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小なる事は分別せよ、大なることに驚くべからず

松下幸之助 一日一話
12月22日 小事を大切に

ふつう大きな失敗は厳しく叱り、小さな失敗は軽く注意する。しかし、考えてみると、大きな失敗というものはたいがい本人も十分に考え、一生懸命やった上でするものである。だからそういう場合には、むしろ「君、そんなことで心配したらあかん」と、一面励ましつつ、失敗の原因をともども研究し、今後に生かしていくことが大事ではないかと思う。

一方、小さな失敗や過ちは、おおむね本人の不注意や気のゆるみから起こり、本人もそれに気がつかない場合が多い。小事にとらわれるあまり大事を忘れてはならないが、小事を大切にし、小さな失敗に対して厳しく叱るということも一面必要ではないか。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

失敗や過ちの大小に限らず、そもそも失敗や過ちはなぜ起こるのでしょうか。松下翁は小さな失敗や過ちに関して、「おおむね本人の不注意や気のゆるみから起こり、本人もそれに気がつかない場合が多い。」と仰っています。では「本人も気付かないような不注意や気のゆるみ」が起こる時とは、具体的にはどのような状態のことなのでしょうか。

このことに関して、渋沢栄一翁は著書「論語と算盤」(1916)にて以下のように述べています。

 およそ人の禍は多くは得意時代に萌すもので、得意の時は誰しも調子に乗るという傾向があるから、禍害はこの欠陥に喰い入るのである。されば人の世に処するにはこの点に注意し、得意時代だからとて気を緩さず、失意の時だからとて落胆せず、情操をもって道理を踏み通すように、心掛けて出ることが肝要である。それとともに考えねばならぬことは、大事と小事とについてである。失意時代から小事もなお、よく必するものであるが、多くの人の得意時代における思慮は全くそれと反し、「なにこれしきのこと」といったように、小事に対してはことに軽侮的の態度をとりがちである。しかしながら、得意時代と失意時代とにかかわらず、常に大事と小事とについての心掛けを緻密にせぬと、思わざる過失に陥りやすいことを忘れてはならぬ。

 誰でも目前に大事を控えた場合には、これを如何にして処置すべきかと、精神を注いで周密に思案するけれども、小事に対するとこれに反し、頭から馬鹿にして不注意の内にこれをやり過ごしてしまうのが世間の常態である。ただし箸の上げ下ろしにも心を労するほど小事に拘泥するは、限りある精神を徒労するというもので、何もそれほど心を用うる必要の無いこともある。また大事だからとて、さまで心配せずとも済まされることもある。ゆえに事の大小といったとて、表面から観察してただちに決する訳にはゆかぬ。小事かえって大事となり、大事案外小事となる場合もあるから、大小にかかわらず、その性質をよく考慮して、しかる後に、相当の処置に出るように心掛くるのがよいのである。…
(渋沢栄一著「論語と算盤」より)

つまりは、人には「得意の状態」と「失意の状態」があり、「失意の状態」の時ならば小事にも細かく気をつかい不注意や気のゆるみは生じづらいが、「得意の状態」の時ほど、油断して小事での失敗や過ちを軽いものであると侮ってしまいがちである。「小事かえって大事となり、大事案外小事となる場合もある」のだから、小事大事という表面的な判断ではく、その性質をきちんと見極めた上で対処するのが好ましいということです。

渋沢翁は具体的には、大事に処する方法は人それぞれで異なるが、自分ならば「道理にかなうやり方か。その道理にかなうやり方は国家社会の利益になるか。更には、自分のためになるのか」という点を熟慮し、自分の利益よりも国家社会の利益になるやり方をするとした上で、小事に対しては以下のように述べています。

小事の方になると、悪くすると熟慮せずに決定してしまうことがある。それが甚だ宜しくない。小事というくらいであるから、目前に現れた所だけでは極めて些細なことに見えるので、誰もこれを馬鹿にして、念を入れることを忘れるものであるが、この馬鹿にして掛かる小事も、積んでは大事となることを忘れてはならぬ。また小事にもその場限りで済むものもあるが、時としては小事が大事の端緒となり、一些事と思ったことが、後日大問題を惹起するに至ることがある。あるいは、些細なことから次第に悪事に進みて、ついには悪人となるようなこともある。それと反対に、小事から進んで次第に善に向かいつつ行くこともある。始めは些細な事業であると思ったことが、一歩一歩に進んで大弊害を醸すに至ることもあれば、これがため一身一家の幸福となるに至ることもある。これらはすべて小が積んで大となるのである。人の不親切とかわがままとかいうことも、小が積んで次第に大となるもので、積もり積もれば政治家は政治界に悪影響を及ぼし、実業家は実業上に不成績を来し、教育家はその子弟を誤るようになる。されば小事必ずしも小でない。世の中に大事とか小事とかいうものはない道理、大事小事の別を立ててとやかくいうのは、畢竟君子の道であるまいと余は判断するのである。ゆえに大事たると小事たるとの別なく、およそ事に当たっては同一の態度、同一の思慮をもって、これを処理するようにしたいものである。
(渋沢栄一著「論語と算盤」より)

人間というものは、自分の姿が一番見えないものであり、この知りにくい自己を知り、真の自己を実現することが求められますが、これは得意失意の状態にも当てはまるものであると言えます。つまりは、自分の姿を振り返るよりも、他者の姿を反面教師とする方が容易いことであるとも言えます。例えば、「小事が大事の端緒となり、一些事と思ったことが、後日大問題を惹起するに至ることがある。」とは、昨今の政治によく見る姿であり、その背景には長期化した政権において「得意の状態」にあるが故の小事を軽んじる姿や、本質を見極めずに小事と大事を区別した対応をすることにあるのだと考えるならば、納得する人が多いのではないでしょうか。

更に、渋沢翁は上記の言葉に加えて以下のように述べています。

…これに添えて一言しておきたいことは、人の調子に乗るは宜くないということである。「名を成すは常に窮苦の日にあり、事を敗るは多く得意の時に因す」と古人もいっておるが、この言葉は真理である。困難に処する時は丁度大事に当たったと同一の覚悟をもってこれに臨むから、名を成すはそういう場合に多い。世に成功者と目せらるる人には、必ず「あの困難をよくやり遂げた」、「あの苦痛をよくやり抜いた」というようなことがある。これすなわち、心を締めて掛かったという証拠である。しかるに失敗は多く得意の日にその兆しをなしておる。人は得意時代に処しては、あたかもかの小事の前に臨んだ時のごとく、天下何事かならざらんやの慨をもって、如何なることをも頭から吞んで掛かるので、動もすれば目算が外れてとんでもなき失敗に落ちてしまう。それは小事から大事を醸すと同一義である。だから人は得意時代にも調子に乗るということなく、大事小事に対して同一の思慮分別をもってこれに臨むがよい。水戸黄門光圀公の壁書中に「小なる事は分別せよ、大なることに驚くべからず」とあるは、真に知言というべきである。
(渋沢栄一著「論語と算盤」より)

松下翁の仰る「小事を大切にする」とは、小さな成功が続いているからといって調子に乗り自惚れることなく、小事大事を区別することなく全て道理にかなった対応をするということなのでしょう。

そのためには、小事における意識改革や行動改革が必要になる訳ですが、松下翁が実際に行っていた小事に関する以下の具体的なあり方が参考になると言えるのではないでしょうか。

 ものごとを、ていねいに、念入りに、点検しつくしたうえにもさらに点検して、万全のスキなく仕上げるということは、これはいかなる場合にも大事である。小事をおろそかにして、大事はなしとげられない。どんな小事にでも、いつも綿密にして念入りな心くばりが求められるのである。

 しかし、ものごとを念入りにやったがために、それだけよけいに時間がかかったというのでは、これはほんとうに事を成したとはいえないであろう。むかしの名人芸では、時は二の次、それよりも万全のスキなき仕上げを誇ったのである。

 徳川時代の悠長な時代ならば、それも心のこもったものとして、人から喜ばれもしようが、今日は、時は金なりの時代である。一刻一秒が尊いのである。だから念入りな心くばりがあって、しかもそれが今までよりもさらに早くできるというのでなければ、ほんとうに事を成したとはいえないし、またほんとうに人に喜ばれもしないのである。

 早いけれども雑だというのもいけないし、ていねいだがおそいというのもいけない。念入りに、しかも早くというのが、今日の名人芸なのである。
(松下幸之助著「道をひらく」より)

つまりは、小事に対して、「より早くより高い正確性を求めていく」ことで、小事に対する意識が自ずと高まり、目の前にある単純な仕事に対してもど真剣に取り組むことを促進し、それが「当たり前のことを、バカになって、ちゃんとやる」凡事徹底に繋がり、小事と大事を区別しない姿を齎すことになるのではないかと私は考えます。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

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