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クリエイターの絶望と希望

日々感じる、クリエイターとしての絶望と希望についての小話をいくつか。

ある日のデザイン、絶望と希望のようす

①10:00 うん!(こんなもんかな)
②10:30 う…ん??
③12:00 うぬぬぬぅぅぅ…
④14:00 はぁぁぁ…
⑤17:00 ぉぉぉおお!
⑥09:00 ぉぉぉおお! or はぁぁぁ…

<解説>
①で止まっていてはだめ
②違和感や物足りなさに気づく
③打開策を必死に考える
④手を入れるも、うまくいかない(絶望)
 〜この時間が辛い〜
⑤光差す(希望)
⑥一晩寝かせる。翌朝も⑤と同じであってほしいと願う


毎日「悔しい」を浴びる

ネットを見れば、まわりの素敵な仕事ぶりが飛び込んでくる。あのサイトすごいこのサイトもすごいを毎日浴びる。ドキッとして、感動して、悔しがって絶望すら覚える。我に帰り、自分にできることをやる。クライアントやユーザーことを想い、向き合う。つくる。つくる。一歩前に進む。

この繰り返し。これは僕らの宿命であるし、それを忘れたらいけません。25年やってても微塵も変わらない価値観です。

悔しさを感じなければ成長は止まります。悔しさは前に進む原動力。それをいやでも浴びるのは幸せな環境といえるし、この仕事の楽しさ・やりがいでもあります。「悔しい」には伸びしろがあります。

あと、できない自分を無駄に卑下する必要もなくて、「今もいいけど、もっとよくなりたい」という心持ちでいたいです。


視座を高くし、希望を視界に

自分ができる実力と、自分では超えられなさそうな高いハードル。そのハードルは、たとえ無理そうでも視界に見えていたほうがいいと思うのです。

ひとつは、自分との戦い。
ひとつは、依頼主の期待に応えるため。

視座をできるだけ高く。向こうを見る感覚で。


加点のフィードバック

デザイン何度出してもOK出ず「もうダメかも…」と落ち込んだとき。OKでないというのは、なかなかの絶望感です。
でもその人はフィードバックに膨大な時間をかけてくれて、決して批判せず、丁寧で、それは品質を高めるための真摯な姿勢であることは明らかでした。だから投げ出さずひたすら向き合えました。「もうダメだ」と思ってしまうのはフィードバックがダメ出しだと思ってしまうから。減点の場ではなく、「こうしたらよくなる」という加点の場になると思えば、気分もラクになるし前向きになれます。
僕自身も毎日メンバーの壁打ちしていますが、加点の場になるよう、意識するようにしています。(できているか不安ですが…)


絶望のスペースあるある

こんなにたくさんの要素、どうやってこのスペースに入れてデザインするんだ…と絶望の淵から、ひとつひとつの要素を緻密に調整してしっかり見やすく収め、しかも訴求したいところ思ったより大きくできたり、余白まで活かせたとなれば、誰に知られなくとも、自分で自分を褒めたくなります。


不得手は認める

デザイナーって「得意を仕事に」タイプなので、万能と思われがち/不得手なことは言いづらい…という側面があります。もちろん万能になれたらいいけれど…。でも、誰にも何にも頼らず「できる・やれる」と錯覚したり無理するのもよくないので、不得手は認めて何かに頼るカバーリングを身につけたいものです。無駄に絶望感を感じる必要はないのです。


希望への道筋は、「分解」と「足し算」

僕は、仕事やデザインがうまくいかない…と思ったとき、「分解」と「足し算」を意識します。

無力感で全否定して諦めるのではなく、小さく分解して成功の数を増やすように考えを持っていくようにしています。ひとつひとつクリアしていくしかないし、それを続け、経験を積み重ねることが成功への道筋。直線である必要もありません。成功か失敗かは二者択一ではなく、表裏一体。

足し算な考え方のいいなと思うところは、「今が一番良い」というマインドでいられること。失敗したりうまくいかないことがあっても、それは+1と考える。決して後退ではなく、前進です。

絶望は希望でもあるのです。

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