記憶と忘却
私たち意識は本能的な感覚や感情よりも優位に存在しており、それらを制御する役割を担っている。
本能的な感覚や感情を制御するために私たちが使っているのは「記憶」である。幼い子供であれば、悪いことをすれば教育やしつけとして親や先生から怒られる経験をする。
そうした経験を積むことで、再度悪いことをしたいと思ったときに、怒られたときの記憶が想起されて我慢できるようになる。
逆に褒められたときも同様である。良いことをすれば親や先生から褒められる経験をし、そうした経験を積むことで感覚的、感情的には嫌でも、再度良いことをしてみようと思うようになる。
そうして学んでいくことで、お腹が空いてもお店のものを勝手に食べてはいけないことや、眠くても授業中に寝てはいけないことなど、本能的な感覚や感情を制御する術を身に付けていく。
一方で記憶は忘却するものである。学校のテストで良い点を取るためには記憶力が良い方が都合が良いはずだが、過ぎた経験はすぐに忘れてしまう。
記憶力は良い方が頭が良いとされるし、学校の勉強も、仕事をする上でもメリットが大きいと考えられるが、すべてを記憶することが良いことだとは限らない。
ソロモン・シェレシェフスキーという人物は世界最高の記憶力をもった人物だったといわれている。その異常な記憶力は五感すべての共感覚によってもたらされていたと考えられているが、人生の後半はその膨大な記憶量によって心が混乱し「忘れること」を望んでいたといわれている。
この話の真偽はともかく、私たちが認識するすべての情報を記憶し、それを意識下に置くことは私たちの心の負担、ひいては脳の負担になると考えられる。
またトラウマのように、ショッキングな出来事があるとそれが記憶として強く残ってしまう。例えば車の運転中に事故に遭ったとする。特に自分が大怪我をした場合、その経験は強い恐怖や痛みとともに記憶される。
だがトラウマとして強く残ったからといって、その恐怖に怯えるだけではいけない。事故に遭ってすぐは車の運転もできなくなるかもしれないが、再び事故に遭う可能性が非常に低いのであれば、意識的な判断が必要になる。
記憶と忘却によって意識下に置く記憶を整理し、本能的な感覚や感情を制御する必要がある。
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