【8/1夜にも開催】現役N中生によるシェア会
中2の息子が、7月からN中等部(最先端のフリースクール)に通い始めた。本人にとても合っているようで、楽しそう。
学費の負担はあるけど、通わせて良かった。
N中は、通常の中学校とはすべてがちがう。
たとえば、入学時や年度初めって記入する書類が多いけど、N中は書類の提出もすべてオンライン。しかも一度インプットした情報をもう一度入力させることはない。無駄がなくて気持ち良い。
決まりやルールは特になし。授業が楽しいからか、みんな穏やかに学習しているそう。
持ってきちゃいけないものも特になくて、ゲームを持ってきてる子もいれば、お昼ごはんはコンビニに買いに行くのもOK。
服装も自由。制服はあるから、希望すれば買って着ることもできる。
「先生」ではなく「メンター」がいる。一般的な公立中に見られるような主従関係ではなく、対等な関係。
メンターは一方的に教えたり指示するということはせず、生徒が求めたときにサポートしてくれる存在。
大学生とか大学院生のメンターもいて、どのメンターも教え方がものすごく上手だそう。
個人保護法時代を逆行するN中のメディア戦略も目からうろこだった。
(N中からのお手紙の一部ここから)
生徒の活動がネットやニュースで取り上げられるときは、生徒の氏名、映像などをできるだけ紹介するように努めています。
これは社会において、大勢の前で自分の名前を知ってもらう、アピールするということに慣れるのが、とても重要な経験になると考えているからです。
自分の活動と名前が残るということは、生徒がその後の人生を歩む中でも、大きな励みとなることや、助けられることもあるでしょう。
また、メディアに出ている生徒を見た他の生徒にとっても励みになったり自信になったりする相乗効果も期待しています。
ネットでの誹謗中傷のリスクは大変に残念なことではありますが、これもまた生徒が卒業後に生きなければならない社会の現実です。そういう残念な現実との向き合い方も含めて、当学園では生徒にとって貴重な社会体験であると考えています。
(N中からのお手紙の一部ここまで)
保護者へのサポート体制もしっかりしている。本人が登下校した瞬間に、通知が届くので安心。
やり取りはほぼメールのみだけど、返信が早くて文面も相手への思いやりにあふれている。
一方で、息子が初めてキャンパスに登校した日には、下校後にメンターが私宛てに電話をくれて、息子の一日の様子を詳しく教えてくれた。
必要に応じて電話のようなアナログの手段も活用する、そういった柔軟さも、私は気に言っている。
N中ってすごく魅力的。こんな中学があったら、私も通いたかったな。
そして「N中ってどう?」ってよく聞かれる。
知りたい人は多いようだ。だったら、現役N中生の口から直接聞けたら良いよね!
というわけで、ZOOMでシェア会を開催しました。
13人の方が参加してくれて、kawatai本人が、自分の言葉でN中のことをお伝えして、皆さんのご質問にもお答えしました。
初めての試みだったから本人はとても緊張していたけど、みんなの前で話すことが良い学びになったと思う。
わが子を登壇させるという、自分自身が講師をするセミナーとはまたちがった緊張を私は感じました(汗)
ご感想の一部をご紹介
夏休み中にシェア会やインスタライブなどに挑戦しようと親子で話している。
【次回の開催】
8月1日(月)19時30分から20時30分
【参加費】
無料
【参加方法】
ZOOM
【申込方法】
Twitterにメッセージをお願いします
1回目のシェア会で、息子の話を聞いていてふと思った。
地元の中学校で息子がいちばんいやなのは、人権が尊重されない部分だったのかもしれない。
どこの学校やコミュニティにだって、困った人はいると思う。
そのコミュニティが安心安全な場であるための最低限のルールを守らない人は、いると思う。困るよね。
でもどんな人の人権も、守られるべきだと思う。
息子にとって中学校は合わない。けれど、学童野球のチームにはそれなりの厳しさのあるにも関わらず、心を開いていて、卒業後もOBコーチとして通い続ける理由。
それは、チームがどんな時も息子を一人の個人として尊重してくれるからなんじゃないかと思う。
ルールを守らないから、ダメな人、悪い人。
ではない。
ルールを守らない人であっても、人としては尊重されるべきである。
この公式が、公教育では、特に公立中学校では成り立っていないと私は感じている。
ルールを守ること、ルールを守らせることの方が、人権を守ることの上に置かれている。
不登校の子ても、そこが尊重されていれば、理不尽なルールがあったって学校に行ける子はいるんじゃないかと思う。
どこのコミュニティにも、ルールはあるものだ。どこの家にだって、おかしなルールが存在するんじゃないか。わが家にだってあるよ(笑)
でもルール自体が悪いんじゃなくて、人として尊重するという部分がおろそかにされているから、違和感を感じて通えなくなってしまう敏感な子たちがいるんだと思う。
先生たちが子どもを信じていない、認めていない、尊重していない。
その根っこにあるのは、先生たちが信じられていない、認められていない、尊重されていない、ことにあるんだと思う。
そこが一番深刻な部分なんじゃないかと思う。
先生だって、がんばってるし認められたいと思う。がんばってるからこそ、尊重してほしいと思う。でもそこがないがしろにされているんじゃないか。
今の状況を変えるのに、ルールやハコを変えるのはお金と時間がかかるけど、人として尊重することは少なくともできるんじゃないかと思う。いや、そこを変えないと、ルールやハコを変えたって、変わらないんじゃないかと思ってしまう。
私はこれまで「不登校」や「公教育」の改善にフォーカスして活動してきたけれど、これからは、子どもの人権、いや大人も含めた「人権」を尊重される社会を実現するために活動していこうと思う。
とは言っても、ちっぽけな存在なので小さいことしかできない。せめて、所属しているさまざまなコミュニティで、どんな人の人権も尊重しようという姿勢を見せ続けようと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?