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『星に願いを』 第六話          ──七つ村に関する二つの手記と一つの付記と極秘文書三一九号──

「よく頑張ったね。少し休憩しよう。」

 だいたい一時間ほどは歩いたでしょうか。
 気がつくとそこは少し広がりがある高台でした。冬の寒さにすっかり葉の落ちた木々の隙間から、先ほどまで私たちがいた村が見下ろせました。私たちはかなり高いところまで登ってきたのです。
「外を歩くのは初めてだろう。大丈夫かい?」
 私は生まれて初めて村を見下ろしました。そしてとても驚きました。遠くから見る村はとても小さくて、森の周りには何もないのことがわかりました。そこには荒れた土地が広がるばかりなのです。

 こんな風なんだ。
 なんだか寂しいな。

 私がそんなふうにぼんやりと眺めていると。
「あっ。」
急にその人は声を上げました。
 彼女の視線を追って目を凝らすと、村の一角から白い煙が。
「まさかそんな。奴ら。火を放ったのか?」
彼女の横顔が驚愕に震えました。
 ヒヲハナツ?
 火? 
「あれは火なのですか? どうして? 何が起こっているのですか?」
しかし彼女は村を凝視したまま言葉が出ません。驚きと、その後から怒りの表情がみるみる現れてきました。
 ああ。でも。
「大変です。書物が。大切な書物が燃えてしまう。」
そう言っている間にも上る煙の数は増えていき、どんどん広がって行くのがわかりました。
「ああ。早く。火を。火を消さなければ。」
私は足元に置かれていた荷を一つ、手に取りました。
「戻りましょう。火を消さなければ。人手がいくらでも必要なはず。あなたも。」
「いや。」
彼女は残りの荷を肩に背負い、私の持っていた荷も奪い、それも背負って、村に背を向けました。
「まずいな、急ごう。」
「そんな。」
「私たちは行かなければ。それが七つ様のお考えなのだから。」
彼女は村とは反対方向へ、山のさらに高い方へと歩き出しました。
「ダメです。火を消さなければ。書物を守ることが私たちの使命でしょう? たとえななつさまが何とおっしゃろうと」
私はその場から動かずに彼女の背中に訴えました。彼女は振り返り、私の決意に気付くと戻ってきて跪きました。
 彼女は私の両腕を掴み、私の目を見据えて言いました。
「見習い生カナエといったね。」
その手がきつく私の腕に食い込んで痛くて。
「私は探索者のイサキという。お前を連れて村を出るように、ななつさまのオミチビキを受けた。」
彼女は少しの間、唇を噛んで言葉を探し、それからはっきりと私に言いました。
「カナエ。覚悟して聞いてくれ。もしかしたらお前はもう村には帰れない。この先何があろうと、私と共に行かねばならないのだ。」
彼女はそう言って口元をきつく結びました。
「どうして私が? なぜ? 一体何が起こっているのですか?」
私は声を震わせながら問いかけました。
「私にも分からないのだ。だがおそらくあの炎は。地の民の襲撃だろうと思う。」
 襲撃? 
 地の民の?
「どうして?」
「分からない。でも。」
彼女は言葉を詰まらせ、唇を歪めました。
「今の私たちに、選択肢はない。」
「納得できません。理由がわからない。」
私は頑なに抵抗しました。

 だってそれでは。
 フェイは? ユズルさんは? 見習生のみんなは? 
 ハルヤさまは? 
 局長も。
 それに何より大切な書物がある。大切な大切な。私たちの使命。
 あの日記だって。
 小さな子供が書いたあの可愛らしい日記。あの中には書いた者の大切な想いが詰まっていました。
 だから決して。
 決して燃やしてはいけないのに。
 私は何もわからないまま動くのは嫌でした。でも。

「しかし従ってもらう。これはななつさまのオミチビキなのだ。オサキミをなされたのだ。」
 ななつさまのオミチビキ?
 私はその時気が付きました。
 おそらくこの人に言ってもダメなのだと。そしてこの人も納得していない。唇をかみしめ何かに耐えようとしている。
 私は彼女の目が涙で濡れていることに気づきました。
 そうだこの人は泣いている。悲しんでいる。
 私と同じように、驚き、動揺し、ことの成り行きに怯えている。だから。
 私は彼女に従うことに決め、さらに山の奥へと進みました。

 私たちは日が暮れるまで歩き続けました。
 気がつくと夜空に星が光っていました。満天の星。あんまりキレイで、なんだか悲しい気持ちになってしまったのを覚えています。
 それから私たちは小さな小屋で休むことになりました。村の外には探索者のために作られた休憩所がいくつも点在しているのだそうです。
「ここも危ないかもしれないが。しかし君も疲れただろう。ここで眠った方がいい。私が外で見張るから。」
そう言ってイサキさまは火を起こしました。
 夜の山は寒い。私が震えていると彼女は温かいお茶を淹れてくれました。その器を両手で包むとじわりと温かさが伝わってきて、体と一緒に心までほぐれていくような気持ちになりました。
「その前に何か腹に入れておこう。ここにも多少の備蓄があるはずだが・・・おそらく。」
と言って彼女は荷を解きました。
「ほらね。あの司書補が用意してくれたみたいだよ。」
 荷の中には着替えや何やらの他に、布で包んだお弁当の包みが入っていました。さらによく見ると、小さな荷の方の(おそらく私のための荷でしょう)底の方には別の包みが。
「なんだろう。たぶん君宛だ。開けてごらん。」
驚いたことに中から出てきたのは。

 小さな辞書と封筒。
 封筒の中に、手紙と一枚の写真。
 あの、兄からもらった写真。
 そして手紙にはこう書かれていました。

「カナエ
 あなたにこの辞書を特別に貸し出します。旅の道行の間も、勉学に励みなさい。必ず返すように。いつかきっと。
 それからこの写真はあなたが持っていなさい。その方がここで保管するよりも、失われずに済む可能性が高いかもしれません。          ハルヤ」
 

 ハルヤさまは予感していたのでしょうか。こうなることを。だからこんな形で。

 ハルヤさま。
 ハルヤさま。
 教えてください。どうしてこんなことに?
 教えてください。私はどうしたらいいのですか?
 ハルヤさま。

 私は気持ちが抑えきれなくなって。どうしようもなく、恐ろしくて、悲しくて。
 涙が溢れて。抑えきれなくて。

「お茶のおかわりを入れてこよう。」
イサキさまはそっと立ち上がり、奥の部屋へ行かれました。私の気持ちが落ち着くまで私をそっとしておこうと思ってくださったのでしょう。それからまた温かいお茶を持ってきてくださって、彼女は静かに私の横に腰掛けました。
 私は運がいい。この人も私を気遣ってくれる。
「それは?」
イサキさまは私が手にしていた写真を指さしました。私は何も言わず彼女に写真を渡しました。
「いい写真だね。」
と彼女は言いました。
「お父さんとお母さんかな。笑ってるね。これは家族の写真かな。ああ。裏に何か書いてある。こういうのって見たことあるよ。昔発掘した中にも何枚かあって。写真の裏にはね。日付とか、写真を撮った場所のこととか書いてあるんだよね。」
彼女は目を細め文字を読もうとしました。
「最初はお日様を意味するカンジかなあ。私も多少は勉強したんだけどね。司書部には敵わないよ。なんと書いてあるのだろう。」
「あ、辞書が。」
私は涙を拭いて、さらにその手を綺麗にしてから(大事な辞書ですから)調べてみました。
「お日様と、それから次は枝?」
さらに調べると。
「お日様と枝? の、かみさま? の、おやしろ、にて。ですね。」
「お日様と枝の神様? いにしえにはそんな神様がいらしたのだね。」
「そうですね。そのおやしろがあったのでしょう。」
「じゃあそのお社で撮ったのかな。」
するとイサキさまは、ああ、とまた思いついた様子で。
「これ。きっと子供のお祝いなんだよ。」
「子供のお祝い?」
「うん、聞いたことがある。昔の資料が残っていてね。七歳になったらお祝いするんだって。」
「七歳になったら? 何をですか?」
「何をって。多分そうだな。子供がね。七歳まで無事に大きくなってよかったって。ありがとうございますって神様にお祈りするんだよ。」
「ありがとうございますってお祈りですか?」
「うん。だってこのお父さんもお母さんも、とっても嬉しそうだろう?」


「僕らにはお父さんもお母さんもいないだろう? 
 だからってわけじゃないけど。これが僕らのお父さんとお母さんに思えてね。それにね。この小さな女の子。お前に似てる気がしないかい?」
「それじゃ、兄さんがこの赤ちゃんになってしまいますね。」
「あ、そうか。それじゃ逆になっちゃうな。でもどっちでもいいよ。家族なら。」
 そう言って兄が笑いました。それから兄は言いました。

 もしまた生まれ変わって兄弟になれたらね。
 穏やかな時代に生まれたらね。
 お父さんとお母さんがいて。
 その時、どっちが兄でも弟でもいいから。
 どちらでもいいから。
 七歳まで無事に生きられたね。
 これからも楽しく生きようねって祈るんだ。
 きっと笑ってお祝いするんだ。
 だから一緒に。
 いつかきっとこんな写真を撮ろうよ。
 いつかきっと。


 思えばあの時からすでに世界の不穏な動きがあって。おそらく兄も、兄と同じ探索者の方々も、局長も。そしてもちろんななつさまも。それを予見していて。
 だから兄は。
 

 「いい写真だね。」って、イサキさまが微笑まれました。   (3,742字)





[前話] 第五話 司書見習いカナエの手記⑤ (2,391字)


[次話] 第七話 探索者イサキの手記①  (2,673字)


第一話はこちらから

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