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盛夏に向かう宵の白い鍋、熱々のニセタッカンマリ。

例年より長引いた梅雨のせいでまだこの町にはあの殺人的な陽射しが降り注いてはいないけれど、昨夜は大阪にとって大事な夏への扉、「天神さん」こと天神祭の日でした。天神さんの船渡御を終えると大阪はうだるようなを通り越して死にそうな猛暑をどうにかしのぐ毎日が続きます。

もちろん今年はあいにくの事情でお祭りは中止。大阪人にとっての夏への扉は取り外され、人々は戸板も何もない透明な矩形の枠を各々で踏み越えて、新しい季節へのスタートを切ったつもりになるしかありませんでした。

天神さんの時季には例えば鱧とか白天とか、白いものを食べる風習があります。とくに「鉾流し神事」を執り行う神童と呼ばれる役職に選ばれた小学生男子は、祭りの一週間前から白いものしか口にしてはいけないという厳しい決まりもあるようです。

そんな失われた風物詩にしみじみ思いを馳せ、何か白い料理を食べようと思案。先日イオンで安かったので買った鶏胸肉とモモ肉をどうにかしよう。ジャガイモも豊富にあるので食べていかねばならぬ。

でも白い料理ったってクリームシチューってのは季節外れにも程があるしなあ。とあれこれ考えていると、ふとひらめいた料理がありました。

それがお隣さん韓国のあっさり鶏鍋、タッカンマリ。もちろん色はほぼ白。

そうだ、これから暑くなる前にもう一回土鍋を引っ張り出してきて、熱々の鍋をハフハフ食べて精をつけようっと。

タッカンマリとは、鶏一羽。

そもそも「タッカンマリ」とは朝鮮語で「鶏 一羽」の意味らしい。丸ごと鶏を香味野菜とあっさり煮込んだ鍋のこと。

丸ごと鶏の料理といえばそのお腹に枸杞の実や高麗人参などの生薬とともに餅米を詰めて煮た「参鶏湯(サムゲタン)」も有名。こちらはまさに現在のような時季に暑気払いに食べるものだけど、タッカンマリはおそらく料理としての成立がもっと現代に近いのか、そこまで時節に則ったものではなく、年中食べられているみたい。

タッカンマリ03

以前冷凍の参鶏湯をもらってきて、中年夫婦ふたりで鶏一羽を食べきるのにまあまあ苦戦した憶えがあるので、今回はそのような愚挙は繰り返すまい。鶏胸肉は丸一枚、モモ肉は半分を使用。冷凍ストックしておいた白ネギの青いところ、玉ねぎ小一個、生姜のスライス数枚、潰した生ニンニクひとかけとともにグツグツ煮る。もうこれが今回の料理のほぼ全容である。

丸ごと一羽ではないのでこれはタッカンマリではない。あえていうならタッカンマリ風、あるいはほぼタッカンマリか偽タッカンマリ 。

ニセタッカンマリ、いいなあ。そう呼ぼう。

タッカンマリ04

アクを取りながら最低でも15分ほど煮て、ジャガイモを投入。皮をむき食べやすい大きさに切ったら、角を取ってしばらく空気にさらしておく。こうすると煮崩れしにくいです。ここポイント。シチューでもカレーでもなんでも応用できます。

香味野菜のうち、白ネギの長いところだけは今回食べませんのでここで退場いただきます。ご苦労様でした。

それにしても調味料をさっきからひとつも入れていない。今からカレーにでもシチューにでも、何にでも転用できそう。

煮ている間にかけるタレと薬味を用意。

タッカンマリ05

タレもこれまた至ってシンプル。刻みニラ適量に、醤油大さじ2、ヤンニョムジャン小さじ1程度を混ぜただけ。ヤンニョムジャンがない人はコチュジャンでも代用できると思います。ちょっとコクが増すけど大勢に影響なし。どうせ本場そのものの味には絶対ならないんだから無理せず、あくまで雰囲気で。お好みで砂糖やお酢、ごま油なんかを入れてもいいと思います。

変わっているのが薬味。お店にもよるんだろうけど、スライスした玉ねぎやキャベツの千切りを加えるところがあるみたい。キャベツを薬味に、ってなかなかこの国では珍しい発想だと思ったので即採用。

へえー、どうなるんやろ、楽しみー。

ネギを加えてひと煮立ち、できあがり。

タッカンマリ02

ジャガイモを串で刺してみたりして火が通ったら、長めに切った万能ネギを散らしてひと煮立ち、でできあがり! 輻射熱でキッチンがキツい温度になる以外は何ひとつ難点のない、至って簡単な「白い鍋」である。

タッカンマリ06

味つけを一切していないので、それぞれお椀に取り分けてから、まずは塩だけを振っていただきます。

おおお、なんだこれ。全体にはあくまでやさしいテンションでありながら、なぜこれだけの料理にこんなに味があるんだ、と驚かずにいられない奥行きのある味わい。余計な味つけをしていない分、香味野菜と鶏のおだしが際立っている。シンプルさの勝利。これ丸鷄だと骨周りからいいおだし出るからもっと滋味深い味わいになるんだろうなあ。

熱い季節に首タオルでホックホクのジャガイモ頬張るのも、これまたいい。

今回「アジア料理といえばこれ」で入れがちなごま油をあえて入れなかったことも大きく功を奏していると思う。ごま油は風味として強すぎるから、安定のうまみと引き換えに料理の個性を少し殺してしまうんだなと実感。

タッカンマリ07

で、千切りキャベツと特製ニラだれでもいただいてみる。薬味に生キャベツってどうなのよ。

……おおお、キャベツいいぞ。めちゃくちゃ新しいぞ。熱いおだしでクタッとなり、具材にスッとからむ。そして甘みと、ほんのりした苦味をプラスしてくれる。常識や固定観念にとらわれない自由がここにある。これは他の料理にも応用できそう。

ニラだれも変にあれこれいじらずヤンニョムジャンと醤油だけにとどめたことがいい方向に作用している。味が冴えていて箸が進む。

シンプルさという奥深さ。

タッカンマリ01

この料理は、たぶんシンプルであることに美しさがあるんだと思う。

アレンジでたとえばキノコなど他の具を入れたりもするみたいだけど、逆にこのぐらい削ぎ落としたソリッドな具材だけの方が、群雄割拠の鍋料理の中で個性を放つ気がするなあ。家庭料理における鍋って、あれこれ欲張って入れちゃうと結局「ベースの味つけ以外一緒でしょ」ってなりがちだもの。かっこいい鍋料理を作れる人って極限まで具材を減らせる人なんだと思う。

それはお鍋に限らずそうだけど。

何でしょ、喩えとして共感してもらえるかどうかわからないけど、漫画でいうと、精緻な描き込みを画風としている作家も多いけど、極力シンプルな線で勢いよく、余白を活かして描くことで独自のタッチを確立し、かえって空間を広げ想像力をかき立て、人物を活きいき描写する人もいるじゃないですか。このお鍋はたぶんそっち方向なんだと思う。

夏への扉を開ける白い鍋料理。堪能いたしました。



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