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Happy Women's Map 秋田県秋田市 日本女子体育の母 井口 阿くり 女史 / Mother of Women's Gymnastics in Japan, Ms. Akuri Iguchi

-「女子体育 18(5)」(日本女子体育連盟, 1976-05)


「日本従来の古訓は、もっぱらに女性一般の心身に制圧を加えて、衛生的美容術を十分に講じさせなかった。身心の健康美が十分に発揮されなければ,本当の美人とは言えない」
``Traditional Japanese precepts exclusively suppressed the mind and body of women in general, and did not encourage them to take sufficient hygienic beauty techniques. If health and beauty of body and mind are not fully demonstrated, one cannot be called a true beauty. ”

井口 阿くり 女史
Ms. Akuri Inokuti
1870 - 1931 
秋田県秋田市 生誕
Born in Akita-city, Akita-ken

井口阿くり女史は日本の女子体操教育のパイオニアです。アメリカで普及していたスウェーデン体操・ダンス・バスケットボール・体操服を日本に導入・指導・実践しながら、日本の女子体育を定着させました。
Ms. Akuri Iguchi is a pioneer in women's gymnastics education in Japan. While introducing, teaching, and practicing Swedish gymnastics, dance, basketball, and gym uniforms that were popular in the United States, she established women's physical education in Japan.
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「錦の旗下」
 佐竹藩主のもと尊王攘夷派として、幕府側につく東北諸藩の中で錦の御旗を守って戦った久保田藩(後の秋田藩)。阿くりは、戊辰戦争に功績のある勤王士族で秋田藩士の父・井口糺と母・ミエの四女として生まれます。父は学問を好んで私塾を開き、阿ぐりを厳しく育てます。姉妹揃って近くの旭川で熱心に泳ぎ、秋田音頭が得意で、相撲や義太夫芝居が大好き、学業もすこぶる優秀、明治天皇の東北巡幸の際には朗読・手芸・席書を披露します。秋田県女子師範学校中等師範科を卒業して小学校の先生になるも、数年で秋田県尋常師範学校女子部に再入学。同級生・茂木ちえと二人で上京して東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)に無試験入学。服装やことばづかいいを田舎者扱いされたことに発奮して終始一番・二番を取り続けます。卒業後は助教諭を務めながら、付属高等女学校で国語・地理を担当。やがて山口県の私立毛利高等女学校の教頭に就任します。

「ボストン体操師範学校」
 日清戦争の勝利に伴い、男性社会を支え、強い日本人を産み育てる良妻賢母教育が定着します。母校の恩師の要請で、女子高等師範学校に国語体操専修科を新設するために、阿くりは3年間の米国留学を命じられます。スミス・カレッジに入学すると、スウェーデン王立中央体操学校に学んで米国女性体育の先駆するセンダ・ベレンソンに体操科を、ブルスター博士に生理学を学びます。健康診断・姿勢教育・スウェーデン式体操を学び、バスケットボール・テニス・ボート・自転車など数多くのスポーツを経験します。設備の良い体操教室で体操服に着替えて臨み、身体の強弱に従って適当な教材を用い、熱心で注意深く指導力の高い女性教師のもと、生徒が規律よく敏捷に優美に運動を行う様子に、阿くりは日米の女子体育のへだたりを強く実感します。1年後、ボストン体操師範学校に入学。創始者で校長のアミイ・モーリス・ホーマンズ女史のもと、少数精鋭の厳しい校則と学科に耐え、入学者50人のうち卒業者20人として修了。2年間で「運動理論学」「解剖学」「生物学」「体操科」「医術体操科」「舞踏」「遊戯法」「競走運動家」「体育実地法」「心理学」「教育学」「人体測定学」を学びます。

「女子体育」
 米国各地の女学校・師範学校・体育館などを視察してまわって帰国した阿くりは、女子高等師範学校教授となり国語体操科を担当。黒のつば広の帽子に黒い絹糸のベールを顔に垂らし、ローズ色のブラウスに黒のスカートのいでたちで、自転車にのって颯爽と通勤。女学生のあこがれとなります。東京女子高等師範学校・同付属高等女学校、日本体育会体操学校(現日本体育大学)女子部、東京音楽学校(現東京芸術大学)女子部でも指導しながら、『各個演習教程』を執筆してスウェーデン体操を全国に広め、女子・男子を通じた体育教育における第一人者となります。阿ぐりが導入した、バスケットボール、全身を美しく動かすギルバート・ダンス「ファウスト」「ポルカセリーズ」、運動服としてセーラブルーマー(セーラー襟の上衣に膝下チュニック)は、阿くりの教え子達によって全国の女学校に広まります。8年間で88名の女性体育教師を育て上げた阿くりは、宮内省御掛となり皇女の体操指導をしてからまもなく、永井道明と対立しながらも二階堂トクヨを後任に抜擢、京都大学出身の法学士・藤田積造と結婚して渡米。晩年は関根ゲン・木下ツナら教え子らと東京高等実習女学校を設立して運営に奔走します。

 女子体育は「女らしくない」「出すぎる」など批判される中、阿くりは訴えました。「姿勢をよくし、身のこなしを敏捷にし、優美沈着の気を涵養するのも体操の目的である。」「人間の運動というのは3度の食事と同じようにしなければならないもので、男女の区別はない。」「女性の美は必ずしも西施や小町のような雨に悩める海棠の花といったような、優しい風情あるばかりと断言されぬものである。」「心身の健康美が十分に発揮されなければ、真性の美人とはされぬ。」「日本従来の古訓は、もっぱらに女性一般の心身に制圧を加えて、衛生的美容術を十分に講じさせなかった。」「女も進んでいかなくてはならない。一人残らず最初の十字軍にお加わりなさらねば私は承知しません。」

-「女子体育 18(5)」(日本女子体育連盟, 1976-05)
-「近代日本女性体育史 : 女性体育のパイオニアたち」(女性体育史研究会 編著 / 日本体育社1981年)
-秋田県立博物館
-Akita Prefectural Museum

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