自分を犠牲にすることと償い
noteの投稿がなかなかできなかった。
やらなきゃになってしまい、書くことが億劫になってたということだったというのが素直な気持ちかもしれない。
5月に入ってから、あっちこっち出かけてて、先週末はプライベートで
彼と一緒にロンドンに行ってた。来週は出張で、北欧とベルリンに行く。
月末は、ミラノに一人旅。今月23日に50歳になる私にとっては、40代から50代へ向けて動く1ヶ月だ。
ところで、昨日土曜日、とあるセッションを受けた。
話してる時に、頭がフリーズしてしまって答えられないこともたくさんあったんだけど、そのセッション後、私の中から、でてきたキーワードがある。
犠牲と償い
人間は、何かしらの犠牲の上に成り立ってる。そんな一般的な感じのことではなくて、私の中で「もぅ、がんばりました!もう償わなくていい」って感覚が湧いてきた。なんでこんな感じになったのかは、正直わかなんないんだけど、自覚しているときか、自覚ないときかに
「私が犠牲になればいい」「私が犠牲になることで、周囲がよくなる」「私の身を呈して償わなきゃ」という思いがコビリツイてるのがわかった。
どこの時点で、そんなことを勝手に思い込んでしまったんだろうと。
昨日はそのセッションの後、ずーっとそのことを考えてた。
私が犠牲にならないとあかん理由、
私が何の償いをしようとしているのか・・
自覚している記憶としては、離婚を私から切り出した前の夫に対して、中絶した子どもに対してだろうか。
私の人生は償いの人生と思い込むことで、ひどい、残虐な自分勝手な真っ黒な自分をみなくていいから・・か・・、いや、なにか違う。
なんだろう・・。
そういえば、今の彼に対しても、
「こんな私でいいの?」という気持ちがどこかにある。
なんで自分のこと「こんな私」と卑下してしまうんだろう。
「この私」だから選んでくれた彼に失礼なのに。
この感覚をどこかにアウトプットしたくて、Noteに書いてみた。
しばらく、この感覚、気持ちの海にどっぷりつかってみようと思う。
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