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MTGとは仁王を彫り出すこと也

「こんな夢を見た」
このフレーズから始まる日本史上最も有名な作家のとある作品がある。そう、夏目漱石の夢十夜という作品だ。こころと並んで国語の教科書にもよく採用される作品で馴染み深い方も多いかもしれない。
タイトルのとおり夢で見たという設定の10話からなる作品である。その中の第6話(原文では第6夜)に現代(明治時代)に運慶(鎌倉時代の人物)が存在していて仁王像を彫るのを主人公である自分が見物しに行くという話がある。その中の一節で

「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。

夏目漱石「夢十夜」

というやりとりが存在する。その後、主人公である自分は家に帰って仁王像を彫り出すまで彫刻してみるが、一向に仁王を彫り当てることができず、明治時代の木には仁王が埋まっていないと気づいたところで物語は締められる。

この話自体は漱石が抱く明治文化に対するアイロニーが含まれているとも言われているが、そういう高尚なことな置いといて私はこの話が自身のMTGのプレイ観に似通ったものだなと感じている。

ということで、MTGのプレイについて仁王を彫るイメージで以下のとおりに例えてみた。

木:相手
彫る人:自分
道具:手札や場に出ているカード
道具箱:デッキ(山札)
弟子:ドロー
天気:先手後手

図解

弟子やら天気やら謎めいた要素もあるが、興味が湧いた方がいらっしゃれば以降もぜひお付き合いいただきたい。
なお、以下に述べるのはカードゲーマーが好きな「言語化」という概念よりほど遠い感覚的なものになる。バットの振り方を、「ここまでグワーッ!と振って、最後はシュッ!といくような感じ」と教えるような長嶋監督方式と思っていただければ幸いである。もっとも発言するのは長嶋監督とは程遠い存在だが。

1.仁王を彫る道具箱を準備しよう

道具箱の準備、それはデッキ構築を意味する。これからあなたが彫るであろう仁王が埋まっている木(相手)はどういう性質だろうか?こういう性質だから、あの道具が必要かもしれない。逆にあれは不要かもしれない。そういうことを考えながら道具箱を準備する。
彫るべき木はどんなものが多いだろうか。現在流行りの木(メタ)を調べて適切な道具箱を準備しよう。

2.仁王をどう彫り出すか考えよう

ここからが本題。道具箱は準備できた。客からのオーダーでどうやら今回はこの木(相手)を彫るらしい。この木に仁王はどのような形で埋まっているだろうか。
もう少し具体的な話をする。先述した内容は相手のデッキがわかった場合、自分のデッキをどのような使っていたら勝てるのかという勝ちパターンのイメージをする必要があるという話だ。
あなたが使っているのは決まれば勝つコンボデッキとしよう。相手はアグロデッキということがわかった。相手のコンボに対する妨害手段は限られているので、真っ直ぐコンボを決めれば勝てる。しかし、こちらがコンボを成立させる前に相手のアグロは4ターン目にこちらのライフを削りきってしまうかもしれない。こちらのコンボ成立は最速でも5ターン目で速度は劣る。
そんな時どのような道具(手札)を使うのが良くて、それをあなたはどう使っていくのだろうか。とりあえず相手が誰かわからない状態で持ってこれる分だけ持ってきた道具(初手)がどう活かせるのかよく考えてみよう。
もちろん手元にある道具だけではなくて、自分が予め準備した道具箱(山札)から良い道具を引き込めるであろうかということも考える必要がある。

そして残念なことにあなたは道具箱から意のままに道具を引き出すことはできない。それは知識の無い弟子(ドロー)が無作為かつ定期的に持ってくるからだ。弟子が道具箱から良い道具を持ってきてくれることを期待しつつ彫り出していくことになる。

弟子はそそっかしいのだ

天気(先手後手)はどうか。晴れ(先手)であれば彫り出しやすいし、雨(後手)であれば彫り出しにくいかもしれない。大抵の場合は晴れていた方が良いのだが、この木だけは湿気があった方が案外彫りやすいのかもしれない。
このように、まだ彫り出していない段階でも考えるべきことは数多ある。彫り出し方をよく考えずに彫り始めちゃうと取り返しがつかなくなるかもしれないので、ここはじっくり考えたいとこ。

3.仁王を彫ろう

さぁ道具を使って彫り始めた。当初の想定どおり道具がうまく活躍してくれるかと思えば、この木の個性なのか想定してない形に彫れてしまうことがあるかもしれない。
挙句、弟子は欲しくない道具ばかりを運んでくる。さて、どうしたものか。もちろん理想的なのは最初想定した彫り方ではあるのだが、相手の出方、手持ちの道具を踏まえて彫り方を変える必要があるかもしれない。

また、少し具体的な話をする。先のようにあなたはコンボデッキ(ただし、クリーチャーを起点とするもの)を握っている。コンボを決めれば勝ちはするが、相手のアグロデッキの早い展開に対処できるようにこちらは除去が多めの手札をキープした。いざ、対戦が始まると思いのほか相手の動きが鈍い。どうやら相手もこちらのコンボを警戒してか本体火力にもなる除去を多めに手札に持っているようだ。当初想定していた展開にはならず、お互いにらみ合うような序盤となった。一方ドローはコンボパーツを一部持ってくるものの揃いきれず、更なる除去を重ね引いたりもしている。何も動きが無い状況だが、テンポを考慮してクリーチャーを出すべきだろうか、いやどうせ除去があたるだけだろうか、いやいつかあたるものならもう先に出してしまうか?出しても揃いきってはいないし、このタイミングで除去をきるとも限らないのでは?
などなど、当初考えていた彫り方を変える必要があるかもしれない。自分自身のミスプレイによって彫り方を変えざるをえない状況もある。当初考えていた彫り方を誤った場合、その彫り間違いを修正することは困難で、今後の彫り方を工夫することで仁王像の完成を目指すしかない。

このように彫る作業、すなわちMTGのプレイとは様々な要因により常に変更を検討する必要がある。とは言ったものの、「プレイの一貫性」という考え方ももちろん大事だ。こちらの動きを変えたタイミングで相手に何かを悟られる可能性はあるし、一貫したプレイでなければ全体的なプレイの完成度が劣ることもありうる。その点も考慮しながら彫り進めたいところ。

4.どうにもできないことを楽しもう

1~3まで仁王、仁王、仁王と言いながら、突然仁王じゃない話。先ほどの概念図にて自分の手に及ばないものがある。それは相手はもちろんだが、先手後手(天気)、ドロー(弟子)だ。以降の内容については気分を害する人もいるかもしれないが、ご容赦いただきたい。

よくXのタイムラインを拝見していると、
「かれこれ5連戦で全部後手(#^ω^)マジで調整やめろ」
とかを拝見する。…調整って何?
あるいはこういうもの
「マジクソだな、このゲーム。紙では絶対こんなこと起きないのに、アリーナだとオレに土地ばかりドローを押し付けてくる(#^ω^)」
…それ、意図的にあなたに土地を押し付けたとして誰に何のメリットがあるの?「誰に」の部分がゲームのメーカーとして、そのメーカーに何のメリットがあるのだろうか。現にユーザーであるあなたを手放しかねない状況にあるが?

まぁ怒りたくなる理由そのものは理解できなくはない。ただ、このどうにもできない要素とも言える「運」はこのゲームに起きる必須のスパイスだ。

そもそも後手に怒りを覚えている人は先手ばかりもらえたとして、MTGを楽しめるのだろうか。例えば先手が有利なアグロを握ったとして、全部先手をもらえたとする。もちろん気持ちよく勝てるだろうが、そんな勝ち方して楽しいのだろうか。ドローにキレてる人は、このゲームで山札から常に自分が引きたいカードを引いてみてはどうだろうか。

私は先手を必ずもらって勝てるゲームも、意のままにドローが可能なゲームにも魅力を感じない。このお互いに操作できない「運」要素があるからこそこのゲームは面白い。先の1~3までを踏まえて、先手とれない時はどういう道具箱にすべきで、どう彫るように考え、実際に彫っていくのか。ドローが狙ったものでない場合でもこの場面はどのように動くのが適切か。そういうことこそを考えていくのがこのゲームの醍醐味であろう。
そんな運要素に対して自分が先手をとれない時はどこかで先手を取っているだろうし、ドローで悪い引きをした時は嫌な気持ちとして残るだけで、良い引きをした時は勝った嬉しさでそれを忘れてるだけなのだろうと考えている。

いやいや、そうはいってもこの私の身に起きてることはこんなに酷いんです。かくかくしかじかで~とそれでもなお言いたいことがある方については、その酷いことは全体のゲーム数に対してどれくらいの頻度で起きたものなのかをぜひご教示いただきたい。「何時何分何秒?地球が何回回った日?」と返すような小学生じみた返答だが、先述したとおり私としては「こんなこともあるか」という解釈をして、なるべく気に留めないようにしている。

「かれこれ5日連続で雨、マジで調整やめてくれ~(#^ω^)」
天気が良くないことが続くことはあるだろう、それに対して怒っていても仕方がない。
「マジクソだな、このゲーム。弟子がオレに不要な道具ばかり持ってくる(#^ω^)」
まぁまぁ落ち着いて。そんなに弟子が気に入らないなら、自分の中で弟子を美少女化しておっちょこちょい美少女なんだから仕方が無いな~とでも思っていなさい。

脳内で弟子を好みの異性にしてけ

冗談みたいな話を続けたが、この運に左右されないメンタルを持つことは安定したプレイングにもつながるものと考えている。私も偉そうに達観したような口ぶりをしているが、実際は「こっちは永遠に土地引いて、相手は上から有効牌だけ引き続けている~(#^ω^)」みたいなポストはしてしまう。わかるからこそ極力直していきたいと考えているところ。

この点で理想としているプレイヤーがおひとりいる。rizerさんだ。彼は自分の動きが良くなく、相手が良いカードを展開していくと「おお、なるほど、素晴らしい」等と相手を褒め称えていく。自分の動きの悪さに嘆いたことを見たことが無い。私以上に見ている人がいるのであれば、rizerさんと言えど嘆く場面を目撃している人はいるかもしれないが、少なくとも私が見ている範囲のrizerさんとしては、このように考えられることは素晴らしいなと感じた。

5.出来上がった仁王を見てみよう

紆余曲折あってついに仁王を彫り終えた。まずはわかりやすく成功(勝利)した仁王か、失敗(敗北)した仁王かが明確にわけられる。
成功した仁王の方。おめでとうございます。当初思ったとおりに彫れましたか。成功した仁王は満足のいく出来でしたか?もっと彫り方を改める必要がありましたか、あるいは道具箱の準備は現行のままで良いですか?
失敗した仁王の方。残念でしたね。どこが失敗の要因になりそうでしょうか。今回の失敗はやむを得ないものでしょうか。あるいは彫り方で成功するはずのものでしたか。どうやっても失敗するようなものであれば、最適な道具箱が準備できていたのか見直してみましょう。

単に勝ち負けだけで終わっても面白くない。苦しみながらなんとか成功して彫り終えた仁王なのか、一応仁王として彫れたが改善の余地が多い悔しい成功だったのか。失敗した仁王だが成功する可能性があったのか。
このように勝敗の結果をよく考え、次に活かす過程もこのゲームの醍醐味だ。単に勝って気持ちよくなっているだけではもったいない。

以上が私がMTGのプレイに抱くイメージである。上手い人はもっと言語化して具体性のある内容にしているであろうが、案外このような漠然としたイメージを持つ方が頭に残りやすいものではある。
私自身、にプレイについて他人へ偉そう「こうした方が良い」と言えるような熟練さは無い。そういった点でも皆様ではどのように考えプレイし、どのように楽しんでいるのか、ぜひともご意見を聞かせていただきたい。

私自身もこのプレイ観に変化が無いか注視することとし、自身の上手さとプレイすることの楽しさの両方をなるべく最大化させてきたいところだ。

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