頑張りすぎてる人へ、それでいい。
二流でも自己肯定感。
器用貧乏という言葉がありますが、けっこうぼくに当てはまっているかもしれません。なんでもできることはできます。
家事も19歳からやっています。母が亡くなってやらざるを得なかったからです。掃除、洗濯、炊事、アイロンがけ、一通りOKです。料理は好きになったので、二流ぐらいならできます。
仕事もそつなくできます。でも一流かといえばそうじゃありません。文章も書けないことはないですが、三流です。
全てが中途半端なように思えます。
でも、できないよりはいいと思っています。
生きてはいけそうです。災害の時に何をすれば良いか分かっていれば、生き延びる可能性は高いです。なんでも知っていいて損はないわけです。
それが、二流でも、二番煎じでも、次点でも。
ぼくが人より優っていることは何か?と問われても、わからないです。専門的に研究しているものは、表には出さない代物です。ただ、人のことを観察して判断することは、少しだけ長けているかもしれません。でも少しです。
おそらく、全体を見ることはできるけれど、詳細を詰めることに魅力を感じないのでしょう。詳細を詰めるのは、個々の人が自分自身で解決なり、行動すれば良いと思っているからでしょうね。
中途半端ですが、それでも自分を否定することはありません。
全部を少しずつできるのはできないのと同じ、という方もたくさんおられます。その通りです。でもぼくはそれでいいと思っています。
自己肯定感が生きる上で何より大事なことで、今の自分をベターだと思いながら、楽しみを増やしていけばいいのです。
特別な人になることが、勝者と信じている人はそれでいい。
二流だと思っていても、それでいい。
底辺生きているんだと思っている人も、それでいい。
なんら、不都合はありません。
そう思う今日この頃。の記録です。
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