見出し画像

サッカーでプロを目指し続ける私がアトラエとの出会いをきっかけにビジネスの世界でも挑戦できると思ったはなし

みなさん、こんにちは!アトラエ23卒内定者の水野智大です。
私のnoteに立ち寄ってくださり、ありがとうございます。
 
私は、愛知県岡崎市で3人兄弟の末っ子として生まれ、兄の影響でサッカーを始めました。
小3の冬に名古屋グランパスの入団試験に合格。小6には副主将を務め、全国準優勝を経験。何事においても負けることを知らなかった私は、今思えばかなり調子に乗っていたと思います。

中学生の頃、怪我でサッカーができない期間が2年ほどあり、全てが思うようにいかず、監督に反抗したり、毎日のように親とも喧嘩していました。サッカーを辞めようとしたこともあったし、もちろん、学校の成績も落ちました。

その後なんとか勉強も持ち直し高校進学。1年時には新人賞、2年時に全国大会出場(インターハイ)、愛知県年間ベストイレブン、3年時には主将を務めるなどサッカーでは充実した日々を歩む一方、学業では周りに圧倒され、思うように向き合えず、結果的にはセンター試験で大失敗。

浪人生活を経て、鹿屋体育大学に進学。
1年目はNIFS1st(Bチーム)に所属し、試合経験も多く積み、2年時にTOPチームに昇格を果たすも、怪我により7ヶ月ほどのリハビリを余儀なくされ、またまた挫折を経験。怪我から復活した現在は副主将を務めつつ、3年の1月から本格的に始めた就職活動で複数内定を頂き、将来のありたい姿を模索しながら、日本一達成に向けて日々全力でトレーニングに励んでいます。

ざっと、これまでの人生を書かせて頂きました。山あり谷ありの刺激的な人生でしたが、とにかく「今」が一番楽しいです。毎日が充実しています。

これはなぜか。(楽しいという言葉の定義は人それぞれだと思うので、水野智大はこういう人間だと思って、読み進めてみてください。)
 
それは、常に目標に向かって、前向きに行動できているからだと思っています。
 
目の前のことに誰よりも全力で注力し、行動と思考を止めず、主体的に動いてチャンスを掴みにいくこと。時には、立ち止まり自分を見つめ直すこと。初心を忘れないこと。関わる人を大切にすること。こんなことを大切にして、生きることが出来ています。
 
しかし、昔からこんなことを考えて、生きてきたわけではありません。

超ネガティブ人間でした。

 


我が人生、挫折の連続

小学生まで何事にも負けなしで、特に悩んだりすることもなかった。
しかし、中学生になった頃、大きな怪我が続きサッカーから離れる期間が長くなった。
中学2年のある日、ふと思う。自分からサッカーをとったら何もないんだと。
学校では、
・サッカーが上手い水野智大
・サッカーで輝いてる水野智大
・運動神経がいい水野智大
として認識されていた。
チヤホヤされてきたこれまでの人生とは打って変わって、活躍できなくなり、自分の周りから人も減り、自分がいかにしょうもない人間なのか、自分がいかに調子に乗っていたのか、心底思い知らされた。

学校の成績は落ち、親との関係性も悪化した。
正直、考えて努力なんてしてこなかったので、何をどうしたらいいのかわからなかった。

その時は現実を受け入れることができなくて、毎日情緒不安定だった。

練習帰りに車で泣いたり、夜中に泣きながらボールを蹴りに行ったり、ゲーセンに入り浸ったり、取っ組み合いの喧嘩をしたり、とにかくめちゃくちゃだった。

自分自身と向き合うことから逃げ、心のどこかで人のせいにしていた。

自分の弱みを見るのも、誰かに見せるのも怖かった。

そんな日々を送りながらも、家庭環境的に勉強するのが当たり前だったので、最低限の勉強は続けた結果幼い頃からの目標だった親の母校、愛知県立刈谷高校へ進学できた。学業との両立にこだわり、敢えてサッカーの強豪校ではなく公立高校を選択した。

これは「1つだけできても」という、家庭環境によるものと中学時代の挫折から得た価値観である。私自身、保険をかけることでより力を発揮できるタイプだからこそ、今も大切にしている価値観である。ただ、言い換えれば1つのことで突き抜ける力がないからこそ、総合力で勝負するという戦い方だとも思う。

そして、刈谷高校に入学するも、私は再び挫折する。

授業、何言ってるのか全然わからない。

これまで特別な勉強をしなくても、授業で苦労したことがなかった私にとって衝撃的だった。クラスのみんなは入学前の春休みにしっかり勉強していたためか、授業がどんどん進む。高校3年間、朝の7時から自主練習を行い、8時40分から16時まで授業、その後部活と自主練をし、9時すぎに帰って、翌日の予習をやるという日々を耐え抜いた。

サッカーでは自信を取り戻し、サッカーそのものを楽しめた3年間となった。

一方学業では、再考査にならないための勉強ばかりであまり身にならなかった。センター試験も失敗し、結局浪人することに。

その後、浪人生活を経て大学に進学するも、大学2年時、私は再び怪我(と実力のなさ)で試合に出場できない日々が続いた。自分自身のサッカー観や、これまで取り組んできたことなど自分の全てを否定されたような感覚だった。もう何回目の挫折だろうか。

また中学時代のように、落ちるところまで落ちそうだった。それくらいしんどい期間ではあったが、この時は「このどん底の期間にこそ自分と向き合う時間を増やし、圧倒的に成長する時間にしよう」と考え、怪我をしない身体作りのため、トレーナーを目指していた高校時代の先輩に自ら連絡をとりパーソナルトレーニングをお願いした。友人の勧めでメンタルトレーニングも取り入れ、どちらも数年間続けることになる。

結果、試合にも出場できるようになり、何事にも前向きに取り組めるマインドが形成できた。

自分と向き合い成長できたからこその最高の仲間

何が言いたいかというと、全力で自分と向き合い執着することが大事だということ。

自分以外の誰かが、何かしてくれるわけではないし、過去は変えられない。でも今の自分、そして未来は自分の手で変えられる。全ては、自分次第であるということ。

挫折をいくつか経験し、3年生からはスタメンでほとんどの試合に出場出来るようになった。これは一般生では異例だ。鹿屋体育大学という環境で、いろんなことを学ぶことができ、大きく成長することが出来た。何事も前向きに考え、取り組むことができるようになった。
  
鹿屋体育大学には、そんな自分を評価してくださる方がいて、認めてくれる優しい仲間がたくさんいる。個性を尊重し、切磋琢磨できるメンバーがたくさんいる。

愛のある冗談を言ってくれる最高な同期、生意気で可愛い後輩、チームの為に常に全力なスタッフがたくさんいる。こんな環境で大好きなサッカーが出来ていることに感謝している。本当に最高の組織だ。

では、これまでの仲間や組織が最高ではなかったのか?そうではない。

ただ、昔の自分だったらこんな風に思えなかったのだ。

周りを受け入れきれなかったこともあったし、自分の弱みを見せることもできなかった。

自分がこの4年間で大きく成長し、周りの人に感謝できるくらい余裕のある人間になれたからこそだと思う。母校での教育実習の際に担当の先生にも、高校生にイジられながら、笑っている私を見て、「高校の時だったら有り得ないね!?トモの”人としての器”が大きくなったんだね」
と言われた。


これまでの挫折は正直しんどかったし、もう2度と経験したくない。でもそれらがあったからこそ、ここまで前向きになれ、環境にも周りの人たちにも感謝できるようになった。

就職活動

そんな中、大学サッカーラストシーズン。年が明けて、九州選抜に落選。選ばれていたら、就職活動をしていなかったかも知れないが、それを機に本気で就職活動を開始する。というか、せざるを得なかった。

ただ、どうせやるなら全力でやりたかったので、サッカーよりも価値を感じる会社がなければ就職活動をやめる覚悟だった。

そんな覚悟を持って、多くの説明会に参加したり、イベントに参加するも、ほとんどの会社が同じようなことを言っており、正直魅力を感じる会社がなかったが、人に自分の経験を元にアドバイスしたり、人の決断に携われること、他者を笑顔に導くことが好きだった私はコンサルタントに憧れた。

そこからはコンサル業界をメインに就職活動を続け、3ヶ月後、当時第一志望だった会社から内定を貰った。

あとはもうサッカーに全力を注ぐ気満々だった。
 
ただ、「ほんとにこれでいいのか」という想いが消えず、なぜかスッキリしない。就活活動のために無理矢理、色々考えてしまったような気がして、本当の自分の気持ちはなんだろうか、本当の自分はどこにいるのか。100%本音でぶつかれたのか。どれだけ考えてもよくわからなくなった。

もちろん、嘘は一つも言ってないし、内定さえもらえればどこでもいい、なんていう軽い気持ちで就職活動はしていない。だけど、少しずつ気持ちや考えを整理していくうちに、ある会社がどうしても気になった。去年の鹿屋体育大学サッカー部のキャプテンが1番行きたかったけど、行けなかった会社。アトラエだった。

その先輩に、初めてアトラエの動画を見せられた時、面白い会社だと思った。なんかイキイキしていて、かっこいい会社だなと。正直、最初はそれぐらいの感想だったが、なぜか心に残っていた。でも、選考に進んで実際に話してみないとどんな会社かわからないので、受かる気はしないものの本当の自分を見つけるため、そして就職活動に区切りをつけるためにも一度受けてみることにした。

そして、採用担当者との一次面接。1時間のフリートーク。本音で意見交換をする場だと聞いていたのでリラックスして臨んだが、思ったよりかなり詰められた。「なんで?」の繰り返しだった。本気度がかなり伝わった。一緒に働くメンバーを本気で選んでいた。どの面接官より本気で私のことを知ろうとしていることはわかった。

面接が終わり、なぜか悔しさが込み上げた。レベルの差を感じた。甘さを感じた。
その時、自分も自然と本気になった。サッカーと似たような感覚だった。

アトラエと、これまで志望していたコンサルとの1番の違いは、自分の会社を創るのか、相手の会社を創るのかの違いだと思っている。そこを理解した上で、自分の考えを何度も整理し、毎回の面接に臨んだ。どの方も人間力が高く、自分の未熟さを痛感し続けた。その中で、だんだんこんな方達と一緒に働きたいと思うようになっていった。

この会社なら、目標に向かって仲間と共に前向きに努力し続けられるのではないかと思うようになっていった。

就職かサッカーか

面接の中では全てを曝け出した。というより、曝け出せないと対話にならなかった。

もし、アトラエに内定を頂いても、サッカーでプロの世界に進むかもしれないことも伝えた。本気で行きたいと思えるプロチームから声をかけてもらったら、サッカー選手になりたい。今しかできないことだし、自分を試したい気持ちがあることを伝えた。

そんな私の話をみなさん本気で聞いてくれたし、そこに明確な基準や考えがあることを尊重してくれた。プロチームからオファーを頂いたらアトラエと天秤にかけること、もちろんどのチームでも良いわけではないが、就職活動をする上で重視してきたことと同様の軸で選ぶつもりだ。そして、仮にプロからの誘いがなくても、アトラエで働きながらこれから先も本気でサッカーを続けたいという意志も受け入れてくれた。

ただ、自分自身の中で覚悟が決まってなかったこともあり、選考途中で体育会卒で同じくサッカーでプロを目指していたアトラエの社員さんと話す機会を設けてもらった。

アトラエで働くことになっても高いレベルでサッカーを続けたいと伝えると、かなり厳しいことを言っていただいた。その方も二刀流に挑戦したがうまくできなかったそうだ。そんな甘い世界じゃないと。

…これが決め手だった。
だったら成し遂げてやろうと。挑戦してやろうと。

その時、覚悟が決まった。

そして、迎えた社長との最終面接。
サッカーのこと、サッカーとビジネスの両立のこと、たくさん詰められた。かなり苦しい時間だったが覚悟は決まっていたので、ひたすらその覚悟を伝えた。

結果、その場で内定をもらいすぐに承諾した。
自分がこれまでの人生で泥臭く努力してきたことが報われた気持ちになった。採用担当の方も飛び跳ねて喜んでくれて、関わってくださった方達も一緒になって喜んでくれて、本当にアトラエを受けてよかったと思った。

最後に

私は就職活動において、こんなことを重視していた。
①働く人②自分の組織を誇れるかどうか③幅広く成長できるか④主体的に働けるか⑤収入

これら全てを叶えることは理想でしかなかったが、アトラエという会社に出会って、現実になった。

内定がゴールではない。自分はまだまだ突き進むしかない。それは分かっている。

ただ、一つ言えるのはアトラエという会社に出会って、大きく成長できたし、さらに成長できる機会を得ることが出来た。


プロサッカー選手になるのか、アトラエとサッカーを両立するのか、アトラエ一本で勝負するのか。まだ今は未来がどうなるかわからないけど、今を楽しみながら現状に満足せず、前に進み続けたい。

こんなわがままを真剣に聞いてくれた、アトラエには感謝しかない。全力で恩返しするつもりだ。

読んでくれた方々の力に少しでもなれば、そんな嬉しいことはありません。長い文章でしたが、読んで頂きありがとうございました。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?