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信じられるし待ってられる
「子どもを信じて待つ」
いいよね。どっから見てもケチのつけようがない。
でも、どこか違和感というか自分の存在との隙間を感じる。
その違和感と居続けてたら、今朝、ピタッと腑に落ちる瞬間がやってまいりました。
「信じる」よりも「信じられる」だな、と。
ビーウルフキャンプで仲間に対する意識が変わったことと深い関わりがあるような気がする。
役割や責任、得意なことみたいな”機能的なつながり方の仲間”より、もう一段深いレイヤーの”存在でつながる仲間”があるなって。
森の中で野性と命をビリビリに感じる一泊二日。オオカミの群れで遊んでいるうちに、なんだかそうなっていった。
”そうなる”
そこに意志はなかった。
仲間なんだから信じようと決めてなんかない。
「あ、信じられるな」って感じたからそうしただけ。
だから子どものことも自分のことも「信じて待つ」より「信じられるし待ってられる」がしっくり。
決め決め感よりも内側から湧き出る感の方、わたしは好きなんだな。
もちろん、決め決め感がピタッと来る人も世の中にはいっぱいいるだろうなぁ。
もう好みの問題。
わたしだってわかんないよ。
この先決め決め感を選ぶ瞬間もあるかもしれず。。
それもいいじゃん。
その時は、”そうなる”のでしょうよ。
わかんないけど。
我を忘れて遊んでるうちにそうなるって、こどもの頃の”おともだち”とおんなじだな。。
大人になっても、これを森のようちえんでできるわたしってなんて恵まれているのだろう。
そうそう、ガチンコで遊ぶ•ガチンコで関わるをマックスでできた兄妹がいる。
多分、理性から離れて”そうして”いた。
保育記録とかでは、それらしいこと書いてるけどそんなの後づけ。
出会えてよかったよ!
また会いたいよ!
この感覚はあなたたちからの贈り物。
今、やっと胸にうけとめられたよ。
ありがとう。
この1ページは鎌倉兄妹に贈ります。
やっぱ、遊び最強!
2022.10.29〜31森のようちえん全国フォーラムin富士山
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