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余裕があるときにね

Doomerという人々を知っているだろうか?
なにやら、アメリカのほうで人生に対し悲観的になっている若者を揶揄して総称したものをそのように呼ぶらしい。
悲観的,,,んん、もう少し考えてみよう。
確かに人生に悲観的になるよう要素はこの世において溢れかえっているのかもしれない。それは概してインターネットによるものだろう。(何でもかんでもインターネットのせいにはしたくはないが。)昔から小説や映画、演劇など、他人の人生を追体験できるような娯楽は多くあった。
しかし、ネットの普及により、そうした娯楽の大河は勢いを強めて、氾濫しているように感じる。短時間、短期間で多くの人生をつまみ食いしては、その味をすぐに忘れていく。一つ一つの作品に対する感慨やその印象、これらはものすごい勢いで薄まっていく。ネットという媒体を用いてそうした”追体験”を提供してくれているのは、(もう頭に浮かんでいると思うが、)Netflixや
YouTubeなどが最たる例だろう。決して悲観的になりたいわけではない。ただ、こうした人生のつまみ食いをしすぎることは、まるで自分のこれからの選択肢の未来を知ってしまうような気分になるのではないか、いわゆるチートを使えるゲームをプレイしているような気分になるのではないかと思う。こう考えると確かにひどく人生は退屈になるだろう。
ネットに作品が氾濫していることに一石を投じたいわけではなく、
むしろ現代のネットはあるべき姿にきちんと変貌していっていると思うし、すごく楽しみでもある。
このようにとらえる人もいれば、Doomerのような人もいる。だから全員が悲観的になるとは到底思わない。ただ、マイナスに物事をとらえるのは少しもったいないので、ネットやゲームにはない、むしろ人生にしかない不確定性を楽しむことができたなら、これ以上ない幸せだと思う。
些細なことを、ちょっぴりうれしく思えたら。

今日も生きれた。
ありがとござっした。

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