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限界カレーライス

 意外なことにスーパーの惣菜コーナーでは、カレーライスはあまり見かけない。皆、あんなに大好きなのに。しかし私がいつも行くスーパーにはカレーライスが必ずある。ずっと気になっていたので、今日のお昼ごはんは、このカレーライスに決めた。

 食べながら撮影のため、スプーン上で小さなカレーライスを作ろうと試みる。カレーライスはなかなか理想のルーと白飯との配分にならない。ルーが多すぎたと一口食べ、白飯に余分なルーがかかったと一口食べ・・・。
 ああ、もう!撮影ばかりしていたら、味わう間もなくカレーライスがなくなってしまうではないか。撮影に時間がかかってしまったからか、白飯はちょっと表面が固くなっている。スプーンに白飯とカレールーを適当にすくい口に運ぶ。

「やっぱ、うめー!」

 白飯もカレールーも常温なのに、この美味しさよ。空になったスプーンで次々とカレーライスをすくっていく。だけど撮影をしていたせいで思う存分楽しめる程カレーライスは残っていなかった。
ならばまた今度カレーライスを食べれば良いのかもしれないが、私はカレーライスをほぼ食べない。だからきっと今度はない。今日カレーライスを食べたのは何年かぶりだった。

 カレーライスは嫌いではないし、食べれば美味いとも思う。でもカレーライスに全く興味が持てない。何故かと考えてみたら、カレーライスに良い思い出がないからかもと思い至った。 まず思い出したのは、大学の学食のカレーライスだ。
 私が通っていた大学の学食は、全メニュー美味しくなかった。破壊的、致命的に不味いのではない。まんべんなくどんよりしていて、やる気や元気を削ぐ味。食べながら、もう一度は食べたく無いと思っていた。この美味しくない学食の中で、唯一マシだったのがカレーライス。

「美味いんじゃない、これしかないんだ。」

 そう言って友達全員、いつも必ずカレーライスを食べていた。カレーライスのルーには具は全く見当たらず、ごくごく稀に小さな、小さな人参の切れ端が入っていたりすると、奇跡を目撃したかのような気持ちになった。
 結局あまりに学食が美味しくなかったので、私は買ってきたパンやらおにぎりやらを食べていた。学食が美味しくないだなんて、大学の醍醐味の1/10ぐらいを失ったかのようなもんだ。
 とは言え、これは大学に通っていた4年間だけの話。これだけで「皆大好き、カレーライス」に興味が持てなくなる訳はない。
 そう、カレーライスは皆大好きなはずなのだ。特に皆、大好きなのは「お母さんのカレーライス」。私の母のカレーライスはと言うと、残念なことにとても不味かった。

 母は決して料理が下手ではないが、カレーライスとかハンバーグとか、子どもに人気のメニューが、ことごとく下手くそだった。カレーライスはルーから作っていた訳じゃない。ルーは市販の物を使っていた。それなのに不味かった。
 母のカレーの具で覚えているのは、こんにゃく、ワカメ、キャベツ。母は

「そこにあった素材」

をカレーに入れていた。カレーは恐ろしい程に懐が深いので、大概の物なら美味しくできるはず。なのに、こんにゃくもワカメもキャベツもカレールーと全くマッチすること無く、見事にバラバラ。カレーライスじゃなくて、こんにゃく、ワカメ、キャベツが浮かぶカレールーと白飯でしかなかった。
 それでも市販のルーを使っているからルーは美味い。ルーは美味いが、不味いこんにゃくも一緒。不味いワカメが入っているが、ルーは美味い。バラバラのカレーライスの味は舌が拒否する程ではないが、脳みそでは処理しきれなかった。

 この不味いカレーライスは週末の昼によく登場した。母は午前中1週間分の食材の買い出しに出かけて、もうクタクタ。そしてデカい中華鍋を火にかける。鍋に、こんにゃく、ワカメ、キャベツをぶち込み、市販のカレールーもぶち込む。多分何も考えず、食事を作らねばとの義務感だけで体を動かしていたのだろう。そんな風にして出来上がったのが不味いカレーライスだった。
あの時、家族全員がこのカレーライスを不味いと思っていたはず。だけど誰も何も言わずに黙々と食べていた。

 結局私は母が作った、じゃがいも、人参、玉ねぎが入ったごくごく普通のカレーライスを食べた記憶がない。後に母が

「じゃがいも、嫌いなのよ。」

と言ったのを聞き、それじゃぁ、元も子もないじゃないかと思ったのを覚えている。

ここまで色々と書き連ねてきたが、カレーライス自体には何の恨みもない。普通のカレーライスはとても美味しいと思う。だけど私には、カレーライスは「お母さんの限界メシ」の印象が強すぎるのだった。

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