見出し画像

どこにでもいる高校生が一歩踏み出した話

ここ数年は忙しく余裕がなかったのだが正月とは別に、毎年一人、地元に帰りのんびりすることがある。地元と言っても特に実家に寄ることはない。団地育ちの僕にとって実家はどこまでもただ、団地であり、その場所に強い思い入れを持たないでいる。慣習として、実家には帰るが何故かその団地、家、部屋自体に強い思い入れを持たない。

昨日は水曜日。娘を保育園に預け午前9時。特に予定もない。最近、ひどく展覧会に足を運ぶのが億劫になっている僕にとって一日開いたらからと言って地域アート的なイベントに行こうなどと思うはずもなく、夕方までの時間しかなく、どうしたら有意義に過ごせるかを考えた結果

そうだ、地元帰ってみよう。

と言うことになった。と言っても僕の地元は神戸だ。大阪から電車で30分ほどである。そして今の僕には「走る」と言う手段がある。ジョギングシューズと着替えを持って悠々と電車に乗り込んだ。夕方までの夏休みだった。

地元には最寄駅が二つある。"垂水駅"と"舞子駅"と言う駅だ。二つとも海に面している。そして僕が生まれて3歳になるまで住んでいたマンションが明石にある。それらを回っても10kmに満たないほどだった。

人生にいくつかターニングポイントがあるとすると、一つは今から20年前のこと。工業高校に入学し、毎日1時間ほどかけて通学していたある日のこと。今も当時もとてつもなく頭が悪く、そもそも勉強する意味がわからなかった。当時は漫画家に憧れていて親にバレないようにひっそりと漫画やイラストを書いては〇〇賞に出すようなこともしていた。

いつも通り舞子駅から電車に乗り込み工業高校があった御影まで向かった。そもそも何故一時間もかけてその学校に通っているかさえ自分でもわかってなかった。そして電車は次の駅、垂水駅に着いた。その時、僕の脳裏で囁きが聞こえた。

「ここで降りてしまえ」

たった一歩だった。通学途中に一駅で降りてしまったのだ。それはまだ2学期ごろ。秋に差し掛かる頃。

初めてだった。

友達と学校で喧嘩して怒られたこと、テストの点数が悪くて怒られたこと、そんなことは今までも沢山あったがズル休みや遅刻すらしたことがなく、頭は悪い癖に居場所もないからなんとなく通っていた学校。それ自体が疑わしくなった。その疑問は中学時代から芽生え始めた。それでも皆んなが当たり前だと言う方になんとなく進んでいた。

僕が一駅で電車を降りてしまい、電車は行ってしまった。あーあ、ついにやってしまったと思った。昔から、こうした事をやらかしてしまう素質みたいなものがあったのだと思う。子供の頃はずっと我慢していたのだ。人と同じだと言うことをやめてしまうと言うことは自分で考えなければいけないと言うことだ。多分それすらわかっていて、僕はなんとなく人と同じを選び続けていた。考えることが億劫だったからだ。あとは周りの目を気にしていた。

清々しかった。その一歩が僕を大きく大きく変えた。そのまま行くあてもなく、地元の図書館へ行き、読書感想文以外でしかまともに読んだこともない分厚い本を読み始め、読み終わる頃には僕が学校へ数日間行っていないこともバレ、自分の正直な気持ちを親に伝え、当時はそんなことが通用するような親ではなく、喧嘩して、口を聞かなくなり、そのまま僕は高校を辞めた。

画像1

親には随分迷惑をかけてしまったが僕のその行動を1mmも後悔していない。あの一歩がなければ今の自分は確実にここにはいない。


懐かしい風景を横目に見ながらその日はできるだけSNSを見ないようにしジョギングをしながら僕がそこで過ごした時間を振り返っていた。僕はこうして一年か二年に一度一人で地元に帰って色々と考え事をする。

炎天下の中、明石の市場まで走りきりバテバテになりながら明石の蛸の照り焼きを食べ歩き、僕が3歳までいたマンションを横目に淡路島行きのフェリーに乗った。面白いことにそのマンション周辺の土地の名前は「中崎」と言う。

フェリーからは明石海峡大橋が見える。僕の両親はその世界一のつり橋を作る為の会社にいた。「お父さんはあの橋を作っているんだよ」と自慢げに僕によく言った。とてつもなく大きな橋だ。今では当たり前のようにあり逆にないことが考えられないほどに便利になった。

今、僕も彼らのように親になり、考え方が少しづつ変わっている。僕の両親も次の世代の人々の為にあんなクソでかい橋をかけたんだ。僕は娘に何をしてやれるだろうなとも考える。勿論それだけが目的ではないけれど。

風をきるフェリーからの風景に心が洗われた。なんやかんや僕が定期的に海を欲するのは子供の頃から海が近くにあったからだ。瀬戸内海の海はついも穏やかだった。

画像2

画像3

画像4


大阪で絵画制作や美術活動をしつつ、ARTspace&BARアトリエ三月を運営しています。サポート頂いた分は活動費やスペース運営費として使用させて頂きます。全ての人がより良く生きていける為に 美術や表現活動を発信し続けます。