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その上で、いかにも責任が日本にあるように仕立てる。何ともえぐい女だ。夫フランクリンが浮気に走ったのも分かる気がする。この手の日本中傷屋は多い。

以下は2015/2/15に出版された高山正之の下記の本からである。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであることを証明している。

随分前に、世界中のプリマから大変な尊敬を受けているモナコ王立バレエ学校の老女性教授が来日した。
その時に彼女が芸術家の存在意義について語った言葉である。
『芸術家が大事な存在なのは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する事が出来る唯一の存在だからです。』
彼女の言葉に異議を唱えるものはいないだろう。
高山正之は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるだけではなく、戦後の世界で唯一無二の芸術家と言っても全く過言ではない。
一方、大江…彼については、故人を悪くは言いたくないが(下記の高山正之に倣って言えば)村上等、作家と称する人間達、自分達を芸術家だと思いこんでいる人間達の多くは、芸術家の名にも値しない存在なのである。
何故なら、彼らは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する、どころか、朝日新聞等が作り出した嘘を表現して来ただけの人間達だからである。
彼らの様な存在は、日本に限らず、世界中の国においても同様なはずである。
つまり、真の芸術家とは、極少数しか存在していないのである。
私が、今の世界で、最もノーベル文学賞に相応しいのは、高山正之を措いて他にはいない、と言及している事の正しさを、本論文も見事に証明している。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。

いつまでも中国の後ろにアメリカがついていると思ったら大間違い
昭和12年7月7日、いわゆる廬溝橋事件が起きる。
支那軍が最初に撃ったとか、いや日本軍が撃ったとか。 
いずれにせよそれで戦いが始まり、月末には通州で日本人260人が惨殺され、その2週間後には宋美齢率いる支那空軍機が上海の日本人租界に殺到した。 
支那空車はルーズベルトが蒋介石に供与したノースロップ軽爆やカーチス・ホークなど約100機を持つ。
ただ機材は一流でも支那人乗員はお粗末の極みだった。 
まともに爆弾を落とせず、日本の軽武装偵察機や対空砲火でぼたぼた落ちていった。 
被弾した支那軍機は爆弾を抱えていては逃げられないと、上海市街で2発を捨てた。
爆弾は娯楽センター「大世界」前で爆発、同胞数100人が死んだ。 
ハイハーマン著『日中航空決戦』は支那人パイロットの訓練基地、揚州飛行場で米人教官シェンノートが見守る中、支那軍機が帰投する模様を詳細に伝えている。 
最初の1機がオーバーランして大破し、3機目が滑走路上でひっくりかえり、4機目がそれにぶつかって炎上し、結局11機のうち半分の5機がお釈迦になった。 
支那人に飛行機は無理と判断したシェンノートはルーズベルトに頼んで米軍人によるフライング・タイガーを発足させることになる。 
支那による上海の“空襲”について米人記者ジョン・パウェルは「あの誤爆は日本の責任だ。戦艦出雲の爆撃に細心の注意を要するときに日本の戦闘機に攻撃されて負傷した。操縦士は無事に帰投するため、やむを得ず(市街地に)投下したのだ」。 
まるで日本側が自衛したのが悪いみたいな口ぶりが笑える。 
ただ、笑わなかった米国人がもう一人いた。
エレノア・ルーズべルトだ。
大統領夫人はこのとき上海にいた。
そしてパウエルの仕事場を訪ねてキャセイホテル前の「惨事を見て背筋の凍る思いだった」と語った。 
彼女は近衛文麿首相に手紙を書く。
「無辜の支那人が死んでいる。それも途方もない数の日本の軍隊が共同租界にいるから支那は軍事措置を講じざるを得なかった。軍を撤退させるようお考えください」 
彼女は自分の腹黒い夫が支那と日本を離反させたのを知っている。
そして支那人に米軍機を与えて日本に歯向かわせ、その結果の惨事だったことも承知している。 
その上で、いかにも責任が日本にあるように仕立てる。
何ともえぐい女だ。
夫フランクリンが浮気に走ったのも分かる気がする。 
この手の日本中傷屋は多い。
『LIFE』のヘンリー・ルーズや雑誌『アジア』のリチャード・ウォルシュもそうだ。
同誌の編集長はウォルシュの妻パール・バックが務めて「素朴な支那人」に「残忍で狡い日本人」を毎号書き続けた。 
おかげでというか「支那事変以降、米国世論は支那に好感を持つ者が76%、日本を好感するのは2%以下だった」(ネイサン・グレーザー・UCバークレー校教授)。 
例えば民主党は好きですかと世論調査をやれば80%は確実に「嫌い」でも、吉田清治みたいな変質者がそれでも15%くらいは必ずいる。
米国だって同じだ。 
それなのに「2%」。
それがいかにすごいか分かると思う。
「支那人はいいヒト」と米市民はみな思っていたから、廬溝橋で支那軍が1発目を撃っても米世論は「日本が撃った」「日本が悪い」で決まっていた。
事実、パウエルも『LIFE』もそう書いていた。 
それから80年。
日本と支那がまた対立を始めた。
今度は尖閣が対決の場になる。 
支那は胡錦濤が「海洋強国」を唱えてロシアの中古空母を浮かべ、習近平が「偉大なる漢民族の復興」を唱えて太平洋への出口、尖閣の奪取を言い始めた。
過去、鮮卑に支配され、モンゴルの下僕にされ、満州民族には辮髪と満州服を強いられた支那人。
ずっと支配された漢族のどこに栄光があったかこっちが聞きたい。
もし習が日本を屈服させて、琉球の半分も取って太平洋に出口を作れば、それはフビライの元寇でも西太后の日清戦争でも二コライニ世の日露戦争でも果たせなかった歴史的偉業を漢民族が果たすことになる。 
習はフビライより大物ということになってしまう。
だから彼は尖閣周辺に船を出し続け、日本を挑発する。
盧溝橋と同じ、一発が撃たれればあとは何100万でも支那人を死なせるだけで彼は民族のヒーローだ。 
慮溝橋のときは米国が味方して支那は何をしても許された。
が、今はそこが微妙に違う。
最近のニューヨーク・タイムズがその違いを見事に示している。 
この新聞は戦前から支那の悪口は一つも言わなかった。
ところが尖閣か出てから温家宝ファミリーの不正蓄財を2度も1面でばらした。
人民解放軍のハッカー部隊61398部隊も一面トップに中面も使って騷いだ。 
北京のPM2・5も米公館の観測機が告発のもとだし、チベットの少年の焼身自殺はカラーででかでか報じた。 
先日の国際版はついに「支那以外の投資先はどこか」の見出しが一面に躍り、ティファニーがカンボジアに進出したことを祝っていた。 
米ギャラップ調査は米市民の対支那好感度が戦前の半分39ポイントで、対日本は50ポイントと報じた。
支那が尖閣で先に撃っても日本のせいにはできそうもない。 
米国ですらパール・バックつて誰?という時代に入ったことを習近平は失念している。

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