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人は、どこまで食べることに拘ればいいのだろう

私は、療養型病院に勤めています。
入院を希望する患者さんのご家族と、入院前に面談をするという仕事があります。

今日、面談をしたご家族は、今、食事が摂れなくなっているお母さんに対して、「少しでも食べられないか」そんな気持ちを持っていました。
人は食べられなくなったら終わり、こんなことを聞くことがありますが、食べることにどこまで拘ればいいのか、そんなことをふと考えさせられました。


食べることに拘る

今日面談したのは、96歳のお母さんを持つ3人の娘さんです。

そのお母さんは、年齢の割にはある程度動けていたようで、家の中では自分の身の回りのことは自分で出来ていたようです。それが、先月、急に朦朧とした状態になって救急車で運ばれ入院。脳梗塞の診断で、現在治療中。

入院中は、食事が摂れなくなり、少し食べさせても咽てしまい、誤嚥性肺炎になってしまいました。そのため、薬は少しのとろみ水で飲んでいるものの、食事が摂れない状態が続いています。

「少しだけでも、食べられないものでしょうか?」

最近、面会に行くと少し元気になってきているので、少し食べられれば元気になるのでは?と、娘さんたちは淡い期待をお持ちでした。

気持ちはわかりますが、私の勤める病院では、嚥下機能について詳しく診ることはできませんので、今、入院中の病院で相談してもらうことにしました。

先日、面談したご家族さんも同じような方で、入院中の病院の先生に相談して、少し食べさせてみるということを試してみたら、少しですが食べることが出来るようになったようです。

食べるって、人が生きていく上ですごく大切なこと。でも、どこまで拘ればいいのかなぁ・・・そんなふうにも思うのです。

そして、食べられなくなった時の栄養方法もまた、胃ろう、経鼻経管栄養、抹消点滴、中心静脈栄養など、何を選択するかも、価値観が問われるところ。

義父が食べられなくなった時

一緒に住んでいた義父が、急にご飯を食べなくなったのは、1年と少し前でした。10年ほど前に脳出血になり、半身まひがあります。食事は摂れていたのですが、便秘から始まり、急に食べなくなってしまって入院することになりました。

義母は、もともと食事が摂れなくなっても何もしなくてもいいっていう考え方を持っています。

でも、義父が実際食事が摂れず、主治医から経鼻景観栄養や中心静脈栄養を問われた時に、先生が言うままに「お願いします」と言っている義母をみてびっくりしたこともあります。

幸い、食事が摂れるようになって家に帰ってくることが出来るようになったのだけれど、食事はキザミ食になりました。

美味しいものを食べることは幸せなこと

退院した義父の食事はキザミ食でしたので、大変な面もあったのですが、食べることが大好きな義父は、自分の好きなものになると嬉しい顔になりました。

夫がケーキを買ってきてくれた時のこと。
義父は飲み込みが少し弱くなっているので、プリンアラモードを買ってきて、上にのっている果物は、夫が刻んでくれました。

夕食後に、ケーキをだして、家族4人で食べた時、義父は、うれしそうな顔をして食べています。ホントに、甘いものが好きなんですよね。

義父が笑えば、家族がみんな笑顔になります(*^_^*)

その義父も、昨年施設に入所することになり、今は家にいないのですが、食べることって大事って教えてもらった気がするのです。

だから、冒頭に紹介した患者さん。家族が少しでも食べさせたいって思うのは自然なことかもしれない。

親が食べられなくなった時、どうするのか。
その時に備えて、親と話し合っておくことは大切なことかもしれないですね。

とりとめのない話になってしまいましたが、なんとなくもやもやとした気持ちを書いてみました。


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