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東工大院理学院化学系 院試勉強まとめ

はじめに

 自分は東京理科大から東工大院の理学院化学系に出願してA日程に選ばれ合格内定を頂きました。東工大院は、出願する際の受験生のTOEICと大学在籍時の成績から、A日程とB日程という二つの入試日程(方式)に振り分けます。A日程は、面接のみで早期合格内定を出す試験です。B日程は8月の筆記試験を受ける必要があり、合格発表が行われるのは9月です。ここでは僕がB4までどんな勉強をしたのかまとめておきます。使えそうなところは役立ててください。

履修

 GPAは気にせずに授業を取ってました。難しそうな講義だろうが専門と少し離れいようが面白そうなら履修する、一限だろうと履修する、単位の数が足りなきゃ潜る、それとは別に勉強したいことがあればゼミをする。こんなふうに3年間を過ごしていました。あと教職もとってました。
 結果としてGPAは3.29と微妙な結果になりましたが、単位数は相当な数になっていました。B3が終わる段階で修得した単位数が148単位で、卒業要件である124単位を24単位超えていました。これに卒業所要単位に含まれない教職科目の単位を足し合わせると164単位になりました。これと潜ってた授業(履修してないけど勝手に行ってたやつ)が5つくらいあったので結構な量の授業を取ったなという感じです。潜っていた科目も必ず課題を出してました。
 テスト、レポートについても書いておきます。過去問は持ってないとむしろ不利になる場合(要はみんな持ってるレベルで盛大に出回ってる場合)以外は自力で勉強して何とかしていました。実験の過去レポは一度も使っていません。コピペも一切やってません。同級生と相談するということはしましたが直接答えを聞き出すような真似はしていません。自分の実験結果を責任もってまとめるというのは化学の道を志すものとして絶対に放棄してはいけない行為だと思っていたからです。(あと出回るような過去レポは質が低いことが多いです。これなら人に見せてもいいだろうって判断が下されるような代物なわけで。)過去問は適量、過去レポはダメゼッタイというスタンスでした。
 自主的な勉強ではおもに、物理学に力を入れていました。物理化学を専門とするつもりだったのでガチの物理を眺めておく経験をしたかったからです。物理学科の後輩らにお願いして一緒に電磁気を勉強しました。勉強会といっても習熟が一番遅れ居ているのは僕であり、数式の読み方や物理的な考え方を教科書を読みながらひたすら質問するという様子となりました。また彼らには量子や熱力学について自分が学習するうえで感じた疑問についても質問し丁寧に答えてもらいました。ありがたかったです。また、他学科の同期と化学熱力学についての自主勉強会を春休み中行っていました。熱力学に関する基本的な考え方を確認し、使いこなすうえで必要な視点を議論できたことは素晴らしかったです。
 とにかく「リソースすべてを大学の勉強に捧げる、結果は知らない。」というのが自分のスタンスだということです。一限から大学にきて11時近くに帰るなんてことはザラでした。学食も昼飯と夕飯に利用していました。一日二回学食を食べてました。(3 kg太りました...)
 あとあんまり遊びとかバイトとかはやってないです。数えるくらいで。収入はすくなく(月三万でヒャッハーってなるくらいです)、お金はだいたい理系の本を買うのに使っていました。まぁあんまり真似したくはないよね...

英語 TOEIC

 TOEICはB3後期まで何もしていませんでした。むしろB2までは「英語の勉強は1秒もしない!」と決めていました。自分には理科や数学に欠陥があるはずでそれを埋める方が優先だと思ったからです。B3の前期までは上で述べたようなテンションで化学の勉強だけしていていました。ほめられた話ではないですが、英語の講義に限っては物理化学の計算をしたり、無機化学のノートを見返したりと別のことをしていました。
 3年の夏休みからはぼちぼちTOEICを申し込んで受験するようにしました。ある程度仕上げてから受験しようと考えても身動きが取れなくなるだけだからです。初めの方は500点台前半でした。
 その後は高校生向けの簡単な文法教材や、これなら読めるという英語の学習本から勉強を始めました。受験生だったころの教材も何冊か棚の奥から引っ張り出してきました。あとは呪術廻戦のセリフを英語で味わうみたいな本で夏油のセリフを英語で読んだり、英語のジョーク集をパラパラ眺めたりしていました。これが後期の11月くらい。
 このような勉強で英語への抵抗感がある程度下がったので3年後期の期末試験あたりからぼちぼち本格的な英語の勉強をしていました。金のフレーズのはじめの方を覚え始めたり、初学者向けの公式問題集を解き始めたりしました。1月で点数は600点後半にまで上がったと思います。
 春休み中は英語の勉強に意識的に時間を割くようにしていました。学習は金のフレーズの中盤、標準難度の公式問題集がある程度のスピードで解けるというところまでたどり着きました。金のフレーズは700語程度で高校生時代にやったシス単よりも明らかに覚得る量は少なかったです。このようないい加減な勉強でしたが結果的には710点にまで点数は上がりこの結果を大学院には提出しました。
 正直そこまで英語のモチベーションは高くなく650点くらいあればいいと思っていました。英語よりも専門で合格を勝ち取りたいと思っていたからです。ただ第一希望の研究室に受かんないとしょうがないのでおとなしくA日程を目指して英語をやっておくのが無難だと思います。

研究室とか

 研究室生活については理科大についても東工大についてもプライバシーにかかわるのでここではあまり書きません。三年後期から理科大、東大、東工大の研究室を並行して見学に行き東工大の研究室を第一志望にすることを決めました。そのうえで理科大の研究室の第一志望を決めました。結構妥協せずに決めました。「一年でいなくなるから研究室はテキトーでいーやー」というスタンスは取りませんでした。どう考えても大学院に入ってから困るからです。あと普通に今も研究してます。院試休みのような期間もいただきましたが、毎日大学には来ていました。A日程が決まってからは院試休みはやめて普通に研究してました。

おわりに

 正直院試に向けて頑張ったという感覚はそんなにないです。「外部に進学してもやって行けるように負担をかけていた」というのが自分の勉強の要約です。化学を志す者はこうあるべきという自分に課したハードルを超え続けることだけを自分に求めていました。「化学が好きならこれくらいのことはやるだろうし、できて当然だ」という具合です。
 しかし、実際に自分がそのハードルを越えることができたかというとその自信は全くありません。理科大には僕よりもはるかに優秀な人が沢山います。むしろ本当に優秀な人ほど理科大院の内部に進学する傾向があると思います。そんな人たちと比べると自分はまだまだ至らないところが多くなんだかむなしい気持ちになってしまいます。ハッキリ言えば理科大から外部に行く必要があるかといえばないです。理科大でもいい研究はできます。
 それでも、勝手に自分を追い込んでしまったことで周囲との摩擦が生じて友達も何人か失いました。その中には中学時代から僕が精神的に落ち込んでいたときに手を差し伸べてくれた人もいました。愛想を尽かされました。申し訳ない気持ちで今もいっぱいです。この程度のことでこのような状態になってしまうほどのキャパの小さい人間が本当に進学していいのか、自分の能力が本当にこの結果にふさわしいのかを考えるとふさぎ込んでしまいます。
 まぁそこそこは頑張ったし、いまやってる研究は楽しいし、なんとかサボらずやってきたなぁとも思うので何とかなるんじゃないかなとも思ってます。自分のやりたいことから研究室を見つけて、それに向けて行動するというのは中長期的なトレーニングがどうしても必要なわけですし。
 悲観と楽観、希望と不安がないまぜになりながら日々の生活を送っています。
 A日程が存在する理由としては、学生の実験量を確保する目的がある、さっさと院試勉強をやめてほしいという院側のメッセージだと僕は勝手に思っています。なので先ほども書いたようにA日程の通知が来てからは院試休みを取りやめ、研究室に出向いて普通に実験をして論文を読んでいました。
 ここまでして手に入れる必要があったものなのか、もっと楽しく暮らすことはできたんじゃないのか、でも、やるしかない。
 最後はやや暗い言葉も並びましたが、腹をくくるしかありません。自分の至らぬ能力を埋めていくためにこれからも持ちうるすべてをささげ、全力で化学をやっていこうと思います。



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