見出し画像

Happy Women's Map 大分県臼杵市 日本女性初の文化勲章受章小説家 野上弥生子 女史 / Japan’s First Order of Culture Awarded Female Novelist, Ms. Yaeko Nogami  

-野上弥生子文学記念館 / Yaeko Nogami Memorial Museum

「女性である前にまず人間であれ。」
"Before anything else, be human, regardless of being a woman."

野上 弥生子 (旧姓:小牛川 ヤエ)女史
Ms. Yaeko Nogami
1885 - 1985
大分県臼杵市 生誕
Born in Usuki-city, Oita-ken

野上弥生子女史は女性作家として初めて文化勲章を受章した小説家です。『青靴』への寄稿、宮本百合子はじめ共産党員への資金援助、新日本婦人の会創設への参加、法政大学潤光女子中・高等学校(後の法政大学女子中・高等学校)の名誉校長への就任など、女性運動を陰ながら支えます。
Ms. Yoshiko Nogami is a novelist who became the first female writer to receive the Order of Culture in Japan. She supported the women's movement behind the scenes, by contribution to "Seito", financial support to Yuriko Miyamoto and other Communist Party members, participation in "New Japan Women's Association", and assuming the honorary principal of Hosei University Junko Girls' Junior and Senior High School (later Hosei University Girls' Junior and Senior High School) .

*******

「女学雑誌」
 ヤエは大分県臼杵町で小手川酒造(後のフンドーキン醤油)を営む父・小牛川角三朗と母・マサの長女として生まれます。小学校と並行して私塾に通って、『古今和歌集』『万葉集』『源氏物語』『枕草子』『四書』に親しみます。毎朝5時に起きて提灯をつけて私塾に通い、小学校に行ってからまた私塾に通います。ヤエは2つ違いの野上豊一郎と並んで成績抜群で、親同士で許婚とされます。地方政治家でもあった父のつてにより、毎日新聞社記者・木下尚江のもとに上京して下宿、彼女の口利きにより明治女学校に入学を許されます。ヤエは新進作家・戸川秋骨からシェークスピア、カーライルの原書を辞書を片手に読まされ、剣術家・伊庭想太郎から剣道と薙刀を習い、伝道者・内村鑑三、哲学者・三宅雪嶺、ジャーナリスト・徳富蘇峰ら知識人の課外講演を聞き、校長・巌本善治と女生徒との恋愛事件で物議を醸す中で最後のただ一人の卒業生となります。

「縁(えにし)」
 ヤエはまもなく東京大学文学部で学ぶ豊一郎と結婚。豊一郎は毎週木曜に夏目漱石の家に一門と一緒に集まり、漱石を囲んでおしゃべりをしたり書いてきたものを読みあげて批判を受けたりします。ヤエは、最初の小説「明暗」を豊一郎を介して漱石に読んでもらうと、1m半に及ぶ巻紙の長い書簡で丁寧な添削指導を受けます。「非常に苦心の作なり。然し此苦心は局部の苦心なり。 従って苦心の割りに全樫が引き立つ事なし。」「人情ものをかく丈の手腕はなきなり。非人情 のものをかく力量は充分あるなり。絵の如きもの、肖像の如きもの、美文的のものをかけば得所を護揮ると同時に弱貼を露はすの不便を免がるるを得べし。」続いて「縁(えにし)」を書きあげると、今度は漱石の推薦により『ホトトギス』に掲載され22歳で作家デビューを果たします。ここに息長く旺盛な作家活動が始まります。

「真知子」
 家向かいの長屋に住む伊藤野枝とダダイスト・辻潤と交流が始まると、ヤエは野枝に度々泣きつかれて資金援助をしたり、機関紙『青靴』に記事を寄稿して野枝が参加する青靴派運動を援助するようになります。しかし、まもなく野枝は大杉栄とともに憲兵隊に殺されてしまいます。続いてヤエは近所に住む宮本百合子と姉妹の間柄になると、その夫・宮本顕治はじめ共産党員の友人がヤエの家に多く出入りするようになります。やがて思想統制が厳しくなって百合子はじめ友人たちが思想犯として度々検挙されたり裁判にかけられると、ヤエは資金援助をしますがヤエ自身は皆に守られ逮捕を免れます。ヤエは「腐れかけた家」で資本主義経済で衰退する東北の地主に嫁いだ同級生を描き、「真知子」で結婚問題に嫌気が差して革命運動にのめり込む上流階級出の少女を、直接運動に参加させることなく結局上流階級の男性と結婚させます。

「迷路」
 夫や息子を戦場に送り出す女性たちのために「迷路」を書き始めますが、日中戦争が勃発。一時中断せざるを得ず、日英交換教授として渡欧した夫に同行、スペイン動乱はじめパリでドイツ軍による第二次世界大戦の開戦を間近で体験、またアメリカの強大な国力や工業力に脅威を抱きます。敗戦後「迷路」を再開、戦前戦後と20年かけて完結します。中国共産党に招待されて革命後の中国を40日かけて視察して周り『世界』誌上に記事を寄せます。
「むかしの中国婦人たちが、外来者にほとんど姿を見せなかった遮蔽生活の名残りのようなものが見えるのはなぜだろう。」と疑問を投げかけます。 夫亡き後は、法政大学女子高等学校名誉校長を務めたり、哲学者田辺元との「老年の恋」を楽しんだりしながら、明治女学校を舞台とした自伝的小説「森」の執筆を開始、完成を目前に永眠します。ヤエは夏目漱石からの助言を生涯大切にしました。「もし文学者たらんと欲せば漫然として年をとるべからず、文学者として年をとるべし」。

-野上弥生子文学記念館 Yaeko Nogami Memorial Muesum
-フンドーキン醤油株式会社 Fundokin Shoyu Co., Ltd

Happy Women's Map
Happy Women's Map

Share Your Love and Happy Women's Story!

あなたを元気にする女性の逸話をお寄せください!
Share your story of a woman that inspires you!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?