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潟と伝説

新潟平野に点在する「潟」とは

河川が氾濫し、堰きとめられた

低湿地・湖沼であるとは

前節「潟のなりたち」で紹介した。

本節は

人々が掘削し、現在の姿になる前の

二つの大河、

信濃川と阿賀野川の流路と

潟に伝わる伝説から舞い降りた、

ひとつのイマジネーションである。


信濃川と阿賀野川

海岸付近の砂丘の堆積により

約1000年前、

阿賀野川は河口をふさがれ、

流れが西上し

信濃川と合流して

海にそそぐようになる。

古地図にみる阿賀野川と信濃川の流路。河口付近で合流し日本海に注いでいた。1645(正保2)年のもの。(「新潟市史別編1」より図版転載)


二つの大河が半身を一つにし

海にながれこむその姿は

まるで一身二頭の夫婦(めおと)の竜が

交合するように、

氾濫するたび

平野に有機物が堆積し

土地を肥やした。

そうして

新潟平野の各地に

豊かな湿地帯ができ

潟と呼ばれる湖沼を形成した。

それは、

まるで竜の子宮であるかのように、

すべてを呑みこみ、すべてを産み出しながら

生と死のゆりかごの如く

破壊と豊穣をもたらした。

このような土地に伝わる

悲しくもありまた

不可思議な暗喩をたたえた

伝説を一つ紹介しよう。

お福伝説

むかしむかし

潟のちかくに

S寺という寺があった。

寺には一人の若い僧がいて

長者のうつくしい一人娘お福は

ひそかに思いをよせるようになった。

しかし一方は仏道に精進する身、

お福の懸想を断ち切って

逃げ出す。

恋人を追うお福の執念は

憎悪と変わり

大蛇と化したお福は

僧の身体に絡みつき

もろとも潟の水面に沈む。

やがて二頭の大蛇が絡み合いつつ、

水面から天に上り

そのあと降り出した雨は

七日七晩つづき

あたり一面泥の海と化したという。

(「豊栄市史 民俗編」より筆者要約)

これは

歌舞伎や浄瑠璃で有名な

「道成寺」安珍・清姫伝説と酷似した

説話であるが

郷土の博物館で流されるアニメーションでは

ストーリーは少し異なり

お福と僧侶の純愛に、

横恋慕した

国司のドラ息子が登場する。

佐渡の法然上人のもとに身を寄せようと

駆け落ちした二人に追手が迫り

海に身を投げた二人は

二頭の竜となり

天に昇る。

その日から七日七晩

嵐となり水があふれた、

となっている。

女の執念が蛇(じゃ)と化した

では、博物館を訪れる小学生たちに

ショッキングすぎるということで

ストーリーを改変したのか、

それとも異説があり

そちらのバージョンなのか

筆者はしらない。

しかし

この伝説にちなみ

お福の名を冠した潟は

信濃川と阿賀野川、

まるで二頭の大蛇(竜)の

子宮のように

今も満々と水をたたえている。

いまも満々と水を湛える
お福の名を冠した潟

伝説と集合無意識

もとが紀州和歌山産の

「安珍清姫」奇譚は

当時人気を博した

浄瑠璃や歌舞伎の演目として

ストーリーが越後にも伝わり

独自にアレンジされた可能性も

否定できないが、

筆者が着目するのは

二匹の竜(大蛇)が絡み合い

天に上るというくだりである。

みなさん蛇の交尾を

見たことがあるだろうか。

雌雄絡み合い、果てるまで

はてしなく続く。

伏羲・女媧図(復元イラスト)。中国では類似した絵図が多数出土しており、天地をつかさどる二神は、手にコンパスと曲尺を持つ。


中国に伝わる

伏羲・女媧(ふくぎ・じょか)神話では

人頭竜尾の男女の神が

まるで

絡み合うように交合し

天地を生みだす。

このような一身二頭で

竜尾の姿をもつ、

男女神の説話は

なぜ

世界各地に伝わり

いまも人々を惹きつけるのだろうか。

19世紀の心理学者ユングは

各地に伝わる神話や伝説を、

その民族の深層心理の現れ

=集合的無意識

と位置づけた。

これらは天地創造といった

壮大な使命を帯びた

神々の話になるのだが。

悲恋と過去世

いっぽう、お話の

男女関係に着目すれば

「タイタニック」や「冬のソナタ」など

ハッピーエンドより

世に、悲恋ものがメガヒットするのも

人々が過去世において

一度や二度は

ロミオやジュリエットであり、

三勝半七だったから、とも考えられる。

スピチュアルの世界では

人はみな、輪廻転生してきた

過去世(前世)があるという。

おのおのの過去世で経験した

悲しい恋の記憶が

無意識に呼び覚まされ、

古傷が疼くため

悲恋の物語が

人々の胸を打つのではなかろうか。

個人的な好みの問題かもしれないが、

ケネディ大統領の妻ジャクリーンより

愛人のマリリン・モンロー、

海運王オナシスと再婚したジャクリーンより

恋に敗れたマリア・カラスに

筆者は惹かれる。

しかし宇宙の法則にしたがい

それぞれの男たちも

世間的な打算なしに生きれば

魂から惚れ込み

セックスの相性が良かったのも

後者の女たちだったのではあるまいか。

年月を経ても

根強いモンローファン、

カラスファンが後を絶たないのも

その証のように思えてならない。





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