ノルウェイの海 3
◆これまで
いろいろあって、僕は現役の大学受験に全落ちしてしまったのでした。
受験に全落ちした僕は、少し離れた街の予備校に通うことになりました。
知らなかったのですが、予備校というのにもクラスがあって「東大コース」とか、「国立大学コース」とか「私立大学コース」とか志望校ごとに分けられているようでした。
当時のセンター試験や、模試の結果によって選べるクラスが限られていましたが、僕はなぜかセンター試験の点数だけは良かったので、どのクラスでも入れると言われました。
昔から運だけは良かったので、センター試験のマーク式でラッキーパンチが当たっていたのだと思います。
そして、当時の僕は何を思ったのか「東大クラス」に入ることにしました。
「大は小を兼ねる」的な、東大向けの勉強をしていれば、他のどの大学でも受かるようになるだろうという浅はかな考えと、いろいろあってやけっぱちになっていたのもありました。
予備校の初日、「東大クラス」の教室に入って自分の席につくと、隣の席から「やあっ」と声をかけられました。
僕が顔を向けると、小池徹平に似た小柄で爽やかなイケメンが笑顔で手をあげていました。
「これから1年間よろしくな。俺は岡野。」
僕も挨拶を返すと、
「分からないことあったら何でも聞いてよ。俺ここ3年目だから。」
さ、3年目?
それってもう高校と一緒じゃん凄いなと思って話していると、実際は今年で5浪目で、この予備校に通いはじめて3年目ということでした。
僕が圧倒されていると、じきに先生が教室に入って来てホームルームが始まりました。
担任の先生が建物のことや授業についていろいろ説明していましたが、隣の5浪男の存在が気になって今ひとつ僕の頭には入ってこないのでした。
予備校というのはこういう人間がゴロゴロしている魔窟なのかと不安にもなりましたが、流石に何浪もしている人間は稀でした。それでも何人かいましたが。
1浪目の浪人生はだいたい、次こそは受かってやるぞ!とギラギラしているのに対して、何浪もしている人に限ってなんだか悠然と構えているのがまた余計に不気味に見えました。
初日は午前中にいろいろ説明を受けて、午後からは早速授業が始まるみたいでした。
今年こそは合格するんだ、と燃える浪人生達にとっては早く勉強したいので、授業が待ち遠しいのです。
対して、僕の隣の男は5浪目だけあって、欠伸なんかしながら余裕の表情でした。チャイムが鳴って昼休みになると、僕の方にやって来ました。
「一緒に昼飯食いに行こうぜ。美味いお好み焼き屋知ってんだ。」
3年も通っているだけあって、岡野は予備校周辺の飯情報には詳しいようでした。
僕らは予備校の建物から出て5分くらい歩くと、細い道と古い建物が並ぶいかにもな場末にいました。
そして、その中でもひときわ古くて汚い「なっちゃん」というお好み焼き屋に案内されました。暖簾は色褪せて、何か分からないよごれがびっしりついています。
店の前に来ると岡野はクルリとこっちを向いて、両手を合わせました。
「悪い、財布忘れちゃったからお金貸してくんない?五千円。」
わお!
会った初日に金を貸してくれと頼まれたのなんて初めてでした。
婆ちゃんの教えで、借金は絶対に断われと口を酸っぱく言われていた僕でしたが、実際に頼まれるとノーとは言いづらいもので、「絶対返してよ」と言いながらも5千円貸してしまったのでした。
「サンキュー!明日、絶対返すから。今日は俺の奢りだぜっ。」
そう言ってご機嫌で店に入っていきました。
こんな太宰の小説に出てくるみたいな奴リアルにいるんだと驚きつつ、あまりこの男には関わらないでおこうと心に決めながら僕も後について店に入りました。
(貸したお金は、意外にも次の日ちゃんと返してくれて、お礼のお菓子までつけてくれたので、どうやらほんとにただ財布を忘れただけのようでした。)
店の中に入ると、外観とは違って意外にも綺麗にされていました。だったら外の暖簾も洗ったりもう少し綺麗にしたらいいのにと思いましたが、もしかしたらボロすぎて洗った途端に繊維がバラバラになってしまうのかもしれません。
岡野は空いている席に座ると、
「生2つとホルモン焼き、牡蠣バター、あとちょっとしたらお好み焼き海鮮ミックス2つお願い。」
と慣れた調子で注文しました。
鉄板の向こうで、短い白髪のいかつい顔をした婆さんが「あいよ。」と返事をします。
しばらくすると生ビールのジョッキが2つ僕らのまえに並びました。
「この店はランチビール半額なんだぜ。」
と岡野がウインクしました。
僕は焦ります。
「だめだよ!僕飲めないし、午後から授業あるでしょ。」
と僕は言いましたが岡野は全然聞いていません。
「大丈夫大丈夫!じゃあ新しい友達と受験の成功に乾杯!」
そう言ってグビグビと美味そうにビールを飲み始めました。
つい何日か前に受験に失敗したばかりなのに、もう「受験の成功に乾杯」なんてどうかしています。
僕は5浪というものの恐ろしさを垣間見てしまった気分でした。
※ この時点での僕の年齢や、このビールを飲んだかどうかについては、あえて明言を避けたいと思いますが、ホルモン焼きや牡蠣バターをつまみながらのビールの味はとても美味だった、ということだけ伝えておきたいと思います。
そしてこの物語はフィクションであることもご承知ください。
その後にやってきた海鮮お好み焼きも、イカやエビや牡蠣が入っていて、普通のお好み焼きとは食感もうまみも全然別ものみたいに変わっていて衝撃を受けました。
たらふく食べて、ジョッキが何杯か空いて、大満足で店をあとにする頃には、午後一の授業はとっくに終わってしまっていて、僕らは次の授業から参加しましたが、フワフワといい気分でろくに頭に入ってこないのでした。
そうして予備校初日はほろ酔いで終わり、波乱の浪人生活が幕を開けたのでした。
つづく
次回、「オンボロサイクル・ダイアリーズ」!
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