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目玉焼きに何をかけるのかを言いたい。

 クフィアトコフスキーと、カヴェンディッシュを見間違えたことがある。

 ふたりともとんでもなく強い自転車選手だが、走りのスタイルも顔もまるで違う。しかし、こちとら始発に乗って埼玉のイベント会場で朝から場所取りをしてすっかり興奮しまくっていたし、動体視力は菱沼聖子並なので、なぜか川崎(クフィアトコフスキーの愛称)さん用の手製フラッグを、あろうことか壁(カヴェンディッシュのネットの愛称)さんに向かって振ってしまったのである。

(ちなみに、その時隣にいた夫は、壁さんにハイタッチしてもらっていた。結構フレンドリーだねーだって、ちくしょうー)

 あまりの落ち込みように、立ち直るためと称してその話を150枚くらいの小説にして公募に出して、無事落ちた。

 間違えたことはまあいい(ヨクナイけど)。それよりも、このようなイベントに行くと最低でも一週間は落ち込むのが問題だ。

 日頃から応援していた人物を間近に見る、あるいは一言ことばを交わすたびに、猛烈な虚しさの嵐が吹き荒れるのであった。※大げさな表現です。そのあとも、ブックオフに行ったしサイゼで飯食べました。

 問題は、こちとらは相手が目玉焼きに何をかけるのか、どんなTシャツを持っているのか、腰痛改善に何をしているのか、中学生の修学旅行先で何を土産に買ったのかまで知っているのに、相手は山手線の中でたまたま乗り合わせた人と同義であるということなんす。

 あたりまえだの…くらっかー…

 そんなの当たり前だの…。

 でもですよ。この落差を瞬時に調整するのは、案外大変なことではないですか?いきなり、自分を山手線の人にしないといけないわけでしょ?

 なんか、駅員さんになってますけど。あと、語尾が変わってますけど。

 ファン度が増せば増すほど、情報が多ければ多いほど、それは蓄積されて感情は動員されて親しみはましまし大盛りになっていくのに。いざとなって対面したときに、いや、あなたのことはまるで知らないんですけどなんかテレビか雑誌でお見かけしたような気がするので、手を振ってみますね応援してます的な。

 そんなの無理っす。

 自分、目玉焼きは納豆と一緒に飯に乗っけて食うのが好きでーすって、唐突に言ってしまいそうになるんです。

 さすがにそれは、言わないですけど。

 ところで最近、とある人の動画を見ました。

 動いているところをほとんど見たことのない人でした。
 話は面白かったし、フレンドリーなお人柄で何も言うことなしで、普通の人ならますます好きになる動画でした。

 でもでもでも、私にとっては写真こそ見てはいても、その人は漫画家さんが描いた著者のイラストのまま、エッセイや小説に現れるその人となりのまま自分のなかに保存されていたし、それがもはや十年以上継続していたし、だからもう、なんともいえない衝撃で、そんなもん真夜中に見てしまって、自分でも予測のできない心の動きに動揺。

 予測はできていたからこそ、ずっと見ないできたのにな。
 たまに、東京方面でイベントとかあってもその事実すら見ないようにしてきたのにな。

 なんで見たかなー。

 全面的に、自分が悪い。あと一年くらいしたら、またイラストのその人が戻ってきて没我になれることを希望します。

 わー、楽しかったー、すてきだったーでまとめられる人が、めっちゃ羨ましいな。
 同じような人がいるでしょうか?お前ほどではないが…という人はいるのではないか。

 などと、脳内で仲間を作っている今日このごろ。まもなく将棋のイベントです。
 今度こそ、打ち勝てるのか???

 なにに?

 そんな感じで、今日も気持ちのわりいファンなのでした。

 おわり。


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