不登校、万歳!
わたしの息子は、クリエイティブなアイデアやオリジナルな価値観を持っているため、既存の学校教育システムに合わない中学生。
本人の良さをあるがままに伸ばしてあげたいけれど、私の夫は不登校をまったく受け入れません。不登校という状況そのものよりも、夫婦間の考えかたが真逆であることに苦労しています。
このnoteには、長男が不登校に至るまでの過程を、時系列で備忘録的に投稿しています。いつか誰かのお役に立てるとうれしいです。
※今回の文章は、2021年10月に書いた日記をリライトしたものです。
学校の態勢が変わった
担任の先生とのやりとりがきっかけで、完全不登校になった当時小6の息子。
その件以来、学校と対話を重ねた結果、今までにはなかった対応をしてくれるようになりました。
具体的には、息子は校長室に登校し、校長室や校内の好きな場所で過ごさせてもらえることになったのです。
校長も副校長も、本人の得意なことを受け入れてくれて、伸ばそうとしてくれました。
一方で、苦手なところについては、矯正などせずに見守ってくれたのがありがたかったです。
他の先生がたの態度も変わり、
彼を授業のアシスタント(図工や稲作りのフォロー)として必要としてくれたり、
授業で必要なものを「●●君、作ってくれない?」と発注してくれたり、
階段の踊り場でもの作りをしている時に、「すごいね」「何作ってるの?」と声をかけてくれてたりして、温かく見守ってくれているそうです。
わら細工にハマっていたある時期には、「猫つぐら」という猫の立体的なおうち(バスケット)を編んで作ったり、オーブン粘土からオカリナを作ったり(ドレミファソラシドがちゃんと出る!)していました。
うわばきはきらいだから履かず、その代わり、自分で編んだわらぞうりを校内で愛用していました。本人は、誰に何を言われたって、へっちゃらです。
学校の有名人になった
わたしの息子は、はたから見れば、すごく変なヤツです。
もう一つの定位置「階段のおどり場」で、授業を受けずにモノ作りをしている6年生の男の子。しかも、わらぞうりをはいている。。。
職員も児童も、●●君のことなら、みんな知っていて、わたしは知らない保護者から、「●●さんのお兄ちゃんは、おもしろいお子さんみたいですね!」って言われることが何度もありました。
自分だけちがうことをしていたら、まわりの目が気にならないの?と聞いても、「まったく気にならない」そうでした。
クラスの友達に「おまえだけずるいなぁ」と言われると、「おまえもやりたいことがあるなら、自分で言えよ。」と言い放ったそうです。
努力が報われた
夏休みの間は、学校と何度も何度も話し合いをして、わたしは疲弊していきましたが、校長・副校長先生が味方になってくれたおかげで、彼の小学校生活は充実したものになりました。
学校とは次第に信頼関係ができていき、お互い良いコミュニケーションが取れるようになりました。
(当時の副校長先生は退職されたけど、今でもお手紙でのやり取りをさせていただいています。)
個性の強い子どもをあるがままにさせてあげるのって、とても骨の折れることです。学校も巻き込まなくては、親だけではとてもできません。
でも、長男を信じて、彼がよりよい時間を送れるように、わたしはあきらめませんでした。疲れても、投げ出しませんでした。
その結果が報われたんだと思っています。
もうすぐ中学生
息子は、これからもいろんな壁にぶち当たるでしょう。
横並びを強制するような同調圧力もあるでしょう。
でも、わたしはまったく心配していません。
彼は自分の意思を持っている人だから。やりたいこと、やりたくないことが、ちゃんとわかっているし、それを周りの人に伝えられる人です。
彼は自分でイメージしたものを、形にできる才能も持っています。
優しいところもあって、友達からも信頼されています。
少年野球をやっていて、チームプレーもできるし、体力も根性もつきました。
大丈夫。
夫はまだ、わたしよりずっとうしろを歩いている
一方で、保守的な考えを持っている夫は息子への理解が難しく、授業を受けない状況を、受け入れてはいませんでした。
母のわたし自身が、わが子の不登校を受け入れるまで、相当な時間がかかったので、無理はありません。
息子を支配したりコントロールしようとする夫とは、価値観を共有することができず、とても難儀しています。
夫が自分自身を肯定していないから、長男にはもっとより良い人生を送ってほしいと思っての愛情あってのことだと思います。
今、わたしができることは、夫に、自分の人生を否定しないで、自分自身を認めてあげようよ、というメッセージを伝え続けることだと思っています。
そして、手取り足取り指示をしなくても、わたしたちの子どもは幸せになれるから、なんにも心配ないよ、ということを伝え続けることだと思っています。
伝えないと、変わらない
個性と意思が強い息子に、あるがままに成長していけるような環境を作るために奮闘した夏でした。
学校に、夫に、口を出してくる周りの人に、言いたくないこと、言いづらいことを、 わたしはたくさん言いました。
いろんな人が応援してくれた一方で、耳の痛いアドバイスやありがたくもないアドバイスも、たくさんもらいました。
心身ともに疲弊しました。
でも、どんなに面倒くさくても、動いて良かったです。
息子との信頼関係は、ゆるぎないものになりました。
不登校、万歳!
まさかわが子が不登校になるなんて、思いもしませんでした。
長男が小4の11月に、短期間であっても初めて不登校になったときに、信頼する人に、
「良かったね。不登校は、良いきざしです。」と言われたときは、まったく理解できませんでした。
この子の将来は、いったいどうなっちゃうんだろうと、絶望感に打ちひしがれていましたから。
でも、今なら、自信を持って言えます。
「不登校になってくれて、良かった。」
意志があるからこそ、自分の考えを持っているからこそ、不登校になるんです。
自分のアイデンティティがしっかりしすぎているから、均一さを求められる学校生活に、違和感を感じてしまうんです。
日本の教育システムには不整合でも、社会に出て、広い世界で活躍している元不登校の人は、たくさんいます。デコボコのある人のほうが、今からは必要とされます。
本当に変なヤツだけど、わが子の未来は、前途洋々。そう信じて疑いません。
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