誰かがこれを見たら。発信するという挑戦

Twitter、Facebook、Instagram・・・
学生時代がSNS隆盛期(mixiは既にありましたが)だった事もあり、私もアカウントを作ってみて、はじめの頃はいくつか発信してみたりしていました。

ただ、自分は文章を書くのが得意なわけでもないし、発信したい事もネタが尽きるし、だんだん投稿するのも疲れてきて、徐々に見る方がメインに。
見る方がメインになると、今度はSNSが、フォロワーやLike、食べたものや行った場所を競い合う場になっているように感じてきて、眺めているのも疲れるので距離を置いていました。


代わりに何をしたかというと、インプットと内省の時間。
いつか書きたいですが、たまたまこの時期は住む場所にも変化があったりしたこともあって、落ち着いて自分の時間が取れるように。
そして、東京駅の本屋さんで偶然手にとった本がきっかけとなり、まさに芋づる式に、いろいろなジャンルの本を読むようになりました。

気になるページを折ってみて、時々読み返したり。
読みながら気になったフレーズをメモに取ってみたり。
メモが溜まったらノートに考えを整理してみたり・・・

そうやってジャンルもあまりこだわらず本を読んでみると、今まで気にしていなかったような事への解像度が上がったり、1つの事柄を角度を変えて見る事ができるようになったような感覚があって、どんどん楽しくなりました。

あとはラジオ。前から好きでしたが、東京に住んでいると電車に乗る時間もそれほど長くないし、音楽聞いてしまったりして聞かなくなっていたのですが、運転する機会が増えたこともあってよく聞くようになりました。

これもまた大事なインプットの1つで、周りに聞いている人もあまり多くないので、独自のインプット法を見つけたような感覚になってニヤニヤしたり。

こんなことを始めたのが2年ほど前でした。ちょうどコロナの前ですね


で、なぜ今になってnoteを始めたのか、ですが。
何かこう、自分がインプットを通じて得た発見的なものを、自分の中だけで留めておくのは勿体無いような気がした、という表現が正確かと思います。

もちろん、自分の中でノートに書き残した事とか、整理した事はあるし、
友達と会えばいろいろな話をする中で、自分が最近気になったモノの見方とか、新しい発見を共有してあれこれ話してみることはあるのですが、それだけだとあまりにクローズドだなあとは思っていました。

ベタな言い方ですが、せっかくこれだけ世界とつながれる時代に生きていながら、非常に勿体無いことをしているような感覚。

一方で、若干偏見ぽく聞こえそうなので気を悪くされないで欲しいのですが、いわゆるベンチャー系の方々やタレントさんのように、アグレッシブに発信してバズるようなやり方は自分には出来ないなと。
それは見せ方もそうですがモチベーションとか頻度の問題も含めて。

ただ最近、『チ。 ー地球の運動についてー』(https://bigcomicbros.net/work/35171/)という漫画を読んだのですが、
私が読んできた本、学んだことは全て、なんらかの形で自分の発見を後世に残した人たちがいて、それを同じ”文字”を使って読める、という奇跡を通じてでしかあり得なかったのだと再認識。
得ているだけで、自分は何もアウトプットしていない事に違和感を覚え始めました。

と、いうことで、大したことを書くわけではないですし、長いばっかりで読みにくかろうと思うのですが、
自分が学んだ事(知識というよりはモノの見方の方にフォーカスしたいと意識しています)、面白いと思った事なんかを、こうやってゆるく書き記す事で、
何か1つでも誰かに引っかかりや気づきがあるようなことがあれば、それだけでも自分の頭の中やノートに留めておくよりは相当意味のあることではないか?と実験的にやってみている次第です。

更新頻度、次回以降のトピックスは未定ですが、おそらく本を読んでの感想とか、考えたことを書くことになるんじゃないかと思ったりしています。

ということで、誰もみていない可能性の方が高いとは思いつつ、もしどなたかご覧になった方がいらっしゃって、「ふーん。」くらいに思ってくださる方がいたら、それで大成功だと思って、少しやってみます。

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