阿平

アラフォー2児の父でございます。 宜しくお願いします。

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最近の記事

単身中国で勤務3

前回からの続き。 営業として中堅クラスとなり、上司からは部下を雇えとの指示。 自分で面接して、良いと思った人を採れば良いよとの事。 これまで面接はされる側だったので、する側になるのは不思議な気持ちになりました。 面接のテンプレをネット上で検索し、一通り目を通して、人材会社からの紹介のあった人と面会する。 相手の緊張が伝わって、こちらも緊張する。 最初の人が1番印象的でした。彼は日本へ留学し、国立大卒の肩書き付き。学歴で言うと自分よりも遥かにお高い身分の方である。 場所は中国

    • 単身中国で勤務2(現地採用)

      前回の続きになります。 営業4年目のある日、上司からある提案を頂きました。 現状売上的に会社へ貢献して来ている段階。次は、上限無しのコミッション営業でもどうだ、と。 コミッション営業とは、日本語で言うと歩合給制度と言いますか。最低限の給与+歩合給という形の給与形態になります。 その代わり、年2回のボーナスは貰えない。 当時、毎月億超えの化け物営業マンがいて、彼の収入は国内大企業の役員クラスと聞き、単細胞な僕は一瞬で言いくるめられました。 コミッション営業の内訳は、取引成立した

      • 単身中国で勤務(現地採用)

        前回からの続き。 リーマンショック真っ只中の2008年9月、僕の営業マン人生がスタート。 会社からの任務は、取扱メーカーの機械、工具を販売する事。 販売すると言っても、何をしたら良いのか分からない。当時のボスからは、日本人商工会の名簿を渡され、そこから潜在ユーザーを開拓してください、と。新規開拓営業という位置づけです。名簿を渡された僕は、機械を使いそうな企業に次々と電話します。が、なかなかアポイントに繋がらず。電話で自社紹介やら商品紹介しても、相手からしたら、はい?って思うで

        • 単身中国で就職(現地採用)

          前回から続き。 2007年3月より、広東省深セン市の某企業にお世話になる事となり、まずは就労ビザ取得の為、香港へ。ここでようやく「中国やられた話2」に繋がります。 月給は約12000元(約180,000円)。 家賃は自己負担で市内の会社から徒歩で行けるところのマンションに住む事にしました。 家賃は2LDKで2,600元だったと思います。入社間もなく、営業のお勉強という事で、先輩営業マンと同行しました。2ヶ月ほどそんな日が続きました。 5月には第一子が無事産まれまして、1児の父

        単身中国で勤務3

          単身中国へ留学 就活編

          前回から続き。 時は2007年2月、留学生活が終わりを迎える頃、妊婦嫁さんのお腹も順調に育っていき、そろそろ稼ぐ時が来ました。 日本へ帰国して就活する道もあったけど、中国籍の嫁さんが日本へ行くには、様々な手続きと行動が必要となる事や、仮に自分一人日本へ行くとしても、戻って来るのはいつになるか読めないし、大きなお腹を抱えた妊婦を一人に出来ないと思い、現地で就活する事に決めました。 インターネット上で現地日本企業が経営している就活サイトに登録し、募集をかけている企業に目を通すので

          単身中国へ留学 就活編

          単身中国へ留学 後期

          前回からの続き。 夏休みが終わり、語学留学後期を迎えます。 うろ覚えですが、またクラス分けテストがあり、 今度は中級の中レベルクラスに上がりました。 授業のレベルは上がり、先生も変わり、クラスメイトも変わりました。前期と同じく韓国の大学生が8割ほどいました。新クラスになって、飲み会やろうぜとなり、夜飲み会に行く事になり、男子とは自国のスケベな言葉を教え合い、女子にはその言葉を使ってみたり、途中おふざけが過ぎて、一人の女の子から思いっ切りビンタされたり。マッコリかモッコリか知

          単身中国へ留学 後期

          単身中国へ留学 結婚編

          前回の続き。 四川省の山奥から脱出。 下山した先で、今にも壊れそうな車が数台あり、運転手と思われるおじさん達が手招きしている。これに乗って長距離バスのある街へ行くとの事。 我々二人だけかと思いきや乗り合わせタクシーらしい。見知らぬ人と同乗し出発。走ること2時間。長距離バスのある街へ到着。後で聞いた話ですが、ここは宜宾という場所で、有名な白酒(五粮液)の製造工場があるそうです。覚えてないですが、行きもここを通ったらしい。 ここから長距離バスで重慶へ。約3時間ほどで到着。重慶で、

          単身中国へ留学 結婚編

          単身中国へ留学 カルチャーショック2

          前回の続き。 四川省の山奥での生活、買い物編。 家の周辺、見渡す限りお店は無い。景色はとても良い。 野菜は、家の周りで採れる物、採れない物は買い出しで入手します。肉は基本豚の燻製。冷蔵庫を使う習慣が無く、燻製で保存しているそう。 買い出しは、例の竹籠を担いで、下山します。 約1時間の下山です。基本獣道となっており、一部人工的に作られた道もあります。行きは気付かなかったですが、幅2mほどの細道の横に崖もありました。落ちたら天に昇れます。 下山1時間後、来る時に通った小さな村に到

          単身中国へ留学 カルチャーショック2

          単身中国に留学 カルチャーショック編

          前回から続き。 現嫁さん(当時の彼女)の実家に赴きまして言葉の壁を感じた初日。 そこに住んでいるのは、彼女のお父さん、お母さん、お兄さん、お兄さんの奥さん、その息子さん2人(当時13歳と4歳)と娘さん(5歳)、こんなご家庭でした。 家は山の中腹通りに100~200mに1軒建っているうちの1軒。 平屋で木造、庭が10m×8mほどで、軽いスポーツは出来そうな広さ。 お兄さんのお子さん達は標準語が通じる為、話し相手は子供達のみ。お父さん、お母さん、お兄さん、お兄さんの奥さんは、貧困

          単身中国に留学 カルチャーショック編

          単身中国へ渡って留学。カルチャーショック。

          前回の続き。 2006年3月、北京へ語学留学。 入学手続きが終わり、学生寮へ入るかどうか確認されましたが、お金に余裕があったので、学校近くのアパートに住みました。確か月1,500元(約22,000円)だったと思います。 1DKの30平米ほどの間取り。 そこで暮らし始める。 登校初日は、クラス分けテストが行われ、基礎から学びに来たのですが、基礎的なところは身についていたのが災いし、初級ではあるものの、中級に近いクラスになってしまう。 クラスメイトには日本人が2人いて、他8割が韓

          単身中国へ渡って留学。カルチャーショック。

          単身中国に渡るまで2

          前回の続き。 初上陸した2004年、上陸即日に過去に書きましたボッタくり被害に会います。 そこから、北京での仕事がスタート。 立上げ時期は、ほぼ休みが無く、現地出張員の中で交代休みで、中々の激務でした。残業時間も150時間超えていて、固定給の課長が、何で俺より貰ってんだよと言っていたのを覚えています。 繁忙期間が終わり、落ち着いた頃に、同じ現場で働く、素敵な女性とめぐり逢います。出稼ぎ中国人で、日本語が全く出来ない人ですが、何故か惹かれてしまいました。それが2004年11月頃

          単身中国に渡るまで2

          単身中国へ渡るまで

          何も面白くないですが、自分の社会人人生を振り返る為に書き綴ります。2001年高卒で入社した設備メーカー。 入社後すぐに製造部で設備の組立等の応援に入る。 約1ヶ月後、台湾出張命令が出て、19歳の梅雨明け頃に、人生初の海外へ飛び立ちます。 ここから私の出張人生が始まりました。 優秀だったからではなくて、仕事は現地へ行って覚えろスタンスだったので、同期全員で行きました。 行き先は台湾台南市、暑さと、路上のビンロウ(檳榔)店のガラス越しに見える水着のお姉さんが印象的でした。 短期で

          単身中国へ渡るまで

          中国滞在記 驚いた話

          今更ではありますが、中国では、日本人が嫌われております。(日本人と交流のある方は別です) 理由の1つとして、 日常で流れているTVで、抗日戦争ドラマが毎日どこかのチャンネルで放送されています。 ドラマの内容は、悪役の日本人の軍人が悪さして、最後に正義のヒーローにやられるといった内容です。 2つ目の理由として、 学校での教育で、歴史の授業での日本は敵国だと学びます。ちなみに全ての学校ではありません。ほとんどの公立学校ではその様な授業が行われています。 上記のような背景から、日本

          中国滞在記 驚いた話

          中国やられた話2

          本日は中国でやられた体験談第2弾です。10数年前、中国国内で転職した私、就労ビザ取得の為香港へ行きました。(当時は香港でしか就労ビザが取れなかった) 申請手続きは一瞬で完了。翌日にならないと申請許可が下りないらしく、一泊を余儀なくされました。 暇を持て余したので、宿泊先からブラブラと散歩。観光地みたいにキレイな海沿いの道に着きました。 海を見ながら、ブラブラと歩いていると、前方100mぐらいのところで、通りがかった人へ声をかけては無視されている男がいました。 道行く人々に無視

          中国やられた話2

          中国で約15年滞在しました。

          アラフォー2児の父 阿平と申します。 中国で体験した事を15年遡って書いていきますので宜しくお願い申し上げます。 記念すべき初回は、中国初上陸した日にボッタクられた話です。 2004年8月頃、当時20代前半、とある企業にいた私、出張名目で北京へ行きました。(2001年から入社した某企業では、主に出張がメインの業務に従事しておりました。) 2001年〜3年間ほど、台湾に行っており、簡単な中国語は聞く事は出来ると思っていたので、現地空港での出迎えは拒否しました。これが後に凶と出

          中国で約15年滞在しました。