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映画研究会デ・ニーロ 2

◆これまで
 大学に進学した僕は、『映画研究会デ・ニーロ』というサークルに入り、授業にも出ず留年を繰り返している先輩達と自主制作映画「ゾンビ館の殺人」を作ることになったのでした!


 「ゾンビ館の殺人」は、サスペンスとパニックムービーを合わせたような脚本で、B級映画のダメなあるあるネタを詰め込んだような大作でした。
 ストーリーは、ある日運び屋の男がヤバい薬を運搬していたところ、敵対するヤクザに捕まってしまい、男は咄嗟にそのヤバい薬を飲み込んで隠しますが、それが人間をゾンビ化させる薬だったのです。ヤクザは結局、男を殺して樹海に埋めますが、ゾンビと化した男は近くの別荘でドラッグパーティーをしているヤクザ達を次々に襲っていき、その別荘は死屍累々の地獄となっていく・・・というものでした。

 脚本を書いた松永先輩は、ちょっと嗜好の偏った美学を持っている人で、そのうちの一つに「ゾンビは走ってはいけない。」というのがありました。飛んだり跳ねたりなんてのはもっての他で、人が歩くよりも遅いスピードでノロノロと動かなければならないのに、昨今の映画はゾンビが走って追いかけてくるというのにひどく憤慨していたのでした。スピードはなくとも、数で迫って、主人公達をいかにショッピングモールの事務所に追い込んで行くか、というのが脚本家の腕の見せどころなんだとイっちゃってる目で熱弁していました。

 主演のゾンビは俳優スクールにも通っている河野先輩で、ヤクザのボスは幹事長の佐伯先輩、そして僕にもなんと役が与えられて、同級生組と一緒にチンピラABCに任命されたのです。
 僕らは皆、演技経験なんかないので丁重に辞退したかったのですが、部長の国木田から剛柔からめた強引な説得をされた結果、つつしんで引き受けざるを得なくなってしまったのでした。

 ところで、「主演のゾンビ」というところで僕は引っかかっていて、主人公って人間側で、ゾンビは主役ではないんじゃないですか、と僕が疑問を口にしてしまいました。
 松永先輩はメタルフレームの眼鏡の奥で目をグルグルさせながら、

「ゾンビ映画の主役はゾンビに決まってるだろ何言ってんだお前。」

と早口でまくしたてました。

「じゃあターミネーター2の主人公は、ジョン・コナーじゃなくてシュワちゃんってことですか?」

僕が聞くと、

「もちろん。」

と頷きました。

「じゃあガンダムの主人公はアムロじゃなくて、ガンダムそのもの?」

僕がまた尋ねると、

「いや、ガンダムの主人公はシャア・アズナブルことキャスパルうんぬんかんぬん。」


 松永先輩は、サッカーとガンダムと谷崎潤一郎を愛する変態オタクで、サッカーはイタリアリーグのユベントスのファンで、たまにイタリアまでサッカー観戦にも行くくらい熱が入っていたのでした。
 東京出身で都会のことに詳しいので、田舎出身の僕は一緒に趣味だという散歩についていったりして東京のことを教えてもらったり、谷崎潤一郎が著したNTR分野の先駆け的存在「痴人の愛」の素晴らしさを聞いたりしていました。
 党三役の中では唯一チンピラ風でない、まともな格好をしているように見えましたが、温厚そうな外面の内にはキラリと光る変態性がチラチラと伺えるのでした。まあストレートで2留もしている時点でまともなわけはないのですが。

 松永先輩の他にも、党三役の3人はみんな海外サッカーのファンで、部長の国木田はイギリスのマンチェスター・シティを、幹事長の佐伯はスペインのレアル・マドリードを応援していました。
 別々の国のリーグなので普段は平和に煽りあっているくらいでしたが、チャンピオンズリーグなんかでぶつかりでもしたら、それはそれはひどく暴れていました。


 さて、映画の話でしたが、夏休みに入るまでに、僕達はストーリーを分解していき、撮影場所をどうするかとかどうやって撮るとかどんな演出をするかなどを決めていきました。
 カメラやマイクなどの撮影機材は一通り揃っていて、肩に担ぐような大きくて重いカメラや、長い棒の先についたフワフワのマイクや反射板、照明なんかを並べて点検していると、けっこう本格的な映画撮影現場っぽくてなんだかワクワクしてくるのでした。

 最後の別荘のシーンは、幹事長の佐伯の父親が社長をしている会社の保養所が富士山の近くにあってそこが使えるとのことでした。
 それ以外のシーンの撮影場所をインターネットで探したり、松永先輩のイメージを固めるのに調べ物を手伝ったりしているうちにやがて夏休みになったのでした。


 同級生の酒井曰く、大学というのは年間で90日くらいしか登校日がないらしく、8、9月の2ヶ月が丸々夏休みになっています。
 夏休みをはさんで、前期と後期の日程に分かれていて、4月〜7月が前期、10月〜1月までが後期です。
 受講する講義は、英語や第2外国語などの必修科目以外は、全部自分で決めていくので授業の時間割も一人一人異なります。
 各日程の最後に試験を受けて、合格すると単位というのがもらえ、僕の学部の場合はそれを140単位集めると卒業することができました。

 『映画研究会デ・ニーロ』に入って、留年を繰り返している先輩達の大らかな風土に触れていた僕は、ものの見事に精神を汚染されていき、やがて僕も授業に行かず麻雀や映画制作に興じるようになっていたのですが、前期日程を終え、成績表が届いてみると、当然ほとんどの授業に落第しており、取得単位欄には「2」という残酷な数字が記されていたのでした。

 (ちなみに、まともな人は前期だけで20以上の単位を取得しています。

 逆に取れていた2単位は、途中から授業にも出ていなかったし、試験もパスしていたので何でとれたのか分からない、教授の手違いによって与えられた奇跡の産物なのでした。

 そしてさらに恐ろしいことに、前期と後期とは別の単位になっていますが、授業内容は連続しているので、前期に落第すると後期の授業を受講することができないのでした。
 つまり、これからどんなに頑張ろうとも後期で巻き返すことは不可能で、必修科目を落としまくっていた僕は、1年生の前期にして、最速で留年を決定してしまったのでした。
 浪人してまで入った大学で速攻留年を決めてしまった後ろめたさから、僕は夏休みになっても地元に帰省することができず、映画撮影に全集中していくことになります。
 ヤバい成績表がいつ実家の知るところとなるか気が気ではありませんでしたが、夏休みの間にはなんとか発覚せずにすみました。


つづく

次回、「大学デビュー」!?


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