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「先生あのね」から始まる作文 胸のなかにある子供のころの思い出

時々ふと、自分が小学校5・6年生の時のことを思い出すことがあります。

担任の下村先生、今、どうしているかしら。いつも「先生あのね」から作文を書きなさいって言うんです。当時はそれが嫌だったのですが・・・。

小学生の自分はひねくれ者

小学生の自分は、あまり目立たない、比較的大人しい子どもだったように思います。あまり友達もいなくて、かぎっ子だった私は、放課後は家の近くの空き地とか自宅で一人で過ごして、空想の世界にいるような、そんな暗ーい子どもだったような・・・気がします。

でも、一人で過ごす時間って、今思えば貴重で、考えることは好きだったかもしれない。

小学校5・6年生は、担任の先生が同じで、下村先生という、いつも赤い口紅をつけている先生。授業の始まりに、「先生あのね」から作文を書きなさいと、定期的に作文を書かされていました。

当時、あまり先生が好きではないと思っていたので・・・
何を思ったか・・・ある日の作文に「先生あのね、私は先生がきらいです」と書いちゃったんです。

その後はなんて書いたんだったかな。
全然覚えていないんだけれど、なんか、自分の中に罪悪感みたいなものが残っていて、今でも時々、「悪かったなあ」なんて思っている自分がいます。

下村先生、お元気かしら。
もしかしたら、先生のことが大好きだったのかもしれないですね。

文章を書くこと

作文って、出だしが一番難しいんですよね。だから、最初の出だしを決めておくと書きやすい。

だから、先生は「先生あのね」から書いてねって言ってたんだろうな、なんて、最近ふと思うことがあります。

要は、0→1の作業が一番難しい。そのための工夫だったのかな。

当時は、そんなことはわからず、なんか、ひねくれていたんでしょうね。

でも、この時によく文章を書いていたことは、今はすごく役立っていて、仕事上でも、とりあえずたたき台をつくるということは、それほど苦ではなく出来ているような気がします。

読み聞かせが楽しみ

そんな、下村先生ですが、作文を書かせることだけじゃなくて、いつも、授業の前に10分ほど本の読み聞かせをしてくれていました。小学校5,6年の生徒にです。でも、私はそれが、いつも楽しみで(^^)

読み聞かせって、聴きながら本の世界に入っていけるんですよね。もともと、自分で本を読むのは好きでしたが、読み聞かせは自分にとっては特別な時間だったように思います。

一番、思い出に残っているのが、「ユタと不思議な仲間たち」っていう本

小学生六年生の勇太(ユタ)は、母親の生まれ故郷である東北の山間にある温泉村の分教場に転校してきたが、村の子供たちに馴染めず退屈で孤独な日々を過ごしていた。ある日、温泉宿の銀林荘で働く寅吉じいさんから座敷わらしの伝説を教えられ、興味を抱いたユタは、満月の晩、座敷わらしが出るといわれる宿の離れに一人で泊まることに。座敷わらしと出会い、仲間として交友を深めるうちにユタは明るく元気に成長していく。

フリー百科事典「ウィキペディア」

1回に10分程度、キリのいいところで読み聞かせが終わってしまうので、「ユタと不思議な仲間たち」は、実は最後まで読めなかった本なんです。だから、余計に気になっていた本。でも、本の中の世界、例えば座敷わらしが出る宿の離れに一人で泊まるユタの様子のイメージが自分の頭の中で描かれていたりして、すごく楽しかったんですよね。

なんだか懐かしい気持ちになって、本を買って時々手に取っています。こんな経験があるから、私も子ども達に絵本を読んでこれたのかもしれません。

我が家の息子たちは、絵本の読み聞かせがとても好きでした。長男は自分で本を読むようになっても、やっぱり「読んで」って言ってましたね。やっぱり、小学校6年生くらいまで、読んでいたような気がします。

みなさんも自分の胸のなかにあるちょっとした思い出、あるんじゃないでしょうか。たまに、思い出してみるのもいいものですよ。


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