ブロッコリー・レボリューション 岡田利規
一人称とか三人称のルールって、いまだに自信がない。
たとえば、「私は」とか「俺」の一人称で書いているときに、「山田は寒かった」みたいに書いたらだめだ、とある本に書いてあった。
なぜなら山田が寒いかどうかは、山田視点じゃないとわかんないからだ。
そんなわけで、書きながら、しょっちゅう津村さんとか柴田さんの小説を見返して確認している私だ。
『ブロッコリー・レボリューション』は岡田利規さんの短編集で、最初にでてくるパン屋の話を読んだ時、私はものすごく驚いた(ちなみにこのパン屋の話は別のオムニバスに入っているのを大昔に読んでいた)。一人称ルールを完全ぶっちしていたからだ。「私」の一人称小説なのに、主人公の恋人が部屋にきたシーンでぶっちしている。以下、引用。
彼が、
(中略)
内心で驚きました。
自分は引用をするのがあまり好きでないので、短かすぎて伝わりにくいかもしれないけれども、とりあえず、ルール度外視なのはわかってもらえると思う。この小説に限らず、表題作の『ブロッコリー・レボリューション』も、ひたすら別の角度からのぶっちの繰り返しで、それでいて岡田さんの文章は終始静かなところが好きだ。
岡田さんは演劇の脚本の人なので、 いろいろと自由なのかもしれないけれども、小説を書いているとき幽霊に背後をみはられているみたいにいつもビクビクしている自分が、なんだかしょうもな、と思ったし、なによりこのルールぶっちが、この作品群にはとても気持ちよくて、この人でないとこの感覚にはひたれないから、私はこの本をいまは改装中の東京の本屋さんで見かけたときに、おわ、と声を出してしまうほどうれしかった。で、定期的に繰り返し読んでいる。
本を読んでいるのに、海に浮かんでいるような気分になる小説群だ。