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『宇宙人アンズちゃん⑤』

第五星雲 地球外生命体と兄ちゃん

アンズちゃんが家にやってきてから、明日でもう1か月。
結局宇宙船の部品や修理については何も進まないまま、滞りなく過ごす毎日だった。
絶対にバレると思っていた両親にも、まったくバレることなく同居生活は順調に進んでいる。
食事はすっかり地球のものが気に入った様子で、たこ焼きだけではなく餃子や焼売がお気に入りらしい。
なんだかちょっと丸っこい食べ物が好きみたいだ。
マルのことも好きだしね。

そう言えばこの短期間で、SF映画を何本観ただろう。
「25本」
学校に行けずに十分な時間があるこのご時世で、動画配信サービスの恩恵を受けまくっていた。
何か参考になればと、なかなかのハイペースで観た。手当たり次第にとりあえず。
「あのホラーはまずかったな。あれ、トモが観ちゃだめなやつだった」
「そうや。あれはアタイも怖かった」
そう、ある映画のせいでボクは完全に一人では眠れなくなってしまっていた。
その証拠に、夜はマルを抱きしめて寝ている。
「タイムマシーンのが面白かったな。あれ、アンズちゃんの宇宙船動かすのに、参考にならない?」
最終的に生ごみを原料にして車型のタイムマシーンを操縦するという、なんてSDGSな発想だろう。お見事だった。
「だから、アタイの宇宙船は動かすことはできるっちゅうねん。星の進行状況を把握して位置情報や軌道を維持する部品が足りひん言うてんの」

アンズちゃんがいることがあまりにも普通になり、僕たちは元々3人きょうだいだったような錯覚を起こすことがある。
なんだかこのままでいいのではないか。
マルもいて、アンズちゃんがいて、それまでよりも全然兄ちゃんとの会話も増えた気がするし。
アンズちゃんには東京にいてもらって、この不思議な生活を続ける……。

「あ、あの置いてけぼりになっちゃった宇宙人が、宇宙の家族に電話して迎えに来てもらうやつ。あれならどうだろう?状況も似ているし、アンズちゃんできそう?」
「あれ、何度見てもええわー。ごっつかわいい。感動してもうて鼻詰まるわ。ただ、できひんやろなー。あの映画当時よりも地球内の通信規模が拡大しとる。あの装置やとアタイの星までは届かんかもわからん。結構遠いんよ、アタイの星」

具体的に聞いたことがなかったが、星の名前を教えてもらっても、やはり宇宙語なのでさっぱり解読できなかった。
「ま、ええんちゃう?星の名前は。いずれ地球かて文化文明がもっと発達したら宇宙に普通に旅行に来るようになるかもしれんよ。そしたら、嫌でも知るようになるで」
宇宙旅行。
それが当たり前になる世の中になるのだろうか。
アンズちゃんが言うと、なんだか遠い未来の話ではないように聞こえる。

コンコンコン。
この1カ月、親からこの部屋に訪れることはなかった。
ご飯の時にはきちんとリビングで食べていたし、兄ちゃんも一言二言は両親とも会話をしていたから。
「ナオキ、ちょっといい?」
父親のこもった声だった。多分家の中でもマスクをしているのだろう。
今日は久しぶりに午前中だけ出勤したらしく、帰ってきたら家族の誰にも会わないようにしながら速攻でお風呂に入っていた。
電車に乗るのも、座席に座るのも、他の人と触れ合うのが嫌な今。
ウィルスに対する緊張状態は、テレビやネットの報道と共に激しさを増すばかりだった。

兄ちゃんの表情が一瞬で曇った。
父親が嫌なのではなく、きっと聞かれるであろう質問について。
「学校のことなんだけど」
家族みんなが腫物に触るように、その一点については触れてこなかった。
ニュースでは『いじめ』という言葉を目にしたり耳にしたりすることは多い。
なくなることはない。大昔からある。
子どもだけじゃない。大人にだってある。
ボクだって知っている。直接感じたことはないけれど、小学校だっていざこざが常にある。
「下でちょっと話さないか?」

うちの父親は、とてもいい父親だと思う。
学校行事には仕事でない限り積極的に参加してくれるし、小さな頃から僕たちをかわいがってくれていた。
無理強いもしない。突き放しもしない。
この人はきっと僕たちを最後まで守ってくれる人だ、ということに確信が持てる人だ。
お酒を飲むと少し話がしつこくなるけれど、陽気になって面白い。
だから、兄ちゃんのことをとても心配しているのはわかっている。
多分本人が一番。
「ママはパートがもう少し延びるみたいだから。今パパしかいない。ナオキの好きな駅前のシュークリームも買ってきたぞ」
ドアに耳を当てているのであろうことが手に取るようにわかる。
父親が、もちろん家族全員が心配していた。

あれは4か月前くらいか。
コロナウイルスがじわじわと話題になり、大変なことになる少し前だった。
中学1年生の兄ちゃんが、突然学校に行きたくないと言い出した。
理由はわからなかったが、多分人間関係であろうことは容易に推測できた。
あれだけ友達が多くて明るかった兄ちゃん。
運動神経のいい兄ちゃんは、ボクにとって自慢の兄ちゃんだった。
部活もバスケットボール部に入り、朝練に行ったり試合に行ったり、
忙しい充実した毎日を送っていたはずだった。
それがあの日から、それまで当たっていたはずの太陽の光が、突然ボクたち家族にだけ当たらなくなってしまったような重苦しい日々が始まったのだ。

沈黙が続く。
アンズちゃんは、兄ちゃんの無反応に業を煮やしたように言った。
「パパちゃんがナオキのために嫌な話題を頑張って話しかけてきたんやで。声、良う聞いてみ。少し震えてるで。怖いし、緊張しとんのや。一番悲しくて落ち込んでる子どもに嫌われるかもしれへんて思いながら。自分の大事な息子の一大事やから、緊張しとんのや」
兄ちゃんはため息を一つついた。
それから決心したようにアンズちゃんに目を向けて、椅子から腰を上げるとしっかりとした足取りでドアに近づいた。
「今行くから。下で待ってて」
「あ、トモはちょっと待っててな。ナオキ兄ちゃんと話が終わったら呼ぶから。シュークリームもとっておくから」
父親の声は、ほっとしたような上ずった声に変わっていた。
「ええパパちゃんやな。あんたらのパパちゃんちゅー感じや」

30分くらい経ったろうか。
「トモも、シュークリーム食うか?」
下から父親が呼びかけた。
兄ちゃんは気恥ずかしいのか、なぜだか一人部屋に戻ってきた。
「おかえり」
アンズちゃんはそう言うと、たこ焼きの準備を始めた。
「アタイはこれからごっつ美味しいたこ焼きを食べるわ。みんなはしっかり夕飯食べてくるんやで。どんな味だったか感想聞かせてや。待っとるで」

その日はクリームシチューだった。キノコがたっぷりで玉ねぎとピーマン多め。玉ねぎは血液循環が良くなるから多く入れて、ピーマンは今の母親の推し。
食事の時の会話としては増えたわけでも減ったわけでもなかったが、兄ちゃんはどことなくいつもより柔らかい表情で食卓にいた。
少しは話せたのかな。心の荷物をちょっとでも軽くできたのかな。
早く前の兄ちゃんに戻ってもらいたいな。

こんなに家族で毎回一緒に食事をすることにも慣れてきた。
コロナウイルスが発生する前の普段通りだったら、大体夕飯に父親が残業でいないか、兄ちゃんが部活や塾でいない。
昼は学校や職場で食べるからバラバラ。
これからあと何回くらい家族全員で食事をするのだろう。
それに、マルと接するのだって、この状況がなかったらもっと少ない時間だっただろう。

ボクはクリームシチューを食べながら、そんなことを考えていた。

夕飯を食べ終わると、アンズちゃんが待っていた。
「これ、焼きすぎちゃったから食べる?もしよかったらやけど」
マルが顔を突っ込みそうになるのを静止して、兄ちゃんとボクはご相伴にあずかることにした。
「なんや。無言で食べてからに。美味しいか美味しくないか言えや」

腕が上がっている。
やはりかなりの頻度でたこきを焼いているだけはある。
「店、できるな」
兄ちゃんの意見に同意。心から本当に。
ただ、いつも引っかかっているのは、アンズちゃんが一緒に食卓を囲めないということ。
「そりゃ、しゃーないわ。ママちゃんとパパちゃんにどう説明すんねん。アンズと申しますー。宇宙からやってきましたー。宇宙船が壊れてもうたので、ちーとだけ居候させてもろてますー。なんて話、アホやわ」
それは百も承知なのだが、でも気持ちがざわつく。
一緒に食事をしたら、きっと楽しいのだと想像できるから。
「なんか、ビームでなんとかならない?姿消すとか、あとは記憶消すとか」
ボクがそう言うと、アンズちゃんが笑った。
「ありがとな」

窓の外を見ると、空には大きな満月が浮かんでいた。
地球がどんな危機に陥っていても、兄ちゃんが引きこもっていても、アンズちゃんが宇宙に帰れなくても、朝は太陽が照らして、夜には月が見守っている。
明るく過ごしても暗く過ごしても、それは変わらない。

眠る時間になった。
電気を消してしばらくしてから、
「夜眠れない時、アンズちゃんならどうする?」
と兄ちゃんが小声で聞いた。
間接照明に照らされたアンズちゃんの小さなシルエットが、壁にプロジェクションマッピングみたいに動く。
ボクは二段ベッドの上の段から、半分夢心地で眺めていた。
「なんや。眠れないんか」
小さなシルエットが、大きくなる。

「音楽聞くといいよ。あんたの推しバンド、ええ曲いっぱいあるやない。アタイも好きになってもうたで」
歌詞が良くて、兄ちゃんがファンクラブにまで入ったバンド。
想像フェスで、特等席で演奏を聴いたバンド。
「眠れない時は無理に眠らんでええねんで。『眠れない』を楽しむんや。きっといつか眠くなるんやから、眠れない時は眠らない。そう決めると、案外眠れるもんやで。それと、こっちの国や星が夜でも、どこかの国や星は昼で、起きている人がいるんだって思うんや。そう考えるとなんとなく起きていることに罪悪感もなくなるし、ひとりぼっちの気がせーへんもんや」

「そうだね。ありがとアンズちゃん」

「あと、泣きたいときは泣いてもええんやで。涙はタダや」

おやすみ。

第6話 『宇宙人アンズちゃん⑥』|さくまチープリ (note.com)


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