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人生の意味なんて後付け

最近急に無力感とか虚無感を感じることがあります。

何してもダメな気がしてしまったり、なんのためにこんなことをするのだろうとか、俺なんかには、とか始めるのが遅いとか。

もちろんいろいろな本をよんだりして、こういう考え方もあるな、いいな。

とか思って実践はするのだけど、なんと無く虚しい気持ちになったりします。

人生の意味なんて他人の後付け

そう思いました。何を残そうが、なんだろうが関係ない。

別に何も残さなくても大丈夫で、人間がやれることには限界があるし、いつかは必ず迎えが来る。

自分の人生を振り返って、後悔の念を抱くかもしれない。でも、死んでしまった瞬間以降は自分にとっての人生の意味なんてものは意味を持たなくなる。

周りにいる人が、この人の人生はどうだったか。という意味を後付けするだけ。

仮に忘れられようが覚えられていようが、それはすでに他人の世界の話なんですよね。そこにもう自分はいない。

ルイヴィトンを作った人の歴史を誰が知りたがるか

例えばですが、ルイヴィトンみたいな世界的なブランドを作った人の歴史にどれだけの人が興味を持つのでしょう。

ルイヴィトンは有名で、高価で、オリジナリティがあって、他より優れている。それを作った人なのだから人間として価値があるのかもしれない。優れているかもしれない。

でも、もう本人はすでにこの世にはいませんし、いずれ新しいものがたくさん出てくると、いつかはヴィトンというブランドも忘れられていくでしょう。

そう考えると、どれだけ大きな功績を残そうと、富を築こうと、人と違う生き方をしようと、時間と共に風化して一般化されて忘れ去られていくのであれば、そんなに躍起になって頑張らなくてもいいのかなと思いました。

永遠に続けようとするからつらい

どんなものにも必ず終わりが来るけれど、なんと無く永遠をみてしまうから辛くなるんだなと思いました。

自分の能力の不足感とかから、虚無感とかを感じてしまい、何もできない自分に嫌気がさしますが、でもなんで嫌だと思わなければならないのか。

本質的には競争本能とか優越感とか、そういう類のものの暴走なんだなと気づきました。

スポーツ界のスーパースターも歳を取れば引退するし、会社の社長になっても、だいたいは30年で潰れると言われている。江戸時代も徳川15代で終了。

あんまり意味ないんですよね。僕がスーパースターになろうが、会社の社長になろうが、江戸時代の将軍になろうが、で?それで?という質問が繰り返されるだけなんです。

何も意味なんてなくて、全ては暇つぶしなんだなと気づきました。


人生に悲観をするというより、このくらいの軽いスタンスが楽なんだなということを感じました。

もちろんこの考えだけで全て解決人生楽ちんではないですけどね。

でも、ある意味フットワークを軽く、やりたいことやればいいじゃん。のスタンスを少しでも多く自分の人生に取り入れられてしまえば楽しいかなと思いました。

どうせ、人生の意味なんてないし、あるとしても他人が後から勝手につけるだけなのだから。

この記事がいつか誰かの助けになりますように。

それではまた明日!

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