい、という感覚は、ダイエットには支障があるかもしれませんが、人間としてはまともな感覚であり、それこそが人間らしさ、とも言えるのです。ですから、あなたのおっしゃるような「疲れて家に帰ってきてホッとした瞬間とか、休みの時に何も予定がなくて、暇になった時」にふと何か食べたいな、と思うこと自体は正常というか普通の感覚で、何らおかしいことではありません。ただ、あなたにとってはそれが悩みであり、苦しみであるのなら、そしてそれがほぼ毎日、ということであれば「幸せ」とは言えないでしょう……ある程度はあなたの状態を把握したつもりですので、これから私と一緒に、どうやったらあなたがその悩みや苦しみから解放されるのか、考えていきましょう。今は不安や心配で頭がいっぱいかもしれませんが、勇気を出してあなたが告白してくださったことで、今後は良い方向に向かうことが出来ると思いますよ。

「ありがとうございます。よろしくお願いします……」

※記事の進行上、症状の期間など、実際とは異なる部分があります。

それでは、いくつかお聞きしてもよろしいでしょうか。言いたくなければ「言いたくない」、どっちつかずだったり、よくわからなければ「どちらともいえない、よくわからない」、うまく説明出来なければ「何と言ったらいいのかわからない」などでも構いませんので、出来るだけ今のあなたの状態を正直に、思いを素直にお答えください。そして、私のことを信用していただいて、事実やあなたの思いと異なることは出来るだけ言わないようにしてください。どうぞよろしくお願いいたします。

「はい、話せることは、出来るだけ話すようにします」

ではまず、ご自分の判断で食事制限をした、とおっしゃっていたことについてですが、時間はかかったかもしれませんが、私の提示したメニューでも痩せることは出来たと思います。そうされたのは、痩せ方が十分ではないと感じたのか、あるいは痩せるスピードが遅いと感じたのか、そのどちらも感じたのか。そのことについては、どう思っていますか?

「そうですね……どちらかと言うともっと痩せたいとか、痩せなくなってきたことが太ることのように思えてきて不安になってきた、くらいの感じだと思います」

そうですか。そうすると、痩せなくなってきた、ということがダイエットの成功であり、あなたの望みが叶ったのであり、目標が達成された、とは思わなくて、逆に太り始めるのではないか、と感じたということですか?

「はい、まあそうですね」

そうですか。ではもうダイエットは終わりにして、この体重や体型を維持しよう、とか維持すればいいんだ、とも思いませんでしたか?

「そうですね、何て言うか、ここまで痩せたんだから、もういいでしょ、とは思わなくて、逆に、ここまで痩せたんだから、もっと痩せられるはず、もっと痩せなきゃ、と思うようになっていきました」

なるほど、何か、果てしない痩せ願望を休みなく追いかけ続けているような状態ですね。それでは気が休まりませんし、食べることも余り楽しめないのではないですか?

「はい、その……全部自分一人で考えたり行動しているだけなのに、何か物凄く疲れてしまって。頭の中も痩せたい、痩せなきゃとか、食べたくない、食べたら太る、でも食べたい、みたいなことばかり考えてしまって、もう本当に疲れているのに、どうしたらいいのかわからないし、どうすることも出来ない感じがして……」

そうですね……自分の考えに振り回されている、いわゆるマイルールで自分を縛ってしまっているような状態のようですね。それは非常に辛いのではないでしょうか。

「本当にもう、痩せたいのに食べてしまう自分が信じられないし、許せない感じです……自分のことなのに、コントロール出来なくて、本当にイライラするし、情けないし、どうにかしたいのに、どうにも出来なくて……どうしたらいいのでしょうか……」

そうですね、自分をコントロール出来ない、とすれば、その不満や鬱憤をぶつける先もなくて、ご自分を責めてしまうことにもなり兼ねませんし、非常に苦しい状況にあると思います。いろいろとお話していただいたおかげで、あなたの状況はより詳しく把握出来たと思いますので、これからどうしたらいいのか、一つ一つ考えていきましょう。あなたも、私にお話してくださったことで、少し落ち着かれたのではないですか?

「そう……ですね、今まで誰にも話せなかったので、少し心のモヤモヤが晴れたような気がします。でも、きっと家に帰ったらまた元に戻ってしまうと思いますけど……」

それは確かにそうかもしれませんが、今までお一人で抱えていた悩みを人に話せた、ということだけでも、ほんの少しづつでも確実に前に進んでいますので、どうかお気を落とさずに、一緒にこれからのことを考えていきましょう。

「あのう……自分をコントロール出来ない、ということもありますが、何て言うか、自分から逃れられないのも苦しい原因のような気がするんです……」

自分から逃れられない、ですか。そのことについてもう少し詳しく話していただけますか?

「はい、何て言うか、極端な例かもしれませんが、例えば、ストーカーに追われて、被害を受けてるとしたら、そのストーカーから逃れられれば、被害を受けずに済む、ということになると思うのですが、今の私の場合は、私が私自身に追われている気がしているのです」

私が私自身に追われている……

「そうですね、本当はもう、痩せなくても十分痩せたし、痩せる必要ってない気もするのですが、一方ではここまで痩せたんだから、もっと痩せられるはず、もっと痩せなきゃ、とも思ってしまうのです。何て言うか、もっと痩せなきゃ、と思っている自分に、もう十分痩せた、と思っている自分が追われている気がするのです」

それは、自分で自分を追い詰めている、という感じなのですか?

「そうですね、そうかもしれませんし、とにかく自分に追われている、ということは、どこまで逃げたとしても、逃げ切れない。追う自分と追われる自分を分けることが出来ないので、どこまで行っても逃げ切るることが出来ない、というジレンマみたいな……」

なるほど、自分の中で、相反する価値観があり、それをある種強迫的な価値観の自分がもう一方の自分を追い詰めている、という感じなのでしょうか。

「そうですね……そうかもしれません。それで、結局どっちも自分なので、自分で何とかするしかないはずなのに、自分ではどうすることも出来なくて、どうすればいいのかわからなくて……」

ご自分のいろいろな思いが交錯して、何か身動きがとれないというか、思考の柔軟性が失われているような気がします。本当に今日はたくさんの思いを打ち明けてくださいまして、ありがとうございます。私もすぐこの場で的確なアドバイスなどが出来ればいいのですが、問題はそう単純ではなさそうなので、一度持ち帰ってじっくりと考えさせてください。ただ、一つだけ今言えるとすれば、とにかく睡眠を多めにとってください。あなたは、あなたが思っている以上に心も身体も疲れているはずです。今は「痩せたい」という気持ちが強く、いわゆる気が張っている状態なので、自覚は余りないかもしれませんが、とにかく寝ることを優先させてください。もしかしたら、そのことで「大量に食べてしまう」時間というか、そういうことを考える時間も少しは減らすことが出来るかもしれません。それに、今日はたくさんお話をしてくださって、私の話も聞いていただいて、それだけでも知らず知らずのうちに疲れているはずですので、これくらいで切り上げて、自宅でゆっくりなさった方がよろしいかと思います。

「はい、そうですね。私も、今まで話したことがないようなことを結構話したので、ちょっと頭が回らなくなってきた気がします。今日はもう帰って、家でゆっくりしたいと思います。本当に今まで聞いてくださって、ありがとうございました」

「……今日は、いろいろと話せたし、多少は気分がすっきりした。けれど……それで食べたい気持ちがなくなる訳ではないし、家に帰ったらきっと食べたくなってしまう。結局、自分で自分を抑えることが出来ない以上、この問題って、解決出来ないんじゃないか……」

帰り道でも、飲食店の看板やコンビニばかりが目に付いて、食べたい気持ちから逃れられることはない気がした。

「それに、先生は寝ることを進めていたけど、そんなにいつも眠いわけでもないし、食べなければ一日を終われない気がするし、そうしないと寝れないし……もう本当にどうしたらいいのか……誰か教えて」

「痩せること……始まりはほんの小さな望みだったのに、いつの頃からか、その自分の思いに強迫的に追いかけられいるような、でも本当は自ら追い求めているような、そんな矛盾した感覚が常に頭の中にあるような、ないような……」

「先生とお話している時は、一時食べることを考えないで済むんだけど、家に帰って一人になると、とたんに食べたい猛獣が現れて、私を痩せたいのに食べたい、というジレンマに引きずり込んでいくような、そして引きずり込まれた私は、どこからも助けの手を差し伸べてもらえない、とてもとても孤独な戦いを強いられる。そして結局いつも食べたい猛獣には勝てなくて、痩せたいのに、本当は食べたくないにのに、気が付いたら次から次へと食べ物を口に放り込んでしまう……」

「あぁ……痩せたら何でもうまくいく、何もかもが思い通りになる、痩せれば幸せになれる。そう思っていたのに、こんなことで苦しむことになるなんて。いっそ、そんなことを考えなければ良かったのかなぁ……もう、今となってはどこまでが間違ってなくて、どこから間違ってしまったのか、それすらもわからない」

「先生は、私の救いの神になってくれるのだろうか……もう、自分で自分をコントロール出来ない以上、何かに、誰かに頼るしかないし、今の私にとって頼れるのは先生しかいない。次に会う時までに、何か、何もかもが解決するような、私には思いもつかない素晴らしいアドバイスをしてくれるのだろうか……」

「じっくりと考えさせてほしい、と言った先生と次に会うのは、ちょっと先になってしまった。その日まで、私は食べることを抑えられるのだろうか・・・太らずに、今より痩せることが出来るのだろうか……もう、今の私には不安と心配しかない。ああ……本当にこれからどうしたらいいんだろう」

とにかく食欲を抑えること、太らずに済むことしか考えられない私は、先生に会う日まで待ちきれなくて、必死になってネットの情報を読み漁った……

(どんなに食べたって、吐けばいいのよ。全部吐いてしまえば、食べなかったのと同じになるから。食べたのに、食べなかったことになるし、太らないし、逆に痩せるから。痩せたくて、でも食べたい、食べちゃう人にとっては、うってつけだと思います。今までの、全ての悩みがいっぺんに解決するんだから……)

ネットで辿り着いた怪しげな情報に、私の目は釘付けになった。(どんなに食べたって、吐けばいいのよ……)(……太らないし、逆に痩せるから……)

それからは、食べたい猛獣に襲われるたびに、その言葉が脳裏をよぎるけれど、食べた物を吐くのは、何だか申し訳ない気持ちと、何となく怖くて出来なかった。

ある時、会社で飲み会があった。自分の食欲をコントロール出来なくなってからは、ランチやご飯のお誘いは、何だかんだと理由をつけて断ってきたけど、どうしても断り切れなくて、仕方なく参加することにした。

「まあ、お酒も嫌いじゃないし、飲んでれば食べなくても変に思われないかもしれない……」

事前の計画通り、最初の乾杯の後は、サラダを一口二口つまんだだけで、あとはひたすらお酒を飲んで過ごした。唐揚げやフライドポテトなどが目の前に並ぶと、食べたくて仕方がなかったけど、家で一人でいるのとは違って、いろいろな人と喋ることが出来たので、喋っている時には食べなくて済んだし、人と会話することで気を紛らわせることも出来た。

ただ、ほとんどろくに食べもせず、ハイペースで飲んだため、お酒が好きな私でも飲み過ぎで、酔っぱらったを通り越して気持ちが悪くなってしまった。

吐き気が込み上げてしまい、トイレに駆け込んで戻してしまった。と言っても、ほとんど何も食べてなかったので、胃液が込み上げてくるばかりだったけど……

その時、あの言葉が頭の中によみがえった……(どんなに食べたって、吐けばいいのよ……)(……太らないし、逆に痩せるから……)

「そうか、こうすれば私にも吐けるかもしれない。吐ければ、どんなに食べたって太らないし、もっと痩せられるかも……」

この日を境に、私は過食嘔吐を覚え、そして気が付いたら過食嘔吐という蟻地獄から這い上がることが出来なくなってしまった……

※決して、お酒を飲んで吐くことを推奨したり、紹介する意図で書いている訳ではありません。一人でも多くの方が、一日でも早く摂食障害の苦しみから解放されることを願って記事を投稿しておりますことをご理解いただきたいと思います。

あの飲み会の夜以降、私は過食嘔吐を覚えた。始めのうちは、食べたい猛獣に襲われた時には、お酒を飲んでそれから食べれば吐ける、という安心感が得られたことで、実際には大量に食べなくて済むこともあった。

でも最近は、過食嘔吐をしないと一日が終わらない、いや一日を終えることが出来なくなってしまっていた。

仕事で疲れて帰ってきても、帰りが遅くても、ほとんど毎日仕事帰りにコンビニに行くようになり、大量のお酒と、甘い物や揚げ物などを買い込んでは過食嘔吐する日が続いた。

始め、そんなに気にせず買い物していたけど、一応20代の女がカゴに入り切れないほどのお酒と食べ物を買うのは不自然ではないか、と気になりだして、それからはコンビニをはしごするようになっていた。

それでも、先生のメニューでは痩せることが出来なくなっていたのが、過食嘔吐をするようになってからは、少しづつではあったけれど再び痩せることが出来るようになったので、そんなに苦にならなかった。

(どんなに食べたって、吐けばいいのよ……)(……太らないし、逆に痩せるから……)確かにその通りだった。もはや、過食嘔吐は私のライフワークになりつつあった。

「自分一人で食べても痩せられる方法が見つかったのだから、先生のところに行く必要があるのだろうか……」

何だかんだと理由をつけては、先生のところに行かない日が増えていた。

「過食嘔吐を続けていれば、それでいいんじゃないか」

そんなことを、考えていた時もあった。

ところが今は、何故だかわからないけど、過食嘔吐を続けていることがだんだん苦痛になっていた。

大量にお酒を飲んで、大量に食べて、そして吐く……今はそれが、私を苦しめていた。

再び痩せることが出来なくなってきたこともあるけれども、食べることや食べ物のことが頭から離れなくなってきて、気分の切り替えが出来なくなっていた。

もはや、仕事中も食べることを考えるようになってしまって、一刻も早く仕事を終わらせて、家に帰って過食嘔吐をすることばかり考えるようになっていた。

だんだん、そんな自分が嫌になっていたし、買い物⇒過食嘔吐というルーチンを続けることが苦痛になっていた。

「もう、過食嘔吐をやめたい……」

「もう、過食嘔吐をやめたい……」

以前は、もっと痩せなきゃ、と思っている自分に、もう十分痩せた、と思っている自分が追われている気がしていた。

でも今は(過食嘔吐をしないと一日を終えることが出来ない、過食嘔吐を続けなければ無限に太る)と思っている自分に、(買い物⇒過食嘔吐というルーチンを続けることを苦痛に感じる、食べることや食べ物のことが頭から離れなくなって気分の切り替えが出来ない)自分が追われている気がした。

「結局また私が私自身に追われている……これじゃあ、以前と何も変わっていないし、どこまで行っても、いつまでたっても逃げ切ることが出来ない。もう、どうしたらいいの?」

私は、何がどうなっているのか、本当は何がしたいのか、どこを目指しているのか、そしてどうすれば満足出来て、幸せを手に入れられるのか、考えれば考えるほどわからなくなっていった。思考回路は、痩せることと食べることの間を行ったり来たりするだけで、それ以外のことを考える余裕はなかった。

ただ、そんな状態にもかかわらず(そんな状態だからこそ)、仕事の後の買い物⇒過食嘔吐というルーチンだけは続いていた。疲れている時は、もう本当に普通に食べて、なんなら何も食べなくてもいいから、一刻も早く家に帰って寝たかったが、半ば無意識的に買い物をし、それが義務だと言わんばかりに過食嘔吐を続けていた。

一連の儀式が終わり、最後の一滴まで吐き切った時は(あぁ、今日も太らずに済んだ……)という安心感があったけど、一方では食べることや食べ物のことばかり考えてしまう自分に振り回されて疲れ切っていたし、大量に食べること、そして吐くことも苦痛で、一刻でも早くそこから抜け出したい、と思い始めていた。

そうは言っても、太ることは恐怖であり、そしてひとたび食べたい猛獣に襲われたら食欲を抑え切れないのだから、過食嘔吐を手放すことは出来ないんじゃないか、という思いもあった。

(追う自分と追われる自分を分けることが出来ないので、どこまで行っても逃げ切ることが出来ない)というジレンマと、

(痩せたい、太りたくないと思えば思うほど食べたい気持ちが抑えられない)というジレンマ。

私は、私自身の中で、私自身の相反する価値観の板挟みになっているような、入り口も出口もない螺旋階段を上っては下って必死にドアを探しているような、そんな絶望的な気持ちにさえなっていた。

「あぁ……誰か教えて、どうすればいいのか。誰か助けて。……先生、助けて」

私は、自分の力だけではどうすることも出来なくて、かといってこんなことを誰にも相談することも出来なくて、藁をも掴む思いで、先生に連絡を取った……

……こんにちは、今日はどうされましたか?あなたにお会いするのは随分久しぶりのような気がします。何か気になることでもございましたか?

「はい、あのう……以前、食欲を抑えられなくて大量に食べてしまうんです、っていう話しをしたと思うんですけど」

そうでしたね、それでいろいろな思いやお気持ちを聴かせていただいて、深く悩まれているご様子でしたので、私の方でも一度持ち帰ってじっくりと考えさせていただきました。

「ありがとうございます。それで、その、今も悩んでいることに変わりはないんですけど、何て言うか、ちょっと言いづらいんですけど、今は大量に食べるだけじゃなくて、食べた後に吐いてしまうんです……」

大量に食べるだけじゃなくて、食べた後に吐いてしまう……

「はい、その、以前からも痩せたい気持ちはあったんですけど、痩せたい気持ちがどんどん強くなってきて、痩せたい、太りたくないと思えば思うほど食べたい気持ちが抑えられなくて……とにかく食欲を抑えることや、太らずに済むことをいろいろと考えたんですけど、どうしたらいいのかわからなくて。それで、先生が考えてくださるアドバイスを聞くまで待てなくて、ネットとかでいろいろと調べてたら、(どんなに食べたって、吐けばいい)みたいなことが書いてあって……」

インターネットで、いろいろな情報をお調べになったんですね。

「はい、それで、始めは何となく怖くて出来なかったんですけど、会社の飲み会で、ろくに何にも食べないでお酒ばっかり飲んでたら、気持ち悪くなってしまって、吐いてしまったんです……」

……それは、吐こうと思ってそうされたのではなくて、ってことですか?

「はい、自分の食欲をコントロール出来なくなってからは、飲み会なんかは断ってたんですが、どうしても出なくちゃならなくて。それで、きっと食べ出すと止まらない、と思ったので、お酒だけ飲んでいよう、と決めて参加したんです。私、お酒飲むのも結構好きなので……」

そうでしたか、それで、飲み過ぎて気持ち悪くなってしまったのですね。

「そうなんです、そしたら、お酒を飲みながら食べれば吐けるんじゃないか、って考えてしまって。それから、いつの間にか毎日大量にお酒を飲んで、大量に食べて、それで吐くようになってしまって……」

……そうですか。それはまた、さらに難しい問題ですね。ただ、今私が言えることは、食べるだけならまだしも、毎日大量に飲酒されたり、吐いたりすることは、どうもお身体にも良くなさそうですから、これからどうしたらいいのか、改めてじっくり考える必要があると思います。

「ありがとうございます。最近は、吐いたりするのをやめたい、って思うんですけど、やめられなくて。それで、どうしたらいいのかわからなくて……」

それはおそらく、摂食障害という病気だと思います。私は、医師ではありませんから、診断や治療は出来ませんが、多少摂食障害についての知識がありますので、相談、というかカウンセリングという方法でなら、あなたと関わることは出来ます。私が今まで考えていたことを、もう一度練り直す必要があるかもしれませんが、今日お話していただいたことは、私なりに受け止めさせていただきましたので、これから少しでも良い方向に向かうことを一緒に考えていきましょう。

「ありがとうございます。何か、今まで誰にも言えなかったことを今日先生に話すことが出来て、少しほっとしました。本当に私、今頼れるのは先生しかいないんです。どうか、よろしくお願いします……」

家に帰ると、一気に疲れが押し寄せてきた。……そう言えば、過食用の買い物すら忘れるくらいだから、相当疲れていたのかもしれない。

靴も脱がずに玄関先で座り込んだら、そのまま動けなくなってしまった。

どれくらいそうしていたのだろう……気が付いたら、頬を伝って滴り落ちる涙が、スカートの裾を濡らしていた。

「私、何やってるんだろう……何がしたいんだろう……」

いくら考えても答えに辿り着けないことが繰り返し頭に浮かんでは消える毎日に、うんざりしていた。もう何も考えたくなかった。

「でも、やっとの思いで先生に連絡を取って、本当に良かった。先生も、私のことをどうすることも出来ないかもしれないけど、今日話を聴いてくれたおかげで、今はちょっとだけ気が楽になったし、少しだけほっとした。本当に、誰にも言えなくて……こんなこと、自分一人で抱え込むのはやっぱり重すぎる」

「先生は(摂食障害という病気)だと言っていた。それは確かにそうかもしれないけど、でも単純に大量に食べなきゃいいだけ、のような気もする」

「食欲が抑えられなくなるって、本当に(病気)なのかなぁ……私の意志が弱いだけなんじゃないのかなぁ……」

「でも、大量に食べて吐く(過食嘔吐)は、確かに病気かもしれない……自分でもその時の自分を尋常じゃないと思うし……」

何も考えたくないのに、食べたい猛獣に次から次へと襲われるかのように、答えの出ない、どこにも辿り着けない(考え)が次から次へと私の頭の中を満杯どころか溢れさせて、自分に自分が押しつぶされそうだった。

心身ともに疲れ切っていた……なのに、心のどこかで買い物に行こうとしている自分が見え隠れしていた。

「本当に、私何考えているんだろう……」

涙でぐしゃぐしゃになった顔と、濡れたスカートで、それでもお酒と食べ物を買いに行くことを考えている自分が情けなかった。

でも、そんな姿でも買い物に行けちゃう自分は、やっぱり(病気)なのかもしれなかった。

「先生は、(私は、医師ではありませんから、診断や治療は出来ませんが、多少摂食障害についての知識がありますので、相談、というかカウンセリングという方法でなら、あなたと関わることは出来ます)と言っていたけど、医者でもない先生に、一体何が出来るんだろう……確かに、今の私は先生しか頼れないけど、医者にかかった方がいいのかなぁ……」

ちょっとしたきっかけで(痩せたい)と思っただけなのに、まさかそんなことでこんなにも辛く、苦しい毎日が待っているなんて、想像も出来なかった。

「ただ痩せたいだけなのに、ただ痩せて幸せになりたかっただけなのに……そんな、女なら誰でも一度は考えることで、何でこんなことになってしまったの……」

気が付いたら、そのまま玄関先で寝てしまっていた。スマホを見ると、もう明け方の4時を回っていた。

「本当に、私何してるんだろう……明日、いや今日も仕事なのに」

ぐちゃぐちゃな顔で眠り込んでしまったことは、許せなかったけど、何十日かぶりに、過食用の買い物をしなかったし、食べ吐きしないで朝を迎えることが出来たことは、奇跡と言ってもいいかもしれなかった。情けないような、嬉しいような、複雑な気持ちだった。

「仕事で、めちゃめちゃ追い込んで、毎日倒れるほど働いたら、もしかしたら過食しないですむのかなぁ……」

ぼんやりとそんなことを考えていると、周りが明るくなり始めた。

「こんな私にも、幸せそうなみんなと同じように朝が来るんだよね……」

とりあえず、シャワーを浴びて、仕事に行く準備をしないと、と自分に言い聞かせて起き上がることにした。

「こんな私にも、いつかは食べたい猛獣に襲われなくなる、私が私自身に追われなくなる、そんな素敵な(夜明け)が来るのだろうか……」

お腹が減っているはずだけど、今は何も食べる気が起きなかった。それでも、水を一杯飲んで気分を落ち着かせて、出かける準備に取り掛かった。

「食べることなんて、みんな(普通に、当たり前に)出来ることなのに……今の私はそんな、普通や当たり前すらまともに出来ない……生きている価値、ないかも」

何とかその日の仕事を終えて、最寄り駅に着いた。疲労感はとっくにピークを超えていたけど、今日は、いや昨日の夜からまともに食べていなかったので、自然とコンビニに足が向いていた。

唐揚げ、コロッケ、菓子パン、ポテチにチョコ、コンビニスイーツ、そして濃い目のハイボール……一つの店で買う量は一人分ほどに抑えていても、だんだんレジ袋の数が増えるので、最後の方の店では、結局はしごして買う量を抑えている意味がないようにも思えた。

そんな、どうでもいいことを考えながらひたすら買い物をして、家に着いた。

いつもなら、一刻も早くお酒を飲み始めるのだけど、今日はどうしても調べたいことがあったので、ハイボール片手にスマホで検索してみた。

(摂食障害)(病院)(治療法)(カウンセリング)……ふと、先生についても調べてみたくなった。

ほとんどが(ダイエットアドバイザー)という肩書きしか出てこなかったけど、(先生の壮絶な過去)という記事を見つけて、気が付いたらお酒を飲むのも忘れて読み耽っていた……

(先生の壮絶な過去)……そこには、こう書かれていた。

○○氏(ダイエットアドバイザー)には、隠された壮絶な「過去」があった……○○氏には一人娘がいたが、彼女が20代前半の時に、自殺で亡くしていた。彼女は、10代後半から摂食障害を患っていた。○○氏は、専門家を頼って、摂食障害の治療実績がある精神科などに娘を入院させたり、必死になって治療に専念させていたが、娘は摂食障害を苦に自殺を図り、帰らぬ人となってしまった……
それを機に、○○氏は「食べたい」や「痩せたい」気持ちを尊重しつつ、何をどれだけ食べるかや、代謝に効果的な運動などによる、独自のダイエット方法を提唱し、ダイエットアドバイザーを名乗って活動するようになった……

「……先生には、そんな(過去)があったんだ」

(医者でもない先生に、一体何が出来るんだろう……)そう考えていたけど、そんな辛い経験をした先生なら、もしかしたら本当に私のことを救ってくれるかもしれない……そんなことを思い始めていた。

「食べたい」や「痩せたい」気持ちを尊重しつつ……その言葉に引き込まれていた。親や、周りのみんなは、ちょと太っただけで「太った?」とか「もう少し痩せたら?」とか、言われた方が、その一言でどれだけ傷つくかなんてとても考えてるとは思えない軽さで、ためらいもせず言ってくる。その一言で、死ぬほど辛い思いをするってことなんか、頭の片隅にもないのだろう。私も、もしその一言がなければ、今頃こんなに苦しくて、辛い毎日を過ごすことはなかったかもしれないのに、言った本人は、そんなことも知らず幸せに生きているのだろう。おいしく食べているのだろう。そんなことを思い出して、自然と涙が溢れてきた。

「私なんて、おいしいとか、お腹いっぱいとか、そんなことわからないのに……食べることは、楽しみじゃなくて、義務であり苦行なのに……食べ物のことなんて、もう考えたくないのに……」

ぬるくなってしまったハイボールを飲み干して、スマホを置いた。お腹は減っているけど、買ってきた物がなかなか食べれなかった。

しばらくボーっとしていたけど、さすがに何か食べたくて、唐揚げを一口食べた。そしたら、スイッチが入ったように次から次へと食べ物を口にしていた。

「食べてる時は、何も考えなくて済む。ただひたすら、食べることに集中出来る……」

今夜は、どこかで納得しながら食べ続ける自分がいた……

(食べてる時は、何も考えなくて済む。ただひたすら、食べることに集中出来る……)

過食嘔吐をしないで朝を迎えることが出来たのは、結局あの一日だけだった。再び、仕事帰りにはコンビニをはしごして、お酒と食べ物を大量に買い込み、お酒を飲みながら過食する生活が続いていた。

「私も、いつか先生の娘さんのように、摂食障害の苦しさに耐え切れずに自殺を考える日が来るのかもしれない……」

自分で自分をどうしたらいいのか、たとえそれがわかったとしても、自分で自分をコントロール出来るようになるのか……今はまだ、そんなことを考えられるだけ、先生の娘さんよりは救われているのかもしれない。ちょっと自分自身から引いて冷静になって考えてみると、(どうしたらいいのか)とか(出来るようになるのか)とかって、最低限の前向きな姿勢のような気もする。

「先生の娘さんは、食べる気力も、食べて吐く気力も、何もかも失ってしまったんだろうか……」

私は、買い物に行けるだけ、しかもはしごするほど周りの目を気にしてるだけ、そして食べたら吐くだけ、生きる気力はまだ残ってるのかもしれないし、やっぱり自殺とか、死ぬこととかは怖かった。

「それに、もしも私が生きる希望を失って、本当に自殺でもしたら、先生はどう思うのだろう……私は先生の娘でも何でもないけど、でも歳は同じくらいで、しかも同じような悩みを抱えていて、先生にいろいろとアドバイスをもらってて。何か、もしそんなことになったら、もしかしたら私はとてつもない過ちを犯したことになるんじゃないか」

先生は、私に寄り添って、私の気持ちを理解しようとしてくれている。それは、何となく伝わってきていた。

「食べることや痩せることばかりが頭を駆け巡って、振り回されて、自分に追われて逃げることも出来なくて、本当に辛い毎日だけど、私よりももっと辛かったかもしれない先生……今度会ったら、何か素晴らしい解決策でも教えてくれるのかなぁ……」

あれこれ考えても、結局、今の私には先生に頼ることしか出来なかった。自分では、自分のことをどうすることも出来なかった。次に会う日を指折り数えながら、ハイボール片手に、揚げ物や、菓子パンや、お菓子をひたすら詰め込んだ。

(あれこれ考えても、結局、今の私には先生に頼ることしか出来なかった。自分では、自分のことをどうすることも出来なかった)

先生に会う日は、まだ10日以上も先だった。頭の中では、様々な考えが頭に浮かんでくるけれど、どれも解決に結びつくようなものではなかった。考えれば考えるほど、考えることに疲れていくのに、私の思考回路はブレーキが利かなくなった車のように、自分では考えることを止めることが出来なかった。

(仕事で、めちゃめちゃ追い込んで、毎日倒れるほど働いたら、もしかしたら過食しないですむのかなぁ……)なんてことを考えたこともあったけど、最近は仕事中も食べ物や、食べることが常に頭から離れないような時間が増えてきて、仕事に集中することが難しくなってきていた。

「もう、本当は、何も食べたくないのに、食べることばかり考えてしまう。ただ痩せたいだけなのに、食べたら太るってわかっているのに、食べることばかり考えてしまう。そして私は、食べたい猛獣に襲われて、信じられないような量の食べ物をただひたすら詰め込んで、それでも痩せたい気持ちを捨て切れなくて、全て吐いてしまう……」

もう、本当は痩せたいのか、それとも食べたいのか、自分は何を求めているのか、そんな、自分にしかわからないことすら、自分にはわからなくなっていた。

「先生は、私に何と言ってくれるのだろう……でも、どんなに素晴らしいアドバイスを言ってくれたって、完全に自分をコントロール出来なくなってしまった私に、一体何が出来るというの?……今の私は、ただ買い物をして、飲んで食べて、吐くことしか出来ない(過食嘔吐ロボット)みたいなものだもの……」

こんな私にも、以前のように、友達と笑いながら楽しく、おいしい食事が出来る日が再び来るのだろうか……今の状態じゃあ、とてもそんな日が来るとは思えなかった。それどころか、痩せたいと食べたいを同時に満たすことが出来るのは、過食嘔吐を続けることしかないのでは、とも思っていた。それでも、一刻も早く過食嘔吐をやめたい、という気持ちもあった。そんなことを考えれば考えるほど、がんじがらめに縛られて、身動きがとれない状態に、どんどん自分が追い込まれていく気がした。

「もう、気が狂いそう……」

※一部「嘔吐」に関する内容が含まれており、不快に思われる方がいらっしゃるかもしれませんので、ご自身の判断でお読みください。

いつものように、コンビニをはしごして、家に帰ってきた。私は、相変わらずお酒を飲むことと過食がセットだったけど、最近は、お酒だけ飲んで、酔っぱらって、あわよくばそのまま寝落ちしてしまえばいいのに……と思いながら食べ物を詰め込んでいた。そう、あの日のように……

自分ではどうすることも出来なくて、藁をも掴む思いで、先生に連絡を取った。そして、久しぶりに先生に会って、過食嘔吐を告白した日。あの夜は、酔っぱらって寝落ちしたのではなかったけど、確かに過食嘔吐をしないで朝を迎えることが出来た。

「でもやっぱり、お酒を飲み始めると、どうしても食べたくなっちゃう……」

結局今日も、唐揚げから始まって、かつ丼、菓子パン、お菓子、コンビニスイーツ、といういつもの順番で、次々と食べ物を詰め込んだ。何となく、お菓子やスイーツから食べ始めると、速攻で消化吸収されるような気がして、唐揚げや肉とかで(防波堤)を作ってから、甘い物を食べるのが私の習慣だった。菓子パンとか、水分の少ないものの時に、ハイボールをガンガン飲んで流し込んだ。

喉元まで食べ物が詰め込まれて、もう一口も飲み込めない一歩手前が終了のサインだった。

「今日もそろそろ吐かないと……」

トイレで、指を喉の奥まで突っ込んだ。

「えっ?」

何故だか、今日はいくら指を突っ込んで舌を押さえつけても、何も吐けなかった。

「何?どういうこと?マジやばいって……」

水を飲んでも、胃を押さえつけても、どうやっても吐くことが出来なかった。

「は?このままじゃ、太っちゃう……え、何?何なの……ちょっと、誰か助けて……」

ほとんどパニック状態で、ひたすら指を喉の奥まで突っ込んでいたら、爪で掻き切ってしまったのか、血だけは吐くことが出来た。

最初は、唾に混じった程度だったのが、だんだんぽたぽたと血だけが垂れてきた。焦って指を口の中から出したのに、指を突っ込まなくても血が止まらなくなってきた。

「っていうか、これって、ヤバいって。太るよりヤバいかも……どっ、どうしよう……」

そこで、目が覚めた。

「はぁ……夢?……助かった?んだよね……」

夢の中の私は、過食を吐けなくて太ることよりも、血を吐くような病気になってしまったことや、そのまま死んでしまうことの方が怖かったみたいだった。

「まだ私にも、まともな感覚って、残ってるのかなぁ……」

※この記事には、一部過食嘔吐の方法に関する内容が含まれておりますが、決して過食嘔吐を推奨する意図で書いたものではありません。一人でも多くの方が、一日でも早く摂食障害の苦しみから解放されることを願っています。

痩せたくて、痩せたくて、ただただ痩せたくて。太るのが怖くて、先生のアドバイスを超えて(無視して)食事制限をし始めた。

みるみるうちに痩せていく自分を見る(体重を測る)のが嬉しくて、ますます食事制限を加速させていった。

その先で私を待ち受けていたのは、抑えられない食欲(食べたい猛獣)だった。頭では、もっともっと痩せたい、と思っているのに、もう一人の自分が甘い物とか、揚げ物とか、そういう無限に太る原因になるようなものばかりを、大量に食べたがる。

結局、いつだって食べたい猛獣に襲われたら、痩せたい私の気持ちに勝ち目はなくて、大量の食べ物を詰め込んでしまう。そして、その後に、痩せたい気持ちを必死に取り戻そう、リセットしようと思うと、ただひたすら吐くことしか出来ない。

でも、実際は、買い物している時から、過食嘔吐前提で大量に買い込み、ひたすら飲んでは食べて、計画的に吐いている。もう、そんな自分が嫌だった。

(昨日の、夢の中の私は、太ることよりも、病気や死ぬことを恐れていた……)

「今の私は、先生の娘さんのように、自殺することは怖くてとても出来ないけど、でも太ることが死ぬほど怖い、とも思う。・・・何か、私の考えていることって、矛盾していることばかり。痩せたいのに食べたいとか、死ぬのは怖いのに太るのが死ぬほど怖い、とか。そんな、両極端なことばかり追求してるから、自分をコントロール出来ないのかなぁ……」

冷静に考えると、もう十分に痩せているかもしれない。少なくとも、太ってはいないと思う。それに、大量に食べたくなってしまうのも、過食嘔吐以外の時に十分どころか、ろくなものを食べていないからだということも、何となくわかっていた。

でも、でも今の私には、痩せたい思いも、食べたい気持ちも、そのどちらも止めることが出来なかった。

摂食障害とは、そういう病気だと、どこかのサイトで読んだけど、痩せたいのも自分、食べたいのも自分。最終的には、自分で自分を何とかするしか方法はないような気もした。

「先生は、一体私に何をしてくれるのだろう……」

……こんにちは、2週間ぶりですが、その後具合はいかがですか?

「はい、あのう……過食嘔吐は相変わらずほぼ毎日続いています」

そうですか、やはりあなたは摂食障害と言ってもいいと思います。一般的には、摂食障害になってしまうと、痩せたい気持ちや食欲を抑えられなくなる、と言われていますので、今のあなたの状態、例えば痩せたいのに大量に食べてしまうとか、食欲を抑えられないとか、食べた後に吐いてしまうというのは、典型的な摂食障害の症状だと思います。

「はい、それは私もネットとかで調べて、何となくはわかっているんですが……痩せたいと思っているのに、大量に食べてしまったり、そういう矛盾している自分とか、もう十分痩せているかもしれないのに、もっともっと痩せたいとか、ほんの少しでも甘い物とか揚げ物とかを食べてしまうと、無限に太るんじゃないかとか思って、過食嘔吐をしてしまう、極端な考えしか出来ない自分とか、そういう自分が、本当に嫌だなぁ……って思ったりします」

そうですか……私は安易に(わかります)とは言えませんが、今は思い通りにいかないことがいくつもある、ということを理解していただきたい、と思います。痩せることも、食べることも、今はご自分の納得するような結果に繋がるような、合理的な行動はとることが出来ないと思います。ですが、一生このような状態が続くわけではありません。

「それはそうかもしれませんが……いつまで続くのか、いつかは良くなるのか、そういう見通しみたいなものも全然ありませんし、とにかく毎日が辛いです」

そうですね、そうかもしれません。ですが、いまは摂食障害という病気のせい、だと割り切って、出来ない事には目を瞑り、出来たことを評価する、と考えた方が良いかと思います。今まで出来たからといって、出来ないことで悩んでおられるかもしれませんが、全て病気のせい、ということにして、出来ないことは、ある意味諦めることも大切なことです。

「はあ……」

とにかく、今は全てを病気だから、と言い聞かせて、今出来ることに集中することが大切だと思います。痩せたい思いも、食べたい気持ちも、過食嘔吐も、否定することなく(今は仕方がない)と、そのまま受け入れてください。

「そうですか……」

思い通りにならない自分、うまくいかない自分、コントロール出来ない自分、その全てをありのままに受け止めて、認めてあげてください。痩せたいと思っているのに大量に食べてしまう、矛盾している自分に対する自己嫌悪があるかもしれません。食べた物を自ら吐き出してしまうことに対する罪悪感があるかもしれません。そういった、余りよろしくない自分もそのまま受け止めて、認めてあげてください。今の自分の状態に納得出来ないかもしれません。今の自分の行動が許せないかもしれません。ですが、自分が自分を突き放してしまったら、いったい誰があなたを受け止めてくれるのでしょう。受け入れてくれるのでしょう。私や、周りの人間は、救いの手を差し伸べたり、隣で寄り添ってサポートすることは出来ますし、全力でそうするつもりです。ただ、一番大切なことは、あなた自身が今の状態を受け止めて、今は仕方がないんだと認めて、諦めることなく、そして開き直るでもなく、少しでも良い方向に向かう気持ちを忘れずに、持ち続けることだと思います。今は非常に苦しいかもしれません。また、今の状態を打開するのには時間がかかるかもしれません。仮にそうだとしても、私も全力でサポートしますので、どうか諦めないで、少しでも苦しみから解放されることを一緒に考えて、取り組んでいきましょう。

「はい、わかりました。諦めないで、良くなる気持ちを持ち続けるということなんですね」

そうですね……今日は私もいろいろなことを一気に喋り過ぎたかもしれません。あなたも、いきなりたくさんの話を聞かされて、もしかしたら混乱してらっしゃるかもしれませんが、次にお会いするまでの間は、とりあえずは必要以上に難しいことは考えずに、出来ることも、出来ないことも、納得出来ないことも、その全てをありのままに受け止めて、認めてあげてください。あなた自身が、あなたのことをありのままに受け止めて、認めてあげてください。それがはじめの一歩になると思います。

「出来るだけそうしてみます。それは、食べても、吐いても、そして痩せたい気持ちも、そのどれも認める、ということですよね?」

そうです。難しいかもしれませんが、とにかくそういう気持ちだけでも持ち続けてください。

「わかりました……出来るだけやってみます。今日はありがとうございました」

次にお会いするまでの間は、とりあえずは必要以上に難しいことは考えずに、出来ることも、出来ないことも、納得出来ないことも、その全てをありのままに受け止めて、認めてあげてください。あなた自身が、あなたのことをありのままに受け止めて、認めてあげてください。それがはじめの一歩になると思います。

「出来るだけそうしてみます。それは、食べても、吐いても、そして痩せたい気持ちも、そのどれも認める、ということですよね?」

そうです。難しいかもしれませんが、とにかくそういう気持ちだけでも持ち続けてください。

帰り道、いろいろなお店や、看板、歩きながらパンなどを食べている人とかが目に入っては、気になって仕方がなかった。

「早く家に帰って、過食したい……」

一方ではカフェとかに寄って、コーヒーでも飲んで時間を潰して、家に帰る時間を遅くして、過食する(余裕)をなくしたい、とも考えていた。

「でも、帰る時間を遅くしたって、過食のスタートが遅れるだけで、結局食べちゃうんなら、早く帰った方が、明日も仕事だし、疲れないかな……」

それでも、家に一人でいる時間を少なくしたい、なるべく過食する環境に居たくない、という思いもあった。

「やっぱり、私の考えていることって、矛盾していることばかり。両極端なことばかり追求するものだから、自分をコントロール出来ないのかもしれない」

先生は、食べても、吐いても、そして痩せたい気持ちも、そのどれも認めろ、と言っていた。

「それは、過食しても、吐いても、そして痩せたくてもいい、ってことだよね。だったら、あれこれ考えずに、早く帰っていつものように過食嘔吐すればいいのかなぁ……」

でも、出来ることなら、たった一日でも過食せずに寝たかった。あの日のように……

結局、気分転換になるかも、と思って、ちょっとおしゃれなカフェに寄ることにした。

お店にいるお客さんは、誰もがみんな幸せそうで、太ることなんてこれっぽちも気にしてない様子で、思い思いにケーキなんかを食べていた。

「私も以前は、ああして何も気にせずに、普通にケーキとか食べてたんだよね……」

いつからこんなことになってしまったのだろう……(普通に食べる)そんな、誰もが出来ることが出来ない自分。当たり前のことが出来ない、出来損ないの自分。そんな自分が情けなくて、嫌で、許せなかった。

「私、何やってるんだろう……何がしたいんだろう……」

気が付いたら、涙が頬を伝っていた。人前で、泣くなんて……どうすることも出来ない自分を持て余していた。冷め切ったコーヒーの黒さが、今の自分の心を象徴しているようだった。

おしゃれなカフェで、泣きながら一人でゆっくりと過ごす訳にもいかず、20分程で店を出た。どこに行くあてもなく街をさまよっていても、結局飲食店や食べ物の売り場ばかりが気になった。

街を歩いている人たちも、その誰もが痩せてて、楽しそうで、幸せに見えてしまい、全然気分転換にも、暇つぶしにもならなかった。

仕方なく、帰りたくもあり、帰りたくない(家)に向かって、電車に乗ることにした。

電車の中では、さんざん迷っていたが、いざ最寄り駅に降りると、ほとんど無意識にコンビニをはしごし始めた。

「結局、過食嘔吐をしないと、私の一日は終わらないよね……」

家に着いて、とりあえずいつものようにハイボールを飲み始めた。

「以前、(冷静に考えると、もう十分に痩せているかもしれない。少なくとも、太ってはいない)と思っていたけど、私の(痩せたい気持ち)って、太ってるから、とか痩せたから、とかには関係ないのかもしれない。確かに、痩せたいと思い始めた頃は少し太ってるかも?、的な思いがあったけど、今って、太ってるから痩せたい、でもなく、痩せたからもう痩せなくてもいい、でもない。とにかく何が何でも痩せたい、って思ってる。これって、やっぱりおかしいのかなぁ……」

私の(痩せたい気持ち)は、もはやダイエットの域を超えているのかもしれない。いくら痩せたいからといって、目標がなければ、終わりもない。私は、食べたい猛獣に襲われると逃れられないけど、痩せたい気持ちからも逃れられないのかもしれない。

「先生は、(食べても、吐いても、そして痩せたい気持ちも、そのどれも認めていい)って言ってたけど、私の食べたい、吐きたい、痩せたい、には終わりがない気がする。それを認めていたら、いつまでたっても良くならないんじゃないかなぁ……」

……こんばんは、この2週間は、いかがお過ごしでしたか?

「はい、あのう……そんな過食嘔吐は相変わらずほぼ毎日続いていますが、一応、自分のことをありのままに受け止めて、認ようとはしました。食べても、吐いても、そして痩せたい気持ちも、そのどれも認めようとはしてみました」

そうですか、それで、自分自身を認めようとしてみて、どんな気持ちがしましたか?

「そうですね……少しは(今の自分は過食嘔吐してしまっても、仕方がないんだ)って思いましたけど、でもやっぱりやめたいのにやめられない、という思いがあるので、割り切って考えることまでは出来ませんでした」

以前、(私が私自身に追われている)とおっしゃっていましたが、そのような感覚は今はどうですか?

「はい、猛烈に食べたい気持ちや、まだまだ痩せたい思いに、追い立てられている気はします。どっちも同じ自分の気持ちなのに、そこから逃れられない……っていう感覚が常にあって、気持ちが安らぐ瞬間っていうのがなくて、疲れちゃいます」

そうですか……それはお辛いとは思います。ですが、敢えて厳しいことを言わせていただくと、自分自身から逃れたい、逃げたい、と思っているうちは、自分と真正面から向き合うことは出来ないと思います。摂食障害という病気は、ある意味では自分自身と向き合うこと、自分自身を見つめ直すことが必要な方がなってしまう病気だと思っています。ですから、それを避けて通ろうとしているうちは、本当の意味での克服は出来ないかもしれません。痩せたいのに食べてしまうとか、そういった一見矛盾している自分自身を受け止めて、認めて、そしてその上でこれからどうすべきか、何が出来るのか、ということを考えていく作業が必要になってくるのです。それが、あなた自身が、あなたのことをありのままに受け止めて、認める、ということなのです。今はまだ、何を言っているのかわからなかったり、難しく感じるかもしれませんが、現状を受け入れて、今の自分に出来ること、出来ないことを噛みしめて、諦めることなく、そして開き直るでもなく、少しでも良い方向に向かう気持ちを忘れずに、持ち続けること。まずはそういった心構えが大切なのです。

「はぁ……何か、抽象的というか、具体的には良くわからない気もしますが、とにかく自分を認めて、否定しない、ということですか?」

そうですね、否定しない……そう、自分で自分を否定しない、ということも大切ですね。

先生の言う(自分自身と向き合うこと)とか、(自分自身を見つめ直すこと)とかは、私にはわかるようでやっぱりよくわからなかった。そして、先生によれば、私にとってはそれが必要で、だから摂食障害になってしまった、ということだった。

「いろんなことを突き詰めて考えていると、だんだん訳がわからなくなってきて、イライラしてきちゃうから、今はとにかく自分を認めて、否定しない、ということだけを心掛けよう・・・」

相変わらず過食嘔吐は続いていたが、先生の言うように、今の自分に出来ることは(過食嘔吐で一日を終える)ことしかない、と思うようにしてみた。

すると、過食嘔吐をやめたいのにやめられない辛さや、猛烈に食べたい気持ちや、まだまだ痩せたい思いに追い立てられて逃れられない閉塞感みたいなものも、もしかしたら今の自分には必要なことなのかもしれない、と思うこともあった。

「過食嘔吐が続くのは確かに辛いけど、でも猛烈に食べたい気持ちを抑えられないくせに、まだまだ痩せたいと思っている自分を保つためには、結局過食嘔吐を続けることしかないのだから、とりあえず仕方がないのかもしれない……」

私が今考えるべきなのは、自分を保つこと、何とかして一日を終えること、食べても食べなくても痩せること。とにかく、最低限仕事に行けるギリギリの体調と体重は維持しなければ、買い物をするお金がなくなってしまう。食べることも、お酒を飲むことも、どちらも手放せないのだから、お金がなくては生きていけない。

先生の言うように、今の状態を打開するのには時間がかかるのかもしれない。でも、私には頼れるのは先生しかいない。先生を信じて、今出来ることをやるしかないし、出来ないことをいつまでも引きずっていても、結局出来ないのだから、それはそのままにしておくしかないのかもしれない……

以前、(お酒だけ飲んで、酔っぱらって、あわよくばそのまま寝落ちしてしまえばいいのに……)と思ったことがあったけど、でもやっぱり、お酒を飲み始めると、どうしても何か食べずにはいられなくて、結局過食することをやめることは出来なかった。

「今の私には、どのみち過食嘔吐することしか出来ないのだから、もしもお酒だけ飲んで寝落ちすることがあったら、その時は(ラッキー、自分すごいじゃん!)くらいに思っていた方がいいのかなぁ……そう思えるかどうかはわからないけど」

(今日も結局食べ始めてしまった、今日も食べずにはいられなかった)と考えるよりは、毎晩過食嘔吐をする私が当たり前、というかスタンダードなんだ、ということにしておいて、過食嘔吐しないで済んだら、それは一歩前進!くらいに思っておかないと、出来ない自分、ダメな自分を責め続けることになってしまう。それが、自分を認めて、否定しない、ということなのかどうかはわからないけど、今の自分には、(痩せたいのに食べてしまう)ことで辛い思いをするので精一杯。だから、過食とか、仕事とか、あれもこれもにダメ出ししてたらますます自分で自分のことを追い詰めてしまうような気がした。

「私は、今は(摂食障害という病気)なんだから、出来なくても仕方がない、って無理やりにでも自分に言い聞かせなきゃ、本当に自分が持たないかも……」

そう言い聞かせたところで、相変わらずの毎日が過ぎていった。今の状況を打開するようなきっかけや、予兆のようなものは何も感じられなかった。先生は、(時間がかかるのかもしれない)と言っていたけど、先の見通しが立たない毎日が繰り返されることも、私を苦しめていた。

「ネットでも、摂食障害は、治療が難しく、良くなるまでに数年以上かかることもある、みたいに書いてあったけど……こんな私でもいつかは良くなるの?先生、教えて。いつになったら普通の生活が取り戻せるの?」


……こんばんは、この2週間は、いかがお過ごしでしたか?あなた自身が、あなたのことをありのままに受け止めて、認める、ということについては、いかがでしたか?

「はい、そうですね……(今は、摂食障害という病気なんだから、出来なくても仕方がない)って無理やりにでも自分に言い聞かせて、過食することとかに、なるべくダメ出ししないように心掛けてはみました」

そうでしたか!それは、頭ではわかっていても、なかなか出来ることではありません。ですから、自分に言い聞かせたり、ダメ出ししないように心掛けただけでも、確実に良い方向に向かっていますし、素晴らしいことだと思いますよ。

「そう言っていただけると……何か、ほんの少しでも希望が持てるような気がします」

ご存知かもしれませんが、摂食障害は、治療が非常に難しい病気です。そして、人によっては良くなるまでに非常に時間がかかる場合もあります。

「あのう……そのことでちょっとお聞きしたいんです。先生のおっしゃる通り、自分のことをありのままに受け止めて、自分を認めて、否定しない、というつもりでずっと過ごしているんですけど、その、良くなるきっかけとか、良くなるかも、っていう兆候みたいなものって、全くないような気がするんですけど、私、このままでもいつかは良くなるんですか?いつかは過食嘔吐しなくなるんですか?」

そうですね……ご自分のことをありのままに受け止めて、自分を認めて、否定しない。そして、ご自分と向き合い、ご自分のことを見つめ直し、決して諦めることなく、開き直るでもなく、今出来ることを一つづつ積み重ねる。抽象的ではありますが、そういったことをコツコツと続けていくことが、やがて価値観や行動を変えることに繋がっていきます。今はまだカウンセリングを始めたばかりで、私自身もあなたのことを十分に理解していない部分もあるので、先の見通しのような、いつになったらどうなるというようなお話は出来ませんし、そもそも摂食障害を克服するには(全治何か月)みたいな期間のお約束は出来ないものだと思っています。ですが、あなたに合った、克服へ向かう方法が必ずあると思っていますので、お辛いとは思いますが、一つづつ出来ることを続けていきましょう。

「そうですか……今の時点ではいつかはわからないけど、いつかは良くなる、ということですか?」

そうですね……非常に曖昧な言い方しか出来なくて申し訳ないのですが、そういうことです。私は、医師ではありませんので治療行為は出来ませんが、今までの経験と知識の全てを提供して、全力であなたをサポートいたします。ですから、もし私を信頼していただけるのならば、これからも通っていただきたいと思います。

「それは……私には頼れるのは先生しかいませんので、もちろん通うつもりです」

そう言っていただいて、ありがとうございます。では、ほんの少しでも良くなるように、一緒にいろいろと考えていきましょう。それでは、次回お会いするまでは、たとえ過食嘔吐だとしても、本当に食べたい物を出来るだけ食べるように心掛けてみてください。経済的な理由などがあるとは思いますが、とにかくその時その時で食べたい物をなるだけ食べるようにしてみてください。

「あっ、はい。わかりました。そうするようにしてみます」

先生は(本当に食べたい物を出来るだけ食べるように)と言っていたけど、私……食べたいものをいつも大量に買って食べてるんだけど、どういうこと?

仕事帰りにコンビニをはしごして、唐揚げ、コロッケ、菓子パン、ポテチにチョコ、コンビニスイーツ……いつもいつも食べたいものを買って、家で過食していた。でも、先生の言ったことをよくよく考えてみると……そういえば、仕事帰りには、一刻も早く買い物を済ませ、家で過食したいから、とりあえず目に付いた揚げ物や甘い物を片っ端からカゴに放り込んで、急いで買って帰ることしか頭になかった……かもしれない。だって、どうせ過食してる最中は、とにかく詰め込んで、飲み込めなくなる一歩手前まで食べ続け、そしていかにして素早く、全てを吐き切るか、が最大のミッションだから、途中から、いや最初から(味わう)とか(おいしい)とかはほとんど感じていないのだから。

「先生の言うように、今度の休みには(本当に食べたい物を出来るだけ食べるように)ちょっと考えて買い物してみようかな……出来るかわからないけど」

そんなことをしたって、どうせ吐くだけなんだから、無駄のような気もしたが、とにかく一回くらいは先生の言った通りにやってみてもいいかも……と思い始めていた。

半信半疑だったけど、一度くらいは(本当に)食べたい物を買ってみようと思って、休みの日に思い切ってデパ地下に行くことにしてみた。

とにかく最近は、休日になると疲れ切ってしまって、というのもあったけど、寝てれば過食せずに済む、というのもあって、以前先生に言われたように寝て過ごす(睡眠をとる)ことも多かったから、出かけるのは久しぶりのような気がした。

「結局買い物して、家で過食嘔吐するんだから、何も変わらない気もするけど……せっかく来たんだから、気分転換のつもりで買い物を楽しもう……」

実際に、売り場を目の前にすると、やっぱり近所のコンビニのはしご、とは違って、どれもきらびやかで、美味しそうなものばかりが並んでいた。

「私の給料じゃぁ、こんなとこにそうそう買い物に来れないんだから、今日は切り替えて、思いっきり買いたい物を買おうかなぁ……」

無理やり自分を振り切って、とりあえずお惣菜売り場に行ってみた。

「何か、唐揚げ一つでも、野菜とかソースとかがかかっていて、なんだか美味しそう・・・」

パンも、パンメーカーのパッケージされたものより、ベーカリーのパンは、チョコがけや、ホイップクリームのかかり具合が食欲をそそった。

「やっぱり(〆)は、スイーツでしょ」

コンビニスイーツだって、バカに出来ないけど、デパ地下はその店の多さにまず圧倒される。ケーキ、タルト、チョコレート。たまには和菓子もありかな……

「もう、こんなに買ったら、帰りの電車に乗るのが恥ずかしいかも……」

後先考えずに買いたい物を買っていたら、あっという間に両手いっぱいにレジ袋をさげていた。

「でも、近所じゃないし、滅多に来ないんだから、まいっか」

自分に言い聞かせて、いい加減帰ることにした。

仕事帰りには、一刻も早く買い物を済ませて、家で過食することばかり考えていたけど、すぐには家に帰れないこともあって、電車の中では(何から食べようかなぁ……)なんてことまで考えていた。

「何か、今日はほんの少しだけ、余裕があるかも」

そう言えば、食べ物を買うことに夢中で、肝心のお酒を買うことをすっかり忘れていたことに気付いて、結局近所のコンビニに寄るはめになってしまった。でも、何だか気分はいつもよりちょっとだけ上がっている気がした。

やっと家に帰ってきた。久しぶりに休みの日に出かけて、しかも両手いっぱいに買ったものを抱えていたから、疲れているはずだったけど、仕事帰りよりはましだった。

いつもなら、床に食べ物とお酒を無造作に置いて、手あたり次第に食べ始めるけど、今日はとりあえず床に置いたら、スイーツだけでも冷蔵庫にしまってみようかなぁ……って気になった。

うちの冷蔵庫は、ミネラルウォーターしか入っていない。食べ物はもちろんのこと、お酒も買い置きしておくことは出来なかった。

「安い時とかに買ってストックしておきたいけど、摂食障害には無理だよね。摂食障害あるある……」

長いこと空っぽだった空間に、今日はデパ地下スイーツが並んでいる……どうせ一晩で全部食べ尽くすとしても、何だか子どもみたいにウキウキしている自分がいた。

「あぁ、こんなに買ってたんだ。夢中だったからわからなかった……いったい今日はいくら使ったんだろう」

全てカードで買ったから、細かい金額はわからないけど、でも、もしかしたら1万円近く使ったかもしれない。

「でも、たまにはいいよね?私だって、私なりに精一杯やってるんだから……

誰に言うともなくつぶやいていた。今日ぐらいは食べ物をテーブルに並べて、味わって食べようかな……そんなことまで考えている自分に気が付いて、はっとしてしまった。

「でも、あんまりゆっくり食べてると、吸収されちゃうし、吐き切れなくなっちゃうから、ほどほどにしないと……あっ、でも食べ出したら一気に食べちゃうから、関係ないかも」

そんなことをあれこれ考えている自分、テーブルに並べている自分……いつもの自分からしたら、どれも自分じゃないような、信じられないくらいテンションが高い自分がいた。

「いい加減、お腹減ったし、誰もいないけど、乾杯」

いつものように、ハイボールを開けて、誰もいない空間に向かって缶を高々と上げた……

……こんばんは、この2週間は、いかがお過ごしでしたか?本当に食べたい物を出来るだけ食べる、とにかくその時その時で食べたい物をなるだけ食べるようにしてみる、ということについては、出来ましたか?

「はい、あのう、1回は、先生の言う通りにしてみました。普段は最寄り駅のコンビニで、仕事帰りに買い物するんですけど、休みの日に、デパ地下に行って、お惣菜とか、パンとか、スイーツとか、あまり値段のことは気にしないでとにかくその時食べたい、って思ったものを買いまくって、家で順番に食べました。まあ、その後は吐いてしまいましたが……」

そうでしたか!それは素晴らしいことです。それで、その時はどんな気持ちがしましたか?

「そうですね……買ってる時も、普段は早く済ませて家で過食したい、って感じで焦ってる感じがあるんですけど、その時は、お店も多くて、何か、夢中で買い物してました。気が付いたら、両手いっぱいに袋をさげてて、電車乗って帰るのが恥ずかしいくらい買い込んでいました」

そうですか。それで、家に帰ってからはどうでしたか?

「はい、家でも、普段は買ってきたものを床に置いて、手あたり次第食べ始めるんですけど、その日は一応要冷蔵のものは冷蔵庫に入れたり、買ってきたものをテーブルに並べてみたり・・・いつもよりは、何かちょっとだけテンションが高かったように思います」

そうでしたか。それで、実際に食べている時は、どんな感じがしましたか?

「そうですね……せっかく高いものを買ったんだから、味わって食べよう、って気になって、普段はあまりおいしい、とか感じないんですけど、その時は(ああやっぱり高いものはおいしいな)なんて思いながら食べてる自分がいました」

そうですか、それは非常に貴重な経験をされたのではないかと思います。……あなたの摂食障害になる以前のことは、まだ余り詳しくお聞きしていませんが、おそらくやりたいことや、言いたいことに蓋をして、ご自分の心からの欲求を素直に表現することが出来なかった経験があったのではないかと思います。今回、食べたいものを買って食べる、ということをやってみた経験は、ご自分の素直な欲求に耳を傾けて、自分のことを満たしてあげた、自分のことを大切に扱った、ということに繋がります。まずは、そういうことを積み重ねて、とにかくご自分を第一に、大切になさってください。

「はあ、そうですか。そうですね、もしかしたらそうかもしれません。自分ではよくわかりませんけど……でもとにかく、ホント久しぶりに買い物や、食べることを少しだけ楽しめたような気がします。それは良かったなぁ、って思います」

それは本当に良かったと思いますよ。それでは、次にお会いするまでは、本当に食べたい物を出来るだけ食べる、とにかくその時その時で食べたい物をなるだけ食べるようにしてみる、ということに加えて、食べること以外でも、出来る範囲でやりたいことをやってみる、あるいはやりたくないことは出来るだけやらないようにする、ということを心掛けてみてください。あくまでも、出来る範囲で結構ですので、余り無理をなさらずに、今出来ることをやってみたり、今出来ないことは後回しにしてみてください。とにかく、自分で自分を満たしてあげて、自分を大切にしてあげてください。

「わかりました。無理せず、出来る範囲で、ですね……」

先生は、(やりたいことや、言いたいことに蓋をして、自分の心からの欲求を素直に表現することが出来なかった)って言ってたけど……確かに、学校でも、会社でも、周りのみんなから嫌われたり、無視されるんじゃないかって、いつもそんなことばかりが気になって、それが怖くてみんなに合わせていた、っていう気がした。そして、家でも、お母さんに気に入られたくて、見捨てられたくなくて、必死に勉強とか、部活とか頑張ってたのかもしれない。それは、もしかしたら自分が心からやりたかったことではなかったのかも……

「でも、今まで、そんな(自分の心からの欲求を素直に表現する)なんてことを、真剣に考えたこともなかったし、やっぱりよくわからないなぁ……」

以前は、先生のところからの帰り道では、いろいろなお店や、看板、歩きながらパンなどを食べている人とかが気になって仕方がなかったけど、今日はそこまで気にしていない自分がいた。それよりも、(食べること以外でも出来る範囲でやりたいことをやってみて)という先生の言葉が頭によみがえってきた。

「私も、みんなと同じように、おしゃれとかしたいなぁ……」

洋服、アクセサリー、雑貨、コスメ……欲しいものはたくさんあるけど、今の私は、給料のほとんどを過食費とお酒に使ってしまって、ほかのものを買う余裕はなかった。

痩せたい、でも食べたい、って、私が心からやりたいことなのかなぁ……もし、過食せずに済むのなら、食べたい猛獣が襲って来ないのなら、本当は、他のものを買ったり、他のことにお金を使ったりしたい……」

「過食用の食べ物やお酒を買わなければ、こんな私でも今よりはおしゃれになれるかな……」

でも現実世界では、無意識にコンビニへ足が向いていた。

「結局今の私には、買い物と過食嘔吐しか出来ない、のかな」

先生も、(余り無理しないで、今出来ることをやってみて)と言っていたから、今の自分にはこれが精一杯なのかもしれない。

「どうせ買うなら、たとえコンビニでも、少しでも食べたいものを買ってみよう」

今までは、値段の割に量が多いもの、とにかく甘い物や揚げ物を真っ先に買っていたけど、今日はほんの少しだけでもじっくりと商品を選んでみよう、と思った。

「同じお菓子でも、100均のものより、メーカーのお菓子の方がやっぱり美味しそう……でもやっぱり高いな」

この前デパ地下で派手に買い物をしたから、少しお金が心配だけど、今日だけでも本当に食べたいものを買ってみたって、許されるのでは……そう思って自分を振り切って、一つづつカゴに入れていった。

「パンだって、あんぱんやクリームパンより、コンビニのドーナツとかの方が美味しそうだし・・・お酒も、たまには濃い目のハイボールばかりじゃなくて、ワインとか買ってもいいかな?

誰に許可を求めているんだろう……もしかしたら、私は、自分自身に許可を求めているのかもしれない。そう、いつだって、私は、自分自身に許してもらえないのかもしれなかった。

「自分から逃れられない、とか、私が私自身に追われている、とか。もしかしたら、私が向き合うべきなのは、先生の言う通り(私自身)なのかもしれない……」

(痩せたい、痩せたくて仕方がない)から始まった、私の摂食障害。先生の言う通りにしていれば、もしかしたら摂食障害にはならなかったのかもしれない。でも私は、先生のメニューによる痩せ方だけでは満足出来ずに、自分の判断で食事制限をし始めた。そして、どんどん自分で(マイルール)を増やしていった結果、何を食べても太るんじゃないか、なんて極端な考え方をするようになっていった。結局、痩せたくて仕方がないのに食べたい猛獣には勝てなくて、過食嘔吐を覚えてしまった……

「もし私が、私のことを許してあげたら、(食べてもいい、痩せなくてもいい)って、許してあげたら、摂食障害は治るのかな……」

でも現実世界では、それはまだまだ許されることではなかった。

結局、私は自分自身に許してもらえたのか、濃い目のハイボールとワインも買って帰った。

「(食べてもいい、痩せなくてもいい)って許してあげることは、やっぱり今の私には出来ないけど、ワインを買うことくらいは許してもらえる、よね?」

とりあえず、難しいことを考えるのは後回しにして、とにかく今日はワインを開けることにした。

「何か、一番安いのにしたのに、グラスに注いだだけでも、いつもより何となくリッチな気分かも」

先生も、(自分で自分を満たしてあげて、自分を大切にしてあげてください)って言ってたから、安いワインでも自分の気分が上がるんなら、それはそれでいいことなのかもしれない。

「一人暮らしだし、何の意味もないけど、毎回(乾杯)って言ってから飲もうかな……乾杯!」

どんな演出をしても、最終的には過食嘔吐するだけ。でも、ほんの少しでも余裕がある時は、出来るだけ(自分を満たして、自分を大切にして)を心掛けるようにしてみよう。

そういうことを積み重ねていくことで、何かが変わるのなら私にも出来るかもしれない。でも、そんなことで、痩せたい思いや食べたい気持ちが劇的に変わるとも思えなかった。

もう、私一人であれこれ考えていても、どうしたらいいのかなんてわからないのだから、いくら考えても疲れれるだけだし、結局どうにもならなくて自分で自分を追い詰めてしまうのだから、先生の言うように今出来ることを無理しないでやるしかないのかもしれなかった。

翌朝、目覚ましアラームで目を覚ますことは出来たけど、頭も身体も重くて、起き上がることが出来なかった。

「何だろう……慣れないワインなんか飲んだからかな?何か、だるいし、起き上がれないかも……」

ベッドの上でしばらくもぞもぞしていたけど、とてもじゃないけど仕事に行けるような気がしなかったので、仕方なく会社に電話して休むことにした。

電話を終えた瞬間、何かが吹っ切れたような気がした。

「いつも、どんなに過食嘔吐が遅くなって寝不足でも、絶対に会社は休んではいけない……って思っていたけど、私だってギリギリで頑張ってるんだから、たまには休んだっていいよね?」

会社を休むことを、私は自分自身に許すことが出来た。

「初めてかなぁ……朝電話して、会社休んだの。あぁ、でもこうやって、一つづつでも、私が、私のことを許してあげることが出来たら、ほんの少しでも気が楽になっていくのかな」

先生の言う、(自分で自分を満たしてあげて、自分を大切にしてあげてください)って、こういうことの積み重ねなのかもしれなかった。でも、まだまだ(食べてもいい)とか(痩せなくてもいい)っていう訳にはいかなかった。

痩せたい気持ちが変わった訳ではないけど、最近は、何で私はそこまで(痩せること)に拘って、必死になってるんだろう……って、どこまでも追い求めている理由が曖昧な感じがして、自分のことなのに、見えない何かに操られているんじゃないか、とさえ思うことがあった。

……私は、(摂食障害)という、自分の意志では自分をコントロール出来ない(病気)になってしまった。そして、食べたい猛獣が襲って来たら、いつでも勝つことは出来なくて、抑え切れない食欲には勝てなくて過食してしまう。それなのに、操り人形のように見えない何かに操られて、ただただ痩せたい気持ちに囚われて、吐いてしまう。もう、そんなことは繰り返したくない、って思ってるはずなのに、それでもどこかで(食べても太らない)ことに安心して、眠りにつく。これでやっと私の(今日)という苦しい一日が終わる……

「今日、これから何しよう……何もすることがないと、朝から買い物して、過食してしまいそう……」

平日に、急にぽっかり穴が開いたように時間が出来ても、何をしたらいいのかわからなかった。久しぶりに会いたい友達もいるけど、平日に急には多分無理だし、そもそも最近は、人と会うと必ずご飯とかになることが嫌で、会うこと自体を避けていたので、自分から誰かを誘うのも気が引けた。

「朝ごはんだけは何とか食べて、さっさと支度して、とにかく家を出よう」

平日なのに、丸一日家にいることだけは避けたかった。どこに行くあてもなかったけど、電車に乗って、どこか遠くへ行ってみよう……

どこでどう乗り換えたのか、ほとんど記憶になかった。気が付いたら、JR外房線の御宿駅のホームに降りていた。

「私、何でおんじゅく?……でも、御宿か、懐かしい」

御宿は、昔、母方の祖母が一人で暮らしていた町だった。確か私が小学校1年生の頃に祖母が亡くなるまでの間に、何回か訪ねたことがあった。

「あれからもう、20年くらいになるのかな……」

駅前の風景は、見覚えがあるような、ないような……でも当時と大きくは変わっていない気がした。

少し歩くと、コンビニが目に付いた。自然と、足が向いた。

「さすがにコンビニはなかったとは思うけど……ちょっと買い物していこう」

今日は、いつもの仕事帰りとはちょっと気持ちが違っていた。入り口でカゴを手にすると、お菓子売り場に直行した。

「えぇっと、確か500円だったかな?」

今は昔と違って、お菓子の単価が上がっているので、たくさんは買えないけど、それでもなるだけ安いものを選んで、とにかく数を1つでも多く買うようにした。

「まあ、こんなもんかな……」

最後に炭酸水を1本追加して、買い物を終えた。

おばあちゃんの家は、確か駅と海岸の中間あたりだったはず……記憶を頼りに少しうろうろしてみたけど、正確な場所は思い出せなかった。

「たとえ場所がわかったとしても、もうそこにおばあちゃんの家はないのに……バカみたい」

祖母が亡くなると、割とすぐに家は取り壊されて、アパートに建て替わってしまった。子供の私には正確な事情は知らされなかったけど、おそらく売ってしまったのだろう。平屋の一軒家だったけど、敷地が広かったからアパートを建てるのにちょうど良かったのかもしれない。

海岸に向かって、再び歩き出した。20年前の記憶が、走馬灯のように駆け足で頭の中を駆け巡った。

海が見えてきた。海に近づくにつれて、真っ白な砂浜が目の前に広がっていった。眩しくて、目を瞑ってしまいそうなくらい、砂の一粒一粒がキラキラと輝いていた……

「無意識に降りた駅だったけど、何か今日来れてよかったなぁ……それに、今日のような日に来なかったら、一生来ることはなかったかもしれない」

子供の頃、家族でおばあちゃんの家に遊びに来ると、おばあちゃんは決まって私と妹を海岸まで連れて行ってくれた。海岸の近くに一軒だけぽつんと駄菓子屋さんがあって、おばあちゃんは必ずそこに寄ってお菓子を買ってくれた。

(お母さんに見つかると、怒られるから内緒だよ……)と言って、一人500円分、好きな物を選ばせてくれた。当時、子供にとって駄菓子屋で500円もお菓子を買えるなんて、夢のような世界だった。袋いっぱいのお菓子を抱えて、幼い姉妹はわくわくしながら真っ白な砂浜を目指した。

あの頃、確かおばあちゃんは80近かったと思うし、波が怖くて海に入りたがらない私たちも、海に入ることはせずに、ただひたすら砂遊びに夢中になった。そして、大切な宝物を一つづつ取り出すように、お菓子を食べたり、おしゃべりをして過ごしていた。

「おばあちゃん、500円まで選んでいいんだよね?」

今日は一人だからおしゃべりする相手もいないけど、一つづつ大切にお菓子を食べよう……

うまい棒、チロルチョコ……一つづつ、大切に、味わって食べた。

「こんなにゆっくりお菓子食べるの、超久しぶりかも……」

どこまでも続く海岸線、真っ白な砂浜、それに童謡「月の沙漠」の記念像。どれも、あの頃のままだった。ただ私だけ、私の中の何かが、あの頃とは変わってしまった……

「何も深く考えなくても、お腹が減ったら食べて、好きな物は(美味しい)って言ってたくさん食べて、お腹がいっぱいになったら食べるのをやめて。そんな、当たり前のことが、まさか出来なくなるなんて、こんな未来、想像も出来なかったよ、おばあちゃん」

もし、おばあちゃんが生きていたら、今の私を見てどう思うんだろう。こんな、痩せて、大量に食べては吐くことしか出来ない私に、何と言ってくれるんだろう……

あの頃と同じように、(お母さんに見つかると、怒られるから内緒だよ……)なんて言って、黙って二人だけの秘密にしておいてくれるのかなぁ……

砂浜で、女が一人、体育座りで涙を流しながら、大切な宝物を一つづつ取り出すように、お菓子を食べていた。

「おばあちゃん……私、どうしたらいいんだろう。何でこんなことになってしまったの?」

お菓子を全部食べ尽くしても、立ち上がることが出来ずにいた。私の心は虚しさで埋め尽くされていたけど、目の前の空の青さも、水平線の真っ直ぐさも、波の音も、そして眩しいくらいに真っ白な砂浜も、どれもが懐かしくて、素晴らし過ぎて、私にはもったいないくらいだった。

何で500円もお菓子を買ってくれたの?

何でおばあちゃんは死んでしまったの?

何で私は海に入れなかったの?

何で御宿には「月の沙漠」なの?

何で私は摂食障害なの?

何で痩せたいの?

何で食べたいの?

何で、何で、何で……

「何で、何でって、理由ばかり探しても、今の私はどこにも辿り着けないのかもしれない。それよりも、先生の言うように(今出来ることを一つづつ積み重ねる)ことの方が、大切なのかもしれない……」

実際、今日だって、こうして過食嘔吐せずにお菓子を食べることが出来た。そう……お菓子を、吐かずに食べることが出来た私。今は亡きおばあちゃんが助けてくれたような気がした。

何で痩せたいのか、なんて、今になっては細かく思い出すことは出来なかった。(痩せればきれいになれる)とか、そんなものだったような気もするし、もっと別の理由があったのかもしれない。どっちにしても、理由がはっきりしたところで、過食嘔吐をやめられる訳ではない、と思う。そう……理由や原因がはっきりしたって、それが(食べてもいい、痩せなくてもいい)ことに繋がる訳ではない。だったら、何で、何で、何で……って、理由を探すことは、今私が必死になることじゃないのかもしれない。今私が追い求めることじゃないのかもしれない。

今の私には、過去を振り返って、理由や原因や犯人捜しをすることよりも、明日から、今日から、今から出来ることを一つづつ積み重ねることの方が大切だし、そうすることでしか、虚しい心を満たすことは出来ないのかもしれない……

行きに寄ったコンビニに、もう一度立ち寄った。お菓子売り場で、さっきと同じお菓子を、同じ数だけカゴに入れた。

「おばあちゃん、500円まで選んでいいんだよね?」

300円でも、400円でもない。おばあちゃんが買ってくれるのは、500円分のお菓子だった。そこに、理由なんてなかった。(何で500円もお菓子を買ってくれたの?)なんて、聞いたこともなかった。そんなことよりも、一つでも多く、食べたいものを選ぶことに夢中だったし、それが全てだった。

「今の私も、あの頃のように、お金と時間の許す限り、今出来ることに夢中になるしかないんじゃないかな。そして、それが全てなんじゃないかな……」

御宿の真っ白な砂浜は、眩しくて、目を瞑ってしまいそうなくらい、砂の一粒一粒がキラキラと輝いていた。私にも、いつかそんな、キラキラと輝く瞬間が訪れるのだろうか……

先生との、(今の時点ではいつかはわからないけど、いつかは良くなる)というやり取りを思い出していた。今日、たった一回、お菓子を吐かずに食べることが出来たからといって、これが続く訳でもないだろうし、もっと状態が悪くなることだって、あるかもしれない。でも、今日御宿に来れたことは、私の中で何かが進んでいく兆しのような気がした。

……こんばんは、この2週間は、いかがお過ごしでしたか?今出来ることをやってみたり、今出来ないことは後回しにしてみたり、ということについては、いかがでしたか?

「はい、そうですね……一日だけ、朝目覚めたら頭も身体も重くて、起き上がれない時があって、仕方なく会社に電話して仕事を休んだんです。そんなこと、多分今までに一度もなかったんですけど、その時は先生の言う(今出来ないことは後回しにする)ことが出来たんじゃないかと思います」

そうですか、それは良かった、とは言わないかもしれませんが、具合が良くない時に、余り無理をなさらずに、ご自分のお身体を大切にしてあげた、という意味では、あなたにとって価値のある行動がとれたことになると思いますよ。

「ありがとうございます。何か、頭の中であれこれ考えても、先生の言うように、結局は今出来ることしか出来ないのだし、だったらもう、お金と時間の許す限り、今出来ることに集中する。今の私にはそれが全て、って気がしてきたんです」

そうですね、その通りだと思いますよ。そうやって、今出来ることに集中してみたり、自分で自分を満たしてあげたりすることを、一つづつ積み重ねていくことが、ほんの少しづつではありますが、あなたの心境のや行動の変化に繋がっていくと思います。ご存知かもしれませんが、摂食障害は克服することが非常に難しく、また時間もかかる病気です。なかなか前に進まないどころか、後退しているように感じたり、あるいは何も変わらない、変えられない無力感に襲われたりして、イライラして何もかも投げ出してしまいたい、と思うようなことが続く時期もあると思います。ですが、そのような辛い状態にあるとしても、あなたのように今出来ることに集中してみる、と考えたり、とにかく諦めずに出来ることを続けてみる、ということがほんの少しづつではありますが、必ず摂食障害の克服に繋がっていくのです。ですから、これからも無理のない範囲で、どうしたらいいのかを一緒に考えていきましょう。

「ありがとうございます。私も、自分でもいろいろ考えてみたり、行動してみたりしてるんですけど、でもやっぱり自分一人ではどうすることも出来なくて……こうして先生とお会いして、話をしていると、一人では気付かないようなことを言ってもらえることもあるので、これからもよろしくお願いします」

こちらこそ、よろしくお願いします。それでは、次にお会いするまでは、このように考えてみてください。たとえ今出来ることに集中してみても、なかなか前に進まないどころか、後退しているように感じたり、あるいは何も変わらない、変えられない無力感に襲われたりして、イライラして何もかも投げ出してしまいたい、と思うようなことが続く時期もあると思います。そんな時には、(私は今は摂食障害という病気なのだから、食べることや痩せることはもちろんのこと、普段の何気ない行動や感情さえも自分の思い通りにいかないことがあるのは、仕方のないこと)と言い聞かせて、(焦らず、慌てず、諦めず。自分、落ち着いて!)という言葉を思い出して、引き続き今出来ることに集中してみてください。心の状態によっては、難しいかもしれませんが、出来る範囲で続けてみてください。

「はい、わかりました。(焦らず、慌てず、諦めず。自分、落ち着いて!)ですね……パニックになる前に、その言葉を思い出すようにしてみます」

会社を休んだこと、御宿に行ったこと、おばあちゃんのことを思い出して、500円分のお菓子を買ったこと……あの日の出来事は、入り口も出口もない螺旋階段を昇ったり降りたりしているような、何一つ前に進まない今までの自分とは比べ物にならないくらい、いろいろなことを私にもたらしてくれた。

先生のところからの帰り道、いつもは飲食店の看板やスーパーなどにばかり目が行くのに、今日はいまどきほとんど見当たらなくなった、おばあちゃんと行ったような駄菓子屋さんを探していた。

子供にとっては、駄菓子屋はドキドキワクワクが詰まった、夢の空間だ。そこで私は、袋に入り切れないほどのお菓子を買ってもらえた。夢の空間で夢を叶えてくれたおばあちゃん……

「いつか私が、500円分のお菓子を、ドキドキワクワクしながら、笑顔で食べることが出来るようになったら、そんな、御宿の真っ白な砂浜のようにキラキラと輝く人生を送ることが出来るようになったら、私が駄菓子屋さんをやろうかな……」

ほんの少しかもしれないけど、確かに私の心の状態が変わっている……自分でもそう思えるほど、今まで考えたこともなかったようなことが頭に浮かんでいた。

そうは言っても、行動までもがそうそう変わる訳ではなかった。最寄り駅に着くと、やっぱりコンビニに立ち寄ってしまった。

「でも今日は、お菓子だけは500円分しか買わないようにしよう」

(おばあちゃん、500円まで選んでいいんだよね?)

家に帰ると、とりあえずハイボールを開けた。たとえ一人でも(乾杯)だけはするように心掛けていた。

「今日は、お菓子だけでも500円分って決めて買い物出来たんだから、私、上出来!」

結局は、全部食べ尽くしてしまうんだろうけど、500円分のお菓子をいつ食べようかなぁ……何てことを考えながら、ハイボールを口にした。

その日から、過食用の買い物の時には、今までより多めにコンビニスイーツや菓子パンを買ったりしていたけど、お菓子だけは500円分と決めて買うことが出来るようになっていた。実際には500円ぴったりにはならないけど、あの、御宿に行った日に、亡きおばあちゃんと約束したような気がして、500円に近づけてお菓子を買うことが習慣になりつつあった。

「結局コンビニスイーツや菓子パンで足りない分を補っているんだから、意味があるのかないのか、良くわからないなぁ……」

そんなふうにも思うけど、今までに金額の上限を決めて過食用の買い物をしたことがなかったから、自分でも急にそんなことが出来るようになったことに驚いていた。

「まあでも、先生の言うように、(今出来ることに集中してみる)ってことは出来てるんだから、私、上出来!ってことで」

今出来ることに集中してみる)……私は、改めてその言葉の意味を考えていた。

「今まで、食べたい猛獣に襲われたら、もう過食するしかなくて、過食したら吐くしかなくて。とか、私のことを許してあげたら、(食べてもいい、痩せなくてもいい)って、許してあげたら、とか思っていたけど、何か私って、極端な考えしか出来なかったのかなぁ……」

先生の言うように、(私は今は摂食障害という病気なのだから、食べることや痩せることはもちろんのこと、普段の何気ない行動や感情さえも自分の思い通りにいかないことがあるのは、仕方のないこと)なのかもしれない。それなのに、そんな状態なのに、いやそんな状態だからこそ、過食するか食べないか、とか、痩せなきゃか痩せなくてもいいか、とか、両極端な考えしか出来なかった。私は、摂食障害という病気なのだから、そんな両極端な、0か100かみたいな考えを押し通そうとしても、もしかしたら無理なのかもしれない。そう……今私がしている買い物のように、(お菓子だけは500円分と決めて買う)とか、そんな出来ることだけを続ける、みたいなことでもいいのかもしれない。あれもこれも、全てに完璧を求めるから、結局何一つ思い通りにならなくて、ますますイライラして、落ち込んで、自分のことを責め続けてしまう。だったら、たった一つでもいいから、出来ることを続けて、それで(私、上出来!)って、私が私に言ってあげられたら、ほんの少しでも気が楽になるのかもしれない……

清々しい朝日も、突き抜けるような青い空も、眩しいくらいキラキラと輝く御宿の真っ白な砂浜も、真っ赤な夕日も、無数に煌めく星空も、そして、飲み込まれそうな真ん丸の満月も、どれもが誰に対しても平等に訪れる。摂食障害になってしまった私にも、そんな素晴らしい光景を、心から美しいと、楽しめる日々がいつか訪れると信じて、たった一つでもいいから、出来ることを続けていくしかないのかもしれない……

そう考えてはみたものの、現実は、なかなか思った通りにはいかなかった。出来ることだけを続けて、それで(私、上出来!)って、私が私に言ってあげられることもあったけど、どうしても、すべてに完璧を求めてしまうことをやめることは出来なかった。

「あの時は、(いいこと思いついた!)って感じだったけど、だからって、急に痩せたい気持ちや食べたい気持ちがなくなる訳ではないから、仕方がないのかもしれない……」

買い物だって、(お菓子だけは500円分と決めて買う)ということだけは続けられてるけど、そのことに拘る余り、逆にそのことに縛られているような感じがした。

「甘い物が食べたい欲求だって、なくなった訳ではないから、(お菓子500円)に拘り過ぎると、結局コンビニスイーツや菓子パンをたくさん買ってしまうことになるから、お金はかかってしまうし……」

やっぱり、先生の言うように、(なかなか前に進まないどころか、後退しているように感じたり)するような、ジリジリとした、砂を噛むようなもどかしさを感じていた。

「先生の言う通りになることが多い気がする。先生は、単なる(ダイエットアドバイザー)なんかじゃなくて、いつかは本当に私のことを救ってくれる存在なのかもしれない……」

焦らず、慌てず、諦めず。自分、落ち着いて!)という、先生の言葉を思い出していた。

「確かに、焦っても、慌てても、今の私の出来ることは限られている。パニックにならずに落ち着くことが出来たら、先生に言われたことを思い出して、今出来ることを一つづつ続けるしかないのかもしれない」

心も、身体も、考えも、そして行動も、どれも一進一退という感じで、思い描くように少しづつ良くなる訳ではなかった。それでも、今の自分には諦めずに出来ることを続けてみる、ということ、そして先生を信じる、ということ。そのことでしか、自分を保つ、保ち続けることは出来ないような気がした。

……こんばんは、この2週間は、いかがお過ごしでしたか?(私は今は摂食障害という病気なのだから、食べることや痩せることはもちろんのこと、普段の何気ない行動や感情さえも自分の思い通りにいかないことがあるのは、仕方のないこと)と言い聞かせて、(焦らず、慌てず、諦めず。自分、落ち着いて!)という言葉を思い出して、引き続き今出来ることに集中してみる、ということについては、どんな具合でしたか?

「はい、あのぅ……調子がいいっていうか、状態が上向きの時には、たった一つでもいいから、出来ることを続けて、それで(私、上出来!)って、私が私に言ってあげたりとか、そういう前向きな考え方が出来るんですけど、やっぱり根は(完璧主義)というか、どうしても、すべてに完璧を求めてしまうことをやめることは出来なくて、もっと痩せたい、とか、でも食べたい、っていう気持ちは相変わらずのような気がします」

そうですか、そうすると、なかなか前に進まないどころか、後退しているように感じたり、心の状態としては一進一退という感じだったということですか?

「そうですね、感覚としては、一進一退というか、一進三退くらいかもしれません」

なるほど、まあ、焦る気持ちもわかりますが、焦ることなく、一つづつ出来ることを積み重ねていきましょう。……摂食障害は、本当に簡単な病気ではありません。まあ、簡単な病気など、ないかもしれませんが。その中でも、有効な治療法が未だ確立されていない、難病に指定されるような、非常に難しい病気です。ですが、あなたのように、諦めることなく克服に向かう姿勢を持ち続けることが、必ず良い方向に向かいます。というか、諦めることなく克服に向かう姿勢を持ち続けること、これこそが唯一の克服の方法、手段と言っても過言ではありません。残念ながら、(いつ良くなるのか)という時期のお約束や見通しをお話することは出来ませんが、私はあなたは必ず良くなる、と信じていますので、どうか諦めることなく、開き直るでもなく、今出来ることを積み重ねていきましょう。

「そうですか、私も、状態がいい時はいいんですけど、どうしても落ち込んだり、出来ない自分を責めてしまう時は、やっぱり辛くて……もうどうしたらいいのか、途方に暮れてしまうんです」

確かに、そうかもしれませんね。そんな時には、出来る範囲で(焦らず、慌てず、諦めず。自分、落ち着いて!)という言葉を思い出して、気持ちを落ち着けてみてください。

「はい、まあでも、今の私には、それくらいしか出来ませんので、なるべくそうするようにします」

お辛い時期ではあると思いますが、どうか諦めないで、続けていきましょう!ところで、次回お会いするまでは、あなたが今困っていること、悩んでいることを、いくつでもいいので紙に書いて持ってきていただけますか?それは、食べることや痩せたい気持ちはもちろんのこと、それ以外、例えば仕事のこととか、友達関係のこととか、あるいは家族関係のこととか、どんな些細なことでも結構です。思いつくままに、書き出してみてください。

「わかりました、出来る範囲でやってみます」

2週間に一度、先生のところに来ること自体も、何の変化もない私の生活にとっては、いい気分転換になるけど、やっぱり先生と会って話をしていると、自分一人では気付かないようなことを言ってもらえることもあるし、何より今の自分の状態や、悩みや辛さを話すこと、そして否定されることなく聴いてもらえることが、ほんの少しでも心の虚しさを和らげてくれている、そんな気がした。

先生のところからの帰り道、改めて街を見渡してみると、シャッターが降ろされたままの空き店舗もいくつかあった。

「摂食障害が良くなって、私がもし本当に駄菓子屋さんをやるとしたら、どこでやろうかな……」

先生のところに行った後は、やっぱり気分的にも前向きになれるような気がした。

私は、仕事が終わって最寄り駅に着くと、ほとんど無意識的に買い物をして過食してしまう。休みの日も、家にいるといつかは買い物に出かけて、過食してしまう。でも、先生のところに行った日は、ほんの少し気分が落ち着いて、ちょっとだけ(前向きな)買い物が出来るし、休みの日も、あの日、御宿に行ったように朝から出かけてしまえば、少なくとも昼間は過食しないで済む……そのことに、何かしらのヒントがあるような気がした。

最寄り駅に着くと、自然とコンビニに向かっていた。

「どうせ買い物することに変わりはないんだから、明るく、楽しく、前向きな買い物をしよう」

そう自分に言い聞かせて、なるだけ今食べたいもの、飲みたいものを買うことにした。

「おばあちゃん、今日だけは500円までじゃなくて、好きなお菓子を好きなだけ買ってもいい?」

いつもは、一刻も早く買い物を済ませて、家で過食することばかり考えてるから、買い物自体を楽しむ感じじゃないけど、何となく今日は、あの日、思い切ってデパ地下で買い物をした時のように、買い物に夢中になることが出来た。

「買い物も、食べることも、痩せることも、やめたくてもやめられないうちは、ほんの少しでも気分を上げて、明るく、楽しく、前向きな気持ちでした方がいいのかもしれないね……私?」

「先生は、(今困っていること、悩んでいることを、いくつでもいいので紙に書いて持ってくるように)と言っていたけど、とりあえず食べることと、痩せたい気持ちと、あと何かあるかなぁ……」

食べたい猛獣に襲われたら、食欲を抑えられないこと、一度食べ出したら、過食になってしまうこと、もう十分痩せてるとは思うけど、まだまだ痩せたいと思うこと……そもそも、大量に食べることと痩せることを、何とかして両立させたいと思うこと、そのために、やめたくても過食嘔吐をやめられないこと、自分で自分をコントロール出来ないこと……

今の私には、それが最優先の困っていることで、悩んでいることだけど、良く考えたら、そんな矛盾した相反する自分の気持ちの中で、板挟みになって身動きがとれないこと……そのことが一番困っている悩み事かもしれなかった。

「結局、悩みの種って、私自身の中にあるんだよね……」

先生は、(仕事のこととか、友達関係のこととか、あるいは家族関係のこととか)の悩みも書くように、って言っていたけど、そんな悩みもない訳ではないけど、でも、自分の考え方に追われて、追い詰められて、がんじがらめになっている状態が一番の悩みであり、困っていることだった。

「今の私には、自分自身が一番の難敵なのかもしれない……」

自分が変われば、自分の考え方が変われば、自分の価値観が変われば、摂食障害も劇的に良くなっていくのではないか、とも思うけど、その(自分が変わること)がどうしても出来ないことだった。

「本来は、一人でどうにかする問題なのかもしれないけど、やっぱり一人で出来ることには限界があるような気がする。先生や、他の人の力がないと、先生や、他の人に頼らないと、前に進むことは出来ないのかもしれない……」

……夢を見た。私は、自分が変わらなきゃ、自分の考え方を変えなきゃ、自分の価値観を変えなきゃ、って必死になって、ネットの情報を読み漁ったり、自己啓発セミナーに参加しまくったりするんだけど、変わらなきゃ、って思えば思うほど、昨日と同じことを、同じ時間に、ただただ繰り返す生活しか出来なくなっていく。やがて、どんな情報に触れても、誰と会って話をしても、何一つ考え方や価値観を変えることが出来なくなっていく。いつしか私は、まるで自動販売機のように、同じインプットに対して、同じアウトプットを繰り返すしか出来なくなってしまった……

「変わらなきゃ、って思えば思うほど、現状を守ろうとする自分が顔を覗かせる。大量に食べても痩せていられる自分を守ろうとする(私)が、変わろうとする(私)を押さえ付けて、身動きがとれないようにしてしまう。結局、今の私には、自分自身が一番の難敵なのかもしれない……」

何も変わらなければ、1年後も、5年後も、もしかしたら10年後も同じことを繰り返しているのかもしれない。痩せたい気持ちも、抑えられない食欲も、今のままで何も変わらなければ、10年経ったって、仕事帰りに買い物をして、家で過食嘔吐して、それで一日が終わる、という生活が続くだけだと思う。摂食障害は、時間が解決してくれるようなものでもないだろうし……だとしたら、ほんの少しでもいいから、昨日とは違う今日を過ごさなければ、いつまで経っても過食嘔吐の蟻地獄から這い上がることは出来ないんじゃないか……

「それが、もしかしたら先生の言う(今出来ることに集中すること)だったり(今出来ることを一つづつ積み重ねる)ということなのかもしれない……」

自分のことを、根本的に、あるいは劇的に、180度変えることは、もしかしたら出来ないのかもしれない。仮にそうなれば、もしそうすることが出来れば、摂食障害も劇的に良くなっていくのかもしれないけど、現実にはそんなことはなかなか出来ることじゃない。先生は、そのことがわかっていて、それで(今出来ることに集中すること)や(今出来ることを一つづつ積み重ねる)ことをするように、って言ってくれてるのかもしれない……

「私の考えることは、同じところをぐるぐると、行ったり来たりしているだけ、のような気がする……」

心の状態が良かったり、ほんの少しでも余裕がある時は、物事を前向きに捉えることが出来ても、ちょっとしたことで、すぐに落ち込んだり、ダメな自分を責めたり……結局、入り口も出口もない螺旋階段を昇ったり降りたりしているような、いつまでたってもどこにも辿り着けないのではないか、という無力感を感じていた。

「先の見通しが全く立たないし、いつ良くなるのかもわからないし、摂食障害は本当に孤独な、自分自身との戦いみたい……」

次に先生のところに行くのは、まだ数日先だった。それまで、どうやって過ごそうか、ぼんやりと考えていた。

「気分が上がってる時は、いろいろ考えることが出来るんだけど、ダメな時は本当にダメ……何も頭に思い浮かばないし、だんだんイライラしてくるし、食べたくなってくるし……」

部屋にある時計の秒針を、しばらく目で追いかけていた。ぱっと見歩みは遅くても、実は確実に時を刻んでいるあの時計の秒針のように、私の心も、身体も、考えも、そして行動も、確実に前に進んでいるのか、いないのか。何もない空間で、何かを必死になって掴もうと、あちこちに手を伸ばしても空を切るばかりのような、そんな虚しさが胸に溢れてきた。

「何一つ確信めいたものが感じられないから、余計に不安になってくるのかな……」

結局、(今出来ることを一つづつ積み重ねる)ことしか、ないのかもしれなかった。

「もう、食べたいんだったら、不安な自分を振り切って、切り替えて買い物に行こうかな」

食べたい猛獣に襲われたら、私に勝ち目はなかった。我慢出来るはずもないのに、部屋でどうしようか迷いながらイライラを募らせるくらいなら、さっさと切り替えて食べたいものを買うことが、今の私には必要なことなのかもしれなかった。

「これも、先生の言う(自分で自分を満たしてあげて、自分を大切にしてあげる)ことなのかもしれない……」

今日は、ほんの少しだけ気分を変えて、いつもの(コンビニはしご)じゃなくて、少し遠いけどスーパーに行ってみることにした。

「売り場の広さがコンビニとは比べ物にならないから、デパ地下には叶わないけど、けっこういろんなものが売ってる……」

コンビニでは見かけないようなお惣菜や、お弁当を買ってみることにした。

「結局何を買っても、過食して吐いてしまうんだから、同じような気もするけど……」

それでも、なるだけ(今食べたいもの)を選ぶように心掛けた。その積み重ねが、何かに繋がるのかもしれない。いや、何かに繋がってほしかった

「スーパーだと、意外とたくさん買っても不自然じゃないかも」

両手いっぱいにレジ袋を提げて、店を後にした。

先生の言葉が、頭の中で繰り返し繰り返し響いていた。

(自分と向き合い、自分のことを見つめ直し、決して諦めることなく、開き直るでもなく、今出来ることを一つづつ積み重ねる)

(残念ながら、(いつ良くなるのか)という時期のお約束や見通しをお話することは出来ませんが、私はあなたは必ず良くなる、と信じています)

(諦めることなく克服に向かう姿勢を持ち続けること、これこそが唯一の克服の方法、手段と言っても過言ではありません)……

どれも抽象的で、具体的なアドバイスとは言えなかった。実際、摂食障害は有効な治療法が未だ確立されていない、難病に指定されるような、非常に難しい病気、ということだから、仕方がないのかもしれない。ただ、先の見通しも、(これ)といった確信めいたものもない中で、どういうスタンスで摂食障害と向き合っていけばいいのか、考えれば考えるほど訳がわからなくなってしまう。不安や、迷い、孤独との戦いのような日々に、気持ちが切れてしまいそうになるのを、必死に繋ぎ止めるのが精一杯だった。

「もう、今日は難しいことを考えるのはこれくらいにして、買ってきたものを食べよう……」

……こんばんは、この2週間は、いかがお過ごしでしたか?今困っていること、悩んでいることを、紙に書くことについては、いかがでしたか?

「はい、一応、書けるだけ書いてみました」

そうですか、では見せていただいてもよろしいですか。

「はい……」

***

食べたい猛獣に襲われたら、食欲を抑えられないこと。

一度食べ出したら、過食になってしまうこと。

もう十分痩せてるとは思うけど、まだまだ痩せたいと思うこと。

大量に食べることと痩せることを、何とかして両立させたいと思うこと。

やめたくても過食嘔吐をやめられないこと。

自分で自分をコントロール出来ないこと。

矛盾した相反する自分の気持ちの中で板挟みになって、身動きがとれないこと。

悩みの種は、自分自身の中にあること。

自分の考え方に追われて、追い詰められて、がんじがらめになっている状態であること。

自分自身が一番の難敵なのかもしれないこと。

自分が変われば、自分の考え方が変われば、自分の価値観が変われば、摂食障害も劇的に良くなっていくのではないか、とも思うけど、その(自分が変わること)がどうしても出来ないこと……

***


ありがとうございます。これだけお書きになるのには、相当いろいろな思いがあったと思います。やはり、食べることや痩せること、自分自身をコントロール出来なくて、持て余していること、などが今困っていることであり、悩んでいることのようですね。

「そうですね……やっぱり、思ったことと、実際に行動に現れることが違うというか、思い通りにならないことが多いのが、悩みの種のような気がします」

そのようですね。それでは、たくさん考えていただいて、非常にありがたいと思いますが、この中から今あなたが一番困っていること、悩んでいることを、敢えて一つ選ぶとすれば、どれになりますか?

「一つですか……そうですね、やっぱり(自分で自分をコントロール出来ないこと)ですかね」

そうですか、そうですよね。ご自分のことが思い通りにならないということは、摂食障害に限らず悩みの種になりうることですから、それが一番だというのも頷けます。では、どうしたら(自分で自分をコントロール出来ないこと)が解決するのか、というかどうしたら(自分で自分をコントロール出来る)ようになるのか、一緒に考えていきましょう。

「はい、お願いします」

では、最初にお聞きしますが、ご自分ではどうしたら(自分で自分をコントロール出来る)ようになると思いますか。出来るかどうかは別にして、思いつくままにお話ください。

「ええ?そうですね……自分では……」

すぐには思いつかないですか?

「そうですね……さっきも言いましたが、どうしたらいいのかわからないこと、それが私の悩みの種なので、ちょっとわからないですね」

まあ、それはそうなのですが、どんな些細なことでも構いませんので、ちょっと考えていただけませんか。

「……はい、そうですね、さっきも言いましたが、自分が変われば、自分の考え方が変われば、自分の価値観が変われば、もしかしたらコントロール出来るようになるかもしれませんね。今は、明らかに痩せていられるような食欲ではないし、でも食べたくて仕方がないし、痩せたい気持ちも、普通の食生活では維持出来ないような痩せ方を目指していますし。そんな、今の自分が頭で考えていることや価値観のまま、何も変わらないとすれば、それを過食嘔吐をしないで実現することは、多分無理だと思います。今までの経験から、そんなことはわかっているんです。でもどこかで、食べたい気持ちと痩せたい思いをどっちも満たしたい、って思っている自分がいる。その自分がいる限り、(自分で自分をコントロール)することは出来ないのかもしれません」

そうですか、難しいことを考えていただいて、ありがとうございます。それでは、私の考えを少し話したいと思います。まず最初に言っておきますが、あなたは摂食障害という難しい病気になってしまっています。ですから、不本意かもしれませんが、いろいろなことを思い通りにしようとしても、なかなか難しいのではないかと思います。とはいえ、あなたが一番困っていること、悩んでいることを解決するためのサポートはしていきたいと思っています。ですから、こう考えてみてはいかがでしょうか。とりあえず先ほどおっしゃっていたいくつかの今困っていること、悩んでいることの中で、やれそうなこと、ほんの少しでも実現可能性のありそうなことから、一つづつ取り組んでいく。それが出来たら、次のことに取り組む。やはり、今まで出来なかったことをいっぺんに出来るようにする、ということは、かなりハードルが高いのではないかと思います。ですから、最終的な理想に向かって、どんな些細なことからでも、一つづつ出来るようにしていって、一歩一歩進んでいく。そのような方法で取り組んでみてはいかがでしょうか。

「そうですね……現実的には、そうするしかないかもしれません」

では、先ほどの今困っていること、悩んでいることの中で、ご自分では、やれそうなこと、ほんの少しでも実現可能性のありそうなことはどれだと思いますか?

「はい、そうですね……やっぱり食べることや痩せることに関しては、今の私の状態からすると、ちょっと今すぐにやれそうなことはないと思います。かといって、ほとんどそれに関する悩みばっかりなので、ちょっと何ならやれそうか、と言われても、自分では選べそうにないですね」

そうですか、でしたら、私の考えで選んでみてもよろしいでしょうか。

矛盾した相反する自分の気持ちの中で板挟みになって、身動きがとれないこと。
自分の考え方に追われて、追い詰められて、がんじがらめになっている状態であること。

この二つは、自分自身の考え方の問題であると思います。つまり、あなた自身は正にそう感じておられて、それを他人である私が否定することは出来ません。しかし、考え方や見方を変えると、(今は摂食障害という病気だからそう思うだけで、仕方のないこと)と捉えることも出来るのではないかと思います。ですから、現状というか今の状態を思い通りに変える、という発想ではなく、現状はそのままで、その見方や捉え方を変えることによって、ほんの少しでも心の負担を軽くする、という考え方をしてみてはいかがでしょうか。

「そうですね……捉え方の問題なんですかね。ちょっと難しそうですけど、考えてみます」

先生の言うように、(今の状態を思い通りに変える)ということは今の私にはとうてい無理なことだし、現実的ではなかった。

食欲を抑えることも、
過食嘔吐をしないで(普通に)食べることも、
痩せたいと思わなくなることも。

だからと言って、

矛盾した相反する自分の気持ちの中で板挟みになって、身動きがとれないこと。
自分の考え方に追われて、追い詰められて、がんじがらめになっている状態であること。

だって、(その見方や捉え方を変えることによって、ほんの少しでも心の負担を軽くする)と言われても、具体的にどうすればいいのか、よくわからなかった。

「先生は、(今は摂食障害という病気だからそう思うだけで、仕方のないこと、と捉えることも出来る)と言っていた。今の私は摂食障害という病気だから、自分の中に、両極端な価値観の自分が存在していたり、完璧主義みたいな、0か100かみたいな考え方の自分に追い詰められたり、縛られたりしてしまうのは仕方がないこと。今は苦しいけど、今は辛いけど、先生と一緒にほんの少しでも良くなるように、一つづつ今出来ることを考えてやっていく。その積み重ねが、必ず良い方向に向かっていくのだから……そういう考え方でいいのかなぁ」

食べたい気持ちだって、痩せたい思いだって、今の私のように極端で偏ったレベルじゃなければ、別に悪いことではないはずだし、世の中のみんなだって、いっぱい食べたいこともあるだろうし、痩せたくなることもあって当然だと思う。いつでも決まったものを、決まった量しか食べない人なんていないと思うし、今よりも痩せたいと思うことだって、全然普通の感覚なはず。ただ、今の私の(食べたい)や(痩せたい)は、世の中の普通の感覚からはかけ離れてしまって、極端で偏っているだけ。考え方自体が間違っている訳ではない。だから、今は苦しいけど、今は辛いけど、先生と一緒にほんの少しでも良くなるように、一つづつ今出来ることを考えてやっていく。ただそれだけ……なのかもしれない。

「仮にそう考えることで、その時は心がほんの少しでも楽になるとしても、問題は、いつもいつもそうやって前向きに切り替えられないことなんだよね……」

それでも、必死になって前向きに切り替えていこう、としている自分も、頭のどこかに存在する。そのことに、自分で自分に〇を付けてあげよう……

以前、先生が言っていた

諦めることなく克服に向かう姿勢を持ち続けること、これこそが唯一の克服の方法、手段と言っても過言ではありません

という言葉を思い出していた。

「やっぱり私は、過食嘔吐をやめたい……そんなことが繰り返される、いや、繰り返してしまう生活から抜け出したい。本当は、大量に食べて、それでも痩せていられることなんて、私が必死になって守りたいことなんかじゃないのに……」

かといって、何を守りたいのかはわからなかった。でも、もういい加減食べることや痩せることに拘って、囚われて、憑りつかれたように追い立てられて、振り回される毎日に疲れ切っていた。

「だから、(ほんの少しでも良くなるように今出来ることを一つ一つ積み重ねていく)し、(諦めないで前向きに切り替えていこう)と必死になっているんだし……」

それが摂食障害を克服する唯一の方法だと信じて……

気が付いたら、部屋の中が真っ暗になっていた。そこに、眩しくて、そして柔らかな光が差し込んでいた。

窓を開けて空を見上げると、月が輝いていた。

「月の光……確か、月は自分自身で光っているわけではなく、太陽の光を反射して光っているんだったはず。……今の私も、自分自身の力だけではとうてい輝けないけど、太陽のように先生の力を借りて、先生の光を反射してでも輝けるようになれないかなぁ……それでもいいから、ほんの少しでもいいから輝きたい……」

諦めることなく克服に向かう姿勢を持ち続けること、それが摂食障害を克服する唯一の方法だと信じて……

……こんばんは、この2週間は、いかがお過ごしでしたか?現状を思い通りに変える、という発想ではなく、現状はそのままで、その見方や捉え方を変えることによって、ほんの少しでも心の負担を軽くする、という考え方については、いかがでしたか?

「はい、

今の私は摂食障害という病気だから、自分の中に、両極端な価値観の自分が存在していたり、完璧主義みたいな、0か100かみたいな考え方の自分に追い詰められたり、縛られたりしてしまうのは仕方がないこと。

と考えてみたり、

今の私の(食べたい)や(痩せたい)は、世の中の普通の感覚からはかけ離れてしまって、極端で偏っているだけ。考え方自体が間違っている訳ではないし、別に悪いことではないはず。

って思ってみたりはしました。でも、いつもいつもそうやって前向きに切り替えられればいいんですけど、なかなか思うようにはいかなくて……ただ、やっぱり私は、過食嘔吐をやめたいし、食べることや痩せることに振り回される毎日に、本当に疲れてしまったので、先生の言うように、諦めることなく克服に向かう姿勢を持ち続けること、それが摂食障害を克服する唯一の方法だと信じて、今出来ることを一つ一つ積み重ねていくしかないのかなぁ……という気はしています」

そうですか、この2週間は、ご自分と向き合い、価値観をもう一度見直してみたり、いろいろと心の葛藤があったようですね。

「そうですね……この前は、

自分が変われば、自分の考え方が変われば、自分の価値観が変われば、摂食障害も劇的に良くなっていくのではないか、とも思うけど、その(自分が変わること)がどうしても出来ないこと

って、紙に書いて持ってきたんですけど、自分のことや、自分の考え方や、自分の価値観は、そんなすぐに変えることって、なかなか出来ないことなんじゃないかな……って思ったんです。そりゃあ、根本的に、180度変えることがもし出来れば、自分自身の中にある悩みの種は、なくなるのかもしれません。でもそれは、多分無理なんじゃないかな、って気がしてきたんです。そのことが、先生がおっしゃっていた(自分自身が、自分のことをありのままに受け止めて、認めてあげる)ことなのかどうかはわからないですけど、とにかく今は、今出来ることを一つ一つ積み重ねていこう、諦めないで前向きに切り替えていこう、って思うようにしています」

うん、うん……素晴らしいじゃないですか!ご自身の経験を積み重ねることや、考えるという作業を繰り返すことによって、ほんの少しでも何かを掴んで、前に進んでいるのではないですか。

「そうですね、そうだといいんですけど」

まあでも、脅す訳ではありませんが、摂食障害という病気には波があり、良かったり悪かったりを繰り返すこともありますので、この先落ち込んだり、自分を責めてしまうようなことがあっても、余り落胆なさらずに、今日のご自身の言葉を思い出して、諦めることなく、ほんの少しでも良くなるように続けていきましょう。

「ありがとうございます……先生、先生、私、もう過食嘔吐をやめたいんです。もう、疲れました。やっぱり諦めたくない……先生、こんな私でも、いつかは良くなりますか?」

あなたの、その諦めない気持ちを持ち続けている姿勢があれば、必ず良くなります。やはり、(いつ)という話しは出来ませんが、克服に向けて確実に進んでいらっしゃると思いますよ。ですから、今一番大切なことは、慌てたり、焦ったりすることなく、出来ることを一つ一つ積み重ねていくこと。そして、たとえ状態が良くない時があったとしても、諦めることなく、また開き直るでもなく克服に向けて今出来ることを続けていく、ということを忘れないことです。出来る時も、出来ない時も、(出来ることを一つ一つ積み重ねていく)(諦めることなく、また開き直るでもなく克服に向けて今出来ることを続けていく)ということを忘れないで、思い出すことが大切なことです。それを心掛けて次回まで過ごしてみてください。

「わかりました、出来るだけ今の先生の言葉を忘れないように、思い出して過ごしてみます」

(いつ)良くなるのかとか、そもそもこのまま先生の言うことを聞いたり、自分であれこれ考えていろいろと試してみることを続けるだけで良くなるのかとか、そんな先の見通しが立たない、約束めいた未来が思い描けないことに変わりはないけど、でも先生のところからの帰り道は、やっぱりいつもよりは少しだけ気分が上がっていた。

「先生が言うように、諦めなければいつか必ず良くなるのかな。あれだけやめたいのにやめられない過食嘔吐をやめることが出来るのかな……なんか、良くなる実感とか、過食嘔吐をやめる自分が想像出来ないんだけど」

それでも、今の私に出来ることは限られていた。今の私に出来ること、それは……

今出来ること一つ一つ積み重ねること

うまくいかない時も、諦めないで前向きに切り替えていくこと

克服に向かう姿勢を持ち続けること

そして、それが摂食障害を克服する唯一の方法だと信じること

それでも、今すぐに過食嘔吐をやめることは出来そうになかった。最寄り駅に着くと、めずらしく結構迷ったけど、結局コンビニに寄ることにした。

「やっぱり、そんな急に何もかもが一変することなんて、あり得ないよね……」

最近は、買い物も義務、というか苦行に近いものを感じていた。本当はやめたいのにやめられない苦行のような、でもどこかで買って帰って食べることが楽しみのような、複雑な気持ちもあった。

「今すぐにやめることは、まだ出来ないな……でも、諦めない、諦めない。今出来ることを、一つ一つ……」

先の見通しが立たない、約束めいた未来が思い描けない状態で、頼れるのは先生だけだし、諦めることなく克服に向かう姿勢を持ち続けることが摂食障害を克服する唯一の方法だと信じるしかなかった。どんなに(心の)状態が悪くても、思い通りにいかなくても、やりたいことが出来なくても、逆にやりたくないことをやってしまっても、頼って、信じて、縋るしかないし、そうしなければ自分を見失いそうだった。そうしなければ、自分を、自分自身を保って、1日をやり過ごすことは出来なかった。

「本当に摂食障害は、一進一退というか日々の(波)が大きい……日々っていうか時間、分、秒単位で(波)がある感じ……」

そんなことをさんざん経験してきて思うこと……それはやっぱり

うまくいかない時も、諦めないで前向きに切り替えていくこと

克服に向かう姿勢を持ち続けること

そう自分に言い聞かせて、無理やりにでも気分をあげること、それに加えて

悪いこと(状態)ばかりが続く訳ではない、諦めないで

って、自分自身に声をかけてあげること。そうやって、切れないで何とかして明日を迎える、明日に繋げるしかないのでは、と思い始めていた。

「多分、摂食障害を克服することを諦めてしまったら、この先もずうっと過食嘔吐を繰り返して生きていくことになる気がする。それはどうしてもいやだし、何とかして過食嘔吐をやめたい……私は、本当にたまたま先生に出会って、摂食障害を克服するきっかけを与えてもらった。今この状況を逃したら、一生食べて吐いて、そして痩せ続けることに拘って、囚われて、憑りつかれたように追い立てられて、振り回される毎日を過ごすことになるかもしれない。それなら、辛くても、苦しくても、今のチャンスを逃したくない……」

太陽の光を反射して光っている月のように、今の私は自分自身の力だけではとうてい輝くことは出来ないのかもしれない。それでもいいから、太陽の力を借りてでもいいから、ほんの少しでも輝けるようになりたい。そしていつか、いつの日か、太陽のように自分の力だけで輝けるような、出来れば自分だけじゃなくて、月を輝かせることが出来るような、そんな太陽みたいな存在になることが出来たら……

「いっただきま~す」

久しぶりに、実家に家族が揃って、夕飯を囲んでいた。妹の由希(ゆき)は、我先にと煮物に箸を付けていた。

「私もさぁ~洒落っ気出してイタリアンとか食べるんだけど、やっぱさぁ~おふくろの味?っていうかお母さんの料理?、煮物とか、酢の物とか、そういう和食が食べたくなるんだよね~私なんてさぁ、そのために今日朝から何も食べてないから、もうお腹ぺっこぺこ。3食分食べちゃうかも」

お酒には、ろくに口も付けずに、次から次へと豪快に食べていた。

私は、いつかの飲み会の時のように、料理には一口二口箸を付けただけで、ただひたすらお酒を飲んでいた。

「紗希(さき)は、本物の酒飲みになってきたな」

事情を知らない父が、嬉しそうに言った。私はただ、吐けない時は出来るだけ食べないようにしているだけだったけど、ほとんど何も食べずにお酒を飲んでいる私を見て、父と同じような吞兵衛になったと勘違いしていた。でも、その方が都合が良かった。

「紗希、(輪ゴム酒)って知ってるか」

「えっ、輪ゴム酒?」

「あぁ、酒飲みはな、何かつまみたいが、食べると腹が膨れて飲めなくなるのが嫌なんだ。だから、輪ゴムに醤油を付けて、それを噛んでつまみ代わりにしてひたすら飲む。それが輪ゴム酒だ。紗希には、それが似合うかもな」

「そ、そうだね・・・私もお酒飲みだすと、食べれないんだよね……」

家族には摂食障害のことは一言も言ってなかったから、相当勘違いされていたけど、それならそれでも都合が良かった。食べないことを詮索されずに済むのは、気持ちが楽だった。

「でもさ、お姉ちゃん、お酒好きなのはいいけど、食べなさ過ぎじゃない?ってか、痩せ過ぎくない?ちゃんと食べてるの?」

「由希こそ、いくら何でも食べ過ぎじゃない?カロリーとか、気にならないの?」

「美味しいものは、0カロリー!気にしない、気にしない。そのために、朝から何も食べてないんだから」

妹の豪快な食べっぷりに、圧倒されていた。一方では、食べたいものをひたすら食べるその姿に、羨ましさも感じていた。

「確かに紗希は、随分痩せたな。酒ばっか飲んでないで、栄養は摂れよ」

「仕事が忙しくて、あんまりろくなもの食べてないかも……」

「まあでも、久しぶりに家族揃って飯食ってるんだから、ごちゃごちゃ言わず、飲みたければ飲めばいいし、食べたければ食べればいいじゃないか。酒も料理も、足りないとは言わせないほどあるからな!紗希、まぁ飲めや」

普段寡黙な父が、珍しく饒舌だった。母が下戸だから、いつも寂しそうに一人晩酌をする父の姿が、蘇った。今日は、私とお酒が飲めることが相当嬉しいみたいだった。私は、吐くまで飲まないように気を付けながら、父に付き合うことにした。

由希の豪快な食べ方も落ち着いてきて、父とのお酒に加わってきた。

「お父さんも、お酒飲み出すとあんまり食べないけど、お姉ちゃんもホント食べないよね……お母さんの料理、食べないともったいないよ。お姉ちゃんだって、東京で一人暮らしで夜も仕事で遅いんだから、普段はコンビニ弁当とかでしょ?こういう時に栄養摂らないと、身体に良くないんじゃない?」

「そうだな……紗希、母さんの料理は、野菜もたっぷりで身体にいいものばかりだから、もう少し食べたらどうだ。まあ、そうは言っても父さんも余り食べると酒が不味くなるから、人のこと言えないがな……」

「そうね……私は私のペースで食べてるから大丈夫よ。ありがとね、気にしてくれて」

本当は食べたくて仕方がなかったけど、さすがに実家で過食嘔吐は出来ないし、おかしくない程度に適当につまむしかなかった。ただ、父が食べないのが本当に救いだった。

「私なんてさぁ、そのために今日朝から何も食べてないから、もうお腹ぺっこぺこ。3食分食べちゃうかも」
「美味しいものは、0カロリー!気にしない、気にしない。そのために、朝から何も食べてないんだから」

3人で飲んでても、さっきの由希の言葉が頭の中を駆け巡っていた。

朝から何も食べないで夕飯で目一杯食べよう、とか、美味しいものは0カロリー、とか……摂食障害の私にとっては、信じられない言葉だった。

でも、でも……どこかで羨ましく思っている自分もいた。冷静に見ても、由希が太っているとは思えない。それでも、夕飯に3食分も一気に食べようとしたり、美味しいものはカロリーとか気にしないでひたすら食べたり、そんなことが出来てしまうことが、信じられなかった。いや、もしかしたら、それが(普通)の感覚なのかもしれない。美味しいものや、食べたいものは、カロリーなんか気にしないで、気の済むまで、お腹いっぱいになるまで食べる。それが本来の、私がどこかに置き忘れてしまった、普通の感覚なのかもしれない……

「お姉ちゃんさぁ~彼氏とか、いないの?お姉ちゃんのそいうい話、聞いたことないけどさ、冷静に見てみるとお姉ちゃん、意外とかわいいんだから、結構もてたりするんじゃないの?」

食べることと、痩せることと、そんなことで24時間が過ぎてく私に、そんな余裕はなかった。

「う~ん、仕事が忙しくて、今はまだそれどころじゃない感じ?……まあ、由希と違って、お声はちょくちょく掛かるんだけどね!」

「へ~ぇ、そうなんだ。それは楽しみだね!お父さん」

「ははは……そうだな、結婚式は飲み放題だしな。楽しみに待ってるよ」

「お父さん、いくら何でも結婚式は気が早すぎ!まだ、彼氏もいないんだから」

「そうだよね~いくらかわいいからって、ろくに食べないでお酒ばっか飲んでたら、可愛げないし、引かれるかも」

「そういう由希は、どうなのよ。由希から男の話って、そういえば聞いたことない……」

「えぇ~私はまだ特定の人とつきあう、っていうか、仲間でワイワイ遊んでる方が楽しいんだよね」

「そんなもんなのかなぁ……そういえば、由希ってアウトドアとかスポーツとか、好きだったっけ」

「そうそう~キャンプとか、フットサルとかしてると、みんなで仲いい、って感じだからさぁ、つきあうって感じじゃないんだよね~」

(キャンプとか、フットサルとか)……20代は、普通そんなことをして、休日を過ごすんだよね。私みたいに、家でさんざん悩んで、結局買い物して、過食して、吐くなんて、そんな生活してないんだよね。そうだよね、それが(普通)だよね……

「そういえば、家族4人で飯食うのも、久しぶりだな。何だかんだ言って、由希は盆も正月も帰ってこなかったからな。お、母さんもちょっとこっち来ないか」

お母さんが、ケーキとクッキーを持って輪に加わった。お母さんは、お酒は飲まない代わりに、甘い物に目がなかった。

「あたしは、お酒じゃなくて、コレなのよね……うふふ」

「これって、駅前のケーキ屋さん?私、あそこのスイーツ大好きなんだよね……」

あれだけさんざん食べていた由希が、真っ先に食べ始めた。

私も、気が付いたらケーキを口にしていた。食べたくて仕方がないのに、お酒ばっかり飲んでいたから、ほとんど無意識に手が伸びていた。

「お姉ちゃんも、さすがに甘い物は別腹だね~ここのケーキ屋さんは、何食べてもハズレがないもんね!」

あっという間にワンカット平らげてしまった……でも、でも、何かとても、とっても美味しいケーキだった。ケーキって、本当はこんなに甘くて、なめらかで、美味しいんだよね……

平日は、仕事に追われて、夕飯なんてコンビニ弁当で適当に済ませて。休日は、朝早くから出かけて、キャンプやスポーツに夢中になって。たまに実家に帰って来たら、普段はなかなか食べれない(おふくろの味)をお腹いっぱい食べて。それでもスイーツは(甘い物は別腹)とか言って平らげて……それが普通、それが当たり前なのかもしれない。私、私は、いったい何に拘ってるんだろう。何に縛られてるんだろう。何が許せないんだろう。何を守りたいんだろう。痩せること、痩せ続けることって、そんなに大切?命を懸けてまで追い求めること?……由希やお母さんを見てると、自分が何をやっているのか、何を求めているのか、何になりたいのか、だんだんわからなくなってきていた。

「お母さん、クッキーって、一人何個食べていいの~」

由希は、どんだけ食べてもまだまだ食べる気でいるようだった。

「私なんてさぁ、そのために今日朝から何も食べてないから、もうお腹ぺっこぺこ。3食分食べちゃうかも」
「美味しいものは、0カロリー!気にしない、気にしない。そのために、朝から何も食べてないんだから」
「これって、駅前のケーキ屋さん?私、あそこのスイーツ大好きなんだよね・・・」
「お姉ちゃんも、さすがに甘い物は別腹だね~ここのケーキ屋さんは、何食べてもハズレがないもんね!」
「お母さん、クッキーって、一人何個食べていいの~」

家に帰っても、繰り返し由希の言葉を思い出していた。食べたら太る、なんてことはこれっぽちも考えていないような、天真爛漫さ。美味しいものは、何も気にせずとにかく食べる。食べたければ、気が済むまで食べたいだけ食べる。だけど、お腹いっぱいになったら、食べることをやめる……

「私だって、本当はお母さんの料理をお腹いっぱい食べたかった。コンビニ弁当やお惣菜なんて、もう食べたくなかった。クッキーだって、食べたかった……」

それでも、久しぶりに、ケーキをワンカットだけ、しかも吐かずに食べることが出来た。何かとても、とっても美味しいケーキだった。ケーキの甘さや、なめらかなクリームのコクを、久しぶりに味わうことが出来た。

「でも由希だって、痩せたいとは思ってなくても、太りたい、太っても構わないとは思ってないはず。だけど、あんなにたくさん食べても平気だし、美味しそうに食べてたし、食べることが楽しそうで、嬉しそうで、何と言っても幸せそうだった……」

私に比べたら、由希の方が活動的で、アウトドアとかスポーツとかしてるから、多少食べ過ぎたって太らないかもしれない。でも、あの日の豪快な食べっぷりは、基礎代謝とか、カロリーとか、そんなことをいちいち考えながら、計算して食べてるとは思えなかった。

食べることって、本来考えることでもないし、計算することでもないはず。本当は、ただ美味しいものを美味しいと感じて、みんなで楽しんで、それが嬉しくて、そしてとっても幸せなこと、のはず。私も、いつかそう感じながら、みんなと一緒に食べることが出来るかな……」

この前は、久々に由希が実家に帰ってきて、家族4人で食事をした。妹の由希が、私に食べ方を教えるために、私がどこかに置き忘れてしまった、食事の楽しみ方、食べる幸せを取り戻させるために、帰ってきてくれたような気がした。

摂食障害とは自分との戦いであり、それだけに自分自身が一番の難敵なのかもしれない。そんな孤独との戦いは、今日も明日も続いていく。摂食障害とは終わりのない(終わりの見えない)戦い……

だからこそ、自分自身と向き合うこと、自分自身を見つめ直すことが必要なんじゃないかと思う。

……でも私は、もしかしたら孤独(一人ぼっち)ではないのかもしれない。

由希は、食べる姿を見せることによって、私に食べることの楽しみ方や食べる幸せを教えてくれた。いや、もしかしたら、その豪快な食べっぷりを見せつけることで、どんな言葉よりも強く、ダイレクトに私に訴えたかったんじゃないだろうか……私が摂食障害だということは知らないはずだけど、何か、そんな気さえしてきた。

先生は、私に寄り添って、ほんの少しでも良くなるようにと、一緒になっていろいろと考えてくれたり、アドバイスをしてくれる。今の私が頼れるのは、そんな先生しか、いない。

そして、私の中では、御宿のおばあちゃんも必死に応援してくれているような気がした。(お母さんに見つかると、怒られるから内緒だよ……)と言って、お菓子を買ってくれたり、摂食障害のことは黙って二人だけの秘密にしておいてくれたり……

最終的には、自分が本気で何かしらを変えなければならないのかもしれない。

最終的には、自分が本気で病気と向き合わなければならないのかもしれない。

最終的には、自分が本気で克服しようとしなければならないのかもしれない。

でも、私は一人じゃない。寄り添って、親身になって、一緒になって戦ってくれる大切な仲間がいる。

「私、過食嘔吐をやめたい。絶対に諦めない……」

今夜も、月の光が眩しいくらいに美しく輝いていた。

どうしても起き上がることが出来なくて、急に会社を休んだ日以来、再び御宿駅のホームに立っていた。

お母さんに見つかると、怒られるから内緒だよ……

今は亡きおばあちゃんだって、きっと天国から必死に応援してくれているはず……あの日、気が付いたら御宿駅のホームに降りていたことが、どこかで何かが繋がっているような気がした。どこまでも続く海岸線、真っ白な砂浜、それに童謡「月の沙漠」の記念像。そのどれもが、私の味方だと思いたかった。そしておばあちゃんも、きっと応援してくれているはずだと信じたかった。

「ねえ、おばあちゃん。私ね、何となく痩せたいなぁ、って思ってダイエット始めたの。そしたらね、痩せたい気持ちが暴走しちゃってね、どんどん痩せたくなって、実際にどんどん痩せていったの。でもね、多分無理な食事制限のせいで、今度は食べたい気持ちが暴走しちゃったの。自分で自分の食欲が抑えられなくなっちゃってね。痩せたいのに食べたい、みたいになっちゃって。おかしいよね。それでね、ある時お酒飲み過ぎて、気持ち悪くて吐いちゃったの。そしたらね、それからたくさん食べて吐くようになっちゃって……そういうの、過食嘔吐って言うんだって。病気なんだって。だからね、今専門の人、お医者さんじゃないんだけどね、すごく詳しい人にいろいろとアドバイスしてもらってね、昔みたいに普通に、みんなで楽しく食べて、美味しいって言えるように、あれこれ試しているの。たくさん食べて吐いたりしないように、リハビリしてるの。普通に食べられないなんて、そんな当たり前のことが出来ないなんて、おかしいよね?でもね、私、今必死になって普通に食べる練習してるの。だからね、今までみたいにおばあちゃんと一緒に楽しく食事出来るようになったら、またみんなでお腹いっぱい美味しいものを食べようね、約束してね……」

あの日と同じコンビニに寄った。今日は、私がおばあちゃんに500円分のお菓子を買ってあげよう……

「おばあちゃん、500円まで選んでいいんだからね」

おばあちゃんは、確か甘い物には目がなかった。大福、どら焼き、ええっと……塩飴って、コンビニにあるのかな?おせんべいも好きだったけど、亡くなる少し前には、(歯が痛くってねぇ……)とか言って、あんまり食べてなかったっけ。そうだ、甘栗ならあるかな……

おばあちゃんの好みに合うものを、コンビニで500円分買うのはちょっと無理があったかもしれない。それでも何とか500円近く買って、店を後にした。

あの日と同じように、海が見えてきた。海に近づくにつれて、真っ白な砂浜が目の前に広がっていった。眩しくて、目を瞑ってしまいそうなくらい、砂の一粒一粒がキラキラと輝いていた……そう、御宿の海は、変わらず私を迎え入れてくれた。

「おばあちゃんのために買ったお菓子だけど、おばあちゃん、今日はおばあちゃんのことを思って、私が大切にいただくね」

大福、どら焼き、甘栗……どれも糖質まみれだけど、今日は、今日だけでも一つ一つ、大切に味わって、美味しい、って言って食べたかった。

「おばあちゃん、あんこって、何でこんなに美味しいんだろうね……甘くて、口の中でとろけて、もう最高に美味しいね!」

この前来た時には、確か体育座りして、泣きながらうまい棒とかチロルチョコを一つ一つ食べたんだっけ……今日も気が付けば、涙が頬を伝っていた。でも、今日は虚しさの涙じゃなくて、懐かしさと温かさの入り混じった涙だった。

「おばあちゃん、大福もどら焼きも美味しいけどさ、甘い物ばかりだと何かしょっぱい物も食べたくなるね。おせんべいも買ってくれば良かったかな……」

それでも今日は、美味しい、美味しいって言って、おばあちゃんや由希とみんなで楽しく食べてる気がして、とても懐かしかった。こんな、今は普通に食べられない私だけど、何も考えずに、ただただ美味しい、美味しいって言って食べてたことが、何だか何十年も前の、遠い昔のような気がした。

「何十年って、私まだ20代なのに、おかしいね……」

今日もまた、空はどこまでも真っ青で、水平線はどこまでも真っ直ぐで、砂浜はどこまでも真っ白で、眩しいくらいにキラキラと輝いていた。ただ、私の頭の中は、ぐちゃぐちゃに曲がって、こんがらがった針金のように、がんじがらめになってしまって、一つ一つほどいていくには気の遠くなるような作業が必要だった。それでも、寄り添って、必死にサポートしてくれる先生や、言葉ではないけど、食べ方でメッセージをくれた由希や、天国から見守って応援してくれるおばあちゃんがいる……私は一人じゃない。きっと、きっといつか笑顔で食べれる日が訪れる。そして、キラキラと輝ける日が来る。今の私は、そう信じるしかなかった。

「やっぱりこの波の音、いいよねぇ、何だか落ち着く」

甘栗を食べ終わると、何もすることがなかった。ただ砂浜に座って、波の音を聞いていた。

波が、私の力だけではどうすることも出来ない全部を、きれいさっぱり洗い流してくれて、家に帰ったら、もうすっかり何もかもが良くなっていればいいのに……

「そんなこと、現実には起こらないよね。やっぱり、先生の言うように、今出来ることを一つ一つ積み重ねることしか、そして諦めないで続けることしか、ないんだろうなぁ……」

それでも私には、信頼して、頼って、縋ることの出来る人がいる。その存在が、せめてもの救いだった。

……こんばんは、この2週間は、いかがお過ごしでしたか?慌てたり、焦ったりすることなく、(出来ることを一つ一つ積み重ねていく)(諦めることなく、また開き直るでもなく克服に向けて今出来ることを続けていく)ということを思い出す、忘れないで過ごす、ということについてはいかがでしたか?

「はい、そうですね、家に帰ったら、もうすっかり何もかもが良くなっていればいいのに……なんて考えたりもしたんですけど、そんなことは現実には起こらないし、やっぱり先生の言うように、今出来ることを一つ一つ積み重ねることしか、そして諦めないで続けることしか、ないんだろうなぁ……って、思い出してみたり。いつもいつもそんな前向きになれてる訳ではありませんけど、忘れないように心掛けてはいました」

うん、うん……いいと思いますよ。現実には、頭で考えるようにはいかなくて、辛かったり、苦しかったり、イライラしたりすることもあるとは思いますが、出来る出来ないに関わらず、気持ちや心掛けだけでも、持ち続けること。今はそれだけでもよろしいかと思います。

「あのぅ……先生。私、今までずっと摂食障害は自分との戦い、っていうか、自分自身や、自分の価値観に追われて、追い立てられて、それで結局自分自身をコントロール出来なくて……だから、自分の中で自分自身が一番の難敵のような、孤独との戦い、みたいに思ってた部分があったんです。でも、この前、久しぶりに家族4人で食事をする機会があった、っていうかしなきゃならなくて、実家で夕飯を食べたんです。そしたら妹は、(お母さんの料理は美味しいから)とか言って、物凄くいっぱい食べてたんです。私なんて、実家で吐く訳にはいかないから、ちょっとつまむだけにして、お酒ばっか飲んでたんですよね……何か、そんな妹を見ていたら、初めは(何で何も気にしないでそんないっぱい食べれるの)って思ってたんですけど、そんな食べ方が羨ましいなぁ、とか、妹が(普通に食べるって、こういう風に食べることなんだよ)って、食べる姿で教えてくれているようにも思えたんです。私が摂食障害だってことは、先生以外には誰にも言ってないので、もちろん妹も知らないはずなんですけど、何か、妹が私のことを応援してくれてるような気がしたんです。もちろん先生も、親身になって、一緒にいろいろと考えてくださるし……私は一人じゃない、みんなが応援してくれてる。そう思うと、諦めないで、今出来ることを一つ一つ積み重ねることを続けられる気がしたんです」

ほほう、なるほど、そうですか。以前に、

私や、周りの人間は、救いの手を差し伸べたり、隣で寄り添ってサポートすることは出来ますし、全力でそうするつもりです。ただ、一番大切なことは、あなた自身が今の状態を受け止めて、今は仕方がないんだと認めて、諦めることなく、そして開き直るでもなく、少しでも良い方向に向かう気持ちを忘れずに、持ち続けることだと思います。

と言ったと思います。

一番大切なことは(ご自身が諦めることなく、良い方向に向かう気持ちを持ち続けること)ですが、一方ではそれには限界もあります。なぜなら、摂食障害は一人で抱え込むには、精神的にも肉体的にも余りにも負担が大き過ぎるからです。私や周りの人間はあくまでサポートすることしか出来ませんが、そのサポートを受けることや、人との繋がりというのも重要なポイントになります。ですから、今あなたがおっしゃったように、ご家族に応援してもらったり、話を聞いてもらったりということが出来るのであれば、そういったサポートも克服には非常に大切になってきます。

「そうですよね、何か(私は一人じゃない)って思うことで、気持ちを切らさずにいられる気がしたんです。先生はもちろん、妹にも感謝しなきゃ、ですね。いつもいつも本当にありがとうございます」

そう言っていただけると、嬉しいですね!

それでは、次回お会いするまでに、ちょっと考えて、というか振り返っていただきたいことがあります。ご存知かもしれませんが、摂食障害は、文字通り食行動に異常をきたす病気であり、また(痩せたい気持ち)が極端になる傾向がある精神疾患です。ただ、その背景には、個人個人で様々な要因が関係している場合が多く、食べたい気持ちや痩せたい思いのみに焦点をあてても、なかなか良くならない場合もあります。そこで、思いつく範囲で構いませんので、食べることや痩せること以外で、何かもやもやした思いを抱えているようなこと、例えばそれは子供の頃のことや家族関係のこと、あるいは職場の人間関係や友人関係のこと、などでもいいので、思いつくままに紙に書いてお持ちいただきたいと思います。

「もやもやした思い、ですね。わかりました、出来る範囲で書いてみます」

「先生に言われたこと、(もやもやした思い)って何だろう……」

振り返ってみても、すぐには思いつかなかった。子供の頃のことや家族関係のこと……

「そういえば、以前も先生に似たようなことを聞かれたことがあった気がする。確か、自分の欲求に蓋をしたとかしないとか……」

おそらくやりたいことや、言いたいことに蓋をして、ご自分の心からの欲求を素直に表現することが出来なかった経験があったのではないかと思います。

確かに、学校でも、会社でも、周りのみんなから嫌われたり、無視されるんじゃないかって、いつもそんなことばかりが気になって、それが怖くてみんなに合わせていた、っていう気がした。そして、家でも、お母さんに気に入られたくて、見捨てられたくなくて、必死に勉強とか、部活とか頑張ってたのかもしれない。それは、もしかしたら自分が心からやりたかったことではなかったのかも……

「良く考えてみると、由希は私よりも自由奔放で、私に比べたら自己主張も強くて、言いたいこともはっきりと口にするし、やりたいことも躊躇わずにやってたと思う。でもそれって、あの(由希)と比べるから私が言いたいことも言わないで、やりたいことも我慢してたように感じるだけかもしれないし、由希はそもそも周りの目とか、人からどう思われるかとか、余り気にしない性格だったから、余計に私が気にしてたような気がするだけかもしれないし……それって、どうなんだろう」

職場の人間関係や友人関係のことも、言われてみれば(嫌)って言ったり断ったりすることが苦手で、割と何でも引き受けちゃうことが多かったけど、それで(何かもやもやした思いを抱えている)って訳でもなかったと思うんだけど……

「そんなに私って、言いたいことも、やりたいことも我慢して、自分の欲求に蓋をしてきたのかな……」

次に先生のところに行くまでは2週間弱あるので、とりあえず思いついた時に思いついたことを一つ一つ書くことにして、まとめて一気に考えることはやめることにした。

「そうよね、いくら先生に言われたことだからって、考えてもまとまらないことを考え続けていたら、だんだんイライラしてきて食べたい猛獣に襲われてしまう……今は、出来る時に、出来ることを、出来る範囲で一つ一つやればいいんだから。慌てず、焦らず、諦めず!」

呪文のように自分に言い聞かせて、心が堕ちていくことを繋ぎ止めることも、今の私には必要なのかもしれない。

ここ最近は、メンタルのめりはりの付け方、じゃないけど、調子がいい時や前向きになれる時には出来るだけ先生に言われたことを思い出したり、逆にイライラしてたり、ダメな自分を責めてしまうような時には、割り切って過食嘔吐するしかない、してもいい、と自分を許すことが出来るようになっているような気がした。

「いくら摂食障害だからって、24時間食べて吐いてるわけじゃない。良く考えたら仕事にも行くし、寝てる時間だって、そう多くはないけどあるんだし。何も食べないで考え事をしている時間だって、あるにはある。買い物や、食べることをしないで過ごせる時はそうすればいいんだし、食べたくなって、何か買いに行きたくなったら、(仕方がない)って切り替えて買い物して、食べればいい。それが(今出来ることを一つ一つ積み重ねる)ことなのかどうかはわからないけど、とにかくそうすることしか出来ないんなら、それでいいのかもしれない……」

今まで、さんざん自分を追い込んで、ストイックに(完璧)を追求してきた。出来ない自分が許せなかった。何もかもが思い通りになる自分でなければ許せなかった。そうでなければいけなかったし、そうすることが出来るはずだった……

でも、でも、どこかで壁にぶち当たった。何かに躓いた。どこかで限界を知ることになった。いつの頃からか、出来ない自分を認めて、受け入れざるを得ない状況に追い込まれた。悔しかった。悲しかった。出来ないことを認めるまでに、膨大な時間が必要だった。

人生って、生きるって、もしかしたらそんなものなのかもしれない。そんなことの繰り返しなのかもしれない。どんなに素晴らしい人でも、出来る時もあれば、思い通りにいかない時もあるはず……

私は、長い時間をかけて、先生の言う(今出来ることを一つ一つ積み重ねる)ということがどういうことなのか、わかりかけてきたような気がした。

自分を許す……この2週間足らずは、何故かこの言葉が頭から離れなかった。

会社でも、友達にも、周りのみんなから嫌われたり、無視されたりすることは怖いし、そんなことがあったらとてもじゃないけど生きていけない。でも、現実には私の周りにいる全ての人たちに好かれて、受け入れられることなど、あり得ないし、それは不可能なこと。なるべくなら1人でも多くの人に好かれて、受け入れられる方がいいとは思う。ただ、私に関わる全ての人たちに受け入れられるために、あるいは受け入れられようと必死になって合わせたり、取り繕う必要はないのかもしれない。

「自分が無理をしてまで人に合わせることや、頼まれたことを断らずに引き受けることが、もしかしたら知らず知らずのうちにあったのかなぁ……」

周りの目とか、人からどう思われるかだって、全く気にしなかったら、社会の中でいろんな人と関わり合いながら生きていくことは出来なくなってしまう。でも、気にし過ぎて自分を見失って、何が言いたいのか、何がやりたいのかさえわからなくなって、自分のことがわからなくなるようだったら、もしかしたら気にし過ぎなのかもしれない。

「もう、みんなに受け入れられようと必死に合わせたり、取り繕わなくても、周りの目とか、人からどう思われるかを自分を見失うほど気にし過ぎなくても、もしかしたらいいのかなぁ……きっといいんだよね……」

自分を許す……その言葉が、自分にとってどういうことを意味するのか、まだ本当にわかった訳ではなかったけど、でも何かそこにヒントがあるような気がした。

……こんばんは、この2週間は、いかがお過ごしでしたか?食べることや痩せること以外で、何かもやもやした思いを抱えているようなことを、思いつくままに紙に書くことは、出来ましたか?

「はい、一応、思いついたことは書いてみました」

そうですか、では見せていただいてもよろしいですか。

「はい……」

***

周りのみんなから嫌われたり、無視されるんじゃないかって、いつもそんなことばかりが気になって、それが怖くてみんなに合わせていたこと。

(嫌)って言ったり断ったりすることが苦手で、割と何でも引き受けちゃうことが多かったこと。

自分が無理をしてまで人に合わせることや、頼まれたことを断らずに引き受けることがあったこと。

みんなに受け入れられようと必死に合わせたり、取り繕わなくてもいい気がしたこと。

周りの目とか、人からどう思われるかを自分を見失うほど気にし過ぎなくてもいい気がしたこと……

***

ありがとうございます。食べることや痩せること以外で、これだけ考えるのには、相当時間がかかったのではないですか。

「そうですね……先生に言われてから、割とすぐに考えてみたんですけど、なかなか思いつかなくて。この2週間かけて、書き出したような感じです」

そうでしたか。摂食障害のみなさんは、食べることや痩せることの悩みや苦しみのインパクトが大き過ぎて、意外とご自分の満たされない思いや、知らず知らずのうちに溜まっているストレスに気が付かない場合がありますので、このように長い時間をかけてじっくりと考えてみるのも良い経験だったのではないかと思います。

「そうですね、始めのうちは(そんなに私って、言いたいことも、やりたいことも我慢して、自分の欲求に蓋をしてきたのかな)って思って、今の私には食べることや痩せること以外でもやもやした思いなんて、ないような気がしたんです。でも次に先生に会うまで2週間あるし、ちょっと時間をかけてもう一度考えてみよう、って思って。そしたら、いろいろと考えているうちに、何か自分を許すって言葉が頭から離れなくなってきて。それから紙に書いたようなことが思いついたんです」

そうでしたか!それは素晴らしい!

自分を許す……今のあなたにとって、とても大切で、なおかつ必要なことだと思いますよ。摂食障害は、良く言えば自分に非常に厳しいというか、ストイックさをやめることが出来ない状態、逆に言えば自分を許すことが出来なくて、完璧を追求し過ぎる余り、思考が偏ってがんじがらめに縛られたような状態になってしまう病気だと思っています。ですから、ご自身の口から自分を許す、という言葉が出てきたということは、克服に向けて確実に一歩一歩進んでいらっしゃるのではないかと思います。

「そうですかね、そうだといいんですけど……でも、何か、そう言っていただけると、ほんの少しでも気分が軽くなったような気がします」

それに、さっきの紙に書いてあった(もやもやした思い)の後半の2つ、

みんなに受け入れられようと必死に合わせたり、取り繕わなくてもいい気がしたこと。
周りの目とか、人からどう思われるかを自分を見失うほど気にし過ぎなくてもいい気がしたこと。

これらは、(自分はこうでなければならない)とか(自分はこうすべきである)という、自分に非常に厳しい、完璧を追求し過ぎる傾向にどこかで許しを与えている、というか救いの道を自ら作っている、とも言えます。今までのご自分を振り返ってみても、随分変わってきたということが実感出来るような言葉だと思いますよ。

「そうですね、今でも痩せたい気持ちに変わりはないとは思います。でも、何でかは良く覚えていないんですけど、自分を許す、という言葉が頭から離れなくて、そこに何かヒントがあるような気がしたんです。そしたら、その後半の2つも思いついたんですよね。もしかしたら、いろいろなこと、いろいろと考えることに疲れてしまったのかもしれません。痩せること、食べること、みんなに受け入れられること、人からどう思われるかということ……いくら気にしても、いくら考えても、結局思い通りにいかない部分というのが必ず残るし、完璧にコントロール出来るものではないのかもしれない。無意識にそんなことが頭に浮かんだのかもしれません」

そうでしたか、そうですね……人が関わることや、身体に関することは、ある程度は自分の思う通りになるかもしれませんが、完璧にコントロールすることは出来ません。そのことは、理屈ではわかっていても、実際にはもどかしい思いを抱いてる場合もあります。しかし、そのことに気がついて、そして出来ない自分を許し、救いの道を自ら作ることが出来た。そのことが、大きな一歩になっています……人間、許しや救いがなかったら、息が詰まってしまいますし、生きていけなくなってしまいますから。

出来ない自分を許し、救いの道を自ら作る……ですか。それが大きな一歩になってくれると信じたいです……」

必ず、次に踏み出す大きな一歩になると思います。そう信じてください。それでは、次回お会いするまでに、またちょっと考えていただきたいことがあります。それは、今後摂食障害が克服出来たらやってみたいこと、もしくは、もし摂食障害になっていなかったら、やりたかったこと・・・それは例えば、漠然とした(夢)のような話でもいいですし、割と現実的な目標でもいいです。あるいは、もし摂食障害に費やすお金や時間が他のことに使えたならやれたこと、やってみたかったこと、と考えてもらっても結構です。そんなに細かく、具体的でなくてもいいので、思いつくままに紙に書いてお持ちいただきたいと思います。

「やってみたいこと、やりたかったこと、ですね。わかりました、ちょっと考えてみます」

先生は、(随分変わってきたということが実感出来る)と言っていたけど、食べたい、過食したい思いがなくなった訳ではなかった。最近は、先生のところからの帰り道で、飲食店やスーパーの看板なんかが気になって仕方がない、ということはなくなってきたけど、それでも最寄り駅に着くと、買い物をするかどうかという、自分自身との葛藤は続いていた。

「迷ってる、ということは、きっと過食せずに済ますことは多分出来ないってことだよね。だったらもう、割り切って買い物して帰ろう」

結局、コンビニでの買い物はいつもと変りなく済ませて、家に着いた。自分を許す、ということは、思い通りにならない自分を許すことでもあり、いつものルーチンに流されてしまった自分を許すことでもある、と思いたかった。

「とりあえず、お酒から飲み始めて、食べずに済んだらそれも良し。食べてしまっても吐かずに寝れたらそれも良し。吐いても結局それしか出来ない、ということでそれも良し……そんなんでいいのかなぁ」

誰もいない部屋で、恒例の乾杯から始めることにした。3缶目に口を付けた頃から、食べたい猛獣が襲ってくる気配があった。

「でも、食べたければ食べればいいし、やめられるのなら、やめればいいし、それでも食べたければ、食べればいいのかもしれない。その結果吐いたって、そんな自分を許す、ということなんだよね」

それでも、いつもよりいろいろと考えながら飲んでいるので、食べ物に手を付けるペースも、何だかゆっくりだった。

「何で私、こんなに食べることに執着してるんだろうね……もう、どうでもいい気がする。そう、食べることなんて、本当はどうでもいいことなんだよね……食べたければ食べればいいし、食べたくなければ食べなきゃいいし……ただそれだけ、ただそれだけ、ただそれだけ。何でそんなことに振り回されているんだろう……もういい加減、解放されたい……私、私を許して。誰か、私を許して、私を解放して

私や、周りの人間は、救いの手を差し伸べたり、隣で寄り添ってサポートすることは出来ますし、全力でそうするつもりです。ただ、一番大切なことは、あなた自身が今の状態を受け止めて、今は仕方がないんだと認めて、諦めることなく、そして開き直るでもなく、少しでも良い方向に向かう気持ちを忘れずに、持ち続けることだと思います。

先生は、そう言っていた。私を許して、私を解放してくれるのは、先生でもなく、由希でもなく、ましてやおばあちゃんでもない。私が、私自身が、逃げることなく、真正面から、真っ直ぐ、眼を逸らさずに自分自身と向き合い、破綻を招くような矛盾した価値観を見つめ直す。そして今出来ることに目を向けて、どんな小さなことでもいいから、人に笑われるようなことでもいいから、それでも一つ一つ積み重ねる……それが、摂食障害を克服する唯一の方法だと信じるしか、ない。

「諦めなければいつかきっと、私が、私を許して、痩せること、食べることの呪縛から私を解放して、やってみたいこと、やりたかったことをやれる自分になれる……」

でも、もし摂食障害が克服出来たとしても、やってみたいこと、やりたかったことが具体的にある訳でもなかった。今ひたすら願うこと、それは、この苦しみから抜け出したい、この辛さから解放されたい、ただそれだけだった。

「とりあえず、まだ2週間近くあるんだし、思いついた時に少しずつ書き溜めればいいか」

以前に、過食にかけるお金があったらおしゃれしたいとか、駄菓子屋さんやってみたいとか、思ったことがあったっけ。そんな漠然としたことでもいいのかなぁ……あと、みんなで楽しく(美味しいね)って言いながら食べたい、とか。でも何か、前回の(何かもやもやした思いを抱えているようなこと)よりは、すんなりと書けるような気がした。

みんなで楽しく(美味しいね)って言いながら食べたい

美味しいものを、美味しいと感じて、味わって食べたい

お腹いっぱいになったら(ごちそうさま)って言いたい

みんなとのランチや飲み会が待ち遠しい、って言いたい

食べ物はカロリーや数字じゃなくて食べ物、と思いたい

好きなものを好きなだけ食べることを幸せ、と感じたい

1日の終わりに美味しく食べて飲んで幸せ、と感じたい

辛いことや悩みがあっても、生きてて幸せ、と感じたい

普通に食べて、普通に痩せて、普通に幸せ、と感じたい

摂食障害に振り回されない、普通の生活を手に入れたい

何も考えなくても、笑顔で過ごせる毎日を手に入れたい

気が付いたら、思ったよりもたくさんのことが紙に書いてあった。

「でもこれって、先生の言っていた(やってみたいこと、やりたかったこと)とは違う気がする。なんなら、愚痴?」

それでも、半ば無意識のうちに一気に書いたことだから、今の私の本音なのかもしれない。今の私には、やってみたい仕事や遊び、行ってみたいところ、お金があったら買ってみたい物よりも、私が、私を許して、痩せること、食べることの呪縛から私を解放して、摂食障害の苦しみから抜け出すこと、それが何よりも優先される、大切なことなのかもしれない。

「もっとじっくりと、時間をかけて考えれば、やってみたいこととか、やりたかったことが出てくるのかもしれない。でも今は、とにかく過食嘔吐をやめたいし、あれこれ考えなくても普通に、楽しく食べられるようになりたい。いつか摂食障害を克服することが出来て(あの時の私には、摂食障害は必要なことだった)なんて言える日が来るのかもしれない。そうだとしても、今は、今の私は、今の私には、摂食障害は辛過ぎるし、苦し過ぎる。とにかく、1日でも早く、やめたくてもやめられない過食嘔吐の蟻地獄から抜け出すこと、摂食障害を克服すること、そのことに集中する。そのために今出来ることを一つ一つ積み重ねる。そのことを諦めないで続ける。それが、私のやりたいこと……」

「お姉ちゃん、御宿の砂浜って、こんなに真っ白だったっけ?太陽の光が反射して、眩しいくらいキラキラしてる」

「私も思った。この前来た時……多分20年ぶりくらいだと思うんだけど、砂の一粒一粒がキラキラと輝いてる……って」

妹の由希に(話がしたいから、ちょっと時間を作ってくれる?)と頼んで、御宿まで来てもらった。おばあちゃんが亡くなってから、2人で御宿に来るのは、おそらく初めてだった。

「珍しいね、お姉ちゃんから連絡してくるのって。まあ、休みの日は忙しいから、私からもめったに連絡しないけどさ」

由希は、私に比べたら自己主張も強くて、言いたいこともはっきりと口にする性格だけど、(話って、何?早く言ってよ)みたいに急かさないところが好きだった。多分、悩みの相談か何かだということはわかってて、私が話し出すのをじっと待っててくれてる。そういう気遣いが出来る子だった。

「由希、覚えてる?昔おばあちゃんがさ、海に入る訳でもないのに私たちをここに連れてきてくれて。途中の駄菓子屋さんでお菓子をたくさん買ってくれてさ。砂遊びしながら、おしゃべりしてお菓子を食べたりしたよね」

「う~ん、何となくは覚えてるけど、私って確か4歳くらいだったっけ?」

「そっか、そうだよね、4歳じゃ、あんまり覚えてないか」

今日もいつものコンビニでお菓子を買っていた。由希とシェアするから500円には拘らなかったけど……おばあちゃん、今日はそれでもいいよね?

波の音が心地よかった。空も、海も、突き抜けるような青さだった。今日も御宿の変わらない景色が、変わらずに私たちを受け入れてくれた。

「私さ、今ちょっと悩んでることがあって。聞いたことないかもしれないけど、摂食障害っていう病気になっちゃってさ……」

「うん、」

「ちょっと食べることに問題があって、何て言うか、普通に食べられないんだよね……」

「そうなんだ……」

「そう……何て言えばいいのかなぁ、食べることが怖いっていうか。今まで普通に食べてたものでも、食べると太るんじゃないかって、気になっちゃって。極端に食べる量を減らさないと気が済まなくなってきちゃって」

「ふうん……」

「始めはね、普通のダイエットのつもりで、ちょっと痩せたいな、ぐらいの気持ちだったんだけどね。だんだん食事制限がエスカレートしてきちゃって。そしたらね、どんどん痩せてきて、それはそれでまあ良かったんだけど、そしたら今度は食欲が抑えられなくなってきたのね。痩せたい、っていうか痩せたままでいたいのに、食べたい気持ちが抑えられなくて。でも食べると太るからって、我慢するんだけど、何か自分をコントロール出来なくなってきちゃってさ」

「うん、」

「それでね、ある時飲み会があって。本当は行きたくなかったんだけど、どうしても出なくちゃなんなくて。それでね、ほら、居酒屋の飲み放題コースとかだと、お料理って、唐揚げとかフライドポテトとかさ、いかにも太りそうなものばっかりでしょ。だからね、サラダとかカロリー低そうなものだけ少し食べて、あとはひたすらお酒を飲んでたの。そしたらさすがの私も気持ち悪くなっちゃって、トイレで戻しちゃったのね……それがきっかけで、それ以来、毎晩お酒を飲んで、大量に食べて、トイレで吐く、ってことがやめられなくなっちゃったの……」

「そうだったんだね……」

私の話は虚無感と、閉塞感と、絶望感に満ち溢れていたけど、ふと目を上げると、空も海も砂浜も、爽快感と、開放感に満ち溢れていた。話を始めてから一度も見れなかった由希の顔をちらっと覗くと、なんだか安心感が込み上げてきた。

「そういうの、過食嘔吐っていうの。本当はもうそんなに痩せなくてもいいはずだし、普通に食べたいんだけど、やめたくてもやめられなくて……自分で自分のことがコントロール出来なくて、もうどうしたらいいのか、わからないの……」

「そう……」

御宿の砂浜は、いつでも真っ白で、眩しくて、キラキラしていた。今の私には、真っ白な心も、眩しいくらいの瞳も、キラキラした人生も、何もかもが欠落していた。

「……お姉ちゃん、私、何となくわかってたよ……」

「えっ、何が?」

「この前実家で集まった時、私、そのことが何となくわかってた。友達でね、すごく仲がいいって訳じゃないんだけど、いつも遊んでる仲間のうちの1人の子がね、多分お姉ちゃんとおんなじ過食嘔吐?だって言ってたの。そんなに詳しい話はしないんだけど、その子はね、(体型とか、体重とか、食べ方とか、みんな私のこと凄く気になると思うけど、そっとしておいて欲しい、見守ってて欲しい)みたいなこと言ってた。だから私たちも詳しいことは聞いてないし、その子も(摂食障害だからって、食べること以外はみんなと同じって思っててほしいし、みんなと一緒に遊びたいから、繋がっていたいから)って言って、遊びには一緒に行くんだよね。でもさ、凄く痩せてることと食べること以外は全然普通だし、むしろ一番周りのこと気にしてて、人に気を遣うし、凄く気が利くし、とっても優しいの。ちょっと体力的に大丈夫かな、って思うこともあるけど。どうしてこんなにいい子が悩んでるんだろう、って感じで。

でね、久しぶりに会ったお姉ちゃんを見てたら、体型とか、食べ方とか、その子とそっくり、って思ったんだよね。だからね、何となくそんな気がしてたの」

「そうだったんだ……」

二人の間には、いつまでも心地よい波の音だけが響いていた。

由希が、私が摂食障害だって気付いてた、ということは全く予想してなかった。あまりに衝撃的だったので、次の言葉が見付からなくなっていた。

どれ位沈黙が続いたのだろう……由希はきっと、私が話し出すのをじっと待っててくれてる。その気遣いが、何とか次の言葉をしゃべることを後押ししてくれた。

「……この前実家でご飯食べた時、由希、結構豪快に食べてたよね……あれってもしかして(食べることは楽しくて、幸せなことなんだよ)って、私に伝えたかったの?」

「えぇ~、そんなこと全然ないって。私本当に久しぶりにお母さんの料理食べれたから、ただ美味しくて、食べたいから食べてただけだよ~」

「そう、なんだ……そうだよね、お母さんの料理美味しいもんね。確かに一人暮らしじゃ、なかなかああいう和食って、食べれないもんね。そうか、そうだよね……」

由希の豪快な食べっぷりは、私が勝手にいいように解釈しただけだった。それでも、こうやって黙って悩みを聴いてくれるだけでも、どれだけ救われることか……

「お姉ちゃん、私はお医者さんでも、カウンセラーでもないから、その、過食嘔吐に関しては何にも言ってあげられないけど、でもね、さっきの過食嘔吐の子のこと見てると、何かもうちょっと自分を出してもいいんじゃないかなぁ……って思うことはあるんだよね。あんまり深く、っていうか込み入ったことは話さないから、本当のところは全然わからないんだけど。いつも周りのこと気にしてくれて、気を遣ってくれて、凄くありがたいし、凄く気が利いて、優しいところももちろん好きだし、凄いなぁ、私にはそこまで出来ないかも、って尊敬してるくらいなんだけど。でも、何かさ、何となくだけど、もしかしたら本当はもう少し言いたいこととかあるんじゃないかな……って。でも、どう言ったらいいのかわからなくて、それで周りのことを気にして、気を遣ったり、気を利かしたり、優しくしたりしてるのかなぁ……って。何ていうかさ、そういうことで自分を安心させてる?うまく言えないけど、何かちょっと本当の自分を表現することが出来なくて、その代わりじゃないけど、そういう気遣いだったり、優しさだったりするのかなぁ……って」

由希の言いたいことが何なのか、何となくわかるようで、でも核心に触れられないような、もどかしさを感じていた。再び沈黙が2人の間に流れていた。

「さっき買ったお菓子でも食べようか……」

「そうだね、何か、お腹空いてきたし。お姉ちゃん、お弁当も買ってくれば良かったね」

由希と2人で、御宿の砂浜でお菓子をつまむ……何か、想像もしなかったことが現実に起こっていた。そして、その現実感のなさが、私に自然とお菓子を食べさせているようだった。

「私ね、コンビニの100均のお菓子って、結構好きでさ。甘いのからしょっぱいのまで、割とバランス良く、しかも量も結構あるのが多いじゃん。こういう素朴な品揃えが良くない?」

「そうね、由希って意外とシンプルなのが好きだよね」

他愛もないことをしゃべりながらお菓子をつまんでる間も、頭の中はさっきの由希の言葉の意味を考え続けていた。

おそらくやりたいことや、言いたいことに蓋をして、ご自分の心からの欲求を素直に表現することが出来なかった経験があったのではないかと思います。

以前先生に言われたことを思い出していた。

うまく言えないけど、何かちょっと本当の自分を表現することが出来なくて、その代わりじゃないけど、そういう気遣いだったり、優しさだったりするのかなぁ……って

由希の友達は、由希の目からはそんな風に見えている。そのことと、摂食障害になったこと……何か関係があるの?

「お姉ちゃんはさ、私に比べたら素直で、お母さんとかの言うことも良く聞いて、割と何でもそつなく出来た方だと思うの。それは私にはないところで、それはそれで素晴らしいことだと思う。ただ、それがお姉ちゃんのありのまま、っていうか、お姉ちゃんのだったら全然いいんだけど、もしも何かの代わり、っていうか……うまく言えないんだけどね、何かの形を変えた結果だったとしたら、お姉ちゃん、ちょっと息苦しいんじゃないかな、って。でもそれは、本当のところは私にはわからないことで、本当のことを知っている、っていうか本当のことに気付くことが出来るのは、多分お姉ちゃん自身しかいないと思うの。私の友達も、私は(もしかしたら本当はもう少し言いたいこととかあるんじゃないかな……)って思ったりもするけど、本当のところはその友達にしかわからないだろうし、本当のことに気付くのも友達自身なんだと思う。そんなところも、お姉ちゃんと何か似てるような気がするんだよね。

でも、私はお医者さんでも、カウンセラーでもないから、私の感じてることと、過食嘔吐には何の関係もないかもしれない。ただ、ちょっと息苦しそうな気はするんだよね……何か勘違いしてたらごめんね」

摂食障害という病気は、ある意味では自分自身と向き合うこと、自分自身を見つめ直すことが必要な方がなってしまう病気だと思っています。ですから、それを避けて通ろうとしているうちは、本当の意味での克服は出来ないかもしれません。

由希の言葉と、以前先生が言っていた言葉が、頭の中で錯綜していた……

先生には、やってみたいこと、やりたかったことを紙に書くように言われていた。そのことを考えているうちに、思いついたように由希に連絡をとって、過食嘔吐のことを話していた。どちらかというといつも慎重で、何度も考えてからじゃないと行動に移さない、移せない私が、あの時だけはなぜか、気が付いたら由希を誘っていた。

その、普段とは違う私の行動が、由希に摂食障害であることを告白出来たこと、(ちょっと息苦しいんじゃないかな)などの由希の言葉……に繋がったような気がした。

「今までとは違う私が、由希の言葉に繋がった、由希の言葉を引き出した気がする……そうであって欲しいし、そう信じたい」

家に帰っても、由希の言葉や先生に言われたことが、頭の中を駆け巡っていた。

お姉ちゃんはさ、私に比べたら素直で、お母さんとかの言うことも良く聞いて、割と何でもそつなく出来た方だと思うの。それは私にはないところで、それはそれで素晴らしいことだと思う。ただ、それがお姉ちゃんのありのまま、っていうか、お姉ちゃんのだったら全然いいんだけど、もしも何かの代わり、っていうか……うまく言えないんだけどね、何かの形を変えた結果だったとしたら、お姉ちゃん、ちょっと息苦しいんじゃないかな、って。
本当のことを知っている、っていうか本当のことに気付くことが出来るのは、多分お姉ちゃん自身しかいないと思うの……

私のありのまま、って何だろう……今までの私は、何かの代わりの姿、形を変えた結果出来上がった何か、だったのだろうか……

「知らず知らずのうちに、何かを抑え込んでた、何かを出さないようにしてた……今までの私って、そんなことの積み重ねだったの?」

摂食障害という病気は、ある意味では自分自身と向き合うこと、自分自身を見つめ直すことが必要な方がなってしまう病気だと思っています。ですから、それを避けて通ろうとしているうちは、本当の意味での克服は出来ないかもしれません。

自分自身と向き合うこと、自分自身を見つめ直すこと……今の私には、そのことが最も大切なこと?

でも、一人で考えれば考えるほど、周りをなぞるだけで、核心に迫ることが出来ないような気がした。

「今度先生に会ったら、自分自身と向き合うこと、自分自身を見つめ直すことの本当の意味を聞いてみようかなぁ……」

……こんにちは、この2週間は、いかがお過ごしでしたか?摂食障害が克服出来たらやってみたいこと、もし摂食障害になっていなかったらやりたかったこと、あるいは、もし摂食障害に費やすお金や時間が他のことに使えたならやれたこと、やってみたかったこと、などを書くことは、出来ましたか?

「はい、一応、思いついたことは書いてみました。でも、先生のおっしゃった意味とは、ズレてるかもしれません。ちょっと愚痴っぽくなっちゃったんですけど……」

***

みんなで楽しく(美味しいね)って言いながら食べたい

美味しいものを、美味しいと感じて、味わって食べたい

お腹いっぱいになったら(ごちそうさま)って言いたい

みんなとのランチや飲み会が待ち遠しい、って言いたい

食べ物はカロリーや数字じゃなくて食べ物、と思いたい

好きなものを好きなだけ食べることを幸せ、と感じたい

1日の終わりに美味しく食べて飲んで幸せ、と感じたい

辛いことや悩みがあっても、生きてて幸せ、と感じたい

普通に食べて、普通に痩せて、普通に幸せ、と感じたい

摂食障害に振り回されない、普通の生活を手に入れたい

何も考えなくても、笑顔で過ごせる毎日を手に入れたい

私が、私を許して、痩せること、食べることの呪縛から私を解放して、摂食障害の苦しみから抜け出すこと

***

ありがとうございます。なるほど、なるほど。楽しく、美味しく食べること、食べることを幸せと感じること、生きる幸せを感じること、摂食障害の苦しみから抜け出すこと……こんなにたくさん思いついたのですね、素晴らしいじゃないですか!

「そうですか、先生のおっしゃる(やってみたいこと、やりたかったこと)って、例えば仕事のこととか、趣味のこととか、買ってみたい物のことだと思ってたので、何か違うかなぁ……って感じだったんですけど、気が付いたら、こんなことが紙に書いてあったんです。でも、半ば無意識のうちに一気に書いたことだから、今の私の本音なのかもしれない……って思って、そのまま持ってきました」

いいんです、いいんですよ……半ば無意識のうちに一気に書いた、ということは、まさにあなたの本音、今本当にやってみたいこと、やりたかったことなんじゃないでしょうか。確かに、仕事や趣味、食べ物の代わりに買いたい物などを想定はしましたが、そんなことを気にせず自由に、思いつくままに書く、ということがなによりも大切なことなのです。書いた内容よりも、思ったことをそのまま、ありのまま書くことに意味があるのです。

「そうなんですか……それなら良かったです」

ですから、今日は書いていただいた内容について、一つ一つコメントしたり、出来るかどうかなどの検討をしたりすることはいたしません。それよりも、一つお聞きしたいことがあります。先ほどちょっとお話していただいたことと重なるかもしれませんが、これをお書きになった時は、どんな気分でお書きになりましたか。あるいは、どんな気持ちというか、どんな感じがしましたか。

「そうですね……前に先生に(もやもやした思い)を書くように言われた時は、まとめて一気に考えようとしてもなかなか思いつかなくて、思いついた時に一つ一つ書く感じだったんですけど、今回は、さっきも言った通り半ば無意識のうちに一気に書いた感じで、勝手に手が動いたみたいな気がしました。そんなに深く考えなくても、割と短い時間で書けたと思います」

そうでしたか……それでは、頭で思いついたことを紙に書く前に一旦考え直した、というようなことはありましたか。例えば、そのまま書くとおかしいんじゃないかとか、何か言われそうとか、そういうことが気になってしまって思いついたままを書かなかったり、あるいは書けなかったり、というようなことはありましたか。

「う~ん……多分そんなことはなかったと思います。ほとんど思いついたままを書いたんじゃなかったかなぁ……」

そうでしたか。それならば、なお良かった。というのも、以前お話したことがあったと思うのですが、覚えてらっしゃいますか……

おそらくやりたいことや、言いたいことに蓋をして、ご自分の心からの欲求を素直に表現することが出来なかった経験があったのではないかと思います。

過去にそういう経験がおありだったとは思いますが、今回はその経験とは関係なく、ほとんど思いついたままを書くことが出来たのです。つまり、素直に、心からの欲求に従って表現された、と言えると思います。先ほども言った通り、書いた内容よりも、そのことが何よりも素晴らしいことなのです。おそらく、今まで、半ば無意識のうちに言いたいことを言ったり、やりたいことをやったり、という経験は余りなかったのではないでしょうか。頭で思いついたり考えたことも、表現する前に(言ってもいいのだろうか、やってもいいのだろうか)ということを常に考えておられた。もちろん、誰しも思いつくまま、考えたままを言ったりやってみたりすることはそんなにないと思います。ですが、あなたの場合は、表現する前の考える、という行為が、ちょっと慎重に過ぎた、というか周りの反応などを過剰に気にし過ぎていた、ということが常にあったのではないか、と思うのです。結果的に、ご自分の心からの欲求を素直に表現することが出来ていなかった、のではないかと思います。

「そうなんですかね……前にもそのことについてちょっと考えたことがあるんですけど、自分ではそういう自覚があまりないんですよね……」

そうですか……まあ、摂食障害になってしまう方には、そういう自覚がない方が多い、ということはあるかもしれません。摂食障害は、ならなくても良い、なる必要のない病気ですし、おそらく非常に辛く、苦しい病気だと思います。ですが、なってしまった以上、逆にいい機会だと捉えて、自分自身と向き合い、自分自身を見つめ直すことにじっくりと取り組んでみてはいかがでしょうか。

「そう……そのことなんですけど、自分自身と向き合い、自分自身を見つめ直すって、具体的にはどういうことなんですか?何か、わかるようで良くわからなくて……」

そうですね……端的に表現するのは難しいですが、例えば、今回のように(やってみたいこと、やりたかったこと)を書いてみるとか、そういうことを積み重ねることが、自分自身と向き合い、自分自身を見つめ直すことに繋がっていくと思います。ですから、ご自分で良くわからないようでしたら、とりあえず私の言ったことをやってみる、ということでも自分自身と向き合い、自分自身を見つめ直すことになると思います。

「そうですか……そうですね、今までも先生に言われたことをやったり、紙に書いたりしましたが、確かにそういうことって、自分一人ではあまり思いつかないことばかりだったので、それだけでも自分のことをいろいろ考えたり、向き合ったり、見つめ直すことに繋がってるんですね」

そうだと思いますよ。それでは、次回お会いするまでに、またちょっと考えていただきたいことがあります。それは、ご自分の性格的な傾向とか、考え方の特徴などの中で、気に入っているところ、あるいはそれがなかなか見つからないようでしたら、逆に困っているところや出来れば直したいところ、でも構いません。今回のように、出来れば思いつくままを紙に書いてお持ちいただきたいと思います。

「性格や考え方の特徴、ですね……わかりました、ちょっと考えてみます」

自分の性格で気に入っているところ、なんてないような気がした。そもそも、思いついたことや、人に言われて(それいい、今度試してみよう)と思ったことでも、素直に行動に移せない自分が嫌だった。

痩せることも、食べることも、そのほかのいろいろなことも、どこかで何かのフィルターみたいなものを通さないと、次に進まないような、そんなもどかしさがあった。


自分を認めて、否定しない

自分を許す

出来ない自分を許し、救いの道を自ら作る


……そんな、いい思いつきや考え方、先生に言われたことも、


自分の考えに振り回されている、マイルールで自分を縛ってしまっている

自分から逃れられない

私が私自身に追われている

自分で自分を追い詰めている

全てに完璧を求めるから(完璧主義)、結局何一つ思い通りにならなくて、ますますイライラして、落ち込んで、自分のことを責め続けてしまう

自分の中に、両極端な価値観の自分が存在していたり、完璧主義みたいな、0か100かみたいな考え方の自分に追い詰められたり、縛られたりしてしまう


自分の中にある、逃れることが出来ない、厄介なフィルターが邪魔をして、素直に考えられなくて、なかなか行動に移せない、そんな気がした。

「結局は自分との戦いだし、自分自身が最大の難敵だし、自分が変わらなきゃ何も変わらないんだろうなぁ……」

私の思考回路の行き着く先は、回り回って結局いつもいつも同じところにしか辿り着かないような気がした。

「こういうループにハマると、本当に何やってんだろう、結局何も変わらない、って思っちゃう……そもそも、そう考えること自体を直したいくらい……」

自分の性格や考え方の特徴なんて、その全てに困り果ててるし、出来れば全部直したかった。

以前、先生にこう言ったことがあった。

「自分のことや、自分の考え方や、自分の価値観は、そんなすぐに変えることって、なかなか出来ないことなんじゃないかな……って思ったんです。そりゃあ、根本的に、180度変えることがもし出来れば、自分自身の中にある悩みの種は、なくなるのかもしれません。でもそれは、多分無理なんじゃないかな、って気がしてきたんです。そのことが、先生がおっしゃっていた(自分自身が、自分のことをありのままに受け止めて、認めてあげる)ことなのかどうかはわからないですけど、とにかく今は、今出来ることを一つ一つ積み重ねていこう、諦めないで前向きに切り替えていこう、って思うようにしています」

自分の性格や考え方だって、直るものなら直したいし、変えられるものなら変えたい。でも、そんな理想通りにうまくいくことなんて、なかなかない、ということもわかっていた。

だからせめて、いつもいつも同じところをぐるぐると回っているだけの、何の進歩もないような考え方だけでも変えたかった。

「でも、自分が自分のことを諦めてしまったら、突き放してしまったら、見捨ててしまったら、それ以上変わることも、直すことも出来ないんじゃないかなぁ……」

そうは思っても、現実には答えのないようなことばかりが頭の中を駆け巡っていた。


私は、どこに行こうとしてるんだろう。

私は、何を目指してるんだろう。

私は、何を考えてるんだろう。

私は、何をやってるんだろう。

私は、何になりたいんだろう。

私は、何なんだろう……


いくら考えても、私の中からは何も出てこないような気がした。

思うような自分になれないのなら、性格や考え方を変えることが出来ないのなら、理想を目指したり、自分を変えようとして、うまくいかなくて落ち込んだり、イライラするよりも、そんなすぐには変わらない、と思って、ほんの少しでも理想に近づいたり、変えられた時に喜んだり、自分を褒めたりした方が、ストレスが溜まらない、のかもしれない。

「そうだよね、どうせ自分のことなんて、思い通りになんかならないんだから、(ならない、出来ない、変わらない)ことに目を向けてイライラするくらいなら、ほんの少しでもいいから(なった、出来た、変わった)ことに目を向けて、小さいかもしれないけど喜んだり、自分を褒めたりする方が、よっぽど今の私にとっては現実的かも」

そうは言っても、いいことを思いついたらすぐに気持ちを切り替えて、前向きな状態が続く訳でもないけれど。でも、そんなことはわかり切ってること。今までさんざんいろんなことを考えてはその通りにならなくて、落ち込んで、ダメな自分に気付かされてきたっけ。考え方が負のループにハマってしまうことだって、何度も経験してきたし。それでも私は摂食障害を克服したいし、過食嘔吐をやめたい。だから、だから……諦めないで、今出来ることを一つ一つ積み重ねる。そして、それを続ける。諦めないで続けること……それが唯一の摂食障害を克服する方法だと信じて……

「ああ、でも今日もいろいろなことを考えてたら、疲れちゃったし、だんだん何か食べたくなってきちゃった……いやいや、これだけさんざん考えて、時間も経ったんだから、お腹が空いても、食べたくなっても当たり前、でしょ?堂々と買い物に行って、食べたいだけ食べよう!」

摂食障害と長く付き合う(付き合わなければならない)のなら、どこかのタイミングで気持ちを切り替えること、ある意味潔く諦めること、そして、心や身体のシグナルに素直に従うこと……そんなことが必要であり、大切なことのような気がした。

同じ過食用の買い物でも(食べたくなっても当たり前、でしょ?)って思って堂々とするのと(結局今日も買い物に来ちゃった……)って、後ろめたい気持ちでするのとでは、やっぱり気分が違った。

(食べたくなっても当たり前、でしょ?)って思って堂々と買い物をしてると、何となく許されたような気がして、いつもよりゆっくりと食べたい物を選べてるようだった……そう、自分で自分のことを許すことが出来る……これがそういうことなのかもしれなかった。

「そんなことをあれこれ考えても、結局吐いてしまうんだから、同じような気もするけど……」

でも、もしかしたら微妙に違うのかもしれない。いつか先生も、確かこんなことを言っていた。

食べたいものを買って食べる、ということをやってみた経験は、ご自分の素直な欲求に耳を傾けて、自分のことを満たしてあげた、自分のことを大切に扱った、ということに繋がります。まずは、そういうことを積み重ねて、とにかくご自分を第一に、大切になさってください。

自分を満たす……たとえ吐くために食べるとしても、その瞬間、その瞬間で自分のことを大切にして、満たすこと……そのことが、そのことの積み重ねが、もしかしたら大切なことなのかもしれない。

「本当のことは良くわからないけど、摂食障害って、もしかしたら何か満たされない思いを埋め合わせるために、痩せることに拘って、痩せることでその何かを満たそうとしている、そんな代償行為みたいなものなのかなぁ・・・」

だとしたら、私が、私自身を満たすこと、本当の意味でそのことが出来た時に、もしかしたら摂食障害も、過食嘔吐も克服することが出来るのかもしれない……

今日も、眩しいくらいの月の明かりが、暗くなった部屋を照らしていた。

私にとっての満たされない思いって、何なんだろう……そういえば、由希にこんなことを言われたこともあった。

お姉ちゃんはさ、私に比べたら素直で、お母さんとかの言うことも良く聞いて、割と何でもそつなく出来た方だと思うの。それは私にはないところで、それはそれで素晴らしいことだと思う。ただ、それがお姉ちゃんのありのまま、っていうか、お姉ちゃんのだったら全然いいんだけど、もしも何かの代わり、っていうか……うまく言えないんだけどね、何かの形を変えた結果だったとしたら、お姉ちゃん、ちょっと息苦しいんじゃないかな、って。

それに、以前先生にも

おそらくやりたいことや、言いたいことに蓋をして、ご自分の心からの欲求を素直に表現することが出来なかった経験があったのではないかと思います。

と言われたことを思い出して、

もう、みんなに受け入れられようと必死に合わせたり、取り繕わなくても、周りの目とか、人からどう思われるかを自分を見失うほど気にし過ぎなくても、きっといいんだよね

って、考えたこともあった。

今までの私って、ありのまま、素の自分じゃなくて、周りの目を気にして取り繕ってた、何かの代わり、形を変えた結果の姿だったとしたら、そんな自分を埋め合わせるために、痩せることに拘って、痩せることで自分を満たそうとしていたのかもしれない……確かに、周りの目や人からどう思われるか、ということは、自分の力じゃどうにも出来ない、自分でコントロール出来ないことだけど、痩せることや日々の体重は、自分が頑張れば頑張っただけ、確実に結果が伴うし、成果を客観的に確認することが出来る。だから、痩せることに拘って、痩せることに依存することで、満たされない思いに対して見て見ぬふりをしてきたのかもしれない……

先生に何度も言われた言葉を思い出していた。

自分自身と向き合い、自分自身を見つめ直す

今の私にとって、時間をかけて取り組む必要があるのは、そのことかもしれない……

昨日から考えていることが、今の私にとってはとても重要で、大切なことのような気がしていた。それが摂食障害を克服すること、過食嘔吐をやめられることに繋がるのかはわからないけど、でも頑なで、こんがらがってしまった思考回路をほどいていくヒントや、ほんの少しでも前に進むための足掛かりになるのではないか、と思っていた。

頭の中では、由希の言っていた言葉と、先生からのアドバイスが駆け巡っていた。

本当のことを知っている、っていうか本当のことに気付くことが出来るのは、多分お姉ちゃん自身しかいないと思うの。
摂食障害という病気は、ある意味では自分自身と向き合うこと、自分自身を見つめ直すことが必要な方がなってしまう病気だと思っています。ですから、それを避けて通ろうとしているうちは、本当の意味での克服は出来ないかもしれません。

「先生は、最大限のサポートはしてくれるけど、最終的に摂食障害を克服するのは私自身。そのためにどうすればいいのか、ということ、どうしたいのか、ということに気付くことが出来る、気付かなければならないのは、誰でもない私自身、ということなのかなぁ」

それともう一つ、自分でコントロール出来ること、自分の力で思い通りになることなんて、もしかしたらほとんどなくて、いやもしかしたら一つもないのかもしれない……そのことにも気付かなければならないのでは、認めなければならないのでは、受け入れなければならないのでは、と思っていた。

体重なら、自分の思い通りになる、完璧にコントロール出来る……そんな思いは、儚い幻想だった。ほんの一瞬だけ達成出来た自己新記録。

そのことは、残念だけど、悔しいけれど、認めたくないけど、受け入れなければならない……のかもしれない。

世の中では、社会では、人と関わって生きていかなければならない。だとしたら、人との関わりの中で、自分の思い通りになることなんてほとんどなくて、思い通りにならないことばかり。自分のことだって、完璧にコントロール出来ることなんて、もしかしたらないのかもしれない・・・そう思うことで、出来た時は嬉しくて、喜んで、自分を褒めることが出来る。そう考えることが、もしかしたら幸せな生き方なのかもしれない……

完璧主義、完璧を追い求める私……

0か100か、みたいな極端な思考……

どっちも、摂食障害を克服しようとする私を、邪魔する存在だった。

そんなことは、いい加減わかり切っていた。でも、それでも完璧主義を手放したり、0か100かみたいな考え方をやめる、ということがどれだけ大変で、実現することが難しいことだということも、同じようにいい加減わかり切っていた。

答えは、もう、すぐそばにあるのに、最後の一歩が果てしなく遠いような、出来そうで出来ないような、そんなもどかしさ、掴みどころがないような虚しさを感じていた。

「自分のことさえ、完璧にコントロール出来る訳ではない……そのことは、頭では十分わかってるつもり。でも、でも、でもやっぱり、どこかで完璧を追い求める自分がいる。そんな自分自身とどうやって話し合って、折り合いをつけるか、落としどころを探るか、妥協点を見いだせるか……全ては、そこにかかっているのかも」

どうしたら自分自身と話し合って、折り合いをつけたり、落としどころを探ったり、妥協点を見いだせるか……由希の言葉を借りれば、多分その(どうしたら)に気付くことが出来るのは私しかいない、ということになる。それがわからなくて悩んでるのに、一体どういうことなんだろう……でも一方で、答えは、もう、すぐそばにあるような感じもしている。

「何か最近、難しいこと考えてばっかりで、頭がパンクしそう……誰か答えを教えて……」

でも、きっと答えは誰かが教えてくれるものじゃなくて、自分自身の中にあるはず。難しいけど、もどかしいけど、そこに辿り着くまで諦めないで、今出来ることを続ける。それしかないのかもしれない……

「もしも答えが自分自身の中にあるとしたら、私は今まで何をしてきたんだろう……何か、初めの頃の考えに戻ってきちゃった気がするんだけど……」

摂食障害になった初めの頃、考えていたことを思い出していた。

摂食障害は意志の問題ではなく、病気だという。だけど、食べるのも、食べないのも、過食するのも、吐くのも、全て自分の意志で選んで、やっていること。だったら、自分が過食嘔吐をしなければいいだけ、のような気もする。とは言っても、それが出来ないんだけど……

確かに、摂食障害は意志の問題ではなくて、病気だと思う。実際、どれだけやめたくても、未だに過食嘔吐をやめることは出来ないのだから、相当厄介で、難しい病気なんだと思う。だけど、どんなに病気だと言われても、最終的に買い物に行くことや、大量に食べ物を買うこと、そして一つ一つ食べ物を食べることや、その後吐くことを選んで、実行しているのは、ほかの誰でもない自分自身だ。誰かに命令されて、逆らえなくて、自分の意思とは関係なく買い物をしたり、過食嘔吐をしている訳ではない。そんな、自分自身をコントロール出来ない私の中に、一体どんな答えがあるというのだろう……

「でも、もしかしたら、そんなわかるようでわからないことも全部ひっくるめて考えたりすることが、答え、というか克服に繋がっていくのかな」

今まで、余り意識していなかった、意識してこなかった

自分自身と向き合い、自分自身を見つめ直す

ということに、摂食障害になってしまったことをきっかけとして、時間をかけて取り組む。今の私にとって必要なのは、結局そういうことなのかもしれない。

摂食障害という病気は、ある意味では自分自身と向き合うこと、自分自身を見つめ直すことが必要な方がなってしまう病気だと思っています。ですから、それを避けて通ろうとしているうちは、本当の意味での克服は出来ないかもしれません。

先生の言っていた言葉が、ほんの少しだけわかってきたような気がした。

今まで先生に言われて、紙に書いて持っていったこと……

食べることや痩せること以外で、何かもやもやした思いを抱えているようなこと、例えばそれは子供の頃のことや家族関係のこと、あるいは職場の人間関係や友人関係のこと
今後摂食障害が克服出来たらやってみたいこと、もしくは、もし摂食障害になっていなかったら、やりたかったこと、もし摂食障害に費やすお金や時間が他のことに使えたならやれたこと、やってみたかったこと
自分の性格的な傾向とか、考え方の特徴などの中で、気に入っているところ、あるいはそれがなかなか見つからないようでしたら、逆に困っているところや出来れば直したいところ

これらのことを、もう一度じっくりと時間をかけて考えてみる。きっと、そんなことが

自分自身と向き合い、自分自身を見つめ直す

ということに繋がるんだろうし、もっともっと深く考えていけば、そのことだけでも十分自分自身と向き合い、自分自身を見つめ直すことになるんだろうな……

「そういえば、先生も以前そんなようなことを言ってたっけ。何か、いろんなことを考えてると、大事なことも忘れちゃうよね……」

(やってみたいこと、やりたかったこと)を書いてみるとか、そういうことを積み重ねることが、自分自身と向き合い、自分自身を見つめ直すことに繋がっていくと思います。ですから、ご自分で良くわからないようでしたら、とりあえず私の言ったことをやってみる、ということでも自分自身と向き合い、自分自身を見つめ直すことになると思います。

最近は、買い物や過食嘔吐の頻度が明らかに減ったという感覚はなかったけど、そうやっていろいろと考え事をする時間がとれるようになってきたし、四六時中食べることと痩せることが頭から離れなくて、振り回されている感覚が、以前よりほんの少しだけ弱まっている気がした。

「理由はともかく、食べることや痩せることしか考えられない状態から、ほんの少しでも解放されるのなら、難しいことを考える時間も悪くないかも……それに、そのことが摂食障害の克服、過食嘔吐をやめられることに繋がるのなら、それはそれでいいことだし。まあ、それでイライラしちゃって食べたくなったら、その時は(それが今の私に出来ること)って割り切って、食べればいいんだし……」

今夜も、月の光が暗い部屋に差し込んでいた。それが、希望の光だと信じたかった。

今まで先生に言われて、紙に書いて持っていったことを、改めて見直してみることにした。

食べることや痩せること以外で、何かもやもやした思いを抱えているようなこと、例えばそれは子供の頃のことや家族関係のこと、あるいは職場の人間関係や友人関係のこと

周りのみんなから嫌われたり、無視されるんじゃないかって、いつもそんなことばかりが気になって、それが怖くてみんなに合わせていたこと。

(嫌)って言ったり断ったりすることが苦手で、割と何でも引き受けちゃうことが多かったこと。

自分が無理をしてまで人に合わせることや、頼まれたことを断らずに引き受けることがあったこと。

みんなに受け入れられようと必死に合わせたり、取り繕わなくてもいい気がしたこと。

周りの目とか、人からどう思われるかを自分を見失うほど気にし過ぎなくてもいい気がしたこと

***

今後摂食障害が克服出来たらやってみたいこと、もしくは、もし摂食障害になっていなかったら、やりたかったこと、もし摂食障害に費やすお金や時間が他のことに使えたならやれたこと、やってみたかったこと

みんなで楽しく(美味しいね)って言いながら食べたい

美味しいものを、美味しいと感じて、味わって食べたい

お腹いっぱいになったら(ごちそうさま)って言いたい

みんなとのランチや飲み会が待ち遠しい、って言いたい

食べ物はカロリーや数字じゃなくて食べ物、と思いたい

好きなものを好きなだけ食べることを幸せ、と感じたい

1日の終わりに美味しく食べて飲んで幸せ、と感じたい

辛いことや悩みがあっても、生きてて幸せ、と感じたい

普通に食べて、普通に痩せて、普通に幸せ、と感じたい

摂食障害に振り回されない、普通の生活を手に入れたい

何も考えなくても、笑顔で過ごせる毎日を手に入れたい

私が、私を許して、痩せること、食べることの呪縛から私を解放して、摂食障害の苦しみから抜け出すこと

***

それからこれは、今度持っていく分だけど……

自分の性格的な傾向とか、考え方の特徴などの中で、気に入っているところ、あるいはそれがなかなか見つからないようでしたら、逆に困っているところや出来れば直したいところ

いい思いつきや考え方

自分を認めて、否定しない

自分を許す

出来ない自分を許し、救いの道を自ら作る


困っているところや出来れば直したいところ

自分の考えに振り回されている、マイルールで自分を縛ってしまっている

自分から逃れられない

私が私自身に追われている

自分で自分を追い詰めている

全てに完璧を求めるから(完璧主義)、結局何一つ思い通りにならなくて、ますますイライラして、落ち込んで、自分のことを責め続けてしまう

自分の中に、両極端な価値観の自分が存在していたり、完璧主義みたいな、0か100かみたいな考え方の自分に追い詰められたり、縛られたりしてしまう


答えが見つからなくて、困っていること

私は、どこに行こうとしてるんだろう

私は、何を目指してるんだろう

私は、何を考えてるんだろう

私は、何をやってるんだろう

私は、何になりたいんだろう

私は、何なんだろう


摂食障害を克服しようとする私を、邪魔すること

完璧主義、完璧を追い求める私

0か100か、みたいな極端な思考

***

こうやって、改めて並べて読んでみると、よくこれだけ考えられたなぁ……と、自分のことながら感心してしまった。

「多分私一人では、これだけのことを考えることは出来なかった。これも、先生という存在、先生と係わること、もっと言えば摂食障害になってしまったから考えることが出来たこと。これをきっかけに

自分自身と向き合い、自分自身を見つめ直す

ということに、時間をかけて取り組んでみる。本当にそのことが大切で、今の私にとって必要なことなのかもしれない……」

「私って、こんな顔だったっけ?」

毎朝見ているはずなのに、今日はなぜだかまじまじと見てしまった。肌は荒れてカサカサだし、クマも目立つ。何より、目の周りが落ちくぼんでいて、瞳がやけに大きく見えた。それに、ほうれい線も歳の割には深く刻まれていた。

「これじゃあ、痩せてきれいになる、っていうより干からびてる・・・」

自分自身と向き合い、自分自身を見つめ直す

これはもちろん、自分自身の内面と向き合い、今までの価値観や生き方を見つめ直す、ということだと思うけど、それより先に、鏡の中の自分と向き合うことで、自分自身を見つめ直す必要があるかもしれない、ということに気付かされたようだった。

「ホントまじまじと見ると、結構ヤバいかも。冷静に考えても20代には見えないし・・・」

それでもすぐには(痩せたい)思いを手放せない自分がいた。

「でもやっぱり太りたくはないし、出来れば痩せていたい。ああでも、さすがにこの顔じゃあ、もしかしたら限界かもしれない・・・」

心の中では、激しい葛藤が起こっていた。

太ることへの恐怖

食べることへの恐怖

痩せていることへの憧れ

痩せていることでの優越感

それと同時に

干からびた顔

40代かと思うような顔つき

彼氏もいない現実

頭の中が、混乱していた。


私は、一体何がやりたいんだろう

私は、一体何になりたいんだろう

私は、一体何をやっているんだろう

私は、一体何を目指しているんだろう


痩せることは、間違っているんだろうか

痩せることは、大切なことなんだろうか

痩せることは、必要なことなんだろうか

痩せることは、いけないことなんだろうか

痩せていても、幸せにはなれないんだろうか

痩せることって、一体何を意味してるんだろうか

痩せることって、私にとって、私の何なんだろうか……


いつまでもいつまでも、鏡の中の自分に問いかけていた。でも、鏡の中の自分は、私と同じしぐさを繰り返すばかりで、明確な答えを与えてくれはしなかった……

私は、痩せることで、安心したいんだろうか

私は、痩せることで、何かを手に入れられるんだろうか

私は、痩せることで、自分の中の何かを満たしたいんだろうか

私は、痩せることで、自分の中の足りない何かを埋め合わせたいんだろうか

私は、痩せることで、自分の中の欠けてる何かを埋め合わせたいんだろうか

私は、痩せることに、頼っているんだろうか

私は、痩せることに、依存しているんだろうか

私は、痩せることに、すがっているんだろうか


私は、痩せ続けることで、安心出来るんだろうか

私は、痩せ続けることで、何かを手に入れられるんだろうか

私は、痩せ続けることで、自分の中の何かが満たされるんだろうか

私は、痩せ続けることで、自分の中の足りない何かを埋め合わせられるんだろうか

私は、痩せ続けることで、自分の中の欠けてる何かを埋め合わせられるんだろうか

私は、痩せ続けることに、一生頼っていられるんだろうか

私は、痩せ続けることに、一生依存していられるんだろうか

私は、痩せ続けることに、一生すがっていられるんだろうか


痩せた先には、一体何があるのだろうか

痩せた先には、一体何が待っているのだろうか

痩せた先では、一体何が変わるのだろうか

痩せた先では、一体どこに辿り着けるのだろうか……


「私……私……私は、何?……何がしたいの?……何になりたいの?……何を目指してるの?」


痩せてきれいになる、っていうより干からびてる自分

20代には見えない自分

40代かと思うような顔つき……


私が、ずっとずっと必死になって守っていたもの

私が、ずっとずっと必死になって追い求めていたもの

私が、ずっとずっと拘り続けていたもの……

それは、結局何だったんだろう……

摂食障害になってしまって、過食嘔吐がやめられなくなって、もう随分時間が過ぎたけれど、湧き上がる疑問に何一つ明確に答えることは出来なかった。

……こんばんは、この2週間は、いかがお過ごしでしたか?ご自分の性格的な傾向とか、考え方の特徴などの中で、気に入っているところ、あるいはそれがなかなか見つからないようでしたら、逆に困っているところや出来れば直したいところ、などを書くことは、出来ましたか?

「はい、一応書いてきました」

***

いい思いつきや考え方

自分を認めて、否定しない

自分を許す

出来ない自分を許し、救いの道を自ら作る

困っているところや出来れば直したいところ

自分の考えに振り回されている、マイルールで自分を縛ってしまっている

自分から逃れられない

私が私自身に追われている

自分で自分を追い詰めている

全てに完璧を求めるから(完璧主義)、結局何一つ思い通りにならなくて、ますますイライラして、落ち込んで、自分のことを責め続けてしまう

自分の中に、両極端な価値観の自分が存在していたり、完璧主義みたいな、0か100かみたいな考え方の自分に追い詰められたり、縛られたりしてしまう

答えが見つからなくて、困っていること

私は、どこに行こうとしてるんだろう

私は、何を目指してるんだろう

私は、何を考えてるんだろう

私は、何をやってるんだろう

私は、何になりたいんだろう

私は、何なんだろう

摂食障害を克服しようとする私を、邪魔すること

完璧主義、完璧を追い求める私

0か100か、みたいな極端な思考

***

ありがとうございます。さすがに、ご自分の性格や考え方に関することなので、たくさん思いついたようですね。とにかく、思いついたままをひたすら書き出す、ということにも意味がありますので、非常に素晴らしいと思います。

「何か、全然まとまりがないんですけど、とにかく思いつくままに書いた、という感じです」

それでいいんです。うまくまとめよう、とかそんなことを気にせずに、とにかく頭に浮かんだことを書く感じでいいのです。これを見ると、完璧を追い求める自分を許すこと、一方ではこの先どうありたいか、ということに悩んでおられること、などが窺えますね。

「そうですね……最近は、何で私ってそんなに痩せることに拘ってるんだろう、って考えることがあって。今でも痩せたい、太りたくないという気持ちはあるんですけど、何でそこまで拘って、必死になって追い求めてるんだろう、って思うことがあるんですよね……」

そうですか、なるほど。痩せたい、と思う一方で、何で痩せることに拘っているのか、と思うこともある、と。

「はい、あの、自分でもよくわからない部分もあって、うまく説明出来ないんですけど……言ってることは矛盾してるとは思うんです。ただ、何ていうか、例えば毎晩体重を測る時とか、仕事中のお昼みたいに吐かずに何かを食べた時とか、その時その時だったり、昨日より今日、明日みたいなその瞬間は痩せたいし、痩せてれば安心するし、太ったら嫌だし、痩せ続けていたい、って思うんです。でも、今までずっとずっと痩せたくて、先生のアドバイスを受けたり、自分で無茶な食事制限をしたり、挙句の果ては過食嘔吐をしてまで痩せることに拘って、必死になって追い求めてきたんですけど、それって何なんだろう、って。私にとって痩せることって、どんな意味があるんだろう、って。痩せて何になりたいんだろう、って。そんなことを考えることもあるんです」

そうですか。日々の生活の中では痩せていることで安心するし、痩せていたい、という思いがあるものの、そのことがご自分にとって何を意味するか、みたいなことがよくわからない、という感じですか?

「そうですね、私何してるんだろう……って。多分、何かもう、疲れちゃったのかもしれない。摂食障害であることにも、過食嘔吐をやめられないことにも、痩せることや食べることに振り回されることにも、痩せ続けることにも。それと、そんなことを考え続けることにも」

そうですか、疲れてしまったのですね……

「私、自分の顔って毎朝鏡で見てるんですけど、この前たまたまじっと見てたら、痩せてきれいどころじゃなくて、干からびてる、って思ったんです」

干からびてる……

「すっぴんだと肌は荒れてカサカサだし、クマも目立つし、目の周りは窪んでるし、ほうれい線も目立つし。これじゃあ40代って言われてもおかしくないかも、って。その時思ったんです、私って、一体何やってるんだろう、って」

なるほど、ご自分のお顔をじっと見てたら、いろいろと思うことがあったのですね……

「そうですね……

私が、ずっとずっと必死になって守り続けていたもの

私が、ずっとずっと必死になって追い求めていたもの

私が、ずっとずっと必死になって拘り続けていたもの

それって、結局何だったんだろうなぁ……って」

そうですか。痩せることや、過食嘔吐をしてまで痩せたいと思うこと、に対して(これでいいのかな)という感じが強くなってきた、というところでしょうか……ご自分でも、薄々はおわかりかと思いますが、痩せることや、食べたいだけ食べる、ということは、本来あなたが最もやりたいこと、もっと大げさに言えば、あなたの人生において最も大切なこと、ではないはずです。少なくとも痩せること、というのは、本来は別に目的があって、○○のために〇キロ痩せたい、というものだと思います。あなたも含めて摂食障害のみなさんに多くみられる、ただ痩せたいとか、○○キロ代になりたいみたいな、痩せるために痩せる、というような思いは、やはり摂食障害という病気特有の考え方だと思います。あなたが、そういった考え方に(これでいいのかな)と疑問を持ち始めた、ということは、

あなたが守り続けるべきもの

あなたが追い求めるべきもの

あなたが拘り続けるべきもの

が、痩せることや、食べたいだけ食べる、ということではなくて、何か別のところにある、ということであり、それを、

自分自身と向き合い、自分自身を見つめ直す

ということに、時間をかけて取り組んで、見つけていく、ということが必要になってきた、そういう時期に差し掛かってきた、ということだと思います。

「はあ……そうなんですか」

そうですね、そうだと思いますよ。もちろん、慌てたり、焦ったりする必要は全くありませんが、ご自分の人生において最も大切なことって、何なんだろう……というようなことを考えることで、逆に痩せることや、食べたいだけ食べる、ということがご自分にとって何なのか、ということも見えてくると思いますよ。ですから、同じことの繰り返しになってしまいますが、

今出来ることを一つ一つ積み重ねる

諦めることなく克服に向かう姿勢を持ち続ける

それが摂食障害を克服する唯一の方法だと信じて、時間をかけて取り組んでいきましょう。

「先生、痩せることや、食べたいだけ食べる、ということが、本来やりたいことや、人生において最も大切なことではない、ということは何となくわかるんですけど、じゃあ逆にやりたいことや、私の人生において大切なことって、何かと言われても、何だかわからないし、そんな壮大なことって、すぐに見つかるものなんですか?」

そうですね・・・確かにそんなすぐに見つかるものではないかもしれません。ですが、今のあなたにとって大切なことは、

あなたが守り続けるべきもの

あなたが追い求めるべきもの

あなたが拘り続けるべきもの

が、痩せることや、食べたいだけ食べる、ということではなくて、何か別のところにある、ということであり、あなた自身がそのことに気付き始めている、ということなのです。ですから、人生において大切なことが明確になるかどうかや、すぐに見つかるかどうかが最も大切なこと、ではないのです。痩せることや、食べたいだけ食べる、ということではない何か、あるいは痩せることや、食べたいだけ食べる、ということよりも大切なことがあるのではないか、ということに気付き始めている、考えることが出来るようになってきた、ということが、今のあなたにとって大切で、必要なことなのです。

「そうなんですね……だったら、今まで私が考えていたこと、あれこれ堂々巡りみたいなことをやっていたことも、何かに繋がるんですかね」

もちろん、もちろんそうです。決して無駄なことなんてありません。どうしても痩せたいことから始まって、痩せることと食べることの価値観に挟まれて悩んだり、過食嘔吐をしてまで痩せたくなったり、それからずっとずっと考えていたこと、やってみたこと、それらの全てがこれからの人生に繋がっていくのです。大げさかもしれませんが、何一つ無駄なことなんてありませんよ。

「そうですか、そう言っていただけると、何だか今までの自分を否定しなくて済みそうです……」

否定することなんて、ありませんよ。辛く、苦しい時期があったからこそ、気付くこともあるのです。その辛さや苦しさを、ほんの少しでもこれからの人生に活かしていきましょう。これからです、これからいろいろと考えていきましょう。

「そうですね、そうなるといいんですけど。摂食障害だったことが、これからの人生において、何かしらプラスになる……そんな瞬間が訪れる日が、来るんでしょうか」

そんな日が来るかどうか、ということよりも、今まで考えてきたことややってみたこと、苦しかったことや辛かったこと、あるいは余りなかったかもしれませんが嬉しかったことや楽しかったことなどを、これからの人生が幸せだと感じられることに繋げていくのです。考えや経験を活かしていくのです。

「これから先、人生が幸せだと感じられるようになるんですかね……何か、辛くて苦しいことばっかりで、全然そんな想像が出来ないんですけど」

もちろん、仮に摂食障害を克服したとしても、人生に、あるいは生きるということに、辛いことや苦しいことが全くなくなる訳ではありません。ですが、痩せることや食べることに振り回されて24時間を過ごすような日々よりは、幸せだと感じられることが必ずあると思いますよ……私は、摂食障害はなる必要のない、ならなくてもいい病気だと思っています。ただ、なってしまった以上、その辛く、苦しい経験を何かしらプラスになることに繋げてほしいし、出来ることなら克服して、再び食べることの楽しみや喜びを取り戻していただきたい、そう思っています。あなたは、

痩せることや、食べたいだけ食べる、ということではない何か、あるいは痩せることや、食べたいだけ食べる、ということよりも大切なことがあるのではないか、ということに気付き始めている、考えることが出来るようになってきた

ですから、確実に摂食障害克服に向けて一歩一歩近づいていると思いますし、そう遠くはない時期に克服したり、再び食べることの楽しみや喜びを取り戻せるのではないか、と思います。とはいえ、この病気には波があります。良くなってきた、と思ってもまた元に戻ってしまった、と感じることもあると思います。慌てず、焦らず、諦めず。今出来ることを一つ一つ積み重ねる。そして、諦めることなく克服に向かう姿勢を持ち続ける。そのことを忘れずに、時間をかけて取り組んでいきましょう。

「そうですか、そうだといいんですけど……ああでも、そうだと信じたい、信じていたいです」

そうですね、信じる、ということも大切なことだと思いますよ。それでは、次回お会いするまでに、またちょっと考えていただきたいことがあります。それは、痩せること、食べることは、あなたにとって何なのか、どんな意味があるのかなど、おそらく今までたくさん考えて、悩んでこられたことだとは思いますが、ここで改めて思いつくままを紙に書いてお持ちいただきたいと思います。

「痩せること、食べること……ですね、わかりました」

「痩せること、食べること……かぁ……」

この前も、先生に

「今までずっとずっと痩せたくて、先生のアドバイスを受けたり、自分で無茶な食事制限をしたり、挙句の果ては過食嘔吐をしてまで痩せることに拘って、必死になって追い求めてきたんですけど、それって何なんだろう、って。私にとって痩せることって、どんな意味があるんだろう、って。痩せて何になりたいんだろう、って。そんなことを考えることもあるんです」
「そうですね、私何してるんだろう……って。多分、何かもう、疲れちゃったのかもしれない。摂食障害であることにも、過食嘔吐をやめられないことにも、痩せることや食べることに振り回されることにも、痩せ続けることにも。それと、そんなことを考え続けることにも」

と、話してきたばかりだった。

「私にとって痩せることには、本当に何なんだろう……どんな意味があるんだろう……」

軽い気持ちで(いや、自分の中では決して軽くはなかったけど)始めたダイエットのつもりが、いつの間にか痩せたくて仕方がなくなってしまった。

痩せたくて、痩せたくて、痩せたくて。ただ痩せたくて、昨日よりも痩せたくて。

痩せることに拘って、囚われて、振り回されて、追い立てられて、逃げられなくなって、過食嘔吐を覚えた。

それからは、食べることは吐くこと、詰め込むこと……楽しみ半分、苦しみ半分になってしまった。いや、苦しみしかないかも。

そして今、痩せたい気持ちがなくなった訳ではないけど、必死になって追い求めることに疑問を感じ始めていた。

「私にとって、痩せること、痩せたいって、全てを犠牲にして追い求めることではないのかもしれない……」

私にとって、痩せること、痩せたい気持ち、痩せ続けることは、

これからも、ずっとずっと必死になって守り続けていくもの

これからも、ずっとずっと必死になって追い求めていくもの

これからも、ずっとずっと必死になって拘り続けていくもの

ではないのかもしれない、ということは何となく感じていた。ただ、そうは言っても、そのことと、

痩せなくてもいい、太っても仕方がない、気にしない

好きな物を、好きなだけ食べても、吐かなくてもいい

というように、すぐに気持ちを切り替えられるかどうか、ということは、また別の問題のような気がした。

「でも、何かもう、何もかもに疲れちゃったのは、確実。摂食障害であることにも、過食嘔吐をやめられないことにも、痩せることや食べることに振り回されることにも、痩せ続けることにも。そして、そんなことばかり考えている自分にも、考えたくないのに考えてしまう自分にも、考えることがやめられない自分にも……本当に疲れちゃった

そんな、疲れ切った自分を解放して、許して、休ませることがなかなか出来なかった。

「何か、漠然とだけど、後もう少し、ほんの少しだけでももう一歩が踏み出せたら、ほんの少しだけでももう一つ吹っ切れたら、自分を解放して、許して、休ませることが出来るような気がするけど、その何かが何なのかがわからない……あぁ、もどかしい」

そして、その何かを掴むこと、その何かに辿り着くことが、摂食障害克服に大きく関係しているんじゃないか、という気がしていた。

痩せることや、食べることについてのマイルール、疲れ切ってしまうほどのマイルール、本当はそこに大した意味なんかないかもしれないマイルールで自分を縛っているのも自分。

そして、そんな疲れ切った自分を解放して、許して、休ませることが出来るのも自分。

だとしたら、やっぱりどこかで何かを切り替えたり、自分の中で何かが吹っ切れたり、相反する価値観のせめぎ合いの折り合いをつけたりという、何かしらもう一歩のプラスαが必要な気がした。

「確か、前に由希に言われたことがあったっけ……

本当のことを知っている、っていうか本当のことに気付くことが出来るのは、多分お姉ちゃん自身しかいないと思うの……

そのことに気付くことが出来るのは、私しかいないのかもしれない……それはそうかもしれないけど、でもどうやったら気付くことが出来るんだろう……」

先生が言っていた言葉を思い出していた。

この病気には波があります。良くなってきた、と思ってもまた元に戻ってしまった、と感じることもあると思います。慌てず、焦らず、諦めず。今出来ることを一つ一つ積み重ねる。そして、諦めることなく克服に向かう姿勢を持ち続ける。そのことを忘れずに、時間をかけて取り組んでいきましょう。


すぐに答えを求めても、仕方がないのかもしれない。ある日突然、朝起きたら何もかもが一変していて、すっかり良くなっていて、何も気にせずに(普通に)食べることが出来る、食べることが楽しくて、食べる喜びを感じている……そんなことは現実には起こらないということは、頭ではわかっているつもりだった。

「ああ、でも、そんな奇跡みたいなことが起こってほしい。もう、本当に疲れてしまった……」

精神的にも、身体的にも、そして経済的にも、破綻寸前だった。

私は、ダイエットをきっかけとして、摂食障害という、長い長いトンネルに迷い込んでしまった。その途方もなく長く、暗いトンネルの中で、必死になって出口を探してみたけど、どれだけ進んでも一向に出口は見当たらなかった。だったら、入り口に戻って抜け出せばいい、と思って戻ってみたけれど、どれだけ戻っても入り口に辿り着くことも、トンネルを抜け出すことも出来なくなってしまった。どうすることも出来なくなってしまった私は、仕方なく出口があるかもしれない方へ、再び歩き出した。トンネルを抜け出せるあては全くないけれど、それでも途中に灯る、微かな光を頼りに、一歩一歩進むことしか出来なかった……

いつものように、あてもなく歩いていると、遥か遠くに微かな光、のようなものが見えた、気がした。藁にも縋る思いで、必死になって歩き続けた。

……どれだけ歩いたのだろう。微かな光、のようなものは、やがて一筋の光のように見えた。私は、諦めかけていた出口を求めて、重たい身体を引きずって、歩き続けた。精神的にも、身体的にも、疲労はとっくにピークを越えていた。それでも私は、諦めることが出来なかった。希望の光を目指して、ただひたすら歩き続けた。

光はやがて、出口に見えるようになってきた。私は僅かな希望を抱いて、さらに歩き続けた。

「絶対にこのトンネルから抜け出す。私は諦めない、諦めたくない。いつか必ず、この暗くて、長い長いトンネルから抜け出す、抜け出したい、抜け出せると信じてる……」

痩せること、食べることは、私にとって何なのか、どんな意味があるのだろうか……私の心は、その答えを求めてあてもなく、がらんどうの空間を彷徨っていた。

でも私は、心の片隅では、もう既に答え(に違いないもの)に辿り着いているのかもしれない。いや、もう辿り着いていた。ただ、それをどうしても認めたくなかった。認めることが出来なかった。それを認めてしまったら、私自身が、今まで積み重ねてきた私そのものが、砂で出来た城が波にさらわれて跡形もなく崩れて消えてしまうように、何もかもが音もなく、静かに、そして一瞬で崩壊してしまうような気がした。跡には何も残らない、漠然とした、それでいて終わりのない不安が、無限に私を襲い続けるのではないかと、心配で仕方がなかった……

「由希、忙しいのにまたこんな遠いところまで付き合わせちゃって、ごめんね」

「ううん、全然。私さぁ、週末は結構遊びに行く、っていうか遊んでばっかりなんだけどさ。キャンプとか、バーベキューとか、山とか川には割と行くんだけど、何でか海って滅多に行かないから、逆に新鮮。お姉ちゃんに誘われなかったら多分行かないもん。それに、やっぱり御宿の砂浜って、真っ白でキラキラしてる。何か、心が洗われるようだね」

私は、答えを求めて、いや答えを認めて受け入れるヒントを求めて、再び由希を誘って御宿に来ていた。御宿が、御宿の真っ白な砂浜が、突き抜けるような青い空や海が、そして由希という存在が、私をどこかへ、安心出来るどこかへ導いてくれる……そんな何の根拠もない、僅かな希望を抱いていた。

「今日はさ、ちょっと由希に聞いてみたいことがあって」

「うん、」

「あのさ、由希って痩せたい、って思う?っていうか、由希が太ってるとか、全然そういうんじゃなくて、ごめんね、そういう意味じゃないんだけど。ただ単純に、普通の人って、痩せることととか、食べることとかって、どういうふうに思ってるのかなぁ……って、思って。私はさ、摂食障害っていう病気だから、痩せたいけど食べたい、みたいな感じなんだけど。普通って、どんな感じだったかなぁ……て、ちょっと聞いてみたくて」

「そうねぇ……痩せたいって、思うか思わないかって言ったら、やっぱり痩せたいと思うよ。少なくとも太りたい、とは思わないし。あと2~3キロくらい痩せたいなぁ、とかは思うけど。でもすっかり忘れてスイーツとか食べまくったりしてるから、心の底から痩せたいか、って言ったら、どうなんだろうね。ほら、痩せたい、痩せなきゃ、ダイエットとかって、女子の挨拶みたいなもんじゃん。だから、こんなこと言うの申し訳ないけど、お姉ちゃんみたいにそこまで真剣には考えてないのかも」

そうだ、そうだよね……痩せたいって、誰もが思ったとしても、そのレベルが、拘りが、真剣さが、摂食障害のそれとは比べ物にならない。だから病気なんだろうなぁ……そんな当たり前のことを、由希が改めて言葉にして私に伝えてくれた。

「真剣かぁ……そうだね、私、痩せることに真剣になり過ぎてるのかもね。でもね、最近、何のために痩せたいのか、痩せることの意味、みたいなことがわからなくて。何してるんだろう、って自分でも訳がわかんなくなっちゃって」

「そうなんだね……でもさ、私だって痩せたいに、そんな大した意味なんて、多分ないと思う。だって、あと2~3キロくらい痩せたところで、私の何かが大きく変わる訳じゃないし。そりゃあ、気分はいいかもしれないし、実際ウエストとかもすっきりするかもしれない……こんなこと、お姉ちゃんに言うことじゃないかもしれないし、もしかしたらお姉ちゃんを傷つけちゃうかもしれないけど、あくまで私の、私に対する考え、ってことで聞いてほしいんだけど……あと2~3キロとか、もっとそれ以上でもいいんだけど、実際に痩せたところで、例えば給料が良くなる訳でもないし、それで彼氏ができる訳でもないし、って思うんだよね。そりゃあ、細いのが好きな男からちょっとはちやほやされるかもしれない。でもそんな、痩せたから言い寄ってくる男なんかと付き合いたくないし、体重とか体型じゃないところを好きになってくれる人と付き合いたいし。同じ気分がいいことなら、いろいろなことを我慢してダイエットして2~3キロ痩せて気分がいいのより、美味しいもの、好きなもの、食べたいものを食べて気分がいい方が、私はいいかなぁ、って思うんだよね。ごめんね、お姉ちゃん、真剣に痩せたいのに、否定するようなこと言っちゃって。でもね、痩せることを否定してるつもりはないの。ただ、私にとって痩せる意味って、今はあんまり感じないかなぁ、ってだけなの」

「そうだね、そうかもしれない。由希の言う通り、痩せる意味って、本当は何もないのかもしれない……」

心地よい波の音だけが、2人の間にいつまでも響いていた。

私が、ずっとずっと必死になって守り続けていたもの

私が、ずっとずっと必死になって追い求めていたもの

私が、ずっとずっと必死になって拘り続けていたもの

そこには、何の意味もないし、おそらく何もない。痩せて、痩せて、限界まで痩せた先には、何も待っていない……私は、その現実を認めて受け入れる、認めて受け入れなければならないのかもしれない。

「由希、今日もわざわざ付き合ってくれて、ありがとう。摂食障害でただ痩せたいだけの私に、痩せる意味ってないかも、みたいに言ってくれる人はいないから、何だか新鮮だったし、すごくありがたかった。私もいろいろ考えてみる。それに、否定された、なんて全然思ってないから、気にしないでね。むしろ感謝してるくらいだから」

「だったら良かった。お姉ちゃんも、あんまり考え過ぎて疲れて倒れたりしないでね。あぁ~何だかお腹減っちゃった。お菓子食べようよ……」

でもさ、私だって痩せたいに、そんな大した意味なんて、多分ないと思う。だって、あと2~3キロくらい痩せたところで、私の何かが大きく変わる訳じゃないし。
同じ気分がいいことなら、いろいろなことを我慢してダイエットして2~3キロ痩せて気分がいいのより、美味しいもの、好きなもの、食べたいものを食べて気分がいい方が、私はいいかなぁ、って思うんだよね。

家に帰ってからも、由希の言葉が頭の中で繰り返し鳴り響いていた……

痩せること……私が長い間、必死になって追い求めていたもの……そこには何もなくて、何の意味もなくて。そして、痩せたところで、痩せ続けたところで、私は何にもなれなくて、何にも変われなくて。ただそこには、摂食障害という、過食嘔吐という、抜け出したくても抜け出せない蟻地獄と、いつまでも終わりの見えない苦しみが待っているだけで。自分を完璧にコントロールしていたつもりが、いつの間にか痩せることと食べることに振り回されて。そして、挙句の果てには、何一つ思い通りにならない、自分をコントロール出来ない状態を、完璧なまでに作り上げただけだった……

痩せること……そこには、何の意味もないし、おそらく何もない。痩せて、痩せて、限界まで痩せた先には、何も待っていない……私は、その現実を認めて受け入れる、認めて受け入れなければならない……今の私にとって必要なこと、それは現実を認めて受け入れるほんの少しの勇気と、ありのままの自分を受け止める素直な気持ちと、そして根拠のないがんじがらめのマイルールから解放して自分を許す決断かもしれなかった……

今の私から、痩せることを取り除いてしまったら、痩せることをやめてしまったら、痩せることを諦めてしまったら、一体何が残るのだろう……何も残らないかもしれない。今まで長い間積み重ねてきた私という存在が、全て無くなってしまうかもしれない。そんな不安が、音もなく広がり始めていた。

「私は、痩せることを手放してしまったら、私から、痩せることを取り上げてしまったら、一体どうすればいいの……何をすればいいの……」

それでも私は、そういうことを考えなくてはならない時期に差し掛かっているのかもしれなかった。

以前、先生に言われたことが、頭の中に蘇っていた。

摂食障害という病気は、ある意味では自分自身と向き合うこと、自分自身を見つめ直すことが必要な方がなってしまう病気だと思っています。ですから、それを避けて通ろうとしているうちは、本当の意味での克服は出来ないかもしれません。

今の私は、痩せたくて、ただ痩せたくて、そのことばかり考えて、過食嘔吐をしてまで痩せたくて……考えたくなくてもそんなことばかり考えて、頭の中はそんなことで埋め尽くされてる。

でも、もしかしたら、痩せることは、四六時中考えることでもないし、そのためにあらゆることを犠牲にすることでもないし、一生追い求めることでもないし、ましてや命を懸けてまで取り組むことでもない。

痩せることは、人生の目的、生きる意味そのものではなくて、何かの目標やなりたい自分になるための一つに手段に過ぎない。

私は、

痩せた身体を、ずっとずっと必死になって守り続けてきた

痩せることを、ずっとずっと必死になって追い求めてきた

痩せることを、ずっとずっと必死になって拘り続けてきた

けれど、

それは、私の人生の目的、生きる意味そのものではないし、それは多分別の何か、のはず。

今までは、もしかしたらそのことに向き合うことをしてこなかった、向き合うことを避けてきた、向き合うことが出来なかった、あるいは向き合い方がわからなかった。

だから、そのことに蓋をするように、そのことを考えないで済むように、何かに頼らなければならなかった、依存しなければならなかった、何かで埋め合わせなければならなかった。

その結果が、もしかしたら摂食障害だったのかもしれない……そんなことを考えていた。

「私は、先生の言うように、自分自身と向き合うこと、自分自身を見つめ直すことが必要だから、摂食障害になってしまった。そして、摂食障害になってしまったことで、そのことに気付かされた。苦しいかもしれないし、辛いかもしれない……それでも、摂食障害の苦しみや辛さから抜け出すためには、自分自身と向き合い、自分を見つめ直すことに背を向けて、避けて通ろうとしていたら、いつまでたっても摂食障害の苦しみから抜け出すことは出来ないのかもしれない……」

今夜の月は、薄い雲がかかっていて、ぼんやりとした光を放っていた。

私は、もう随分前から、痩せること、食べることは、私にとって何なのか、どんな意味があるのか、ということについて心のどこかで気付いていた。

ただ、それをどうしても認めたくなかった。認めることが出来なかった。それを認めてしまったら、私自身が、今まで積み重ねてきた私そのものが、砂で出来た城が波にさらわれて跡形もなく崩れて消えてしまうように、何もかもが音もなく、静かに、そして一瞬で崩壊してしまうような気がしたから。

でも、もう私は、後戻りは出来ないような気がした。

私が、摂食障害という、長い長いトンネルに迷い込んでからというもの、その途方もなく長く、暗いトンネルの中で、必死になって出口を探してみたけど、どれだけ進んでも一向に出口は見当たらなかった。だったら、入り口に戻って抜け出せばいい、と思って戻ってみたけれど、どれだけ戻っても入り口に辿り着くことも、トンネルを抜け出すことも出来なくなってしまった。どうすることも出来なくなってしまった私は、仕方なく出口があるかもしれない方へ、再び歩き出した。トンネルを抜け出せるあては全くないけれど、それでも途中に灯る、微かな光を頼りに、一歩一歩進むことしか出来なかった……

その時から、私はもう後戻りはしない、と心のどこかで決めていた。ほんの少しでも、ほんの少しだとしても、一つ一つ今出来ることを積み重ねる。諦めることなく、開き直るでもなく、摂食障害を克服する、という気持ちを持ち続ける。

そして、今はまだわからないけれど、私の人生の目的、生きる意味というものを探し求めるために、自分自身と向き合い、自分自身を見つめ直す。

そうすることが、きっと摂食障害を克服することに繋がるはずだし、そうすることでしか、摂食障害を克服することは出来ないのかもしれない。

私は、自分自身のためにも、そして応援してくれる先生や由希、そして今は亡きおばあちゃんの思いに報いるためにも、後戻りはしたくなかったし、出来ないような気がした。

……こんばんは、この2週間は、いかがお過ごしでしたか?痩せること、食べることは、あなたにとって何なのか、どんな意味があるのか、などを書くことは、出来ましたか?

「はい、ちょっといろいろと考えちゃいましたけど、一応書いてきました」

***

痩せたいに、そんな大した意味なんて、多分ないと思う。痩せたところで、私の何かが大きく変わる訳じゃないし。

痩せることには、何の意味もないし、おそらく何もない。痩せて、痩せて、限界まで痩せた先には、何も待っていない・・・私は、その現実を認めて受け入れる、認めて受け入れなければならないのかもしれない。

痩せることは、四六時中考えることでもないし、そのためにあらゆることを犠牲にすることでもないし、一生追い求めることでもないし、ましてや命を懸けてまで取り組むことでもない。

痩せることは、人生の目的、生きる意味そのものではなくて、何かの目標やなりたい自分になるための一つに手段に過ぎない。

痩せることは、私の人生の目的、生きる意味そのものではないし、それは多分別の何か、のはず。

今までは、もしかしたらそのことに向き合うことをしてこなかった、向き合うことを避けてきた、向き合うことが出来なかった、あるいは向き合い方がわからなかった。

だから、そのことに蓋をするように、そのことを考えないで済むように、何かに頼らなければならなかった、依存しなければならなかった、何かで埋め合わせなければならなかった。

その結果が、もしかしたら摂食障害だったのかもしれない……

「私は、痩せることを手放してしまったら、私から、痩せることを取り上げてしまったら、一体どうすればいいの……何をすればいいの……」

***

ありがとうございます。さすがに、今までたくさん考えて、悩んでこられたことなので、いろいろと思いついたようですね。ほぼ全てが痩せること、についてですが、それはやはり痩せること、が最も優先されることで、そのために食べること、についても考えたり、悩んだりされた、ということでしょうか。

「はい、そうですね、そうかもしれません。とにかく痩せたくて、痩せることをとことん追求した結果、食欲をコントロール出来なくなってしまって、それで過食嘔吐をするようになったんだと思います……何か、今まで紙に書いてきた中で、一番まとまりがなくて、本当に思いついたままを書いた感じになっちゃいました」

それでいいんですよ。前にも言いましたが、とにかく思いついたままをひたすら書き出す、ということにも意味がありますので、まとまりがなくてもいいんです。

「そうでしたね、それならいいんですけど」

これを見ると、痩せることには意味がないとか、痩せることは人生の目的、生きる意味ではないなど、今までとは随分心境が変化しているように思えるのですが、そのことについてご自身ではどう感じていらっしゃいますか。

「そうですね……前回、

私、自分の顔って毎朝鏡で見てるんですけど、この前たまたまじっと見てたら、痩せてきれいどころじゃなくて、干からびてる、って思ったんです。

って言ったと思うんですけど、何か、後々考えるとそれが私の中では結構衝撃的だったみたいで。痩せることって、何なんだろう……って考えるきっかけになったというか。それと、その後妹に会って、ちょっと話したんですけど……その時に妹に聞いてみたんです、痩せたいって思う?って。そしたら、

痩せたいに、そんな大した意味なんて、多分ないと思う。痩せたところで、私の何かが大きく変わる訳じゃないし。

って言ってたんです。ちょうど書いてきた紙の一番最初の文は、その妹の言葉なんですけど。何か、その言葉を聞いた時に、私の中にすっと入ってきた感覚があったんです。理屈抜きに、そうかもしれないなぁ……って思えたっていうか。それで、

痩せることには、何の意味もないし、おそらく何もない。痩せて、痩せて、限界まで痩せた先には、何も待っていない……私は、その現実を認めて受け入れる、認めて受け入れなければならないのかもしれない。

そんな考えが、だんだん私の中で膨らんできたみたいな、そんな感じがします」

そうでしたか、ご自身のお顔を改めてじっと見たり、妹さんの客観的な言葉を聞いたことで、何かご自分の中でいろいろな葛藤があったようですね。

「そうですね、痩せたい気持ちが全然なくなったとか、食べても吐かないでいられるとか、そこまでではないんですけど、このままでいいのかなとか、一生こんなことを続ける訳にもいかないんだろうなぁ……ということは思います」

そうですか、自分自身が見たり聞いたりしたことで、何か思うところがあって、それで心境の変化に繋がったのであれば、それはある意味納得された結果なのではないですか。やはり、人に言われるがままでは、何か腑に落ちない気持ちがあると思いますが、ご自身の中でも共感出来る部分があると、素直に聞けるということがあると思いますよ。

「そうですね……」

……あなたは、もう既にいろいろなことに気付き始めているのではないでしょうか。先ほどの紙にも書いていらっしゃいましたが、

今までは、もしかしたら人生の目的、生きる意味に向き合うことをしてこなかった、向き合うことを避けてきた、向き合うことが出来なかった、あるいは向き合い方がわからなかった。
だから、そのことに蓋をするように、そのことを考えないで済むように、何かに頼らなければならなかった、依存しなければならなかった、何かで埋め合わせなければならなかった。
その結果が、もしかしたら摂食障害だったのかもしれない……

これらの言葉から、そのようなことが窺えるのです。

ご存知のように、摂食障害は、食行動の重篤な障害を呈する精神障害の一種です。また「極端なやせ願望」あるいは「肥満恐怖」などがあり、まさに「痩せたい病」とも言える精神疾患です。ですが、過食嘔吐などの食行動の重篤な障害は、目に見えてわかりやすいですが、単なる症状に過ぎません。また「極端なやせ願望」あるいは「肥満恐怖」なども「痩せ」を賞賛する社会風潮などが生み出した、行き過ぎた価値観でしかなく、病気の本質を表すものでもないと思います。

摂食障害になってしまった、過食嘔吐をしなければならない、そうせざるを得ない、あるいはそうしなければ自分を保てない状況……その深層には、単に痩せたいという「極端なやせ願望」だけではなく、あなた特有の、ご自身にしかわからない、向き合わなければならない本当の理由があるのではないかと思います。

ですから、ここでしっかりと自分自身と向き合い、ご自身の生きる意味や大切にしたいこと、あるいは価値観などを見つめ直し、ほんの少しでも生きがいやご自分の存在価値、楽しみや喜びなどが感じられる人生にしていくことを模索していく。そういう作業を一つ一つ積み重ねていくことが大切になってきます。

しかしそれは、今すぐに痩せたいと思わなくなるとか、食べても吐かないでいられる、という意味ではありません。痩せたい気持ちや食べたい思いの間での心の葛藤も抱えつつ、これでいいのだろうかとか、これからどうしていこう、ということも少しづつ、出来る範囲で考えていく。そういうことが必要な時期に差し掛かってきた、ということだと思いますよ。

「そうですね……今の私は、以前のようにただただ痩せたいを追求するだけではなくて、自分自身が何なのか、どうしたいのか、どうありたいか、ということを一つ一つ考えて、生きていかなければならないのかもしれませんね……」

おっしゃる通りだと思いますよ。それでは、次回お会いするまでに、またちょっと考えていただきたいことがあります……と言いたいところですが、あなたは、もう既にいろいろなことに気付き始めていますから、今日は私からの宿題は特に出しません。何にも縛られることなく、自由な発想や行動で2週間をお過ごしください。

「自由な発想や行動ですね……わかりました、今の私に出来ることをやってみます」

あの日の朝、たまたま自分の顔をじっと見て(干からびてる……)って思ったこと、それから、由希が言っていた言葉……

でもさ、私だって痩せたいに、そんな大した意味なんて、多分ないと思う。だって、あと2~3キロくらい痩せたところで、私の何かが大きく変わる訳じゃないし。
同じ気分がいいことなら、いろいろなことを我慢してダイエットして2~3キロ痩せて気分がいいのより、美味しいもの、好きなもの、食べたいものを食べて気分がいい方が、私はいいかなぁ、って思うんだよね。
ただ、私にとって痩せる意味って、今はあんまり感じないかなぁ、ってだけなの。

これをきっかけに、私は変われるのだろうか……私の頑なな思考回路はほぐれるのだろうか……私のいびつな価値観は矯正されるのだろうか……

「私にとって、摂食障害を克服するきっかけは、多分何でもいいんだと思う。大切なのは、それを活かせるかどうか、このタイミングを逃さずに掴めるかどうか、だと思う……」

自分自身と向き合い、自分自身を見つめ直す

今の自分を否定するのではなく、ありのままの自分を受け止める

現実を認めて受け入れる、認めて受け入れなければならない

一つ一つ今出来ることを積み重ねる

諦めることなく、開き直るでもなく、摂食障害を克服する、という気持ちを持ち続ける……

先生とのやり取りの中で、キーワードだと思われる言葉を思い出していた。

「どれも言葉にするとそう難しいことは言ってないけど、でもいざ実践するとなると、なかなか簡単なことではない。すぐに答えが出るものでもないし、時間もかかる。それに、摂食障害とはまた違った苦しさや、辛さを伴うこともある。やっぱり、摂食障害を克服することは簡単なことではないし、本当に難しい病気なんだろうなぁ……」

改めて、そんなことを考えていた。でも、そういえば、以前のように買い物や過食嘔吐が何よりも優先される、というよりは、こうしていろいろなことを落ち着いて考えることが出来る時間が作れてる、ということが一歩でも前に進んでいる感じがしていた……

「ちょっとだけ、ほんの少しだけ、一つだけ私との約束をしてみようかな……」

落ち着いて考える時間を作ることが出来るようになったことで、ちょっぴり冒険したい気持ちが湧いていた。

「仕事の日は、1回で済ませられるからまあいいんだけど、休みの日も、過食嘔吐をするとしても1日1回で済ませられるようにすること!……ちょっと冒険し過ぎかなぁ」

今までは、休みの日は、特に予定がないと、朝から買い物に行って2回、3回と過食嘔吐をしてしまうこともあった。でも、今の私なら、1日1回、いや、もしかしたらお酒を飲んで寝てしまえば過食嘔吐しないで済むかもしれない……そんな気がしていた。

「とにかく過食嘔吐をやめたい気持ちには変わりはないし、何が何でもやめたい……でも最近は、惰性でやってしまっているような、そんな感じもするんだよね……」

今出来ることを一つ一つ積み重ねる……何の根拠もないけど、何故だか今の私には、出来るような気がした。

「だって、1日1回はやってもいいんだから、何とかなりそうな気がする」

そこには、昨日と同じことを繰り返していても、何の進展もないのではないか、という思いもあった。かといって、いきなり高いハードルを設定してしまうと、出来ない自分に落ち込んで、イライラして、ますます過食嘔吐に逃げてしまうということは、今までの経験から痛いほどわかっていた。

「今度先生に会うまでの2週間、とりあえず2週間だけ、やってみよう」

今の私は、ほんの少しだけなら冒険したり、やれそうなことに挑戦してみることが出来るような気がしたし、いつかはそうすることが出来なければ、いつまで経っても現状を変えることは出来ないのではないか……そんな思いが芽生えていた。

そう……いつまで経っても現状が変わらなければ、変えることが出来なければ、10年経っても同じことを繰り返しているかもしれない。

仕事が終われば、コンビニをはしごして、持ちきれないほどの過食材を買い込んで、惰性で過食嘔吐して、(またやってしまった……どうしてやめられないんだろう)という罪悪感と、(でも太らずに済んだ)というほんの少しの安心感を抱きながら、疲れ果てて眠る。休みの日には、買い物と、過食嘔吐と、多少の考え事をして、それでも結局現状を変えられなくて、1日が過ぎていく。実年齢は30代なのに、見た目は50代かと思うような顔つきをしてる。痩せることから抜け出せなくて、相変わらず食べたい猛獣に襲われて、結婚どころか、彼氏も出来ない、痩せることと食べることで埋め尽くされた生活。疲れ切った身体を引きずるようにして、必死に仕事して稼いだお金も、ほとんど過食嘔吐に消えていく……冒険もしなくて、やれそうなことに挑戦もしなければ、おそらくそんな10年後が待っているだけ。そんな気がした。

「もちろん、無理して高いハードルを設定するのはNGだけど、今出来ることを一つ一つ積み重ねることは、やっぱり大切だし、必要なことなんじゃないかなぁ」

とりあえず今日は、朝からいろいろと考え事をしてて、気が付いたらお昼を過ぎていた。

「今日は、こうなったら後は昼寝でもして、夕方まで買い物に行かなければ、過食嘔吐は夜の1回で収まりそうだし、絶対そうする」

今出来ることを一つ一つ積み重ねる、ということは、今出来ないことを無理してやらない、ということなのかもしれない。とにかく、完璧を追求すること、高いハードルを設定すること、マイルールに縛られること、○○すべき、という思考に拘ること……こういったことが、摂食障害を克服する上では障害になるのではないか、ということが、経験上何となくわかってきたような気がした。

「そうか……今出来ることを一つ一つ積み重ねる、ということは、今出来ないことを無理してやらない、ということ?そう考えると……」

今までの私を振り返ってみても、

結構痩せたのにもっと痩せたいって、無理な食事制限を始めた

無理して痩せた反動からくる食欲を、無理やり抑え込もうとした

その結果、過食嘔吐を覚えて、過食嘔吐に頼って、やめられなくなった

摂食障害という、自分をコントロール出来ない病気なのに、思い通りにいかない自分を責めた……

「そもそも、今まで私が目指していたことって、今の自分には出来ないこと、無理だったことを、自分のメンタルの状態や病気のことを無視して追求していた……そいうことだったのかもしれない」

今出来ることを一つ一つ積み重ねる、ということは、今出来ないことを無理してやらない、ということ……よくよく考えたら当たり前だけど、何か今日の私の心の奥深くに響いて、ハッと目が覚めたような気がした。

「そうか、今までは、今出来ることを一つ一つ積み重ねることも意識してたけど、同時に今出来ないことも何としてでもやろうとしていた。それで、自分で自分を追い詰めていたのかもしれない……」

そこには、完璧主義や、数々のマイルールの存在が関係しているのかもしれない。とにかく、今の私に大切なことは、自分を許すこと、完璧主義や、数々のマイルールから自分を解放すること、何よりも自分のメンタルの状態や病気のことを無視して追い込まないこと……そんな、当たり前のことを自分自身にやってあげること。自分を大切にすること。そういうことのような気がした。

「でも、そうは言ってもそれがなかなか出来ない、頭ではわかっていても(わかったつもりでも)それがなかなか実行出来ないのが、完璧主義であり、摂食障害であり、何よりも私自身なのかもしれない……」

今出来ること、やらなければならないこと、完成度が問われることならば、完璧を追求するべきかもしれない。でも、何でもかんでも、あらゆることに完璧を追い求めても、自分のキャパオーバーを招くだけで、結局イライラして、出来ない自分に落ち込んで、パニックになって過食嘔吐に逃げてしまうだけ。

いくつあるのかわからない、正直数えたくもない数々のマイルールだって、冷静に考えればマイルール以上でも以下でもない、正に私独自の、私にしか通用しない、私しか満足させられない、独りよがりなお約束。そこに、論理的で、有益な意味など、もしかしたらほとんど存在しないかもしれない。

そんなことは、誰に言われるでもなく、自分自身が一番良くわかっているはずだった。そして、そんな窮屈な状態から自分を解放して、追い込まないようにすることが、自分を許すことであり、自分を大切にすることだということも、いい加減身に染みて感じていることだった。

「それが出来るかどうか、そこには分厚い壁があるのかもしれない。でも私は、その壁を乗り越えたい、突き破りたい、その壁を取っ払ってしまいたい……」

そうは言っても、その壁を作っているのは、誰でもない私自身……そのこともわかっている。だからといって、どうしたらその壁を取り除けるのか。それこそが、今までも散々向き合ってきた問題だった。

「でも、その答えさえも、私しか気付くことが出来ない、私自身の内側の問題なのかもしれない……」

いつになったら私は気付くことが出来るのか。その、先の見通しが立たない、いつまで続くかわからない苦悩が、私を苦しめている根源かもしれなかった。

「先生も、確か、いつ摂食障害が良くなるかはわからない、時期の約束は出来ない、みたいなことを言っていた気がする。だとすると、私もいつまで続くのかとか、いつになったら良くなるのかとかを考えても仕方がないのかもしれない」

そうは言っても、やっぱり先の見通しが立たない状況は、モチベーションを維持するのが難しかった。

「だったらもう、10年経つ前、9年後までに良くなるって、そう信じていればいいかなぁ……ちょっと気が遠くなるけど」

そして、もう一つの問題……私自身が長い間かかって作り上げてしまった分厚い壁、どうしたらその壁を取り除けるのか。

「その答えも、私しか気付くことが出来ない、私自身の内側にしか答えはないのかもしれない。でも、もしかしたら答えを探しているうちは全然見つからなくて、ふっと力が抜けた時に、ある日突然気付くことが出来るものなのかもしれないんじゃないかな……」

焦らず、慌てず、諦めず、自分落ち着いて

悩んだ時、行き詰った時には、とりあえず自分自身を落ち着けて、冷静になって、パニックにならないように、イライラして暴走しないように……でも一方では、どうにも落ち着かなくなったら、潔く切り替えて、買い物するなり、過食するなりして、後々まで引きずらないようにすることが、大切なのではないか、そんな気がしていた。

「とにかく、頭で考えることで自分を抑え込もうとするよりは、素直に身体の欲求には答えてあげることが、大切なんじゃないかなぁ……」

物事は、何でもバランスが大切で、完璧を追求し過ぎたり、我慢し過ぎたり、逆に惰性で過食嘔吐を繰り返したり、そういう極端なことを繰り返しているうちは、そんな自分に振り回されるだけなのかもしれない。だとすると、うまくいった時も、思い通りにいかなかった時も、どっちの自分もありのままを受け止めて、受け入れて、認めてあげる……そんなことが出来るようになった時に、自然と分厚い壁がなくなって、苦しみや辛さから解放される、そして自分に厳しい自分自身からも解放される。そんなものなのかもしれない……

「いいことも、悪いことも、否定することなく認める。今私に出来ることを精一杯やったことを認める。そんなことが自然に出来るようになった時に、次のステップへ進めるんじゃないかなぁ」

今夜も、眩しいくらい輝く月の光が、暗くなった部屋に微かに希望をもたらしているような気がした……

うまくいった時も、思い通りにいかなかった時も、どっちの自分もありのままを受け止めて、受け入れて、認めてあげる。

「以前にも、同じようなことを考えていたけれど、これも言葉にするとそう難しいことは言っていない。でも、いざ実践するとなると、なかなか簡単なことではないよね……特に、思い通りにいかなかった時の自分を受け入れて、認める、ということ。これが本当に難しいんだよね……」

幼いころから、何となく何でもそつなくこなせていたからなのか、出来て当たり前、出来ない自分は、その理由がどうであれ許せない、ということが染み付いてしまっていた。そんな、長年の考え方の癖みたいなものが、果たして変わるのだろうか、変えることが出来るのだろうか……

「でも、いつまで経っても現状が変わらなければ、変えることが出来なければ、10年経っても同じことを繰り返しているかもしれない。それは、行動もそうだけど、考え方の癖だって同じだと思う」

完璧主義や、数々のマイルールの存在だって同じこと。10年経っても何も変わらなければ、同じことを繰り返すだけ。何でもかんでも、あらゆることに完璧を追い求めても、自分のキャパオーバーを招くだけだし、マイルールだって、私にしか通用しない、私しか満足させられない、独りよがりなお約束。そんな窮屈な状態から解放してあげるのも自分だし、どんどん追い込んで、がんじがらめになって、身動きがとれない状態に追い詰めてしまうのも自分。結局、最終的には全て自分にかかっているのかもしれない。

「そうか……最終的には自分がどうするか、どう考えるか、どうありたいか、だけど、そこに辿り着くまでの過程までも全て自分一人で何とかしようとすると、苦しいし難しくなってしまう。だから先生にアドバイスをもらったり、由希に話を聞いてもらったり、そういうことが必要になってくるのかもしれない。やっぱり自分一人の力だけでは限界がある。人に話しを聞いてもらったり、人の話を聴くことで、今まで気が付かなかったことに気付くこともある。そうやって、少しずつ、一つ一つ変えられることから変えていければいいのかもしれない……」

部屋の時計を見るともなく眺めていた。こうして、何も行動することなく、ただただひたすら考え事をしていても、買い物に行っても、過食していても、そして吐いていても。何なら寝ていても、時間は同じスピードで過ぎていく。延々と続く、先の見通しが立たない、終わりが見えない摂食障害も、もしもいつかは克服することが出来るのならば、その(いつか)に向かって、確実に時は刻まれている。いや、そうであるはず、そうであるに違いない、と信じたかった。

「時計の秒針は、わかりやすく時を刻んでいるけれど、短針は、一見すると全然進んでいないように見える。だけど、確実に進んでいる。秒針は、1分間で1周、1時間(60分)で60週。短針は、12時間で1周だから、その間に秒針は(60✕12=720)720周……私は、秒針のようにわかりやすく進んでいる訳ではない。けれど、短針のように、一見すると全然進んでいないように見えたとしても、確実に進んでいる、と信じていたい。720分の1のスピードでもいい。少しずつ、一つ一つ変えられることから変えていければいい。だって、今の私には、そうすることしか出来ないから。それが精一杯だから。それでも諦めないで、今出来ることを続けていくしかないから。たとえ短針だとしても、秒針の720分の1のスピードだとしても、それでも12時間経てば、必ず1周することが出来るのだから……」

摂食障害という、長い長いトンネルに、まだ出口は見つからない。

そして、完璧主義やマイルールで窮屈な状態から自分を解放して、追い込まないようにすることが、自分を許すことであり、自分を大切にする……そうする私に立ちはだかる、私自身が長い間かかって作り上げてしまった分厚い壁を取り除くための答えも、まだ見つからない。

「出口も答えも、どこにあるのかなって、どこかにはあるはずだって、必死になって探しているうちは見つからないのかもしれない。でも、もしかしたら、出口も答えも、探すものではなくて、自分で作るもの……そう、どこかに落ちてたり、転がっているものではなくて、自分で作るもの。それは、必ずしも自分一人で、ということではなくて、人に話しを聞いてもらったり、人の話を聴くことで、今まで気が付かなかったことに気付く。そういったことを繰り返すうちに、少しずつ自分の中に作られていく……そういうものなのかもしれない」

部屋で一人、ただただひたすら考え事をしていると、どうしても行き詰ってしまうことが多かった。考えることは今の私にとって必要なことだし、無駄なことだとは思わないけど、先生と話をしたり、由希に会って話を聞いてもらったりすることも必要なことだし、むしろその方が大切なのかもしれない。

「どうしても一人で考えていると、同じところをぐるぐる回っているだけのような、無限ループにはまってしまうことが多いから、そんな時にサポートしてもらう。ヒントをもらう。助けてもらう。そんなことは許されるんじゃないかな……全面的に頼り切って、丸投げ状態で、出口も答えも教えて、っていうんじゃなくて、あくまで行き詰った時にそっと手を引いて、導いてもらう。そんな関わり方、人との繋がりが、出口や答えを作る上でも必要になるし、大切なことのはず。先生のところには来週行くし、その後また由希にも会ってもらおうかなぁ……」

とにかく今、強く感じることは、以前の私に比べたら、ほんの少しずつかもしれないけど、でも確実に前に進んでいるということ。考える時間も増えてきている。そして、休みの日も、過食嘔吐をするとしても1日1回で済ませられるようにする、という自分との約束も守れてる。今はいい方向に向いているし、状態も悪くない。慌てたり、焦ったりすることはもちろんNGだけど、でもこの流れに乗っかりたい、流れを掴んで、進んでいきたい……そんな思いが強くなっていた。

「明日になったら逆戻りして、また過食嘔吐を繰り返すだけの生活になるかもしれない。でも、たとえそうだとしても、時間が経てばまた考えることが出来る」

何の根拠もないけど、何となくそんな気がした。

この流れに乗っかりたい、流れを掴んで、進んでいきたい……

摂食障害を克服するきっかけや、動機や理由などは、もしかしたら何でもいいのかもしれない。

「状態が悪い時はとことん悪いんだし、メンタルが落ちているときはそもそも考え事なんて続けられないんだから、今のこのいい方向に向いている状態を、ほんの少しでも維持していたい」

「それに、先生と話をしたり、由希に会って話を聞いてもらったりすることだって、落ちている時にはそんな考えすら頭に浮かばないんだから、やっぱり今の私は悪くないんだと思う」

この流れに乗っかりたい、流れを掴んで、進んでいきたい……

とにかく、あれこれ理屈を考えて、何でも理詰めで物事を進めて、ミスをしないように、取りこぼさないように、常に完璧を追い求めていても、いつまで経っても思い通りには物事は進まないし、理想とかけ離れていく自分が嫌になるだけ。だったら、何となく来ている流れに乗っかって、波に乗っかって、風に身を任せて、時の流れに身をまかせ~じゃないけど、このまま行けるとこまで行っちゃいたい……そんな感じがした。

「そうしているうちに、何となくでもいいから自分の中で何かが吹っ切れて、今までとは違く価値観が芽生えて、摂食障害克服に向けて動き出せれば、結果オーライなんだから、余計なことは考えないで、とにかく今の状態、今の考え方を大切にして、ほんの少しでも維持、継続出来れば、それでいいのかもしれない……」

ひょんなことから迷い込んでしまった、摂食障害という長い長いトンネルの出口は、見つけることが出来るのだろうか。出口に、辿り着くことは出来るのだろうか。

私自身が長い間かかって作り上げてしまった分厚い壁、完璧主義やマイルールで窮屈な状態から自分を解放して、自分を許して、自分を大切にすることを阻む壁を乗り越えるための答えを、見つけることは出来るのだろうか。

焦らず、慌てず、諦めず。自分を信じて、今出来ることを一つ一つ積み重ねる、そういうことを続けることで、必ず辿り着く、必ず見つける。今の私には、そう信じることしか出来ないし、そう信じることが全てなのかもしれない……」

摂食障害という長い長いトンネルだって、ひょんなことから迷い込んでしまった、っていうくらい、ホントに些細なきっかけ、ただ痩せたいってだけだったんだから、出口だって、もしかしたらひょんなことから見つけられる、作り出せるのかもしれない。周到な準備や、完璧なシミュレーション、そこに至る動機や理屈付け、もっと言えば

こうすればこうなるはず

こうしたんだからこうならなければならない

って考えていても、思い通りにならないこともある。それは、摂食障害になってしまって、身に染みて感じていることだった。

「そうだよね、ひょんなことからとか、偶然とか、運がいいとか、そういうことがあってもいいんだよね……」

今までの私の人生にはなかった言葉……ひょんなことから、偶然、運がいい、いつの間にか、気が付いたら……そんな、不確定な要素に身を任せてみること、そんな冒険も必要なのかもしれない。

「自分でいくら考えても、人に相談しても、アドバイスをもらっても、どうにもならない時には、そんなことに頼ってみても、いいのかもしれない……」

完璧とか、マイルールとか、私は今まで自分で自分を縛っていた。自分で自分を追い込んでいた。自分で自分を追い詰めていた。それで苦しくなって、辛くなって、どうにもならなくて、もがいていた。

こうしてもダメ、ああしてもダメ、どっちに転んでも、どうにもならない……だから、どうすることも出来ない、一歩も前に進めない……そう思い込んでいただけなのかもしれない。本当は、いろんな可能性があるはずなのに、そのことには目を向けなかった。見ようともしなかった。ただそれだけなのかもしれない……

「もしかしたら私は、もっと自由に、何にも囚われることなく、いろいろなことを考えたり、やってみたりしていいのかもしれない。そういう視点が、欠けていたのかもしれない。ただそれだけなのかもしれない……私は、今からでも自分をどこかへ導くことが出来るのかもしれない」

目を閉じると、目の前には、御宿の真っ白な砂浜と、真っ青な海と、突き抜けるような青い空が広がっていた。そこには、限界とか、制限とか、そんな言葉は似合わない、ただただどこまでも続く景色があるだけだった。

私は、いつでも自由。何でも思い通りに出来る。自分のことは、何から何まで完璧にコントロールして、体重だって体型だって、思うがまま。いつだって思い通りに痩せることが出来る、永遠のダイエッター。痩せたいのに、食欲に負けてダラダラと食べることなんて、あり得ない。もちろん、太ることなんて、絶対にあり得ない。私は私の欲求を、いつだって完璧にコントロール出来る……

そんな自信に満ち溢れていたのは、ほんの少しの間、一瞬だった。欲求をいつだって完璧にコントロール出来る、なんてことは、儚い夢、ただの幻想に過ぎなかった。

「私は、摂食障害を経験して、今まで考えたこともないような、気が付かなかったようなことをたくさんたくさん考えてきた。その時その時で、出来ることはとにかく試してみた。どれだけ行き詰ったか、どれだけ悩んだか、どれだけ苦しんだか……それでも諦めないで、今出来ることを続けてきた。そして今、摂食障害克服に向けて、大切なあと一歩を踏み出せるかもしれない感覚がある。何がどうなると先へ進めるのか、具体的にはわからないけれど、それでもゴールに、出口に、答えに辿り着けるんじゃないかという予感がする。今でももちろん、太りたくないけど、確かに太りたくはないけど、でもこのままでも、この干からびた私でもいい、という気もしない。食べたいだけ食べて吐くことも、本当にやりたくないし、出来ることなら本気でやめたい。普通に、ただ普通に、食べたい。おいしいものを食べたい。カロリーを気にせずに食べたい。お腹いっぱいって言ってみたい。食べることを楽しみたい。みんなと一緒に笑顔で食卓を囲みたい。そんな、ただただ普通の、何でもない幸せを感じたい。取り戻したい。いつになったらそうなれるのか、それはわからないけど、でもいつかは必ずそこに辿り着きたい。もう、ここまで来たら、絶対にそこに辿り着ける。そう信じていたい……」

月の光は、いつでも優しく、そして眩しいくらいに暗い部屋を、私の心を照らしていた。

「でも、その(ただただ普通の、何でもない幸せ)というのが、もしかしたら一番難しいのかもしれない」

ただただ普通の、何でもない幸せを感じること。

言葉にすると、何も特別なことを言っている訳ではない。そこに辿り着くまでに、相当な困難や膨大な時間がかかることとも思えない。それを感じることは、簡単そうだけど、意外と単純にはいかない。それは、もしかしたら摂食障害にならなくても、同じなのかもしれない。

「今の私にとっては(普通に、ただ普通に、食べたい)ということが(ただただ普通の、何でもない幸せ)だけど、普通に食べてる人にとっても食べること以外で(ただただ普通の、何でもない幸せ)があって、それぞれみんなが(そう感じることって、案外難しいよねぇ……)って思いながら日々の生活に追われているのかもしれない」

私にとって、摂食障害、過食嘔吐は本当に辛く、苦しいものだけど、だからこそ(普通に、ただ普通に、食べる)ということを取り戻すことが幸せなことで、それが一番難しいと感じている。それと同じように、毎日毎日時間に追われて、それでも必死になって生きている人にとっても(ただただ普通の、何でもない幸せ)を感じることは、案外難しいのかもしれない。

摂食障害であろうとなかろうと、生きていたらいろいろな困難に立ち向かわなければならないこともある。私だけが苦しいんじゃない。私だけが辛いんじゃない。私だけが生き辛いんじゃない。そう思うことで、ほんの少しのでも心が落ち着くのなら、ほんの少しのでも明日への希望を繋げるのなら、そう考えて切り替えるのもありかもしれない。私は、自分のことで精一杯で、自分のことにしか目を向けられなかった。だから、何で私が、何で、何でって、ずっと思ってきたけど、先生だって、由希だって、それぞれみんな苦しさも、辛さも、生き辛さも、きっと抱えながら、それでも生きている。いつかきっと、今よりほんの少しのでも生きやすくなる……そう思って、そう信じて、前を向いて進んでいく。それしかないのかもしれない。

痩せることには、何の意味もないし、おそらく何もない。痩せて、痩せて、限界まで痩せた先には、何も待っていない……
痩せることは、私の人生の目的、生きる意味そのものではないし、それは多分別の何か、のはず。

「それは確かにそうだと思う。だからといって、人生の目的や生きる意味なんて、そんなに簡単に見つかるものじゃないはず。だって、私はずっとずっと長い間そのことに向き合ってこなかったんだから」

だとすると、結局痩せることや過食嘔吐に頼って、依存していかなければならないのだろうか……

でも私は、もう後戻りはしたくなかった。摂食障害という長い長いトンネルの出口に向かって、ほんの少しのでもいいから前に進んでいきたい。

そして、私自身が長い間かかって作り上げてしまった分厚い、完璧主義やマイルールで窮屈な状態から自分を解放して、自分を許して、自分を大切にすることを阻むを乗り越えるための答えに辿り着きたい。


今はまだ、痩せることにも過食嘔吐にも頼ってしまうことがあるけど、そして今の私には痩せることも過食嘔吐も必要なのかもしれないけど、それとは別の何か、例えば今みたいに必死になっていろいろなことを考える時間とか、先生とのカウンセリングとか、由希に会って話を聞いてもらうこととか。とにかく痩せることや過食嘔吐だけに頼るのではなくて、たった一つでも、ほんの少しでもいいから、それ以外で頼れるものだったり、取り組めることだったり、そういうことを見つけて、作って、増やしていくことが出来れば、徐々に痩せることや過食嘔吐に頼る割合が少なくなるのかもしれない。そうやって、少しずつ少しずつ、ゆっくりでもいいから人生の目的や生きる意味を考えていけばいいのかもしれない。

「長い間向き合ってこなかったことに、いきなり挑戦するんじゃなくて、少しずつ少しずつ、ゆっくりと取り組んでいけば、いつかは辿り着く……そう思って前を向いて進んでいく。だって、もう後戻りはしたくないから……」

……こんばんは、この2週間は、いかがお過ごしでしたか?ご自分で思いつくまま、自由に考えたり行動したりすることは出来ましたか?

「そうですね、あんまり行動することはありませんでしたけど、いろいろなことを考える時間は結構あったと思います」

そうですか。具体的にはどんなことをお考えになったか、覚えていらっしゃいますか。

「はい、そうですね……前回先生にお会いした後、最初に考えたのが

休みの日も、過食嘔吐をするとしても1日1回で済ませられるようにすること!

ということで、これは

昨日と同じことを繰り返していても、何の進展もないのではないか。
今の私は、ほんの少しだけなら冒険したり、やれそうなことに挑戦してみることが出来るような気がしたし、いつかはそうすることが出来なければ、いつまで経っても現状を変えることは出来ないのではないか。

と思ったからなんです。今までは、休みの日は、特に予定がないと、朝から買い物に行って2回、3回と過食嘔吐をしてしまうこともあったんですけど、この2週間は守れたと思います」

なるほど、今まで出来なかったことに対して、ご自分で目標を設定して、それを達成することが出来た……素晴らしいと思いますよ。その他には何かお考えになりましたか。

「あとは、

今出来ることを一つ一つ積み重ねる、ということは、今出来ないことを無理してやらない、ということ。

なのかな、と思って

今の私に大切なことは、自分を許すこと、完璧主義や、数々のマイルールから自分を解放すること、何よりも自分のメンタルの状態や病気のことを無視して追い込まないこと。

と考えたんですけど、これは頭ではわかっていても(わかったつもりでも)なかなか実行出来ないし、それが出来るかどうか、そこには分厚い壁があるのかもしれない、って思ったんです」

分厚い壁、ですか。

「そうですね……完璧主義やマイルールで窮屈な状態から自分を解放して、追い込まないようにすることが、自分を許すことであり、自分を大切にすることだと思うんです。でも、頭ではそうしたいって考えても、いざ実際に実行するとなると、そこには、私自身が長い間かかって作り上げてしまった分厚い壁があって、その壁を乗り越えたり、取り除かなくてはならないんじゃないか、そう考えたんです」

なるほど。

「それから、摂食障害という、長い長いトンネルの出口は見つからない。それに、私に立ちはだかる、私自身が長い間かかって作り上げてしまった分厚い壁を取り除くための答えも、まだ見つからない……ずっとそう思っていたんですけど、でも、もしかしたら、出口も答えも、探すものではなくて、自分で作るもの……どこかに落ちてたり、転がっているものではなくて、自分で作るもの。どこにあるのかなって、どこかにはあるはずだって、必死になって探しているうちは見つからないのかもしれないって、何かそんな気がしてきたんです」

自分で作るもの、ですか。

「そうですね、もちろん、自分一人でいろいろ考えたり、行動したりすることは必要で、大切なことですけど、それだけでは行き詰ってしまうこともあると思うんです。ですから、

全て自分一人で何とかしようとすると、苦しいし難しくなってしまう。だから先生にアドバイスをもらったり、由希に話を聞いてもらったり、そういうことが必要になってくるのかもしれない。やっぱり自分一人の力だけでは限界がある。人に話しを聞いてもらったり、人の話を聴くことで、今まで気が付かなかったことに気付くこともある。そうやって、少しずつ、一つ一つ変えられることから変えていければいいのかもしれない。

そういったことを繰り返すうちに、少しずつ自分の中に作られていく……そういうものなのかもしれない、って思ったんです」

そうですか……本当にいろいろなことを、時間をかけて考えておられたのですね。

「そうですね……今回は、結構いろいろなことを考える時間があった、というか考え出したら意外と止まらなくなって、その時だけは食べることを忘れるくらい没頭していた、と思います」

なるほど、そうですか。食べることを忘れるくらい没頭していた、なんて言葉が聞けるなんて、思ってもみなかったです。そのことがいいとか、悪いとかではないですけれど、以前のように食べることや痩せることに囚われて、そのことだけしか考えられない、とおっしゃっていた頃からは、明らかに変化が見られますね。

「そうですね、確かに、何がどう変わったかとか、はっきりとしたことはわからないんですけど、でも何となく状態が良くなってきている気はします……私、今の状態って、考えてることも、過食嘔吐の回数も、酷い時に比べたらいい方向に向いている気がするんです。もちろん、慌てたり、焦ったりすることはNGだと思うんですけど、でもこの流れに乗っかりたい、流れを掴んで、進んでいきたい……そう思っています」

そうですか。そう言えば確か、前回お会いした時も、痩せることには意味がないとか、痩せることは人生の目的、生きる意味ではないなど、今までとは随分心境が変化しているように思えることを紙にお書きになっていましたが、その後の2週間でも、ご自分で思いつくまま、自由にお考えになったことで、また更に前向きに心境が変化してきたようですね。

「そうですね、前向き、というか、以前よりもいろいろなことを落ち着いて考えられるようにはなってきたと思います。それと、

摂食障害を克服するきっかけや、動機や理由などは、もしかしたら何でもいいのかもしれない。

とも思ったんです。はっきりとしたことはわからないんですけど、いろいろ考えているうちに、何となく前向きに考えられることがあったりして、自分でも状態は悪くはないと思うので、とにかくこの流れに乗っかりたい、流れを掴んで、進んでいきたい……って、今はそう思っています」

なるほど……そうですね、落ち着いて、前向きに考えられるようになってきた、ということは、ご自分の中で少しずつ考え方や価値観の整理が出来てきた、ということがあるのかもしれませんね。

「そうかもしれませんね。それと、痩せたい気持ちについても、何となく変わってきたかな、って気がします。以前は、何が何でも痩せたい、何なら昨日よりも痩せたいっていう、極端な考え方だったんですけど、今は何ていうか、痩せたいは痩せたいで、根本的には同じなんですけど、でも一方ではもうそんなに痩せることに拘って、しがみついていなくてもいいんじゃないか、って思うこともあります。以前、自分の顔を鏡で見た時に、干からびてる、って思ったことを話しましたけど、あの朝のことって、後から振り返ってみると、私にとっては結構インパクトが強かったんです……その頃からかもしれません、私にとっての(痩せること)の意味合いが微妙に変化してきたのは。もちろん今でも太りたくはないんです。太りたくはない……そうですね、何が何でも痩せたい、っていうよりは、太りたくはない、なのかもしれません。際限なく痩せたいじゃなくて、太らなければいいんじゃないか、くらいに考えられることもあります。ただ、そうは言っても食べたら太るんじゃないか、っていう恐怖はあるので、結局過食嘔吐をやめられないんですけど。とにかく、自分でも一番酷い時、極端な考え方しか出来なかった頃から比べれば、随分と自分を許せるようにはなってきたんじゃないかなぁ……って感じはします」

そうですか……痩せたい気持ちに対する価値観の変化を感じておられるのですね。それと、この中でポイントとなるのが、ご自分の価値観の変化を客観的に捉えられている、ということだと思います。さっきおっしゃっていたように、

摂食障害を克服するきっかけや、動機や理由などは、もしかしたら何でもいいのかもしれない。

ということや、

とにかくこの流れに乗っかりたい、流れを掴んで、進んでいきたい。

という、ある意味偶然や運のようなものに乗っかることも必要なことですが、今までのご自分を振り返って、客観的に因果関係などを見つめ直すことは、後々自分を見失うような状況に陥ってしまった時などに、ご自分を支える、ご自分を保つことにも繋がりますので、大切なことだと思いますよ。

「そうなんですね……そういうものなんですね」

それともう一つ、重要なポイントがあったのですが、

自分でも一番酷い時、極端な考え方しか出来なかった頃から比べれば、随分と自分を許せるようにはなってきたんじゃないかなぁ……って感じはします。

とおっしゃっていましたが、覚えていますか?

「はい、改めて言われると自信ないですけど……」

今までは、自分を許すことが出来れば……でも、なかなか出来ない、ということをおっしゃっていたと思います。ところが、ご自身で意識していないかもしれませんが、ほんの少しずつでも自分を許せることって、案外出来ている。そう思いませんか?

「そうですね、そう言われると、そうかもしれません」

ご自分で意識していなくても、状態が酷い時に比べれば、結構出来ていることもあると思いますよ。ですから、余りご自分のことを出来ない、ダメだ、などと否定なさらずに、出来たことやうまくいっていることに目を向けて、自分を認める、自分を否定しない、ということも大切なことだと思います。

「自分ではよくわからないこともありますが、そうかもしれませんね」

とにかく、今のあなたは、おっしゃる通り状態がいい方向に向かっていますので、この流れに乗っかりたい、流れを掴んで、進んでいきたい、ということもいいかもしれませんね。ただ、脅す訳ではありませんが、摂食障害という病気は行きつ戻りつ、一進一退を繰り返すこともありますので、出来なかったりうまくいかなかったりした時にも、そんなご自分を否定することなく、受け入れることが出来れば必ず克服に向けて進んでいけるのではないかと思います。

「そうですね……私もそうありたいし、そうなりたいと思います」

そう思い続けていれば、いつか必ずなりたい自分になれると思いますよ。それでは、次回お会いするまでに、またちょっと考えていただきたい、というか思いつくままを紙に書いてお持ちいただきたいと思います。それは、出来たことやうまくいっていること、どんな些細なことでも構いません。あるいは自分を許せたこと、自分を認められたこと、自分を否定しなかったこと、でもいいです。ちょっと試してみてください。

「わかりました。出来たことや自分を許せたことですね」

出来たこと

うまくいっていること

自分を許せたこと

自分を認められたこと

自分を否定しなかったこと……

「この前は、先生に

自分でも一番酷い時、極端な考え方しか出来なかった頃から比べれば、随分と自分を許せるようにはなってきたんじゃないかなぁ……って感じはします。

なんて言ったけど、改めて考えてみると自分を許せたことなんて、そうそうあるものじゃないよね……」

とりあえず、出来たこととして

休みの日も、過食嘔吐をするとしても1日1回で済ませられるようにすること!

と紙に書いてみた。

「まあこれは、4、5回くらいは出来ているから、出来たこととしてもいいでしょ」

それから、

今出来ることを一つ一つ積み重ねる、ということは、今出来ないことを無理してやらない、ということ。

ということを、自分を許せたこととして書き加えた。

「これも、いつも出来てる訳じゃないけど、なるべく心掛けているから、いいかな。だって、以前のガチガチな完璧主義に比べれば、結構緩くなったと思うし」

考え出したら意外と止まらなくなって、その時だけは食べることを忘れるくらい没頭していた。

なんて、以前の私からしたら、あり得ないことだった……ただ私は、先生のところに通い続け、たくさんのアドバイスをもらい、切れそうな気持を何とか明日に繋げて、そして摂食障害を克服することを諦めないで、その時その時に出来ることを続けてきた。たまに、妹の由希に話を聞いてもらったり、相談したりして、とにかく前を向いて生きてきた。摂食障害の病気の期間を考えたら、1年や2年なんて、短いうちに入るかもしれない。だけど、私にとっては長い長い、果てしないトンネルだった……そして、いつの頃からか、いつもって訳ではないけど、食べることを忘れるくらい没頭して、考える時間を作ることが出来るようになった。この先、いつ過食嘔吐をやめられるのか、美味しい食事を楽しむことが出来るようになるのか、お腹いっぱいって感じられるようになるのか、それはまだわからない。でも、ほんの少しずつかもしれないけれど、そこに近づいているような気がする。私は、微かな希望を抱いて、進み続けたかった。もう、後戻りはしたくなかった。ただそれだけ、ただそれだけ……

「これも出来たこととして書いておこう」

摂食障害を克服することを諦めないで、その時その時に出来ることを続けてきたこと。

「先生は、どんな些細なことでも構わない、って言っていたけど、こんなんでもいいのかな……」

私は、摂食障害になってから、過食嘔吐をやめられないことに始まって、出来ないこと、うまくいかないこと、思い通りにならないこと、自分自身をコントロール出来ないこと、そんなことばかりが気になって、そのことだけに目を向けていた。そして、何で出来ないんだろう、何でまたやっちゃったんだろう、何でやめられないんだろう、何で自分のことなのにコントロール出来ないんだろうって、自分を責めて、出来ない自分が許せなくて、出来ない自分を認められなくて、そんな自分を否定ばかりしていた。でも、いくら自分を責めたところで、出来るようになることに繋がる訳ではない。

……そう、例えば会社で仕事がうまく出来なかったとして、いくら怒られて、怒鳴りつけられて、責められても、出来るようになる方法を教えてもらったり、出来なかった理由を分析して次の機会に活かしたりしなければ、いつまで経っても同じミスを繰り返してしまうのと同じ。私は、出来ない自分を責め続けていても、それだけでは出来るようにはならないのかもしれない。出来るようになる方法を探したり、出来なかった理由を考えたり、そういうことが大切で、必要なこと。もし、自分一人の力では考えられないのなら、先生や由希にサポートしてもらうことも必要かもしれない。そんなことを一つ一つ積み重ねて、続けることが、いつか摂食障害を克服することに繋がるのかもしれない。

「でもさ、頭の中ではそういうことがわかっていても、いざやってみて出来るかどうかとは、やっぱり違うよね……特に自分のこととなると、どうしても基準が厳しくなっちゃうし、完璧を求めてしまうし、甘えてるだけとか、怠けてるとか、そういうふうに思っちゃうんだよね……多分そこにも分厚い壁があるんだよね……」

「また来ちゃった……」

摂食障害になってからというもの、私はどうにもならなくて行き詰った時には、何かに導かれるように御宿に来るようになっていた。でも今日は、私の隣には由希はいなかった。その代わりじゃないけど、私の心の中には、おばあちゃんが寄り添ってくれている、そんな気がした。

「おばあちゃん、あのね、私、どうしたらいいのか、ちょっとわからないことがあってね。そんな時、おばあちゃんならどうするのかちょっと聞いてみたくてね、それでわざわざ海まで来てもらったの。聞いてもいいかなぁ……」

おばあちゃんは、目を細めて、ただニコニコして頷いてくれた。

「私ね、前もちょっと話したと思うけど、たくさん食べて吐くようになっちゃって、それがやめられない、過食嘔吐っていう病気なの。それでね、今専門の人……カウンセラーみたいな先生にいろいろ話したり、相談したりして、前より少しずつは良くなってきたと思うんだけどね。でもね、今ちょっと停滞気味じゃないけど、あともう一歩がなかなか進めなくて。何ていうかね、壁みたいなものにぶち当たっちゃったような状態なの。頭では、これからどうしたらいいのか、どうするべきか、ある程度は考えてわかってるつもりなんだけど、でもいざやってみようとすると、完璧じゃなきゃいけない、甘えちゃいけない、怠けちゃいけない、みたいな考えがどうしても抜けなくてね、なかなか自分を許したり、自分を認めたりすることが出来なくて。それでね、結局出来ない自分を責めたりして、そんなことの繰り返しだから、いつもいつも同じところをぐるぐる回ってるだけ、みたいな状態なの。私はね、その私の中にある壁みたいなものを超えられれば、もっともっといい方向に進んでいけるんじゃないか、壁を取り除くことが出来れば、きっと病気を克服出来るんじゃないか、って思ってるんだけどね。どうしたらいいのかなぁ……」

目の前には、心が洗われるような真っ白な砂浜と、真っ直ぐな水平線、そして突き抜けるような青い海と空が広がっていた。おばあちゃんの答えの代わりに、波の音が耳に響いていた。

「おばあちゃんだったら、何て言ってくれるかなぁ……」

(紗希ちゃん、そんな難しいこと考えたって、疲れちゃうだけだよ。出来ない時は出来んし、出来る時は出来る。世の中の流れに逆らっちゃ、いけないよ。時間が経てば、きっと出来るようになるから。それよりほら、美味しいもんたくさん食べて、力つけないと。治るもんも治らんよ。心配せんでも、小さい頃から紗希ちゃんは何でも出来たんだから、ちょっと考え過ぎて、疲れちゃってお休みしとるだけなんよ。またいつでも話においで、おばあちゃん、いつでも待っとるからね……)

自分で想像したくせに、何だか涙が溢れてきた。おばあちゃんなら、きっとそんなことを言ってくれるはず……いや、今の私がおばあちゃんに言って欲しかったこと、だったのかもしれない……

(ほら、さっき買ったお菓子でも食べて。甘いもんは心の栄養だからね、悩んでる時には、ぴったりだよ~)

「そうだね、甘い物は心の栄養だよね。悩んでる時にはお菓子をつまんで気分転換だよね。今日はね、おばあちゃんと一緒に食べたくて、大福もどら焼きも買ったんだ」

おばあちゃんなら、目を細めて、ただニコニコして美味しそうに一緒に食べてくれるはず……なのに、どうして普段の私は、心の栄養も、身体の栄養も、拒み続けているのだろう……虚しくて、生きる意味も見つけられなくて、空っぽの心にさえ、栄養を与えることを許さないでいる。痩せて、干からびて、仕事に行くのが精一杯の、元気の欠片もない身体にさえ、栄養を与えることを許さないでいる。栄養を与えるふりをして、食べたいだけ食べて、結局は全て吐き出して、心の栄養も、身体の栄養も、拒み続けている。きっとおばあちゃんは、そんな私に喜んで、目を細めて、ただニコニコして、500円分のお菓子を買ってはくれないだろう……

「おばあちゃん、お菓子も食事も、美味しいね、美味しいねって、これ食べると元気が出るねって、みんなで一緒に食べると楽しいねって、そうやって食べるものだよね、そうやって食べたいよね。脇目もふらず買い物して、食べるというよりただひたすら詰め込んで、吐き出すなんて、美味しくもないし、楽しくもないし、心の栄養にもならないよね……わかってる、そんなこと言われなくてもわかってる、わかってるんだけど、今の私には出来ないんだよね……おばあちゃん、私どうしたらいいのかなぁ……」

……私の頭の中のおばあちゃんは、それには何も答えてはくれなかった。

結局、

今出来ることを一つ一つ積み重ねること

今出来ないことを無理してやろうとしないこと

自分のメンタルの状態や身体の状況も無視しないこと

そして、

頭で考えることが必ずしも実行出来る訳ではないということ

行き詰った時には、これらのことを一つ一つ思い出して、胸に刻み込む……それしかないし、それが一番の近道なのかもしれなかった。

「おばあちゃん、今日は私の答えがないような、答えようがないようなことに付き合ってくれて、ありがとう。大福とかどら焼きとか、さっき買ったお菓子を一緒に食べよう。甘い物は心の栄養だもんね。それに、一人で食べるより、おばあちゃんと食べるお菓子は何倍も美味しいからね……」

御宿の砂浜は、いつもと変わらず真っ白で、きらきらと輝いていた。

海も空も、突き抜けるような青さで、心が洗われるようだった。

そして、波の音は、いつまでも聞いていても飽きることなく心を落ち着かせてくれた……

「追い求めても、辿り着けないものもある。なりたくても、なれないものもある。でもきっと、ものの見方を変えれば、変えることが出来れば、辿り着けるものもあるし、なれるものもある……今の私に必要なのは、何をしても絶対に開かないドアを、いつまで経っても開けようとすることではなくて、開くかもしれないドアを探して、開かなければ次のドアを探すこと、いつかきっと開くドアを見つけることが出来ると信じて、探し続けること、そして、諦めないで、自分を信じて、続けることをやめないこと……おそらくそれしかない、それしかない……そうだよね、おばあちゃん?」

私は、何となく、ホントに何となくではあるけれども、

何をしても絶対に開かないドアを、

鍵のかかったドアを、

鍵が見つからないドアを、いつまで経っても開けようとすることを、

それでもいいんじゃないか、

そのままでもいいんじゃないかと、どこかで思っているような気がした。

そして、

開くかもしれないドアを探すことを、

開かなければ次のドアを探すことを、

そこまでしなくてもいいんじゃないかと、どこかで思っているような気がした。


「そんなふうに考えているつもりはないけど、でももしかしたら無意識のうちに、心のどこかで今のままでもいいんじゃないか、出来ない自分を責めて、ダメ出ししていれば自分を許したことになるんじゃないか、と思っていることがあるのかもしれない」

自分自身を追い詰め過ぎれば、いいことなんて何もないし、過食嘔吐も酷くなるばかり。だけど、何で出来ないんだろう、って考えてさえいればそれでいいんじゃないかと、そのことに慣れてしまって、そこからなかなか抜け出せない……そういう側面も、もしかしたらあるのかもしれない。

「無理は禁物。今出来ないことを無理してやらない。それはもちろんそうだけど、何ていうか、そういった状況に慣れ過ぎてしまって、そのままでもいいんじゃないかって、無意識のうちに思っていたかもしれない……」

だとすると、やっぱりどこかで思い切ったことや、思い切った考え方をしなければ、いつまで経ってもこの状況から抜け出すことは出来ないのかもしれない。

自分自身を追い詰め過ぎないこと

無理をし過ぎないこと

今出来ないことを無理してやらないこと

そして、

思い切ったことに挑戦してみること

思い切った考え方をすること

これらを、自分のメンタルや身体の状況を無視しないで、バランス良くやってみること……そういったことも考えなければならないのかもしれない。

先生の言っていた

出来たことやうまくいっていること

自分を許せたこと

自分を認められたこと

自分を否定しなかったこと

こういったことも、突き詰めて考えてみると、案外難しいし、はたして今の私にそんなことが一つでもあるのかどうか、だんだんわからなくなってしまった。


何日か前に紙に書き出した言葉を、改めて読んでみた。

出来たこと

休みの日も、過食嘔吐をするとしても1日1回で済ませられるようにすること!
摂食障害を克服することを諦めないで、その時その時に出来ることを続けてきたこと。

自分を許せたこと

今出来ることを一つ一つ積み重ねる、ということは、今出来ないことを無理してやらない、ということ。

「でもこれは、その時そう思ったことで、噓でも何でもないんだし、実際出来たり許せたりしているのだから、そのままにしておこう……」


出来たことやうまくいっていることだって、自分が出来た、と思えば出来たことになるけれど、今までの自分と比べたら結構出来たとしても、自分がまだまだ出来たとは言えない、って思ってしまったら出来たことにはならない。

自分を許せたこと、自分を認められたこと、自分を否定しなかったことだって、同じこと。今の自分の状況ではもう十分だよ、無理してない?って思っても、そんな程度じゃ許せない、認められない、肯定出来ない、って思ってしまったら、やっぱり許せないし、認められないし、否定してしまうだろう。

そう考えると、たとえ一日何も出来なかったとしても、

今日は休みなのに、何一つできなかった、無駄に過ごしてしまった

と思うのか、

今日は何も出来なかったけど、その代わり身体を休めることが出来たし、買い物にも行かなかったし、過食嘔吐もしてないから、それだけで十分、OK

と思えるのか。


行き着くところは、自分の考え方次第、物事の捉え方次第、ということになる……同じ行動や何かの結果だったとしても、そのことを肯定的に受け止められるのか、否定し続けるのか。

「ものの見方を変えることが出来れば、今よりほんの少しでも楽になれるのかもしれない……」

私の思考は、結局いつもいつも同じところをぐるぐる回ってるだけ。状態が良くなってきたような気がしても、今までの自分と大きく変わることは出来ないし、今までの自分の価値観を180度変えるような、劇的な変化は起こらない。最終的には、今出来ることを一つ一つ積み重ねること、時計の短針のように、一見すると全然進んでいないように見えたとしても、確実に進んでいる、と信じること。そんなことくらいしか、出来ないのかもしれない。それでも諦めないで、いつかは摂食障害を克服出来ると信じて、気持ちを切らさずに出来ることを続けること。そんな、地道なことの積み重ねの先にしか、夜明けは訪れないのかもしれない……

月の光のように、太陽の光を反射した光でもいい。自分の力だけで輝けなくてもいい。先生や、由希や、おばあちゃんの力を借りてでも、ほんの少しでも、一筋の光が差し込んでくれれば、明日への希望を繋げることが出来る……その光は、いつかは私にも届くのだろうか……

何で私は、みんなが普通に出来ることが出来なくなってしまったの

何で私は、みんなが出来る食べることが出来なくなってしまったの

何で私は、みんなが拘ってない極端な痩せ方に執着してしまったの

何で、何で、何で私は自分で作り上げた苦しみから抜け出せないの

私の中にある壁みたいなものを超えられれば、もっともっといい方向に進んでいけるんじゃないか、壁を取り除くことが出来れば、きっと病気を克服出来るんじゃないか、と思う。でもその壁は、一体どうしたらなくなるのだろうか……

「でも、きっと私は、どうしたらいいのかわかってる。どうするべきなのかわかってる。でもその一歩を踏み出すこと、そのことが怖くて、不安で、落ち着かなくて、何となく躊躇っている。ただそれだけなのかもしれない。誰かが背中を押してくれたら、あっという間に流れに乗っかって、どんどん進んでいけるのかもしれない。でもその一歩が果てしなく遠くに感じてしまう……」

今夜は新月なのか、それとも雲に覆われているのか、私の部屋に月の光は届かなかった。

今までの自分と大きく変わることは出来ないし、今までの自分の価値観を180度変えるような、劇的な変化は起こらない。だからといって、何も変わらなければ、何も変えることが出来なければ、昨日と同じことを繰り返すだけだし、今日と同じ明日を過ごすことしか出来ない。

やっぱりどこかで思い切ったことや、思い切った考え方をしなければ、いつまで経ってもこの状況から抜け出すことは出来ないのかもしれない。

私は今まで、失敗を恐れて、失敗しないように、躓かないように、慎重に考えて考えて物事を進めてきた。だけど、そんな失敗しない(完璧な)私なんて、とっくのむかしにどこかへいなくなってしまった。痩せたいだけ痩せられたのは、ほんの一時だけの幻想だった。痩せたくても痩せられなくて、痩せたいのに猛烈に食べたくて、食べたい猛獣に襲われたら食欲を抑え切れなくて、結局辿り着いたのが過食嘔吐だった。食べたいだけ食べても太らないし、痩せていられる・・・なんてことは本来はあり得ないし、過食嘔吐で維持している体重、体型だって、ただの幻想。そう……

私は、私が作り出した幻想の中で生きている

私は、私が作り出した幻想から抜け出せないでいる

私は、私が作り出した幻想と現実を見極めなければならない

私は、私が作り出した幻想だということに気付かなければならない


「もし、今の私に出来ることがあるとすれば、それは失敗することを前提に、失敗することが当たり前だと思って、今までやってこなかったことに挑戦すること。過食嘔吐をやめたくてもやめられないような私に、失敗を恐れて、失敗しないように、躓かないように、慎重に考えて考えて物事を進める、なんてことは出来ないのだと、幻想を抱くのはいい加減終わりにしようと、自分に言い聞かせて切り替えていくこと。そして、何とかして摂食障害克服に向けての大切な一歩を踏み出すこと。それしかないのかもしれない……」

ほんの少し、本当にほんの少しだけだけど、自分の中で何かが吹っ切れたような感覚があった。

「失敗してもいい、失敗しても当たり前、失敗するに決まってる。それでもいい、それでもいいから、何かを始めてみよう、何かを試してみよう、昨日と違うことをやってみよう。もしも失敗したって、失敗することが当たり前なんだから、そのことで落ち込んだり、自分を責めることはしないようにしよう」

とりあえず、吐かずに食べることが出来るもの、許可食を探してみることにした。

「とにかく、過食嘔吐をやめるには、吐かずに食べるには、私にとって食べても吐かないでいられる、安心して食べられるものは何なのか、ちょっと考えて探してみよう」

思いつくものは、カロリーゼロのもの、野菜、きのこ類、こんにゃく、海藻類……とりあえずはそんなものしかない気がした。

「そんなものしかないんじゃぁ、結局食べたい気持ちを抑え切れなくて、食べたい猛獣に襲われて、勝てなくて、後できっと過食嘔吐をしてしまう……」

今までの私は、失敗するだろうという結果が見えていたら、間違いなく試していなかった。でも今日は、失敗してもいい、失敗しても当たり前、失敗するに決まってる。それでもいい、それでもいいから、試してみることを選択することにした。その選択が出来るのが、たとえ今日だけだとしても、それでもやってみる、ということが大切なんじゃないかと思った。

「そうだよね、後で過食嘔吐をしてしまったとしても、何も試さなくたって過食嘔吐をすることを考えたら、たとえ失敗したとしても何かをやってみることに、何かしらの価値がある気がする……」

それからというもの、私は

失敗してもいい、失敗しても当たり前、失敗するに決まってる。それでもいい、それでもいいから、何かを始めてみよう、何かを試してみよう、昨日と違うことをやってみよう。

という言葉を、事あるごとに思い出して、呪文のように繰り返し繰り返し頭の中で反芻していた。

「今まで私は、割と何に対しても、何をするにしても、自分自身に完璧を求めてきた。完璧が当たり前だった。完璧でなければ許せなかった。完璧でなければ(私自身に)許されなかった。でも、私の完璧は、完璧主義は、過食嘔吐を覚えた時にあっけなく崩壊してしまった……私は完璧でも何でもない。失敗しても当たり前。それでも目指すところに辿り着くために、摂食障害を克服するために、失敗を繰り返しながら、今出来ることを一つ一つ続けていく。焦らずに、慌てずに、そして決して諦めることなく、長い長いトンネルの出口を目指して進んでいく。自分の中にある、自分で作り上げた、私が進もうとすると必ず現れる壁を何とかして乗り越える。そして、いつかはわからないけど、必ずいつの日か、みんなと一緒に(普通に)食べられるようになる。今は、こんな私にもその日がくると信じて、出来ることをやって、出来ないことを無理してやらない。それが全て、それしか出来ないよね……でもきっと、それでいいんだと思う。出来ることしか出来ないし、出来ないことは出来ないのだから。何か、それってもしかしたら当たり前かも」


……そう、私は今まで、

すごく当たり前のことに気が付かなかった。

すごく当たり前のことが出来ていなかった。

すごく当たり前のことに目を向けていなかった。

すごく当たり前のことを見ようとしてこなかった。

そして、

すごく当たり前のことを無視して自分を苦しめていた。

すごく当たり前のことを無視して自分を追い込んでいた。

すごく当たり前のことを無視して自分を追い詰めていた。

すごく当たり前のことを当たり前だとは思っていなかった。


私は完璧でも何でもない。

私は特別でも何でもない。

だから、これからは、

すごく当たり前のことを気にかけて

すごく当たり前のことをやってみて

すごく当たり前のことに目を向けて

すごく当たり前のことを見るようにして

一つ一つ出来ることを積み重ねていく。

それでいい。

それで十分。

それが全て。

そして、私に残された課題、それは、

どんなに当たり前のことを考えたとしても

どんなに当たり前のことに気が付いたとしても

それを実際に行動に移せるか、実践出来るか、ということだった。

「結局は、考えた通りに物事が進まない、という壁にぶち当たってしまう。でも、それでもいい、それでも諦めないで、ほんの少しでもいいから前に進んでいこう。前を向いていこう。だって、

私は完璧でも何でもない。

私は特別でも何でもない。

それに、

失敗してもいい、失敗しても当たり前、失敗するに決まってる。

それでもいい、それでもいいから、何かを始めてみよう、何かを試してみよう、昨日と違うことをやってみよう……今の私はそれでいいんだから、それで十分なんだから、それが全てなんだから」


今までの私は、何でかはわからないけれど、ギリギリまで気を張って、あらゆることを先回りして考えて、常にミスがないように、間違わないように、失敗しないように、完璧な結果を求める余り、神経をすり減らして、精神的に追い詰められていた。そして、そんなにギリギリで、追い詰められていたことにも気が付かなかった。痩せることを求めて、求めて、求めて辿り着いた摂食障害、そして過食嘔吐……もしかしたら、誰かが、神様が、いつまで経っても自分で自分を追い詰めていることに気が付かない私に、何とかして気付かせようとして、摂食障害に導いたのかもしれない。そして今、私は、ようやくそのことに気付き始めることが出来た。もう、

とことん完璧を求めること

とことん自分を苦しめること

とことん自分を追い込むこと

とことん自分を追い詰めること

そんなことは、諦めよう。

そんなことは、やめにしよう。

そんなことは、考えないようにしよう。

そんなことに、拘らないようにしよう。

そんなことに、囚われないようにしよう。

私の求める完璧は、とっくに崩壊してしまったのだから。

私の求める痩せたいは、儚い夢であり、幻想だったのだから。

私が求めた痩せて、痩せて、痩せた先には、何もなかったのだから。

現実を受け止めて、受け入れて、生きていかなければならないのだから。

いつまでも、夢の世界や幻想の世界で生き続けることは出来ないのだから。

私にとって、摂食障害は、とても辛くて、苦しくて、終わりがなくて、そして解決策も見つからなくて、果てしなく続く地獄のような、絶望でしかなかった。

こんなことになるのなら、必要以上に痩せたいだなんて、考えなければよかった。

でも、もし仮に、誰かが、あるいは神様が、いつまで経っても自分で自分を追い詰めていることに気が付かない私に、何とかして気付かせようとして、摂食障害に導いたのだとしたら、私にとって摂食障害になってしまった意味、みたいなものがあったのかもしれない。

だからといって、摂食障害になって良かったなんて、とてもじゃないけど思うことは出来ないし、もっと別の、苦しまずに済む方法で気が付きたかった。

だけど私は、現実過食嘔吐をやめたくてもやめられない状態に陥ってしまった。その苦しみの中に、何の意味も見出せないのなら、本当にただの絶望でしかなくなってしまう。

私は、私にとって摂食障害とは一体何だったのか、ということについて、長い時間をかけてようやく気付き始めることが出来た……


もしも、私の考えていることが、的外れでなければ、

自分を許し

自分を認めて

自分を否定することなく

ありのままの自分を受け止める

そういうことを一つ一つ積み重ねることで、もしかしたら痩せたい気持ちや、食べたい思いが、ほんの少しずつ薄れていくのかもしれない。

とことん完璧を求めたり

とことん自分を苦しめたり

とことん自分を追い込んだり

とことん自分を追い詰めたり

そいういことから自分を解放して、

自分を大切にし

自分の状態を無視しないで

自分自身のための人生を生きる

そんなことが出来るようになれば、摂食障害も克服することが出来る……そんな気がした。

先生は以前、こんなことを言っていた。

摂食障害という病気は、ある意味では自分自身と向き合うこと、自分自身を見つめ直すことが必要な方がなってしまう病気だと思っています。ですから、それを避けて通ろうとしているうちは、本当の意味での克服は出来ないかもしれません。
摂食障害は、文字通り食行動に異常をきたす病気であり、また(痩せたい気持ち)が極端になる傾向がある精神疾患です。ただ、その背景には、個人個人で様々な要因が関係している場合が多く、食べたい気持ちや痩せたい思いのみに焦点をあてても、なかなか良くならない場合もあります。

私は今まで、食べたい気持ちや痩せたい思いをどうにかしなければ、過食嘔吐はやめられないと思って、いろいろなことを考えたり、試したりしてきた。何を食べるか、どれだけ食べるか、何カロリーか、何カロリーか、何カロリーか、許可食とか、過食スイッチとか、体重とか、体重とか、体重とか。摂食障害なんだから当たり前と言えば当たり前だけど、そんなことを考えて、そんなことばかり考えて、そんなことしか考えられなくて、考えたくもないのにそんなことが頭から離れなくて、食べることと痩せることに拘って、囚われて、支配されて、生きてきた。

そういうことを考えること、食べることや痩せることをどうにかすることは、もちろん大切で、必要なことだとは思うけど、でもそれだけでは摂食障害は克服出来ないのかもしれない。

自分を許し

自分を認めて

自分を否定することなく

ありのままの自分を受け止める

そういうことを一つ一つ積み重ねることで、もしかしたら痩せたい気持ちや、食べたい思いが、ほんの少しずつ薄れていくのかもしれない。

自分自身と向き合うこと

自分自身を見つめ直すこと

言葉にするとそんなに難しいことは言っていないけど、普通に食べたり、普通に痩せたりすることと同じくらい、いやもしかしたらそれ以上に難しいことなのかもしれない。

それでも今の私は、分厚い壁の向こう側にいる自分自身と向き合い、今までの自分自身を見つめ直すこと……それらのことに、痩せたい思いと同じテンションで、同じエネルギーで、いやもしかしたらそれを超えるテンションで、エネルギーで取り組まなければ、本当の意味での摂食障害の克服は出来ないのではないか……そんな気がした。

……こんばんは、この2週間は、いかがお過ごしでしたか?出来たことやうまくいっていること、あるいは自分を許せたこと、自分を認められたこと、自分を否定しなかったこと、などを書き出すことは出来ましたか。

「そうですね……少ないですけど、一応書いてみました」

***

出来たこと

休みの日も、過食嘔吐をするとしても1日1回で済ませられるようにすること!
摂食障害を克服することを諦めないで、その時その時に出来ることを続けてきたこと。

自分を許せたこと

今出来ることを一つ一つ積み重ねる、ということは、今出来ないことを無理してやらない、ということ。

***

「それから、紙には書かなかったんですけど、繰り返し頭の中で反芻している言葉があって、

失敗してもいい、失敗しても当たり前、失敗するに決まってる。それでもいい、それでもいいから、何かを始めてみよう、何かを試してみよう、昨日と違うことをやってみよう。

ということを、忘れないように、事あるごとに思い出すようにしています」

そうですか、なるほど、どれも素晴らしいことだと思います。特に、先ほどおっしゃっていた、

失敗してもいい、失敗しても当たり前、失敗するに決まってる。それでもいい。

という言葉は、今までの、どちらかと言うと完璧主義的な傾向を強くお持ちのあなたからしたら、いろいろな心の葛藤があったことが窺えます。

「そうですね……この2週間は、確かにいろいろと考えることが多かったように思います。紙に書いたりした訳ではないので、具体的に何を考えていたかとかを、この場で話すことは出来ないかもしれません。でも、以前先生がおっしゃっていた

自分自身と向き合うこと

自分自身を見つめ直すこと

ということが、摂食障害を克服するためには大切なことだということが、何となくわかってきた気がするんです。そんなことを感じた2週間だったと思います」

なるほど、そうですか。何か、そう感じたきっかけ、みたいなものはありましたか?

「きっかけですか?そうですね……これといった決定的なきっかけがあった訳ではないと思うんですけど、いろいろと考えていたら、何となくそんなことに辿り着いた、という感じだと思います」

そうですか。それでは、覚えている範囲で構いませんので、この2週間にどんなことを考えていたか、あるいはどんな心の葛藤があったか、一つでもいいので紙に書いていただけますか。

「そうですね……確か、

行き着くところは、自分の考え方次第、物事の捉え方次第、ということになる……同じ行動や何かの結果だったとしても、そのことを肯定的に受け止められるのか、否定し続けるのか。
やっぱりどこかで思い切ったことや、思い切った考え方をしなければ、いつまで経ってもこの状況から抜け出すことは出来ないのかもしれない。
食べたいだけ食べても太らないし、痩せていられる……なんてことは本来はあり得ないし、過食嘔吐で維持している体重、体型だって、ただの幻想。
出来ることをやって、出来ないことを無理してやらない。それが全て、それしか出来ないよね……でもきっと、それでいいんだと思う。出来ることしか出来ないし、出来ないことは出来ないのだから。何か、それってもしかしたら当たり前かも。
もし仮に、誰かが、あるいは神様が、いつまで経っても自分で自分を追い詰めていることに気が付かない私に、何とかして気付かせようとして、摂食障害に導いたのだとしたら、私にとって摂食障害になってしまった意味、みたいなものがあったのかもしれない。

そんなことを思ったり、考えたりしていました」

おお、そうですか!結構具体的に思い出していただいて、ありがとうございます。それでは、順番にお伺いします。まず、

行き着くところは、自分の考え方次第、物事の捉え方次第、ということになる……同じ行動や何かの結果だったとしても、そのことを肯定的に受け止められるのか、否定し続けるのか。

このことを考えた時に、何か具体的なことを思い浮かべましたか?

「そうですね……確か、

たとえ一日何も出来なかったとしても、今日は休みなのに、何一つできなかった、無駄に過ごしてしまったと思うのか、今日は何も出来なかったけど、その代わり身体を休めることが出来たし、買い物にも行かなかったし、過食嘔吐もしてないから、それだけで十分、OKと思えるのか。

そんなことを思い浮かべながら考えた、と思います」

なるほど、同じ行動だったとしても、そのことを肯定的に受け止められるのか、否定し続けるのか……正にその通りですね。おそらく今までは、そのように捉えることは出来なかったのではないでしょうか。この先、いつでも肯定的に受け止めることは難しいかもしれませんが、ほんの少しでもそのように考えられることが増えるといいですよね。では、次に、

やっぱりどこかで思い切ったことや、思い切った考え方をしなければ、いつまで経ってもこの状況から抜け出すことは出来ないのかもしれない。

このことを考えた時は、他にどんなことを考えていましたか?

「はい、多分、

今までの自分と大きく変わることは出来ないし、今までの自分の価値観を180度変えるような、劇的な変化は起こらない。だからといって、何も変わらなければ、何も変えることが出来なければ、昨日と同じことを繰り返すだけだし、今日と同じ明日を過ごすことしか出来ない。

そんなことを考えていたと思います」

そうですか、それは素晴らしい気付きがあったのではないですか。確かにおっしゃる通り、自分自身や自分の価値観を大きく、180度変えるようなことはなかなか出来ることではないし、至難の業です。かといって、何も変わらなければ、なりたい自分に近づくことも難しい。どこかの時点、ご自分のタイミングで、思考を切り替えて、今までとは違う、思い切った考え方をすることが、現状を打破するためには必要になることもあります。それでは次の、

食べたいだけ食べても太らないし、痩せていられる……なんてことは本来はあり得ないし、過食嘔吐で維持している体重、体型だって、ただの幻想。

「はい、それは、どんな状況だったかはちょっとよく覚えてないんですけど、多分、私、痩せることや食べることを考えるのに疲れちゃったんですよね。それでふと、そんな言葉が頭の中に浮かんだんだと思います」

そうですか、痩せることや食べることを考えるのに疲れてしまったんですね……

「はい、そうですね……本当に、本当にもう、私、疲れました。何を食べるか、どれだけ食べるか、何カロリーか、何カロリーか、何カロリーか、許可食とか、過食スイッチとか、体重とか、体重とか、体重とか。そんなことを考えて、そんなことばかり考えて、そんなことしか考えられなくて、考えたくもないのにそんなことが頭から離れなくて、食べることと痩せることに拘って、囚われて、支配されて……そんな状態に、そんな私自身に、そんなことしかない人生に、疲れて、疲れて、疲れ切ってしまいました。私は、私が作り出した幻想の中で生きていることに、疲れました」

本当に、疲れ切ってしまったのですね……では、今何が一番したいですか?

「今したいことですか……そうですね……何だろう、私、何かしたいことって、あるのかな……よくわかりません……あっ、でも、そうですね、そういえば、もうとっくの昔に亡くなってしまったおばあちゃんと、頭の中で約束したことがあるんです。(お菓子も食事も、美味しいね、美味しいねって、これ食べると元気が出るねって、みんなで一緒に食べると楽しいねって、そうやって食べるものだよね、そうやって食べたいよね)って。だから、いつの日か、みんなと一緒に(普通に)食べられるようになりたいです。そして、痩せることや食べることで埋め尽くされた、私が作り出した幻想の中で生きていることから、解放されたいです。今は、ただそれだけです」

そうですか……ずっとずっと、苦しみ続けていらっしゃいましたからね。それはそれはお辛かったと思います。それでも、諦めないで、今出来ることを一つ一つ続けていけば、いつか必ず摂食障害を克服することが出来ると思いますので、どうか、気持ちを切らさずに克服へ向けて出来ることを続けていきましょう。いつか必ず良くなる、そう信じてください。

「わかりました……いつか必ず良くなる、と信じることが大切ですよね」

そうですね、信じること、続けること、諦めないこと、どれも大切なことです……それでは次の、

出来ることをやって、出来ないことを無理してやらない。それが全て、それしか出来ないよね……でもきっと、それでいいんだと思う。出来ることしか出来ないし、出来ないことは出来ないのだから。何か、それってもしかしたら当たり前かも。

このことを考えた時は、どんな気持ちでしたか?

「はい、そうですね……どうだったかな?多分、

今まで私は、割と何に対しても、何をするにしても、自分自身に完璧を求めてきた。完璧が当たり前だった。完璧でなければ許せなかった。完璧でなければ(私自身に)許されなかった。でも、私の完璧は、完璧主義は、過食嘔吐を覚えた時にあっけなく崩壊してしまった……私は完璧でも何でもない。失敗しても当たり前。それでも目指すところに辿り着くために、摂食障害を克服するために、失敗を繰り返しながら、今出来ることを一つ一つ続けていく。焦らずに、慌てずに、そして決して諦めることなく、長い長いトンネルの出口を目指して進んでいく。自分の中にある、自分で作り上げた、私が進もうとすると必ず現れる壁を何とかして乗り越える。

そんな気持ちだったんじゃないかと思います」

なるほど、ご自身の中にある、ご自分で作り上げた、完璧でなければならない、という壁を乗り越えたい。そのためには、当たり前かもしれないけれども、出来ることをやり、出来ないことは無理してやらない、ということを一つ一つ積み重ねていくことしかないのではないか、そんなふうにお考えになったのでしょうか。

「そうですね、思い切ったことや、思い切った考え方をすることは必要ですけど、そのことと無理をしたり、完璧を求め過ぎることとは違うのではないか、無理をしたり、完璧を求め過ぎるから、壁にぶち当たってしまうのではないか、そんな気がします」

そうですか……ご自分の経験と、いろいろなことを考えた末の心の葛藤を経て、大切な気付きがあったようですね。これこそが正に

自分自身と向き合うこと

自分自身を見つめ直すこと

なのだと思いますよ。そして、こういった地道な作業は、摂食障害に限らず、生きていく上で必要なことであり、大切なことなのです。それでは最後の、

もし仮に、誰かが、あるいは神様が、いつまで経っても自分で自分を追い詰めていることに気が付かない私に、何とかして気付かせようとして、摂食障害に導いたのだとしたら、私にとって摂食障害になってしまった意味、みたいなものがあったのかもしれない。

このことを考えた時は、どんな心境だったのでしょうか?

「そうですね……その時は、いろいろと考えていたんじゃないかと思います。確か、

私にとって、摂食障害は、とても辛くて、苦しくて、終わりがなくて、そして解決策も見つからなくて、果てしなく続く地獄のような、絶望でしかなかった。こんなことになるのなら、必要以上に痩せたいだなんて、考えなければよかった。でも、もし仮に、誰かが、あるいは神様が、いつまで経っても自分で自分を追い詰めていることに気が付かない私に、何とかして気付かせようとして、摂食障害に導いたのだとしたら、私にとって摂食障害になってしまった意味、みたいなものがあったのかもしれない。だからといって、摂食障害になって良かったなんて、とてもじゃないけど思うことは出来ないし、もっと別の、苦しまずに済む方法で気が付きたかった。だけど私は、現実過食嘔吐をやめたくてもやめられない状態に陥ってしまった。その苦しみの中に、何の意味も見出せないのなら、本当にただの絶望でしかなくなってしまう。

そんなことを長い時間考えていたと思います」

そうですか……完璧主義的な性格が、知らず知らずのうちにご自分を追い詰めている。そして、そのことに自分自身で気付くために、摂食障害になってしまった。だから、摂食障害になってしまった意味があったのかもしれないし、逆に意味がないのなら、ただの絶望でしかない、そうお考えになったのですね。

「はい、そうですね、私にとって、摂食障害に何の意味もないのなら、辛くて、苦しくて、終わりがなくて、そして解決策も見つからなくて、果てしなく続く地獄のような、絶望でしかありませんから。だから、本当は意味などないとしても、そこに意味を見出したい、そんな気持ちになったんです」

なるほど、辛く、苦しい経験も、ご自分にとって意味があったと考えることで、地獄のような絶望から何かしら得るものがあるのかもしれない……そんな心境だったのでしょうか。

「はい、そんなことを考えていたと思います……あのう、先生、私、今思い付いたんですけど、実際に出来るかどうかは別にして、とにかく気持ちだけでも自分を許す、そういう心構えでいられればそれでいいんじゃないか、それで十分じゃないか、そんな気がしてきたんですけど」

そうですか、気持ちだけでも自分を許す……それは具体的には、どういうことですか?

「あのう、思いついたままになってしまいますけど、いいですか?例えば、

買いたければ、買ってもいい

食べたければ、食べてもいい

痩せたければ、吐いてもいい

出来るなら、やってもいい

出来ないのなら、無理してやらなくてもいい

続けられるなら、続けてもいい

変われるなら、変わってもいい

変われないのなら、そのままでもいい

完璧を追求したければ、追求してもいい

ダメ出しは、しなくてもいい

そんな自分に、〇を付けてあげよう

そんな自分を、大切にしてあげよう

そんな自分を許せるのなら、許してあげよう

もう私、そんな調子でもいいんじゃないかって、それしか出来ないんじゃないかって、そんな気がするんです……」

そうですか……今おっしゃったことが、たとえ実際に出来ないことがあったとしても、そう思うことで、気持ちだけでも自分を許す、そう心掛けている自分を許す、そういうことですか?

「そうですね……今思い付いたことなので、まとまりがないかもしれませんけど、そういうことだと思います。とにかく、実際に出来なかったとしても、気持ちだけでも、心掛けだけでも、心構えだけでも持ち続けることが出来れば、そんな自分を許してあげようって、そう思うんです」

それでいいと思います。これは、摂食障害に限ったことではありませんが、誰しも何かを始めようとする時、何かを変えようとする時には、今までの自分から劇的に変えよう、180度変えよう、などと思いがちなのです。ですが、実際には今までの自分と、これからの自分は地続きというか繋がりが途切れる訳ではありませんし、リセットされる訳でもないのです。昨日の自分も背負い続けて、それでも今日の自分や明日の自分は何かを始めたり、何かを変えたりしていかなければならない。ですから、ほんの少しずつ、あなたのおっしゃるように気持ちだけでも自分を許す、ということから始める、というのは理にかなっていると思いますよ。

「そうですよね、それでいいんですよね、それでいい……ほんの少しずつ、今出来ることから、一つ一つ積み重ねていく。それが理にかなっているし、それしか出来ないし、それでいいんですよね。諦めないで、そういったことを続けていれば、いつか必ず摂食障害も克服出来る……先生、そうですよね?」

おっしゃる通りだと思います。

ほんの少しずつ

今出来ること

一つ一つ積み重ねる

諦めない

続ける

いつか必ず

今まで私が何度となく言ってきた言葉だと思いますが、そういったキーワードについても、あなたは、ご自分の経験や心の葛藤から、ご自身の中に落とし込んで、ご自分の価値観で噛み砕いて、気付くことが出来ていると思います。それが非常に重要で、大切なことなのです。どんなに有益な情報であっても、誰かに言われるがままでは、心の底から納得して行動に移すことはなかなか難しい。誰かが唱えた方法やノウハウだとしても、盲目的に鵜呑みにするよりは、自分の経験や考え、心の葛藤などを通して導き出された結果の方が、たとえうまくいかなかったとしても、その結果に納得することが出来るのだと思います。そういった、自分で気付く、ということが出来てきたことが、大切で、必要なことなのです。

「あのう、私、自分で気付くことって、出来てるんでしょうか。先生にいろいろとアドバイスをもらわなければ、こんなことも考えられなかったと思うんですけど……」

あなたは既に、いろいろなことにご自分のフィルターを通して気付くことが出来ています。これからは、その気付きをいかにして実践していくか……そのことを考えていきましょう。そのためのサポートは全力でいたします。一緒に考えていきましょう。

「ありがとうございます。でも、先生、気付いたことをどうやって実践していくかが、やっぱり難しくて……頭ではいくらいいことを思いついても、なかなか思い通りにはいかなくて、それでイライラしてしまったり、出来ない自分を責めてしまったり、落ち込んでしまうことばかりで……本当にもう、自分のことが嫌になっちゃうことの繰り返しなんですよね」

そうですか……残念ですが、そうそううまくはいかないのが、現実だとは思います。それでも今まで通り、諦めることなく、出来ることを続けていきましょう。とにかく、ご自分の経験や考えたこと、心の葛藤などを通して導き出された気付きを、一つ一つ試してみる。その結果、うまくいったこと、状態が良くなったことがあれば、そのまま続けてみる。うまくいかなかったことや、出来そうにないこと、あるいは1度や2度は出来ても続けられないことがあれば、無理してやらない。結果を見ながら、どうやって次の一歩を踏み出すのかを改めて考えてみる。そうしたことの積み重ねがとても大切で、今のあなたに必要なことであり、摂食障害を克服するためにはそれが全て、と言ってもいいくらいです。

「そうなんですね……」

そうだと思います。そして、もし、ご自分の力、考えだけでは乗り越えられないこと、壁と言ってもいいかもしれませんが……があれば、どうしたらいいのかを一緒に考えていきましょう。そのためのサポートは全力でいたします。ただし、一番大切なこと、それは、

自分で考えること

自ら行動、実践すること

やる、やらないなどの、最終的な決定は自分ですること

です。

「最終的には、自分で決める、ということが大切なんですね……」

そうです……私は、全力でサポートはいたしますが、あくまでサポートです。自ら考え、行動し、経験を積み重ねる。その中から、自分でいろいろなことに気付き、これからどうしていくかを、自分で決めていく。それが最も大切なことであり、必要なことであり、その全てが摂食障害の克服に繋がっていくのです。

「あくまで私が主役、ということなんですね……」

そういうことです。先ほども少し話しましたが、誰かが唱えた方法やノウハウをそのまま取り入れようとしても、自分には合わない部分があったりするものです。そういう場合は、ご自分の性格的傾向や考え方、体質や体調などに合わせてアレンジすることも必要になるでしょう。また、どんなに有益な情報であっても、誰かに言われるがまま試すのと、ご自分の価値観に照らし合わせて、噛み砕いて、ご自身の中に落とし込んで実践するのとでは、納得して取り組めるのか、うまくいかなかった時にその現実を受け入れられるのか、ということに差が出てきます。とにかく、ご自分の経験や価値観、考え方なども考慮しながら、自分で気付くこと、自分で決めること、最終的にはそれが大切である、ということを忘れないでください。

「わかりました……確かに、同じ行動でも人に言われた通りにするのと、自分で納得してから進めるのとでは、結果に対する責任?覚悟?みたいなものが違うような気がします。最終的には自分で気が付いて、自分で決める、ということが、結果が良くても悪くても受け止めることが出来る、ということなのかもしれません」

そうですね、おっしゃる通りです。ただ、そうは言っても自分一人ではなかなか気づくことが出来なかったり、どうしたらいいのか迷ってしまうことは、この先も当然あると思います。そんな時は、私や誰かに相談したり、周りのサポートを受けながら、一歩一歩進んでいけばいいのです。自分で気付くこと、自分で決めることとは、決して自分一人の力だけで克服していく、という意味ではありません。摂食障害は非常に難しい病気です。自分一人の力だけで克服していくことは、非常に困難です。摂食障害に一定の理解がある人との繋がりや、自分にとって有益な情報に触れることが大切なことです。あなたは、一人ではありません。孤独でもありません。一人で抱え込むのではなく、頼るべき時には頼る。そして、決めるべき時には決める。これからも、そういった気持ちを忘れずに取り組んでいきましょう。

「先生、私は一人ではないんですね?孤独ではないんですね?そう言ってもらえたら、何だか嬉しくて、泣きそうなんですけど……私、先生のところには定期的に通ってきていましたけど、でも、家に帰ると一人で、あっ、一人暮らしなので当たり前なんですけど。それに、友達にも、会社の人にも、誰にも自分が摂食障害だなんて言えなくて、すごく孤独だったんです。ただ、妹だけには告白してて、たまに話を聞いてもらってたんですけど、それもたまにだったし……摂食障害だって、突き詰めて考えると自分との、孤独な戦い、みたいな感覚があって、本当にずっとずっと孤独だったんです。でも私は、一人ではないし、孤独でもない。一人で抱え込まなくてもよくて、頼るべき時には頼ってもいい。それでいいんですよね?そして、決めるべき時には自分で決める。それでいいんですよね?」

おっしゃる通りです。摂食障害は、ただでさえ食欲との戦い、痩せ願望との戦い、完璧主義との戦い、そして自分との戦い、という側面がある病気なのですから、頼れるものには頼って、繋がれる人とは繋がって、自分にとって有益な情報には積極的に触れていく。そうやって、一人で抱え込まない、一人で思い詰めない、ということも大切なことなのです。

「先生、私、絶対に諦めたくない。過食嘔吐をやめること、過食嘔吐に依存しないこと、みんなと一緒に普通に食べることを、どうしても諦めたくない。諦めないで、今出来ることを続ける。そして、いつか、いつかはわからないけど、いつかきっと摂食障害を克服する。先生の力を借りて、先生に頼ってでも、そんな日を取り戻したい。やっぱり私にとって、摂食障害は、過食嘔吐は、辛くて、苦しくて……一日でも早くそんな生活から抜け出したい。だから先生、これからも、こんな私を支えてください……」

もちろんです、あなたが摂食障害を克服したいという思い、その切実さは十分に理解しているつもりですから、そのためのサポートは全力でいたします。これからも、どうしたらいいのかを一緒に考えていきましょう。そして、何度も言いますが、あなたは、一人ではありません。孤独でもありません。一人で抱え込むのではなく、頼るべき時には大いに頼ってください。そして、決めるべき時には自分で決める。これからも、そういった気持ちを忘れずに取り組んでいきましょう。相変わらず時期のお約束は出来ませんが、いつか必ず辛く、苦しい日々から抜け出すことは出来ると思います。そして、その時は確実に近づいてきています。引き続き焦らず、慌てず、諦めず、今出来ること一つ一つ積み重ねる。そして、いつか必ず摂食障害を克服出来ると信じて、気持ちを切らさずに続けていきましょう。私は、私の出来ることの全てであなたをサポートしていきます。そのことは心配なさらないでください。

「ありがとうございます……私が今言える言葉は、その一言です」

泣きたい時には、泣いたっていいんですよ。それだけ、たくさんの辛いことを経験し、苦しい時を過ごされてきたのですから。時には、感情を思いっきり表に出す、ということも大切で、必要なことなのです。

「ありがとうございます……」

少し、落ち着きましたか?

「はい、すみません。何だか、涙が止まらなくなってしまって……」

いいんですよ、お気になさらないでください。それでは、次回お会いするまでに、先ほどおっしゃっていた、

買いたければ、買ってもいい

食べたければ、食べてもいい

痩せたければ、吐いてもいい

出来るなら、やってもいい

出来ないのなら、無理してやらなくてもいい

続けられるなら、続けてもいい

変われるなら、変わってもいい

変われないのなら、そのままでもいい

完璧を追求したければ、追求してもいい

ダメ出しは、しなくてもいい

そんな自分に、〇を付けてあげよう

そんな自分を、大切にしてあげよう

そんな自分を許せるのなら、許してあげよう

ということを、出来る範囲で意識してみてください。実際に出来なかったとしても、気持ちだけでも、心掛けだけでも、心構えだけでも持ち続けてみてください。

「わかりました、やってみます……」

「先生の前で泣いたのなんて、多分初めてかも・・・」

あなたは、一人ではありません。孤独でもありません。一人で抱え込むのではなく、頼るべき時には頼る。そして、決めるべき時には決める。これからも、そういった気持ちを忘れずに取り組んでいきましょう。

今までも、普通に先生を頼って、いろいろなアドバイスをもらっていたんだけど、でも改めて言われると、今までの孤独感が心の底から一気にせり上がってきて、溢れてしまったようだった。

私は、一人ではないし、孤独でもない。一人で抱え込まなくてもよくて、頼るべき時には頼ってもいい。

由希にだって何回か話しを聞いてもらってるし、心の中では亡きおばあちゃんも応援してくれている。そう、私は、一人ではないし、孤独でもない。

「そうだ、きっと世の中には、摂食障害だって病名さえ知らないで、誰にも言えなくて、一人でこっそり買い物して、過食嘔吐している人もいるかもしれない。たまたま先生と知り合って繋がることが出来た私は、全然一人ではないし、孤独でもない。困った時に、行き詰った時に話を聞いてくれる、相談出来る先生がいる。それに、先生が最後の方に言っていた言葉……

相変わらず時期のお約束は出来ませんが、いつか必ず辛く、苦しい日々から抜け出すことは出来ると思います。そして、その時は確実に近づいてきています。

この言葉を信じて、実際に出来なかったとしても、気持ちだけでも、心掛けだけでも、心構えだけでも持ち続けてみよう」

私は、

買いたければ、買ってもいい

食べたければ、食べてもいい

痩せたければ、吐いてもいい

吐かずに済むのなら、吐かなくてもいい

そんな自分を許せるのなら、許してあげよう

自分が自分を許せなければ、誰も許してはくれないのだから……

あの日、会社の飲み会で、飲み過ぎて戻してしまったことをきっかけに、私は過食嘔吐を覚えてしまった。そして気が付いたら過食嘔吐という蟻地獄から這い上がることが出来なくなってしまった……

それから、どれだけ時が過ぎたのだろう……何日、何か月、いや何年経ったのだろう……どれだけ食べて、食べて、食べ尽くしたのだろう……それでも足りなくて、どれだけ飲み込めなくなるまで詰めて、詰めて、詰め込んだのだろう……そして当たり前のように、どれだけ吐いて、吐いて、吐き尽くしたのだろう……そうまでして痩せて、痩せて、痩せ続けたかった。今も、痩せたい気持ちがなくなった訳ではないけれど、太ってもいい、と思える訳ではないけれど……でも私は、どうにかして、何とかして、何としてでも過食嘔吐をやめたかった。過食嘔吐を始めた頃は、どれだけ食べても太らないし、むしろ痩せられる素晴らしいシステムだと思っていたのに、何故だかわからないけれど、過食嘔吐を続けていることがだんだん苦痛になっていた。過食嘔吐がある生活、過食嘔吐をやらなければならない生活、過食嘔吐をやめられない生活……そんな毎日が、辛くて、苦しくて、そして自分で自分を追い詰めることになってしまった。

過食嘔吐をやめたい……やめたいのにやめられない……

でも今の私は、もしかしたら、その絶望的で、地獄のような毎日から抜け出せるかもしれない……そんな気がしていた。そんな感覚があった。そんな日が来るかもしれない、という微かな希望を感じていた。

相変わらず時期のお約束は出来ませんが、いつか必ず辛く、苦しい日々から抜け出すことは出来ると思います。そして、その時は確実に近づいてきています。

先生の、この言葉を信じて、そう遠くない日を夢見て、いつか必ず摂食障害を克服出来ると信じて、今出来ることを一つ一つ積み重ねる。そして、今出来ないことを無理してやらない。そんな日々を積み重ねることしか、私には出来ないのだから。何もかもを完璧にこなすことの出来る自分なんて、ほんの一時の儚い幻想だったのだから。自分と向き合い、自分自身を見つめ直し、本当の自分を探して、生きていかなければならないのだから……

「由希、忙しいのに、またこんな遠いところまで付き合わせちゃって、ごめんね」

「ううん、全然。前に来た時にも言ったと思うけど、海って滅多に来ないからさぁ、お姉ちゃんに誘われて来れるのが、逆にちょっと嬉しかったりするんだよね」

「それならいいんだけど……」

「それにさ、この波の音とか、白い砂浜とか、真っ直ぐな水平線とかってさ、何だか普段の忙しさとか、時間に追われてる生活とか、そんなスピード感を忘れさせてくれるから、海ってたまにはホントいいよね。気分転換には丁度いい」

由希の言う通りかもしれない。私にとっても、毎日の痩せることとか、痩せなきゃとか、太りたくないとか、食べたくないのに食べちゃうとか、猛烈に食べたいとか、もう吐くまで詰め込むしかないとか、そんなことに追われている毎日を、ほんの少しでも忘れさせてくれるし、気分転換にもなっていた。

二人の間には、心地よい波の音だけが響いていた……

「ごめんね、私から誘っておいて、何も言い出せなくて……」

「ううん、別に何もしゃべらなくても、贅沢な時間を過ごしてるから、気にしないで。だって、こんなに素敵な景色が目の前に広がってるんだもん。あぁ~気持ちいい!」

「そうだよね、黙って座ってるだけでも、何だか気持ちいいよね……」

御宿の海は、砂浜は、空は、いつもと変わらず私たちを包み込んでくれていた。

「私ね、摂食障害になってからというもの、ずっとずっとそこから抜け出すための答えを探していたの。ずっとずっと自分が変わらなきゃ、って必死になっていたの。でもね、最近思うことはね、答えなんて本当はどこにもなくて、自分で作らなければならないんじゃないかって。自分が変わるのだって、昨日の自分と180度変わるなんてことは、ないんじゃないかって。ほんの少しずつ、出来る範囲で変わることしか出来ないんじゃないかって。そんな風に思うんだよね……」

「そうなんだ……」

「そう、それでね、私って、摂食障害になってからというもの、いやもしかしたらそうなるずっとずっと前からかもしれないけれど、何だか難しいことばかり考えていたんじゃないかって。本当はとてもシンプルなのに、変な理屈をつけて、問題を複雑にし過ぎていたんじゃないかって。そんな風に思ったの。私はただ、

買いたければ、買ってもいいし、

食べたければ、食べてもいいし、

痩せたければ、吐いてもいいし、

吐かずに済むのなら、吐かなくてもいい。

ただそれだけのこと。とってもシンプルで、難しく考える必要なんて全然ないの。それに私は、本来は自由で、何にも縛られることないし、自分自身にだって縛られることもない。何をしたっていいんじゃないかって。それでね、そんな自分を許せるのなら、許してあげなきゃって。そう思ったの。だって、

自分が自分を許せなければ、誰も許してはくれないのだから……

当たり前かもしれないけれど、長い間かかって、やっとそんな気がしてきたの」

「そうなんだね……」

「そう。それにね、今の私には、いつか必ず摂食障害を克服出来ると信じて、今出来ることを一つ一つ積み重ねること。そして、今出来ないことを無理してやらないこと。地味だけど、そんなことをコツコツと続けることしか道はないんじゃないかって。だって、そんな日々を積み重ねることしか、私には出来ないのだから。結局、諦めないで地道に続けていくことが、遠回りのようで、克服の一番の近道なんじゃないかって……」

「そう思ったんだ……」

ここまで一気に喋ってしまうと、急に言葉が出なくなってしまった。ただ、由希は、急かすこともなく、相変わらず黙って見守ってくれてるようだった。

二人の間には、いつまでも心地よい波の音だけが響いていた……

「お姉ちゃん、前に話したと思うんだけど、友達で過食嘔吐の子がいるって言ったじゃない?その子とね、この前久しぶりに会ったんだ。それでね、何でか忘れちゃったんだけど、二人で話したんだよね。二人きりで話したことなんて、多分その時が初めてだったんだけど。その時、彼女はこんなこと言ってたんだ。

最近さぁ、私何やってるんだろうって、何目指してるんだろうって、自分で自分のことがわからなくなってきちゃってさ。何でそこまでして、吐いてまで痩せることに拘ってるんだろうとか、痩せてても何もいいことないのにとか、考えちゃうんだよね……ごめん、こんなこと言っても、何のことか訳わからないよね。私、病気だから、そういうことしか考えられない病気だから……聞いてくれて、ありがとう。

私は、摂食障害でもないし、そこまでして痩せたいとは思わないんだけどさ。だから、彼女の本当の気持ちとか、辛さとか、苦しさとかはわかってあげられないと思う。でもね、何か彼女を見てると、何だか自分で自分のことを追い詰めているような気がするんだよね。さっきお姉ちゃんも言ってたけど、何にも縛られることないし、自分自身にだって縛られることもないと思う。それに、

自分が自分を許せなければ、誰も許してはくれないのだから・・・

それって、本当にそう思うんだよね……」

「そうだね、そうだよね、その通りだよね……」

ハッとした。何かで後頭部を殴られたような、そんな衝撃があった。私も、いつもいつも彼女と同じことを考えていた。正に私と同じ……のはずなのに、彼女の考えていることを聞いていたら、何だか自分の考えが、突然どうでもいいような、拘る必要がないような、そんなことに思えてきた。

「そう、私、何に拘ってるんだろうね。何になりたいんだろうね。何を目指してるんだろうね……本当にそうだよね、そんなことよりも、みんなと楽しく、美味しく食べれた方がよっぽどいいよね……痩せたいって、何なんだろうね。食べたい物を食べて、何がいけないんだろうね。私、何年もかけて、どうしたかったんだろうね。本当に、自分でも自分をどうすればいいのか、どうしたらいいのか、わからないんだよね……」

「お姉ちゃん……?」

「うん?」

「お姉ちゃんはさぁ、今まで長い間、ずっとずっと悩んで、苦しんで、辛い思いをしてきたんだと思う。それでも諦めないで、どうにかしようっていろんなことを考えたり、あとカウンセリングにも通っているんだっけ?そうやって、お姉ちゃんなりに、必死になって、良くなろうって、いろいろ取り組んでいるんだよね。それはとても素晴らしいことで、飽きっぽい私には、とてもじゃないけど出来ないし、続けられない。でもお姉ちゃんは、絶対に良くなりたいって、諦めないで、気持ちを切らさずに続けてきたんだと思う。でもね、昨日までうまくいってたのに、今日になったらどうしてもうまくいかないことがあったり、わかったと思ったのに、わからなくなってしまうことがあったり、いい時と悪い時の波?みたいなものがあるんじゃないかな、って思うの。私は、病気のことは本で読んだくらいの知識しかないから、詳しいことはわからないけど、良くなったり、逆戻りしたりを繰り返しながら、少しずつ進んでいく、そういう感じの病気なんじゃないかなぁ……だからね、さっきお姉ちゃんが言ってたみたいに、

いつか必ず摂食障害を克服出来ると信じて、今出来ることを一つ一つ積み重ねること。そして、今出来ないことを無理してやらないこと。

それでいいし、それが全てなんだと思う。悩んだり、混乱してしまったら、この言葉を思い出してもう一度やり直してみる。それでいいんじゃないかなぁ……って思うんだ。だって、こんなこと、なかなか言えることじゃないよ。きっと、長い間悩んだり、苦しんだり、辛い思いを抱えてきたお姉ちゃんだからこそ言える言葉なんだと思う」

「そうだね、そうだよね、今の私はそれしか出来ないし、それでいいんだよね……」

「うん、そうだよ。だって、本当はとってもシンプルで、難しく考える必要なんて全然ない。でしょ?」

「そうだよね、ホントそう……変な理屈をつけて、問題を複雑にしているのは、私自身なんだよね……由希、いろいろ気付かせてくれて、ありがとう」

「そんな、全然。私はただ、思ったことを言っただけで、気付いたのはお姉ちゃんだから

私は、

買いたければ、買ってもいい

食べたければ、食べてもいい

痩せたければ、吐いてもいい

吐かずに済むのなら、吐かなくてもいい

そんな自分を許せるのなら、許してあげよう

自分が自分を許せなければ、誰も許してはくれないのだから……

ただそれだけのこと。とってもシンプルで、難しく考える必要なんて全然ない。

本当はとてもシンプルなのに、変な理屈をつけて、問題を複雑にし過ぎていたのは、私自身。

それは、確かにそう……理屈ではわかっているつもりだけど、頭で考えていることを、どうやって実践していくのか。シンプルなだけに、行動に移す難しさを、そこに立ちはだかる壁の存在を感じずにはいられなかった。

「でも、ここを乗り越えられなければ、摂食障害の克服には辿り着けないのではないか、過食嘔吐をやめて、みんなと一緒に(普通に)食べることは出来ないのではないか……あぁ、何か、やっとここまで来たのに、同じ場所で足踏みしているばかりのような気がする」

昨日までうまくいってたのに、今日になったらどうしてもうまくいかないことがあったり、わかったと思ったのに、わからなくなってしまうことがあったり、いい時と悪い時の波?みたいなものがあるんじゃないかな、って思うの。私は、病気のことは本で読んだくらいの知識しかないから、詳しいことはわからないけど、良くなったり、逆戻りしたりを繰り返しながら、少しずつ進んでいく、そういう感じの病気なんじゃないかなぁ……

由希は、そう言っていた。先生も確か、同じようなことを言っていた気がする。摂食障害とは、そういう病気なのかもしれない。ある日突然、素晴らしいことを思い付いたとしても、一日ですっかり良くなる訳ではないだろうし、

○○をすれば(○○をやめれば)、3か月で良くなります!

みたいなことも、ないだろうし。おそらく、摂食障害の克服には王道とか、必殺技みたいなものはなくて、先生の言うように、いつになるかはわからないけど、いつかきっと良くなる、と信じて今出来ることを続けるしか、一つ一つ積み重ねるしか、ないのかもしれない。

「そんなことは、頭ではわかっているつもりだけど、そのいつかを待てるかどうか、なのかもしれない……」

人は、期限があるから、先が見通せるから、終わりが見えているからこそ、苦しみや、辛さに耐えることが出来る。そして、その苦しみや、辛さの先に、希望や、なりたい自分の姿を見出せるからこそ、不本意な今の状態を受け入れることが出来る。

摂食障害も、克服した先に、痩せることや食べることに囚われる思考からの解放や、みんなと普通に美味しく、楽しく食べられる生活を再び取り戻すことが出来る、という希望があるからこそ、地味だけど今出来ることを一つ一つ積み重ねることを、諦めないで続けることが出来る。

ただ、いつになるかはわからないけど、いつかきっと良くなると信じる、ということは、期限もないし、先も見通せないし、終わりが見えないという、別の苦しみや、辛さを生み出している、ような気がする。

その、いつになるかはわからないゴールを目指して、日々の苦しみや辛さに耐え続けることが出来るのか……でも、そのことを考え続けても、おそらく答えは出ないし、いつになるのか、という答えはどこにもないのかもしれない。だとすると、やっぱりいつかきっと良くなると信じて、先生を信じて、そして自分自身を信じて、諦めないで、気持ちを切らさないで、前を向いて一歩一歩進んでいくしかないのかもしれない……

「あぁ、やっぱり、やっとここまで来たのに、同じ場所で足踏みしているばかりのような気がする。でも、仕方がないのかな。摂食障害とは、そういう病気なのだから。克服を諦めない、とは別の意味で、仕方がないこと、考え続けても答えの出ないことには拘らずに、きっぱりと諦める勇気も必要なのかなぁ……」

諦めることと、諦めないこと。

出来ることと、出来ないこと。

変われることと、変われないこと。

続けることと、やめること。

拘ることと、捨てること。

そして、

痩せることと、食べること。

どれも、無理をしないで、自分に合わせて、どこかで見極めることが必要で、大切なことなのかもしれない……

「でも、それがまた難しいんだよね……言葉にすると、ホントにシンプルなんだけど」

完璧主義とか、0か100かという極端な思考回路が、無理をしないでとか、自分に合わせてとか、どこかで見極めるとか、そういうある意味曖昧で、仕分け作業のようなことを実践する際の、壁となっているような気がした。

立ちはだかる壁に、ひれ伏すのか、乗り越えるために今出来ることを諦めないで一つ一つ積み重ねるのか……今までの私は、おそらく立ちはだかる壁の、その厚さに圧倒されて、ただただひれ伏していたと思う。もちろん、それしか出来ない時には、無理をしないことも大切なことで、それも仕方がないこと。でも、今の私は、壁を乗り越えるために今出来ることを一つ一つ積み重ねていきたいし、そうすることが出来ると思うし、そうするしかないのではないか……そんな気がした。

「無理して、出来ないことに手を出すのは、もちろん禁物だけど、でも、どこかのタイミングで新しいことに挑戦すること、ほんの少しだけ背伸びをして、今まで出来なかったことを試してみること、それも大切なことのような気がする」

それに、今の私の状態だったら、多少の冒険をしてでも、次の一歩を踏み出すことが出来るような気がした。

「そうは言っても、今の私に、一体何が出来るのだろう……」


本当はとってもシンプルで、難しく考える必要なんて全然ない

シンプルなのに、変な理屈をつけて問題を複雑にし過ぎていたのは、私自身


「一体何が出来るのだろう、なんて考え過ぎるから、何も思い浮かばなくなっちゃうのかもしれない。

買いたければ、買ってもいい

食べたければ、食べてもいい

痩せたければ、吐いてもいい

吐かずに済むのなら、吐かなくてもいい

食べないでいられるのなら、食べなくてもいい

そんな感じで、ただその時その時に出来ることを一つ一つ積み重ねるだけ。そして、

そんな自分を許せるのなら、許してあげよう

自分が自分を許せなければ、誰も許してはくれないのだから……

由希の友達のように、周りからも自分で自分のことを追い詰めているように見られるんじゃなくて、自分のことをもっともっと大切にしなきゃ……」

今までの私は、意識したことはなかったけれど、自分のことを大切にしてこなかったのかもしれない。特に摂食障害になってからというもの、痩せて、痩せて、痩せ続けることに拘って、その結果、抑え切れない食欲をコントロール出来なくて、追い詰められた私は、過食嘔吐を覚えた。その、常軌を逸した方法を使ってまで、痩せたいを維持しようと必死になって、食べて、食べて、食べ尽くして、詰めて、詰めて、詰め込んで。そして吐いて、吐いて、喉を掻き切るまで吐き尽くして。そうしなければ自分を保てなかった、生きていけなかった、明日を迎えられなかった。そうまでして手に入れた痩せたいだったけど、そこには何もなくて、何も待っていなくて、何も変わらなくて。途方に暮れた私は、どうすることも出来なくて、どこにも行けなくて、何にもなれなくて、ただただ過食嘔吐を繰り返すことしか出来なかった……そうやって、自分を追い込んで、自分を追い詰めて、自分の限界を思い知らされた。そして、ただそこに残ったのは、日常生活を送るのが精一杯の体力と、痩せることと食べることに振り回されて疲れ切ったメンタルと、そんなことに埋め尽くされて何にも手に付かない日常だった。

「こう考えると、頭で思い描く理想ばかり追求して、身体の状態とか、振り回されて疲れ切ったメンタルとか、そういうことは考えてこなかった。考えることが出来なかった。考える余裕がなかった。でも、これからは、ほんの少しでもそういうことも考えて、自分のことを大切にしていかなければ……こんなことを続けていたら、いつか壊れてしまう。いつか身体がもたなくなってしまう。いつかメンタルが崩壊してしまう。そうなる前に、今出来ることを一つ一つ積み重ねて、自分を許して、自分を大切にしなければ……」

自分のことを許す

自分のことを大切にする

これも、言葉にすると短くて、難しい表現ではないけれど、いざ実践するとなると、何から手を付ければいいのか。今までやってこなかっただけに、シンプルだけどどうしたらいいのか、わからなくなってしまう。

「でも、誰だって今までやってこなかったことや、出来なかったことを始める時には、どうしたらいいのかわからなくて当然のはず。私だけじゃない、みんな同じだと思って、今までと同じように、今出来ることを一つ一つ積み重ねていけば、きっとそれでいいはず……頭で考えて、考えて、考え過ぎるばかりではじめの一歩が踏み出せないよりも、思いつきでもいいから、とにかくやってみる。もしそれがうまくいかなかったとしても、また別の何かをやってみれば、それでいい。そう自分に言い聞かせて、そう信じて進んでいく。だって、それしか出来ないのだから」

今までの私は、とにかく考えて、頭でシミュレーションして、失敗しないように準備して、物事の過程にも結果にも完璧を追求して、それで実際何となくうまくやってきた部分があった。

でも、完璧なんて、ただの幻想。痩せることだって、絶対に太らないという思い込みだって、追求し過ぎた結果、完璧なんてあっけなく崩壊した。そう、私が摂食障害になってしまって、一番身に沁みて感じたのは、

我慢はいつか必ず破綻する

破綻したのなら、それは自分にとっては単なる我慢。あるべき姿とは別物

ということだった。

「もう、過食嘔吐を覚えた時点で、私は完璧でも何でもなくなった。自分は何もかも完璧にコントロール出来る、なんてことはただの幻想だった。そんなことを、嫌と言うほど思い知らされた。これからは、そんな自分を許して、そんな自分を認めて、そんな自分を大切にする。そして、今出来ることを一つ一つ積み重ねる。出来ないことは無理してやらない。そう、続かないことは、自分にとってはどこかで無理してたり、我慢してたりするんだから、そんなことは追い求めない。そうしないと、またいつか破綻してしまうから……」

そう、私は、もうこれ以上破綻する訳にはいかなかった。だって、精神的にも、身体的にも、体力的にも、そして経済的にも、もういっぱいいっぱいなのだから。ギリギリ何とか生活している、そんな状態で、本当に、仕事を辞めないでいるのが奇跡のような、まさに綱渡りの人生なのだから。

「とりあえず、仕事がある平日の夜に、何だかんだで必ず過食嘔吐をする習慣を、何とか出来ないかなぁ……」

そのために、今の私が出来そうなことで思い付くことといえば、

過食スイッチが入りそうなものを食べない

食べても安心出来るものだけ食べる

お酒をひたすら飲んで、酔って寝る

そもそも買い物に行かない

何も食べないで寝る

「でも、何も食べないで寝るのは絶対無理だから、とりあえずなし。それから、お酒をひたすら飲んで、酔って寝るのも、相当飲まないと酔わないし、一人でそんなに飲んでほとんど食べないっていうのも現実的じゃないから、なしかな。それに、家に食べ物のストックが出来ないんだから、そもそも買い物に行かないのも、なしだよね。実現可能性を考えると、過食スイッチが入りそうなものを食べないか、食べても安心出来るものだけ食べるかなぁ。そうすると、買い物段階で何を買うかを固く決心しないと無理かも。買い物に行く前に、買うものを決めてそれ以外の売り場に行かない、ってすれば何とか出来るかなぁ……」

いや、そもそも、何とか出来るかなぁ……じゃなくて、やってみて出来なければ、また別のことを考えればいいだけ。とにかく、過食嘔吐をやめること、摂食障害を克服すること、そのために今出来ること、そこに辿り着くために考えられることを試してみること。そして、続かなかったら、拘って追い求めないこと。そうやって、シンプルに考えて、一つ一つ積み重ねていく。それしかないし、それが、もしかしたら何かしらの自信に繋がるのかもしれない……

完璧主義とか、0か100かという極端な思考回路が、今までずっと、頭で考えたことを実践する際の壁になっていた。出来なくてもいい、今出来ることをやればいいとか、無理をしないでとか、そんな自分を認めて、そんな自分を許して、そんな自分を大切にするとか、そんなことを考えた時に必ずと言っていいほど現れる、私自身が作り出した分厚い壁。その壁を乗り越えなければ、突き破らなければ、私は同じところを行ったり来たりするだけになってしまう。昨日と同じ今日、今日と同じ明日を繰り返すだけになってしまう。かと言って、今までの自分の価値観をいきなり大きく変えること、180度変えるようなことは現実的ではないし、おそらく無理だろう。だったら、どうすればいいのか……

「完璧主義が壁を作り出したんだから、完璧主義をやめればいい……それは確かにそうかもしれない。でも、今までずっと続けてきた(続けなければならなかった)完璧主義を、そう簡単にあっさりと手放すことは、おそらく出来ないし、もし出来たとしてもその後の私はきっと今以上に苦しむことになるだろう。だったら、完璧主義の、完璧のハードルをほんの少し下げる……そう考えたら、何とか続けられるだろうか……」

そう、痩せたいだって、昨日より痩せたいを続けようとするから、限界があって、過食嘔吐に頼らざるを得なくなってしまった。痩せたいのハードルをほんの少し下げて、例えばBMI18.5より痩せていれば、たとえ昨日より太ったとしてもまあ良しとしよう、みたいな。そんな風に考えることが出来れば、完璧主義を手放すことよりは、そんなに辛く、苦しくはないのかもしれない……

「そう考えると、やめたくてもやめられない過食嘔吐をやめる、ということは、もしかしたら今と同じくらい痩せたいと思うこと、痩せていることを手放すことになるのかもしれない……」

冷静に考えると、それは確かにそうで、当たり前のことだった。だって、今の痩せたいは、過食嘔吐を抜きにしては成り立たないのだから。成り立たないからこそ、過食嘔吐を覚えて、それに頼って、縋って、やっとのことで維持しているだけなのだから。もう、今となっては、痩せたいが行き過ぎて過食嘔吐をやめられないのか、それとも過食嘔吐をやめられないから痩せていられるのか、どっちなんだか良くわからないけれど、でもとにかく、過食嘔吐をやめる、そこから抜け出す、ということは、今と同じレベルで痩せたいと思うこと、痩せていること、痩せ続けることを手放す、と同じことを意味していた。

「それでも私は、過食嘔吐をやめることを選びたいし、目指したいし、そこに辿り着きたい……もう本当に、過食嘔吐は辛いし、やめたいし、普通に食べたい。買い物なんて、本当は行きたくないし、甘い物や油ものだって、本当は食べたくない。野菜だって食べたいし、魚だって食べたい。それに、何が嫌だって、吐くのなんか嫌だし、もう吐きたくなんかない。普通に食べて、食べ終わったら普通にごちそうさまでした、って言って、歯磨きして、寝たい。ただそれだけ……」

私に残された課題、立ちはだかる壁は、いかにしてそれを実践するか、続けていくか、ということだった。それは、簡単なようで、実は人生最大の難問なのかもしれない……だけど今の私は、その難問に向き合って、諦めないで、何とかして取り組んで、その難問のに答えに辿り着きたかった。


ただ普通に食べたいだけなのに

ただ楽しく食べたいだけなのに

ただ美味しく食べたいだけなのに

ただみんなと食べたいだけなのに

ただもう吐きたくないだけなのに

ただそれだけなのに、そうする自分の姿は途方もない彼方にしか存在しないような、そんな気がした……

今までも、何度となく考えたこと……それは

何でみんなが普通に出来ることが、私には出来ないの

何で私だけが、こんなに苦しまなくてはならないの

何で痩せることに拘って、そこから抜け出せないの

何で私は吐くまで食べて、食べ続けなければならないの

何で私は、私のことを何一つコントロール出来ないの

何で、何で、何で……

そう、何で、何で、何でって、どうしても理由を探してしまうけれど、理由がわかったところで、それが必ずしも解決に繋がる訳ではない。もしかしたら、理由を探して、理由がわかることで何かしらの安心が得られるから、探し続けてしまうのかもしれない。でも今の私は、理由を探して、

だからそうなっちゃったんだ、それじゃあ、仕方ないよね

って、安心して、自分を納得させて、それでいい訳ではない。それで終わりにしたくない。今の私が目指しているのは、理由がどうであれ、これからどうするか、何が出来るか、何をすればいいのか、を考えること。摂食障害克服に向けて、今出来ることを探すこと。

過食スイッチが入りそうなものを食べない

でもいい、

食べても安心出来るものだけ食べる

でもいい。とにかく、思い付いたことをやってみる。出来るかどうかなんて、考えなくていい。やってみて、もし出来なかったら、もし続けられなかったら、それが出来ないということなのだから。そして、出来なかったことには拘らないで、気持ちを切り替えて、次に思い付いたことをやってみる。ただそれを繰り返すだけ。難しく考えることはない。本当は、とってもシンプルなんだから。何で出来ないのか、なんて深く考えなくていい。どうしても理由が知りたいのなら、こう考えればいい。

今の私には、無理だから

今の私には、出来ないから

今の私の精神状態では、出来ないから

今の私の身体の状態では、出来ないから

今の私は摂食障害という病気なのだから

「そうよね、深く考えても、答えが出ないことに拘って、先へ進めなくしているのは、もしかしたら私自身なのかもしれない。答えを探し求めて、そこに辿り着きたい、って言いながら、その邪魔をしているのは私自身なのかもしれない。壁を作っているのが私自身なのと同じように、私が私の足を引っ張っているのかもしれない……」

だけど、もしかしたらそんなことすら考えなくてもいいのかもしれなかった。

私が私の足を引っ張っているのかもしれない

その通りなのかもしれないけれど、だからってどうすることも出来ないのだから。そのことに気付いたところで、すぐに自分自身を変えられる訳ではないのだから。だったら、とにかく一歩でも前に進むために、気持ちを切り替えて一つでもいいから今出来ることを積み重ねる。それでいいのかもしれない……

「そうよね、問題を複雑にして、難しくしているのは、他でもない私自身。本当はとてもシンプル。難しく考える必要なんてない。どんなに最悪な状態だって、その時その時に出来ることをやってみる。いくら頭で考えたって、出来ないことは出来ないのだから。無理なことは無理なのだから。休まなきゃいられない時には休むのだから」

頑張ってない、とか

さぼってる、とか

そんな風に考えるから、自分にダメ出しして、出来ない自分に落ち込んで、そんな自分を責めてしまう。そして、ますます負のループにはまってしまう。今まで何年も、そんなことを繰り返してきた。前に進んでいるようで、実は同じ場所をぐるぐると周っているだけだった。ほんの少しでも前に進みたいのなら、考えても答えの出ないことに拘るのはやめよう。私は、私自身の力で、私自身の考えで、私自身を前に進めなければならないのだから。

「そうだよね、痩せたいだって、摂取カロリーより消費カロリーと基礎代謝が上回れば、痩せるはずだし、食べたいだって、どんなに食べたって、それ以上に消費して、そして基礎代謝が高ければ太らないはず。本当はとてもシンプルな仕組みなんだから。難しく考えることなんてない。甘い物だって、油ものだって、本当に食べたい物は食べたっていい。吐かなくたって、太らない方法はあるはず。そう信じて、吐かないで食べられることを考えてみよう……」

月の光に照らされて、殺風景な私の部屋が、何故だか幻想的な空間に感じられた。そう、幻想的な空間なら、そこに居たい。でも、幻想の世界を彷徨う生活は、いい加減卒業しなければならなかった。

吐かないで食べられることを考えてみよう……そうは言っても、今の私に出来ることって、一体何なんだろう……やっぱりこれしか思い浮かばないかな。

過食スイッチが入りそうなものを食べない

食べても安心出来るものだけ食べる

……

「とりあえず、家には何も食べる物がないんだから、何を買うのかを決めて、それだけ買ってこよう。そして、それだけ食べたら、ごちそうさまって言って、歯磨きして、お風呂に入って、寝る。たった一日でもいいから、やってみよう」

サラダチキン

糖質0のカップ麵

ブランパン

蒸し鶏サラダ……

今思い付くのは、そんなものだった。

「カロリーが低いのはもちろんだけど、それだけしかなかったら、全然満足出来なくて、きっと高カロリーのものが食べたくなっちゃう。だから、高タンパクとか、食物繊維が豊富とか、そういうことも重要なのかもしれない」

それから、売り場を回る順番も重要な気がした。

「まずはサラダを見て、それからカップ麺を見て、パンは最後にするか。それとも、最初にブランパンだけカゴに入れて、カップ麺を選んで、最後にサラダを見るか。最後にサラダにして、たくさん買いたくなったらサラダをたくさん買うようにしようかな。最後にパンを見たら、きっと菓子パンをあれもこれも買いたくなっちゃうよね……」

とにかく、現場(お店)の誘惑に負けないで、買うべきものだけ買って帰ってくることが、何よりも大切なこと。そのために考えられることは、買い物に行く前に考えておかないと。

それから、いきなり毎日やろう、なんて考えないこと。今までずっと何年も出来なかったことにチャレンジするのだから、まずは一回成功させることを目標にする。なんなら、今日吐かずに食べて、寝ることが出来たら、次の日はご褒美で過食嘔吐OKにするとか。とにかく無理をしないで、今出来そうなことを考えて、試してみる。そして、何よりも続けることが大切なのだから、そんな感じでいいのだと思う。気合を入れ過ぎない。完璧を追い求めない。続けられることを目標に、いつでも軌道修正するつもりで。ゆるやかに、でも諦めない。それだけ考えよう……

「そうそう、ゆるやかに、でも諦めない。これでいいんだよね、これでいい」

焦らず、慌てず、諦めず。落ち着いて自分!、を合言葉に、今出来ることを積み重ねる。出来ないことは無理してやらない。身体の状態や、こころの状態を無視して、頭で考えたことをやろうとしない。身体も、こころも、頭で考えたことも、どれも全部自分。みんなで手を取り合って、助け合いながら、私の生活を続けていく。身体や、こころや、頭で考えたことの、みんなの状態や立場を考慮して、みんなの意見を取り入れて、今出来ることを、出来る範囲で、出来ることからやってみる。そうやって、私を、私の生活を、私の人生を、ほんの少しでも前に進めることを、続けていく……自分と向き合い、自分を見つめ直し、自分を受け止めて、受け入れる。自分を認めて、自分を許して、そして自分を大切にする。きっとそれが、摂食障害の克服に必要なことで、大切なことで、それが全てなんだと思う。そう信じて、今日をやり過ごす。そう信じて、明日に繋げていく。すごく地味だけど、そんなことを繰り返すことを、諦めないで続けていく。

「そう、それでいいんだよね、それでいい。買い物だって、シナリオ通りに出来るかもしれないし、出来ないかもしれない。もし出来なかったとしても、次に出来そうなことを考えれば、それでいい。だって、まだ私だって、基本過食したいんだもん。お菓子やスイーツや菓子パンの売り場に行かないこと、見ないこと、素通りすることなんて、出来なくて当然なんだから。出来なくて当たり前なんだから。それでも、もし出来るのならやってみたいし、続けたい。結果は、やってみないとわからない。とにかく、試してみること、チャレンジすること、そして、今の私に何が出来て、何が出来ないのかを理解することが大切なのだから」

今の私に何が出来て、何が出来ないのかを理解すること

今の私に出来ることを一つ一つ積み重ねる。それと同じくらい大切なこと、それは……

出来ると思ったけど、やってみたらうまくいかなかったこと、思い通りにならなかったこと、一度や二度は出来ても続けられないこと、そういうことは、どこかで無理していたり、我慢していたりするのだから、別の方法を考えてみる。無理や我慢は、自分の身体やこころの状態を無視して積み重ねてしまうと、いつか必ず破綻を招いてしまうから。そんな時には、スパッと気持ちを切り替える、潔く諦める、そういうことが大切になるのではないか。

「でも、諦める、っていうのは何だかポジティブになれない言い方だよね。諦める、じゃなくて……そう、例えば、お店で洋服を選んでいるような場合に、同じ服の色違いで、どっちにしようか迷った時、最終的に選んだ色の方をカゴに入れて、選ばなかった色の方を、ラックにそっと戻す。元あった場所に戻す。そうそう、そんな感じなんじゃないかなぁ……今の自分には出来ないけれど、今の自分の状態では無理かもしれないけれど、考えたことそれ自体が間違っていないのなら、それは一旦頭の片隅にそっと戻す。元あった場所に戻す。時間が経てば出来るかもしれないし、自分の状態や置かれている状況が変われば出来るかもしれない。だから、諦めるで間違ってはいないけど、一旦頭の片隅にそっと戻す。元あった場所に戻す。いつか出来る日が来るかもしれない。その時までそっと戻して大切に取っておく。そして、スパッと気持ちを切り替えて、今出来ることに目を向ける。うん、その方が、何か出来ない自分を責めなくなれるかもしれない」

今振り返ってみると、私の摂食障害は、過食嘔吐は、ネットで辿り着いた怪しげな情報から全てが始まった。

どんなに食べたって、吐けばいいのよ。全部吐いてしまえば、食べなかったのと同じになるから。食べたのに、食べなかったことになるし、太らないし、逆に痩せるから。痩せたくて、でも食べたい、食べちゃう人にとっては、うってつけだと思います。今までの、全ての悩みがいっぺんに解決するんだから……

そんな情報を鵜吞みにして、飲み会で飲み過ぎて吐いてしまったことをきっかけに、覚えてしまった過食嘔吐。そこから、私の絶望に支配された、いつまで経っても出口の見つからない、長い長いトンネルから抜け出せない生活が始まってしまった。

食べたくないのに、抑えられない食欲と戦う日々。痩せたいのに、食べることしか考えられない思考回路。もう、食べることも、痩せることも、1秒だって考えたくもないのに、常にそのことで支配されている脳ミソ。逃げ出したいのに、どこにも逃げ場がないジレンマ。ずっとずっと、私は一心同体の私自身から逃れられずに、私自身に押しつぶされそうになりながら、それでも何とか今日まで命を繋いできた。もういい加減、そんな生活から抜け出したい。そんなジレンマから解放されたい。こんな私にだって、幸せになる自由があってもいいんじゃない?こんな私にだって、楽しいって思える瞬間があってもいいんじゃない?こんな私にだって、それぐらいの望みが叶えられてもいいんじゃない?

私は、ただ普通に生活したいだけ。

私は、ただ普通に食べたいだけ。

私は、ただ普通にいたいだけ。

そんな、当たり前のことくらい、許されてもいいんじゃない?

贅沢は言いません。ただただ普通に、当たり前の生活がしたいだけ。

それくらい、叶えられてもいいんじゃない?


ねえ、誰か、いい、って言って。

それでいい、って言って。

あなたは間違ってない、って言って。

誰か、誰か私を悩みも苦しみもない世界に連れていって……

そうは言っても、ただただ誰かに頼ってばかりじゃ、摂食障害の克服は出来ないのではないか。もちろん、困った時、苦しい時にサポートしてもらう必要はあるけれど、でも何から何まで頼り切って、任せっぱなしじゃ、いつまで経っても良くはならないと思う。どこかの時点では本気で、死ぬ気で、心の底から克服したい、克服するって、覚悟を決めなければ、ズルズルと同じことを繰り返してしまう。そして、どんだけ食べても太らないのだからいいんじゃないかって、それでもいいんじゃないかって、克服を半ば諦めてしまう気がする。摂食障害は、黙って待っていれば、誰かが治してくれるものではない。本気で克服したいって思って、本気で今出来ることに取り組んで、諦めないで続けることが出来た時に、初めて歯車が回り始めるのだと思う。誰かに、それでいい、あなたは間違ってない、って言ってもらっても、その言葉をしっかり受け止めて、明日に活かせるかどうかは、自分自身にかかっている。誰かが手を差し伸べて、克服に向けてサポートしてくれることはあっても、誰かが、黙って私を悩みも苦しみもない世界に連れていってくれる訳ではない。自分自身も、差し伸べられた手を、しっかりと力を込めて掴んで、そして自分の力で、自分の足で次へのステップを踏み出さなければ、摂食障害がもたらす悩みや苦しみから解放される日は訪れないと思う。

「そんなことはわかっている。そんなことはわかっているけど、そう叫びたいことがあってもいいよね?私だって、今まで必死になって、どんなに苦しくても、どんなに辛くても、諦めないで摂食障害の克服を夢見て、気持ちを切らさずに、今出来ることを続けてきた。私だって、愚痴を言いたいことだって、泣きごとを言いたいことだってある。だって、私だって、ただの人。いやそれ以下の、完璧でも何でもない、出来損ない。一人では生きていけない、か弱い人間なんだもの……」

休みの日、何もすることがなくて、でも家に居たくなくて、何のあてもなく出かけることにした。行きたいところもなくて、やりたいこともなくて、会いたい人もいなかった。ただ、家に居ても食べることばかり考えてしまうから、家に居たらきっと過食嘔吐してしまうから、そんな自分からほんの少しでも離れたかった。そんな自分からほんの少しでも解放されたかった。そんな自分をほんの少しでも忘れたかった。

週末のお昼前だからか、街にはそこそこ人が歩いていた。マスクをしているから、細かい表情はわからないけれど、歩き方とか、着ている服とか、髪の色とか、誰もがキラキラしてて、とても楽しそうで、幸せそうに見えた。

「みんな、あんなに細くて、痩せてて、かわいくて。でもきっと、私のように過食嘔吐なんてしてないんだろうなぁ……普通に食べて、普通に友達とランチして、ケーキとかアイスとか、普通に食べて、それでも太ることなんてほとんどなくて」

どうして食べてもそんなに細いの?

どうして食べてもそんなに痩せてるの?

どうして食べてもそんなにかわいいの?

どうして食べてもそんなにキラキラしてるの?

どうして食べてもそんなに楽しそうなの?

どうして食べてもそんなに幸せそうなの?

どうして食べてもそんなに平気でいられるの?

どうして食べても吐かずにいられるの?……

「でも、そんなみんなが普通で、当たり前なんだよね……私の方がおかしくて、狂ってて、どうかしてるんだよね。そんなこと、改めて考えなくてもそうに決まってるんだよね。だから私は、摂食障害なんだよね……」

今、目の前を歩いているみんなと、私って何が違うんだろう……年齢だって、仕事だって、私と同じような人だって、いっぱいいるはずなのに。私は、どこで間違ってしまったんだろう。何に躓いてしまったんだろう。何を踏み外してしまったんだろう。何がいけなかったんだろう……

ゆるやかな、心地よい風が街を通り過ぎていく。やわらかな陽の光が、街全体を包み込んでいた。休日の昼下がり、街にはのんびりとした空気が漂っていた。ただただゆっくりと、何もしない時間が音もたてずに流れていった。

「風も、陽の光も、空気も、時間も、どれもみんなに同じように、平等に存在するはずなのに、みんなと私は、一体何が違うんだろう……心地よい風を感じることも、陽の光に包まれることも、のんびりとした空気に身を任せることも、そして何もしない時間を過ごすことも、どうして私には出来ないのだろう……そんなことが出来るだけのこころのゆとりを、いつから失ってしまったのだろう……一体私は、今まで何をしてきたのだろう……何がしたかったのだろう……何になりたかったのだろう……私って、何なのだろう……」

いくら考えても出ることのない答えを、いつまでも探し求めていた。目の前には、そんなことを考えていないような、考えたことすらないような無邪気な人たちが、次の楽しみのために、さらなる幸せのために、進むべき場所を目指して迷うことなく歩いているように見えた。

どうすることも出来ない自分を持て余し、辛く、苦しい日々を何とかやり過ごし、自分自身の欲望と戦いながら悩み続けている、そんな絶望的な気持ちを抱えているような人は、ここにはいないようだった。

行きたいところもなくて、やりたいこともなくて、会いたい人もいなくて、何のあてもなく街を彷徨っているのは、この私だけ。みんな、行くべき場所があって、やりたいことがあって、会いたい人がいる。

私は、何でそこまでして、吐いてまで痩せることに拘っているのだろう。

痩せたところで、何にもなれないのに

痩せたところで、何も変わらないのに

痩せたところで、何も楽しくないのに

痩せたところで、幸せになれないのに

どれだけの間、ずっとここに居たのだろう。ふと我に返ると、脚がガクガクで、喉もカラカラだった。

「もう、いい加減家に帰ろう……でも、何も食べないで過ごすことが出来たね。せめて、そんな自分を認めて、褒めてあげよう……今の私には、それしか出来ないのだから」

街を歩いているみんなは、誰もが細くて、痩せてて、かわいくて。そして、キラキラしてて、とても楽しそうで、幸せそうに見えた。でもそれは、私が摂食障害だからそう見えただけなのかもしれない。私が、痩せることに拘って、囚われているから、細くて、痩せてる人ばかりを探して、目で追っていただけなのかもしれない。

それに、周りの人からみたら、むしろ私の方が細くて、痩せて見えたのかもしれない……決してかわいくはないけれど。でも間違いなく、キラキラしてて、とても楽しそうで、幸せそうには見えなかったとは思う。だって、こんなに絶望的な毎日を過ごしてしるのだから……

私は、今まで物事のある一面、片側しか見ていなかったのかもしれない。人の、表側、っていうか表面的な部分しか見てこなかったのかもしれない。この前街で見ていたみんなは、確かに私の目には誰もが細くて、痩せてて、かわいくて。そして、キラキラしてて、とても楽しそうで、幸せそうに見えた。でもそれは、表面的な部分だけしか見ていないから、見えていないからかもしれない。彼女たちの中には、もしかしたら家に帰ったら笑顔でいることに疲れて、キラキラしていることに精一杯で、楽しそうにしている自分が本当の自分じゃないような気がして、ぐったりしてしまう子がいるのかもしれない。

それに、私の目には入らなかったけど、それほど細くもなくて、痩せている訳でもなくて、めちゃくちゃかわいいとまでは言えない子だって、もしかしたら細くて、痩せてて、かわいい子よりもたくさんいたのかもしれない。いや、きっとそんなごく普通の子の方が、たくさんいるはず。

そして、そんなごく普通の子の方が、自然な笑顔で、心の底から楽しんでいて、だからこそキラキラしている……そんなものなのかもしれない。

見た目には、表面的には、細くて、痩せてて、かわいくて。そして、キラキラしてて、とても楽しそうで、幸せそうかもしれないけれど、その裏側では、そのために我慢していることや、犠牲にしていることがあるのかもしれない。そして、そんな自分を維持することに精一杯で、でもやめたくてもやめられなくて、どうすることも出来ないジレンマを抱えているのかもしれない……そう、私が、痩せることを必死になって維持することで、辛く、苦しい毎日を送ることになってしまったように。


『痩せたい』にも、同じようなことが言えるのかもしれない。見た目には、細くて、痩せてて、かわいくて。そして、一時の欲望(食欲)に流されることなく、自己管理が出来て、自分を律して、完璧にコントロールしていて。

表面的には、そう見えるかもしれないけれど、私のように、食欲を抑え切れなくて、吐いてまで『痩せたい』を追い求めて、必死になって、やっとのことで、どうにかギリギリで維持している『細くて、痩せてて、かわいくて』。そんな人もいるかもしれない。

『痩せたい』……女性なら、いや今どき男性だって、一度は口にしたことがある言葉。何度となくダイエットにチャレンジしては、思い通りに痩せられなくて、その度に合言葉のように交わされる『痩せたい』。だからこそ、世の中には数えきれないほどのダイエット情報が溢れかえっている。

そう、多くの人にとって、理想の体重や体型は、あくまで『理想』であって『現実』ではない。ごく一部のストイックな、強靭な精神の持ち主だけが『理想』を『現実』にすることが出来るだけ。そして、私のように、見た目には、細くて、痩せていたとしても、『理想』を『現実』にすることが出来たかのような『幻想』を抱いている、いつまでも自分の作り出した『幻想』の世界を彷徨い続けている人もいる……表面的には『理想』を『現実』にすることが出来たように見えるかもしれないけれど。

『痩せたい』……ほんの少しだけ、あと2~3キロ程度の、現実的な数字ならまだしも、度が過ぎれば、あるいは私のように『昨日より痩せたい』などと考え始めたら、その裏側には予想もしなかった落とし穴が待っている。それも、一度落ちたら(堕ちたら)二度と這い上がれないような、深い深い穴が。仮に、あともう少しで這い上がれる、というところまで辿り着いたとしても、そこから先は掴んでも掴んでも這い上がれない蟻地獄のような世界が待っている。そんな、果てしない苦しみから抜け出すには、途方もない時間と労力が必要だった……

何事も、華やかで、キラキラした『表側』と、見ようとしなければ見ることの出来ない、隠された壮絶な『裏側』がある……摂食障害になってしまった私は、そのことを嫌というほど経験してきた。街を歩いているみんなは、そんな大切なことを忘れかけていた私に、そのことを思い出させてくれた、そんな気がした。

「そう、何事も、目に見える表面的な部分と、そこに隠されたさまざまな事情や、心の葛藤、そこに至る想像を絶するような経緯とか、人それぞれの物語がある。みんな、そういった『裏側』で藻掻き、苦しみながら、それでも何とかして乗り越えて、やっとのことで笑顔でいられたり、キラキラ輝いて見えたりしているのかもしれない」

今の私の『痩せたい』だって、過食嘔吐という苦悩の末にギリギリ成り立っているかに見える、ただの『幻想』。決して『裏側』で藻掻き、苦しみながら、それでも何とかして乗り越えて手に入れた『痩せたい』ではないし、言葉にすると同じ『痩せたい』だけど、中身は全くの『別物』。摂食障害を克服することと『痩せたい』を完全に手放すことは、必ずしもイコールではないのかもしれない。だとしても、少なくとも『痩せたい』を手放せないのであれば、その先は、笑顔でいられる私、キラキラ輝いて見える私でいたいし、そうであってほしい。

「今の私は、決して笑顔でもないし、キラキラ輝いてもいないし、楽しくもないし、幸せでもない。苦しみと、辛さと、果てしない絶望感と、そんなもので埋め尽くされている。今私が拘っている『痩せたい』は、私を笑顔にはしてくれないし、キラキラ輝かせてもくれないし、楽しい気分にもさせてくれないし、幸せにもなれない……」

私はもう、疲れてしまった。本当に疲れてしまった。

痩せることに拘ることも

痩せることを考えることも

痩せることに囚われることも

そして、そのために

食べることに拘ることも

食べることを考えることも

食べることに囚われることも

そんな自分に、疲れてしまった……

「私は、別に『痩せたい』を完全に手放す必要はないのかもしれない。手放す必要はないのかもしれないけれども、少なくとも痩せた先には、笑顔で、楽しく過ごすことが出来て、そして幸せであると感じられることが出来なければ、痩せる意味がなくなってしまう。いや、初めから、痩せる意味なんてないのかもしれないけれど……」

今の私の『痩せたい』のレベルは、私に苦しみや、辛さや、果てしない絶望感をもたらすことはあっても、幸せはもたらさない。やめたくてもやめられない過食嘔吐抜きには成り立たない……何か、何だろう、もう、そんな拘りは、私のためにならない拘りは、私を不幸にする拘りは、鍵をかけて、見えないようにして、そっとしまってしまおう……

「私は、もう、疲れました。痩せることにも、食べることにも、疲れました。もう、太らなければ、それでいい。永遠に太り続けなければ、それでいい。痩せたいけれど、痩せたい気持ちがなくなった訳ではないけれど、でももう、辛く、苦しい毎日を過ごすことは出来ない。もう、やめたくてもやめられない過食嘔吐を続ける生活は、続けられない。私はただ、普通に食べたい。普通に生活がしたい。普通に笑顔で過ごしたい。普通の楽しみがあればそれでいい。ただ普通に幸せになりたい……」

もう、限界だった。もう、私を保つのには、今の状態を続けることは、出来ない。もう、何もかもが限界だった。私の目指した理想は、儚い夢。単なる幻想。いい加減、目を覚まさなければ……先生の娘さんのように、生きていることが出来なくなってしまう。ただ、普通でいい。それだけでいい。何も贅沢は言いません。お願い、もう、私を許して、私を解放して、私を自由にして、私を、私を、私を……悩みもない、苦しみもない、何でもない世界に連れてって……

私の中で、何かが切れた感覚があった。そう、緊張の糸が切れたような、そんな感じ。

私は、今までずっとずっと『痩せたい』を追い求めてきた。ずっとずっと『痩せたい』に拘ってきた。ずっとずっと『痩せたい』に囚われてきた。それが私だった。私の全てだった。

でもそれは、追っかけても追っかけても、どんなに追い求めても掴むことが出来ない、儚い夢、単なる『幻想』だった。そんなことは、実はずっと前からわかっていた。わかっていたけど、認めたくなかった。認めてしまったら、今までの自分が全てなくなってしまう。今までの自分が全て崩れ落ちてしまう。そのことが怖かった。そのことを認めたくなかった。

でも、もういいんじゃない?もう十分頑張ってきたじゃない?もう十分苦しんできたじゃない?もう十分悩んできたじゃない?もう、自分で自分を許してあげて。もう、自分で自分を認めてあげて。もう、自分で自分を解放してあげて……

私は、私のために自由になっていい

私は、私のために生きていい

私は、私のために……

月の光が、私の部屋にも届いていた。眩しいくらいに、絶望的な私を照らしていた。もう私は、摂食障害という、長い長いトンネルを抜け出せるのかもしれない。長い長いトンネルの出口が見つかったのかもしれない。長い長いトンネルを抜け出すのも、長い長いトンネルの出口を見つけるのも、全ては、私自身にかかっている。全ては、私自身の考え方次第。私が、摂食障害を克服したと思えば、それでいいのかもしれない。私が、苦しくなければ、それでいいのかもしれない。ただそれだけ、ただそれだけ。問題は、とってもシンプル。難しく考えることなんて、何にもない。難しく考えることなんて、必要ない。ただそれだけ、ただそれだけ、ただそれだけ……

「食べたければ、食べればいい。痩せたければ、痩せればいい。それで幸せであれば、それでいい。ねえそうでしょ?ただそれだけでしょ?……お願い、誰か、それでいい、って言って……」

……こんばんは、この2週間は、いかがお過ごしでしたか?

買いたければ、買ってもいい

食べたければ、食べてもいい

痩せたければ、吐いてもいい

出来るなら、やってもいい

出来ないのなら、無理してやらなくてもいい

続けられるなら、続けてもいい

変われるなら、変わってもいい

変われないのなら、そのままでもいい

完璧を追求したければ、追求してもいい

ダメ出しは、しなくてもいい

そんな自分に、〇を付けてあげよう

そんな自分を、大切にしてあげよう

そんな自分を許せるのなら、許してあげよう

ということを、出来る範囲で意識してみることは、出来ましたか?

「はい、そうですね……意識はしていたと思います。私なりに、いろいろと考えることが多かったので、実際出来たかどうかはわからない部分もありますけど、とにかく意識だけはしていた、そんな2週間だったと思います」

そうですか、まずは意識してみることが大切なことですから、それでいいと思います。たとえ実際に出来なかったとしても、気持ちだけでも、心掛けだけでも、心構えだけでも持ち続る、ということが、いつか必ず行動に繋がっていくのです。そう信じて、意識することを続けてみてください。

「はい、わかりました……あのう、先生、私思ったんですけど、今までずっと痩せることに拘って、拘って、拘って、吐いてまで痩せることに拘って、それで過食嘔吐がやめられなかったのです。でも、その『痩せたい』は、私に笑顔も、楽しみも、幸せも、何ももたらしてはくれなかったのです……

私はもう、疲れてしまいました。本当に疲れてしまいました。

痩せることに拘ることも

痩せることを考えることも

痩せることに囚われることも

そして、そのために

食べることに拘ることも

食べることを考えることも

食べることに囚われることも

そんな自分に、自分自身に疲れてしまいました。だから、

私は、私のために自由になっていい

私は、私のために生きていい

そして、私に幸せをもたらさない『痩せたい』に、拘る必要はないのではないかと、そんなことをずっと考えていました」

そうですか、今までずっとずっと拘っておられた『痩せたい』ということが、ご自身に幸せをもたらさないのなら、拘る必要はない、そうお考えになったのですね。

「そうですね……私、別に痩せたくなくなった訳でも、太っても構わないって思った訳でもないんですけど、でも、今の私の『痩せたい』のレベルは、私に苦しみや、辛さや、果てしない絶望感をもたらすことはあっても、決して幸せはもたらさない。ただ、やめたくてもやめられない過食嘔吐を繰り返すことで、ギリギリ維持している『痩せたい』なんです。私は、たとえ『痩せたい』を手放さないとしても、その先には笑顔でいられる私、キラキラ輝いている私、毎日が楽しいと思える私、そして、幸せを感じられる私でいたいのです。何か、そんなことを考えていました」

なるほど、それは素晴らしい!何が素晴らしいかと言うと、誰かに言われたからとか、本やネットでそう書いてあったからとか、そういう理由ではなく、ご自身のいろいろな心の葛藤を経ての考え、だということが非常に素晴らしいことで、大切なことなのです。それは、誰かに言われたことや、何かに書いてあったことをそのまま試したり、やってみることが良くない、と言いたい訳ではありません。ただ、やはりご自分の内側から出てきた考え、ご自身の心の葛藤を経ての考え、というのは、納得出来る度合い、納得して行動に移せるかどうかに差が出るものです。そして、その考えには、自分なりの明確な理由がありますね。

私は、たとえ『痩せたい』を手放さないとしても、その先には笑顔でいられる私、キラキラ輝いている私、毎日が楽しいと思える私、そして、幸せを感じられる私でいたいのです。

それも素晴らしいし、大切なことなのです。

「そうですか、そう言っていただけると、何だかほっとします。やっぱり『痩せたい』そのものは目標ではなくて、私が幸せになるための一つの手段に過ぎないと思います。ですから、痩せたことで幸せになれないのなら、それは私が拘ること、目指す姿ではないのではないかと、そう思ったのです」

『痩せたい』そのものは目標ではなくて、私が幸せになるための一つの手段に過ぎない。

ですか……随分といろいろなことをお考えになったり、今までのご自分とこれからのご自分の狭間で、深い心の葛藤があったのではないですか。今まで、あれ程までに拘っていた『痩せたい』の、その捉え方に変化があったようですね。

「そうですね、何がきっかけだったのか、そもそも何か決定的なきっかけがあったのかなかったのか、はっきりとはわからない部分がありますが、ただ、私の中で、いろいろなキーワードがあったことは確かだと思います。例えば、

物事には、表と裏がある

何事も、華やかで、キラキラした『表側』と、見ようとしなければ見ることの出来ない、隠された壮絶な『裏側』がある

今の私の『痩せたい』のレベルは、過食嘔吐抜きでは成り立たない、ただの『幻想』

笑顔で、キラキラ輝いていて、楽しくて、幸せな自分になりたい

痩せることにも、食べることにも疲れてしまった

普通に食べたい

普通に生活がしたい

普通に笑顔で過ごしたい

普通の楽しみがあればそれでいい

ただ普通に幸せになりたい

もう限界

私の目指した理想は、儚い夢。単なる幻想

私を許して

私を解放して

私を自由にして

***

私は、もう、限界だったのだと思います。今までは、痩せること、痩せ続けることで私自身を保っていられたし、痩せることが私の全てだったのですが、今の私は、私を保つのには、今の状態を続けることは、もう出来ないのです。過食嘔吐を続けることでは、私を保てないのです。いい加減、本気で過食嘔吐をやめたいのです。私の今まで拘ってきた『痩せたい』は、私を幸せにはしてくれない、そう思ったのです」

なるほど、そう思ったのですね。それこそがまさに、自分を大切にする、ということだと思いますよ。頭で考える理想を追求するあまり、自分の心や身体の状態を無視し続けていては、いつか必ず破綻してしまいます。そういった、ご自分の限界や、自分自身を保つことの大切さに、いろいろな経験や心の葛藤を経て気付くことが出来たのではないでしょうか。

「先生、私は、何かに気付くことが出来たのでしょうか。何か、今までとは違う一歩を踏み出すことが出来たのでしょうか。私自身を、苦しみから解放することは出来るのでしょうか。なりたい自分に辿り着くことは出来るのでしょうか。私は、私は、私は、摂食障害の長い長いトンネルを抜けることが出来るのでしょうか……」

そうですね、少なくとも摂食障害の長い長いトンネルの出口の、すぐ近くまで辿り着いていらっしゃると思いますよ。たとえあなたには、その出口が見つかっていなかったとしても。その出口が見えなかったとしても。そしてあなたが、出口を出口だと気が付いていないとしても。ただし、摂食障害の長い長いトンネルを抜けて、ご自身を苦しみから解放することが出来るのはいつなのか、という時期のお約束は出来ません。今日かもしれないし、明日かもしれないし、1年後かもしれません。いつになるのかは、あなた自身にかかっていますし、あなたにしかわからないことです。言い方を変えると、極端に言えばあなたがその時期を設定するものかもしれないし、あなただけが設定することが出来るのかもしれない。ただ、私から言えることは、間違いなくあなたは、摂食障害の長い長いトンネルの出口の、すぐ近くまで辿り着いていらっしゃる、ということです。

「そうですか、そうなんですね?そう信じていいのですね?私はただ、本当に限界だし、このままでは自分を保てないし、過食嘔吐を繰り返すこと、やめられないことに疲れ果ててしまっただけなのです。『痩せたい』を追い求めるよりも、笑顔でいられる私、キラキラ輝いている私、毎日が楽しいと思える私、そして、幸せを感じられる私でいたいのです。そう……何というか、自分の中の価値観の優先順位が、もしかしたらほんの少しずつ変わってきたのかもしれません」

そうですか、そう思いますか、そう感じていますか。それは、あなたが、さまざまな経験をされたり、心の葛藤があったり、いろいろとお考えになったこと、その全てが重なり合ってご自分を動かしたのです。今までの頑なな考え方に、ほんの少しずつ変化をもたらしたのです。あなたが諦めることなく、出来ることを続けたこと、そういったことの全てが、今のその思いに繋がったのです。あなた自身が、あなたを導いたのですよ。確かに、私はいろいろとアドバイスをしてサポートしてきましたが、最終的には、あなたの摂食障害を克服したい、という強い思いが、今のあなたを生み出したのです。

「私が、私を導いた……摂食障害は、誰かが治してくれるのではなく、自分自身が治すものとか、本気で治そうと思った時から、治り始めている、って何かで読んだような気がするのですが、そういうことなのですか?」

おっしゃる通りです。あなたは既に、摂食障害克服のスタートラインに立っているのです。そして、克服の一歩を踏み出す決心をされたのです。とはいっても、この病気は良くなったと思ったら逆戻りしてしまった、なんてことは良くあることなので、これから先は日に日に良くなる、という訳ではないかもしれません。ですが、ご自分の力で、ご自身のいろいろなことに気付かれたのです。

今の私の『痩せたい』のレベルは、私に苦しみや、辛さや、果てしない絶望感をもたらすことはあっても、決して幸せはもたらさない。

もそうですし、

『痩せたい』そのものは目標ではなくて、私が幸せになるための一つの手段に過ぎないと思います。

もそうです。こういった思いや考えに、あなた自身が、あなたを導いたのです。

「確かに、この2週間は、いろいろと考える時間が多くて、気付いたこともいくつかあったと思います。それに、さっきも言いましたが、自分の中の価値観の優先順位が、ほんの少しずつ変わってきたのかもしれない、という感覚はあります。あと、私にとっての『瘦せたい』って、何なんだろう、って考えていた時に、何というか、その……私の中で、何かが切れた感覚がありました。そう、緊張の糸が切れたような、そんな感じがしました」

そうですか、それはきっと、ご自分の中で、何かが吹っ切れたり、心の整理が出来た。あるいは、ご自分にとって必要なものと、必要でないものの振り分けが出来るようになったり、ご自分にとって大切なことが何なのかを考えられるようになった。そんなことが起こったのかもしれません。

「先生、私ずっとずっと、もう何年も前から過食嘔吐をやめたい、って思っていましたし、一方では、過食嘔吐抜きにしては維持出来ないほどの『痩せたい』に拘っていました。それが、ここ数週間で随分考え方や価値観が変わってきた気がするんですけど、何がきっかけだったのでしょうか。それとも、何か決定的なきっかけがあった訳ではないのでしょうか?」

そうですね、何か決定的なきっかけがあったのかもしれませんし、特段決定的なきっかけがあった訳ではなかったのかもしれません。あなたが摂食障害を克服することを諦めないで、出来ることを一つ一つ積み重ねて続けてきたことが、自分自身と向き合うこと、自分自身を見つめ直すことに繋がって、ほんの少しずつ考え方や価値観が変わってきた結果なのかもしれません。いずれにしても、今のあなたにとって、何がきっかけだったか、ということはそんなに重要なことではありません。人間は、わからないことをわからないままにしておくことを嫌う傾向があるので、気になるかもしれませんが、摂食障害になってしまった理由と同じように、克服に向かうきっかけも、今は深く追求する必要はないと思います。今のあなたにとって必要なこと、それは、

『痩せたい』を追い求めるよりも、笑顔でいられる私、キラキラ輝いている私、毎日が楽しいと思える私、そして、幸せを感じられる私でいたいのです。

ということを大切にすること、そのことを目指して、今出来ることを一つ一つ積み重ねる、ということです。何だか良くわからないけれど、とか、いつの間にか、などという曖昧な状態に身を任せる、流れに乗っかって進んでみる、ということも時と場合によっては大切なことなのです。

「そうですね、何で、何でって、理由ばかり追い求めても、結局どこにも辿り着けなくて、同じところをぐるぐると回っているだけなのであれば、あれこれ難しいことを考えないで、前に進める時には進んでしまった方がいいのかもしれませんね……」

おっしゃる通りです。拘って、囚われて、一歩も動けなくしてしまうのも、今出来ることに目を向けて、ほんの少しでも前に進もうとするのも、どちらも自分次第なのです。

「自分次第……確かにそうかもしれません。先生が、今日始めにおっしゃっていた、出来る範囲で意識してみること、

買いたければ、買ってもいい

食べたければ、食べてもいい

痩せたければ、吐いてもいい

出来るなら、やってもいい

出来ないのなら、無理してやらなくてもいい

続けられるなら、続けてもいい

変われるなら、変わってもいい

変われないのなら、そのままでもいい

完璧を追求したければ、追求してもいい

ダメ出しは、しなくてもいい

そんな自分に、〇を付けてあげよう

そんな自分を、大切にしてあげよう

そんな自分を許せるのなら、許してあげよう

これらのことだって、拘って、囚われていたら、一歩も動けなくていつまでたっても何も変わらないのかもしれないし、今出来ることに目を向けて、ほんの少しでも前に進もう、って意識していれば、いつかはきっと、ほんの少しずつでも、変わることが出来るのかもしれない。摂食障害は、誰かが治してくれるのではなく、自分自身が治すものとか、本気で治そうと思った時から、治り始めているということは、そんなことの全てが、関係しているのでしょうか」

そうですね……これはあくまで私の考えですが、摂食障害は病気であり、摂食障害当事者は患者であるけれども、その克服の方法を知っているのは、そして克服のノウハウを持ち合わせているのは、他でもない自分自身なのです。摂食障害の治療者は自分自身なのです。摂食障害は、自分自身で克服することが出来るのです。ただし、偏ってしまった価値観や、行き過ぎた完璧主義や、頑なな拘りや、太ることや食べることへの恐怖心を解きほぐすためには、どうしても自分一人の力だけでは限界があります。そこで、人との繋がりやサポートが必要になるのです。そして、有益な情報に触れることも大切になってくるのです。摂食障害当事者は患者であり、同時に治療者でもあるのです。ですから、摂食障害は誰かが治してくれるのではなく、自分自身が治すものとか、本気で治そうと思った時から治り始めている、などと言われているのです。

「先生、摂食障害当事者は患者であり、同時に治療者でもある……ですか。私は、過食嘔吐をやめたくて、過食嘔吐を繰り返してしまうことが辛くて、苦しくて、どうにかしてやめたいと思っているのですけど、なかなか自分一人の力ではやめられなくて、それで悩んでいるのに、摂食障害の治療者は自分自身なのですか……何だか、良くわからない部分がありますし、実際自分一人の力では治せない気がするのですけど、どういう意味なのですか?」

そうですね、ちょっと極端な言い方だったかもしれませんね。私が言いたかったことは、つまりこういうことです。これも、あくまで私の考えですが、生まれつき痩せたい、吐いてでも痩せたい、あるいは食べることが怖い、食べると無限に太るのではないか、などと思っている人はいないと思います。いや、いないのです。つまり、摂食障害は先天的な疾患ではなく、後天的に学習した価値観や嗜癖行動によって患う精神疾患なのです。ですから、ごく単純に言うと、摂食障害になってしまった後の学習や嗜癖行動の見直しによって、回復、克服する可能性が十分にあるのです。ただし、ご存知のように、いやご経験されたように、一度『痩せたい』や『食べたい』に囚われてしまうと、完璧主義的な性格も相まって、そこから抜け出すのは非常に困難になってしまいます。なぜ困難なのかというと、それは自分自身が追い求めている価値観や完璧主義的な思考回路が、なかなか他者の介入を許さないレベルにまで硬直、凝り固まってしまっているからです……これはつまり、周りからの、常識的と思われるアドバイスなどが心に響かない状態に陥っている、と言えるかもしれません。

「確かに、始めのうちは痩せたよね~、羨ましい~、きれいになったよね~とか言われてたのに、痩せ続けると、痩せ過ぎだよ、大丈夫?、そして、挙句の果てには痩せ過ぎで気持ち悪い……とか言われたりしました。それでも、痩せ過ぎとは思わなくて、まだまだ痩せられるし、もっともっと痩せたいって、そんな思考に囚われて、周りの意見は耳に入らなかったかもしれませんね」

そうですか、やはりそういうご経験があるのではないかと思います。その場合、客観的に考えるとおそらく痩せ過ぎなのは間違いないのですが、当の本人にはそういう認識がない、あるいはそのことが受け入れられない状態なのです。もちろん、摂食障害とはそういう病気、いわゆる『痩せたい病』なので、それが当たり前であるし、むしろ仕方がないことではあります。そういった、ご自分の状態を冷静に考えられる状況にない時には、当事者の話を良く聴くなど、コミュニケーションを欠かさないこと。そして、痩せることや食べることに対して、どのような思いや気持ちを持っているのか、またその奥に潜んでいる悩みや生き辛さがどういうものなのかを一つ一つ丁寧に探っていくこと。その上で、その方に寄り添ったサポートをしていくことが大切になります。この地道な作業を繰り返すことで、ご本人にいろいろなことに気付いてもらい、さまざまなことを考えてもらう。そういったことを積み重ねた上で、本人が納得して一つ一つ進んでいくことが大切で、必要なことなのです。そういう意味で、ご本人の価値観や考え方を変化させることが出来るのは、最終的には摂食障害であるご本人に他ならないのです。

「う~ん、わかるようで、わからない気もしますが……確かに周りの意見やアドバイスをそのまま素直に受け入れることはなかなか出来なかったし、自分の考えや価値観に拘る余り、周りの意見やアドバイスで自分を変えることは難しかったですね」

そうですね、私もちょっと力が入り過ぎたようで、同じような内容を繰り返したり、理屈っぽい言い方が多かったかもしれません。フローチャートのようにすると、もう少しわかりやすくなるかもしれませんので、ちょっと書いてみます。

生まれつき痩せたい、吐いてでも痩せたい、あるいは食べることが怖い、食べると無限に太るのではないか、などと思っている人はいない

摂食障害は先天的な疾患ではなく、後天的に学習した価値観や嗜癖行動によって患う精神疾患である

ということは、摂食障害になってしまった後の学習や嗜癖行動の見直しによって、回復、克服する可能性が十分にある

ただし、一度『痩せたい』や『食べたい』に囚われてしまうと、完璧主義的な性格も相まって、そこから抜け出すのは非常に困難である

なぜ困難なのか、それは自分自身が追い求めている価値観や完璧主義的な思考回路が、他者の介入を許さないレベルにまで硬直、凝り固まってしまっている = 周りの意見やアドバイスなどが耳に入らない = 客観的に考えるとおそらく痩せ過ぎなのは間違いないが、当の本人にはそういう認識がない、あるいはそのことが受け入れられない状態

その状態で、体重や体型、あるいは食べることに対する常識的な意見やアドバイスをしても、到底受け入れられないし、余計に自分の価値観や考え方に固執してしまう

そこでまずは、痩せることや食べることに対して、どのような思いや気持ちを持っているのか、またその奥に潜んでいる悩みや生き辛さがどういうものなのかを一つ一つ丁寧に探っていく、その方に寄り添ったサポートをしていく

この地道な作業を繰り返すことで、本人にいろいろなことに気付いてもらい、さまざまなことを考えてもらう。そういったことを積み重ねた上で、本人が納得して一つ一つ進んでいく

自分で気付く、自分で考える、自分が納得して進んでいく = 価値観や考え方を変化させるのは、最終的には自分自身である

という感じになります。

「そうですね、この方がわかりやすいかと思います。確かに、自分で辿り着いた方法であれば、納得して取り組めるし、たとえうまくいかなかったとしても、自分で考えたのであれば納得出来ると思います」

そうですか、それなら良かったです。ところで、今まで何回か繰り返し言ってきましたが、私は、摂食障害の克服に大切なことは、

今の自分の状態を認識して認めること、受け入れること

その上で、今の自分に出来ることを一つ一つ積み重ねること

今の自分には出来ないことを無理して続けて、状態を悪化させないこと

それらのことを地道に続けることで、

何が出来るのかを考えること

何が出来ないのかを見極めること

何が自分にとって大切なのかを考えること

何が自分にとって必要なのかを考えること

変われること、変えることが出来ることが何なのかを考えること

変えられないこと、変えることが出来ないことが何なのかを見極めること

そういうことを通して、

自分自身と向き合うこと

自分自身を見つめ直すこと

自分の人生と向き合うこと

自分の人生を見つめ直すこと

そういったことだと考えています。決して『歪んだボディイメージを矯正する』ことや『体重が○○キロになったら退院出来る』ことや『正しい食習慣を身に付ける』ことだけではないと思っています。

「そうですね、『歪んだボディイメージ』という言葉を何かで読んだ記憶があります。確かに自分の『痩せたい』は歪んでいるかもしれない、いや完全に歪み切っていることはわかっているのだけれど、それでも、そんなこととは関係なく『痩せたい』し、私は入院したことはないけれど、『体重が○○キロになったら退院出来る』と言われればそこまでは我慢して増やして、退院して家に戻ってからまた過食嘔吐で体重を減らそう、って思うだろうし、『正しい食習慣を身に付ける』ことだって同じで、その場だけ普通に食べられたふりして、家では過食嘔吐しよう、って気持ちが強くなるだけのような気がします」

わたしもそうなのではないかと思います。ですから、

そこでまずは、痩せることや食べることに対して、どのような思いや気持ちを持っているのか、またその奥に潜んでいる悩みや生き辛さがどういうものなのかを一つ一つ丁寧に探っていく、その方に寄り添ったサポートをしていく。

ことが大切なのではないかと思っているのです。もちろん、生死にかかわる程の痩せ方の場合は、緊急的な医療行為による生命の維持が優先されることは言うまでもありませんが。

「そうですね、確かに『歪んだボディイメージを矯正する』ことや『体重が○○キロになったら退院出来る』ことや『正しい食習慣を身に付ける』ことを、痩せたい思いや、それでも食べたい気持ちよりも優先させられたら、納得出来なかったり、反発してしまうかもしれません。それだけではありませんが、そういう意味でも、私は先生と出会えたこと、先生に摂食障害の悩みや辛さを相談出来たことは、本当に良かったし、感謝しています。先生、ありがとうございます」

そんな、改めて言われると何だか恥ずかしいですが……とにかく、あなたにとってのトンネルの出口、摂食障害の克服、幸せとは何か、ということに、もう、すぐ辿り着けるところまで来ています。そう遠くないうちに、今の苦しみや辛さからは解放されるのではないかと思います。諦めないで、今出来ることを続けていきましょう。

「そうですね、今出来ることを一つ一つ積み重ねること。そして、摂食障害の克服を諦めないこと。結局そのことが大切なのですね」

そうです。そして、摂食障害当事者は患者であり、同時に治療者でもあるのです。それは、

摂食障害当事者は患者であるけれども、その克服の方法を知っているのは、そして克服のノウハウを持ち合わせているのは、他でもない自分自身なのです。

ということです。完璧主義や、0か100かの極端な思考回路、偏った価値観などは、痩せを称賛する社会風潮から影響を受ける部分もありますが、その根幹をなすのは自分自身で設定した、自分自身が作り上げた『考え方』である場合が多いのです。ですから、逆に考えると、その拘りや価値観、考え方を変えることが出来る、変える方法に辿り着けるのは自分自身なのです。他者は、その詳細な仕組みについては知りえないのです。ただし、その複雑に絡み合った糸を解きほぐすのは、自分一人の力だけでは容易ではありません。そこで、良き理解者によるサポートが必要になってくるのです。

「それはつまり、完璧主義や、0か100かの極端な思考回路、偏った価値観などは、元から持っている自分の性格的な傾向や価値観、自分自身の経験や見聞きしたことなどが、自分の中に積み重なった結果導き出された考え方や価値観が基となって構成されている部分が多いから、どうしてそう考えるのかとか、どうしてそういう価値観なのか、という仕組み、というかメカニズムについては自分自身が一番良く知っている、ということでいいのですか」

正にそういうことです。ですから、その考え方や価値観を一度バラバラに解きほぐして、もう一度組み替えたり、考え方や価値観を変える方法を最も良く知りえる位置にいるのは、自分自身なのです。

「そういう意味で、

摂食障害当事者は患者であるけれども、その克服の方法を知っているのは、そして克服のノウハウを持ち合わせているのは、他でもない自分自身なのです。

とおっしゃったのですね」

そうです。ただし、ご自身が身をもって経験されたように、摂食障害特有の『痩せたい』や『でも食べたい』ということに拘って、囚われてしまうと、自分一人の力でそこから抜け出すことは、本当に簡単なことではありません。

「そこで、自分でもどうしたら克服出来るのか、克服のノウハウは何なのかに辿り着くために、良き理解者によるサポートが必要になってくるのですね」

そういうことです。自分自身の考え方や頑なな価値観から自らを解放させることが出来るのは、誰でもない自分自身なのですが、がんじがらめに硬直してしまった思考回路や感覚を一つ一つ解きほぐす作業には、他者の介入やサポート、有益な情報に触れる、ということが必要になってくるのです。そして自らも、摂食障害を克服することを諦めない、今出来ることを一つ一つ続ける、そういった姿勢を持ち続けることが必要で、大切なことなのです。

「自分の考え方や価値観を変えることが出来るのは、最終的には自分自身である。けれども、そのためには摂食障害や自分のことを良く理解してくれている人との繋がり、サポートが必要になってくる。自分一人の力だけでは、摂食障害を克服するのはなかなか難しい。だからといって、諦めてしまっては、克服へ辿り着くこと、自分自身を苦しみや辛さから解放することからは、ますます遠ざかってしまう。いつか必ず辿り着くことが出来るとしても、いつになるかわからない未来のことを思って途方に暮れるくらいなら、今日、この1時間、1分、1秒を大切にして今の自分の足元をしっかりと見つめる。その上で、今出来ることを一つ一つ積み重ねる。結局は、それしかないし、それが全て。そう信じて、気持ちを切らさずに持ち続けること。それが、摂食障害を克服する唯一の方法なのかもしれない……先生、そういうことなんですよね?」

そうですね、正におっしゃる通りだと思います。それともう一つ付け加えるとすれば、必ずしも頭で考えることが、思い描いた通りに出来る訳ではなくて、なかなか思い通りにいかない、うまくいかないことが多い。それでも、うまくいかなくて当然、失敗して当たり前だと思って、気持ちを切り替えて、今出来ることに集中する。そして、今出来ないことを、無理して追求し過ぎない。

だって、摂食障害になってしまった時点で、完璧でも何でもないし、抑えられない食欲と、それでも痩せたいという思いを、過食嘔吐という手段を使わなければ維持出来ないのだから……

ということですよね。

「そうです、そうなんです。先生、あのう、今話をしていて思ったのですけど、

摂食障害当事者は患者であるけれども、その克服の方法を知っているのは、そして克服のノウハウを持ち合わせているのは、他でもない自分自身なのです。

とか、

自分でもどうしたら克服出来るのか、克服のノウハウは何なのかに辿り着くために、良き理解者によるサポートが必要になってくる。

ということを忘れないこと、克服を諦めないこと、そして今出来ることを続けること。そして、これらを常に意識する、忘れない、思い出す、心掛ける、ということが考え方や価値観の変化に繋がっていく気がするのです」

おっしゃる通りだと思います。たとえ今出来なくても、失敗しても、続けられなくても、常に意識したり、忘れないで思い出したり、心掛ける、ということを続けていれば、自分自身の無意識に働きかけることにも繋がりますし、そういうことの積み重ね、繰り返しがほんの少しずつでも自分を自分のなりたい方向、目指す姿に近づけていくのです。そのための変化が自然と起こってくるのです。

「無意識に働きかける、変化が自然と起こってくる……確かに、そういうことがあるのかもしれません。私も、自分自身を変えよう、昨日の自分から変わろうって、必死になって、藻掻いて、どうすればいいのかを考え続けていた時には、何も変わらなくて、何も変えられなくて、同じところをぐるぐると行ったり来たりするだけだったような気がします。ところが、ふっと力が抜けた瞬間とか、考えても仕方がないことはとりあえず考えるのはやめて、今出来ることを考えよう、などと思った時に、どうすればいいのかを思い付いたり、こう考えればいいのかもって、少しだけ考え方や価値観を変えることが出来たりしたことが、何回かあったと思います。だから、先生がおっしゃるように、

たとえ今出来なくても、失敗しても、続けられなくても、常に意識したり、忘れないで思い出したり、心掛ける、ということを続ける。

ということが大切なのだと思います」

そうですね、月並みな言い方かもしれませんが、思い続けていれば、諦めなければ、いつかは叶う。そういうことが、摂食障害の克服に限らず、現実に起こりうるのです。それは、ただ思い続けるということではなく、常に意識するという習慣が、知らず知らずのうちに考え方や価値観、行動に変化をもたらし、あるべき姿に向かうように、自分で自分を仕向けることが出来るようになる、ということだと思います。

常に意識するという習慣が、知らず知らずのうちに考え方や価値観、行動に変化をもたらし、あるべき姿に向かうように、自分で自分を仕向けることが出来るようになる、ですか。何か、自分で自分を仕向けることが出来るようになる、なんて、先ほど先生がおっしゃっていた意味とはちょっと違うかもしれませんが、

摂食障害当事者は患者であり、同時に治療者でもあるのです。ですから、摂食障害は誰かが治してくれるのではなく、自分自身が治すものとか、本気で治そうと思った時から治り始めている、などと言われているのです。

ということにも繋がっている気がします」

そうですね、誰かが治してくれるのではなく、自分自身が治すもの、という意味では同じことかもしれません。摂食障害は、ある意味『痩せたい病』である、と言ったことがありますが、痩せることに拘って、拘って、そのことばかり考えていると、痩せることしか考えられなくなってきてしまいます。まあ、摂食障害とはそういう病気である、と言ってしまえばその通りで、そこで話が終わってしまいますが。つまり、こういうことです。あることに注目して、拘って、そのことばかりを意識していると、その注目している事柄ばかりが集まってくる。言い換えると、注目している事柄ばかりが目に入ってくる、耳にする。もっと言うと、注目している事柄しか見えなくなってくる、聞こえなくなってくる。最終的には、それしか考えられなくなったり、それしか見えなくて、ほかのことを見ようとしなくなったり、それしか聞こえなくて、ほかのことを聞こうとしなくなったりする状態になるのです。恋愛でも、同じようなことが起こる場合があると思いますけど。摂食障害とはそういう病気であるので、症状が酷い時には仕方がありませんが、あなたのようにいろいろと考えることが出来るような状態であれば、克服する、ということを常に意識するという習慣が、知らず知らずのうちに考え方や価値観、行動に変化をもたらし、あるべき姿に向かうように、自分で自分を仕向けることが出来るようになるので、自分自身が治すもの、ということに繋がっていると思いますよ。

「先生、私は、自分で自分を摂食障害の克服に向かうように、仕向けることが出来るのでしょうか」

もちろん出来ると思います。さっきも言いましたが、間違いなくあなたは、摂食障害の長い長いトンネルの出口の、すぐ近くまで辿り着いていらっしゃるし、そしてあなたは既に、摂食障害克服のスタートラインに立っているのです。そして、克服の一歩を踏み出す決心をされたのです。もう既に、摂食障害の克服に向かうように、自分で自分を仕向けることが出来るようになっているのです。もしも今のあなたに何かが必要だとすれば、それは『進み続ける勇気』だと思います。この先、たとえうまくいかないことや、失敗することがあったとしても、諦めることなく、それでも摂食障害を克服する、という気持ちを持ち続けて出来ることを一つ一つ積み重ねる。その『勇気』があれば、知らず知らずのうちに考え方や価値観、行動に変化をもたらし、摂食障害の克服に向かうこと、摂食障害を克服すること、摂食障害の苦しみや辛さから自分自身を解放することが出来ると思います。そしてもう一つ、いつか必ず克服することが出来ると『信じる』こと。このことを忘れないで常に意識していれば、知らず知らずのうちに考え方や価値観、行動に変化をもたらし、なりたい自分に辿り着くことが出来ると思います。

「先生にそう言っていただけると、自分でもそうなれるような気がします。ただ、家に帰って一人になると、なかなか思い通りに行動出来なくて、今までずっと悩んでいたのですけど、一人になっても『勇気』を持って『信じる』ことが出来るのでしょうか」

そうですね、たとえ一人になっても常に意識すること、そういう習慣を身に付けることで、モチベーションを維持出来ると思いますし、出来なかった時には気持ちを切り替えて、出来たことに目を向けることに集中する。その、成功体験を一つ一つ積み重ねる、ということが、ほんの少しずつでも自信を取り戻すことに繋がりますので、一人になっても自分を信じて、諦めないで、気持ちを切らさずに進んでいきましょう。

「そうですね、自分を信じて、諦めないで、気持ちを切らさずに、ですね」

そうですね。それでは、次回お会いするまでに、ご自分が幸せになれること、笑顔でいられること、キラキラ輝いていられること、楽しいと感じられること、を意識して、考えたり行動したりしてみてください。例えば、どちらをやろうか迷った時には、幸せになれること、笑顔でいられること、キラキラ輝いていられること、楽しいと感じられることは、今の自分にとってはどちらか、ということを意識して選択してみてください。そういうことを一つ一つ積み重ねることによって、ご自分を大切にする、ということも意識してみてください。

「わかりました。幸せになれること、笑顔でいられること、キラキラ輝いていられること、楽しいと感じられること、ですね。意識してみます」

この前、先生のところに行った時、私は思わず

私の『痩せたい』は、私に笑顔も、楽しみも、幸せも、何ももたらしてはくれなかったのです……
私に幸せをもたらさない『痩せたい』に、拘る必要はないのではないかと、そんなことをずっと考えていました。

そんなことを言っていた。私が今までずっとずっと拘ってきた『痩せたい』。痩せるために、食事制限を始めて、なかなか痩せられなくなってきたら先生にアドバイスを求めて。それでも飽き足らず、吐いてまで痩せようとして、過食嘔吐の地獄にはまり込んで。そしたら今度は過食嘔吐をやめるため、摂食障害を克服するためのアドバイスを先生に求めて……摂食障害は病気である、ある意味『痩せたい』病である、というけれど、何だか今振り返ってみると、自分で悩みの種を蒔いて、収拾がつかなくなって、それで悩んでいる。そんな数年間だったような気がしてきた。

「本当に、あの時『痩せたい』なんて思わなければ、考えなければ、こんなことにはならなかったのかもしれない。でも、今更そんなことを言っても仕方がないか。『たられば』言ってる暇があったら、幸せになれること、笑顔でいられること、キラキラ輝いていられること、楽しいと感じられることを意識して、今出来ることを一つ一つ積み重ねる。そのことに集中しよう」

先生は、

たとえ一人になっても常に意識すること、そういう習慣を身に付けることで、モチベーションを維持出来ると思いますし、出来なかった時には気持ちを切り替えて、出来たことに目を向けることに集中する。その、成功体験を一つ一つ積み重ねる、ということが、ほんの少しずつでも自信を取り戻すことに繋がりますので、一人になっても自分を信じて、諦めないで、気持ちを切らさずに進んでいきましょう。

って言っていたけど、やっぱり家に帰ってきて一人になると、何だか自信がなかった。

「一人になっても淡々と先生の言った通りに過ごせるのなら、それはもう摂食障害を克服した、ということなのかもしれない。そんな、穏やかな過ごし方がちょっときつかったら、今の私は『出来なくても当たり前』『摂食障害とは、そういう病気なのだから仕方がない』っていうことも常に意識した方がいいのかもしれない。じゃないと、結局出来ない自分を責めて、落ち込んでしまうことになりかねない。だからもう『出来たことが今出来ること』で『出来なかったことは今は出来ないこと』って割り切った方がいいのかもしれない」

今の私には『理想』や『完璧』、『順調』や『問題ない』って言葉は『幻想』だってことも、常に意識した方がいいのかもしれない。

どんなに長い夜も、永遠に明けない夜はない。いつか必ず夜明けがくる

どんなに食べても、永遠に食べ続けることはない。いつか必ず食べ終わる

どんなに痩せても、永遠に痩せ続けることはない。いつか必ず痩せ止まる

どんなに辛くても、永遠に辛い訳ではない。いつか必ず辛さにも終わりがくる

どんなに悩んでも、永遠に悩み続けることはない。いつか必ず悩みにも終わりがくる

どんなに苦しくても、永遠に苦しみ続けることはない。いつか必ず苦しみにも終わりがくる

同じように、今の私には『永遠』って言葉も当てはまらないし、そんなことはあり得ない『幻想』だってことも、常に意識した方がいいのかもしれない……そう、いつか必ず終わりがくる。摂食障害の長い長いトンネルも、いつか必ず抜け出すことが出来る。そう、信じていたい。

自分を認めるとか、自分を大切にするとか、ありのままの自分を受け止めるとか。摂食障害になってからというもの、さまざまな、自分を肯定するような、否定しないような言葉を教わってきた。それはそれで大切なことで、おそらく今までの私が出来ていなかったこと、気が付かなかったこと、見ようとしてこなかったことなのだと思う。だからこそ、私の場合は摂食障害という形で、そのことに気付かされてきたのだろう。摂食障害になってしまったことで、一度立ち止まって、そんなことを考え直すきっかけが与えられたのだろう。それはそれで全然間違いではないし、おそらくその通りなのだと思う。だけど、世の中のみんなが、そんなことを深く深く、時間をかけて考えているのだろうか。やっぱり、摂食障害になってしまうような気質、というか性格的な傾向、みたいなものがあるから、そんなことを考えて、自分と向き合い、自分を見つめ直す、などということが必要になるのだろうか。世の中の多くの人は、多少は考えたとしても、そうそう深く、時間をかけて考えなくても、何となく幸せで、笑顔でいられて、そこそこキラキラ輝いていられて、そして楽しい生活を送っているような気がする。

「そうは言っても、人は人、自分は自分。自分を人と取りかえることは出来ないし、自分は自分のままで、ほんの少しずつ変わっていくしかない。私は私のやり方で、私の出来る範囲で、幸せになれること、笑顔でいられること、キラキラ輝いていられること、楽しいと感じられることを意識して、今出来ることを一つ一つ積み重ねる。そのことに集中しよう。それが全てだし、それしか出来ないのだから、あれもこれも考えるのはやめよう」

今出来ることを一つ一つ積み重ねる

今出来ないことは、無理してやらない

「ずっとずっとそんなことを先生にも言われて、自分でもそれしか出来ないなぁ~って思って、そうしてきたけれど、それってもしかして、

自分を認める、とか

自分を大切にする、とか

ありのままの自分を受け止める

っていうことなのかな?」

今出来ることを一つ一つ積み重ねること、そして今出来ないことは、無理してやらないこと。これらはつまり、

今の自分の限界を認めて

今の自分の状態を見極めて

ありのままの自分を否定することなく

無理をしないことで自分を大切にする

ということに繋がっている……何となく、そんな気がしてきた。

「もしそうなら、私は随分前から、自分を認めるとか、自分を大切にするとか、ありのままの自分を受け止めるということを、少なからず意識はしていた、ということになる。それに、いつもではないけれど、そんなことが出来ていたこともあると思う。だとしたら、私はもう、特別なことを考えなくても、特段気合いを入れて普段とは違うことに取り組まなくても、摂食障害の克服に向けて必要だったり、大切なことが出来つつあるのかもしれないし、少なくとも意識することは出来ているのかもしれない」

そう考えると、そういう見方をすると、私は、どうすればいいのかとか、どうにも出来ないなどと悩む必要は、ないのかもしれない。むしろ、悩むことで悩みを増やして、必要のない悩みに悩まされていただけなのかもしれない。先生も確か、

拘って、囚われて、一歩も動けなくしてしまうのも、今出来ることに目を向けて、ほんの少しでも前に進もうとするのも、どちらも自分次第なのです。

と言っていた。悩みを悩みと捉えるか、必要のない悩みに悩まされているだけだと考えるか、どちらも自分次第なのかもしれない……

悩みを悩みと捉えるか、必要のない悩みに悩まされているだけだと考えるか。あるいは、本当は悩みはいたってシンプルなのに、あれもうまくいかない、これも思い通りにならないと、悩みを寄せ集めて、複雑に考えてしまって、糸がこんがらがってほどけなくなってしまったように感じているのか。突き詰めて考えれば、私はただ幸せになりたいだけ。そのために、いわゆる『普通に』食べられるようになりたいだけ。私を幸せに導かない『痩せたい』から解放されたいだけ。だけどそのためには、乗り越えなければならないハードルや、自分自身の中に存在する(と勝手に思い込んでいる)分厚い壁を取り除かなければ、いつまでたっても悩みが解決することはない、悩みから解放されることはない、という考えに囚われて、縛られて、身動きがとれないと思い込んでいるだけなのかもしれない……

「そうだよね、私は摂食障害になってしまったのだから、過食嘔吐をやめられないこと、私を幸せに導かない『痩せたい』から解放されること、について悩み、苦しむことは仕方がないこと。だけど、それ以外のことについて、必要以上に悩んでも、結局は今出来ることを一つ一つ積み重ねること、そして今出来ないことは、無理してやらないことしか出来ないのだから、今悩んでも、自分の力ではどうにもならないことについて悩む、ということは、必要のない悩みに悩まされているだけなのかもしれない」

私は、心も身体もギリギリ、いっぱいいっぱいの状態なのだから、悩まなくてもいいことは極力考えないようにすること、ほんの少しでも自分を楽にすること、がんじがらめの状態から解放すること、そんなことも意識することが必要で、大切なのかもしれない。

拘って、囚われて、一歩も動けなくしてしまうのも、今出来ることに目を向けて、ほんの少しでも前に進もうとするのも、どちらも自分次第なのです。

「行き着く先は、自分次第なのかなぁ。もしそうだとしても、それが一番難しくて、キツイのだけれど。でも、今はそう考えられなくても、常に意識することだけでも続けてみよう」

先生は、

たとえ今出来なくても、失敗しても、続けられなくても、常に意識したり、忘れないで思い出したり、心掛ける、ということを続けていれば、自分自身の無意識に働きかけることにも繋がりますし、そういうことの積み重ね、繰り返しがほんの少しずつでも自分を自分のなりたい方向、目指す姿に近づけていくのです。そのための変化が自然と起こってくるのです。

と言っていた。常に意識することが、自分の無意識に働きかけたり、変化が自然と起こってきたりするのなら、たとえ今出来なくても意識する価値があるし、意味もあるし、そうした方がいいに決まっている。でも私だって一人の人間。決して意志が強い訳でも、メンタルが整っている訳でも何でもない、ただの出来損ない。そして、長い間過食嘔吐をやめたくてもやめられなくて、悩んで、苦しんで、どうにもならなくて、先生に助けを求めてきた。そんな私でも、常に意識することだけでも続けていれば、いつかは行動や考え方が自然と変化するのだろうか……

「それに『自分次第』って言葉も何だか引っかかるなぁ。そう言われてしまえばそうかもしれないけれども、そう言ってしまえばそれで話が終わってしまう気がする」

結局、今の自分の心に響く『言葉』を信じて、諦めることなく出来ることを続けるしかないのかもしれないし、それが全てなんだろうなぁ……

どんなに長い夜も、永遠に明けない夜はない。いつか必ず夜明けがくる

どんなに食べても、永遠に食べ続けることはない。いつか必ず食べ終わる

どんなに痩せても、永遠に痩せ続けることはない。いつか必ず痩せ止まる

どんなに辛くても、永遠に辛い訳ではない。いつか必ず辛さにも終わりがくる

どんなに悩んでも、永遠に悩み続けることはない。いつか必ず悩みにも終わりがくる

どんなに苦しくても、永遠に苦しみ続けることはない。いつか必ず苦しみにも終わりがくる

良くも悪くも『永遠』なんてことはあり得ないし、いつか必ず『終わり』がくる。そんな、当たり前のことを忘れないで、気持ちを切らさないで、自分を信じて、今出来ることを一つ一つ積み重ねる。それしかないし、それでいいんだと、自分に言い聞かせる。それで十分なのかもしれない。

今の自分の心に響く『言葉』を信じて

今の私には『自分次第』という言葉は何だか引っかかるし、しっくりこない。だって、そう言われたらその通りかもしれないし、全ての悩みが『自分の捉え方次第』と言われてしまえば、それ以上何も言い返せなくなってしまう。

だけど、良くも悪くも『永遠』なんてことはあり得ないし、いつか必ず『終わり』がくる、という言葉は、悩みも、辛いことも、苦しみも『永遠』に続く訳ではない、という微かな希望を感じられるから、何となく今の私の心に響いてくれる。もちろん『永遠』に痩せ続けることはない、ということを嫌というほど経験したから、というのも関係しているけれど。

たとえ先生に言われた言葉でも、その時の心の状態や身体の調子によっては、なかなか素直に受け入れられないこともあるし、そんなことがあってもいいんだと思う。決して、先生の言うことや先生の考え方を否定している訳ではないけれど、私にだって前向きに物事を考えられる時もあれば、うまくいかないことが続いて、落ち込んで、なかなか素直に人の言う言葉を受け取れない時もある。だから、引っかかったり、しっくりこない言葉があってもそれは仕方がないこと。そんなことで前に進めなくなって、やる気をなくしてしまうくらいなら、今の自分の心に響く『言葉』を信じて、諦めないでモチベーションを維持することを考えた方が、気持ちを切らさずにいられる気がする。

「正論だって、間違ってはいなくたって、当たり前だって、その通りだって、私の心に響かなければ、頭に入ってこないし、言われた通りにやってみようという気持ちになれない。だから、そんな時には、その『言葉』に拘ることなく、今の自分の心に響く『言葉』を信じて、出来ることを考えたりすればいい。信じることも、大切で必要なこと。私は、私の信じる道を歩いていく……それが摂食障害を克服するための近道で、王道で、全てで、そしてそれが一番大切なことだから。それしかないのだから」

そう考えると『言葉の力』って、もしかしたら思っている以上に大きいのかもしれない。良くも悪くも『永遠』なんてことはあり得ないし、いつか必ず『終わり』がくる。それが、今の自分の心に響く『言葉』で、それを信じることが出来るとすれば、

どんなに食べても、永遠に食べ続けることはない。いつか必ず食べ終わる

のだから、吐くこと前提じゃなくても、たった一度くらい食べたい物を食べてもいいのではないか、と考えることも出来る。

「今まで、食べたい物を食べたいだけ食べるとしたら、必ず過食嘔吐になっていたし、それが前提だったけど、そうではない食べ方が出来るのかもしれない」

それに、今の自分の心に響く『言葉』を信じることが出来るのと同時に、私の心に響かない『言葉』は、頭に入ってこないし、言われた通りにやってみようという気持ちになれない。つまり、その時の心の状態や身体の調子によって心に響く『言葉』と頭に入ってこない『言葉』があるということになる。だから先生は、人との繋がりや、情報に触れることが大切だと言っていたのかもしれない。今の私が、どんな『言葉』を受け取れるか、素直に受け入れられるか、それは、言われてみなければわからないから。触れてみなければわからないから。だから、私を救ってくれる、私を導いてくれる可能性のある『言葉』に触れること、人と繋がること、人と話すことが大切になってくるのかもしれない。

「人は、心無い『言葉』によって傷ついてしまうこともあるけれど、心に響く『言葉』に出会うことが出来れば、その言葉を信じて、諦めないでモチベーションを維持することも出来る。そんな『言葉の力』を信じて、今出来ることを一つ一つ積み重ねる。そんなことを続けていければ、いつか必ず悩みや、辛さや、苦しみから解放される日が訪れる。そう、いつかきっと、必ずその日が来ると信じて……私は、諦めない」

食べたい物や食べる量をどうするかを考えることも、もちろん大切なことだけど、『言葉の力』が思っている以上に大きいのだとすると、『食べること』について、自分としてどう捉えるのか、『痩せること』について、どう考えるのか、ということを言葉で表現することや考えること、あるいは人からアドバイスをもらうこと、なども大切になってくるのかもしれない。

「摂食障害になってしまってからというもの、今までの私は、食べ物を数字、カロリーでしか考えてこなかった。○○カロリーもあったら食べたら太るとか、食べたい物を食べたいだけ食べたら、○○カロリーもあるから、吐くしかないとか、とにかく数字の積み重ねという側面でしか見てこなかった。だけど、本来食べることは生きるための栄養摂取であり、食べたい物、おいしい物を食べる喜びであり、人と食べることで楽しみを分かち合うことであるはず。私がこの先『普通に食べる』ことが出来るようになるには、数字やカロリーばかりに囚われることなく、健康に生きるための栄養だったり、おいしさだったり、楽しさという役割が『食べること』にはあるのだということを意識することや、そのためにはどういう食べ方があるのか、どう考えれば『普通に食べる』ことが出来るようになるのか、ということを考えて、今の自分の心に響く『言葉』で表現したり、捉え直したりすることが必要なのかもしれない」

同じように『痩せること」についても、今までの『昨日より痩せたい』というような極端な『痩せたい』ではなくて、もっと現実的な『痩せたい』を維持するためにはどうしたらいいのか、あり得ない『幻想』を脱ぎ捨てて、私にとって『幸せになるための痩せたい』とはどういうことなのか、ということを意識して、過食嘔吐をしなくても維持出来ることを考えることが大切なのかもしれない。

「いずれにしても今の自分の心に響く『言葉』、素直に受け入れられる『言葉』で表現したり、考えたりすることも意識してみよう」

摂食障害の克服のためには、例えば買い物や食べ方などの行動を変えていくことももちろん必要だと思うけど、それ以上に『食べること』や『痩せること』をどう捉えるか、自分の中でどう位置付けるか、という考え方の問題も大切になるような気がする。なぜなら、同じ物を同じ量食べるとしても、それを『カロリーのかたまり』『太る原因』としか考えることが出来ないのか、あるいは『食べたい物を食べたいだけ食べることが出来て幸せ』と感じることが出来るのかでは、自分の心の満たされ方、満足度が違ってくる。

そう考えると、なかなか変えられない買い物や食べ方などの行動を無理に変えようとするのではなく、その行動に対する『意味付け』や『思い』、『見方』や『捉え方』を変えることで、ほんの少しでも自分を満たすことを考えることが出来れば、苦しみや辛さから解放されることにはならないだろうか……

それは『痩せること』にも言えること。細ければ細いほどきれい、体重が少なければ少ないほどいい、としか考えることが出来なければ、痩せてれば痩せてるほどいい、ということになるけれども、私のように、痩せてるは痩せてるけれど、何だか干からびてるみたいで、日常生活を送るのに精一杯の体力しかなかったら、ちっとも幸せではない。逆に、今よりは多少太ったとしても、皺っぽくなくて、肌にハリがあって、日常生活でヘトヘトにならない程度の体力があった方が、きれいで、キラキラ輝いていて、そして今よりはずっと幸せを感じられるのかもしれない。

「それは確かにそう、その通りかもしれない。でも、今まで何度も思ったことだけど、そうは言ってもそれを実現するのがなかなか難しいことで、大変なことなんだよねぇ。食べ物を『カロリーのかたまり』『太る原因』としか考えることが出来ないからこそ、摂食障害な訳で、『食べたい物を食べたいだけ食べることが出来て幸せ』と感じることが出来るのなら、それはきっと摂食障害とは言わないのだと思う」

でも、でも私は、ほんの少しでもいいから、そうやって考えることが出来るようになりたいし、今の自分の心に響く『言葉』を探して、出会うことで、その『言葉』を信じて『言葉の力』を借りてでも過食嘔吐をやめたいし、きっといつかはやめることが出来ると信じていたい。でなければ、いつまでたっても摂食障害の『その先』に辿り着くことは出来ないから。

摂食障害の『その先』……

私が夢見る、一日でも早く辿り着きたい、摂食障害の『その先』。そこには、一体何が待っているのだろうか。もしも過食嘔吐をやめることが出来たら、もしも『普通に』食べることが出来るようになったら、もしも極端な『痩せたい』に拘らなくなったら、私は笑顔でいられて、キラキラと輝いていて、楽しくて、幸せになれるのだろうか……

「そうなってくれたら嬉しいし、それが理想だけど、でももしかしたらそんなに劇的に心や気分が変わるものでもないのかなぁ。『痩せたい』と思った時だって、痩せれば全てが順調で、何もかもがうまくいって、きれいになれて、もちろん幸せになれる、って考えていたけど、実際はそんなこと全然なくて、そこに待っていたのは摂食障害という果てしない地獄の日々だったのだし」

やめたくてもやめられない過食嘔吐が続く日々は、私にとってもはや辛く、苦しい毎日でしかなかった。かと言って『痩せたい』を完全に手放すことも出来ずにいた。それでも、ほぼ食べ出したら止まらなくなって、次から次へと食べ物を詰め込んで、そのままではいられなくて、結局吐く、というサイクルを何とかして断ち切りたかった。たとえ摂食障害の『その先』が思い描くような幸せでも、理想でも、ユートピアでもないとしても、とにかく過食嘔吐をやめたかった。『食べること』と『痩せること』に支配されている今の私を、私自身が解放したかった。

そう、たとえ毎日笑顔でいられなくても、いつもキラキラと輝いていなくても、楽しいことばかりでなくても、幸せだと感じられることがそんなになくても、それでも過食嘔吐という地獄のような苦しみから抜け出せるのなら、摂食障害という長い長いトンネルから抜け出すことが出来るのなら、少なくとも今よりは笑顔でいられるし、今よりはキラキラと輝いているだろうし、楽しいこともあるだろうし、幸せだと感じることが出来るはず。

『その先』のことまで今は考えている余裕はないし、それは今考えることではないのかもしれない。今はただ、摂食障害という長い長いトンネルから抜け出すことだけを考えて、今出来ることを一つ一つ積み重ねる。ただそれだけ……

たとえ摂食障害を克服出来たとしても、『その先』で私が急に笑顔でいられて、キラキラと輝いていて、楽しくて、幸せになれる訳ではないのかもしれない。そんなに劇的に心や気分が変わるものでもないのかもしれない。ただ、確実に言えること、それは今の苦しみや辛さからは解放される、ということ。精神的、身体的、金銭的、時間的な負担、膨大な負担感からは解放される、ということ。それだけでも、今と比べたら十分幸せ、と言えると思う。そんな未来の私の姿を想像することは、ちょっと出来ないけれど。吐かずに食べたり、『普通に』食べたり、誰かと一緒に楽しそうに食べたり、極端に痩せなくてもまぁいっか、って思えたり、そんな自分を想像することも出来ないけれど。

「でも、もし過食嘔吐をやめることが出来たら、私は何をするのだろう。何かやりたいことがあるのかな。ただ普通に食べて、普通に生活出来れば、それでいい気もする。そうか、もし過食嘔吐をやめることが出来たら○○しようとか、○○したいとか、そういうことも考えれば摂食障害を克服するモチベーションに繋がるかもしれない」

私は今まで、過食嘔吐の辛さから抜け出すため、『食べること』や『痩せること』に囚われている自分を解放するために、何とかして摂食障害を克服したい、と思ってきた。それは、心の底からそう思っている本心で、嘘でも何でもないけれど、そこに摂食障害の『その先』の夢や希望があったら、今よりもほんの少しでも早く辿り着くことが出来るのかもしれない。

「やりたいことがあるから、したいことがあるから摂食障害を克服したい、でもいいのかもしれない。理由なんて、何でもいいのかもしれない。とにかく摂食障害を克服するモチベーションを維持すること、諦めないこと、今出来ることを一つ一つ積み重ねること、それらのことを続けること、そのことに集中する。ただそれだけでいいのかもしれない」

私がやりたいことって、何だろう。やりたくないことなら、たくさんあるのだけれど。例えば過食材の買い物、過食嘔吐、『食べること』や『痩せること』に囚われて、考えることをやめられないこと……

そういえば、亡きおばあちゃんと約束したことがあったっけ。

おばあちゃん、お菓子も食事も、美味しいね、美味しいねって、これ食べると元気が出るねって、みんなで一緒に食べると楽しいねって、そうやって食べるものだよね、そうやって食べたいよね。
今までみたいにおばあちゃんと一緒に楽しく食事出来るようになったら、またみんなでお腹いっぱい美味しいものを食べようね、約束してね……

思い出してみると、これらは吐かずに食べたり、『普通に』食べたり、誰かと一緒に楽しそうに食べたり、と今まで思っていたことと同じだった。

「結局今の私は、摂食障害の『その先』よりも、過食嘔吐のことを考えないで『普通に』食べることが一番やりたいことなのかもしれない。それはもう、随分前からそう思っていたのだから、やっぱり私は『普通に』食べたい、ただそれだけ、なのかもしれない」

そう、『普通に』食べること……こんな当たり前のことが、今の私にとってどれだけ大変で、遥か遠い未来なのか。けれども、『普通に』食べることが出来れば、友達と会うことも、一緒に遊ぶことも、会社の飲み会も、(今はいないけど)彼氏とのデートも、何もかも、少なくとも『食べること』を気にしなくても行動に移すことが出来る。『普通に』食べることが出来れば、人とのコミュニケーションで悩むことが格段に少なくなる。食べることは、美味しさを噛みしめることであり、食べたい物を食べて心も身体も満たされること。そして、人と美味しさや楽しさを分かち合うコミュニケーションの大切なツールでもある。だとすれば、今の私は『普通に食べたい』を手に入れるために摂食障害を克服する、そんなシンプルな理由でもいいのかもしれない。

人とのコミュニケーションで、『食べること』を気にしないで済むようになることが出来れば、もしかしたらやりたいことや行ってみたいところ、買ってみたい物などが思い浮かぶのかもしれない。人とのコミュニケーションが『普通に』とれるようになれば、自然と楽しみを見つけられるようになるのかもしれない。

私は、摂食障害になってしまってからというもの、人とのコミュニケーション、特に一緒に何かを食べたりすることを極力避けてきた。会社でのお昼だって、何だかんだ理由をつけて一人になるようにしてきたし、飲み会なんかもほとんど断ってきた。もちろん、友達と会うと何も食べないことはほとんど不可能に近いから、それも断っていた。そしたら、当たり前だけど、いつの間にか誰からも誘われなくなってしまった。

過食嘔吐が酷かった時は、それでも仕方がないと思っていた。何なら、それでもいいと思っていた。とてもじゃないけど、人前で楽しそうに食べるなんて出来ないから。かといって、誰かに摂食障害だってことを話す勇気も気力もなかった(妹の由希を除いて)。

『普通に』食べることが出来るようになったら、友達は、また私と会ってくれるのかなぁ。こうなってしまったからには、すごく誘いにくいけど、今までの事情を話して私から誘わなければ、一生お一人様になってしまう。それも勇気がいるけど、でもそんな日を夢見て、諦めないで、今出来ることを一つ一つ積み重ねる、ただそれだけ。今の私に出来るのは、ただそれだけだから……

こうやって振り返ってみると、私は摂食障害になってしまってからというもの、随分と人とのコミュニケーションを避け続けてきてしまった。由希ほど行動的、というか交友範囲が広い訳ではないので、アウトドア的な遊びはさすがに滅多にしないけれど、それでも元々お酒は好きだし、ご飯とか、飲みに行くことはちょくちょくあったと思う。幸か不幸か、この1年くらいは社会情勢のこともあって、私に限らず飲みに行く機会はほとんどないとは思うけれど、考えてみたらお昼も、夜も、ずっと一人で食べたり食べなかったり、過食嘔吐したりの生活が続いていた。

今までは、過食嘔吐をしなければ『私の一日』が終わらないから、私の中で区切りを付けられないから、とにかく過食嘔吐をしなければ、って何かに憑りつかれたように追い立てられてやっていた。でも最近は、もうほとんど惰性、っていうか本当はやりたくないし、やらなくてもいいはずなのに、やらざるを得ない、みたいな状態だった。

「やっぱり、どう考えてもこのまま一生過食嘔吐を続ける訳にはいかない。このまま一生お一人様を貫くほど強くはないし、それでいいとも思えない。私は、たとえ今までの私が頑なに守ってきた『何か』を手放してでも、何とかして過食嘔吐をやめたいし、やめるべきだし、いつか必ずやめる。こんな生活、いつまでも続けたくないし、『食べること』と『痩せること』に振り回され続けていることに、本当に疲れた。こんなに寂しくて、虚しくて、辛く苦しい人生なんて、もうたくさん。絶対に何とかしなければ……」

とは言っても、今までの自分と大きく変わることは出来ないし、今までの自分の価値観を180度変えるような、劇的な変化は起こらない。だとしたら、地味だけれど、なかなか前に進まないかもしれないけれど、もどかしいかもしれないけれど、今の私が出来る時に、出来る範囲で、出来ることを一つ一つ積み重ねる。やっぱりそれしかないし、それが全てなんだろうなぁ……

そう言えば、この前先生に会った時に出された宿題(?)

幸せになれること、笑顔でいられること、キラキラ輝いていられること、楽しいと感じられること、を意識して、考えたり行動すること。
自分を大切にする、ということを意識すること。

いろいろと考え事ばかりしていて、なかなか行動に移すことは出来ていなかった。

「今日は気分転換じゃないけど、何か幸せになれること、笑顔でいられること、キラキラ輝いていられること、楽しいと感じられることを考えてみようかな」

そうは言っても、とりあえず思い付くことと言えば、食べたい物を買うことくらいだった。

「どこかへ出かけるあてもないし、まだちょっと友達を誘う勇気もないし、欲しい物も特に思い浮かばないし、結局食べ物のことになっちゃうの、まあ仕方がないか」

今日は、買う前からあれこれ考えたり、制限したりすることはしないで、とにかく買いたい物、食べたい物を過食するかしないかなんて関係なく買ってみることにした。

「大きなスーパーとか行ったら、買いたい物があり過ぎて迷っちゃうから、やっぱりいつものコンビニにしようかな」

店に入って、ふと思い出したことがあった。

「そう言えば、ずっと前に吐かないで食べられる物を考えたことがあったっけ。だけど、実際に買ってみたことがないから、とりあえずそれを買ってみよう」

サラダチキン

糖質0のカップ麵

ブランパン

蒸し鶏サラダ……

後はもう、今の気分で買いたい物を買うことにした。

「やっぱりどうしてもコンビニスイーツは外せないし、ちょっと蒸し暑いから、今シーズンのアイスデビューってことにしようかな」

アイスは、ほんの少しでも罪悪感を減らすため、カロリーや糖質の低い物にした。

「焼け石に水かもしれないけれど、自分が安心出来るかどうか、が大切なのだから、これでいいんだよね」

何でかはわからないけれども、今日は何となくコンビニをはしごする気にはならなかった。

「アイスを買ったんだから、そんなことをしている暇はないの、当たり前か……」

「さぁて、今日は何から食べたらいいんだろう……別に、食べたいように食べればいいだけか。余計なことを考え過ぎない、考え過ぎない」

とりあえず、ハイボールで乾杯することにした。ここには、私一人しかいないけど、それでも乾杯するのがルールと決めていた。

「自分を大切にする私に、乾杯!」

サラダチキンと蒸し鶏サラダって、よく考えたら似たような物だった。でも、吐かないで食べられる物って考えると、そんな物しか思い浮かばないから、仕方がないか。あっ、でもブランパンと結構相性が良さそうだ。お皿に盛り付ければ、意外とおしゃれに見えるかもしれない。

そんな、ちょっとしたことでも『自分を大切にする、ということを意識すること』が意外と大切、大切。心に少しでも余裕がある時には、出来るだけ『食べること』を楽しまないと。そこを意識して、私!

「何か、サラダチキンとか蒸し鶏って、パサパサして味気ないのかと思ってたけど、結構おいしい。これなら、また買ってもいいかも」

ブランパンも、そこそこ甘みがあるし、この味でこのカロリーで、この糖質で、この食物繊維なら、全然悪くない。

「今日は(いつもそうだけど)スイーツもあるし、アイスまであるんだから、ゆっくり慌てず、味わいながら食べましょ。落ち着いて、落ち着いて」

後のことは考えない。もしどうしても過食したくなったら、その時はその時で追加の買い物に行けばいいだけ。もし今買ってきた物だけで済むのなら、惰性で過食にする必要は全然ない。とにかく、食べることを楽しむ。おいしさを噛みしめる。お腹いっぱいという感覚を、取り戻す。そんな、当たり前のことを一つ一つ積み重ねる。そのことに集中する。先取りして考え過ぎない。今この瞬間を楽しむことだけを考える。ただそれだけでいい。ただそれだけ。

「パンって、噛みしめると本当は味わい深いものだったんだね。過食の時は、ただただ詰め込んで、流し込んでいるだけだから、甘みとクリーム感くらいしか感じなかったけど、本当はおいしいものだったんだね……」

何故だかわからないけど、涙が溢れてきて、止まらなかった。

今までずっと、食べたい物はあるにはあるけど、味わって、おいしさを噛みしめて食べるなんてことをしていなかった。ただただ手あたり次第に詰め込んで、お酒で流し込んでという、とてもじゃないけれど、人間のすることとは思えないような食べ方を続けてきた。余り時間をかけて食べていると、吸収されてしまうのではないか、という恐怖との戦いでもあるから、過食は時間との勝負でもあった。

そんな私でも、こうしてパンの味を感じることが出来る。味わって食べることが出来る。そんな当たり前のことが出来た自分が、何だか奇跡のような感じがしたのかもしれない。自然と涙が溢れてきてしまった。

「私にも、味わって食べる、という感覚が残っている。そんなことが出来ることもある。地味かもしれない。なかなか前に進まないかもしれない。もどかしいかもしれない。それでも、今出来ることを一つ一つ積み重ねる。諦めないで続ける。そうすれば、いつかきっと摂食障害を克服することが出来る。そう信じてる」

ふと、そんな感覚が、私の中でより一層強くなったような気がした。

こんな私にも、出来ることもある

こんな私でも、味わって食べることが出来る

こんな私でも、食べることを楽しむことが出来るかもしれない

こんな私でも、いつかは『普通に』食べることが出来るかもしれない

こんな私でも、いつかはみんなと一緒に食べることが出来るかもしれない

パンだけじゃなくて、スイーツも、アイスも、味わって食べることが出来るかもしれない。おいしさを感じることが出来るかもしれない。食べることを楽しむことが出来るかもしれない。食べることで、幸せを感じることが出来るかもしれない。食べることで、笑顔になれるかもしれない。

私が、私自身を幸せに出来るかもしれない。笑顔にすることが出来るかもしれない。キラキラ輝かせることが出来るかもしれない。楽しくさせることが出来るかもしれない……希望の光が、こんな私にも差し込む日が来るのかもしれない。その日まで、私は諦めない。私は、諦めない……

昨日は、サラダチキンを食べたところまでは覚えているけど、その後の記憶が曖昧だった。ただ、テーブルの上に残っているお皿や、ごみ箱を見てみると、どうやら追加の買い物には行っていないようだった。そんなに急ピッチで飲んだ記憶はないけれど、パンを味わって食べながら泣いてしまって、その後は嬉しさもあってか、自然とお酒が進んだようだった。スイーツもアイスも、食べた後の容器が捨ててあったから、しっかり食べたようだった。ただ、味わって食べたかどうかは覚えていなかった。

「私、食べたら吐かずにそのまま寝てしまったのね。はっきりとした記憶はないけれど、胃の感じからして、確実に吐いてはいないはず。何か、夕飯を吐かずに食べたのなんて、何年ぶりかしら。胃の中に食べ物が残っている感じはちょっと嫌だし、許せないけど、でもある意味吐かずに食べることが出来たし、味わって食べることも出来たのだから、それはそれで良しとしよう」

お酒の力を借りてでもいい。たった一回だけでもいい。とにかく、今の私には『吐かずに食べることが出来た』『味わって食べることが出来た』という『成功体験』が何よりも大切な気がした。そして、それを一つ一つ積み重ねることも大切なことだった。

「昨日出来たからと言って、今日も出来る訳ではないかもしれない。明日はまた、過食嘔吐に逆戻りしてしまうかもしれない。それでもいい、私にも出来る、ということを自信に繋げて、諦めないで続けていく。それでいいのだと思う。それしかないのだと思う。それが全てなのだと思う」

今出来ることを一つ一つ積み重ねること、そして今出来ないことは、無理してやらないこと。これらはつまり、

今の自分の限界を認めて

今の自分の状態を見極めて

ありのままの自分を否定することなく

無理をしないことで自分を大切にする

ということに繋がっている……それでいいし、それしかないし、それが全て。

私は、何となくではあるけれども、摂食障害の克服に向けて、ほんの少しだけ先へ進むことが出来た、そんな気がした。

……こんばんは、この2週間は、いかがお過ごしでしたか?ご自分が幸せになれること、笑顔でいられること、キラキラ輝いていられること、楽しいと感じられること、を意識して、考えたり行動することは出来ましたか?

「はい、そうですね……いろいろと考え事ばかりしていて、なかなか行動に移すことは出来ていなかったのですが、この前やっと意識してやってみたことがあります」

そうですか、どんなことをおやりになったのですか。

「はい、どこかへ出かけるあてもないし、まだちょっと友達を誘う勇気もないし、欲しい物も特に思い浮かばなかったので、とにかく買いたい物、食べたい物を、過食するかしないかなんて考えないで買ってみることにしました」

なるほど。それで、どうでしたか。

「店に入った時に思い出したことがあって、以前吐かないで食べられる物って何があるかなぁ、って考えたことがあったのですけど、実際に買ってみたことがなかったので、とりあえずそれを買ってみることにしました。それで、サラダチキンと、糖質0のカップ麵、ブランパン、蒸し鶏サラダ、あとこれは『お約束』なので、コンビニスイーツとカロリーや糖質の低いアイスを買って帰りました」

そうですか、それで、吐かないで食べる、ということについてはいかがでしたか。

「はい、ブランパンを食べ始めたら、何か妙に味わい深くて『おいしいな』って感じたのです。今までも、パンなら散々食べてきたのですけど、過食の時は、ただただ詰め込んで、流し込んでいるだけだから、甘みとクリーム感くらいしか感じなかったのです。それが、パンの味を感じながら、味わって食べることが出来たのです。そのことが嬉しかったのか、感動したのかわからないのですけど、お酒を結構飲んでたみたいなのです。その後の記憶が曖昧で、はっきりとは覚えていないのですけど、その日は吐くことなく、そのまま寝てしまったんです。夕飯を吐かずに食べたのなんて、何年ぶりかで、胃の中に食べ物が残っている感じはちょっと許せなかったのですけど、それでも吐かずに食べることが出来たことと、味わって食べることが出来たことは良かったなぁ、って思いました」

おお、そうですか、それは素晴らしい!『笑顔でいられること』があったのではないですか?それでは、もう少し詳しくお話していただきたいのですが、『吐かずに食べることが出来たことと、味わって食べることが出来たこと』について、『良かった』の他に、何か感じたことはありましたか?

「そうですね……いつもよりハイペースで、量も結構飲んでいたみたいなので、酔いつぶれちゃったということもあるとは思いますが、今までなかなか出来なかった『吐かずに食べる』ということが出来た、という『成功体験』が、今の私には何よりも大切で、それを一つ一つ積み重ねることも大切なのではないか、と思いました」

なるほど、おっしゃる通り『成功体験』を積み重ねること、は非常に大切なことですね。その積み重ねが、私にも出来る、という『自信』にも繋がりますから。

「それから、先生の言う通り、昨日出来たからと言って、今日も出来る訳ではないかもしれない。明日はまた、過食嘔吐に逆戻りしてしまうかもしれない。それでもいい、私にも出来る、ということを自信に繋げて、諦めないで続けていく。それでいいんじゃないか、とも思いました」

そうですね、摂食障害という病気は一進一退を繰り返すことが多いですから、正におっしゃる通りです。ご自分にとって大切な『気付き』がいくつもあったようですね。

「そうですね、はっきりとした手応え、という訳ではありませんが、摂食障害の克服に向けて、ほんの少しだけ先へ進むことが出来た、そんな気がしました」

『手応え』『先へ進むことが出来た』などという言葉が出てくるようになったことが、本当に諦めないで、今出来ることを続けてきた結果だと思いますよ。これからも『焦らず、慌てず、諦めず、落ち着いて』という言葉を忘れずに、一つ一つ積み重ねていきましょう。

「先生、あのう……私、本当は吐かないで食べられる物を選んで買ってきて、それを一つ一つ食べて、これなら安心だから吐かないでも平気だよね、ってきちんと食べ終えて、お風呂に入って、歯磨きして寝たかったのですけど、結果としては酔いつぶれちゃってそのまま寝てしまったみたいで。でも、過程というか、途中経過がどうであれ、結果吐かずに食べることが出来たのだから、それでもいいんですよね?お酒の力を借りてでもいい。たった一回だけでもいい。とにかく今までやろうと思っても、ずっとずっと出来なかった『吐かずに食べる』ということが出来たのだから、それはそれでいいんですよね?」

もちろんです、もちろんですとも!それでもいいんですよ。摂食障害に陥ってしまう方は、完璧主義的な性格の方が多く、とかく何に対しても『完璧』を求める傾向が強いのですが、今まで出来なかったことや、新しく何かを始める時には頭で思い描くように物事が進むとは限りません。あなたのように、過程が思い通りでなかったとしても、結果としてうまくいったとか、あるいは途中までは思い通りに出来たのに、結果が伴わなかったということは、良くあることですし、むしろそれがほとんど、と言ってもいいくらいなのです。ですから、あらゆる場面に完璧を求めるのではなく、出来たことに目を向けて、その経験を自分の中に一つ一つ積み重ねること。それが大切なことなのです。完璧主義的な性格の方からすると納得出来なかったり、もどかしかったり、あるいは自分を許せなかったりするかもしれませんが、一つ一つ、地道に進んでいくということ、『焦らず、慌てず、諦めず、落ち着いて』一つ一つ取り組んでいくこと、それが大切で、今のあなたにとって必要なことなのです。

「そうですよね、先生にそう言っていただけると、何だか安心します。『完璧』なんてあり得ない、ただの『幻想』だってことは、頭ではわかっているつもりなのですけれど、どうしても一人になっていろいろなことに没頭していると、私の『隙』を見て『完璧主義』がどんどん頭の中を侵食してくるのです。そうすると、あれもこれも『完璧』じゃないと、全てがダメ、っていう、0か100かみたいな思考に陥ってしまうのです。それこそ、初めは過食するつもりは全くなくて、一口一口慎重に食べ始めて、途中までは順調だったのに、ふと何かを一つ食べ過ぎた、と思い込んでしまうと、途端に『あぁ、もうだめだ、食べ過ぎた、このままでは太っちゃう……もう過食するしかない』みたいな、極端な思考に侵食されて、後はもう手あたり次第に詰め込んで、結局吐いてしまう、みたいな感じになっちゃうのです。もう、数え切れないほど、そんなことを繰り返してきました。だからこの時は、確かに酔いつぶれちゃってそのまま寝てしまった、ってことはありますけど、それでも結果吐かずに食べることが出来た、ということが、私の中ではすごく大きな経験だったというか、それこそ『成功体験』だったのではないか、と思うのです」

そうですね、正におっしゃる通りですし、ご自分で『成功体験』だと気付かれている、ということが何よりも素晴らしいことなのです。それに、その夜の体験を『吐かずに寝てしまった、許せない』と考えることも出来ると思いますが、『吐かずに食べることが出来た』と肯定的に捉えることが出来た、ということも素晴らしい!

「ありがとうございます。確かに、朝起きた時には胃の中に食べ物が残っている感じはちょっと嫌だし、許せない、って思ったんですけど、それでも、夕飯を吐かずに食べたのなんて、何年かぶりのことで、結果として吐かずに食べることが出来たし、味わって食べることも出来たのだから、それはそれで良しとしよう、って素直に思うことが出来たんですよね。私、もうずっとずっと過食嘔吐をやめたくて、でもやめられなくて、それで吐かずに食べるにはどうしたらいいのか、とかいろいろなことを考えてみたんです。でも、なかなかうまくいかなくて。それなら、私にとって吐かないで食べられる物、安心して食べられる物って何なんだろう、って考えたことがあるのです。それがサラダチキンだったり、ブランパンだったりなんですけれど、でも実際に買って食べてみたことがなくて。それを今回ふと思い出したので、じゃあやってみよう、って思って、それで食べ始めたら、何故だかわからないけど、涙が溢れてきて、止まらなくなっちゃって。何かパンが妙においしく感じて、パンの味を感じることが出来たり、味わって食べることが出来たりしたことが何だか嬉しかったのだと思います。そんなこともあってか、翌朝は『吐かずに食べることが出来た』と肯定的に捉えることが出来たのだと思います」

なるほど、そうだったのですね。物事には、表と裏ではないですけれど、必ず二面性があって、それをどう捉えるか、によって自分にとっての意義というか、意味合いも変わってくるのです。今回のことも正にそうなのですが、結果は同じで、起きてしまった事実は変わらないのです。結果や事実は変わらないのですが、そのことを『ああ、またやってしまった、失敗してしまった』と考えるか、あるいは『それでも、今まで出来なかったことが出来たのだから、悪いことばかりじゃない』と肯定的に捉えることが出来るかで、その結果や事実をも肯定することが出来る場合があるのです。

「そうですね、確かに物事には表と裏がある。表向きは、痩せてて、自己管理が完璧に出来ているように見えても、その裏ではもしかしたら過食嘔吐に苦しんでいる人もいるかもしれない。先生の言っていることとはちょっと違うかもしれませんけれど、表と裏ということについて、そんなことを考えていたこともあります」

そうですね、それも表と裏と言えるかもしれません。人の、目に見える部分や言っている言葉が表側だとすると、それがその人の全てを表している訳ではない、ということはよくあることです。他人には見えないところでは、見た目からは想像も出来ないような努力をしていることもあるでしょう。また、言っていることはポジティブな言葉で溢れていても、一人になると途端にネガティブな思考に陥ってしまったり、あるいは想像を絶するような苦悩を抱えていることもあるでしょう。物事を、ある一面からしか見なかったり、偏った考え方で捉えてしまうと、別の側面があることや、捉え方によっては全く異なる一面があるということに、なかなか気が付くことが出来なくなってしまいます。

「本当に、そう思います。痩せることだって、食べることだって、ある一面からしか見なかったり、偏った考え方で捉えてしまう、ということが摂食障害と繋がってしまっているような気がするのです。例えば『痩せることはいいこと、痩せれば痩せるほどきれいになれる』としか考えられなかったり、『食べることは太ること、食べれば食べるほど太るし、何を食べても太る』と信じてしまったりすると『食べることは悪いことだから、痩せるためには食べない方がいい』というような、偏った考え方に陥ってしまったり、そのことが摂食障害を助長してしまっている側面があるのではないか、と思うこともあります」

本当におっしゃる通りだと思いますよ。摂食障害については、まだまだはっきりとしたことがわからない部分もあると思いますので、一概には言えないことですが、それでも『痩せること』や『食べること』に対する偏った考え方や、極端な思い込みなどが、摂食障害を助長というか、加速させている側面は確かにあると思います。もちろん『痩せること』や『食べること』だけが摂食障害に繋がっている訳ではありませんので、そのことだけをことさら強調し過ぎるのもいかがなものか、とは思いますが。いずれにしても、偏った考え方や、極端な思い込みによって物事の一面しか見ていないと、価値観がだんだん硬直化してしまって、人の意見やアドバイスを受け入れられなくなってしまうことがあります。これは摂食障害に限ったことではありませんが。

「確かに、そういうことはあると思います。私も、いくら人から『痩せ過ぎて心配』とか『そんなに痩せて大丈夫?』などと言われても全然耳に入らなかったし、何なら『まだまだ痩せられるし』などと思ったり、挙句の果てには『痩せてきれいになった私が羨ましいだけなんじゃないの』なんて考えていたこともありました。ただ『それが摂食障害という病気』と言われてしまえば、その通りかもしれませんけど……」

それはまあ、そうですね。というか、そのように、物事をある一面からしか見なかったり、偏った考え方で捉えてしまうこと、あるいは別の側面があることや、捉え方によっては全く異なる一面があるということに、なかなか気が付くことが出来なくなってしまうことが、摂食障害の特徴のひとつと言えるかもしれません。ですから、そういった『考え方の特徴』に自分自身が気付く、ということも摂食障害を克服する上では大切になってくるのです。

「考え方の特徴……確かに、摂食障害になってからは特に、物事をある一面からしか見なかったり、偏った考え方で捉えてしまうという『考え方の特徴』がより強くなった気がします。それに『性格の傾向』みたいなものも、摂食障害になってしまうことに影響している気もします。例えば『完璧主義』とか『0か100かという、グレーゾーンが許せない極端な思考』とか、たくさんの『マイルール』に縛られて窮屈な思いをしていることとか。そういう考え方や性格の人が、みんな摂食障害になってしまう訳ではないとは思いますが、でもそういう『性格の傾向』があると『痩せること』にも『完璧』を追求し続けてしまうし、『グレーゾーンが許せない』と『食べること』に対しても『まっ、いっか』みたいな、いい意味での『いい加減さ』や『適当』ということがなかなか許せなくて、どんどんストイックになってしまうと思います。それに加えて『マイルール』が『痩せること』や『食べること』にたくさん設定されてしまいますので、本当に窮屈というか、身動きがとれない『がんじがらめ』の状態になってしまう、っていうか自分で自分をそういう状態に追い込んでしまう、そんなことが続いていたような気がします」

そうだと思いますよ。摂食障害は、食行動の異常や、体重や体型に対する極端な拘りなどを伴う精神疾患の一種、つまり病気なのですが、考え方や性格的傾向も少なからず影響を及ぼします。ですから、頭では『摂食障害を克服したい』と考えても、その克服の過程において自分自身の『考え方の特徴』や『性格的傾向』が障壁となってしまう場合があるのです。あなたも、以前に『自分自身で作り出した壁』の話をされていたことがあると思いますが、そういった『見えない壁』の存在が摂食障害の克服を難しくしたり、あるいは時間がかかったりする要因でもあると、私は考えています。

「壁……先生、摂食障害は病気との戦いではあるけれども、自分自身との戦いでもあるのですね。自分自身の中にある『壁』を越えること、言うなれば自分自身を越えること、それが出来た時に、摂食障害は克服出来るのかもしれませんね」

そうですね、そういう言い方も出来るかもしれません。おっしゃる通り『痩せること』や『食べること』に対する考え方や価値観を見直す際には、今までの自分自身の拘りや譲れない部分について、自分と向き合い、どう折り合いを付けるか、という作業が必要になってきます。そういった作業は、ある意味『自分自身を越えること』を伴うのかもしれません。いずれにしても、摂食障害の克服には『これ』といった決定的な『何か一つ』が存在する訳ではありません。自分自身の考え方や価値観、性格的傾向、あるいは生活環境や人間関係など、いろいろなことと向き合い、見つめ直す。そういった、地道な作業が必要になります。そして、自分自身とじっくりと向き合うことや、今までの自分を見つめ直す必要があるから、そしてそのことに気付く必要があるからこそ、不幸にも摂食障害になってしまった、と言えるのかもしれません。

「確かに、摂食障害になってしまったことは、私にとって不幸なことでしたが、自分自身とじっくりと向き合ったり、今までの自分を見つめ直すきっかけにはなったと思っています。もちろん、摂食障害という地獄の苦しみのような経験ではなくて、別の形でそうしたかった、とは思っていますけど」

まあ、それはそうだと思います。しかし、既に摂食障害になってしまった以上『転んでもただでは起きぬ』ではないですけど、そこに自分なりの意義を見出して、自分自身とじっくりと向き合うことや、今までの自分を見つめ直すことについて、改めて考えてみる、ということも大切なことだと思います。

「そうですね、私にとって摂食障害は、長い長い時間と、たくさんのお金がかかっていますし、精神的にも身体的にも耐えられないような負担と苦しみの連続でした。それに、もし摂食障害になっていなかったら出来たことや、やってみたかったことがあったかもしれないし、出会えた人がいたかもしれません。それだけいろいろなことを犠牲にしてきたのですから、ほんの少しでもいいから自分にとって意味があったと思いたいし、そうであってほしいです」

なるほど、摂食障害という長い長いトンネルに迷い込んだりしなければ、今とはまた違った人生があったのではないか、ということですね。

「その通りです。ただ、摂食障害になってしまった事実は変えられないし、なかったことにもならないし、辛く苦しい経験ではありますけれども、それもまた私の人生であることに変わりはありません。先生のおっしゃる通り、自分自身とじっくりと向き合うことや、今までの自分を見つめ直すことについて、私なりにいろいろと考えた時間もたくさんありました。今はまだ完全に『痩せること』や『食べること』に対する拘りがなくなった訳ではありませんけれども、今までたくさん考えたり試したことを、何か一つでも今後に活かすことが出来たらいいなぁ、今後に繋がってくれたらいいなぁ、って思います」

本当にそうですね……あなたなら、今までの何もかもが今後に繋がると思いますよ。それだけいろいろなことをお考えになりましたし、ご自身と向き合うこともなさってきたし、ご自分を見つめ直すこともされてきた。確かに、摂食障害はあなたにとって非常に辛く、苦しい経験であるとは思いますが、それにも負けないくらい、真摯にこの病気と向き合い、戦ってきたのですから。

「真摯に向き合い、戦ってきた……そうですね、そうかもしれません。先生、そんな風に言っていただいて、ありがとうございます。私、何て言うか負けたくないのです。『痩せること』にも『食べること』にも負けたくないのです。いつかきっと『普通に食べる』ことが出来るようになることを、『吐かずに食べる』ことが出来るようになることを諦めたくはないのです。『痩せたい、痩せたくて仕方がない』から始まった、私の摂食障害。もう、今となっては何でそんなに痩せたかったのか、正確には思い出せないくらいですけれど、『痩せること』や『食べること』ばかり考えて、拘って、振り回されて、もうそんなこと考えたくはないのにそれしか考えられなくて、囚われて、そんなことを一生続けたくはないのです。もう本当に疲れ切ってしまったし、そんな全てから解放されたい。今はただ、それだけなのです」

そうなんですね……あなたなら、いつか必ず摂食障害を克服することが出来ると思います。そして、そう遠くはないうちに、そこに辿り着けると思います。あなたの、その諦めない気持ちと、今出来ることを地道に積み重ねる、ということを続けている姿勢と、いつか必ず克服出来ると信じる心と、そして、あとほんの少しの『勇気』があれば、必ず克服することが出来ると思います。

「ほんの少しの『勇気』ですか……それは『食べること』に対する『勇気』ということですか?」

まあ、具体的に『何に』対する『勇気』という意味で言った訳ではありませんが、おっしゃる通り『食べること』に対する『勇気』、つまりある一定程度は食べても太る訳ではない、あるいは太り続けるものではない、ということを信じる『勇気』のことでもあります。それから『痩せること』に対する『勇気』というか痩せ続けなくてもいい、ということを信じる『勇気』のことでもあるかもしれません。別の言い方をすれば、自分自身を納得させることが出来る『勇気』ということです。自分自身を認める、自分に〇を付ける、OKと言える、と言った方がわかりやすいでしょうか。

「自分自身を認める、自分に〇を付ける、OKと言える『勇気』ですか」

そうですね。言い方は違うかもしれませんが、今までも同じようなことを言ってきたと思います。『自分を許す』とか『ありのままの自分を受け止める』と表現していたかもしれません。摂食障害になってしまう方に多くみられる『完璧主義』的な考え方をお持ちの方には、特にそういった『勇気』が必要なのではないかと思っています。『完璧主義』の方は、何かを始める時、あるいは物事の捉え方として、文字通り『完璧』な結果を求める傾向が強くあります。私の考えでは、この『完璧』には二種類あって、一つは『仕上がり』の完璧さ、もう一つは『上限を設けない』という完璧、だと思っています。『仕上がり』の完璧さは、言うまでもなく『完璧に仕上げる』ということです。結果に『完璧』を追求する姿勢のことですね。一方『上限を設けない』という完璧、というのは、一度結果が『完璧』に出来たとしても、次の機会には更なる『完璧』を追求する姿勢のことです。一般的には、更なる高みを目指す『向上心』は、ある程度は必要だと思いますが、とかく『完璧主義』の方はその傾向が強く、極端な場合はそこに『上限を設けない』ということもあります。そのためのストレスや身体的な負担がなければいいのですが、言うまでもなく摂食障害に陥ってしまった方は、特に『痩せること』に対して『上限を設けない』という完璧、を追求する姿勢が特に強く、結果として日常生活に大きな支障が出たり、精神的に苦しめられたり、身体的な負担が大きくなってしまいます。そういう状態に陥ってしまてもなお『完璧』をなかなか手放せない、というかレベルを適切にする『勇気』が持てない方が多くいらっしゃる気がするのです。そんな『勇気』がほんの少しでもあると、摂食障害の克服にさらに一歩近づくことが出来ると思いますよ。

「先生、そうおっしゃりますけど『勇気』があると『完璧』のレベルを落とす、っていうか『適切』にすることが出来たり、摂食障害の克服にさらに一歩近づくことが出来るものなのですか?」

そうですね、厳密に言うと『完璧』のレベルを適切にする『勇気』も、『食べること』に対する『勇気』も、痩せ続けなくてもいい、ということを信じる『勇気』も、一般的な意味での『勇気』とは少し違うかもしれません。ただ、摂食障害になってしまった方が、その『痩せたい、痩せたいのに食べたくて仕方がない』というような苦しみから抜け出すため、あるいは『完璧主義』の方が、時に自分で自分を追い詰めてしまうような『ジレンマ』から解放されるためには、自分自身と向き合い、今までの自分を見つめ直すことはもちろんのこと、恐怖や不安、あるいは躊躇を恐れずに向かっていく積極的で強い心がほんの少しでもプラスされると、新しい『一歩』が踏み出せる可能性が広がるのではないか、ということが言いたかったのです。

「そういうことなんですね。『勇気』があれば『完璧主義』のジレンマから解放されたり、摂食障害を克服出来る、という単純なことではなくて、先生のおっしゃるように自分自身と向き合い、今までの自分を見つめ直すことにじっくりと取り組んだり、今出来ることを一つ一つ積み重ねることにほんの少しの『勇気』がプラスされれば、摂食障害の克服に『一歩』でも近づくことが出来る、ということなんですね」

そういうことになります。特に『完璧主義』の方は、『仕上がり』の完璧さや『上限を設けない』という完璧、の追求から一歩引いて自分自身を客観的に見る、ということがなかなか難しい傾向がありますので、思い切った『勇気』とも言えるような『強い心』で、敢えて『いい加減』や『適当』という感覚でレベルを適切にしてみる、ということも大切になってくるのです。

「そうですね、確かに『一歩引いて自分自身を客観的に見る』ということはなかなか出来ないかもしれません。『痩せること』もそうでしたけど『痩せたい、痩せたい、痩せ続けたい』って思い始めると、そのことだけしか考えられなくなってしまって、あらゆることを『痩せるため』にどうしたらいいのか、みたいに考え出してしまいました。その結果、極端な食事制限をしたりして、挙句の果てには過食嘔吐を覚えてしまって、やめたくてもやめられない蟻地獄にはまってしまった、という感じです。とにかく、何かを追求し出すと『もっともっと、まだまだ出来る、これじゃあ全然』みたいな思考に囚われてしまって、それしか考えられなくなってしまう傾向はあると思います。正に先生のおっしゃる通りで『上限を設けない』という完璧、を追求してしまいますし、『いい加減』や『適当』という感覚でレベルを適切にしてみる、なんてことは考えもしなかったと思います」

そうですか。さっきも言いましたが、そのような『考え方の特徴』に自分自身が気付く、ということも摂食障害を克服する上では大切になってきます。『自分と向き合う』『自分を見つめ直す』ということは、今までの人生や育ってきた環境、人間関係などを振り返って考えてみることはもちろんですが、『考え方の特徴』や『性格的傾向』などを客観的に見つめ直し、その特徴や傾向に沿った形で出来ること、無理していることなどを分析することも含まれます。そして出来れば、その特徴や傾向を活かした対処方法を一緒に探っていく、ということが大切なことなのです。

「先生、普通自分を変えたり、なりたい自分になるためには『考え方の特徴』や『性格的傾向』を改善した方がいいと思うのですが、特徴や傾向を活かした対処方法を探っていく、ということでもいいのですか?」

もちろん、そういう方法もありますが、私の考えでは『考え方の特徴』や『性格的傾向』を変えていくのには、相当なエネルギーを必要とします。すると、改善のためのエネルギーが、逆にストレスになってしまって、ますます自分を変えたり、なりたい自分になることが困難になってしまう場合があるのです。

「なるほど、そういうことなのですね。なりたい自分になるための改善のはずが、逆にストレスになってしまったら本末転倒ですよね」

そういうことになってしまう可能性がある、ということです。ですから『考え方の特徴』や『性格的傾向』を良く理解した上で、なるべく大幅な変化を伴わない形で出来ることは何なのか、あるいは無理していたり、今は出来ないのではないかと思われることをじっくりと分析していく。そういったことを踏まえた上で対処方法を一緒に探っていく、ということが大切になってくるのです。

「確かに『考え方の特徴』や『性格的傾向』を変えたい、と思っても本当に変えることは難しくて『どうして私はいつまでたっても何も変わらない、何も変えられないのだろう……』と自分自身に苛立って、虚しくなることばかりだったような気がします。『考え方の特徴』や『性格的傾向』って、大人になってから身に付いた訳ではなくて、多分物心ついたころからそんなに変わっていないものだし、長い間積み上げてきたものでもあるから、そうそう簡単には変えられないと思います。それに、大幅に変えるとなるとそれこそいろいろなことを我慢したりしなければならないだろうから、相当なストレスになる場合もあるのかもしれませんね」

その辺は、ご自身も経験されて思うところもあるのかもしれませんね。いずれにしても、人は『安定』を好むものなので、なるべくならば『考え方の特徴』や『性格的傾向』の流れに沿った対処方法を一緒に探っていく、という方が取り組みやすいし、続けることもそんなに苦にならないと思います。そして、その『取り組みやすさ』や『続けられるか』ということを感じられるかどうか、ということが大切なことなのです。

「先生、おっしゃる通りだと思います。『取り組みやすさ』や『続けられるか』ということは、何かを始める時や、自分の中で何かを変えたい時には結構重要だと思います。私も、そういう時には、無駄に理想が高かったりして頭で考えることはご立派なのですが、なかなか始められなかったり、手を付けられないようなことを考えてしまったり、一度や二度は続いても、ハードルが高すぎて続けられなかったり、そんなことが多かったように思います」

そうなんですね、そういうことは良くあることです。何故なら、何かを決断して考えている時というのは、当たり前のことですがやる気があって、前向きになっている状態なので考えることも割と理想が高かったり、壮大だったりしがちなのです。それはそれで、決して悪いことではありませんし、むしろ素晴らしいことなのですが、実際に取り組めるのか、続けられるのか、ということ、つまり『実現可能性』を考慮すると、どうしても無理が生じる場合が多いのです。すると、せっかくの良いアイディアだとしても続けることが出来なかったり、あるいは無理して続けた結果、そのことで余計なストレスや負担を感じたりして、自分を変えることやなりたい自分になることが遠のいてしまうこともあるのです。ですから『考え方の特徴』や『性格的傾向』を活かした対処方法を探っていく、ということが結果的には自分を変えたり、なりたい自分になるための近道なのではないかと思います。

「そうですね、そうかもしれません。結局ほんの少しだとしても『諦めない』で『続けることが出来る』ということが、何より大切なことのような気がします。私も、いろいろなことを考えたり、実際に試したりということを繰り返して、長い間かかってようやくそのことに気が付いた、と言ってもいいかもしれません」

私も、本当にそう思います。今まで何度も言ってきたことですが『諦めない』気持ちや『続ける』ということが、何かを始める時や、自分を変える、あるいはなりたい自分になる、という時には必要であり、大切なことなのです。ほんの少しでも、どんなに小さなことでも『諦めない』で『続ける』ということが出来ると、そこから見えてくる景色があります。思うことが出てきます。感じることがあります。そういった『続ける』過程で見えてくるもの、思うこと、感じることが、更に次の一歩を生み出し、自分を変えることや、なりたい自分になることに繋がっていくのです。一方、せっかくの良いアイディアだとしても無理して続けている場合は、どこかで何かを『我慢』していることがほとんどです。何かを達成するために避けては通れないことをやることと、『我慢』は似ているようで全く別物です。例えば、ダイエットのために一時的に好きな物を食べることを制限する、ということはダイエットが終われば食べられる、あるいは3つ食べたいけれども1つにしておく、のように制限に『終わり』が設定されていたり、全く『禁止』することはありません。ところが、あなたも経験されたように摂食障害の方に多くみられる『絶対に食べない』とか『一つでも食べたら終わり』のような極端な考え方には『許し』や『救い』が全くない、いわゆる『逃げ道』が閉ざされている状態です。これでは、制限の域を超えて『我慢』でしかなくなってしまいます。そして『我慢』を続けていると、人はいつか必ず『破綻』します。私の考えでは、行き過ぎたダイエットの先に過食嘔吐が待っている、ということも『破綻』の一つだと思います。ですから『考え方の特徴』や『性格的傾向』を活かした対処方法を探っていく、ということと『許し』や『救い』という『逃げ道』を必ず設定すること、これが『取り組みやすさ』や『続けられるか』に繋がっていくのです。

「本当にそうですね。『許し』や『救い』という『逃げ道』がなければ『我慢』であり、『我慢』を続けていると人はいつか必ず『破綻』する。私も、どれだけ同じようなことを繰り返してきたか、数え切れません」

そうかもしれませんね……そうは言っても、摂食障害という『病気』は、無意識かもしれませんが『許し』や『救い』という『逃げ道』を敢えて断ち、終わりのない『完璧』を追求し、自らを極限まで追い込み、『我慢』を『我慢』と感じることもなく、そして『破綻』を『破綻』とすら認識していない、そんな側面がありますので、仕方がないとは思いますが。

「先生、摂食障害って正にそんな表現がぴったりな感じですけれど、何かこう、実際に先生から言葉にして聞いてみると、やっぱり相当過酷な病気なんだなぁ、って、自分のことながら思ってしまいました」

そうですか、その『過酷さ』に気付くことが出来ない、ということも摂食障害の特徴の一つかもしれませんね。

「過酷さに気付くことが出来ない……そうですね、初めのうちは確かにそうだったと思います。痩せたくて、痩せたくて、痩せたくて。そして実際にどんどん痩せて。それでもまだ満足出来なくて『もっと、もっと痩せたい、まだまだ痩せられる』が止まらなくなってしまって。その頃は、自分が摂食障害だという認識もなかったし、そもそも『摂食障害』という病気があることすら知らなかったくらいです。でも、いつの頃からか押し寄せる『食欲』をコントロールすることが難しくなってしまって。辿り着いたのは『過食嘔吐』という、蟻地獄。『食べたい猛獣』を過食することで何とか抑え込んで『痩せたい』は嘔吐することで何とか保って。そんなことを繰り返しているうちに、だんだん過食嘔吐を続けることが辛くなってきて。やめたくてもやめられない自分自身が嫌になって、責めて、どうにもならなくなってしまった」

私も、あなたのその苦しみや辛さは痛いほどわかっているつもりです。その長い長い『過酷』な状況から、ようやく抜け出せる時が来ていると思います。さっきも言いましたが、あなたの『諦めない』気持ちと、今出来ることを一つ一つ積み重ねてきたことと、地道にそれを続けてきたこと、それにほんの少しの『勇気』があれば、必ず摂食障害の長い長いトンネルから抜け出すことが出来るのです。いつか必ず訪れる『その日』を目指していきましょう。

「そうですね、そうであってほしいし、そう信じています」

それでは、次回お会いするまでに、あなたがおっしゃっていた『成功体験』を積み重ねることを意識してみてください。それからもう一つ、物事には、表と裏ではないですけれど必ず二面性がある、ということも意識してみてください。

「わかりました、『成功体験』と物事には二面性がある、ということですね」

先生は、

『諦めない』気持ちと、今出来ることを一つ一つ積み重ねてきたことと、地道にそれを続けてきたこと、それにほんの少しの『勇気』があれば、必ず摂食障害の長い長いトンネルから抜け出すことが出来る。

と言っていた。今の私に必要なのは、ほんの少しの『勇気』なのだろうか。

『完璧』のレベルを適切にする『勇気』

『食べること』に対する『勇気』

痩せ続けなくてもいい、ということを信じる『勇気』

どれも当たり前のことと言えば当たり前かもしれないけれど、今の私にとっては『恐怖や不安、あるいは躊躇を恐れずに向かっていく積極的で強い心』がなければ、それを乗り越えてその先へ辿り着くことは出来ないのかもしれない。

「確かに、今の私にとっては、ほんの少しでもいいから『勇気』がないと『完璧』のレベルを適切にすることも、普通に食べることも、痩せ続けなくてもいい、と思えることも、なかなか出来るものではない。やっぱり先生の言うようにほんの少しの『勇気』が必要なのかもしれない」

でも、そのほんの少しの『勇気』は、一体どこにあるのだろうか。いつ生まれるのだろうか。それとも、誰かが与えてくれるのだろうか……

「そんな訳ないよね。『勇気』は自分で持たなければ、誰も与えてはくれない。そんなことはわかってる、わかってるけど、どうしたらいいの。先生は『あと少しで抜け出せる』みたいなことを言っていたけど、本当にそんな日が私にも訪れるの。そんな曖昧な言い方じゃなくて『1か月後』とか言って欲しい。もう、終わりの見えない、果てしない戦いには疲れてしまったの……」

『諦めない』気持ちと、今出来ることを一つ一つ積み重ねてきたことと、地道にそれを続けてきたこと、それにほんの少しの『勇気』があれば、必ず摂食障害の長い長いトンネルから抜け出すことが出来る。

それは確かにそうかもしれない。先生の言うことは全然間違っている訳ではなくて、本当にその先に『普通に食べる』ことが出来る日が、私にも訪れるのかもしれない。だけど、だけど、だけど……

「それは果たしていつなのか、『いつかきっと』の『いつか』っていつなのか。私は、いつまで待てばいいのか、いつまでこの苦しみに耐えればいいのか、それが全くわからなければ、それがはっきりしなければ、いくら私だって何年もモチベーションを維持するなんてことは出来ないかもしれない……」

先生は『時期の約束は出来ない』と言っていた。私も、いろいろなことを経験してきたので、先生の言っている意味はわかっているつもり。だけど、だけど、だけど……

「理屈ではわかっているつもりだし、頭でも理解しているつもり。だけど、人間は終わりが見えないことを延々と続けることには限界がある。先が見通せるからこそ、今の苦しみや辛さにも耐えることが出来る。私にとっての『いつかきっと』は、一体いつのことなのか。誰か教えて……」

でもそれは、誰にもわからないこと。誰も教えてはくれない。そんなことは、冷静になってちょっと考えれば、考えるまでもないこと。だって、摂食障害とはそういう『病気』なのだから。未だに有効な治療法も確立されていないような、とても、とても、とても難しい『病気』なのだから。そして私は、その、とても、とても、とても難しい『病気』になってしまった。その、悪魔のような『病気』に憑りつかれてしまった。その、長い長いトンネルに迷い込んでしまった。

先が見通せない辛さ、自分で自分をコントロール出来ないもどかしさ、完璧のレベルを下げられないジレンマ、そして0か100かという極端な思考……そのどれもが、入れ代わり立ち代わり私の元を訪れては、私のことをじわじわと苦しめる。そんな時の私は、それらを振り払うことも出来ずに、ただただされるがままになってしまう。そして、後に残るのは『また出来なかった』という自分に対しての苛立ちと、情けなさと、無力感。

それは、仕方がないこと。今の私は、摂食障害という『病気』なのだから。摂食障害とは、そういう『病気』なのだから。そんなことは、改めて考えるまでもなくわかり切ったこと。今までの長い長い経験から、認めざるを得ないこと。それも十分にわかっているつもり。わかっているつもりだけど、ふとした瞬間に、私をどうしようもない不安に引きずり込んでしまう。今までずっとずっと諦めないで、今出来ることを続けてきたけれど、ふとした瞬間に、私を果てしない絶望感に包んでしまう。

そんなことないよ。先生の言う通り、いつかきっと摂食障害を克服出来る日が訪れる。それまで諦めないで、いつか必ず『普通に食べる』ことが出来ると信じて、気持ちを切らさずに今出来ることを一つ一つ積み重ねる。今の私に出来ることはそれしかないし、それが全て。

そんなことは、誰に言われなくてもわかってる。わかってるけど、どうしようもなく不安になる夜もある。結局はどうにもならなくて、やめたくてもやめられない過食嘔吐を延々と続けるしかないんじゃないか……って絶望してしまう夜もある。

そう、私はそんなに強くはないのだから。何かに頼らなければ自分を保てないのだから。誰かに助けてもらわなければ生きていけないのだから……

部屋に差し込む月の光が、私を我に返らせてくれた。今夜も、変わらず眩しいくらいの明るさで、殺風景な私の部屋を照らしてくれていた。

私は、一人で不安になって、絶望して、自暴自棄になる訳にはいかなかった。摂食障害の克服を諦める訳にはいかなかった。『普通に食べる』ことが出来るようになるまで、希望を棄てる訳にはいかなかった。

それは、今は亡きおばあちゃんとの約束でもあった。ただ、ここ最近は、先生のため、という訳ではないけれど、亡くなった先生の娘さんのことを思う気持ちがだんだん強くなっているような気がした。

私よりも若い、20代前半に摂食障害を苦に自殺してしまった先生の娘さん。それを機に活動するようになった先生。そして、そんな過去があったなんて全然知らずに、たまたま出会った先生と私。先生が摂食障害についてのアドバイスをしているのは、きっと私だけじゃないし、克服した人もいるはず。でも私は、何としてでも摂食障害を克服したいし、そうしなければならない。『痩せること』や『食べること』で悩み、とてつもなく辛く、苦しい日々を送ってきたけれど、その先で自ら『死』を選ぶべきではないし、選んではいけない。少なくとも私は、私を、私自らだけでも、摂食障害の長い長いトンネルから抜け出させてあげなければならない。『痩せること』や『食べること』に拘って、囚われて、振り回される日々から解放させてあげなければならない。『痩せること』や『食べること』を、苦しみから『楽しみ』や『嬉しさ』に変えなければならない。

だって、『痩せること』や『食べること』は、本当は苦しいことでも、辛いことでもないのだから。『痩せること』や『食べること』は、死ぬ思いまでして追い求めることではないのだから。『痩せること』や『食べること』で、これ以上命を落とすようなことがあってはならないのだから。

「決して比べるようなことではないけれど、私の絶望なんて、先生のそれと比べたら大したことないのかもしれない。それに、これ以上先生を失望させるようなことはあってはならない。私は諦めない……」

休みの日は、部屋に一人でいると、どうしても気分がふさぎ込んでしまう。昨日の夜のように、ネガティブなことばかりを考えてしまうことがほとんどだった。それに、特に予定がなければ、考えたくもないのに食べることばかりが頭の中を駆け巡ってしまう。朝は何とかやり過ごせても、お昼は吐かずに食べられるのかどうか。お昼をどうにかやり過ごすことが出来たとしても、夕方くらいになると落ち着かなくなって、心がざわつき始めてしまう。そして、買い物に行くのか行かないのか、行くとしても過食材を買うのか買わないのか。そんなことばかりが浮かんでは消え、消えては浮かんでくる。そして、ほとんどの場合、結局は買い物に出かけて、両手に持ち切れないほど甘い物や油ものを抱えて帰ってくることを繰り返してきた。

「でも私は、先生のことや先生の娘さんのことを思うと、そんなことばかり言ってられないし、やってられない。何よりも、自分自身のためにも何とかして『普通に食べる』を実現するべきだし、そうしたいし、いつかきっとそう出来ると信じてる。そのために、今出来ることを一つ一つ積み重ねることを地道に続けるだけ。そのことを忘れてはいけない。だって、『痩せること』や『食べること』は、本当は苦しいことでも、辛いことでもないのだから。『痩せること』も『食べること』も楽しみながら、笑顔で取り組むべきことなのだから。『痩せること』や『食べること』に拘って、囚われて、押し潰されて、抗い切れなくて、負ける訳にはいかないのだから。いつかきっと、いつかきっと、いつか必ず笑顔で『美味しいね』って言いながら楽しく食べられるようになるのだから。だからその日まで、辛くても、苦しくても、決して諦めないで、気持ちを切らさないで、希望の光が差し込む場所を目指して、歩いていく。ただそれだけ、ただそれだけ、ただそれだけ……」

どこにも行くあてなどないけれど、家に閉じこもってただただふさぎ込んだり、ネガティブなことばかり考えるくらいなら、どこかへ出かけた方がいい気がした。

「こんな時に、今までは御宿の砂浜や海を見に行っていたけど、今日はどうしよっかなぁ……」

摂食障害になってからというもの、友達とも会わなくなっていたから、いきなり誘うことも出来ず、かといって一人で行ってみたい場所なんてある訳ではなかった。車を持っている訳でもないので、とりあえず最寄り駅の方向へ足を向けた。

「何か、暑い。ってか、暑過ぎ。最近って、こんなに暑かったんだっけ?」

そう言えば、何日か前に梅雨が明けたとか明けないとか、ニュースか何かで聞いた気がした。『痩せること』と『食べること』ばかりに気を取られて、季節の移ろいにも気が付かないなんて、本当に自分は病んでいるのだと思い知らされた気分だった。

「今年もまた、この暑さの中、外でも仕事でも『マスク』生活が続くのかと思うと、うんざり。一体いつまでこんな生活が続くのだろう……」

それは、摂食障害にも言えることだった。やめたくてもやめられない過食嘔吐、『痩せる』ことへの拘り。

「一体いつまでこんな生活が続くのだろう……」

そうは言っても、歩いている時や、電車に乗ってしまえばとりあえず食べることはしないで済む。以前は、買い物をして家に帰るまで待ち切れなくて、歩きながらパンを詰め込んだりしたこともあったけど、最近は歩きながら食べたり、電車の中で食べることは我慢出来るというか、しなくなっていた。

「そうね、こんな暑い中だけど、外に出ればマスクもしてることだし、とりあえず食べることだけはしないで済む。消極的だけど、それでもいいのかもしれない」

食べることから離れられる環境に身を置くことも、今の私にとっては大切なことのような気がした。

それにしても、あまりにも暑い。久しぶりに運動も兼ねて散歩でもいいかも、なんて思っていたけど、とてもじゃないけど歩き回る気温でも日差しでもない。とりあえず上り電車に乗ることにした。

最近の電車は、常に換気をしているので、冷え過ぎているということはないことがありがたかった。

「痩せているから仕方がないけど、キツめのエアコンだと肩先からだんだん冷えてきちゃうから、このくらいが助かる」

以前は『真夏でも冷え性』みたいな状態が、痩せている証のように思えて、寒さに震えながらも嬉しかったけど、今はあんまりそんな風には思えない自分がいた。

「やっぱり『痩せている』ことも、限度があるはずだよね。いい加減私も『健康的に』痩せていることを目指すとか、何かしらの方向転換、というか価値観の変化がないと、いつまでたっても何も変わらないのかもしれない……」

今までずっとずっと拘ってきた考え方や価値観を、大幅に、180度転換することはとっても難しいことだし、相当なエネルギーを必要とする。先生も、

人は『安定』を好むものなので、なるべくならば『考え方の特徴』や『性格的傾向』の流れに沿った対処方法を一緒に探っていく、という方が取り組みやすいし、続けることもそんなに苦にならないと思います。そして、その『取り組みやすさ』や『続けられるか』ということを感じられるかどうか、ということが大切なことなのです。

と言っていた。そうは言っても、昨日と何も変わらない、何も変えられない今日を過ごすだけでは、明日も何も変わらないし、何も変えられない。今日のように、とりあえず外に出ることで食べることから離れられる環境を作ってみるとか、どんな小さなことでもいいから何かしら今出来ることを見つけて実践してみるとか、そんなことの積み重ねと、そういう心構えがあれば、いつかはきっと変わることが出来る。そう自分に言い聞かせていた。

見るともなく車内を見渡すと、何故だかみんなキラキラと輝いて見えた。きっと、行くべき場所があって、会うべき人がいて、日々のストレスなんか吹っ飛んでしまうような、楽し過ぎる何かが待っているのだろう。何のあてもなく彷徨っているのは、どれだけ探しても私だけ……

そう言えば、先生からの宿題に、

物事には、表と裏ではないですけれど必ず二面性がある、ということも意識してみてください。

ということがあったっけ。ここにいるみんなだって、私の目にはキラキラと輝いて見えたとしても、心の中は日々のストレスでいっぱいいっぱいなのかもしれないし、今日は精一杯自分を着飾って、かわいく見せてるだけなのかもしれない。心の中の本当の気持ちや思いなんて、見た目からは想像も出来ないこともあるのかもしれない。実は、何のあてもなく彷徨っているのはここにいるみんなであって、私こそ『食べることから離れられる環境に身を置く』という目的がはっきりしている。世の中なんて、そんなものなのかもしれない……

「私も、見た目に拘るのではなくて、人の目を気にするのでもなくて、体重やカロリーみたいな『数字』を追い求めるのでもなくて、ただただ『今』を大切に、自分の心や身体の『声』に耳を傾けて、素直な考えや行動が取れれば、どんだけ心地よく過ごせるのだろう」

ふと外に目を向けると、ギラギラとした強すぎる日差しがオフィス街のビルや窓に反射して、眩しさが和らいでいるように見えた。散歩するには強すぎる日差しも、電車の中から眺めている分には真夏の開放感を感じさせてくれたりする。物事には表と裏、二面性がある。私は今まで、ある一面や一点ばかりに目を向けて、拘って、そして囚われて抜け出せなくなってしまった。『痩せること」自体は決して悪いことではないけれど、行き過ぎた先には想像もしなかった苦しみが待っていた。『食べること』だって同じ。生きるために必要不可欠なことなのに『カロリーの塊』とか『太るだけ』と思い込んでしまったら、避けなければならなという考えになってしまう。摂食障害とは、そういう『病気』なのだから仕方がないのかもしれない。でも、私の考え方や思い込み、極端な価値観も多分影響している気がする。もっと柔軟に、視野を広く、そして心も広くなれれば『痩せること』や『食べること』だって私の『味方』になってくれるのかもしれない。私の『味方』に……

『痩せること』や『食べること』は、決して悪いことでも、いけないことでもない。諦めて手放すことでもない。ただ、限度があるってこと。自分の中の『限界』を超えて追い求めるものではないってこと。極端に『痩せること』や『食べること』、あるいは極端に『食べないこと』は、一生続けることではないってこと。本当は、手を取り合って、私と同じテンポで、私が心地いい距離感で一緒に歩いていく相棒のはず。いつでも私のそばで『味方』になってくれる存在であってほしいし、そうであるべきなのかもしれない。

「今まで、私にとって『痩せること』も『食べること』も私と同じテンポで、私が心地いい距離感で一緒に歩いていく相棒ではなかった。いつでも私のそばで『味方』になってくれる存在ではなかった。私自身が『味方』に付けるという考えがなかったのかもしれない。だけど、だけど、だけど『痩せること』も『食べること』も完全に手放すことは出来ないし、そんなことはしなくてもいいはず。私の『味方』になってもらえるように、私の今までの考え方や思い込み、極端な価値観を、ほんの少しずつでも柔軟に、視野を広く、そして心も広くしていくことが必要なんじゃないかなぁ……」

物事には表と裏、二面性がある。先生に言われたように、もっとそのことも意識して、頑なな自分自身にも私の『味方』になってもらえるようにしなければならないのかもしれない。もっと物事の『流れ』とか自分の心や身体の『声』に耳を傾けて、逆らわずに、素直に考えたり行動したりすることが必要なのかもしれない。

私は今まで、物事の『流れ』とか心や身体の『声なき声』には従うことなく、逆らってばかりいたのかもしれない。極端な食事制限を続けた結果、抑え切れない食欲に襲われることになってしまった。それでもなお痩せようとして『痩せたい』と『食べたい』の板挟みになって、追い詰められた私は『過食嘔吐』という禁じ手に手を出してしまった。初めのうちは『いつでもやめられる』つもりでいたけれど、その禁じ手は一度はまると抜け出せない『蟻地獄』だった。

心も身体も限界まで追い詰められているのに『痩せたい』と『食べたい』をどちらもMaxで追及し続けた。とにかく、自分の中の矛盾だらけの価値観を実現することばかりを追い求めて、気が付けば痩せることの『嬉しさ』も、食べることの『楽しみ』も感じることが出来ない、ただただ苦しくて、辛い毎日を耐え忍ぶ日々。

そう、いい加減私は、本当の、心の底からの『声』や声にならない身体の『悲鳴』に気が付かなければならないし、無視し続けることは出来ないし、耳を傾けなければならない。そのことに本気で取り組まなければ、心も身体も限界を通り越してそう遠くない日に崩壊してしまうかもしれない。

「私は、私のことをもっともっと考えて、大切にすることが必要なのかもしれない。私は、誰でもない、私のために生きているのだから。私の人生は、私のためのものだから。『痩せること』や『食べること』ばかりに振り回されて、追いかけているばかりではなくて、もっともっと私自身のことを気にかけなければならないのかもしれない。私は、私のために……」

どれくらいの間考え事をしていたのだろう。気が付いたら、電車は先生のところの最寄り駅のホームに差し掛かるところだった。どこにも行くあてなどない私が辿り着く先なんて、行き慣れているところぐらいしかないのかもしれない。

「まあでも、先生のところに行く途中には、昔ながらの商店街って感じが残っているから、気分転換にすこし歩いてみようかな」

電車を降りると、ムッとする熱気が私を包み込んだ。お昼近くになって、日差しはさらに強くなっているようだった。

「とりあえず、どこかで冷たいものでも飲んだ方が良さそうね」

駅近の、全国チェーンのコーヒーショップに駆け込んだ。纏わりつくような暑さと、突き刺さるような日差しを避けるにはちょうどいい。ただ、お昼が近いからか、店内はそこそこの混み具合だった。

「何かこれじゃあ落ち着かないから、テイクアウトにしてもう少し歩いてみようかなぁ」

何となく、人との距離をとりたい気分だった。心の『声』が、私のための時間や空間を求めているのかもしれなかった。

「ちょっとどころじゃない暑さだけど、アイスコーヒーで何とかしのいで少し歩いてみよう。確か、もう少し駅から離れればゆったりとしたカフェか何かがあったはず」

私が『痩せること』や『食べること』しか考えていないうちに、いつの間にか季節は夏真っ盛りになっていた。私の中では季節はまだまだ『梅雨』だったのに、どれだけ他のことに目を向けていないのか。我ながら呆れてしまう。

時間帯が悪かったのか、ゆっくりと落ち着けそうなお店は、どこも満席に近かった。普段は通らないような路地や裏道も歩いてみたけれど、今の私の気分に合うようなお店は見当たらなかった。ふらつきながら歩き回っていると、木陰にベンチがいくつかある、ちょっと大き目の公園が目に入った。暑さのせいなのか、ベンチに座っている人はまばらだった。

「いい加減私もお腹が空いたから、コンビニで何か買ってきてあそこで休もうかな」

公園のベンチは、木陰とはいえ座面は結構熱かった。ただ、慣れてくると周りの空気に思ったよりも暑さは感じなかった。時々吹き抜ける風が、木々の緑の匂いを一緒に運んできてくれて、真夏のギラギラした風景をほんの少しだけ爽やかに変えてくれていた。

「こんなに強い日差しの中、木陰とはいえ外で食べるなんてさっきまでなら考えもしなかったのに、お店に入れなくて仕方なく来てみると、意外と座ってられたりするのね。私も今まで見た目や雰囲気だけで決めつけて、近寄りもしなかった場所とか、やろうとも思わなかったことがあったのかもしれないなぁ」

暑い中でも、何人かの親子連れや小学生くらいの子供たちが遊んでいた。今どき、休みでも公園くらいしか出かける場所がないのかもしれない……そう考えると、何だかおかしくなってきた。私は、家にこもっていることが出来なくて、暑い中あてもなくフラフラ歩き回って、仕方なく公園に辿り着いた。もしかしたらこの子たちも、出かけたくても出かけられなくて、仕方なく公園に辿り着いたのかもしれない。どこにも行くあてがないのは、私だけではない。

「私だけじゃなくて、摂食障害でも何でもない人たちも自分の力ではどうにもならないことを抱えていて、それでも今出来ること、今行けるところを求めて、その中で楽しみを探そうとしている。楽しもうと前向きに行動している。私も、そんな無邪気さや、どんな環境でも楽しく、笑顔でいられることを見つけなければならないのかもしれないな」

私にもこの先、お腹が減ってることも気が付かないで走り回ったり、おいしいものをお腹いっぱい食べたり、そんな子供の頃のような感覚が戻ってくることがあるのだろうか。何かに深く深く悩んだり、苦しまないですぐに気持ちを切り替えて、何に悩んでいたのか忘れてしまうような、そんな無邪気さが取り戻せるのだろうか。

「あぁ、いっそのこと、子供の頃に戻って、難しいことは考えないで、ただただ楽しいことだけを追いかけて、お腹が減ったらおいしいものをたくさん食べて、喉が渇いたらカロリーや糖質のことなんて気にしないでコーラでもがぶがぶ飲んで、疲れたら寝てしまいたい」

目の前の子供たちは、暑くてもそんなことは気にもならない様子で、元気に、楽しそうに、笑いながら走り回っている。きっと、どんな状況でも、どんな環境でも、楽しいことを探して、時の経つのも忘れて、今を楽しく過ごす、楽しむことしか考えていないのだろう。

それに比べて、私は一体何をしているのだろう。せっかくの休みなのに、家でゆっくりとくつろぐことも出来ず、暑い中、あてもなく彷徨い歩いている。涼しいお店に落ち着くことすら出来ずに、公園のベンチに座って、子供たちを見ては、羨望の眼差しを向けている……何か、自分で自分の状況を考えていたら、惨めになってきてしまった。

「何でみんなは『痩せること』とか『食べること』を気にしないで過ごすことが出来るのだろう。それがそもそも間違っているのか。何で私は『痩せること』と『食べること』ばかり気にして、それしか考えられないのだろう。ただただ楽しいことを探して、時の経つのも忘れて、今を楽しく過ごす、楽しむことしか考えなければいいのに。どんな状況でも、どんな環境でも、楽しいこと、心地いいこと、それだけを考えればいいのに」

私は、何に拘っているのだろう。

私は、何に囚われているのだろう。

私は、何を気にしているのだろう。

自分で自分のことが惨めになるほど守りたいものって、何なんだろう。

私は、何を目指しているのだろう。

私は、どこに辿り着きたいのだろう。

私は、私は、私は、一体何なんだろう。

どれだけ時間が経ったのか、いつの間にか目の前で走り回っていた子供たちはどこかへ行ってしまった。いっそのこと、私も一緒に連れて行ってほしかった。元気に、楽しそうに、笑いながら走り回っている仲間に入れてほしかった。そんなことを考えている自分が、ますます惨めに思えてしまった。

いっそのこと、私も一緒に連れて行ってほしかった。元気に、楽しそうに、笑いながら走り回っている仲間に入れてほしかった。

そんな発想自体が、そもそも良くないのかもしれない。誰かに連れて行ってもらったり、仲間に入れてもらうことを、ただ黙って待っているだけでは、いつまで経っても何も変わらない。もしどこかに行きたいのであれば自分から誰かを誘ったり、仲間がほしいのであれば自分から仲間に入れてくれるように働きかけなければならないのではなかろうか。心も身体も、ただじっとして動かなければ、状況は変わらないし、昨日と同じ今日、今日と同じ明日を繰り返すばかりになってしまう。

それに、今の私の状況や置かれている環境のせいにしたところで、何かが変わる訳でもない。この世の中のみんなは、きっとそれぞれに自分の力ではどうにもならないことを抱えていて、それでもその中から楽しみや嬉しいことを見つけて、前を向いて生きている。私も私なりに辛かったり苦しかったりするけれど、そんな中でも笑顔になれるようなことを見つけなければ。見つかるように考えたり、行動したりしなければ。必ず見つかるって、信じて前を向いて生きていかなければ。その積み重ねが、私を辿り着きたいどこかへ導いてくれる。誰かに頼って、ただだたじっとしていても、黙っていてもどこにも辿り着けないのかもしれない。

「私も、私なりに、今私が出来ることを考えて、行動して、ほんの少しでも昨日と違う今日、今日と違う明日を過ごさなければ。少なくともそういう心構えでいなければ。たとえ出来なかったとしても、たとえ昨日と同じ今日を過ごしたとしても、この公園で見かけた子供たちのように、暑さも気にしないで笑顔で走り回るくらいの気力を持たなければ。ただ下を向いて、出来ないことやどうにもならないことを嘆いていても、自分が惨めになるばかりよね」

木陰とはいえ、さすがにずっと座っていられるほど涼しくはなかった。お昼のピークも過ぎているから、どこかしら席も空いただろう。今度こそ、室内でゆっくりと落ち着いて、冷たいものでも飲みたかった。

さっきは混んでて入らなかったカフェ。今はお客さんもまばらになっていて、これならゆっくりと落ち着けそうだった。

「はぁ~やっぱり中は涼しい。何頼もうかな」

コンビニでお昼用に何か買おうと思っていたけど、結局食べ物は怖くてそんなに買うことが出来なかったので、お腹が空いていた。

「さっきも考えていたことだけど、たまにはお腹が減ったらおいしいものをたくさん食べて、喉が渇いたらカロリーや糖質のことなんて気にしないで好きな物を飲んでみようかな」

カフェ自体、滅多に行かないけれど、行ったとしても大抵ノンカロリーのアイスコーヒーしか頼まなかった。改めてメニューを見てみると、おいしそうだけど、いかにもカロリーが高そうなケーキやパフェが並んでいた。

「こういうのを、カロリーとか脂質とか気にしないで食べられたら、それはそれで幸せなんだろうなぁ」

しばらくメニューを眺めてしまった。お一人様だし、いい加減何か頼まないと変に思われるかもしれない。とりあえず、アイスコーヒーを頼むことにして、飲みながら追加で頼むかどうか考えることにしよう。

……私も、私なりに、今私が出来ることを考えて、行動して、ほんの少しでも昨日と違う今日、今日と違う明日を過ごさなければ、どこにも辿り着けないのかもしれない。

「ケーキとパフェだったら、どっちにしようかな。暑いから、アイスの入っているパフェにしようかな」

過食のための買い物だったら、どっちも買ってるし、何なら2つや3つじゃ収まらない。そんな私が、お腹が空いているのに『どっちにしようかな』なんて、何だかおかしくなってきた。

「どうせ頼むのだったら、一番おいしそうなものにしよう」

これも『どうせ頼むのだったら、一番量が多いものにしよう』にならないところが、おかしくもあり、そんな自分を褒めてあげたい気もした。

「決めた!どうなるかわからないけど、パフェを頼んでみよう」

自分の力ではどうにもならないことを抱えていたとしても、それでもその中から楽しみや嬉しいことを見つけて、前を向いて生きていきたいし、生きていかなければ、辿り着きたいどこかへは辿り着けないし、いつまで経っても何も変わらないのだから。

外でパフェなんて頼んだのは、いつぶりだろう。もう、何年もそんなことはしていないような気がした。

「お待たせいたしました~」

メニューの写真よりも、おいしそうで、何となくキラキラして見えた。いわゆる『インスタ映え』って、こういうことを言うのかもしれない。でも私は、インスタとか、ツイッターとか、SNSはほとんど見ていないので、本当のところは良くわからなかった。ツイッターとかをやっていたら、もしかしたら同じ悩みや苦しみを分かち合って、共感してもらえたりするのかもしれない。でも、どうしてもネガティブな方へ自分自身が引っ張られてしまうような気がして、見ることをためらっていた。

このパフェは、私にとっておいしさをもたらしてくれるのだろうか。食べる楽しみをもたらしてくれるのだろうか。食べる喜びをもたらしてくれるのだろうか。それとも、単なるカロリーという『数字』としか捉えられなくて、太る恐怖の元としか考えられないのだろうか……

今度は、しばらくパフェを眺めてしまった。上の方にのせられているアイスが溶けはじめて、しずくが滴り落ちそうになってきていた。

「よし、今日は食べよう。そう決めたのだから」

意を決して一口、口に入れてみる。だいぶ溶けはじめているけれど、冷たくておいしい。バニラの香りがお腹が空いていることを思い出させて、食欲をそそる。甘過ぎず、しつこさも感じさせない爽やかなおいしさが口いっぱいに広がる。何だか、とてつもなく幸せな感じがした。

「あぁ、おいしい」

それからは、どこからどう食べたのか、思い出せないくらい夢中になって食べていた。一口一口を、噛みしめるように、一つ一つを、味わうように、ただパフェを食べることに集中していた。一口一口を大切にしながらも、アイスコーヒーも飲まずに一気に食べ切ってしまっていた。

「う~ん、何だろ、ただおいしかった。それだけ」

口直しに、氷で薄まってきているアイスコーヒーを飲んだ。まだ微かに残る苦味が、パフェの甘さと濃厚さとの、絶妙のコントラストを感じさせた。

しばらく、ぼお~っとしてしまった。空のパフェグラスを、見るともなく眺めていた。本当に、おいしかった。ただそれだけだった。

「冷たくて、甘くて、クリーミーで、それでいて爽やかで、おいしかった」

この暑い中、木陰とはいえ公園のベンチに座っていたので、思った以上に疲れたのかもしれない。それとも、久しぶりにお店でパフェを食べて、ただただおいしかったことに感動したのかもしれない。とにかく、動こうという気が起きなかった。トイレに行かなきゃとか、吐かなきゃとか、そんなことを目まぐるしく考える気力がなかった。身体も頭も、思うように動かなくて、ただ椅子に座っているのが今の私の精一杯だった。

「でも、それでいいんだよね。そんな日があってもいいんだよね。暑い中、街中歩き回って、ろくなお昼も食べないで外で過ごして、やっと休めたのだから。やっとまともに食べられたのだから。しかも『おいしい』しか思い浮かばないくらいおいしかったのだから。私だって、いつでも超高速で、瞬時にあれもこれも判断出来る訳ではないのだから。たまにはぼお~っとして、座ったまま動けなくてもいいんだよね」

これからどうしよう……まだまだ食べられる気もするし、まだまだ食べたいものもある気がするけれど、この後電車に乗って家へ帰ることを考えると、何だか疲れてしまった、というか面倒くさい気がした。アイスコーヒーも飲んでしまったし、とりあえずこのお店は出ることにした。

「食べることに対して『面倒くさい』なんて、今までの私からしたらあり得ないよね。何だかおかしい」

何だか今日は、自分で自分のことを『おかしい』って思うことばかり。そのことすら、何だかおかしかった。

やっぱり今日は、相当疲れていたようだった。電車に乗って、運良く空いていた席を見つけると、頭で考えるより先に身体が動いていた。座って一息ついた直後から熟睡してしまったらしく、気が付いたら乗り換える駅を3つも乗り過ごしてしまっていた。

結構大きなパフェを完食してしまって、吐かずにいることがずっと気にはなっていたけれど、今は疲れて身体が重いのと、頭がうまく働かないこともあって、とにかく一刻も早く家に帰りたかった。

「おいしいものを、おいしく食べられたのだから、今日はカロリーとか太るとか、そんなことは気にしないようにしよう」

自分に言い聞かせるように、頭の中で何度もそう繰り返した。

やっと家に辿り着いた。玄関を開けると、ムッとする熱気が全身を包み込んだ。

「うわぁ、暑い……」

とりあえずシャワーを浴びることにした。

シャワーを終えて、髪を乾かして、ベッドに寝転んでスマホをチェックしていると、また強烈な睡魔に襲われた。

「まだ寝るには早いけど、今日はもう疲れたから、このまま寝ちゃおう」

昨日は、結局パフェを吐かずに食べることが出来た。別に、始めからそうすることを決めていた訳ではなかったけれど、お腹が空いていたことと、あまりの暑さと、それに疲れていたことが重なって、結果的にはそうすることが出来た。

家に居られなくて、あてもなく電車に乗ったこと

考え事をしていたら、先生のところの最寄り駅に着いたこと

お昼の時間帯で、どこのお店にも入れなかったこと

仕方なく歩き回っていたら、木陰のある公園を見つけたこと

公園の子供たちを見て、お腹が減ったらおいしいものをたくさん食べようと思ったこと……

これらは全て、偶然の出来事だった。偶然が重なっただけだったけど、結果的にはおいしいパフェを食べることが出来たし、吐くこともしなかった。

「うまくいく時って、案外そんなものなのかもしれない」

昨日の出来事は、先生からの宿題である『成功体験』を積み重ねたことになるのだろうか。始めから、パフェを吐かずに食べると決めていた訳ではなかったけれど、いくつもの『偶然』が重なって、結果的には何年かぶりに、いかにもカロリーが高そうなパフェを完食してしまった。そして、その後過食するのかとか、吐くのかとか、いつもは目まぐるしく考えを巡らせることを考える余裕もなくて、疲れてしまって家に帰った。ただそれだけだった。

「でも、意図したことを始めから思い通りにこなせることなんて、摂食障害になってからというもの、ほぼほぼないに等しいのだから、それはそれで『結果オーライ』ってことでいいんだよね」

今の私は、特に『痩せること』や『食べること』については、綿密に計画を立てたとしても、あるいは何回も頭の中でシミュレーションを繰り返したとしても、思い通りにいかないことがほとんどなのだから、偶然が重なった結果だとしても『吐かずに食べる』が出来たのであれば、それは『成功体験』と言ってもいいのではないだろうか。自分の力だけでは、自分のことですらどうにもならないことばかりなのだから、結果としてうまくいったのならば、それはそれでまさしく『結果オーライ』だし、何なら自信を持ってもいいのではないだろうか。

「それにしても、お腹が空いている時に食べるものって、どうしてあんなにおいしいんだろう」

お腹が減ったらおいしいものをたくさん食べて、喉が渇いたらカロリーや糖質のことなんて気にしないで好きな物を飲んで……そんなこと、もう何年も忘れていた。だけど、そんな日常のほんの些細な出来事が、今の私にとってはとてつもなく大きな出来事で、大切なことで、幸せなことなんだって、そんなことに改めて気付くことが出来た。

「あてなんて、何にもなかったけれど、それでも行動したことが良かったのかもしれないなぁ」

次の週末も、相変わらず何のあてもないけれど、家にこもって考え事をして過ごすことだけは避けようと思っていた。

「やっと今週も金曜日になった。何とか耐えて、今日が終われば明日は休みね」

平日のルーチン、仕事帰りのコンビニのはしごと、過食嘔吐は相変わらず続いていた。っていうか、やめたくてもなかなかやめることが出来なかった。ただ、ここ最近は、ほとんど惰性でやっている感じで、過食する『量』は減ってきていた。

もう最近は、特に食べたい物がある訳ではないけれど、それでも買うとなったらやっぱり甘い物と脂っこい物、スイーツとか、お菓子とか、菓子パンとか、揚げ物に自然と手が伸びていた。そして食べる時も、おいしいなんてほとんど感じることもなくなって、ただただ詰め込んで、さっさと吐くことだけを考えていた。それに、お酒を飲まなくても吐けるようにもなっていた。

「唯一変わったことと言ったら、一日に使う金額が減ったことかな。食べる『量』も減ってきたし、何よりお酒を買うことが少なくなったから、それはそれである意味助かるけど」

気分的には、仕事で疲れ切っているから、一刻も早く家に帰って寝たいところだけど、やっぱりどこかで『過食嘔吐』が私の一日の終わりを締めくくる『区切り』であり、今の私の唯一の『ストレス解消』になっていることは否定出来なかった。

「まあでも、ほんの少しずつ、今出来ることを一つ一つ積み重ねる。ただそれだけ。だって、休みの日だけでも過食嘔吐三昧から解放されるのであれば、それはそれで上出来なんだから。出来ることに目を向けて、出来ないことを無理してやらない。『緩やかに、でも諦めず』で続けられることを続けていけば、いつかきっと吐かずに食べることが出来る日が訪れるのだから。そう信じているのだから。実際、先週はあんなに大きなパフェを吐かずに食べることが出来たのだから。こんな私でも、私が私を信じてあげること。それが一番大切なのだから」

「今日も私はあてもなく彷徨う女子……」

そんな言葉を呟いてみたけれど、家の中で一人で食べるとか食べないとか悶々と考えているよりは、むしろ彷徨っているくらいの方が今の自分にはちょうどいいのかもしれない。

「でもさ、やっぱり今日も暑い」

梅雨が明けてからというもの、連日のように暑さが続いていた。

「今日は、どこに行こうかな」

近所を歩き回るのには危険な暑さだし、かといって車がある訳でもないし、家から離れるには電車に乗るしかなかった。

どのみち出かけると決めたのであれば、ほんの少しでもドキドキワクワクが感じられるようなところに行きたい。ただ、そうは言っても今の私がドキドキワクワクするような場所って、一体どこなんだろう。

「たまには、食べ物以外の買い物でもしようかなぁ」

この暑さの中、行ったこともないところをスマホ片手に一人で歩き回る気力も体力もないので、学生の頃によく行ったファッションビルの最寄り駅まで行ってみることにした。

休みの日に電車に乗ると、仕事の日には気にもならない周りの乗客が、どうしても気になってしまう。

どうして、そんなに痩せてるの

どうして、そんなに楽しそうなの

どうして、そんなにキラキラ輝いているの……

「みんな、きっと摂食障害とは無縁の『普通』の人たちなんだよね。私みたいに食べて吐いて、なんてことをしなくても、おいしいものを、食べたいものを楽しく、友達とかと一緒に『普通』に食べているんだよね。私は、みんなが悩みも気にもしないことに拘って、囚われて、一人で悩んで、苦しんでいる。一体、何が違うのだろう。私は、どこで間違ってしまったのだろう」

家にいる時と、同じようなことが頭を駆け巡っていた。それでも、電車の中にいるおかげで、その思考が買い物とか、過食とかにすぐに繋がらないことが救いだった。

「同じように考え事をしていても、さすがに電車の中じゃあ、速攻買い物行こうかな、とかにはならないから、やっぱり自分の置かれている『環境』も大切だし、そういうことも少なからず過食をしてしまうかどうかに影響するのかもしれない」

食べることから離れられる環境に身を置くこと……今の私は、ほんの少しずつだけどそういうことが出来るようになってきている。出来る時には、出来る範囲で、出来ることを一つ一つ積み重ねていく。もちろん、無理してまでやろうとすることは禁物だけれど、そういうことも意識して、昨日と違う今日、今日と違う明日を目指して、考えて、行動に移していく。そんなことを続けられれば、いつかきっとなりたい自分になれる。そう信じて、諦めないことが大切なのだから。

いつの間にか、今日の私が『ドキドキワクワクするような場所』に着いていた。とりあえず、ウィンドウショッピングでもしながら、今日の予定を考えることにした。

ファッションビルというのは、ショップの入れ替わりが随分と目まぐるしい。私がよく来ていた頃の半分くらいは、既に別のショップになっている。いや、もしかしたらそれ以上かもしれない。

「まだ、5~6年くらいしか経っていないはずだけど、随分雰囲気が変わっている気がする。お店もそうだけど、客層も何だか若い子が多いし、ちょっと浮いてるかも」

何となく落ち着かないので、コーヒーでも飲んで少し休むことにした。今日は、まだお昼まで時間があるからか、空席が目立つ。これなら、ゆっくり出来そうだ。

「たまには、食べ物以外の買い物でもしようかなぁ……なんて思っていたけれど、何だか当てが外れちゃった。摂食障害になってしまって、家で食べたり吐いたりしている間に、時代に取り残されちゃった感じ」

まだお昼前だし、これからどうするか、お店が混んでくる前に少し考えてみることにした。

先週行ったゆったりとしたカフェは、メニューにおいしそうなケーキやパフェが並んでいた。

今居る全国チェーンのコーヒーショップにも、ケーキなどのデザートメニューもあるけれど、何となくここでは『頼んでみよう』という気が起きなかった。

一体、何が違うのだろう。

あの時は『お腹が空いていた』ということもあるけれど、今居るお店は、私にとっては『コーヒーを飲む』ところ、というイメージがある。実際、このお店でコーヒー以外の物を頼んだことは、多分なかった。

うまく考えがまとまらないけれど、これも、自分の置かれている『環境』の影響なのだろうか。

食べることから離れられる環境に身を置くこと。

振り返ってみると、ここ最近は、平日の仕事帰りの買い物と過食嘔吐は、ルーチンというか相変わらずやめたくてもやめられないのだけれど、逆に言えば、仕事がある日は朝もお昼も過食はしていないし、しないで過ごすことが出来る。もちろんそれは、夜に過食嘔吐出来ると思うから、たとえ朝やお昼に過食衝動があったとしても抑えることが出来る、とも言える。

そして先週からは、家に閉じこもってただただふさぎ込んだり、ネガティブなことばかり考えた結果過食嘔吐三昧になるくらいなら、あてなどなくてもどこかへ出かけよう、家にこもって考え事をして過ごすことだけは避けよう、と思って、街を彷徨っている。そう、家で自由に買い物したり、過食したり出来る『環境』から離れようとしている。

やっぱりうまくまとまらないけれど、とにかくメリハリをつけて、吐かずに食べる時と、過食嘔吐になってしまう時を分けていく。そしてほんの少しずつでも過食嘔吐になってしまう頻度というか回数を減らしていく。過食の時は割り切って、食べたい物を食べたいだけ食べる。その代わりじゃないけれど、食べることから離れられる環境の時は、出来るだけ過食をしないで過ごしてみる。

「ん?少しまとまったかな。そうそう、いきなり過食嘔吐ゼロにしようとか考えるから、やめたくてもやめられないし、苦しいのかもしれない。自分で自分の『逃げ場』を作って、自分で自分を許してあげないと。息が詰まっちゃうのかもしれない」

自分で自分の『逃げ場』を作って、自分で自分を許してあげないと。息が詰まっちゃうのかもしれない。

確かにその通りかもしれない。元々『完璧主義』な性格だから『0か100か』思考だし、『逃げ場』を作るとか、自分で自分を許すとか、そういうことを考えることすら余りない。私はもっと、いい意味で『自分に甘く』なってもいいのかもしれない。

「そうは言っても、それが出来れば苦労しないんだけどね」

でも、それで終わらせてしまったら話にならないので、そんな『完璧主義』な私でも出来ることを考えないと。

「ん~そうね、例えば今日もどこかのお店で、スイーツか何かをを頼んでみるとか」

グラスを手に取ってみたけれど、とっくにアイスコーヒーは飲み終わってしまって、解けた氷が水になって残っているだけだった。

「氷は、時間の経過や温度変化には逆らうことなく、自然に水へと変化していく。私の思考回路も、この氷のように抗えない事象には素直に従って、自然に、無理なく変わることが出来ればいいのだけれど」

結局、これからの予定なんかそっちのけであれこれと考え事をしてしまった。これからどうするか何も決まっていないけれど、飲むものもなくなったことだし、とりあえずこのお店は出ることにした。

「これからどうしようかなぁ。何か、このビルには私の『居場所』はもう、なさそうだから、少し歩いてみようかな」

外へ出ると、真夏の日差しが容赦なく肌に刺さってくるようだった。お昼近くになって、その日差しはさらに強くなってきている。

「氷は、今居る場所、与えられた環境の中で、解けようが、角が取れようが、水になろうが、文句の一つも言わずに自分の役割を全うしている。もちろん、氷に『意思』がある訳ではないけれど、私も今居る場所、与えられた環境の中で、私の役割とか、使命とか、やるべきこと、やりたいことを目指すべきなのかもしれない

それにしても暑い。フラフラになってしまう前に、地下街にでも逃げ込むことにした。

ここの地下街は、やたらと飲食店が多かった。そろそろお昼の時間だから、どのお店もそこそこ人が入っていた。

「私も、お腹が空き過ぎる前に、何か食べた方がいいかもしれないな」

当たり前と言えば当たり前だけど、おいしそうなメニューだったり、雰囲気が何となくおしゃれだったりするお店は、すでに席が埋まりつつあった。私は、どうしても混雑しているお店は避けたかったので、メニューや雰囲気よりも『空いているか』基準でお店を選ぶことにした。

「はぁ~、食べ物以外の買い物でもしようと思っていたけど、さっきから飲食店にしか来ていないなんて。結局私は『食べること」からは逃れられないのかもしれないな」

そうは言っても、もう席にも案内されてしまったのだから、何を頼むか決めなくては。

メニューを開いてみると、和定食が並んでいた。

「へぇ~『空いているか』しか気にしていなかったから気が付かなかったけれど、ここ和食屋さんなんだ」

一度気にし出すと、それしか見えなくなることはわかっていたけれど、何系のお店なのかも目に入らないなんて、自分の『集中力』に呆れてしまう。

「たまには、身体に良さそうな、栄養バランスの取れたものを食べるのも、悪くないかもしれない。それに、和食ならカロリーも低めなはずだし。今日は、お昼はしっかり食べてみようかな」

メニューには、和定食のランチセットがいくつかあった。焼き魚定食、鶏の唐揚げ定食、かつ丼セット。

「どれもおいしそうだけど、揚げ物は避けたいから、やっぱり焼き魚定食かな」

メニューはおいしそうに見えるけど、他のお店より空いているということは、失礼ながらそんなに味に期待しない方がいいのかもしれない。

「今日のお昼は、味はともかく、栄養バランスとか、野菜や魚が食べられることだけでも身体にやさしいのだから、それはそれで今の私にとっては良かったのかもしれないな」

そうやって、いつもいつも何事も『前向き』に考えることが出来ればいいのだけれど。そういえば、物事には二面性、表と裏があるということを思い出していた。

「お待たせいたしました~」

今日の焼き魚は、鯖の塩焼きだった。思っていたよりも大きくて、おいしそうだった。

「いただきます」

鯖、ひじきの煮物、切り干し大根、お漬物、味噌汁。実家のお母さんの料理を何となく思い出していた。

「今度実家に行く時には、お酒ばっかり飲んでごまかしたりしないで、家族みんなでおいしく、楽しく食べることが出来るようになっているといいなぁ……」

私は、一体いつになったら『普通に』食べることが出来るようになるのだろうか。ある日突然、いつものように仕事帰りにコンビニに寄っても、ハイボールと、いか燻と、サラダチキンと、ブランパンくらいしか買わないで、家でスマホ片手に何となくつまんで、食べ終わったら普通にお風呂に入って、歯磨きして、ストレッチでもして、いつの間にか寝てる……そんな劇的な変化が起こったりしないだろうか。『摂食障害』とか『過食嘔吐』とか、何となく聞いたことはあるけれど、細かいことは良くわからないなぁ……なんて言ったりしないだろうか。たまにはコンビニスイーツでも買ってきて『自分へのご褒美』とか言って、一人でニヤニヤして『やっぱり金曜日の夜はこれだよね』なんて言いながら一口一口味わうようにゆっくりと食べたりしないだろうか。

そんなことはあり得ない。そんなことわかっている。わかっているけれど、そんな夢みたいなことを想像している自分が、情けなくもあり、愛おしくもあった。

先ずはひじきの煮物から食べることにする。 次に、切り干し大根。 食物繊維や野菜を始めに食べることで、血糖値をゆるやかに上昇させて、太りにくい身体を作るとか、食べ過ぎを防ぐなどと聞いたことがある。 それから、お漬物、味噌汁。 これじゃあ、子どもの頃に教わった『ご飯とおかずは交互に食べる』を完全に無視してるけれど、ほんの少しでも『痩せたい、太りたくない』という意識があるのだから仕方がない。 その後に、鯖の塩焼きをいただく。 確か、鯖の油は身体にいい、というのも聞いたことがあった。 『太りにくい』とは違うかもしれないけれど、 血液をサラサラにするとか、頭が良くなるだったかな。 とにかく、唐揚げやかつ丼の油よりはいいはず。 今日は『鯖の油は身体にいい』って自分に言い聞かせて、そのことを信じて、思い切って食べることにしよう。

「うん、脂が乗ってておいしい。 『味に期待しない方がいい』なんて失礼なことを思っていたけど、意外とおいしいくて良かった」

最後にご飯、といきたいところだけど、どうしてランチや定食のご飯って、どこもこんなに『大盛り』なんだろう。

「まるまる残すのもお店の人に悪いし、かと言っておかずもないのにご飯だけ食べることも出来ないし、どうしよう……」

何かいいアイディアはないだろうか。

何のアイディアも浮かばないまま『大盛り』ご飯をまじまじと見つめてしまった。我に返ると、いつの間にか周りがざわざわしてきた気がする。辺りを見回すと、私が入った時に比べて、お客さんで席が埋まっていた。お店の入り口近くでは、順番待ちしているお客さんの並んでいる姿が目に入った。

「お済みのお皿をお下げしてもよろしいでしょうか」

一人で席を占領していることの方が、お店の人にも待っているお客さんにも悪い気がしてきた。

「あっ、全部下げてもらってもいいですか」

「かしこまりました」

思わぬ形で、ご飯を食べなくて済んでしまった。

「まだお昼過ぎか。これからどうしようかなぁ」

頭の中では、これからの予定よりも今までの出来事について考えていた。

……それにしても、世の中何が起こるかわからないし、どこで何がどう繋がるのかもわからない。さっきまで、あの『大盛り』ご飯をどうしたらいいのか、真剣に悩んでいた。醤油をかけて食べるのか、おにぎりにしてもらってテイクアウトを頼むことが出来るのか、こっそりトイレに持っていって流してしまおうか。どれも現実的ではないし、本当にどうすればいいのかわからなかった。ところが『他のお店より空いている』から入ったのに、お昼のピークの時間だからか、気が付いたら満席になっていて、ご飯を残す罪悪感よりも『食べ終わったのだから早く席を空けなきゃ』という思いが勝って、すんなり『全部下げてもらってもいいですか』なんて言うことが出来た。

それに、ご飯というよりも『糖質』を食べずに済んだことと、あわててお店を出てきたことで、吐くとか吐かないとか、過食するとかしないとかを考える余裕もなくて、結果的には吐かずに食べることが出来た。これらのことは、もちろん始めから予定も想定もしていなかったこと。

鯖の塩焼きが脂が乗ってて意外にもおいしかったことだって、全く想定していない単なる『偶然』だった。物事は、周到な準備をして、何度もシミュレーションして、失敗しないように慎重に取り組んでも、うまくいかない時には全くダメで、今日のように予定も想定もしていなくても『偶然』うまくいくこともある。私も、完璧を追い求めるよりも、もっと『偶然』とか『直感』みたいなものを信じてもいいのかもしれない。

私は万能でも、完璧でも何でもない。だからこそ、周到な準備をして、何度もシミュレーションして、失敗しないように慎重に取り組むのかもしれない。そうしなければ、収拾がつかないから。そうしなければ、滅茶苦茶になってしまうから。それでようやく、何とか形になるのだから。

そう、私は、周到な準備をして、何度もシミュレーションして、失敗しないように慎重に取り組む『完璧主義』ではあるけれども『万能』でも『完璧』でもない。『完璧』ではないから『完璧』に憧れて、『完璧』を目指して、完璧な『ふり』をしていただけなのかもしれない。


私は、私のことを過信していたのかもしれない。

私は痩せられる、私は太らない、私は食べ過ぎない、私は私をコントロール出来る……そんな『幻想』を手に入れられるって、信じて疑わなかった。

でも実際は、何一つ手に入れられなかった。自分を過信して、自力で痩せようとしたけれど、ある時行き詰って、過食嘔吐に手を出した。そして、過食嘔吐に縋って、頼ってきた。

そう……私は万能でも、完璧でも何でもない。

それなのに『完璧』に憧れて、目指していた。

どうしても『完璧』でなければならなかった。

そうでなければ自分を保つことが出来なかった。

そうでなければ自分を見失うと思い込んでいた。


私は『私のまま』ではいられなかった。

私は『あるがまま』では許せなかった。

私は絶対変わらなければならなかった。

私は、私ではない『誰か』にならなければならなかった。

そうしなければ、この世の中で生きてはいけないと思い込んでいた。

そうしなければ、私には『明日』はやって来ないと思い込んでいた。


そんな私が目指したのが『痩せたい』だった。

そんな私が辿り着いたのが『痩せたい』だった。


だけど『痩せたい』は私に何ももたらさなかった。

その代わり『痩せたい」は私を苦しみをもたらした。

その代わり『痩せたい』は私に辛い毎日をもたらした……

私は、私がなりたい『私』にはなれなかった。

私は、私ではない『誰か』にはなれなかった。


私は、私と共に生きていかなければならない。

なぜなら、私は『誰か』にはなれないのだから。

私は『完璧』ではない私を許さなければならない。

なぜなら、私は『完璧』にはなれないのだから……

どこをどう歩いていたのか、気が付いたら地上に出ていた。真夏の太陽の光が高層ビルやアスファルトに反射して、昼下がりの街がより一層眩しく感じられた。街を歩いている人たちもどこか楽しそうで、眩しいくらいキラキラと輝いているようだった。

私だけが、そんな華やかな世界には追い付けなくて、一人出口の見えない思考の迷路を彷徨っていた。

「私も、完璧を追い求めるよりも、もっと『偶然』とか『直感』みたいなものを信じてもいいのかもしれない。永遠に『完璧』にはなれない『完璧主義』を、手放してもいいのかもしれない。いつまでも自分にしかわからない、自分にしか通用しないような『拘り』に縋って、依存することはないのかもしれない。私が私を許さなければ、私が私を解放しなければ、私は『その先』の世界へは辿り着けないのかもしれない」

どれくらい歩いていたのだろう。視線の先には、見覚えのあるホテルのラウンジがあった。立ち止まって、しばらくラウンジのカフェを眺めていた。

私が私を許さなければ、私が私を解放しなければ、私は『その先』の世界へは辿り着けないのかもしれない。

私は、何かに導かれるようにホテルに入って行った。そして、躊躇することなくラウンジのカフェへと歩を進めた。

「ここのカフェは確か、フルーツパフェが推しメニューだったはず」

メニューは、じっくりと眺めることなく、お目当てのパフェの名前と、アイスコーヒーがあることだけを確かめて、すぐに注文した。

「お待たせいたしました」

パフェというよりは、芸術品か何かのように美しく盛り付けられたメロンが、ホテルのラウンジという上品な空間ピッタリとはまっていた。食べるのが憚られるような気品さえ漂っている。私は、その『芸術品』を少しだけ眺めてから、ありがたくいただくことにした。

「いただきます」

メロンが甘い。甘くてみずみずしい。砂糖とは違う、自然な甘さが爽やかで、さっきまでの暑さを忘れさせてくれる。

メロン味のアイスやクリームも、甘さが上品で、それでいてしっかりとコクが感じられる。普段食べているコンビニスイーツだって十分おいしいけれど、何だろう、おいしさの『次元』が数段違う気がする。

普通のパフェだと、シリアルが入っているところには、クッキーか何かがあって、これもほんのりメロンの味がする。もう、全部が全部『メロンづくし』だ。

「あぁ、何て贅沢なんだろう。こんなにおいしいとは思わなかった……」


おいしいものを、おいしくいただく。

こんなにシンプルで、当たり前のことを、私は長い間忘れていた。ううん、忘れていたんじゃない、ずっとずっと目を逸らして、見ないようにしてきた。感じないようにしてきた。

おいしいということを、おいしいと感じることを、おいしいと感じることが幸せであるということを、無視して、否定して、拒んできた。

『食べること』は太ることで、いやしいことで、いけないことだって考えに囚われて、憑りつかれたように『食べること』を避けて、なかったことにしようと必死になっていた。

そんな当たり前の幸せを捨ててまで『痩せること』に拘って、拘って、拘り続けてきた。

それで私は、絶対に幸せになれると思っていた。絶対に幸せになれると信じていた。

だけど、痩せて、痩せて、痩せ続けても、いつまでたっても幸せにはなれなかった。

それどころか、痩せて、痩せて、痩せた先には、苦しみと、辛さと、絶望しか待っていなかった。


「私は『食べること』からは離れて『幸せ』になれる方法を探してみたけれど、どうやら『食べること』からは離れられないようね」

『食べること』で壊れてしまった心は、『食べること』でしか癒すことが出来ないのかもしれない……

『たまには、食べ物以外の買い物でもしようかなぁ』なんて思って出かけてみたけれど、行き着く先は『食べること』になってしまった。それでも、今日ここに辿り着いたことには満足しているし、それが単なる『偶然』ではないような気がした。


いつものように考え事をしながら街を彷徨っていたら、見覚えのあるホテルのラウンジが目に入ったこと。

そして、このラウンジのカフェには、以前チェックしていた推しメニューのフルーツパフェがあることを思い出したこと。

その『芸術品』のような見た目通り、いやそれ以上に贅沢で、ただただおいしかったこと。

そのおかげで『おいしいものを、おいしくいただく』という、当たり前のことを心と身体全体で感じることが出来たこと。


「私は、生きていく上での大切な『何か』を、ずっとずっと犠牲にしていたのかもしれない……」

『食べること』は生きること

『食べること』は幸せなこと

『食べること』は楽しいこと

『おいしい』を楽しむこと

『食べること』は嬉しいこと

『嬉しさ』を分かち合うこと

『食べること』はコミュニケーション

『食べること』で人と繋がることも出来る……


『食べること』は、単に『太る』か『痩せる』かだけに関わっている訳ではない。もちろん、必要以上に食べ続ければ『太る』し、適正な制限により『痩せる』ことも出来る。

『食べること』には、もっともっとたくさんの大切な『役割』がある。生きていく上で欠かせないことであり、楽しみでもあり、おいしさを感じることで幸せになれることでもある。

それに『食べること』を通じて、人とコミュニケーションをとること、人と繋がることも出来る。

今まで、私は『痩せること』を優先するあまり『食べること』を犠牲にしてきた。

それは正に、人とコミュニケーションをとること、人と繋がることを犠牲にしてきた、ということなのかもしれない。


人は、一人で生きてはいけない。

私が今まで追い求めてきた『痩せること』は、人とのコミュニケーションや人と繋がることを自ら遠ざけることになっていたのかもしれない。

「そうだよね、今日だって本当は誘えるものなら誰か友達を誘って、一緒に食べることが出来たら、もっともっと楽しくて、おいしいと感じられたかもしれないのに……」

摂食障害になってからというもの、友達とも会わなくなっていたから、いきなり誘うことも出来ず、今日も『お一人様』であてもなく街を彷徨っていた。


『普通に』食べることが出来なくなってからは、誰かと一緒に『食べる』という行為を極力避けてきた。

摂食障害になってしまってからというもの、『何を』『どれだけ』『どれから』『どうやって』食べることが『普通』なのかがわからなくなってしまったから。

友達と会いたい気持ちはあったけれど、会えば『食べること』は避けては通れないから、どこかへ遊びに行くことも、自然と避けるようになっていた。

摂食障害が酷くなってからは、ほとんど誰とも会っていない。でもそれは、半分は仕方がないこと、もう半分は自分で選んだこと。だって私は、みんなが当たり前に出来る『食べること』が『普通に』出来ないのだから。だって私は、妹の由希以外には、自分が『摂食障害』だということを言えずにいたのだから。それに、その方が誰にも気を使わずに済むし、誰にも気を使わせなくて済むのだから。

その結果、いつしか私は誰からも誘われなくなっていたし、私から誘うこともしなくなっていた。

私が今まで追い求めてきた『痩せること』は、人とのコミュニケーションや人と繋がることを自ら遠ざけることになっていたのかもしれない……

それでいいのだろうか

そのままでいいのだろうか

いつまでそれが続くのだろうか


それでいいはずがない

そのままでいいはずがない

いつまでもそんなこと続けられない


だって、私は一人で生きてはいけないのだから。

私だって、本当は寂しくて仕方がないのだから。

私だって、本当はみんなと繋がりたいのだから。

私だって、本当は『普通に』食べたいのだから。

私だって、本当は『痩せたい』訳ではないのだから……

さっきまでは、芸術品か何かのように美しく盛り付けられたパフェを食べて、一人贅沢な気分を存分に味わっていたのに、食べながら考え事をしていたら、今までのもやもやが割と明確な言葉になって頭に浮かんできた。自分で考えた言葉なのに、心の奥をグッと抉られたような痛みが、じわじわと胸に広がってきて、息苦しささえ感じていた。

「私は、今はもう、本当は何が何でも『痩せたい』訳ではなくて、ただ単に

今までの習慣を見直すこと

今までの習慣を変えること

今までの習慣から離れること

今までの自分を見直すこと

今までの自分を変えること

今までの自分から離れること

新しい一歩を踏み出すこと

新しい自分に会いに行くこと

が不安で、怖くて、躊躇っているだけ。その不安や、怖さに向き合うことが出来なくて、向き合う『勇気』が持てなくて、向き合うことを避けるために『痩せたい』に拘って、手放せないだけなのかもしれない……」

『人は変化を嫌う』とか『現状を保とうとする』本能が備わっているとか聞いたことがある。確かに、頭では現状から抜け出したい、昨日までの自分から変わりたいと思っていても、実際に行動に移すことはなかなか簡単には出来ないでいた。

それから『勇気』については先生も確かこう言っていた。

あとほんの少しの『勇気』があれば、必ず克服することが出来る。
自分自身を納得させることが出来る『勇気』ということです。自分自身を認める、自分に〇を付ける、OKと言える『勇気』。

人間の本能がどうであろうと、私は、このままではいたくないし、このままでいいとも思っていないし、いつまでもこんなことを続ける訳にはいかない。

だからさっきだって、お昼ご飯を吐かずに食べたのだし、今だってこうしてパフェを食べている。『普通に』食べることが出来るようになりたくて、そのために吐かずに食べることを目指して、必死になって『今私に出来ること』を探して、続けている。

一方では、今までの習慣や今までの自分を変えること、新しい一歩を踏み出すことは、不安だし、怖くもあるし、躊躇ってしまう。

だけど、そこに向き合うことを避けるための『痩せたい』だとしたら、いつまでたっても『痩せたい』からは逃れられない。私は、本当は『痩せたい』のではなくて『痩せたい』に守られて、安心したいだけなのかもしれない……

アイスがすっかり溶けてしまったパフェは、いつの間にか『芸術品』ではなくなってしまったけれど、いくつか残っている綺麗にカットされたフルーツを見ていると、少しずつ息苦しさが和らいでいくような感覚があった。

スマホで時間を確認する。私は、パフェ一つ完食することも出来ずに2時間も一人で過ごしていたことになる。今から残ったフルーツを食べる気には、とてもじゃないけどなれそうにないので、会計を済ませてホテルを出ることにした。

「あんなにきれいにカットされたフルーツを残すなんて、何だか申し訳なかったな。あれを作るのに、どれだけの時間がかかるのだろう」

そんなことをぼんやりと考えながらも、私にとっての『痩せること』とは一体何なのか、ということが頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。


私は、今はもう、本当は何が何でも『痩せたい』訳ではなくて。
私は、本当は『痩せたい』のではなくて『痩せたい』に守られて、安心したいだけなのかもしれない……

長い間、

『痩せている』ことで自分を保ってきた。

『痩せている』ことが自分の全てだった。

『痩せている』ことで自分を守ってきた。

『痩せている』ことが自分を支えていた。

『痩せている』ことで何もかもが許せた。

『痩せている』ことが心の拠り所だった。

だけどそれは『痩せたい』とはちょっと違うのかもしれない。

『痩せている』ことと『痩せたい』気持ちは、同じではないのかもしれない。

今の私は、以前のような『とにかく痩せたい』と全く同じ気持ちではなくて、痩せていれば『安心』だったり、痩せていればこの先考えなくてはならない『難しい何か』に向き合わなくて済んだり、痩せることだけを考えていればいいと思っていたり、何かそんな感覚があるような気がした。

今の私は、

ただ痩せていればそれで満足

ただ痩せていればそれで安心

痩せていれば全てうまくいく

痩せていれば何もかも許せる

という感覚ではなく、そんな『時期』を今は通り過ぎて、通り越したのではないかという気がした。

「そう、決して『痩せていなくてもいい』とは思っていないけれど、痩せていることよりも『普通に食べる』ことが出来るようになりたいし、痩せていることで失ってしまうもの、例えば友達関係とか、人との繋がりとか、そういうものを捨ててまで痩せよう、とは思っていない。私の中で、物事の『優先順位』が変わってきたのかもしれない」

それなら『普通に食べる』ことが出来るように、

これなら食べてもいい

これなら食べても大丈夫

これなら食べても太らない

これなら食べても安心出来る

というものを自分の中で探して、増やしていけばいい。

そしてそれは、

私がそう思う

私が安心出来る

私がそう信じてる

ということが『大切』なことで、世間一般の常識とか、誰かがこう言ったとか、そういうこととは関係なく、

私の、私による、私のための『マイルール』であればいい。きっと、それでいいのだと思う。

さっきだって、

鯖の油は身体にいい、というのも聞いたことがあった。 『太りにくい』とは違うかもしれないけれど、 血液をサラサラにするとか、頭が良くなるだったかな。 とにかく、唐揚げやかつ丼の油よりはいいはず。 今日は『鯖の油は身体にいい』って自分に言い聞かせて、そのことを信じて、思い切って食べることにしよう。

と思って、油っこい鯖を食べることが出来た。仮に、私の聞いたことが本当じゃなかったとしても、私がそう思って、私が安心出来て、私がそう信じてることが『大切』で、それが正に

私の、私による、私のための『マイルール』

で、私が良ければそれでいい。そんな、私がポジティブになれる『マイルール』を一つ一つ増やしていければ、私が私を『解放』することが出来るかもしれない。

私は、私。

私以上でも、私以下でもない、誰でもない私。

私は、私自身をほんの少しずつ変えていくことは出来るかもしれない。

でも、私はほかの『誰か』ではない。

私は、ほかの『誰か』になれる訳ではない。

私は、ほかの誰にもなることは出来ない。

私は、私。誰でもない、誰にもなれない私。

だから、私がそう思って、私が安心出来て、私がそう信じてることが『大切』なこと。

私は、そんな私といつも一緒で、縁を切ることはできない。だって、一生付き合っていくのだから。死ぬまでいつも一緒なのだから。

ほかの『誰か』になれる訳ではないし、ほかの誰にもなることは出来ない。

もしかしたら、なる必要なんてないのかもしれない。

だって、どこまでいっても私は、私。いつまでも私は、私なのだから。


だったら、私には私だけの物語、私のためのストーリーがあればいいのかもしれない。

私の、私だけの、私のための『物語』。

私の、私だけの、私のための『ストーリー』。

私は、私の『物語』の『主人公』。

私は、私の『物語』の中で生きていく。

私が、私の『物語』を作って、演じていく。

私は、私の『ストーリー』の『主人公』。

私は、私の『ストーリー』の中で生きていく。

私が、私の『ストーリー』を作って、演じていく。

「そうよね、私は私のために生きていく。私が『主人公』の私の『物語』を生きていく。そして、私がポジティブになれる『マイルール』を一つ一つ増やしていければ、私が私を『解放』することが出来るかもしれない」

人は、一人では生きていけない。社会の中で、人との関わりの中で、人との繋がりの中で生きている。だけど、人から言われたことや、社会の価値観が私にとって必ずしも心地よいものではないこともある。そんな時には、私が心地よいと思える、私がポジティブになれることを選択してもいいのかもしれない。だって、私の人生なのだから。私の人生は、私が引き受けるのだから。私の人生は、私が責任者なのだから。もしも私が苦しくて、辛くても誰も責任を取れる訳ではないのだから。


いろいろと考え事をしていたら、何だか疲れてしまった。っていうか、いつも考え事をしている、というよりは、自然と頭の中にいろいろな考えが浮かんできて、そのことを放っておくことが出来なくて、考えざるを得ないというような状況になってしまうのだった。

「結局今日も『食べること』ばかりだったけど、私が心地よいと思えれば、それでいいんだよね。さてと、これからどうしようかな。この暑さだし、今さらどこかへ行く気力も体力もないし、もう帰ろうかな」

やっぱり今日も、相当疲れていたようだった。電車に乗って、運良く空いていた席を見つけると、頭で考えるより先に身体が動いていた。座って一息ついた直後から熟睡してしまった。

(紗希ちゃん、いつでも100点満点じゃあなくたって、いいんだよ。90点だって、80点だって、十分なんだから。紗希ちゃんが精一杯やった結果なんだから、ダメだなんて思わなくたっていいんだよ。人間誰だって、調子のいい時もうまくいかない時もあるもんだよ。また次に100点満点目指せばいいんだから。どんなに立派な人間だって、うまくいかないことはあるもんなんだから、紗希ちゃんだけじゃあないんだよ。それに、もう終わってしまったことをいつまでも考えてても、結果が変わる訳じゃあないからね。それよりも、これからのことを考えることの方が、大事なんだから。おばあちゃん、紗希ちゃんがいつもいつもいっぱい頑張ってること、知ってるよ。そのいつもいつも頑張ってることが、いつか必ずでっかい成功に繋がるんだよ。ほら、さっき買ったお菓子でも食べて。甘いもんは心の栄養だからね、悩んでる時には、ぴったりだよ~)

(お母さんはね、90点や80点じゃあ怒るかもしれんけど、気にせんでもいいんだよ。お母さんにはお母さんの立場ってもんがあるんだから、仕方がないんだよ。紗希ちゃんはさ、何でも『はい』って言って言うことを聞く素直で聞き分けがいい子だから、怒られると落ち込んじゃうけどさ、時には由希ちゃんみたいに聞き流すことも大事なんだよ。いつもいつもまともに聞いてたら、身が持たないよ。ほら、500円持ってさ、お菓子でも買っておいで。おばあちゃんと一緒に食べよう。甘いもん食べると、嫌なこともすっかり忘れちまうからさ)

夢の中で、亡きおばあちゃんが話をしてくれた。

「私は、いつでも『完璧』『100点満点』を目指していた。それが『普通』だったし『当たり前』だった。そうすることを『期待』されていたし、それが出来ると信じていたし、実際そうすることが出来ていた。でも、ある時からそれがだんだん出来なくなってきて、辛くなってきて、自分を責めることが多くなっていった。もしおばあちゃんがその時も、今もずっと生きていて、私のそばにいてくれたら、多分夢の中のように話をしてくれた気がするし、そうだったら私も少しは救われたのかもしれない」

私は、何かしらの『救い』を求めていたのかもしれない。

私は、何かしらの『助け』を求めていたのかもしれない。

私は、ずっと『完璧』から逃れたかったのかもしれない。

私は、完璧から解放される『言葉』が欲しかったのかもしれない。

私は、完璧から解放される『言葉』を待っていたのかもしれない。


夢の中で、亡きおばあちゃんがその『言葉』を話してくれた。

夢の中で、亡きおばあちゃんがその『言葉』を与えてくれた。

ほら、500円持ってさ、お菓子でも買っておいで。おばあちゃんと一緒に食べよう。甘いもん食べると、嫌なこともすっかり忘れちまうからさ。


私は、ずっとずっと痩せたくて仕方がなかった。

私は、ずっとずっと『痩せること』に拘ってた。

私は、ずっとずっと『甘いもん』を避けてきた。


でも本当は、痩せたい訳でも何でもなかった。

本当は、心の底から痩せたかった訳ではなかった。


本当は、おばあちゃんと一緒に『お菓子』を食べたかった。

本当は、おばあちゃんと一緒に『甘いもん』を食べたかった。

本当は、甘いもんを食べて『心の栄養』を摂りたかった。

本当は、甘いもんを食べて『嫌なこと』を忘れたかった。


だけど、私一人では『お菓子』を食べることは出来なかった。

だけど、私一人では『甘いもん』を食べることは出来なかった。


私は、私一人では『完璧』から逃れることが出来なかった。

私は、完璧から解放される『言葉』を見つけることが出来なかった。

だから私は、必死になって『痩せること』で『完璧』から逃れようとした。

だから私は、全てを『吐き出す』ことで『完璧』から解放されようとした。


だけど私は、どんなに痩せても『完璧』から逃れることは出来なかった。

だけど私は、全てを吐き出しても『完璧』から解放されることはなかった。

私は、痩せて、痩せて、痩せ続けて、一体何になりたかったのだろう。

どんなに体重を減らしても、どんなに身体を削ぎ落としても『完璧』から逃れることは出来なかった。

『完璧』を目指すことから逃れることは出来なかった。

『完璧』が『普通』だという呪縛から逃れることは出来なかった。

『完璧』が『当たり前』だという呪縛から逃れることは出来なかった。

『完璧』が『期待』されているという呪縛から逃れることは出来なかった。

『完璧』に何でも出来ると信じることを疑うことは出来なかった。


本当は、何一つ『完璧』に出来ない私は、それでも、いやだからこそ『完璧』を手放すことが出来なくて、『完璧』に拘って、囚われて、憑りつかれたように『完璧』に痩せることだけを追い求めていた。

だけど、そもそも『完璧』ではない私は、『完璧』から逃れることも出来なくて、『完璧』を目指して藻掻いてみたけれど、『完璧』を手に入れることが出来なかった私が『完璧』に痩せることなんて、始めから出来るはずもない、無理な話だったのだ。

やがて、私は『無理』や『我慢』にじわじわと追い詰められて、私の完璧という『幻想』は完全に『破綻』してしまった。

私は、痩せて、痩せて、痩せ続けても、何にもなれなかったし、どこにも辿り着けなかった。


「もういい加減、私が私を解放してあげなければ、一体誰が私を完璧という『幻想』から解放するというのだろう。私が私を許してあげなければ、一体誰が私を許すというのだろう。私は『完璧』でも何でもないし、誰にもなれないし、痩せ続けることも出来ないのだから」

今夜も、月の光が部屋に差し込んでいた。太陽とは違う、柔らかな、それでいて眩しいくらいの光。太陽は、自ら光を出しているけれど、月は、自ら光を出して輝いているのではない。太陽の光を反射して輝いているだけ。それでも、月は、未だに自分の力だけでは変わることの出来ない今の私を象徴しているような気がした。

「自ら光を出して輝かなくてもいい。太陽の光を反射して輝いているだけでもいい。今夜の月のように、暗くて、何もない、殺風景な私の部屋を照らしてくれるような、そんな光を反射してでも出すことが出来たら、何かが変わるのかもしれない。それとも、月の光が、私の部屋だけではなくて、暗くて、何もない、空虚な私の『心』を照らしてくれれば、なかなか踏み出せない『もう一歩』を踏み出す『勇気』が持てるのかもしれない」

そんなことを考えてしまうけれど、それでも『月の光』にはいつもいつも優しく包み込まれているような気がして、何だかとても癒される。

そう、私はいつだって考え過ぎているのかもしれない。考えても考えても答えに辿り着くことが出来ないことや、答えのないようなことをいつまでも考え続けて、自分で自分を苦しめているだけなのかもしれない。

(紗希ちゃん、そんな難しいこと考えたって、疲れちゃうだけだよ。出来ない時は出来んし、出来る時は出来る。世の中の流れに逆らっちゃ、いけないよ。時間が経てば、きっと出来るようになるから。それよりほら、美味しいもんたくさん食べて、力つけないと。治るもんも治らんよ。心配せんでも、小さい頃から紗希ちゃんは何でも出来たんだから、ちょっと考え過ぎて、疲れちゃってお休みしとるだけなんよ。またいつでも話においで、おばあちゃん、いつでも待っとるからね……)

「ねえ、おばあちゃん、私には何が足りないのかしら。あと何があれば全てを吹っ切ることができるのかしら。おばあちゃん、教えて。おばあちゃん、何とか言って。おばあちゃん、おばあちゃん、おばあちゃん……」

(紗希ちゃん、何も足りないことなんてありゃしないよ。あと何がって、これ以上何もなくたって、十分なんだよ。紗希ちゃんは、口には出さないけど誰よりも頑張ってること、おばあちゃんはいつも見て知ってるよ。そのまんまでいいんだよ。そのまんまで立派なんだよ。そのまんまで、何も悩むことなんてないんだよ。ほら、おばあちゃんと一緒にお菓子でも食べよう。甘いもん食べると、悩みだって嫌なことだって、すっかり忘れちまうからさ)

そうだよね、おばあちゃん。『何が足りない』とか『あと何があれば』とか、そんなことばっかり考えているからいつまでたっても何も変わらない、何も変えることが出来ないのかもしれないね。私は私のまま、今の私のままで、今出来ることを一つ一つ積み重ねていけばいいんだよね。今出来ないことは無理してやらなくてもいいんだよね。地味だけど、そういうことを諦めないで続けていけばいいんだよね。ただそれだけ、ただそれだけなんだよね。

(紗希ちゃん、その通りだよ。黙々と、自分の出来ることを一つ一つこなしていく。その積み重ねの先に、でっかい夢が待ってるもんなんだから。地味なことを続けることが出来たもんだけが、でっかい夢を掴むことが出来るもんだよ)

でっかい夢かぁ……私の『でっかい夢』って、一体何なんだろう。でっかいかどうかはわからないけれど、とりあえず『普通に、吐かずに』食べること、が今の『夢』なんだろうなぁ。ねえ、おばあちゃん、私も黙々と、自分の出来ることを一つ一つこなしていけば『普通に、吐かずに』食べることが出来るようになるのかしら。

(紗希ちゃん、それはちょっと違うんだよ。いいかい、黙々と、自分の出来ることを一つ一つこなしていけば『普通に、吐かずに』食べることが出来るようになるんじゃあないんだよ。『普通に、吐かずに』食べることが出来るようになるために、黙々と、自分の出来ることを一つ一つこなすんじゃない。黙々と、無心で自分の出来ることを一つ一つこなし続けたその先に、いつの間にか、自然に『普通に、吐かずに』食べることが出来るようになっている。そういうもんなんだよ。わかるかい?)

黙々と、無心で自分の出来ることを一つ一つこなし続けたその先に、いつの間にか、自然に『普通に、吐かずに』食べることが出来るようになっている。

おばあちゃん、今までの私は、物事の『順序』が逆だったのかしら。物事の『順序』を逆に考えていたのかしら。おばあちゃんの言う通りだとすると、そういうことになるのよね。

私は今まで、摂食障害を克服するために、やめたくてもやめられない過食嘔吐をやめるために、『普通に、吐かずに』食べることが出来るようになるために、今出来ることを一つ一つ積み重ねてきた。摂食障害を克服するすることを諦めないで、気持ちを切らさないように出来ることを続けてきた。

それは、私の『先生』もそう言っていたし、実際私もほんの少しずつではあるけれど、摂食障害の症状も落ち着いてきていたし、良くなっているという実感はあった。

それでも、あともう少しなのにとか、あと一歩がなかなか踏み出せないとか、そんなもどかしさも最近は感じていた。

その『あともう少しなのに』とか『あと一歩がなかなか踏み出せない』とか、そこの部分にもしかしたらおばあちゃんが言っていることが関係しているのかもしれない。

『普通に、吐かずに』食べることが出来るようになるために、黙々と、自分の出来ることを一つ一つこなすことは、全然間違ってはいないと思うけど、心構えとして、何はともあれ黙々と、無心で自分の出来ることを一つ一つこなし続ける。『黙々と、無心で』続けることが、いつの間にか、自然に『普通に、吐かずに』食べることに繋がっていく。だから、あんまり余計なことは考えないで、ただただ『黙々と、無心で』自分の出来ることを一つ一つ積み重ねる。そうすれば、自然に道は開ける……おばあちゃん、そういうことを言っているの?

この私の問いかけに、おばあちゃんは何も答えてはくれなかった……


確かに、今までは○○になりたいから✕✕する、○○になるために✕✕をする、みたいな考えはあったと思う。それに、人はモチベーションを維持するためにも『✕✕をすれば○○になれる』という思いで物事に取り組むことはよくあることだし、決して悪いことではないし、むしろその方が自然で当たり前のことだと思う。

だけど、おばあちゃんが言うように、

黙々と、無心で自分の出来ることを一つ一つこなし続けたその先に、いつの間にか、自然に『普通に、吐かずに』食べることが出来るようになっている。

ということも、それはそれで『あり』なのかもしれない。あんまり余計なことは考えないで、欲を出さないで、『○○のため』という考えも一旦忘れて、ただただ『黙々と、無心で』今出来ることを一つ一つ積み重ねる。その積み重ねやそれを続けることが、ほんの少しずつでも自分を変えることに繋がるのかもしれない。そして、今の自分を完璧という『幻想』から解放することに繋がるのかもしれないし、自分を許すことにも繋がるのかもしれない。つまり『自然に道は開ける』のかもしれない。

とにかく、なりたい自分があろうとなかろうと、自分がどんな状況であろうと、今自分に出来ることに集中して、一つ一つ真摯に取り組む。『黙々と、無心で』続ける。その積み重ねが、いつか必ず自分にとって良い方向、良い結果に結び付く。そう信じて、諦めないで続けていく。そういうことなのかもしれないし、それしかないのかもしれないし、それが全てなのかもしれない。おばあちゃんが私に言いたかったことは、おそらくそういうことなのだと思う。

……こんばんは、この2週間は、いかがお過ごしでしたか?『成功体験』を積み重ねること、それから物事には必ず二面性がある、ということを意識して、考えたり行動することは出来ましたか?

「はい、そうですね……そういえば休みの日に、家に閉じこもってただただふさぎ込んだり、ネガティブなことばかり考えるくらいなら、どこかへ出かけた方がいいと思って電車に乗ったんです。私、いつものことなんですけど、考え事をしているとボーっとしちゃって、気が付いたら先生のところの最寄り駅に着いていたんです。それで、商店街を気分転換にすこし歩いてみようかな、って思ったんです」

そうですか、この近くにいらっしゃったのですね。

「そうです。それで、ゆっくりと落ち着けそうなカフェでコーヒーでも飲もうかと思ったんですけど、どこも空いてなくて。仕方なく、ちょっと大き目の公園があったので、ベンチに座ってお昼でも食べようかな、と思って」

ああ、○○公園のことかな。

「しばらく座って、遊んでいる子供たちを眺めていたりしてたんですけど、その日は結構暑くて、さすがに室内でゆっくりと落ち着いて、冷たいものでも飲みたいなぁ、と思って。もう一度カフェに行ってみたら空いていたので、そこに入ったんです」

そうですね、ちょっと前までは暑かったですものね。

「それで、メニューを眺めていたら、何となく

……私も、私なりに、今私が出来ることを考えて、行動して、ほんの少しでも昨日と違う今日、今日と違う明日を過ごさなければ、どこにも辿り着けないのかもしれない。

と思って、思い切ってパフェを頼んだんです」

ほう、パフェですか。

「はい、いつもだったらカロリーとか脂質とかが気になって、とてもじゃないけど外で食べるなんて考えられないんですけど、その日は思い切って食べることにしたんです」

そうですか。それで、どうでしたか。

「はい、思い切って一口食べたらとってもおいしくて、とっても幸せな感じがしました。それからは、どこからどう食べたのか、思い出せないくらい夢中になって食べました」

そうでしたか。それからは、どうなさったのですか。

「はい、その時は多分すごい疲れていたんだと思うんですけど、もっと何か食べたいとか、トイレに行かなきゃとか、そういうこともあんまり考えられなくて、そのまま帰ることにしました。いろいろ考えることが、何だか『面倒くさい』って感じになっちゃって」

『面倒くさい』ですか。

「そうですね、その時は疲れて身体が重いのと、頭がうまく働かないこともあって『おいしいものを、おいしく食べられたのだから、今日はカロリーとか太るとか、そんなことは気にしないようにしよう』って思えたんですよね」

『おいしいものを、おいしく食べられた』……素晴らしい言葉ですね!

「ありがとうございます。それで、その時は『偶然が重なっただけだったけど、結果的にはおいしいパフェを食べることが出来たし、吐くこともしなかった。うまくいく時って、案外そんなものなのかもしれない』と思ったんです」

なるほど『偶然が重なっただけだったけど、うまくいく時って、案外そんなもの』ですか。

「そうですね、

今の私は、特に『痩せること』や『食べること』については、綿密に計画を立てたとしても、あるいは何回も頭の中でシミュレーションを繰り返したとしても、思い通りにいかないことがほとんどなのだから、偶然が重なった結果だとしても『吐かずに食べる』が出来たのであれば、それは『成功体験』と言ってもいいのではないだろうか。

とも思いました」

なるほど。おっしゃる通り、立派な『成功体験』だったのではないでしょうか。摂食障害になってしまったから、ということではなくても、誰しも成功しようと思って、思い描いた通りに成功出来る、という訳ではありません。そこには『偶然』とか『予期せぬ出来事』などが重なったり、互いに影響しあったりして、結果として『成功』する、ということはよくあることです。ですから『結果的にはおいしいパフェを食べることが出来たし、吐くこともしなかった』ことは、ご自分の自信に繋がる貴重な経験だったのではないでしょうか。

「そうですか、そう言っていただけると、何だかほっとします。それから、次の週末も、相変わらず何のあてもないけれど、家にこもって考え事をして過ごすことだけは避けようと思って、出かけたんです。たまには、食べ物以外の買い物でもしようと思って、久しぶりに学生の頃によく行ったお店に行ってみたんです」

そうですか、何か、気に入ったものでも買えましたか。

「それが、私が行ったのは洋服屋さんとかがいくつも入っているビルだったんですけど、お店も随分入れ替わってしまったし、周りのお客さんも若い子が多くて、何だか『浮いてる』っていうか、落ち着かなくて。それで、そのビルは出て、別のところでお昼でも食べることにしたんです」

そうですか、それはちょっと残念でしたね。

「そうですね、私が『痩せること』や『食べること』ばかりを気にして、拘っているうちに、いつの間にか世間に置いて行かれたような、そんな感じがしてしまいました」

まあ、そういうことでもないとは思いますが。

「それで、たまたま入ったお店が和食屋さんだったので『たまには、身体に良さそうな、栄養バランスの取れたものを食べるのも、悪くないかもしれない。それに、和食ならカロリーも低めなはずだし。今日は、お昼はしっかり食べてみようかな』って思って、食べてみることにしたんです」

そうですか。それで、どうでしたか。

「はい、鯖の塩焼き定食だったんですけど、とりあえずひじきの煮物や切り干し大根とかから慎重に食べ始めたんです。それで、一通り野菜とかの副菜を食べた後に鯖の塩焼きを食べたんですけど、これが脂が乗ってて結構おいしくて。一応脂質だから気にはなったんですけど、鯖の油は身体にいいとか、 血液をサラサラにするとか、頭が良くなるということを聞いたことがあったし、『太りにくい』とは違うかもしれないけれど、唐揚げやかつ丼の油よりは身体にいいはずだって自分に言い聞かせて、そのことを信じて、思い切って食べたんです」

なるほど、油は油でも、揚げ油よりはいいんじゃないかと。

「そうですね。それで、鯖も食べ終わったんですけど、最後にご飯が残ってしまって」

ご飯だけではなかなか食べにくかったのではないですか。

「そうですね、しかも、定食のご飯って、なぜか『大盛り』なんですよね」

そうですね、そうかもしれませんね。

「おかずも食べ終わってしまったし、白いご飯はどうしても『糖質』の塊にしか思えないし、おまけに『大盛り』だし、かといってまるまる残すのもお店の人に悪いし、どうしようか考え込んでしまったんです」

なるほど。それで、どうされたんですか。

「はい、入った時は空いていたお店が、待っているお客さんが結構いたらしく、店員さんが『お済みのお皿をお下げしてもよろしいでしょうか』って言ってきたんです。だから思わず『全部下げてもらってもいいですか』って言ったら、ご飯も全部下げてくれて。それで、食べずに済んだんです」

そうだったんですか。

「そうなんです。それで、

物事は、周到な準備をして、何度もシミュレーションして、失敗しないように慎重に取り組んでも、うまくいかない時には全くダメで、今日のように予定も想定もしていなくても『偶然』うまくいくこともある。私も、完璧を追い求めるよりも、もっと『偶然』とか『直感』みたいなものを信じてもいいのかもしれない。

って思ったんです」

なるほど。そうですね、一般的には周到な準備やシミュレーションは、成功の条件だと思いますが、必ずうまくいく、とは限りません。そこには、予期せぬ出来事や想定外のハプニングが起こることもありますし、そもそも人間のやることというのは、機械のようにいついかなる時でも正確に実行出来る訳ではありません。ですから、残念ながら見落としがあったり、プレッシャーが精神面や身体面に影響して微妙に歯車が狂うこともあるでしょう。一方、おっしゃる通り『偶然』が重なってうまくいくこともあるでしょうし、『直感』で選択したことが結果的に良かった、ということもあります。摂食障害になってしまう方の中には、いわゆる『完璧主義』的な性格の持ち主が多いので『周到な準備をする』ことや『何度もシミュレーションする』こと、あるいは『失敗しないように慎重に取り組む』ということが当たり前、というか『日常』かもしれませんが、場合によっては『偶然』や『直感』ということを信じてもいいかもしれませんね。

「そうですね。私は、もしかしたら『完璧』ではないから『完璧』に憧れて、『完璧』を目指して、完璧な『ふり』をしていただけなのかもしれない……そんなことも考えていました」

そうですか。確かに、仮に真の『完璧』というものがあるとするならば、そういう方はもしかしたら『完璧に』準備して『完璧に』シミュレーションして『完璧に』取り組んで……なんてことすら考えないのかもしれませんね。無意識に、あるいは自然に、目指すこともなく淡々と『完璧に』こなせるのが、真の『完璧』なのかもしれません。

「真の『完璧』ですか。そうですね、本当の意味で『完璧』な人がいるとするならば、完璧であるかどうかなんて、いちいち気にしていないのかもしれませんね」

そうですね、おっしゃる通り、『完璧』ではないから『完璧』に憧れて、『完璧』を目指して、『完璧』を意識するのかもしれません。

「そう考えると『完璧』とか『完璧主義』とかって、一体何なんでしょうね。突き詰めて考えていくと、何が何だかだんだんわからなくなってしまいます」

まあ、人間いろいろなことを突き詰めて考える、ということは必要なことですし、決して悪いことではありませんが、考え過ぎることで迷ってしまったり、不安になってしまう時には、おっしゃる通り『偶然』や『直感』ということを信じてもいいかもしれませんね。それに『完璧』というのは、指標の一つであって『完璧』になることを追及し過ぎるものではないと思います。さっきも言いましたが、そもそも人間のやることに『完璧』とか『絶対』ということはあり得ないのです。ですから『完璧』というのは、あくまで目安であり、目指すべき理想であって、辿り着くことを前提にしたものではないのです。そこを追求し過ぎると、辿り着けない時に自分自身が苦しくなってしまうと思いますよ。

「そう、先生、そうなんです。結局自分が決めた『完璧』とか『理想』とかって、ハードルが高過ぎるのかどうかわからないのですけれど、辿り着けないことがほとんどで、それで自分を責めたり、自己嫌悪に陥ったりして、苦しくなったり辛くなってしまうんですよね……」

そうだと思います。そんな時には、どうしたらいいのか……『許し』や『救い』というかたちの『逃げ場』を作る、ということを試してみてはいかがでしょうか。

「許しや救いという『逃げ場』ですか」

そうです。例えば、先ほどおっしゃっていた『ハードルが高過ぎる』と感じているのであれば、私が何度かお伝えしている『今出来ることに目を向けて、出来ないことを無理してやらない』ということを思い出して、今出来ることを一つ一つ積み重ねる、というかたちでご自分を『許す』。あるいは、今は出来ないけれど、諦めないで続けていればいつかは出来るようになる、という『救い』の手をご自分に差し伸べる。そういった『逃げ場』をどこかに用意しておくことで『完璧』に辿り着くことを追求し過ぎたり、辿り着けない時に苦しくなったりすることをほんの少しでも軽減出来るように心掛けてみるのです。

「先生、それってつまり『まあいいか思考』みたいなことですよね」

そうですね、自分のなかにある正解を絶対だと思わないとか、許容範囲を広くする、などと言われることもあります。本来は、ほんの少しでも良いものをとか、一つでも上を目指す、ということは決して悪いことではありません。しかし、摂食障害になってしまう方に多くみられる『完璧主義』的な性格は、何のためにやっているのかとか、どういう結果を得たいのか、という物事の本質よりも、ともすれば『完璧』にすることを最優先にしてしまったり、そのことに拘り過ぎる余り、自分の思い描く『完璧』からズレた時に自分自身を追い詰めてしまったりすることがあるのです。ですから、そういった性格的傾向を自分自身で認識し、意識して『許し』や『救い』というかたちの『逃げ場』を作る、ということをやってみるのもいいのではないでしょうか。

「先生、本当にそうなんです。『完璧』に拘って、囚われる余り『完璧』しか見えなくなって、そのことしか考えていなかったりするんです。本当は、今何をすべきかということが一番大切なんですけど、それよりも『完璧』かどうか、ということばかりが気になってしまったりするんです。でも、その『完璧』のハードルが高過ぎて、結局思うように出来なくて、出来ない自分にイライラしたり、自己嫌悪に陥ったり、自分を『ダメ』だと責めたりしてしまうんです。だから、先生の言うように意識して『許し』や『救い』というかたちの『逃げ場』を作るようにしないと、ますます自分で自分を追い詰めることになってしまうのだと思います」

そうですね、さっきも言いましたが、『完璧』を目安、目指すべき理想にして、ほんの少しでも良いものをとか、一つでも上を目指す、ということは決して悪いことではありません。ただ、自分で思い描く『完璧』と、実際の結果がズレてしまったとしても『そんなこともあるよね、まあいいか。また今度出来るようにやってみよう』と、自分で自分を許し、自分で自分を救い、自分で次の道を切り開くということ。そして、自分で自分を追い詰めない、ということを、頭の片隅に覚えておいていただけたら、ほんの少しでも気持ちが楽になるのではないでしょうか。

「そうですね、本当にその通りだと思います。だけど、頭ではわかっていても実際にそう思えるかどうか、となると、なかなか難しいんですよね。何ででしょうか、私の何がいけないのでしょうか。私の何が邪魔をしているのでしょうか……」

そうですね、おっしゃる通り『わかっているけれど、なかなか出来ない』ということは、誰しも経験することだと思います。それは、人間の持つ『変わろう』とするときに『変わらないように』働く本能が『無意識』に働くという特性にもよるでしょう。あるいは、自分は『わかっているけれど、なかなか出来ない』のだと強く思い込んでいる、ということにもよるのではないかと思います。あなたがそうかどうかは別として、今までの経験上『わかっているけれど、なかなか出来ない』ということが重なると『自分はそういう人間なんだ』という『思い込み』が強くなり、ますますそうなってしまう、というかそう意識することしかしなくなる、ということがあると思います。

ちょっと話がずれるかもしれませんが『人は自分が見たいものに意識を向けている傾向がある』と言われています。無意識の思い込みというか、潜在意識が自分自身の『可能性』を狭めてしまう、ということがあるのではないでしょうか。

「無意識の思い込み、潜在意識が『可能性』を狭めてしまう、ですか」

そうです。ですから、逆にこう考えてみてはいかがでしょうか。

自分が思い通りに考えたり行動したりすることが出来ない理由の一つは、自分は出来ない、という思い込みが原因かもしれない。それはあくまで『思い込み』なだけなのだから、自分はもしかしたら出来るかもしれない、と思い込むことも出来るかもしれないし、そう思い込むことで本当に出来るかもしれない。

「自分は出来る、と思い込む……何かの暗示とか、催眠術のようですね」

まあ、そうですね。そう言われればそうかもしれません。しかし、意識するとか、思い込む、ということで脳や身体に働きかけて『考え方が変わり、行動が変わり、結果が変わる』ということや、その効果は実際にあるとも言われています。ですから、そういう『自己暗示』を信じてかけてみたり、ご自分の性格や考え方に合わせて上手に利用してみたりする、というのも一つの方法だと思いますよ。

「なるほど『自己暗示』ですか。私は出来る、と思い込むと『考え方が変わり、行動が変わり、結果が変わる』のですね。本当にそうなるといいのですけど……」

なりますとも。ただ、本当にそうなるかどうかは、どれだけ『考え方が変わり、行動が変わり、結果が変わる』ということを信じることが出来るか、にかかっているのではないでしょうか。

「わかりました、出来るだけ『自分は出来る』と思い込んで、信じてやってみます。……あのう先生、話は変わるんですけど、私夢をみたのです。その話をしてもいいですか」

もちろんです。それで、どんな夢をご覧になったのですか。

「はい、亡くなったおばあちゃんが私に語りかけてくれた夢なんですけど。私がおばあちゃんに

ねえ、おばあちゃん、私も黙々と、自分の出来ることを一つ一つこなしていけば『普通に、吐かずに』食べることが出来るようになるのかしら。

って問いかけたら、

紗希ちゃん、それはちょっと違うんだよ。いいかい、黙々と、自分の出来ることを一つ一つこなしていけば『普通に、吐かずに』食べることが出来るようになるんじゃあないんだよ。『普通に、吐かずに』食べることが出来るようになるために、黙々と、自分の出来ることを一つ一つこなすんじゃない。黙々と、無心で自分の出来ることを一つ一つこなし続けたその先に、いつの間にか、自然に『普通に、吐かずに』食べることが出来るようになっている。そういうもんなんだよ。わかるかい?

って話してくれたんです」

なるほど、『黙々と、無心で自分の出来ることを一つ一つこなし続けたその先に、いつの間にか、自然に『普通に、吐かずに』食べることが出来るようになっている』ですか。

「そうなんです。それで、こう思ったんです。

私は今まで、摂食障害を克服するために、やめたくてもやめられない過食嘔吐をやめるために、『普通に、吐かずに』食べることが出来るようになるために、今出来ることを一つ一つ積み重ねてきた。摂食障害を克服するすることを諦めないで、気持ちを切らさないように出来ることを続けてきた。
それでも、あともう少しなのにとか、あと一歩がなかなか踏み出せないとか、そんなもどかしさも最近は感じていた。
その『あともう少しなのに』とか『あと一歩がなかなか踏み出せない』とか、そこの部分にもしかしたらおばあちゃんが言っていることが関係しているのかもしれない。
『普通に、吐かずに』食べることが出来るようになるために、黙々と、自分の出来ることを一つ一つこなすことは、全然間違ってはいないと思うけど、心構えとして、何はともあれ黙々と、無心で自分の出来ることを一つ一つこなし続ける。『黙々と、無心で』続けることが、いつの間にか、自然に『普通に、吐かずに』食べることに繋がっていく。だから、あんまり余計なことは考えないで、ただただ『黙々と、無心で』自分の出来ることを一つ一つ積み重ねる。そうすれば、自然に道は開ける……

そういうことなのかもしれないって。今までの私は、物事の『順序』が逆だったのかもしれないって。物事の『順序』を逆に考えていたのかもしれないって」

なるほど、物事の『順序』を逆に考えていたのかもしれない、ですか。

「はい、先生のおっしゃるように、今出来ることを一つ一つ積み重ねることはもちろん大切なのですが『積み重ねれば何とかなる』的な考え、心構えではなくて、何はともあれ黙々と、無心で自分の出来ることを一つ一つ積み重ねる。そのことを『黙々と、無心で』続けた先に、いつの間にか、自然に『普通に、吐かずに』食べるという結果がついてくるし、結果に繋がっていく。そういうことなのかもしれないんじゃないか、って思ったのです」

そうですか。確かに、そういう考え方もありますね。私が、常々言ってきた『今出来ることを一つ一つ積み重ねる。諦めないで続ける』ということを、例えば『先生の言った通りにしていれば、いつかは必ず摂食障害は克服出来るのですね。先生、そう言いましたよね。でも、なかなか良くならないじゃないですか。どうしてですか。どうなっているのですか。先生は、噓をついたのですか』というように、完全に人任せにしてしまっては、良くなるものも良くならない、ということかと思います。

確かに、私は『今出来ることを一つ一つ積み重ねる。諦めないで続ける』と言いましたが、ご自分でも『今出来ることを一つ一つ積み重ねる。諦めないで続ける』ことが摂食障害の克服に繋がるのだという、そういう思いを持っていていただきたいし、もっと言えば、摂食障害の克服に繋がるから『今出来ることを一つ一つ積み重ねる。諦めないで続ける』のだけれども『それだけやっていればいいんでしょう?』的なスタンスよりは『何はともあれ黙々と、無心で自分の出来ることを一つ一つ積み重ねる。今の私にはそれしかないし、それが全てなのだから』というある種の謙虚さ、というか真摯な姿勢があった方が、ほんの少しずつでも結果に近づいていくのかもしれませんね。

「先生、やっぱりそういう心構えというか、意識することというか、そういったものも必要なのでしょうか」

そうですね、先ほども言ったように、心構えというか、意識するとか、思い込む、ということで脳や身体に働きかけて『考え方が変わり、行動が変わり、結果が変わる』ということは十分にあり得ることなので、まずはご自身がそのことを信じて実践する、ということが大切なことだと思います。

「そうですよね。やっぱり、謙虚さとか、真摯な姿勢とか、心構えとか、意識することとか、思い込みとか。それから『いつか必ず克服出来る』と信じることとか、諦めない気持ちとか。そういうことを忘れないで、持ち続けることが、自分の考え方に影響して、考え方が変わってくれば行動にも影響して、そして行動が変わってくれば、いつの間にか、自然に結果に繋がっていくし、よく言われているように結果は後からついてくるものなのかもしれませんね」

おっしゃる通りです。『気の持ちようで現実は変わる』ということを一度は耳にしたことがあるかもしれません。人の精神状態は気の持ちようだったり、かけられる言葉によって左右されるものなのです。ですから、ご自分の一番身近な存在、常に一緒にいる『あなた自身』が普段思っていることや、言葉にすることなどが、メンタル面に大きく影響を及ぼし、精神状態が左右されるのです。

「自分の一番身近な存在は『自分自身』……確かにそうですね。その自分自身の思いや考えていること、発する言葉によって、精神状態が左右される……」

そうです。ですから、心構えとか、意識することとか、そういったものも必要ですし、非常に大切なことなのです。それでは、次回お会いするまでに、『考え方が変わり、行動が変わり、結果が変わる』ということを意識して、信じて実践してみてください。

「はい、わかりました。『考え方が変わり、行動が変わり、結果が変わる』ということを信じる、ですね。やってみます」

先生に言われた『考え方が変わり、行動が変わり、結果が変わる』ということと、おばあちゃんが言っていた

いいかい、黙々と、自分の出来ることを一つ一つこなしていけば『普通に、吐かずに』食べることが出来るようになるんじゃあないんだよ。『普通に、吐かずに』食べることが出来るようになるために、黙々と、自分の出来ることを一つ一つこなすんじゃない。黙々と、無心で自分の出来ることを一つ一つこなし続けたその先に、いつの間にか、自然に『普通に、吐かずに』食べることが出来るようになっている。そういうもんなんだよ。わかるかい?

が、頭の中をぐるぐると、交互に駆け巡っていた。

『自己暗示』じゃないけれど、今出来ることを一つ一つ積み重ねることが、ほんの少しでも、たった一歩でも進むことに繋がると信じて、昨日よりも今日、今日よりも明日がより良い日であると信じて、諦めないで気持ちを切らさないで続けること……ただそれだけを考えて一日一日を過ごしいく。それしかないのかもしれないなぁ。

(紗希ちゃん、信じることは大事だよ。昔っから『信じる者は救われる』って言うくらい、信じることは大事なことなんだよ。何をやるにしたって、半信半疑だったり、疑ってかかったりしてたら、うまくいくこともうまくいかないし、思うような結果にならなかったりするもんなんだよ。それに、おばあちゃんは紗希ちゃんならどんなことでも乗り越えられるって、信じてるよ。おばあちゃんが信じてるんだから、いつかきっと乗り越えられるんだって、紗希ちゃんも信じていなきゃ。余計な心配なんかしなくていいんだよ。あんまり難しいことばっかり考えてると、栄養が足らなくなっちまうから、甘いもんでも食べて少し休んだ方がいいよ。甘いもんは心の栄養なんだから)

おばあちゃん、そうだよね。私が私のことを信じなければ、自分の一番身近な存在、常に一緒にいる『自分自身』が信じなければ、誰にも信じてもらえないよね。私が私を信じて、私が私を大切にして、私が私を許して……今までの私には、そういうことが足りなかったのかもしれないね。頭で考えることばかり優先して、痩せることばかり追い求めて、食べることをおろそかにして、身体のことをろくに考えないで、無茶ばっかりしてきたよね。これからは、私が私に優しくしないと、自分自身からも愛想をつかされてしまうかもしれないね。私は自分自身とは一心同体、一生のお付き合いがこれからもずっとずっと続いていくのだから、手を取り合って、助け合って、仲良くやっていかなければならないよね。

そう、私が私を大切にしないと、私が私に優しくしないと、私は私と一生付き合っていくのだから。どれだけ痩せたって、何にもなれないのだから。たとえ私の身体が回復出来ないほどのダメージを受けてしまったとしても、健康な身体と取り替えることは出来ないのだから。たとえ私の心が回復出来ないほどのダメージを受けてしまったとしても、キラキラした誰かの心と取り替えることは出来ないのだから。私は自分自身とは一心同体、どんなに納得いかなくったって、どんなに認めたくなくたって、私のことをすっかり捨て去って、どこかの誰かと入れ替わることなど出来ないのだから。私は私、どんなにボロボロになったとしても、どんなに重苦しい思いを引きずっているとしても、一生のお付き合いがこれからもずっとずっと続いていくのだから。私が私を信じて、私が私を大切にして、私が私を許して、私が私に優しくしなければ。一番身近な存在である私自身が、もっともっと私のことを気にかけてあげなければ、一体誰が私のことを考えてくれるというのだろう……

「そうだよね、おばあちゃん。どんなことでも乗り越えられるって、信じていなきゃね。おばあちゃんが信じてくれているのに、私が私のことを信じてあげなければいけないね。そうそう、甘いもんは心の栄養なんだから、何か買ってきて食べようかしら。私の家にはね、甘いもんは一つも置いていないの。置いておくとね、必要以上に食べてしまうから。そうだ、おばあちゃんもいっしょに何か食べよう。おばあちゃんは大福とかどら焼とか、あんこが好きだったよね?私すぐに買ってくるから、ちょっと待っててね」

とりあえず、財布とスマホを手に家を後にした。たまには大福とかどら焼とか、あんこが入っている和菓子を買ってみるのもいいかもしれない。

せっかく和菓子を買うのなら、コンビニではなくて和菓子屋さんで買ってみたかった。でも、和菓子屋さんなんてほとんど行ったことがないから、どこに行けばいいのかも、どこにあるのかもよくわからなかった。

「こういう時には、スマホだよね~」

検索してみると、意外と地元にも和菓子屋さんがいくつかあることにちょっとびっくりしてしまった。

「やっぱり、スイーツとかの洋菓子屋さんみたいに、気にしていたり注目していることは自然と目に入りやすいけれど、行ってみようとも思わないと、全然目に入らないものなのね」

人は自分が見たいものに意識を向けている傾向がある、っていう、確かカラーバス効果だったかな?こんなところにもそんな現象が影響しているのだなぁ……って、我ながら感心してしまう。

口コミと、大福とかどら焼が推しのお店に行ってみることにした。

「いらっしゃいませ~」

ちょっと本格的な和菓子屋さんなんて、もしかしたら初めてかもしれない。淡い感じの色合いだから、ケーキ屋さんみたいなキラキラした感じではないけれども、それでも色とりどりの季節を感じさせるような和菓子の数々に、何だかほっこりした気持ちになった。

「大福とかどら焼だけが『和菓子』じゃないものね。せっかくだから、いくつか買ってみようかな」

大福、どら焼き、それと秋らしい『柿』と『栗』を表現した練り切りを買って帰ることにした。

「ただいま~。おばあちゃん、おばあちゃんの大好きな大福とどら焼きと、それから『柿』と『栗』の形をしたかわいらしいお菓子を買ってきたよ。すぐにお茶を入れるから、いっしょに食べよう」

おばあちゃんがそこにいると思って、お茶も二杯入れることにした。家には、和菓子に見合うような食器はないけれど、それらしいお皿に並べてみた。外はまだまだ暑いけれど、殺風景な私の部屋に『柿』と『栗』のお菓子が『秋』を運んできてくれて、ほんの少しだけ華やいだ気がした。

「おばあちゃん、この『柿』と『栗』のお菓子、本当にかわいいね。食べるのがもったいないくらい。でも、せっかく買ってきたんだから食べよう。これを食べて、私の心にも栄養をつけないと。甘いもんは心の栄養だもんね。それじゃあ、いただきます」

和菓子なんて滅多に食べないから知らなかったけど、練り切りは四季折々の植物や風物詩を型どった和菓子で、見た目は芸術品のようだけど、味は『柿』と『栗』ではないようだった。おいしいはおいしいのだけれど、どこまでもあんこの味、という感じだった。この前ホテルのカフェで食べたフルーツパフェは、芸術品か何かのように美しく盛り付けられていて、なおかつアイスやクリームやクッキーもメロンの味がした。見た目も味も、パフェ全体で『メロン』を感じることが出来た。和菓子は、ケーキなどの洋菓子とはそういうところが違うのかもしれない。

「おばあちゃん。私にとって甘いもんっていうと、いつもはケーキとかの洋菓子なんだけど、たまには和菓子もいいよね。お茶と和菓子。何だかほっこりするよね」

(紗希ちゃん、ケーキもいいけど、和菓子もたまにはいいもんだよ。あんこだって、とろけるようにおいしいんだから。紗希ちゃんは若いからいいけど、おばあちゃんにはケーキなんかのクリームはちょっとしつこくてねぇ。こんぐらいのちっちゃい『柿』とか『栗』とか、大福くらいで十分なんだよ)

「おばあちゃん。私もね、本当はケーキなんかのクリームはちょっとしつこくて、そんなに食べたい訳じゃないの。おばあちゃんみたいに、ちっちゃい和菓子とお茶とか、そんなちょっとしたおやつの時間を楽しみたいの。おばあちゃんと一緒にたわいもないおしゃべりなんかしながら、ゆっくりと過ごしたいの。でもね、何でかなぁ……一人でいるとね、甘いもんをたくさんたくさん食べないと気が済まなくなってしまうことがあるの。きっと、おばあちゃんが今でもそばにいてくれたら、全然そんなこと思わないと思うんだけどね。あっ、ごめんなさい。そんなこと言われてもおばあちゃんにはどうにも出来ないよね……」

何だか喉が渇いたので、お茶を一口飲んだ。今日は、おばあちゃんと一緒だと思うと、こんなに小さくて、少ない和菓子とお茶だけでも十分満足だった。

おばあちゃんが今でもそばにいてくれたら、甘いもんをたくさんたくさん食べないと気が済まないなんて全然思わない、だなんて、私はただ寂しいだけなのかしら。誰かがそばにいてくれたら、食べずにいられるのかしら。もしもおばあちゃんが今でもそばにいてくれたら、本当にいてくれたら、食べることなんてそんなに考えないでいられるのかしら。

そんなことを考えながら、もしかしたら私は、例えば『寂しい』とか、そういう何かしらの『満たされない思い』を、食べることで埋め合わせているのかもしれない、という気がしてきた。

甘いもんや、油ものをひたすら食べて、食べて、食べ尽くして、もうこれ以上飲み込めない、というところまで詰め込んで、そして吐く。吐いて、吐いて、吐き尽くして、もうこれ以上何も吐き出せない、というところまで吐いて、何も出ないことを確認して、それでやっと安心して眠る。

『満たされない思い』を埋め合わせようと、必死になって食べて、食べ尽くして、詰め込んでも、心の中は全然埋まらなくて、全然満たされなくて、結局『これじゃない』って思って、全て吐き出す。

今までずっと、痩せたくて、痩せたくて、痩せたくて仕方がないから食べたくて、食べたくて、食べたくて仕方がなくなってしまうものだと思っていたし、痩せたくて、痩せたくて、痩せたくて仕方がないから吐いて、吐いて、吐き尽くしていたのだと思っていた。

もちろん、その気持ちは嘘でも何でもないけれど、でも、もしかしたら、空っぽで、何をしても埋まらない心を満たしたくてひたすら食べて、食べて、食べ尽くしていたのかもしれない……

もしそうだとすると、私の『空っぽの心』が満たされたり、私の『満たされない思い』が満たされたりすれば、もしかしたら自然に『普通に、吐かずに』食べることが出来るようになるのかしら。何かはわからないけれど、私の『心』や『思い』を満たすことが出来る『何か』があれば、その『何か』を見つけることが出来れば、痩せたくて、痩せたくて、痩せたくて仕方がない思いや、食べたくて、食べたくて、食べたくて仕方がない気持ちも満たされて、自然に治まっていくのかしら。

おばあちゃんが言うように、

黙々と、無心で自分の出来ることを一つ一つこなし続けたその先に、いつの間にか、自然に『普通に、吐かずに』食べることが出来るようになっている。

ということと、

私の『空っぽの心』が満たされたり、私の『満たされない思い』が満たされたりすれば、もしかしたら自然に『普通に、吐かずに』食べることが出来るようになる。

ということが、どっちも実現できれば『痩せること』や『食べること』に極端に拘ったり、囚われたりすることが自然になくなっていくのかしら。

確か、以前に先生もこう言っていた。

摂食障害という病気は、ある意味では自分自身と向き合うこと、自分自身を見つめ直すことが必要な方がなってしまう病気だと思っています。ですから、それを避けて通ろうとしているうちは、本当の意味での克服は出来ないかもしれません。

今の私の必要なことは『痩せること』や『食べること』では満たされない『心』や『思い』としっかりと向き合い、見つめ直すことで、自分自身を『満たす』こと。そして、黙々と、無心で自分の出来ることを一つ一つこなし続けること。決して『痩せること』や『食べること』だけを何とかしよう、ということではなくて、自分自身と向き合うこと、自分自身を見つめ直すことの意味をもう一度考えてみる、ということなのかもしれない。

摂食障害の克服には『痩せること』や『食べること』とどう向き合うか、どう捉えるか、ということはもちろん必要で、大切なことだと思う。

それと同じくらい、いやそれ以上に大切なのが、もしかしたら自分自身と向き合うこと、自分自身を見つめ直すことなのかもしれない。


以前、ネットか本か何かで読んだ記事には、確か

ありのままの自分には価値がないと感じたり、自分を好きになることが出来ないことが『痩せ願望』に繋がったり、ダイエットに依存するようになる。

とか、

『自分が自分であればよい。自分は自分以上ではないし、自分以下でもないのだから』という感覚を持つようになることが、摂食障害の克服へと繋がる。

と書かれていた。

私も、そういうことともう一度じっくりと向き合い、考え直してみる必要がある、ということなのだろう。


私の『空っぽの心』や『満たされない思い』は、どうしたら満たすことが出来るのだろう……まあでも、どうしたらいいのかがそう簡単にはわからないから、摂食障害になってしまったのかもしれないのだけれど。

『焦らず、慌てず、諦めず』に、自分を追い詰めないように、無理をしないようにゆっくりと見つければ、それでいい。これ以上、自分を追い詰めたり、無理をしてはいけないし、再びそんなことを続けていたら、取り返しのつかない状態になりかねない、ということを嫌と言うほど経験してきたのだから。


私が私を信じて、私が私を大切にして、私が私を許して、私が私に優しくしなければ。そのことが、自分で自分を救い、自分で次の道を切り開くということに繋がるのだから。そう信じて、諦めないことが大切なのだから。

そう、きっと私以外のみんなは私のことを信じてくれている。私以外のみんなは私のことを大切にしてくれている。私以外のみんなは私のことを許してくれる。私以外のみんなは私に優しくしてくれる。

おそらく私だけが、私のことを信じることが出来なくて、私だけが私のことを大切にすることが出来なくて、私だけが私のことを許すことが出来なくて、私だけが私に優しくすることが出来ないだけ。

全ては、私自身の問題で、私自身がどうするか、私自身がどう考えるか、私自身がどう変われるか、私自身にかかっている、ということなのだろう。

だからこそ、自分自身と向き合うこと、自分自身を見つめ直すことが必要で、大切なのだと思う。

私の『心』や『思い』が満たされれば、『痩せること』や『食べること』に拘ったり、囚われたり、極端に気になることもなくなるのかもしれない。そのためには、やっぱり人と関わること、人と繋がることが必要なのかもしれない。一人であれこれ考えているだけでは、どうしても同じところを行ったり来たりするばかりで、なかなか前に進まないし、変わることも出来ない。頑なな今の自分を解きほぐすには、いろいろな価値観とか、考え方に触れることが必要なのかもしれない。

自分一人の力だけではどうにもならないのならば、そんな時くらい、いやそんな時こそ、人に助けてもらったり、人に頼ったりしてもいいんじゃないかな……そんなことを思い始めていた。

人と関わったり、人と繋がったりと言っても、私が摂食障害だということを知っているのは先生と、妹の由希だけだった。

「また由希に話を聞いてもらおうかなぁ。でも、由希は休みの日も忙しいからなぁ……」

とりあえず、LINEで予定を聞いてみることにした。

お姉ちゃん、久しぶり~元

気にしてた?私、最近は暇

でさ~コロナだから休みの

日も前みたいに出かけない

し……いつでも空いてるよ

由希の好意に甘えることにした。だって、自分一人の力だけではどうにもならないのならば、そんな時くらい、いやそんな時こそ、人に助けてもらったり、人に頼ったりしてもいいのだから。そしていつか、私が力になれる時が来れば、その時に借りを返せば、それでいいと思う。そうやって、困った時には助け合いながら、頼り頼られながら困難を乗り越えていけばいい。人は、一人で生きている訳ではないし、一人で生きてはいけないのだから。

「お姉ちゃん、お待たせ~。ゴメンね、1本電車に乗り遅れちゃってさ」

「ううん、こっちこそ、いつも呼び出しちゃってゴメンね」

「そんなことないって。ってか、久しぶりじゃない?この前会ったのって、いつだっけ。御宿ぶり?」

「そうだね、確かそう」

「それよりお姉ちゃん、いつもこんなところでお茶してるの?」

「そんなことないって。ネットで、フルーツパフェが推しメニューって見て、この前一度来ただけ」

「そうなんだ~。そうだよね、だってここ、ホテルだから結構するんでしょ?」

「まあ、そうね。安くはないけど、値段のことは気にしないで、好きなもの頼んで。私も好きなもの頼むから」

「ありがとう!それじゃあ、遠慮なく頼ませていただきます」

由希の、この何とも言えない『天真爛漫』さに救われた気持ちになる。一瞬だけでも、同じところを行ったり来たりするだけの、ネガティブな思考回路を忘れさせてくれる。私にも、この『天真爛漫』さがほんの少しでもあったら……

「お姉ちゃん、どうしたの?私のメイク、何か変?さっきからずぅ~っと私の顔ばっかり見て」

「ん?いやいや、そういうんじゃなくて。ゴメンね、考え事してただけ」

「そう?それならいいんだけど……さぁて、何頼もうかなぁ。お姉ちゃんが言ってた推しメニューのフルーツパフェにしようかなぁ」

「そうね、いいんじゃない?おいしさはもちろんだけど、盛り付けもすごく綺麗だからインスタとかにもいいかも。私はやってないけど」

「そうなんだ~じゃあ、迷わず推しメニューで!」

「私も同じのにしようかな?この前は夏のフルーツだったけど、今日のは秋のフルーツになっていると思うから」

「姉妹でお揃いだね!正に、仲良し姉妹って感じ」

ハッとした。由希は私のことを少し『面倒くさい』存在だと思っていると、私は勝手に思い込んでいた。特に摂食障害になってからは、なおさらそうじゃないかと。それが『仲良し姉妹』だなんて……社交辞令でも素直に嬉しかった。

「お待たせいたしました」

「うわぁ、すごいね!お姉ちゃん。やっぱり『推しメニュー』だね。これって、どっから食べればいいんだろう」

この前はメロンだったけど、今日はシャインマスカット。確かに、クリスマスツリーのように盛り付けられた一粒一粒を、どこから食べればいいのだろう。考えながら食べないと、崩れてしまいそうだ。そういえば、こんな気分になるゲームがあったような気がする。確か、ジェンガだったかな?

「それよりお姉ちゃんも、写真撮ったら?こんなの他のお店では滅多にないって!」

「そうだね、どこにもアップしないけど、撮っておこうかな」

初めは、二人ともこの『ジェンガ』パフェを崩さないように食べることに集中していた。いい歳した大人姉妹が、揃って真剣になってパフェをつついているのって、どうなんだろう……と思って、食べる『コツ』がつかめてきた頃それとなく周りを見てみると、どこの席にも似たり寄ったりな年齢層か、もう少し『大人』女子のお客さんが座っていた。

摂食障害になってからというもの、お店でスイーツなんてほとんど食べないし、食べたとしても一人で黙々と、ひたすら食べることに集中していたから、周りのお客さんなんて見ていなかったけれど、改めて見てみるとほとんどが女性で、みんながみんな『女子』を満喫しているようだった。キラキラとした笑顔で、優雅にこの『空間』と『時間』を楽しんでいるように見えた。

私も、ここにいるみんなと同じように、食べることだけに集中するのではなくて、優雅にこの『空間』と『時間』を楽しんだり、会話をしたりしたいな。いつか私にもそんな日が来るかな。そんなふうに出来たらいいな……

いや、そのために、そのためだけじゃあないけれど、由希を誘ってここまで来たんじゃない。『芸術品』を思わせるパフェを見てもらいたくて、その『次元』が違うおいしさを味わってほしくて誘ったんじゃない。自分一人の力だけではどうにもならないのならば、そんな時くらい、いやそんな時こそ、人に助けてもらったり、人に頼ったりしてもいいんじゃないかな……そんな思いもあって、人と関わりたくて、人と繋がりたくて、話をしたくて、話を聞いてほしくて誘ったんじゃない。今それが出来なかったら、一体いつ出来るっていうの。今なら出来る、きっと出来る……

「お姉ちゃん、またボーっとしてる!アイスが溶けちゃうよ~」

「うん?あっ、そう、そうだよね。アイスはのんびり食べてたらダメね」

「そうだよ、アイスは溶けたらあんまりおいしくないもんね。それはそうと、お姉ちゃんってさぁ、何かボーっとしてるっていうか、考え事してることが結構あるよね」

「そうだね、結構あるかも」

「言いづらかったら全然いいんだけど、そういう時ってどういうこと考えてたりするの?」

「う~ん、いろいろだけど、今はちょっと周りのお客さんを見て、何かみんな思いっきりこの贅沢な空間と優雅な時間を楽しんでで、キラキラしてるなぁ……って、思ってた」

「そう?」

「うん、だって私なんて、まだまだ『食べること』を思いっきり楽しむ、って感じにはなれないし、それこそ無駄に痩せてるし、自然に笑顔とかにはなかなかなれないし、キラキラには程遠いなぁ、って」

「そう?そうでもないと思うけど」

「そうでもないって、どんなとこが?」

「う~ん、うまく言えるかどうかわかんないけど……確かに今のお姉ちゃんは『思いっきり』食べることを楽しむことは出来ないのかもしれないけど、でもさ、こうやって私のことを誘ってくれて、見た目も素敵で味もこんなにおいしいパフェを一緒に食べてくれたりして、食べることを『楽しもう』ってしてる感じはすごくするし。それに、何か前会った時よりも、随分『前向き』っていうか、それこそ『キラキラ』してきたんじゃないかな」

「そう?そうかなぁ……そんことはないと思うけど。でも、自分じゃそういうことって、よくわかんないんだよね」

「そうだよね、自分で自分のことって、冷静にっていうか、客観的にはなかなか見られないもんね。それから『無駄に痩せてる』とか言ってたけどさ、痩せてるは痩せてるけど前よりは身体も辛そうじゃないし、元気な感じがするよ。笑顔だって、前は何て言うか『引きつってた』感じだったけど、今日とかは全然そんなことないし、自然だと思うよ」

「そうかなぁ……そうだといいんだけど。でも、そう言ってもらえると嬉しい。ありがとう」

「ううん、全然。それからさ、私は病気のことはそんなに詳しくないから間違ってるかもしれないけど、お姉ちゃんがさっき言ってたみたいに、周りのお客さんとかの『人』と比べて私はダメだ~、みたいなのって、あんまり考えなくてもいいんじゃない?摂食障害って、そういう『人と比べちゃう病気なの』って言われるとそれまでで話終わっちゃうけど……でもね、お姉ちゃん、前会った時よりも随分良くなってきたんじゃないかなぁ、って思うの。ほら、私たち会う時って、お菓子とかはつまんでたけどいつも御宿の砂浜だったでしょ?それが今日はホテルのカフェなんだから、お店で会おう、って誘ってること自体、お姉ちゃんの中で何かが変わってきたんだと思う。だって、お店で何にも食べないでしゃべってるだけ、って訳にはいかないでしょ?だからきっと『食べること』に対しても考えてることが変わってきたんだと思うよ」

「そうだね、そうかもしれない。確かに良くなってきてはいると思うんだけど……でもね、後もう少しで何とかなりそう、って感じはするんだけど、でもその『もう少し』が何なんだか、どうしたらいいのかがわからなくて」

『人と比べちゃう病気』……確かに、摂食障害にはそういう側面があるのかもしれない。由希の言うように、以前の『私』と比べたら、随分良くなってきてはいるんだから、そのことに自分で『OK』を出すべきなのかもしれない。いや、自分が出さなければ、一体誰が出すというのだろう。

「私もさ、偉そうなことを言える立場じゃ全然ないんだけど、お姉ちゃんは今病気なんだから、自分の心の状態が昨日よりも良くなることとか、体調が良くなることとかを第一に考えて、あんまりそれ以外のことを気にし過ぎたり、振り回されたりしない方がいい気がする。それでさ、もっともっと今よりも心も身体も元気になって、良くなってきたら『人』と比べてもっと上を目指す、みたいなことを考えればいいんじゃないかな。だって、健康で元気な人だって『人』と比べて落ち込むことばっかりなんだから、お姉ちゃんはお姉ちゃんのことだけを考えて、優先する。そういう時期なんじゃないかなぁ……」

『私は私のことだけを考えて、優先する』それはつまり、

私が私を信じて、私が私を大切にして、私が私を許して、私が私に優しくしなければ。そのことが、自分で自分を救い、自分で次の道を切り開くということに繋がるのだから。そう信じて、諦めないことが大切なのだから。

ということなのかもしれない。

「ねえ由希、私ってやっぱり自分のことだけを考えたり、優先したりはしていないのかなぁ」

「うぅん……そうだね。『人』と比べて足りないところとか、まだまだだなってところは凄い気になるみたいだし、そういうとろばっかり目に付くみたい。だけど、お姉ちゃんにだっていいところはいっぱいあると思うし、そういうところを大切にして、もっともっと良くなるようにしていけば、だんだん自分に自信が持てるようになってくるんじゃないかなぁ、って思うの。そうすれば、そんなに『人』のことを極端に気にしたり、比べて落ち込んだりすることも少なくなってくるんじゃないかなぁ、ってね。私はね、『人』と比べること自体は全然悪いことじゃないと思う。それを励みにしたり、モチベーションアップに繋げたり出来る人はそういうことも必要だと思うの。でもね、今のお姉ちゃんみたいに、そのことで落ち込んでしまったり、自分にダメ出ししてしまったりするくらいなら、『人』と比べるんじゃなくて以前の自分とか、昨日の自分とかと比べて良くなったところとか、出来たところに目を向けて、少しずつでも自信をつける、っていうか自信を取り戻す、みたいな方がいい気がするんだよね」

『自分に自信が持てる』……確かに、今の自分に自信が持てなくて、それで『痩せること』を追い求めてる、みたいなことはあるのかもしれない。体重は、数字はわかりやすい『基準』だし、裏切らないから。昨日より痩せていれば、それで安心出来るし、それでOKだから。どんなに嫌なことがあっても、思うようにいかないことがあっても、その結果さえあれば全てがそれでいいから。そんな思いがあるから『痩せること』に依存してしまうのかもしれない。

「何て言うのかな、お姉ちゃんを見てると『果てしないストイックさ』っていうか『妥協を許さない』みたいなのは感じるんだよね。でもさ、私なんかもそうだけど、もっともっと『適当』でも何とかなるもんだし、そんなに『完璧』に囲まれてると疲れちゃうんじゃないかなぁ」

「そうね、由希の言う通りかもしれない。私って『完璧』に囲まれてる、っていうか、自分で勝手に『完璧』で囲って、固めて、がんじがらめにしてるんだよね。でもね、どうしたらいいのか、どうやったら『完璧』から解放されるのかが、わかるようでわからないの。多分一言で言えば私が私を許して、私が私に優しくすれば、それでいいし、ただそれだけのことなのかもしれない。私もそういうことは今までもずっとずっと、それこそ数え切れないほど考えてきたし、そうしようといろいろ試してきたの。でもね、最後の最後じゃないけど、あと一歩というところで、何ていうのかなぁ……私が私の邪魔をするっていうかさ。そんな自分を許せない、許してはならないって『悪魔の囁き』が聞こえてきて、後もう少しってところでまたいつもの『完璧』に囲まれてる自分に戻っちゃうの……」

「そうなんだ。『悪魔の囁き』ねぇ……何かさぁ、私はお医者さんでもカウンセラーでも何でもないから、難しいことはわからないけどさ、『完璧』って、そんなに大事なことなのかなぁ、て思うんだよね、お姉ちゃんの前でこんなこと言うのも何なんだけど。だってさ、完璧完璧って言っても人間なんだから間違うこともあるし、勘違いすることもあるし、そもそも『完璧』って、追求し出すとキリがないような気がするんだよね。もしかしたらお姉ちゃんの『痩せること』もそうかもしれないし。例えばさ、会社の人とか見てると『キリのある完璧』で満足出来る人と、完璧に拘り過ぎて『完璧に振り回されてる』人がいるような感じがするの。それでね、『完璧に振り回されてる』人って、いつの間にか仕事の目的とかゴールそっちのけで『完璧かどうか』を優先してる感じなんだよね。それでね、『う~ん、完璧~』みたいにね、自分に酔ってる感じなの。それでも心も身体も健康でいられて、楽しめてるんなら全然いいと思うんだけど、お姉ちゃんみたいに『悪魔の囁き』が聞こえてくる、みたいな人は『キリのある完璧』を心掛けた方がいい気がする」

『キリのある完璧』かぁ。今の私に必要なのは、それかもしれない。私はきっと『完璧』を完全に手放して、諦めて、全てにおいて『適当』でいられるか、満足出来るかといったら多分それは出来ない。それがいわゆる『完璧主義』なのだし、それで摂食障害になってしまったという一面もあるのだし。だからといって今のままでは、そんな自分を許せない、許してはならないという『悪魔の囁き』が聞こえてきたら『完璧』に囲まれてる自分に戻ってしまう。それでも由希の言うように『心も身体も健康でいられて、楽しめてる』のなら、全然いいのかもしれない。だけど私は、もう限界だった。心も身体もいっぱいいっぱいだった。一刻も早く私が私を『完璧』から解放しなければ……でも、一体どうすればいいの?どうやったら『解放』することができるの?お願い、教えて、由希、教えて。

「お姉ちゃん、何かさぁ~私思うんだけど、何をするにしても『程度』の問題のような気がする。『完璧』もそうだけど、『食べること』だって、カロリーとかばっかり気にしてたら、おいしいものもおいしくなくなっちゃうと思うんだよね。このパフェだって、今はおいしく食べて、カロリーのことなんか気にしない。だって『美味しいものは、0カロリー!』なんだから。もしどうしても気になるんなら、明日運動でもすればいいじゃん!くらいでいいんじゃない?あっ、ゴメン。摂食障害のお姉ちゃんに言うことじゃなかったかも……」

「ううん、全然……そうだね、そうだよね。由希の言うように『程度』の問題なんだよね。『完璧』にしても、『食べること』にしても、もちろん『痩せること』にしても。どれも行き過ぎたり、追求し過ぎればだんだん歪ひずみが生じて、自分が保てなくなってしまったり、精神的にいっぱいいっぱいになってしまったり、挙句の果てには私のように摂食障害とかの病気になってしまったりするんだよね。その『程度』っていうのは、みんながみんな同じじゃないんだよね。私には『限界』でも、他の人にとっては『心も身体も健康でいられて、楽しめてる』のかもしれないし。だから『人』と比べて私はダメだ~、みたいなのって、あんまり考えなくてもいいんだよね。『人』がこうだからとか、出来てるから、ということは一旦どこかに置いといて、とにかく自分のキャパを無視し続けたらダメなんだよね。だから自分のことを考えて、優先して、気にして、大切にして、優しくしなければならないんだよね……」

「そうだよ、お姉ちゃん。『完璧』だって『食べること』だって『痩せること』だって、全然諦める必要なんてないし、手放す必要もないと思う。ただ、今までのお姉ちゃんにとっては、ほんの少しだけキャパオーバーだった、ってことなんじゃない?『心も身体も健康でいられて、楽しめてる』程度で目指せばいいと思う。だって、女子はみんな『食べること』だって『痩せること』だって、どっちも手に入れたいんだからさ」

『美味しいものは、0カロリー!』、女子はみんな『食べること』だって『痩せること』だって、どっちも手に入れたい……摂食障害の私に、面と向かってそんなことを言ってくれるのは、由希の他には誰もいない。私はその言葉を味わうように嚙みしめていた。

「由希、ありがとう。そうだよね、『完璧』だって『食べること』だって『痩せること』だって、全然諦める必要なんてないし、手放す必要もないんだよね。ただ、私の場合はキャパオーバーだったんだよね。無理し過ぎてたんだよね。でもさ、言ってることはわかるんだけど、その『程度』っていうか『加減』っていうのが良くわからないんだよね。私なんて、長い間過食嘔吐とかしてると、どれくらい食べればいいのかとか、普通に食べるってどういうことなのかとか、体重や体型のこととか、その辺の感覚が麻痺しちゃってるみたいなところがあって……」

「うん、うん、そうなんだ。そうねぇ……あっ、でもそんなに難しく考えなくてもいいんじゃない?お姉ちゃんが思う『これくらい食べよう』でいいんだし、お姉ちゃんが思う『普通に食べる』でいいんだし、お姉ちゃん思う『これくらいの体重、体型』でいいんだと思う。それこそ『人』と比べてどうのこうのとか、『人』がこうだからとか、そんなことあんまり気にしないで、お姉ちゃんが『心も身体も健康でいられて、楽しめてる』んならそれでいいんじゃない?」

私が『心も身体も健康でいられて、楽しめてる』なら、それでいい……確かにそうなのかもしれない。『人』と比べることではないのかもしれない。私が心地よくて、心も身体も健康で、無理してなくて、楽しければそれでいい。ただそれだけなのかもしれない。だとしたら、私が、私の心の『声』や身体の『サイン』を良く聞いて、敏感に感じ取らなければいけないし、心の『声』や身体の『サイン』を無視して、頭で考える『理想』だけで引っ張って、走り続けたらダメなのかもしれない。私の『頭』も『心』も『身体』も、みんなバラバラではなくて、繋がっているのだから。それぞれのバランスが大切なのだから。

「やっぱり『私が私を信じて、私が私を大切にして、私が私を許して、私が私に優しくする』みたいなことが必要なのかもしれないね……」

「お姉ちゃん、そうだよ、それだよ!そういうことかもしれないよ!だってさぁ、お姉ちゃんだって友達とか、家族とか、それこそ私のこととか、信じてるでしょ?大切に思ってるでしょ?許してあげるでしょ?優しくしてあげるでしょ?自分の大切な人にはそう思えて、そうしてあげられるんだから、今のお姉ちゃんが一番大切にしなきゃいけない存在……お姉ちゃん自身にもそう思ってあげないと、そうしてあげないと。でなきゃ、お姉ちゃんがお姉ちゃんから離れていってしまうかもしれないよ。その、何て言うのかな、お姉ちゃんは今、病気だからだとは思うけど、自分のことが思い通りにいかなくて、どうしたらいいんだろうって、ある意味自分自身を持て余し気味になってるんだと思うんだ。だけど、逆に今この状態がチャンスだと思って、それこそ『自分を信じて、自分を大切にして、自分を許して、自分に優しくする』ことで、自分に寄り添って、自分と向き合って、もう一度自分のことを見つめ直して、自分自身と仲良くしなきゃ。手を取り合って、自分自身を自分の中に取り戻さなきゃ。それでさ、病気の自分も、うまくいかない自分も、許せない自分も、どんな自分も自分なんだから、そんな自分を認めて、全ての自分が一緒になって、お姉ちゃんがお姉ちゃんらしくいられる自分、なりたい自分に向かって進んでいく。出来ることからやっていく。そういう時期なのかもしれないよ。どんな自分も自分そのものなんだし、見放したり、切り離したりすることは出来ないんだから、ね?」

『逆に今この状態がチャンスだと思って』『自分自身を自分の中に取り戻す』『自分らしくいられる自分、なりたい自分に向かって進んでいく』『どんな自分も自分そのものなんだし、見放したり、切り離したりすることは出来ない』……由希に言われた言葉が、頭の中でいつまでもいつまでも繰り返し鳴り響いていた。

「由希……私、今すごく苦しいし、辛いし、自分自身にがっつりと縛られて身動きがとれない状態なの。それでも自分に寄り添って、自分と向き合って、もう一度自分のことを見つめ直して、自分自身と仲良くすることが出来れば、そういうことが出来れば自分らしくいられたり、なりたい自分になることが出来るの?」

「そうだよ、きっとそうだよ!いいところも、悪いところも、好きなところも、嫌いなところも、全部ひっくるめて『自分』なんだからさ。どんな自分も受け入れて、認めて仲良くする。そういことが出来た時に、自然と次に進めたり、道が開けたりするんじゃないかな。そうすれば私じゃないけど『まあ、いいか』みたいに『適当』なところで自分を許せる気持ちにもなれる気がするよ」

『まあ、いいか』……完璧主義な私が憧れるけれども、どうしても踏み出せない、どうしても許すことが出来なかった言葉。だけど、今の私は『まあ、いいか』とか『適当』という言葉を受け入れて、その『言葉』を受け入れた自分も受け入れる必要があるのかもしれないし、そういう時期なのかもしれない。そうでもしなければ、自分自身を保つことは出来ないし、完璧主義を続けることにも限界を感じていた。

「由希……こんな私でも、無駄に『完璧主義』な私でも由希のように『まあ、いいか』って思えたり『適当』なところで自分を許せる気持ちになれたりするかなぁ。ううん、きっとそうじゃないんだよね。『まあ、いいか』って思うんだよね。『適当』なところで自分を許すんだよね。私がそうなりたいのなら『出来るかなぁ……』なんて言ってないで、そうすればいいんだよね」

先生に言われた、今回の『宿題』が、ふと頭に浮かんだ。

心構えとか、意識することとか、そういったものも必要ですし、非常に大切なことなのです。それでは、次回お会いするまでに、『考え方が変わり、行動が変わり、結果が変わる』ということを意識して、信じて実践してみてください。

まずは意識すること、そして考え方だけでも変えてみること。そうすれば、由希の言うように『自然と次に進めたり、道が開けたりする』のかもしれない。そして、考え方が変われば行動が変わるのだから『まあ、いいか』って思うことも出来るようになるのかもしれないし『適当』なところで自分を許すことも出来るようになるのかもしれない。そういうことを一つ一つ積み重ねていくこと、続けていくことが結果が変わることに繋がっていく……そう、自分らしくいられたり、なりたい自分になることが出来る。そういうことなのかもしれない。

「うん、そういうことだと思う。だけど、お姉ちゃんはずっとそうしたくてもなかなか出来なかったんだよね。だったらとりあえず意識するだけでもいいんじゃない?誰でもいきなりは変わらないし、いきなり変えようとすると無理することになっちゃって、余計に自分が苦しくなるかもしれないからさ」

由希も、先生と同じように『意識すること』がいい、と言う。頭で考えてもどうせ出来ないからとか、意識するだけで変われるのならそんな簡単なことはないとか、そういうことはとりあえず置いといて、とにかく『考え方が変わり、行動が変わり、結果が変わる』ということを意識して、信じて実践する、ということだけを考える。余計なことは考えないで、そうすることに徹してみよう……

「お姉ちゃん、話は変わるけどさ、パフェおいしかったね!それに、ホテルのカフェだけあって椅子もテーブルも大きめで、ゆったりとしてるから落ち着いて話が出来たしさ。何か久しぶり、っていうかこんな贅沢な空間で休みの日を過ごすのって、もしかしたら初めてかも」

「そう?それなら良かった。私も由希と話が出来たし、っていうかいろいろ話を聴いてもらえたし、この前来た時は一人だったけど、今日は由希が一緒にいてくれたから、何て言うか……その、すごい気持ちが満たされた感じ。本当にありがとね」

何気なくスマホで時間を確認すると、お店に入ってからもう2時間くらい経っていた。

「そんな、お礼を言わなきゃいけないのは私の方だよ!こんなに高そうなところ、自分じゃ行こうとも思わないからさ。あ~あ、私もいつもこんなところでパフェとか食べさせてくれる彼がほしいなぁ……」

『彼』かぁ……摂食障害になってからというもの、『痩せること』と『食べること』しか考えられなくて、恋愛とかには無縁の日々を過ごしてきた。私にもいつの日か、こんなところでパフェとか食べさせてくれる彼が出来るのかしら。

「お姉ちゃんもさ、いつも自腹でこんな高いパフェ食べるんじゃなくてさ、誰かいい人が見つかるといいよね。今は病気のことで大変かもしれないけど、元々の顔立ちだったら私なんかよりも全然美人さんなんだから、もうちょっと元気になればそういう気にもなるんじゃない?意外と、男のこととかが気になり始めたら、そんなに病気のことに拘らなくなったりするかもしれないしさ」

由希の言うように『男のこととかが気になり始めたら、そんなに病気のことに拘らなくなったりする』とは思えないけれど、でももしかしたら、少しは恋愛のこととかに目を向けることで気が紛れたり、『痩せること』や『食べること』を忘れる瞬間みたいなことがあるのかもしれない……

「そうだね、私ももういい歳なんだから、そろそろ恋愛とか、結婚とかをもう少し真剣に考える時期なのかもしれないよね。『痩せること』ばっかり考えて、拘って、囚われていたら、誰からも相手にされないし、いつの間にか見向きもされなくなってしまうかもしれないよね」

「そんな、誰からも相手にされないとか、見向きもされないとかは全然ないと思うけど……」

「まあ、でもさ、やっぱり私も今のままでいいとは思わないし、どうにかしなきゃなぁ……とは思ってる。だけどね、繰り返しになっちゃうけど、本当にどうしたらいいのかわからないんだよね」

「う~ん、私はその『答え』みたいなものが何なのかはわからないけど、でもね、お姉ちゃんと話してると、その、何て言うか『真剣さ』とか『諦めない気持ち』みたいなのは伝わってくるんだよね。『いつかきっと克服するんだ!』っていう思いみたいなものはね。私はね、その『いつかきっと』っていう諦めない気持ちみたいなものがあれば、必ず良くなるんじゃないかな、って思うんだ。逆に言うとね、諦めちゃったらいつまでも良くならないんじゃないか、って気がするの。専門家でもないのにいい加減なことは言えないけどさ、でもきっとお姉ちゃんは良くなると思うよ。まあ、私の直感みたいなものだけどさ」

『諦めない気持ち』……これも、先生が言っていた言葉だった。何だか、由希がもう一人の『先生』みたいな気がした。今日は由希と話が出来て、話を聴いてもらえて、本当にありがたかった。それに、由希から見ても私が『諦めない気持ち』を持っている、と感じてもらえたことも嬉しかった。

「ありがとう。そう言ってもらえると、ほんの少しでも良くなっていくような気がするから、それだけでも嬉しい」

「そう?それならよかった。私はね、お姉ちゃんを見てて、話をしててただ純粋に感じたことを言っただけなんだけど、『病気のことを良くわからないのに、いい加減なこと言わないでよ』みたいなことを言われるかもしれないって、ちょっとだけ思ったんだよね。でもさ、お姉ちゃん全然そんなこと言わないじゃん?」

「うん、そうだね。だって、由希はお友達にも摂食障害の子がいるって言ってたし、全然わからない訳ではないでしょ?」

「まあ、ちょっとは本を読んだり、ネットで検索したりはしたけど……っていうか、そういうことじゃなくて、私が言いたかったのはね、何て言うか素直に人の話を聞いたりするところも、病気が良くなるのには必要なのかなぁ、ってこと。『真剣さ』と『諦めない気持ち』と『素直さ』。それってさ、私は結構大切なんじゃないかな、って思うんだ」

「そうね、確かに『どうせ無理だから』とか『痩せたいのに食べたいんだから、吐くしかないよね』みたいに、開き直った感じになっちゃうと結構長引くみたいなところはあるのかもしれない」

「そうなんだ……お姉ちゃんもこの病気になって結構経つでしょ?それなのに気持ちを切らさないでいるところも凄いなぁ、って思うし」

「凄いだなんて、全然そんなことないって。でもね、今日はこうして由希と話が出来て、本当に良かった。家で一人でいる時も、同じようなことを考えてたりするんだけど、でもこうやって人に話したり、聴いてもらったりすると自分のことを客観的に考えることが出来るようになるから、それだけでもありがたいし、本当に感謝してる。それに、何だかちょっと気が楽になったし、すっきりした」

「そう?そう言ってもらえると、私も嬉しいし、パフェもおいしかったし、今日はとってもいい日だったから、こちらこそ感謝だよ。それとね、病気で悩んでる人にこんなこと言うべきじゃないかもしれないんだけど、世の中にはいくら考えてもどうにもならないことって、あると思うんだ。そういうことをずっと考えてると、何となく気分も上がらないじゃない?だからね、何とかなりそうなことを考えるようになれるといいなぁ、って思うんだ。『そういう病気なんだから仕方がない』って言われるとそれまでなんだけど。でもね、そういう病気だからこそ何とかなりそうなこととか、今出来そうなこととか、気分が上がりそうなこととかを敢えて考えてもらえたらなぁ、って思うし、ほんの少しでもそういう考えが出来れば、もっともっと良くなっていくんじゃないかって思うの」

今由希の言った『今出来そうなことを考える』ことも、先生の言う『今出来ることを一つ一つ積み重ねる』と同じことだった。何でかはわからないけれども、今日の由希はまるで先生のようだった。もしかしたら、由希もそれだけ真剣に私のことを考えてくれているのかもしれない。本当に感謝しかないし、人と繋がることの大切さを改めて感じることが出来た。

「今出来そうなこと……そうだね、そういうことを考えるようにしてみるね。今日は、私にとっても『いい日』だったわ。『食べること』に不安があるとどうしても人付き合いを避けてしまうけど、でも今日のようにおいしいものを『おいしいね!』って言いながら一緒に食べたり、いろんなことを話したり聴いてもらったりすることって、やっぱり大切なんだなぁ……って、改めて感じた。本当に今日はありがとう」

人と関わったり、人と繋がったりと言っても、今の私は『食べること』がネックになるから、どうしても関わる人が限られてしまう。そう、人と『食べること』に不安があったり、普通に『食べること』がうまく出来ないということは、人付き合いも自然と制限されてしまうということ。仕事でもなければ、誰かと会って話をするにしても、どうしても『食べること』を避け続けることは出来ない。今日は、相手が私が摂食障害であることを知っている由希だったし、一度一人で食べに行ったことのあるカフェだったから、そんなに不安に思うことがなかったけど、私が摂食障害であることを知らない友達とかに会うのは、やっぱり何となく不安だった。

だけど、そうやって会うのを避けてきたことで、もう長いこと会っていないし連絡も取っていないから、どう言って会ったらいいのだろう。だからといって、このままって訳にもいかないし。由希とは会って一緒にパフェを食べることが出来たのだから、何とかして連絡を取って会ってもらうことにしてみようかな。

いつまでも『普通に食べる』ことが出来るようになるのを待っていても、いつになるのかわからないし、由希の言うように『気分が上がりそうなこと』を敢えて考える、という意味でも、ちょっと友達に連絡を取ってみることにしよう。

「何、ちょっと紗希?紗希だよね、超久しぶりじゃない?」

いろいろ考えたり迷ったりしたけど、大学の時の友達で、気さくな感じがどことなく由希に似ている陽子に連絡を取って、会ってもらえることになった。

「そうだね、ホント久しぶりだよね。ごめんね、私が全然会おうとしなかったから……」

「えっ、そうだっけ?何か、うわさでは仮想通貨で大損しちゃって雲隠れしたんじゃないか、って話だったけど」

「え~何それ。そんなんじゃないんだけど、ただちょっと病んじゃって……」

「えっ、そうなんだ~。言われてみれば少しやつれてる感じだけど」

「うん、ちょっとね、食べることがうまく出来なくて。それでみんなに会うのがだんだん不安になっちゃって……」

「そうなの?会食恐怖症とか?ってかさ、言ってくれればご飯とかじゃなくても全然会ったり出来たのに」

「そうだよね、私も言おうかどうしようか迷ってるうちにだんだん酷くなっちゃって。それで言いそびれちゃった感じなの。あっ、でも会食恐怖症ではないんだけど……」

「そうなんだ~でもさ、この歳になると、みんないろいろあるからさ、そんなに気にしなくても私は全然大丈夫。紗希は今日ここにいるから、入院とかしてる訳じゃないんでしょ?」

「そうね、入院とかじゃないんだけど。ただ、カウンセラーの先生みたいなところには定期的に通ってるの」

「ふ~ん、そうなんだ。でもさ、ちょっとは良くなってきたから、会おうって思ったんでしょ」

「まあ、そうね。完全に良くなった訳ではないんだけど、でも酷かった時と比べたら良くなってきたし、多少なら人と一緒でも食べることが出来るようになったから」

「そうなんだ~それなら良かった!ねえ、とりあえず飲み物でも頼まない?」

「そうだね、このまま喋ってると、キリがないよね」

何年かぶりに会う友達に陽子を選んだのは正解だったかもしれない。会う前は、何から話そうかとか、どんな顔して会おうかとか考えてたけど、いざ会ってみると、そんな心配する必要はないくらい、さり気なく会話をリードしてくれる。会う前は不安だったけど、勇気を出して連絡を取って本当によかった。

「紗希、コーヒーとか飲むのは平気なんでしょ?」

「そうね、砂糖とかミルクとか入れなければゼロカロリーだし。そういうものなら気にしないで飲めるわ」

「そうなんだ~カロリーとかが気になるの?それってもしかして、摂食障害とか?」

何をどこまで知っているのかはわからないけれども、会食恐怖症とか摂食障害ということを言ってくる陽子に、変にごまかしたり隠したりする必要はなさそうだった。

「うん、実はね……そうなの」

「そうだったんだ。私も詳しいことはわからないけど、それは辛かったでしょ?」

「そうね、まあそれなりにいろいろあるから、結構苦労はしたかな」

「いろいろね。でもさ、さっきも言ったけど、この歳になるとみんないろいろとあるみたいよ。私たちも大学を卒業して4年?5年?くらい経つからさ」

「そうなんだ。陽子もいろいろとあったの?」

学生時代と変わらず明るくて、気取ったところがない陽子の様子からは、訳ありだったことなど微塵も感じることは出来なかった。

「う~ん、私は別に改めて話せるような『ネタ』はないかな。それよりさ、紗希は仕事とかは平気なの?」

「まあ、一応会社は行ってるけど。でも、正直毎日が綱渡り状態な感じはするけど……」

「そっか~『毎日が綱渡り状態』かぁ……やっぱり病んじゃうと何かと辛いよね」

「うん、そうだね。症状が酷い時には、とてもじゃないけど仕事なんてやってられるような状態じゃなかったんだけど、でもこの病気ってお金がかかるから仕事やめる訳にもいかなくて」

「お金?そうなんだ……そっか、もしかしてカウンセリング料とか、ってこと?」

「うん、まあそれもそうなんだけど。それよりも、買い物にすごくお金がかかるの」

「買い物かぁ……それって、食べ物を大量に買ったりするってこと?」

「うん、まあ……そういうこと」

立て続けに話していたからか、緊張していたのか、喉がカラカラになってしまった。アイスコーヒーを一気に飲み干して、一息ついた。

「そうなんだ……私もね、ネットで読んだりしただけだから、詳しく知ってる訳じゃ全然ないんだけどね。それで、食べ物を大量に買ったりって、それってもしかして『大量に食べて吐く』みたいなことなの?あっ、ゴメンね。何か一方的に聞いちゃってるけど、言いたくないことは言わなくてもいいからね」

「ううん、大丈夫。ありがとう、気を使ってくれて。でもね、今日陽子を誘ったのは私の話を聞いてもらったりしたら、少しは気が紛れるかも、っていうのもあったからその辺は気にしないで。もし本当に言いたくないことがあれば、私からそう言うね」

「そう?それならそういうことで。でもさ、私も摂食障害のことは『ネットの世界』みたいなとこがあるから、話し出すといろいろ聞いちゃうかも」

「それは別に大丈夫。私も、酷かった時に比べたら大分落ち着いてきたし。それにね、病気じゃない人の考えてることとか聞いてみるのも、何かの『きっかけ』になるかもしれないなぁ……とも思ってるんだよね」

陽子のグラスをさり気なく見ると、すっかりアイスコーヒーはなくなっていた。話もまだまだ続くだろうし、追加で何か頼んだ方が良さそうだ。

「陽子、何か頼もうか?私も全部飲んじゃったし、喋ってると喉が渇いちゃって」

「そうだね、何にしようか。私さぁ、ちょっとお腹減ってきちゃったんだけど、何か食べてもいい?」

「えっ、もちろん。それなら、私も何か食べようかな……」

陽子につられて咄嗟に言ってしまったけど、人前で何かを食べることにはまだまだ不安な気持ちがあった。だけど、もし陽子と一緒に何か食べることが出来たら、ほんの少しでも前へ進むことが出来るかもしれない。ここは、勇気を出して何か頼んでみようかな。

「紗希、私に気を使って付き合わなくてもいいからね。あっ、ごめん、もしかして目の前で何か食べてるのを見るのも無理だった?」

「ううん、全然そんなことないよ。目の前で陽子が食べてても大丈夫だし、それに、私もほんの少しずつでも『普通に』食べられるようになりたい、って思ってるの。だからね、一緒に何か食べてみるものいいかなぁ、って思って。何か、逆に気を使わせてしまってごめんね」

「私は全然。気なんか使うタイプじゃないからそんなこと考えないでいいって。それなら何食べようか。私はやっぱりスイーツとか、甘い物が食べたい感じなんだけど、紗希はどうする?」

「そうねぇ……どうしようかな」

二人でしばらくメニューを眺めていた。最近は、お店でパフェを食べることが出来るようになってきたから、今日もパフェにしようかな。ケーキもおいしそうだけど、やっぱりほんの少しでも安心して食べられる物の方が落ち着いて食べられる気がする。ふと、『成功体験』という言葉が頭に浮かんできた。

「決めた!私、チョコレートパフェにしよう。紗希は決まった?」

「そうね、私もパフェにしようかと思ってた。陽子と同じでもいい?」

「もちろん!じゃあ決まり。すいませ~ん」

何と言うか、陽子のさっぱりとしていて優柔不断なところがない感じが昔から好きだったし、今の私にとっては救われる思いがした。

「そういえば、さっきはコーヒーとかはゼロカロリーだから気にならないって言ってたけど、チョコレートパフェも気にならないの?ごめんね、何でも聞いちゃって。こんなこと紗希に聞くことじゃないよね……」

陽子の言うことはもっともだった。『コーヒーは砂糖とかミルクとか入れなければゼロカロリーだから気にしない』と言ったそばからチョコレートパフェを頼んでたら、カロリーを気にしてるんだか気にしてないんだか、訳がわからない。

「ううん、全然。そうだよね、言ってることがおかしいよね。でもね、これは私だけかもしれないけど、摂食障害の人って、他の人にはちょっと理解出来ないような『マイルール』があったりするんだよね。それでね、もちろんパフェの方がコーヒーの砂糖やミルクなんかよりもカロリーが高いんだけど、この前妹とパフェを一緒に食べられたことがあったから、今日も平気かなぁ、って思ったの。何て言うのかな、私の中ではお店でパフェを食べることは、一種の『成功体験』だと思ってるから、安心して食べられるリスト、みたいなのに入ってるんだよね。もちろん、っていうか逆に家で一人でコンビニスイーツとか買ってきて食べる時はそんなにうまくいかないんだけど……」

何となく陽子の顔を見てみると、口が半開きで表情が固まってしまっている。やっぱり、こんなこと理解出来ないのかもしれない。

「ごめんね、こんなこと言われても訳わかんないよね」

「ううん、そうじゃなくて……そっか。ってことは、お店で誰かと一緒ならパフェが食べられるんだね!良かったじゃん、全然『普通に』食べられるんだから」

「そう、そうだね。そうかもしれない……」

『普通に食べられる』……私にとっては、お店で誰かと一緒に、しかもパフェ限定じゃないと食べられないのだから『普通に』食べられることにはならないのだけれど、陽子にとっては、それだけでも『普通に』食べられることになる、ということなのかもしれない。

「そうだよ。家でのことは家でのこと。出来ないことはとりあえず置いといて、出来ることをすればいいんじゃない?」

「そうだよね、陽子の言う通りかもしれない……私ね、いつもそうなの。出来ないことばかり考えて『何で出来ないんだろう、何でダメなんだろう』って、自分を責めちゃうの。それでね、落ち込んで、自分にイライラして、やけになってじゃないけど『もう、食べなきゃいらんない』みたいになって、大量に買い物しちゃったりするんだよね」

「そうなんだね。紗希は『完璧主義』なところがあるから、出来ないことが気になっちゃうんだろうね」

陽子の言うように、私ももっと『出来ること』に目を向けられればいいのに。こんな私にも『出来ること』だってあるはずなのに。この前だって、由希と一緒にパフェを食べることが出来たのに。何でそれだけでは満足出来ないのだろう。何でそれだけでは納得いかないのだろう。何で、何で、何で……

「紗希、私もね、自分の出来ないところとか、気にならない訳じゃないし、むしろ気になって仕方がないの。でもね、気にしたって出来ないものは出来ないし……そんな時は、こう考えることにしてるの。『どんだけ自分が出来る人間だと思ってるの!どんだけ自分に期待してるの!そんなに期待したって、私はどこにでもいる「普通の」「普通にもなれない」人間なんだから仕方がないよ。出来た時に「出来たじゃん!」って褒めてあげよう』って。そう思って、悔しい思いをやり過ごすことにしてるの」

『自分に期待してる』……その言葉が、じわじわと心の奥の方まで沁み渡っていった。

私は、自分に期待し過ぎているのだろうか。私は、自分が何でも出来る人間だと思っているのだろうか。心のどこかで、そんな過剰な『思い込み』があるから、出来ない時に自分を責めたり、ダメ出ししたり、落ち込んだり、イライラしたりするのかもしれない。陽子と同じように、私だってどこにでもいる『普通の』『普通にもなれない』人間なんだから、自分に期待するのが間違いなのかもしれない。陽子の言うように、出来た時に『出来たじゃん!』って褒めてあげればいいだけなのかもしれない……

「陽子、何か今言ってたこと、すごい沁みた。そうだよね、どんだけ自分が出来る人間だと思ってるんだろうね。どんだけ自分に期待してるんだろうね。陽子の言葉で、何だかすっきりした気がする」

「そう?それなら良かった。私ね、物事って、全て『考え方次第』なんじゃないかなぁ……って思うんだよね。出来る出来ないもそうだけど、人と比べてどうのこうのとか、あの人は何で○○なんだろうとか、自分の中で納得出来ないこととか、腑に落ちないこととかって、誰でもあると思うの。でもね、考え方を変えてみたり、物事の『見方』を変えてみたりすることで『まあ仕方がないか』とか『そういうこともあるよね』って思えたりすることも結構あると思うんだ。物事の『結果』とか『他人』を変えることって、すぐには出来ないし、すごくエネルギーを必要とするから、そうじゃなくて『捉え方』っていうか『解釈』みたいなものを変えることで、あんまりそのことに執着しないで、さぁ~と流しちゃう、みたいな?」

「そっか。『さぁ~と流しちゃう』かぁ……」

「お待たせいたしました~」

今日のパフェは、ホテルのカフェみたいな『芸術品』という訳にはいかないけれど、それでも十分豪華でおいしそうだった。

「紗希、ごめんね、とりあえず食べない?私、実は結構お腹減ってるんだよね~話の続きはそれからっていうことで」

「ううん、全然。それに、アイスが溶けちゃうから、先に食べよう」

「それじゃあ遠慮なく、いただきま~す」

陽子は『物事の「結果」とか「他人」を変えることって、すぐには出来ないし、すごくエネルギーを必要とする』と言っていた。私の場合に当てはめると『自分』を変えることはすぐには出来ないし、すごくエネルギーを必要とする、と言うことも出来る。これは正に、今まで数え切れないほどぶち当たってきた『壁』だった。自分を変えよう、変えようとしてもなかなか変わることは出来ないし、変えられない自分自身と、結果ほとんど変わらない自分自身を責めては落ち込んで、イライラして、ますます自暴自棄になって、そしてまた自分自身を責めて……の繰り返しだった。『自分』なんて、頭で考えるように都合良くコロコロ変わることが出来れば、究極的には生きてて何の悩みもないのかもしれない。それがなかなか出来ないから、悩みが尽きないのかもしれない。だとしたら、陽子の言うように、考え方を変えてみたり、物事の『見方』を変えてみたりすることで『まあ仕方がないか』とか『そういうこともあるよね』って思えた方が、悩みの『ループ』にはまって抜け出せなくなるよりは、いいのかもしれない。

「紗希、どうしたの?やっぱり食べるのは難しい?」

「ううん、そうじゃなくて。ちょっと考え事してただけだから、大丈夫。私もいただきま~す」

「うん、何かさ、このスポンジケーキみたいなのがおいしくない?濃厚で、チョコの味がすごくしっかりと感じられて。ねえ紗希、これって何て言うんだっけ?チョコブラウニーだっけ?」

「ええと、これは多分ガトーショコラだと思う。確か、生地にナッツやチョコチップが入っているのがブラウニーじゃないかな。でも本当にチョコの味が濃厚で、リッチな味わいだね。すごくおいしい」

「何か紗希、パティシエみたいだね。そんな違いがあるなんて全然知らなかった。私なんて、ちょっとお洒落なところで出てくるのがガトーショコラで、もっとカジュアルな感じなのがブラウニーかと思ってた」

「まあでも、陽子の言ってる通りかもしれないね。ガトーショコラはフランスで、ブラウニーはアメリカ発祥のチョコレートケーキだから。ガトーショコラの方がリッチなイメージがあるよね」

「何かホント、何でも詳しいよね。素直に尊敬しちゃうんだけど」

「私ね、病気が酷い時は『食べること』と『痩せること』しか頭になくて、っていうかそれしか考えられなくて、食べ物の栄養成分表とか、お菓子やスイーツの雑誌みたいのばっかり見てたから、自然と覚えちゃっただけなの」

「ふうん、そうなんだ。その『栄養成分表』って、もしかして食べ物のカロリーとかが書いてあるの?」

「そう。カロリーだけじゃなくて、糖質とか脂質が何グラム含まれてるとか、そういうことが書いてあるの。それで、毎日見ながら『こんなにカロリーも糖質も脂質もあるんじゃ、絶対食べられないし、食べられるものなんてないじゃん!』とか思ってたの。それなら見なきゃいいのに、って思うんだけど、摂食障害ってそういう矛盾だらけのところがあるの」

「そっか、そうだよね。お菓子とかスイーツって、改めてカロリーとか見ちゃうと『げっ、こんなに高いんだ』ってなって、食べれなくなっちゃうもんね。だから私はそういうもの食べる時は、数字は見ないようにしてる。だって、そんなの見たって、食べたいものは食べたいし、気にしてたらおいしく食べられない気がするから」

陽子の言う通りだった。カロリーが高かろうが低かろうが、食べたいものは食べたいし、食べると決めたらいちいちカロリーとか糖質とか脂質とかを気にしていたら、おいしいものもおいしくなくなってしまう。陽子と話をしていると、すっかり忘れてしまった当たり前の感覚を思い出させてくれるようで、ありがたかった。

「本当に、そう。おいしいものは、最初の一口から、最後の最後までおいしくいただきたいよね。そんな、ごく普通の感覚を取り戻したい。私、やっぱり『普通に』食べたい。『普通に』おいしいものを食べて、『普通に』お腹が減ったら食べて、『普通に』お腹がいっぱいになったらごちそうさま、って言いたい。私、そんなみんなにとって当たり前のことがずっとずっと出来なかったの。買いたくもないのに仕事帰りに大量に食べ物を買って、食べたくもないのに片っ端からどんどん詰め込んで、吐きたくもないのに血が混じるまで吐いて、それでようやく『あぁ、今日も太らなかった』なんて意味もない安心感を感じて、やっと眠ることが出来て、長い長い一日が終わる。そんな生活から抜け出したい。こんなこと、一刻も早く終わらせたい。だけど、今までどうしてもやめることができなかったの」

「紗希……」

陽子が、だんだん霞んでいった。顔の輪郭が、周りの風景と同化して溶け出していくみたいに、ぼやけて曖昧になっていった。前を向いていられずに俯くと、雨粒で濡れていくように、スカートに徐々にシミが広がっていった。


「ごめん、取り乱しちゃって」

涙は溢れてきたけれど、声を上げて泣いた訳ではなかったから、そんなに周りのお客さんから注目されずに済んだようだった。

「ううん、全然。それより、今の紗希に私からかける言葉は見つからなくて、こっちこそごめん。でもね、泣きたい時は泣いてもいいんじゃないかな、って思うの。感情ってね、溜め込んで表に出さないでいると、何も感じられなくなっていっちゃうから。それとね、私なんかじゃ、摂食障害の詳しいことはわかってあげられないけど、でも紗希が『当たり前のことがずっとずっと出来なくて辛かった』ってことは十分伝わったし、しっかりと受け止めたつもり」

「ありがとう。でも久しぶりに会って、おいしいものを食べてる時にこんなことになっちゃって、本当にごめんね。少しだけだけど、何だかすっきりした」

「そう?それなら良かった。紗希、アイスが溶けちゃうし、とりあえず食べよっか」

パフェに目を向けると、溶けちゃうどころかほとんど溶けていた。

「うん、食べよう」

おいしいものをおいしくいただく……お店で、誰かと一緒なら食べられることもある。今の私にとっては、とりあえずそれだけでも十分なのかもしれない。

「私、どんだけ自分が出来る人間だと思ってるんだろうね。どんだけ自分に期待してるんだろうね。さっき話したばっかりなのに、すっかり忘れちゃってる」

「そうだよ、紗希。そんなに期待したって、私たちはどこにでもいる『普通の』『普通にもなれない』人間なんだから仕方がないよ。出来た時に『出来たじゃん!』って褒めてあげれば、それでいいんだって」

いつの間にか、二人ともすっかりパフェを食べ終えてしまった。誰かと話をしながら食べると、食べることだけに集中しないからなのか、そんなに気にせずに食べることが出来るようだった。

「アイスは溶けちゃってたけど、おいしかったね」

確かに、ガトーショコラだけじゃなくて、アイスもクリームもチョコの味が濃厚でリッチな感じだったし、バニラアイスや生クリームは甘過ぎず、それでいて口に残るようなしつこさもなくて、そのコントラストが絶妙だった。

「そうだね、とってもおいしかったね。陽子、ありがとう。陽子が一緒だったからおいしく食べられたんだと思う。」

「そんなことはないと思うけど……でもとにかくおいしかったね」

一人でパフェを食べたこともあったけど、誰かと一緒に食べて『おいしさ』とか『時間』とか『空間』を分かち合うことで、より心が満たされた気がした。『食べること』には、食べたいものを食べたいだけ食べるという楽しみもあるけれど、その楽しみを誰かと分かち合ったり、会話を楽しむということも大切なのだということを改めて思い出していた。

「私が言うのもなんだけど、やっぱり『食べること』って大切にしなきゃいけないよね。私は今まで何年も『食べること』をおろそかにしてきしゃったけど、今日みたいに一緒になって『おいしいね』って言い合ったり、いろいろなことを話しながら食べたり、本当は『食べること』は楽しいことなんだよね。私がずっとずっと忘れていた大切なことを、陽子が思い出させてくれた。本当に今日はありがとう」

「そんな、お礼を言われるようなことは全然してないと思うけど……確かに私は紗希と一緒にここに居て、一緒に食べて、一緒に話をした。だけど、紗希の言う『大切なこと』を思い出したり、何かに気付いたりしたのは紗希自身なんだよ。私は何もしてないよ。もっと自信を持ってもいいんじゃないかな」

『もっと自信を持ってもいいんじゃないかな』……私は、陽子の言うように自分自身で『大切なこと』を思い出したり、何かに気付いたりすることが出来たのだろうか。自分に自信を持ってもいいんだろうか。

「だって、今日私を誘ってくれたのは紗希だし、『普通に』食べられるようになりたいからって、一緒に何か食べてみるって決めたのも紗希だし、私は自分の思ってることとか考えてることとかを話しただけで、それを聞いていろいろなことを考えたり気付いたりしたのも紗希なんだから。私はね、紗希は自分が思ってるほど『出来ない』ってことはないんじゃないかな、って思ってるの。確かに、みんなが当たり前に出来ることが出来ないのかもしれないけど、それは病気なんだから仕方がない、っていうのもあると思うし、それに、多分出来ないことばっかり気にしてるからそう感じるだけなんじゃないかな。今だって、私と同じパフェを食べることが出来たんだし、今の紗希にも出来ることってもっともっとたくさんあると思うんだよね」

「今の私にも出来ること……」

「そうそう。今日だって、紗希が何年かぶりに連絡くれたからこうして会うことが出来て、私とっても嬉しかったんだけど……ってそういうことじゃなくて(笑)、私だったら何年も連絡取ってない友達に会うのって、なかなか出来ることじゃないと思う。だけど紗希は『話を聞いてもらったりしたら、少しは気が紛れるかも』って思って私を誘ってくれたんだよね。それに、これは私の単なる想像だけど、きっと私とかの摂食障害じゃない人と話したりしたら、何か『ヒント』になることがあるかも、っていうのもあったと思うんだ。そうやって『普通に食べる』ために、何か出来ないかなって、紗希は意識してないかもしれないけど、出来ることを考えてやってるんだと思う。だからね、そんなに悲観することないんじゃないかな」

「そうなのかもしれない。でもね、私ずっと過食嘔吐がやめたくてもやめられないし、仕事が終わると買わなくてもいいのにコンビニに寄って、お菓子とか揚げ物とか大量に買い込んでしまうし、今一番やりたくないことがやめられなくて悩んでるし、どうしたらいいのかわからないの」

こんなこと、陽子に言っても困らせるだけかもしれない。それに、さっきと同じことを繰り返しているだけだし、陽子だって何回も聞かされたらうんざりしてしまうかもしれない。それでも、今の私が心の底から思っていることだからか、自分でも言葉を止めることが出来なかった。

「紗希、やりたくないことがやめられなかったり、どうしたらいいのかわからなかったりするのって、きっと辛くて、とっても苦しいんだと思う。私は、病気のことを詳しく知っている訳じゃないから、いい加減なことは言えないんだけど……私だったらそんな時に、こう考えるようにしてる。『人のことは思い通りにならない、って言うけど、自分のことも同じで、なかなか思い通りにはならない。なぜかって言うと、もし自分のことが思い通りになるのなら、素敵な彼がいて、好きな仕事して、お金持ちになって、仕事なんてしなくても一生好きなことだけして暮らしてるはずだから』って。ちょっと極端かもしれないけど、突き詰めて考えるとそういうことかな、って。だから思い通りになった時、出来た時に『出来たじゃん!』って褒めてあげようって、そう思うようにしてる」

「そうね、陽子の言う通りなのかもしれない。自分のことも思い通りにならなくて、やりたいことも出来ないのが当たり前なのかもしれないね」

「そうそう、私はそう思う。それでね、出来た時に『出来たじゃん!』って褒めてあげるの。だって、実際人生なんて、思い通りにならないことだらけじゃん?紗希だって、まさか病気になるとは思ってなかったと思うし」

「そうだね、まさか自分が摂食障害になるなんて、思ってもみなかった」

「そうだよね。まあ、病気とか事故とかは誰も予想出来ないでしょ、って言われちゃうかもだけど。でもね、大きな意味で言ったら病気も事故も、仕事も結婚も同じだと思うの。思い通りにはならないし、予想もしないことが起きたりするし。だからね、起きてしまったことはそのまま受け入れて『仕方がないよね、そんなこともあるよね』って思って、思い通りになったり出来た時に『よっしゃー!』ってお祝いするの。私はね、なるべくそう考えるようにしてる」

「お祝いかぁ……何か、陽子って、人生悟ってる感じだよね」

「全然そんなことないって。ただ私は、幸せを感じられるのも生きづらさを感じてしまうのも、自分の『考え方次第』ってところはある気がするんだよね」

『考え方次第』……確かに、陽子の言う通りなのかもしれない。だけど、その『考え方』にがんじがらめに縛られて、身動きがとれなくて、どうにもならなくて、行き詰ってしまっているのだけれど。

※第2話へ続く ⇩


よろしければサポートお願いいたします。いただいたサポートは、今後、摂食障害で悩む方々のサポート活動に、大切に使わせていただきます。