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すべては「意味づけ」次第

目の前でウロウロしている人をみたら、あなたはどうしますか?
または、目の前でこどもが泣いていたら、あなたはどうしますか?
1.「どうかしましたか?」と声をかける
2.余計なことに巻き込まれぬよう足早に立ち去る
3.別に気にせずにただスルーする...

この対応について何が良いとか、悪いかをジャッジするものではありません。私たちはある事実や出来事を見た時の対応の仕方は様々ですが、その行動につながるものが「意味づけ」です。その行動を決める重要な要素である「意味づけ」について綴ってまいります。

意味づけは、過去によってつくられる


私たちは目の前で同じものをみても、それぞれ反応や対応が違っています。
例えば、先の例をとり、目の前でウロウロしている人を見た時に、

1.「きっと何か困っている人だ」と意味づける人と
2.「何か良からぬことをしようとしている人だ」と意味づける人
そして
3,そもそも目には入っていない、という人

という意味づけを仮にすると上記の3パターンになるかもしれません。同じものを見ても、それを「どう意味づけるか」によって、その後の判断や行動に違いがでてくるというわけです。

では、この「意味づけ」がどうやって生まれるのかというと、それぞれの歩んだこれまでの体験や経験といった「過去」から生まれます。私たちはある出来事をみた時に、これまでに蓄積した自分の中にある情報データ(見たもの、聞いたもの、体験したこと...)の中から似たようなモノを瞬時に引っ張り出して、「これはきっとこうだ!」と意味づけします。その過去データによって意味づけが決まるので、過去の体験や経験値が少ないと限られたパターンで行動し続けることもあります。

過去に出会ったウロウロしている人が、道に迷って困っている人だったり、誰か助けを求めている人だった場合は、「助けが必要な人」と意味づけます。同様に、ウロウロしている人は不審者だから、すぐに逃げるのようにと親から刷り込まれていると、ウロウロしている人を見ただけで「不審者で危ない人」と意味づけるのです。

ここで改めて、それぞれが「意味づける」ことに対して良いか悪いかはありませんが、それによって行動が制限されたり、思うような行動がとれない場合は、意味づけを書き換えることをオススメしますし、人材育成やリーダーにとってはこの「意味づけ」をどう与えるかはとても重要です。

事実をありのままに捉えるのは難しい

では、この意味づけを書き換えるにはどうしたらよいでしょうか?
意味づけは過去に依存するので、これからの「意味づけ」に対して書き替えるための「今」をどう捉えていくか、ということになります。

つまり、目の前でいま起こる「出来事、事実をありのまま捉える」ことです。先程の例だと、事実は「目の前に人がいる」です。もう少し具体的に捉えると「立ち止まり首をゆっくり右へ左へと動かしている人がいる」です。困っているかどうか、何か悪いことを考えている人かどうかは、あくまで想像上のことです。ここには一切の自身の感情とか、過去の似たような人もパターンも介在させないということです。

ただこれがなかなか難しいもの。その困っているように見えるとか悪そうなことをしそうに見えるという、その人特有のメガネをかけてみているからです。人はそれぞれの色眼鏡をかけて世の中を見ていて、自分の見たいように見ているからです。そのために事実と意見などを切り分けることを日頃から意識していくことをオススメします。

これからを意味づけるのは自分次第

出来事や事実を、自分の色眼鏡なく捉えることができれば、それをどう意味づけるかはあなた次第です。自分に都合よく、よりポジティブに意味づけることも可能ですし、ネガティブに意味づけることもできるというわけです。

どう意味づけるかは自分次第ですが、そのことによって行動が変わってきますので、ゴールであるどう行動するかとが望ましいか、という視点からどう意味づけるかを逆算することができるとよりよいですね。そして、その意味づけをする際に私自身も大事にしていることは、この意味づけをすることが私自身とそして関わる周りの人にとって長期的にみて健康的かどうか、ということです。どこか独りよがりになっていたりすると、その瞬間はよくても、その後によくない事態に発展する可能性があるのであれば、意味づけを改めて考える要素があるということかもしれません。

自分の意味づけが固定のパターンになっている、また具体的にどう意味づけるかについては個別のセッションでご確認くださいね。こちらから。

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