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AIがつくるブラックジャック

僕の尊敬する人物の1人に手塚治虫がいる。
戦争の時代を経験し、中学は大阪の名門校に通い
、その後、大阪大学医学部で医学を学んだ。

昆虫採集で鍛えた足腰で、中学では学内のマラソン大会で1位を取った記録が今でも残っているらしい。
まさに文武両道の人だった。

その後、医者にはならず、漫画家として後世に名を残すことになる。どんなに締切りが迫っていても、あらすじ案を考えることに関して妥協を許さなかったという。まさにプロ中のプロだったと言えよう。

しかし、そんな執念はもはや異物なのだろうか。
昨年、代表作「ブラックジャック」について衝撃の発表があった。生成AIを使って内容や登場人物の画像を作り、最新作として少年漫画雑誌で公表する試みを行うというものだった。


ご子息の手塚眞氏の公式会見の様子


プロジェクト概要は、2つの生成AIを使って人間と「協同」で最新作を制作するというもの。公式でも

「人間の創造性や面白さにAIがどこまで迫ることができるのか」

というコメントが出ていたのであくまでもこの企画の主な狙いはチャレンジであり、作業効率等を追求するものではありませんでした。

AIの使い方、AIの研究としては大変興味深い試みでした。なぜなら世の中のAIの使い道は大半が作業効率を上げるためですが、そういう使い方じゃない
アートやクリエティブなところにAIを突っ込んでいく試みはとても斬新なものだったからです。

ご子息の手塚眞さんもコメントしておられました。

「これは人間のためにする研究。AIを漫画家にするという研究ではない。あくまでも人間のクリエーターをサポートする。どこまでサポートできるかということが今回の研究の主要目的だ」

と強調しておられました。

主旨はあくまでも面白い作品を誕生させるというより人類を前に進めるといった壮大なチャレンジであるということ、正解を導き出すことが、さも正義であるような時代にあってこの挑戦は非常に好感が持てました。

そして昨年11月ついに最新話が公表されたのです。
内容は機械の心臓を持つ少女の病気に挑む話。



感想としては、内容が今の時代に合っていて、ピノコの「人間ってなんらの?」ってセリフに象徴されているように、「命とは何か」「生きるとは何か」に関するブラックジャックにおける不変のテーマが全面に出ていて面白かったです。



AIなど先端技術の発達によって人間についての再定義の問題が差し迫っている今の時代を上手く描き出しているように感じました。

また、クライマックスもハッピーエンドではなく手塚治虫らしい考えさせられる内容で、全体を通して上手くブラックジャック感は表現されていて、完成度の高さに驚かされました。

ただ、何か物足りないような、手塚治虫作品ならではの人間愛を感じにくいような印象も受けました。ストーリー展開の点で、まだAIは手塚治虫を超えられていないのかな、という読後感でした。

今のAIの主な活用法は、人間が指示を出して、AIが膨大なデータの中から瞬時に複数の選択肢や最適解を提供するというものです。

つまり先入観のない客観的な解に導いてくれることには非常に向いていますが、自らの創造性はほとんどありません。自らの意思、意識というのは持ち合わせていないのです。

手塚治虫作品の最大の魅力は、その独自の世界観、価値観や、人間味溢れる描写を通して壮大なテーマを読者に提供するところにあると僕は考えています。子どもから大人まで楽しめる作品と言われる所以もその点にあるのだと思います。

なので、現在のAIはクリエイティブな分野ではまだまだ手塚治虫に追いつけていないのでしょう。

とは言え、技術の進歩は驚くほど速いのも事実。
今回は人が創作の手綱を握りましたが、いずれ逆に人がAIの補佐役になる日が来るかもしれません。その作品に、何かを表現したいという情熱はどう刻まれているだろう。ものを生み出すことの価値とは···。

アマゾンのレビューにとても共感できる感想が書かれていました。

しかし一方で、AIとスタッフが手塚治虫を超えていない事実にほっとしたりもする。


かつての作品にブラックジャックが恩師の医者から問われる場面があります。

「人間が生きものの生き死にを自由にしようなんて、おこがましいとは思わんかね」

医学や人知を超えた生命の神秘に対する驚きと畏敬の念を表わす言葉。同じセリフをAIが書いたら、人は感動を覚えるでしょうか。

「命とは何か」。「生きるとは何か」。
AIがどこまでクリエイティブな世界に介入してよいのか。深く考えさせられる重い言葉ですね。
手塚治虫が生きていたら何と答えるでしょうか ··· ? 


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