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「共感で終わっちゃだめなのよ」来学期までに考えたい『質問力』のこと
週末に日本語弁論大会を控えているチェコ。
今日は教師仲間が集まり、お互いの授業のことなどを話しながら準備をすすめていた。
ひょんなことから、学習者の『質問力』の話になった。
学習者の『質問力』が弱く、もっとその力を伸ばしたいけど、どうしたもんかねぇという皆さん共通の悩みだった。
私は大学機関で日本語を教えているが、授業ではプレゼンテーションやディスカッションなども行う。
プレゼンテーションやディスカッションのとき、
また対話をテーマに授業をするとき、
「聞き手」の『質問力』が大切になってくる。
「話し手」の考えをもっと引き出すために、多角的に捉えた質問や深く突っ込んだ質問を、「聞き手」役を担う学習者にしてほしい。
しかし、実際は当たり障りのない質問で終わっていたり、ただ「話し手」の話に共感して終わるケースが多い。
でも、それではダメ。
タイトルの言葉は、一人の先生から発せられたものだった。
『共感は大切だけど、共感で終わっちゃだめなのよ』
結局作業の関係で最後まで話はできなかったのだが、先生たちと別れた後も私は一人、ずっと考えている。
『対話』を深める質問力
これって、ものすごく難しい。
巷の本屋さんをのぞけば、いたるところに顔を出す『質問力』がテーマのビジネス書たち。
・人生を動かす質問力
・人生を変える「質問力」の教え
・質問力を鍛える本
etc…
人生経験そこそこ積んでいる大人たちでも頭を抱えるもの。
それが『質問力』。
ましてや、それを外国語である日本語でしなくちゃいけないのだ。
それに加えて『対話を深める質問力』ときた。
突っ込んだことを聞こうと思うと、怖くなるのが人ではないか。
「この質問をしたら、相手が引いている線を越えてしまうかもしれない。」
「気に障るかもしれない。さいあく、傷つけてしまうかもしれない。」
「ただのクラスメイトなのに、そこまで踏み込んでもいいのだろうか。」
それに、ただのクラスメイトにさらけ出したくないと考える学習者もいるだろう。
「自分の内面を出そう」と思える人間関係。
そして、「話したくない事は話さないままでもいい」といった安心できるルール作り。
安全な教室環境づくりも重要な一環。
(しかしそれは一朝一夕で築けるものでもない。)
『質問づくり』を授業に取り入れてみる
『質問力』がないと感じるのは、そもそも学習者が日本語で質問を作ること自体に慣れていないから。
とくに相手の考えを引き出すような質問はその練習が必要だが、それをすっぽかして、学習者にそれを求めてしまっていたのかもしれない。
思考を深める質問とは何なのか。
それをまず知るために、『質問づくり』自体を授業に取り入れる必要がある。
『質問づくり 日本語教育』で検索したら先行研究がいくつも出てきた。
これらを読んで、どのようなアクティビティで『質問づくり』を取り入れていくのか、来学期(秋)に備えるのを自分の夏休みの宿題にしよう。
そして関連図書も一緒にポチ。
海外在住者には、電子書籍がありがたい。
(早く他の日本語教育関連の本も電子書籍になればいいのになぁ)
何気なく交わした会話から、今日一日『質問力』について考えてみた。
思考もまとまらず、もちろん答えもない。
でも、この感覚が新鮮なうちに、頭の中でグルグル考えていることをすこしでも言語化して、まとめたかった。
ここまでお付き合いくださった皆様、ありがとうございます。
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