Happy Women's Map 東京都世田谷区 薬害スモン東京原告団事務局長 田中 百合子 女史 / Representative of Sumon Tokyo Plaintiff Group, Ms. Yuriko Tanaka
「落ち込まない、がんばりすぎない、でもあきらめない、いつか必ずできると信じる」
"Not get discouraged, not try too hard, not give up, and believe that you can do it someday."
田中百合子 女史
Ms. Yuriko Tanaka
1947 - 2019
東京都世田谷区 出身
Born in Setagaya-ku, Tokyo-to
田中百合子女史はスモン訴訟の東京地裁原告団事務局長で元東京スモンの会会長。20代でかかった薬害スモンに苦しみながら、薬害スモン訴訟はじめ薬害根絶運動・薬事法の改定と医薬品副作用被害救済基金の設立に奔走。
Ms. Yuriko Tanaka is the executive director of the Tokyo District Court plaintiff group in the SMON lawsuit and former chairman of Tokyo SMON. While suffering from drug-induced harm in her 20s, she worked hard to fight drug-induced harm, including lawsuits against drug-induced harm, to revise the Pharmaceutical Affairs Law, and establish a relief fund for victims of adverse drug reactions.
「しびれ」
百合子はバスで通学しながら、東京オリンピックが開かれる駒沢公園の工事現場を見て通っている内に、建築家を目指すようになります。やがて武蔵工業大学の建築学科で150人のクラスでたった一人女子学生として充実して勉強に励みます。製図製作のために毎晩12時頃まで研究室に残る生活を続けるうちに、ストレスと疲労で下痢をしたり便秘をしたり血便が出るようになります。虎ノ門病院に駆け込むと、ファイバースコープで胃の検査をするも原因不明。2週間分の整腸剤キノホルム(エンテルビオフォルム)を処方されます。1日粉末3gを飲み始めて1週間目、腹部全体が腹痛に襲われ、食べたもの全てを嘔吐し便も尿も出なくなります。虎ノ門病院で緊急入院すると赤痢と疑われ隔離されます。抗生物質クロロマイセチンを注射されると症状はじきに消えて2週間ほどで退院します。担当医が百合子にたずねます。「しびれはないか?」
「スモン」
その二年後、大学の四年生になって就職活動を始めたり、卒論を書き始めるとまたストレスと疲労が溜まって下痢に悩まされるようになります。東京都職員として就職が決まると、完治を目指して再び虎ノ門病院で診察を受けます。過敏性腸症候群と言われて同じキノホルム剤を処方されます。今度も腹痛と嘔吐がひどくなり再入院します。担当医はキノホルムを毎日投与し続け、百合子は腹部の激痛、下痢が良くなっては悪くなることを繰り返します。緑色の尿や便が出たことを医師や看護婦に報告しても何も答えてくれません。やがて足の裏からびりびりしたしびれが膝・大腿部・お腹へ・胸まで数日ごとに上がってき、突然歩くことすら困難になります。それでもキノホルムは飲まされ続け、同時にステロイドを投与されます。4ヵ月が過ぎてやっと退院する時にも、下痢ばかりして、足はやせ細り、おへそから下の足全部がしびれたまま。「一体自分は何の病気なのか?」リハビリ通院を続ける百合子はある時カルテをのぞき込むんで「スモン」の3文字を見つけます。
「辞職」
医者にもらう薬は全く効かず、体力は全く回復せず、下痢を繰り返し、少し無理をすれば神経痛と足のしびれが強くなります。全身の疲労感と足の痛みに苦しむ百合子は就職を10月に延長してもらい、職場を都庁から自宅に近い世田谷区建築部営繕課に移動してもらいます。朝は家族に職場まで車で送ってもらい、帰りは上司の車に最寄り駅まで乗せてもらってあこがれの建築の仕事を必死で続けます。日本全国各地である日突然猛烈な腹痛に襲われて、やがて足の先からしびれて全身麻痺・失明・死亡する患者が増えて亜急性脊髄視神経末梢神経症(Subacute Myelo-Optico Neuropathy)、略してSMONと呼ばるようになっていました。そして“スモン=ウィルス説”が突然新聞で断定的に報道されます。同僚に感染を不安がられるようになり、百合子は1年半後に涙をのんで辞職します。しかしすぐにこのウイルス説は学会で完全に否定され、替わって“スモン=キノホルム説”の新聞記事を見つけた百合子は愕然とします。担当医に質問すると「キノホルムがスモンの犯人と決まったわけじゃない。勇気を出してもっと飲んだら良くなるかもしれない。」
「賠償金」
百合子はスモン=キノホルム薬害訴訟に関わるようになり、まもなくスモン訴訟東京地裁原告団事務局長に就任します。足を引きづりながら武田薬品・田辺製薬・日本チバガイギー社に直接交渉に出かけて行ってはひと月寝込み、原稿を必死になって書いては熱を出し、「もうどうでもいい」と叫びたくなりながらも告発闘争・訴訟に体をすり減らします。「賠償金をいくらもらっても私の一生は台無しになってしまった。全国で3万人のスモン被害者全員に賠償金を払って会社がつぶれるならそれでいいじゃないか。一体どうしてそのくらいの責任がとれないのか?」「医者ははっきり責任を持って自分が投与した証明を出すべきだ。人間としてすまなかったという態度を一度として見せてもらったことがない。」「医療は人の健康を食って儲けている。社会のための人間のための医療制度がなくては。」それでも少し体調がよくなると、3万人のスモン患者にうしろめたさを感じながら20代を楽しみ、心身障害者のための住宅造りを少しづつ研究します。7年後、全国十一地方裁判所で国と製薬会社の責任が認定され、百合子はじめ約6500人のスモン患者は和解観告に応じて賠償金を受け取るとともに、薬事法の改定と医薬品副作用被害救済基金の設立を後押しします。
「ステロイド」
友達の紹介で鍼治療を始めた百合子は少しずつ体調が安定、結婚して2児を授かります。夜もほとんど寝ないで母乳を与えて子供を育てていると、ひどい下痢が続いて全身の関節がはれ上がり、トマトケチャップのような血便と貧血に苦しみます。入院すると潰瘍性大腸炎と診断され、輸血を避けて鉄剤を注射し、鼻から胃に通した管から栄養を取ります。あまりのつらさに絵を描かきはじめます。そしてステロイド(副腎皮質ホルモン)の長期投与が始まると、ムーンフェイス・月経異常と不正出血・気管支拡張症・肋骨13カ所と脊椎腰椎3箇所の骨折・副鼻腔炎(蓄膿症)・侵出性中耳炎・日和見感染症・鬱病・多幸症・大腸がんと人工肛門手術といった考えられないような副作用に苦しみます。そんな中でも二人の子供を育て上げ、旅と絵を楽しみ、その苦労と喜びを講演また著書にまとめて発表します。「一人の人間が病気という苦境のなかにあっても、あきらめてその中に沈み込まず、命をはぐくみ、つむぎつづけて、前を向いて歩いてきた事、それがテーマでした。」
-「この命、つむぎつづけて」(田中 百合子 著 / 毎日新聞社2005年)
-「この命、つむぎつづけて」ウェブサイト
-社会福祉法人 全国スモンの会
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