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想い出をつくっていく人生。
(休日なのでなんとなく書きたいなと思ったことを書きました。)
喜怒哀楽、人には感情という素敵で厄介なものがくっついている。ただ生きて死ぬだけなら、こんなに長い期間生きている必要はおそらくないだろう。素敵で厄介な感情があるからこそ、生きていても飽きないのかもしれない。
感情は人それぞれに備わっているので、一つの出来事を見聞きしても、感じることも、表現することも違う。人類共通の感情があるのかもしれないが、細部においては異なるものだ。
テーマパークで同じアトラクションに参加しても、感じ方は違うし、今日乗ったものとまた別の日に、別の時間に乗ったものでも、感想が変わる。
テーマパークを楽しんだ後、そこを出てまた別の場所で楽しみを体験することができるのは、とても素敵なことだ。
日々、時々、環境が変化してもその中で喜怒哀楽を持てることは、生きている愉しみだと思う。周りが変化し、自分自身の感情や肉体も変化し、無限大の組み合わせの中に生きているのだから、これほど客観的にみて面白いことはない。
悩もうが、歓喜しようが、哀しもうが、その人生全体を眺めたなら、生きている価値が十分にある。
さらに、インパクトのある体験は強い想い出になり、そうでないものも無意識の海に放り投げられる。嗅覚に入ったものも記憶され、触覚に触れたものも記憶され、聴覚や視覚に入り込んだものもどこかに記憶され、関連づけられている。
それらは海で混ざり合い、時に記憶が蘇る。これも人生の面白さだと感じている。ふとした光景をみて過去の体験を思い出す。ある匂いを嗅いだ時に、ある記憶が蘇ってくる。記憶は間違っているかもしれないが、今このときに感じている何かであって、間違いはどうでもいい。新たな記憶として残されるのだから。
混ざり合う記憶がさらに無意識の海に放り込まれて、その後の人生をつくっていく。
そうして想い出自体も、中身や感覚が変わっていき、人生全体を送ることになる。
俯瞰的に、客観的にみて感じてみる。
さらに、そうして見てみた感覚もまた、無意識の海に放り込まれていく。
面白すぎる。
PS サムネイルは40年前の江ノ島からの風景、もちろんフィルムです。
活動のために使いたいと思います。みなさんの人生時間を幸せな時間で満たせたらと思います。読んでいただいてありがとうございます。