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日常も謎だらけ ~水鏡月 聖『僕らは『読み』を間違える』を読んで~

 日本だけでも世に出る本の数は途方もない。狭い界隈であるライトノベルですら1日に1冊のペースで読むとしてもほんの1部しか読めないのだ。当然、面白い作品の存在を知らぬまま次の新作に埋もれてしまうことも珍しくない。

 恥ずかしい話になるが、私が『僕らは『読み』を間違える』を知るきっかけになったのは先の『このライトノベルがすごい!』においてだった。しかも投票時期ですらなく、結果発表がなされた書籍の中で、だ。

 あらすじを見たとき「どうしてここまで私好みの作品を知らずにいたんだ⁈」と叫びたくなりそうになったことを鮮明に覚えている。薄々お気づきの方も多いかもしれないが、私は本や物語が主軸になる作品に滅茶苦茶引き寄せられる人間だ。『このラノ!』がなかったら一生知らずにいたかも知らないと思うとゾッとする。サンキュー『このラノ!』。

 という訳で今回は『僕らは『読み』を間違える』(以下『読みえる』)の紹介をしてこう。この文章を書いてて思ったのだがこの作品、ライト文芸のようなミステリでありながら"日常の謎"という単語がこれでもかという程似合うような気がするのだ。

あらすじ

 これは捻くれた中学生竹久優真たけひさゆうまは高校受験に失敗し片思いの相手と別の進路を歩むことを余儀なくされた。限られた時間の中、告白を決意するが敢え無く敗北。消しゴムに書いてあった「あなたのことが好きです」とは何だったのか───⁈

 時は流れ彼らは高校生に。相も変わらず捻くれた文学解釈と物語の出会いが重なる内に彼らの謎が紐解かれ始めることはもう少し先の話、かもしれない。

詳細と注目ポイント

ミステリ、或いは解釈

 さてさてそれでは紹介の方に入っていきましょう。まずは先ほど軽く触れた『読みえる』のミステリ性についてじっくりと語っていこう。シンプルに説明することも可能かもしれないが考え始めると止められない程に"奥が深い"構造を幻視してしまう。

 まずは私が読むきっかけとなった最大要因、文学ミステリ部分についてだ。本作では国内外問わない名作文学を取り扱っている。教科書で読んだタイトルからどこかで見覚えがあるかもしれないものまでズラッと並んでいる。これらの作品についての謎の議論が物語の主題の1つとなっている。例えば序盤に登場する『走れメロス』では「メロスの処刑の騒動には黒幕がいたのでは?」といった具合にストーリーに隠された裏についての謎解きが為される。

 この謎が今すぐこの謎を解かなければならないという状況ではないところもポイントだ。話題に溶け込むように出てくるそれらは時折物語の新たな見方を示しているようにも感じられるのだ。

 ある分野の謎を解く話はライト文芸のミステリの王道で一見それに似てる様にも思える。しかし断定しにくいのはそれが謎解きであると同時に1つの解釈の側面も持っているからかもしれない。

文学だけが謎じゃない

 それではお次に"日常の謎"について触れていこう。あの文脈だとやや突飛な言い回しだったかもしれないがあらすじを見てもらうとあながち間違いではないかと思われる方もいるのではないのだろうか?

 先のトピック内にて「今すぐこの謎を解かなければならないという状況」と書いたのだが、『読みえる』内でこのような状況が起こる事が全くないというと嘘になる。では、彼らが常に直面している謎とは何か。そう、それこそが日常の謎なのだ。

 あらすじにある消しゴムの文字を始めとした日常に散らばる謎の数々。それが命題として押し出されるものもあるが、そういうものかと流してしまえるような小さいものまで、様々な形で転がっている。勿論解決方法も代々的
だったり、伏線回収を彷彿とさせたりなど形が一揃えとは限らないところが日常らしさを補強している。

謎の決め手は視点の違い?

 折角(?)なので私も変わった『読み』を1つ。どうしてこの作品では2つの謎が交錯しているのだろうか? 私はこれを視点の違いによるものだと読んでいる。

 人によっては意見が割れるかもしれないがこの物語はどこか群像劇の雰囲気がある。各サブタイトルは「『(作品名)』(著者名)を読んで (名前)と作文のタイトル風に統一されている。問題は(名前)の所だ。主人公である優真である事が多いのだが稀に別の人物の名前が書かれている。そしてその名前が書かれた人物の視点で物語が進む。当然ながらその人しか知らない事情も出てくる。

 そういった人物ごとに持っている情報量が違うことやそれが繋ぎ合っていくさまが、王道の物とは違う形かもしれないがどこか群像劇を彷彿とさせる。

 同じ場所にいると気が付かないが、一歩離れて俯瞰すると謎が浮き彫りになる。それは日常と文学の共通点なのかもしれない。

さいごに

 視点を変えることで紐解かれる謎。それらは当人達の勘違い、この作品になぞらえるなら『読み』を間違えたとみなすことができる。それらの交錯が作品に厚みを増しているのだろう。もしかすると読み違いからくる謎は私達のすぐそばにもあるのかもしれない。あくまでもしもの話だが。

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