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わたしが思い描く未来

ちょっと思い立って徒然なるままに書き連ねてみる。

オルタナティブスクールすだちを始めて
現在で2年半(2020.11〜)
よしかわ塾を始めて
現在で1年と3ヶ月(2022.2〜)

なぜやろうと思ったか。

ひとつはこどもたちがとにかく好きで
生き生きとした表情を見ていると
この上なく倖せを感じるからだ。

それはわたしの「エゴ」と言っていい。

自己満足と言われればそうなのかもしれないけど、
「学校の先生になりたい」と思い
教育の道を模索し始めた中学生の時から
これまで1ミリもブレたことはないのだから
こればっかりは誰にも否定させない

こどもたちが好き

これはわたしの心のかなり芯の部分にあることは
おそらく間違いないだろう。

そして、わたしの1回限りの人生
何に魂を燃やそうか
限りある命、何に力を尽くそうか

こどもたちと。

これしかなかった。
その道のひとつとして、「学校の先生」を追い求め
大学時代はかなり試行錯誤した
人よりも多くの経験値を積みたいと海外にも行った。
研修を自ら率先して受けた。
カラダひとつで勝負できる身になりたかった。
こどもたちから見て、素敵な大人になりたくて
こどもたちに何かひとつでも大切なものを伝えたくて

そして、学校の先生になって
毎日が「勝負」毎日が「本気」。

わたしが考えた授業が面白い!と言ってくれたことが嬉しかった。

教育事務所のエリア内でわたしが教えた学年が
トップの成績になってくれたことも嬉しかった。

友だちのことを相談してくれるのも。

親との関係の悩みを話してくれたことも。

合唱コンクールで、全く期待されていなかったクラスだったけど
優勝を勝ち取って、みんなで笑顔でハイタッチしたのも。

やりがいと生きがいを感じる日々だった。

その時は、学校の先生を極めるつもりだった。

だけど一方で、葛藤もたくさんあった。

学習スピードは人それぞれなのに、
できるまでやるのではなく、
決められたカリキュラムの進度について来れなければ
劣等生の烙印を押されること。

一人ひとりを大切にした関わりをしたいのに、
「全体」「一斉」を重んじる風潮があり、
個人を大切にした関わりができなかったこと。

教員同士の協力体制は全くなく
仕事の押し付け合い、足の引っ張り合い
陰での悪口やいじめもあった。
こんな人たちがこどもたちの前で
もっともな事を言っているのに嫌気がさした。
誰一人としてとても憧れるような大人ではなかった。

部活動は、土日あるのが当たり前。
休みは1年で3日だけだった。

そんな日々を過ごしていると
気付かないうちに
自分の身体と心が壊れ始めていた。

原因不明の、声が出ない。
原因不明の、足の裏が痛くて歩けない。
原因不明の、高熱。

こんな状態でも
こどもたちがそこにいるから
頑張れた。

こどもたちを大切に思えば思うほど、
その体制やシステムは理不尽で
葛藤というものに挟まれ身動きが取れなくなっていってしまい、

ある朝、身体を起こすことができなくなった。


起きようと思っても、身体がいう事を聞いてくれなかった。
限界だったんだろう。
そこから、もがいて、這いつくばって、蠢いて、
「復帰」のために頑張ったが、
とうとう学校の先生を辞めることになってしまった。

わたしの生きる道が閉ざされた時だった。

この時ほど苦しかったことはない。
何をすればいいのかもわからなくなってしまった。
もうどうすればいいのかという方法も尽きていた。

自分は何のために生きているのだろう。

こんなことばかり考えてしまい、
自分を追い詰め、かなりのところまでいってしまったと思う。
積み上げてきたものが通用しない。
空っぽになってしまった。

2〜3年、何もしない日々を過ごした。
というか何もできなかったんだ。
何もできない人間だと思っていたから。

だけど生きていかないといけないから、
バイトをしてみたりした。

もうこどもたちと関わることはできないと思っていたから。
わたしにはその力はないと思っていたから。

ただ、何をやっても内から込み上げてくるのは

こどもたちと関わりたい!

わたしの人生に
こどもたちがいないということが考えられなかった。

だけど、学校の先生を辞めてしまった今、
どうすればこどもたちと関われるのか全くわからなかった。

そんな時に出会ったのが、
個性心理學
だった。

最初は占いの一種だと思っていたけど、
「子育て」に活用されている
と聞き、すがる想いで講師の資格をとった。

こどもたちと関わるきっかけになってくるかもしれないと思ったからだ。

認定講師/カウンセラーの資格をとり
ママイベントなど出させてもらったり、
子育てママさん向けに講座をしたり、
個別セッションなどをして
その向こうにいる「こどもたち」の笑顔を想像して
力を尽くしていた。

自分が何か、誰かの力になれることが嬉しかった。
それがこどもたちならば、なおさら嬉しかった。

そんな活動をする上で芽生えたのが、

もっとこどもたちと関わりたい!

間接的ではなく直接。
わたしはこどもたちと直接関わるプレイヤーがしたい。

教員免許も持っているので(かなり苦労して更新した)
公立の学校に戻るという選択肢もなくはなかった。

だけど、もうあの場所には
「希望」というものを見出せなった。

じゃあ、創るしかない!

簡単ではあるが、これが
冒頭の疑問
なぜやろうと思ったか
に対する経緯としてのアンサーだ。

時流としても不登校が増えてきていて、
これに関するわたしなりの解釈として
公立学校という環境に
こどもたちが違和感を覚えてきている
と感じた。

わたしが思う、こどもたちのための
学び、遊び、居心地のいい場所を創ってみよう。

それが出発点だった。
これはわたしの人生をかけた挑戦だ。

あなたがやっていることは必要ない

と言われたらそれでおしまいなのだけど、
心のどこかで「そんなわけない」という自負はあった。

最初は、一人もいるわけはなく、
0人からスタート。

今では常時5〜8人が通うスクールに成長した。

そんな中で、「学習」における心配を口にする子も増えてきた。

わたしは小学校・中学校・高等学校までの教員免許を持っているし
すべてにおいて指導経験もあるため、学習指導には自信がある。
ちゃんと実績もある。

わたしができること。

自分で塾を創る

そこに至った。
某フランチャイズの塾などに現在も勤めているのだが、
指導方針が本当に良くない。
システムも良くない。マネジメントもだいぶ悪い。
(なので私は私なりの理論でこどもたちの指導にあたっている→担当生徒が増えて小4〜高3まで現在は指導している)

簡単にいうと、
お金を払うのは親だから、
親を納得させるためにはどうしたらいいか
が主軸で考えられていて、
こどもたち
の心や想いは二の次三の次にされている

学習が自分ごとではなく
通わされている
やらされている
行かされている

サービス業なので、何でもかんでもやってもらうという
受動的なスタンスがデフォルトなのだ。

確かに伸ばすことはできる
テストの点数を上げることはできる

だが、受験を突破するための技術を得ても
その後の人生には役に立たないことが多い。

本来育むべきは、
その子自身が自分の成長を実感し
学ぶ喜びを味わえるようにしていくこと
だと思っている。

だって、受験はその時一回
人生はその後も続いていくのだから。

よしかわ塾では
「自立」をテーマに、
認知能力(偏差値やテストの点数として表すことができる力)

非認知能力(コミュニケーション能力や集中力、チームワークやリーダーシップなど数値化できない力)
の双方にアプローチし、力をつけていきます。

さらにわたしがすべての子を責任もって見るため
上限を設定した少人数制。

一人でやっているため、地道な活動にはなるが、
少しずつ大きくしていきたいところだ。

まだまだ塾生は少ないが、
その子たちと日々、充実した学びの時間を過ごしている。

現在は、
(水)の日中はオルタナティブスクールすだち
(水)以外の平日の日中はパートで飲食業
(月)(金)の夕方は某フランチャイズ塾での指導
(木)の夕方はよしかわ塾

で何とか生計を立てている。

ここで表題の
わたしが思い描く未来は

(月)〜(金)の日中はオルタナティブスクールすだち
(月)〜(金)の夕方はよしかわ塾

が理想。
よしかわ塾の塾生が増えれば、パートが辞めれる
パートが辞められれば、オルタナティブスクールすだちが全日制にできる。

ここに向けて日々、牛歩のごとくではあるが、
推し進めている

何年かかるかわからない。
だけど私の人生は、
こどもたちのことに全パワーを注ぎたいと思っている。

そのためには、
オルタナティブスクールすだち
      ✖️
よしかわ塾
でたくましく生きる力を育む環境を
創っていきたいと思っている。

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