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彷徨う兵士の行く末は…… ~安里 アサト『86—エイティシックス―』を読んで~

 小説を購入するまでの経緯に関しては様々だが、その中でも私が1番思い出に残っているのは『86—エイティシックス―』だろうか。初めてアニメ放映中に原作を購入したというのもあるのだろう。タイトルそのものは受賞時のときから知っていて元々興味はあったのだが、当時は使える金銭が少なかったため、完全に後回しの状態となっていた。因みに購入のきっかけとなった最大の要因は、登場人物の顔と名前が一致しなくて視聴時に混乱していたからというあまり自慢できないものなのだが。とまぁ、そんな理由で購入した第1巻な訳なのだが、読んでみると設定の開示方法や物語の運びが見事で、世界に蔓延る絶望とそれらに覆われても尚輝く希望の光に胸打たれ、いつの間にか最新刊を待ちわびるまでになった。今回は、『86—エイティシックス―』について、物語の性質とネタバレ回避の都合上、1巻の内容を中心として紹介していく。


あらすじ

 9年前から隣国のギアーデ帝国が開発した無人機〈レギオン〉による侵攻を受け続けるサンマグノリア共和国。この国もまた、無人機を開発し防戦を続けていた――――それはあくまでも表向きの話。軍人として指揮管制管ハンドラーの職務を全うする少女・レーナは知っている。無人機の中にはある理由で迫害され、人間と認識されなくなった元共和国民、通称・エイティシックスが乗り込んでいる事を。彼らの事を同じ人間とし、切実に交流を行おうとするレーナだが、思い通りにいかないのもまた事実。そんな彼女に担当部隊の変更が持ちかけられる。スピアヘッド戦隊と呼ばれるベテランぞろいの精鋭部隊。しかしこの隊の隊長〈アンダーテイカー〉には奇妙な噂があった。担当した指揮官が直後に担当部隊の変更を申し出たり、退役したり、最悪の場合、その後に自殺をする者も現れるという。だがレーナは、"死神"という二つ名にも臆することなくスピアヘッド戦隊のハンドラーを引き受ける。

詳細と注目ポイント

遠距離交流という壁

 これについては最初、あらすじにて少し触れるだけにしようとしたのだが、思いの外てんこ盛りになってしまい書きそびれてしまった。だが、ある意味では重要な要素の1つでもあって、触れないという選択肢は無いと判断したので、ここに書かせてもらう。戦地の状況や技術面の事情もあって、基本的にエイティシックスとハンドラーは音声のみでしかコミュニケーションを取らない。作戦中であっても、そうでなくともだ。そして、エイティシックスは戦前に、ハンドラーは遥か遠くの軍本部で指示を出すため、両者が対面する機会はない。この近くも離れた関係性が個人的に気に入っている。音から彼らを想像するレーナの姿がアニメ版で動きが付いたことにより印象がさらに強くなったからなのかもしれない。

 また、軍本部では知ることができない2つの戦地のギャップが明かされていくという情報の開示方法も、かなり独自性が強いのかもしれない。同じチームのメンバーがどこかしらで一堂に会することがある作品ばかり触れてきた私にとって、ここまで徹底して距離感を保ち続けることは非常に珍しく感じた。

一筋縄ではいかない差別

 さて本題に戻りまして。あらすじにもあった人種としてのエイティシックスに触れていこう。その定義はいたってシンプルで、白系種アルバと呼ばれる銀髪銀瞳以外の人間(総称有色種コロラータ)がエイティシックスだ。

 普段は見えない場所から互いが互いを罵りあう。その反面、連れていかれる有色種を匿おうとする白色種の存在もあれば、同じエイティシックスに酷い目に合わされることもある。生まれた差別とその顛末の割り切れない感覚もどこか現実感を漂わせている。そんな中で浮かび上がるこれらの存在は、人を枠組みで見ることと個人で見ることの違いを再認識させられる。

「この戦いが終わったら」を真面目に考える

 このまま1巻の内容だけで終わるのは、シリーズ全体の紹介としてもどうかと思うので、少しその先の巻にも関わってくることも少しだけ。よくフラグにされがちな「この戦いが終わったら○○するんだ」というセリフ。これを全体を通して茶化さずに考えているのも印象に残る。何の為に戦うのかも大事だ。だが、それもいつかは終わる事。戦いしか頭になかった時、終戦したらなにが残るのか、あるいは違う方向にどう舵を切るのか。今まで軽く捉えていた文言も、真剣に考えてみると深い意味があるということに気づかされた。これについて興味を持った方は2・3巻も手に取ってほしい。

さいごに

 もっと戦闘方面などの話ももっと書ければ良かったのかもしれないが、知識不足のため中々上手く書けず申し訳ない。いつも作戦関連で理解が簡単にできない私がここまで嵌ったのは、ひとえに兵士の未来と戦場で生まれる人間関係の濃さに魅了されたからかもしれない。国としての戦争だけではなく人としての戦いに目を向けるのもたまにはいいのかもしれない。

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