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秋晴れの日に 点と点が繋がった日

おはようございます。3連休、東京は秋晴れという言葉ぴったりの清々しいお天気でした。

お誘いを受けて、『中西悟堂から未来を見据える~私たちは、どう生きるべきか~』のお話を祇園寺(東京都)の本堂で聴かせていただきました。


私には難しい部分もありましたがnoteの場を借り、学んだことのアウトプットに挑戦してみます。

祇園寺 本堂

秋晴れの日に


講演の内容は、中西悟堂師の思想を元に、祇園寺のご住職と原武氏(早稲田環境塾長)と安西英明氏(日本野鳥の会の参与)が、仏教思想や悟堂哲学から人間のあり方を過去から学び今を知り、どう生きるべきかを見据えて対談をされるというものでした。

ポスターを見ただけならば、自分にはなんだか難しすぎてスルーしてしまうものでしたが、お誘いをいただき行ってみました。

祇園寺とのご縁は、コロナ前に月2回、朝6時から早朝写経に参加させていただいていました。般若心経の写経をさせていただくほか、ご住職お話を聴くことも楽しみにしておりましたが、コロナの騒動が始まり、私は看護師をしているため早々に自粛させていただき、そこから足が遠のいて行かなくなっていました。

しかし、時々前を通る際には寄らせて参拝させていただいてました。そんな中、茶道を通してまたご縁をいただくことになり、今回の講演を聴かせていただいたりとご縁が続くようになりました。

今回のお話ですが、とても素晴らしかったです。そして、自分の知らない世界のことを沢山知ることができました。

『中西悟堂から未来を見据える~私たちは、どう生きるべきか~』

中西悟堂(なかにしごどう)師というのは、野鳥を守ったり、親しんだりという活動を通して、「鳥にも人にも優しい社会」を目指して自然保護活動をしている「日本野鳥の会」の創設者なんだそうです。

私は無知で、お名前の「なかにしごどう」という読み方さえも何も知りませんでした。その悟堂師の思想を、なぜ東京の調布の祇園寺で「おはなし」があったかといいますと、悟堂師の養父である悟玄師がこの祇園寺の88世住職を務められたからということでした。そして、悟堂師自身も幼少期を祇園寺で過ごされていたんだそうです。


山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)

祇園寺の宗派は天台宗になります。私は仏教の色々な宗派について無知ですので、天台宗というのは、日本の仏教の重要な宗派であるんだろうとか、開祖が「最澄」であるということぐらいしか知りませんでした。

天台宗というのは、「山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)」というのを大切にしているということを知りました。人間だけでなく、自然の山も川も草も木も、生きとし生けるものは全て成仏できるということだそうです。人間だけでなく、自然もみな平等に命を持って生きていて、それぞれに役割があり、その役割を果たすことでこの世に恩を返すということになるそうです。

悟堂師の思想にも、「山川草木悉有仏性」というものが、根底にあり、そして日本野鳥の会の創立があったのだということがお話からうかがえました。

「山川草木悉有仏性」。
とても素敵な言葉で、お話の中で何度が出てきましたが、私にとって心を寄せる言葉でした。

祇園寺に寄ると、いつも草木花々がとてもイキイキとして見えていて、細部の花々に対しても細やかな愛情が注がれていることが伺えていました。

天台宗には、そういった生きとし生きるものへの思いがあるんだということを知り、私の中で「なるほど」とつながったものがありました。

春に芽生え、初夏にはイキイキと新緑を次々とだし、夏には沢山の葉を茂らせ、秋になると色を変え、そして冬になると枯れていき、落ちていく。そして、また芽吹きだす。という繰り返しは、人間の一生と同じであるんだということ、
そして人間界に生まれるのは大海に釣りの針を落とすようなものであり、その確率は宝くじ1等が十万回連続で当たるような確立だという話がある、ということも興味深いお話でした。

つまり、私たちはそれくらいの貴重でかけがえのない存在であるんだということなんだと思います。

日本には様々な仏教の宗派がありますが、どの経典を扱い、どんな修行法を主とするのかによって宗派が違いますが、私はそういったことを良く知りませんので、これについてはこんなところにしておきます。

野鳥と自然と人間と

今回お話を聴かせていただくなかで、自然にや野鳥についてのお話もありましたが、こういったお話を今まで聞く機会もなかったので、とても良い機会となりました。

野鳥を守ることは、日本の山河を守ることであり、結果的に環境も自分たちも、自分の大切な人たちも、世の中も守ることだということを知りました。

わかっているようで、わかっていなかったことが、今回学ばせていただき改めて自分の身の回りから環境を大切にしていこうと思いました。

また、冒頭では奥田由香さんによる、タンプーラという楽器と歌の演奏がありました。悟堂師作詞の「巣箱の歌」という歌でした。その響きはとても美しく、うっとりとしながら聴いていました。

祇園寺から深大寺探索へ

深大寺の本堂拝観券もいただき、その足で深大寺に寄りました。気候も良く青空の下、大賑わいです。

深大寺の本堂の中には初めて入りましたが、上の方に飾ってあった、ブッダの生誕から涅槃までの鮮やかな絵が、かわいらしくとても気に入りました。ずっと見ていたかったです。

東日本最古の国宝仏の釈迦如来像も参拝させていただきました。やさしいお顔です。

本堂の中では、中西悟堂師と深大寺所蔵の工芸や絵を鑑賞させていただきました。

点と点がつながって

今日は素晴らしいお話をきき、秋晴れの空の下、少しずつ色づいてきた葉や秋の空気、心地よい気候のもと、深大寺でポジティブな人の流れを感じながら散歩の中、過去の様々な学びの点が繋がった日でもありました。

このような日は、秋晴れの日の空気のように、あたたかさの中にもキリッとした気持ちで清々しい心になります。

先人の素晴らしい思想や知恵を、ありのままに理解し、後世に伝えていくことって、本当に難しいことではないかと感じています。

私ごとですが、自分の考えをたった一人に伝えるだけでも難しいと感じた出来事があったからです。

人には、誰しもが育った環境や自分の経験などで作られた「解釈」というものがあります。要するに「色眼鏡」をかけて、物事を見聞きしています。
私ももちろん解釈まみれであります。

少し前に、こんなことがありました。
自分の思いや考えが全く違うように伝わったという経験です。これは、目の前の人に自分の口で伝えたのですがそれでも、ありのまま伝わらないということを経験しました。

SNSなどでの発信で、書いたり話したりするのは、そういったことももちろんあるであろうことは想定内です。

しかし、目の前のたった一人に「伝える」ということに全集中に力を注いでも、こんなにも伝わらないことがあるんだということをしみじみと感じた経験でした。

人は、その人がその人なりの解釈というフィルターを通して、聞いています。

みんなそれぞれの解釈というフィルターを持っていますので当然だと思っていましたが、伝言ゲームをしたわけでもないのにあまりにも違う伝わり方をしていたため、正直怖気づきました。

これは、相手が悪いとか、かといって自分が悪いとかいうことではなく、私は「私にとって本当に大切にしている話」を、話す人を、または話すタイミングを見誤ってしまったということなんだと、今はそう思っています。

そして、私自身、気を付けていこうと思いました。私の解釈が特に「ネガティブフィルター」だった場合、そのフィルターを通して聞いた話は、ネガティブな解釈をし、知らず知らずのうちにその人を傷つけてしまったり、誤解を生じた解釈をしてしまうことがあるかも知れません。

自分の解釈まみれで、人の話を聴いているんだということを肝に銘じておきたいと思いました。

そして、この出来事を通して自分の考えや思いを、ありのままに近い状態で理解してくれる、夫や友人に対し、貴重なかけがえのない存在なんだということにも、改めて感謝の気持ちが生まれました。

今回私が聴いてきた今回のお話も私の色眼鏡を通して見聴きしたことを書いています。それゆえ、お話してくださった方の思いとはズレているところが必ずあるはずです。

そのため、このことについてもしご興味のある方は、直接聞いていただくと一番的確な思想が伝わると思いますことを、それを最後にお伝えさせてください。

ではでは、今日はここで終わりにしたいと思います。

今週も素敵な一週間を✨

メンタルコーチ
しんかいさんこと新海智子


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