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自分が幸せかどうかは、自分が決める

自分のことを幸せだと思えるというのは、すごく幸せなことだと思うのです。自分を幸せだと思うかどうか、それは自分自身で決めること。

私自身が、自分を幸せだと思うようになったのはここ数年のことかもしれない。周りに感謝できるようになったり、自分が今手にしているものに気付けたりできるようになったからかもしれないですね。



母から学んだこと

現在、実母は施設で生活をしていますが、認知症もすすみ、出来ないことも増えてきているので、施設を変えようかと考えています。

なかなか思うようなところが見つからず、次の週末にも次兄と施設見学にいく予定にしています。

そんなことを考えていたら、今の施設に入居する時の母を思い出しました。

当時、今より、もう少ししっかりしていた母は、本当は施設に入らず家にいたいと思っていました。そりゃ、そうですよね、住み慣れた家が一番です。

でも、一緒に住んでいた長兄夫婦に対してものとられ妄想があって、長兄夫婦が一緒に住めないと言い出したものだから、次兄が時間を見つけては母のところに行き説得していました。

次兄が説得すると、その時は「しかたがないね」って言うのですが、数日すると、また「そんなところには行かない、家にいる」と言います。

入ってしまえば諦めもつくのでしょうけれど、長年住んだ家を離れるのは寂しかったのでしょう。

母は、「もう、早く死にたい・・・。寝ている時は、このまま死んでしまいたいって思うんよ。」こんなことも言い始めてしまいました。

「(長兄が)私を邪魔にする、自分は不幸、もう死にたい・・・」
こんなこと言うことを繰り返していました。

その後、無事に施設入所をしたのですが、自分を不幸だと言い続ける母。

でも、そう言えば言うほど、かわいそうな母のように思えて、切なくなったことを思い出します。認知症という病気がそうさせるという面もあるのでしょうが、自分で自分を不幸と言うと、ホントに不幸に見えてしまうんです。

言葉って大事って思いましたね。

母は不幸か

自分が不幸だと言う母。

母の晩年は施設に入ることになり、本人の思う老後ではなかったかもしれません。

父が12年前に亡くなりましたが、父に翻弄された人生だったと言えばそうかもしれません。ずいぶん苦労はしてきたと思います。

でも、次兄と言っていたのは、「翻弄されたのであれば、俺たちもそれに付き合ってきたよなぁ(笑)。」

ホントにそうなんですよね(笑)。

でも、母は子ども3人を産み育て、たくさん苦労はしてきたけれど、3人の子どもはそれぞれ早々に結婚し、孫が7人、ひ孫が3人います。

それだけで十分幸せなことじゃないですか?

母が施設へ入るときも、子ども3人と孫も手伝ってくれました。長兄夫婦ともいろいろありましたが、ものとられ妄想後にも、母を遠方に住む孫家族のところに連れて行ってくれたりもしました。

次兄家族も定期的に関わってくれていますし、私含め子ども3人は、誰も親に金の無心をすることはありません(笑)

母は家族に愛されていると思いますし、客観的にみて、母は幸せなんじゃないのかなって思います。

でも、本人の幸せは本人が決めること。
母が、自分で自分を不幸と思えば不幸になるんでしょうね。

施設に入っても、入っていなくても、自分が自分の人生をどう捉えるかなんでしょうね。

自分を幸せと思えるか

自分のまわりにある不幸と幸せ。

どちらにフォーカスするかで、自分の人生は大きく変わってくるような気がします。

認知症の高齢の母が、今から考え方を変えるのは難しいことだと思いますが、母を反面教師に、私自身は自分のまわりの幸せにフォーカスした人生を送りたいなって思いました。

他人と比べない、過去の自分と比べる。
まわりに感謝する。

そうやって、自分の立ち位置を確認しながら、自分で自分を幸せだと思えるように、日々生活していきたいと思います。何事も、自分次第ですからね!!


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