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【人生の夏休みとは?】

ここ最近は都会に被れてるので、改札をPASMO(ドヤ顔)で通るふじおです。

さて、大学にいる意味ってなんですか?

僕はなぜイマ自分が大学にいるのかが正直わかりません。

これは3年生になってから毎日考えています。

ただなんとなく入れる大学に入って、
なんとなくボーっとして2年と半年が経ちました。

この間に何か成し遂げたかと言われれば必ずしもそうではありません。

ここで自分が大学にいる意味に対して疑問を持ちます。

高3の夏まではずっと立教大学に進んで部活を続けたいと思っていました。


ただ、僕の家庭には私立に進めるだけの金銭的余裕はなく渋々諦めました。

進むなら国公立!!!!とずっと言われ続けていたので、
僕は流されるままとりあえず自分が入れるレベルの地方国立に入りました。

大学というところは巷では『人生の夏休み』と呼ばれています。


僕もそうだと信じ込み入学しました。ただ現実は違っていました。

基本的に夏休みは課題というものが与えられます(高校までは)。

一方で人生の夏休みと呼ばれる大学では、夏休みと呼ばれているのにも
関わらず課題という課題がありません。

高校時代まで自ら進んでやるという経験があまりなく、
与えられたモノだけをこなすのが得意だった僕はこのギャップで苦しみました。

何もしていなくても誰にも何も言われない環境。

そして自分がいかに受動的人間であったかということに失望しました。

課題が無い夏休みは、自らが己に対して課題を
突き付けなければただ時間だけが過ぎていってしまいます。

僕はそれが嫌でした。

だからとりあえず色んなことに挑戦してみたり、色んなイベントに
参加してみたり、色んな団体の活動に首を突っ込んでみたりしました。

そんなことをしているうちにあっという間に3年生の秋を迎えていました。


振り返ると適度に頑張っていたのでは、と思っています。

ただ僕はひねくれ者なのでそのまま受け取ることができません。

思うのは何のために大学に入ったのかということ。

僕がこれまでやってきた経験は別に大学に入らなくても
できたのではないかということ。

もちろん学生という身分だから経験できたこともありますが、
本当にそれがやりたかったのかと言われれば全てにそのことは当てはまりません。

それなりに自分に課題を突き付け、やってきたつもりですが
虚無感がいつもどこか僕の心の中にはあります。

いつ満たされるのでしょうか。

行動し始めた当初は、色んなことをして予定を埋めることで寂しさを
紛らわせていた部分もあるし、周りと差をつけたい・同じにされたくないとか、
今だから言えますがあまり肯定的な理由はありませんでした。

今は考え方も大きく変わりどうやったら周りを巻き込めるかとか、
今までの経験を社会にいつか還元したいとか、
その他諸々わくわくすることばかり考えてます。

つらつら述べてきましたが、学内生活は全く楽しくないです。

僕は現在経済経営学類という簡単に言うと経済学部に在籍しています。

経済に関する講義はつまらないし、経済に関する理論は机上の空論だし、
最近では経済という単語にアレルギー反応を起こしているし。。。

(ある意味機会損失ではあるのですが)

とはいえ、自分で選んだ進路なので何とも言えないのがまた、、。

大学にいさせてもらえている身分のくせに、
大学いる意味ないという発想になることが、
贅沢なことであるのは自分自身が一番理解しています。

でも、これだけは言いたくて、自由な時間ばかりなのにも
関わらずこれだけ高い授業料を払う意味はあるのかということ。

だったら高卒のタイミングで働き始め、やりたいことを
見定めたうえで大学に入った方が大学の意義が
理解できるんじゃないかとか思っています。

それも自分で働いて貯めたお金で入学すれば責任もできるし、
時間を持て余してボケーッとする僕みたいな大学生が減ると思います。

現状の仕組みが少しでも変わってほしい…!と思ってみたり。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


ふじを。



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