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【同乗者たち】 第1章 監理者たち 【01】

君はきっと信じないだろうけど、俺はこれから起こることを知っている。君は今、右手に銃をもっていて、それが約10秒後に君を殺すだろう。ここまで読んで君は思わず鼻で笑った、こんな玩具で人が死ぬはずないと、こめかみにその銃口をあてる。君は俺のこの言葉をついに最後まで信じない。今、引き金にかけた人差し指に、ゆっくりと力を――……


ヨーイチは灰色に濁った空を仰いだ。頬に当たる雨粒は冷たいが、防水加工されている上着は水を弾き、体は寒さは感じない。そっと腕を上げると、無数の滴が上着の上で跳ねては消える。悲しいほどにあっけない最期だ。

<こりゃ、土砂降りになるかもねぇ>

のんびりとした井坂(いさか)の声が、脳聴覚で聞こえた。まるで世間話をしているかのようなその口調は、作戦中であっても相変わらずだ。
返事をしないヨーイチに、あれ、と井坂はおどけた口調で問う。

<緊張してる?>
<いいえ>
<だよね、だってヨーイチ君だもんね>
<こんなところでずっと待機させられたら、不機嫌にもなります>
<悪かったね、もう少しでそっちに行けると思――……あ>

不自然な形で通信が切れた。突然訪れた静寂に、ヨーイチは思わず首を傾げて呼びかける。

<……井坂さん? 大丈夫ですか>
<……ああ、うん、実はたった今もう一つ謝る事ができちゃって>
<なんです>
<君の居るビルに追い込む予定だった『クロアナ』……隣のビルに逃げ込んじゃった>
<……は?>

ヨーイチは慌てて脳視界上にマップを展開した。現実視界に重なるように表示された簡略的な地図と共に、「クロアナ」の現在地が赤く点滅しながら動いている。
確かに目標人物の座標は、作戦と違う場所へと進んでいた。

<どうするんですか>
<君の居る屋上から南側にビルが見えるね>
<え? あ、はい……>
<クロアナはそこに逃げ込んでて、どうやら指揮官の情報によると、そのビル七階の窓のガラスは割れていて吹き抜け状態らしいんだわ。見えるでしょ?>
<……まさか、ここから隣のビルに飛び移れって言うんじゃないでしょうね。落ちたら死にますよ、俺>
<そしたら来世でリベンジってことでさ……ずぶ濡れになる前に終わらせようよ。クロアナも今丁度7階の階段を上り終えたところだ、君の着地予想位置までおよそ16秒、15、14…>

有無を言わせぬ井坂のカウントに、ヨーイチは悪態をつきながらも瞬時に心を決めた。屋上の柵を上り越え、縁に立つ。下をのぞきこめば、いよいよ本降りになった雨が、その奈落に吸い込まれるように落ちていくのが見えた。この雨の一粒一粒も、走馬灯を見るのだろうか?
そう思って小さく唾を飲み込んだとき、雨音に紛れて不規則な足音が聞こえてきた。クロアナが、すぐそこまで迫っている。そう理解した瞬間、心臓が大きく脈打った。込み上げるその熱を沈めるように、ヨーイチはホルスターから静かに銃型機器を抜き取る。

<……3、2、1、飛んで!>

井坂が叫んだ瞬間、地を蹴って飛躍。宙を舞い、窓にむかって足を突き出す。割れたガラスの隙間をかいくぐり、ヨーイチは隣ビル7階に無事着地した。
カウント通り、丁度クロアナの目の前だ。

「く、くそっ」

二人が追っているクロアナは、まだ未成年のように見える青年だった。ヨーイチを見て青ざめるその顔に照準を合わせれば、銃型のBMI――ブレインスキャナが顔を承認して、脳視界に情報を表示する。

【東条ミチオ Aランク 浄化17年目】

無機質な赤いフォントが視界に踊る。

【ゴーストスパイクを再生しますか】

返事をするように引き金を引く。
発砲音は鳴らない。その代わり、ある「記憶」が波のように、ヨーイチの脳内に流れ込んでくる。

◇ 

手の平に伝わる、堅く冷たい金属の感触。握りしめる手に力を入れて振りかぶれば、大きく見開かれた瞳に自身の姿が映る。空を裂く悲鳴が脳に突き刺さる。あんなに愛していた甘い声が、こんなおぞましい音色に豹変するのが悲しい。悲しいと思っている。思っているはずだった。
幾度も触れた柔らかな肉に、硬い金属が抵抗もなく滑り込む。
何度も振り被る、何度も、何度も、そのたびに温かい、赤い何かが顔に降り注ぐ。飛び散るその赤の隙間から、ふいに光が差した。まるで幽霊のように、ゆらゆらと揺れている。

なにかが焼ける臭い。
なにか、じゃない。

「俺」だ。
「俺が、燃えている――」

ちがう。
俺じゃない。

そう念じた瞬間、ヨーイチを飲み込んでいた視界が晴れた。血濡れの女も、人間の焼ける音も臭いも幻覚だったかのように消え失せ、視線は今まさに階段を降りようとしている青年の背中をとらえていた。
ヨーイチが彼に向けていた銃型機器の引き金をもう一度引けば、カチッという小気味いい音とともに、青年の体は人形のように崩れ落ちた。ニューロン経路を遮断され下半身の自由を奪われながら、なおも這いずり逃げようとする青年に、ヨーイチは容赦なく馬乗りになった。

「や、やめろ、俺が何をしたっていうんだ!」
「人を殺した。妻、子供2人、それとペットのスコティッシュフォールドも。妻は包丁で、子供は眠っている間に首を絞めたあと、買って5年しか経っていないマイホームに放火して自殺」
「知らない、そんな記憶は俺にはない!」
「だろうな。でも、俺は『見た』から知っている」

男に手錠をかけ、立ち上がる。

「あれは、おまえの『前世』が犯した罪だ」

前世犯罪者……通称「黒穴」の絶望した瞳を、ヨーイチは静かに見下ろした。

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