ゆっくり、味わう一杯を。

同僚がくれたドリップバッグコーヒーが目に留まる。「ちょうどあなたのことを思い出していたの」と、ここにはいない女性に話しかけるようにカップを手に取った。
いつもは紅茶だけどねと思いながら、ドリップバッグをセットしてお湯をゆっくりと注ぐ。湯気とともに、香ばしくほろ苦く、少し酸味も感じるような香りが広がる。

退職日が近づき、そろそろ引き継ぎをしなくてはならない。
看取りがやりたいと希望し選んだ職場。ターミナル(終末期)ケアのご利用者の担当をしてきた。
まだ身内の死を体験したことがない若い職員もいる。自分が学んできたことや感じてきたことを伝えたいと思い、書き残す作業をしている。
コーヒーの香りで思い出す一人のご利用者との最期の時間。


生涯忘れることがないであろう女性との出会い。彼女は1976年生まれ。私は早生まれなので、学年は違えど同じ歳。がん治療のため岐阜に来るまでは、関東で暮らしていた。ご両親と姉はすでに他界されて、独身一人暮らし。出会ったことが奇跡のような私たちは、彼女の44年の人生の、たった一か月を共に過ごした。

自立的な人だった。自分のことは出来る限り自分でやりたいと、訪問診療、看護を使い自宅で過ごしていた。しかし、脳転移もあり吐き気と強い頭痛で食事も摂れず、わたしが勤める施設に入所してきたのだ。

一人暮らしの彼女が亡くなったとき、諸々の手続きを代理で行ってくれるのは行政書士さんであると知り、真っ先に県の行政書士会に電話をした。死後手続きの経験がある女性の行政書士さんを紹介してもらい、痛み止めが効いて比較的体調がいい夕方に契約をしてもらった。

必要なものを取りに、彼女と一度だけご自宅に戻ったことがある。病状が悪化していて、リクライニング式の車いすから降りることが出来ないので、介護タクシーを手配し向かった。彼女の部屋はマンションの1階、エントランスから一番近い場所、車いすでもスムーズに入室できた。こういうことも想定して部屋を選んでいたのだろうか。

「何でも、何処でも探してください」
長くは居られないから、手分けして探す。行政書士さんとヘルパーさんは通帳や印鑑、契約書類や彼女がすでに決めている永代供養のお寺の書類などを探す。看護師はがん潰瘍の処置に使う大量のカットガーゼなどを車に運ぶ。わたしは着替えや、お母さんのご位牌、彼女が寄付したいと願ったお菓子や食料品などをバッグに入れていく。

悪いことをしているわけじゃないのに、家宅捜索に来たようで、とても申し訳ない気持ちになる。きれいに片付けられていたが、ここにあるテーブルや数は少ないけれどお気に入りの食器が並ぶ食器棚、電化製品、冬物のコートやバッグ、陶器の人形、全てのものが、彼女が亡くなれば全部処分されるのだと思うと悲しくなった。

キッチンには手作りの梅シロップや味噌があった。食べるものにも気を付けて、丁寧な暮らしをしていたのだろう。
冷凍庫の中には、色とりどりの袋がぎっしりと詰まっている。スープストックトーキョーの冷凍スープだ。病気の辛さを抱えながら、一人暮らしをしている彼女にとって、そのスープは命綱だったよね。
生きるために、頑張って食べていたのだろう彼女の姿が頭に浮かんだ。


いろんな話をした。治療のこと、大好きだったスキューバダイビングのこと、「内緒にして」と結婚したいと思っていた男性のことを話してくれたこともある。
痛みが増してつらい時間が長くなってきたとき、二人きりの部屋で言われた。
「もうじゅうぶん、もう終わりにしたい」
それは医療用麻薬を増やしてほしいという彼女の強い意思だった。
わたしはただ「わかったよ」とだけ答え、手を握っていた。
こういう場面に、このあとの沈黙に、普通に隣にいられる自分は、彼女の家族でも友達でもないのだと痛感して、切なくなることがある。


彼女が最後に自分の意志で口にしたもの、それは毎日何杯も飲むほど好きなコーヒーだった。眠っている時間が多くなった7月のある日、「コーヒーが飲みたい」とベッドを起こした。少しでも楽しんでもらいたいと、ベッドの近くでドリップバッグにお湯を落としていった。

「あぁ、いい香りだなぁ」

日に日に神々しい笑顔になっていく。
わたしの友人もそうだった。亡くなる数日前に会った時、とても痩せてはいたけれど、悟りを開いたような慈悲深い表情に、思わず「きれいだ」って思った。

飲めたのは3口ほどだったけれど、ゆっくりと味わいながら話し始めた。


「コーヒーって不思議なの。苦味だけじゃない。いろんな味を感じる」

「いろいろ分かるの。体調とか、心の状態とか」

「私は今・・・甘くておいしい」
 

彼女には最後の一杯だと分かっていたのかもしれない。とても満足そうに目を閉じた表情を、今でもはっきり思い出せる。
丁寧に生きてきたのだと思う。自分と向き合って生きてきたのだ。何度も何度もやってくる悲しみを受け止めながら、そこにはいろんな味に変化するコーヒーがあったんだね。
最後のコーヒーが苦くなくて良かったと、心から思った。


空全体が燃えるほどの赤に染まり、SNS上に多くの写真が並んだ7月の終わりの夕刻、彼女は旅立った。映画の一場面を見ているような最期だった。
「あー」と声を出し、少し開いた目からはきれいな一筋の涙が流れた。彼女のベッドを看護師や介護士6人ほどで囲んでいた。一人では逝かせたくないというわたしの個人的な思いを、神様は受けとめてくれたのだ。
そして、最後の「あー」は「ありがとう」だったと勝手に思っている。

看取りに関わるようになって思うことがある。人の最期には、その人の物語がダイジェスト版のように見えてくる。「なんてことない人生だった」と言われることが多いけれど、その人と同じ人生の人なんて一人もいないのだから。どの人の物語も興味深い。だからわたしは、そうした人々の物語に耳を傾け、それを書いていきたい。


苦い液体が喉を通り、胃に落ちていく。子どものころに感じたほどの苦みはないが、甘みは感じられない。
「わかってないな」と笑われそうだ。コーヒーを飲んで最高の一杯だと思う日は来ないかもしれないけれど、彼女を忘れる日も来ないだろう。
彼女のようにゆっくりと、その日の自分をみつめるような、歩んできた人生を慈しむような一杯を味わえるようになりたい。



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私のコーヒー時間

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