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#7.5『明日は明日の風が吹くが、たまには留まっていたい時もある -④』

続き…
※③をご覧になってない方は先にそちらを読んでから、こちらをお読みください

夢も叶わず、新たにできた目標は期待を裏切り、モチベーションを全て失い

なんのために頑張るのか…

このときストレスからか体重も一気に落ちて、心配されるほどガクッと落ち、思った以上に心にダメージを受けてて

練習にもまともに出れなくなり、これはもうダメだと感じ

2年が終わり3年の春頃、練習後に

「新人戦が終わったら辞めようと思います」

本当の理由を隠して、受験のためにと無理やり理由をつけた

当然のごとく止められた。踏みとどまって欲しいと何度も説得されたが

心が全く動かなかった

あんなにもボールを蹴っていてつまらなかったことはない。虚無感の中で蹴ったボールの感触は今でも思い出せる

多分あの時が最底辺

これ以上こんな気持ちで大好きなサッカーをやっている自分が何より許せなかったし

続けるには難しいくらい心がまいってしまってた

結局、監督とコーチには本当に辞める理由を言わず嘘をついたまま退団した

今思うと謝りたいですね。自分のことを拾ってくれて監督やコーチがいろんなことを想っていてくれていたのに、自分勝手に辞めて最低人間でした

中学時代、同じくクラスでサッカー部に所属していた友人にも「なんで辞めたの?」と言われたが、理解してもらえるわけないと思い「色々あって…」と適当に流して答えた
「なんだそれ」って言われて、あの時が辞めて1番辛かった

誰も理解できるわけがない。この悔しさや辛さがどれだけ苦しいか。だから、言い返すことさえできず1人で抱え込むことしかできなかった

正直、よく生きてたなって思う。いつ最悪の選択をしてしまってもおかしくない状況だったし

ちょっと間違ってたらこの世にいなかった。間違いなく


たまに話していると「高校は青春だったわぁ〜」「戻りてぇ〜」とかいう人が多いが、残念ながらこんな地獄みたいな日々を過ごしていた自分は、その話題には嘘でも一切乗ることができなかったですね

青春みたいな日々を過ごしたかったよそりゃ

それでも叶えたいものがあったから、全部を差し出して努力してきたのに

1度しかない人生なのにふざけんなよって…

それからはというもの学校終わりはサッカーグラウンドではなく塾に行く日々に変わった

決して頭は良くないのでAOや自己推薦方式で受験するしかなく、日々面接の練習や小論文ばっかやっていた

勉強は嫌いだったし頭も悪いから浪人というか大学行かないだろうなって思っていたが

11月29日。(いい肉の日だったからめちゃ覚えてる)唯一受けていた順天堂大学に運よく自己推薦で合格した

たった2名の枠に選ばれた。今まで運が悪かったからここで帳尻をあわせてきたのだろう

受験勉強が思わぬタイミングで終わり、塾も速攻で辞めて直ぐ免許センターに向かった

そして、それと同時期に自分の学校のサッカー部が神奈川県予選決勝に駒を進めていた

中学時代の友人が出ているということもあり、心境は複雑ながらも見に行った

会場は等々力スタジアム。対戦相手はライバルの桐光学園。代表クラスを擁するタレント集団

試合はPK戦までもつれ、お互い外さず5番目の桐光学園のキッカーに

ここを外せば負けの場面で


蹴ったボールはクロスバーをかすめ枠外に


目の前で自分の学校が全国高校サッカー選手権の神奈川代表の出場権を獲得した

素直に嬉しかった。当時サッカー部も部内で分裂など様々なことが起きていて大変な中、それを押し退けての優勝であったことから、勝手ながら報われて良かったと思い、もの凄く嬉しかった

でもピッチ内で喜んでいる選手の中に自分はいなく、憧れの舞台に立つ同期の姿を見て
スタンド側に立っている自分が哀れで仕方なかった

あぁ神様はいないんだなって。いても相当、性格悪いんだなって。毎年、新年のお参りで100円入れてるのになぁ…

ここが限界。夢を見続けるのにも、いずれは現実と対峙しなくてはならないときがある。それが今だと思った。

それからは受験も早期に終わった自分は、何も楽しくない残りの高校生活を淡々と消化していく日々が続き、中学から6年間通い続けた学校とも最後の日をむかえた

卒業式のときに担任から一人一人卒業証書をもらうのですが、渡されると同時に担任が

「辛かったよな。ごめんな。君はよく頑張ったよ。これから先は幸せになって欲しい」

担任は唯一、部活のいざこざに巻き込まれ学外のクラブチームで苦労していたこと、頑張っていたことを知っていたから

まさかそんなことを言ってくれるとは思わなかった

泣きそうになった

見てくれている人はどこかに絶対いるんだなって

その言葉だけでも少しばかり救われた

その言葉を最後に

地獄の高校生活そして高校サッカーの幕が閉じた。


ハラダタクミ 18歳 大学生


夢が終わり。真っ白な状態。何が始まるのか、大きな目標がないまま始まった大学生。

ここでの4年間で新たな夢が見つかるであろうと期待していた。

高校でサッカーに人生を苦しめられたことから、大学でサッカー部に入ることは考えていなかったので、何部に入ろうか迷っていた時に、同じ寮の部屋員にバトミントン部に行こうと誘われ、バトミント部に行くことになった

ちなみにサッカー以外は何もできないほどの運動音痴人間兼カナヅチ

まぁこの行動がのちに大きかったんよね

縛られるのが嫌いな自由が絶対の王様勢と、まともにバトミントンをやる勢の二大派閥が占める、一応部活という異色のバトミントン部。

そのインパクトにハマり即入部

サッカー以外初めてのスポーツ

余談なんですけど、そこで出会った同期で同学部同学科の背の高いのっぽとは4年間ほとんど過ごし、卒業の日にリトルトゥースTシャツをプレゼントする仲になります

でもなんやかんやあり1年でバトミント部は辞めるんですけど笑

その1年でサッカーを全くしない生活を送ったことで、自分の人生にゆとりを持てたというか、人生にいろんな選択肢を持てるようになったので無駄ではなかったですね

しかも、セリヌンティウスのようなやつにも出会えたので笑

そんでそこからは大学の社会人サッカーに入るんですよ

結局サッカーなんです笑

それ以外何もできないんで

でもそこは中高のときと違って学生主体のチームなんで基本自由。なんか小学生に戻ったかのように純粋にサッカーを楽しんでました。

そんで、そこで3年間大学でサッカーをして正真正銘、引退

引退試合は天皇杯と個人的には豪華な舞台で終われたのは良かったなと

引退する時が来たらどうなるんだろうって思ってたけど

寂しかったですが全く後悔はありませんでした

後退りすることなく清々しく引退

本気で向き合った約16年間は自分の成長に大事なものだったと断言できる

大学4年間が1番楽しく過ごせた学生期間だったなぁ。遅くきた青春でしたね。

過ぎる時間も早かった

それだけ楽しすぎた。あの時の地獄の日々があったからこそ、何にも縛られない自由な時間が心地よかった

今でも戻りたいと思うし

留まっていたいと願うほどに

自分の今までの人生で大正解と断言できる選択だった

大学生活の楽しかったことをまとめると⑤、⑥、⑦…となんのためにnoteを始めたのか分からなくなるくらい脱線してしまうので端折るんですけど

細かい中身は自己紹介パートで書いたのでそちらをご覧ください


この山あり谷ありあった中で

高校生活が悲惨な結果で終わり

高校選びを間違えた、失敗したと思ったが

振り返れば、部活に入っていたらドイツ遠征に行くこともなかったことから、大学も違うところに行っていたと思うし、今とは全く違う人生になっていた

たらればだし、そりゃそうだし、そっちの世界線でも楽しい結末があったのであろうが、自分はこの人生で良かったと思ってる

失敗なんてその時だけで、それを本当に失敗にするかはそれ以降の行動でどうにでも出来る

これからもそんなことが何回も起こるのだろう

だからあえて難しい選択をし続けるし、失敗の確率が高い方を選ぶんだろうね

その先にまた最高と思える人生が待っていると信じているので…

『いつか時間が経って 思い出が四角くなって アルバムの中から少しずつ減っていっても それでもいいと笑って言える いつも必死な君と一緒に 青春時代は確かにあったと 誇りを持って言えるから』

参照:SKET DANCE


ハラダタクミ 22歳 inドイツ   to be continued…


ここまでお付き合いありがとうございました。ハラダタクミ先生のnoteはまだまだ続きます。これからもご愛読よろしくお願いします。

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