『イヴのバーにて⑩』
イヴ自身が自主的に散歩に目覚めたのは、犬で言えばしっかりとおばあちゃんの15歳くらいの時から。
椎間板ヘルニアの手術を2回して、筋力も衰えて、
加齢もあいまって後ろ脚が動かなくなってしまった。
それまで外の世界になんか興味ありませんって顔していたくせに、
歩けなくなったら途端に外に興味を持ち始めた。
「ほら、もったいないじゃない。外を楽しまないで死ぬのもさ。
だから急に風や空や草や花や鳥の声や雲やミーや食べ物屋のにおいや
人の歩く音や車や子供の笑い声や自転車やたまに触ってくる知らない手や
歩道橋から見える富士山や建物や家族との時間やすべてを
見たくて知りたくて触りたくて歩きたくなったの。だから頑張って歩けるようになったでしょ?」
最初のうちはカートに乗っているだけだったが、やがて少しだけ歩けるまでに回復したのだ。
「なんだか散歩しているとさ。頑張れって言ってくれる人がたくさんいてさ。アタシがんばっちゃったんだよね。あと、あんたのマッサージ気持ちよかった。ありがとね」
嘘みたいに元気なイヴが、バーまで営んでいる。
心配して損した、と思ったけれど、それまで心の中で膨らんでいた
わだかまりが小さくなっていく気がした。
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