原飛鳥

新潟県新潟市出身1976年生。「ボンサイ・マムの庭」主宰。奈良大学文学部文化財学科卒業…

原飛鳥

新潟県新潟市出身1976年生。「ボンサイ・マムの庭」主宰。奈良大学文学部文化財学科卒業後同国文学科卒。「中国古代俑」「柄谷行人」専攻。会社員を経て盆栽の無農薬栽培を始める。2020年にパートナーと出会いスピチュアルを体験。現在は庭を浄化する日々を通し、舞い降りてくる言葉を紡ぐ。

マガジン

  • 戦争の爪痕

    物置でみつけた戦没者名簿をたどると、村から出征したなかに、大叔父と同じく中国福建省沖の輸送船上で戦死した人が数人いた。ほかにも激戦で知られる硫黄島や、沖縄での決戦、8月15日の全面降伏のあと、シベリアの収容所で命尽きた人もある。これは、それら負け戦とわかっていながら、神という名のもとに、無駄に死んでいった人たちへの鎮魂の旅である。

  • 龍の舞い降りる場所

    その土地が持つ磁場というものがある。それは生物、森羅万象を惹きつけて止まない磁力。大地は隆起し、風が吹き抜け、河が滔々と流れる場所。古くから、王や神官と呼ばれる者が、その土地を護り清める役割を与えられてきた。これは一つの砂丘をめぐる物語である。

最近の記事

満州開拓民

私の曾祖母は、つい近所の 藍染業をいとなむ家からヨメにきた。 実家は「紺屋(こんにゃ)どん」とよばれ、 「どん」と敬語が付くのは 金回りが良く 村内のヒエラルキーの上位にある家を指したから 曾祖母が嫁入り道具として持参したタンスは 桐材を使い立派なものだったという。 しかしその桐タンスは 敗戦後、満州から 命からがら逃げ帰った末娘をあわれがり 曽祖父がくれてやったため、 いまは家に残っていない。 なぜ開拓民となったのか その末娘、私の大叔母は 同

    • 牛小屋のこと

      村の各所にのこる小屋は 牛を飼っていたころの名残で 母方の祖母の家では いまも家人に「牛小屋」と呼ばれている。 土間造りに石の基礎を置き、 柱を立てた簡素なもので 藁混じりの土壁が美しい。 人糞を肥(こえ)にしていた時代の名残で 便所がドッキングしており 路面沿いに建つそれは、 牛も肥もすぐさま田畑に運べるよう 作業の効率を第一に考えた造りである。 私の記憶に残る牛小屋は 祖母の家の母屋を建て替えた昭和50年代、 床を張って物置になっていた牛小屋を

      • 砂丘と神域

        小径を東から西へ 草を抜きながら進むと 引き抜く手応えで 敷地の土が 徐々に粘土質から やわらかい砂地に変わってゆくのがわかる。 この上質な砂地は 新潟砂丘と呼ばれる 地形の一画にあり やや黒褐色で 豊かに養分を含み いまも 新潟平野の沃土を成している。 河がもたらした恵みと この土地への畏敬を忘れて、 われわれは その生を営むことは出来ない。 小作のくらし 村で唯一の原姓をなのるわが家は もともと いまの中学校の近くの土地持ち、 原

        • 潟と伝説

          新潟平野に点在する「潟」とは 河川が氾濫し、堰きとめられた 低湿地・湖沼であるとは 前節「潟のなりたち」で紹介した。 本節は 人々が掘削し、現在の姿になる前の 二つの大河、 信濃川と阿賀野川の流路と 潟に伝わる伝説から舞い降りた、 ひとつのイマジネーションである。 信濃川と阿賀野川 海岸付近の砂丘の堆積により 約1000年前、 阿賀野川は河口をふさがれ、 流れが西上し 信濃川と合流して 海にそそぐようになる。 二つの大河が半身を一つにし 海

        満州開拓民

        マガジン

        • 戦争の爪痕
          1本
        • 龍の舞い降りる場所
          5本

        記事

          さいたま市大宮盆栽村

          世界各地に パワースポットと呼ばれる土地があります。 大宮盆栽村とよばれる 老舗盆栽園の集まる地域もその一つ。 界隈にはまだ 原生林をおもわせる大樹が残っており、 先人が、自然豊かなこの地に 居を構えた理由にうなづかれます しかし その土地を護り清める者がなくなれば やがて土地のパワーは衰え すたれていきます。 盆栽村の今昔に思いを馳せました。 風土 新潟から上越新幹線に乗り 雪国のトンネルを抜けると 忽然と、晴れわたる青空が広がります。 日

          さいたま市大宮盆栽村

          潟のなりたち

          新潟の冬は 絶え間なく降り続く雨に なすすべもなく やがて雪へと変わる時間が ただひたすらに流れてゆきます。 庭を眺めていると 雨水が流れ、土地の低い場所に溜り ゆっくりと浸み込むさまが見られます。 砂地にしみ込んだ雨水は 時間をかけて地下水となり 近くを流れる河川の伏流水と ひとつになるのでしょう。 そう、ボンサイ・マムの庭は 河が長い年月をかけて形成した 新潟平野の一帯にあるのです。 潟とは? 新潟平野には 潟とよばれる湿地帯が点在し

          潟のなりたち