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最初の声明が出た昭和25年は米国の占領下で、日本をやり込めるためのものだった。学術会議 改革の行方 軍事研究禁止 学問の自由侵す

最初の声明が出た昭和25年は米国の占領下で、日本をやり込めるためのものだった。
2020年11月28日
以下は、学術会議 改革の行方 軍事研究禁止 学問の自由侵す、と題して産経新聞に掲載された記事からである。
「防衛省がらみの予算を使っていろんな研究がなされること自体が、マイナスのメッセージを発信することにならないか」 
平成28年10月に開かれた日本学術会議総会の自由討議で、当時会長だった東大名誉教授の大西隆は、複数の会員からの批判にさらされていた。
大西が学長を務めていた豊橋技術科学大の研究者が防衛装備庁が研究資金を支給する安全保障技術研究推進制度に応募し、大西が承認したからだ。 
応募した研究はナノ繊維を応用した防毒ガスのフィルター。
マスクが軽量化でき、息苦しさも減って行動の自由度が増す効果も期待された。  
「攻撃的な兵器を作るのではなく、防衛装備庁も使えるかもしれないが、例えば製薬会社や化学工場での事故に使えるような研究ということで認めた」。
説明する大西に、ある会員はこう反論した。  
「今、あたかも日本に対して誰かが毒ガスを使うと仮定して防御的だというが、日本が非常に高性能なフィルターを作り、日本が何らかの毒ガスを使えば相手は対応できない。日本の兵士だけはどんどん自由に動けることになる」 
この議論から半年後の29年3月。
学術会議は防衛装備庁の制度を念頭に「軍事目的の科学研究を行わない」とする昭和25年と42年の声明を継承する声明を出した。
声明の効果は絶大だった。
同制度が始まった平成27年度は大学からの応募数が58件あったが、それ以降は年々減少。
令和2年度の大学からの応募数は9件にまで落ち込んだ。  
「声明が錦の御旗になってしまった」 
そう話すのは、北大名誉教授の奈良林直だ。
奈良林は同僚の研究が平成28~30年度の安全保障技術研究推進制度に採択されながら、途中で辞退を余儀なくされる状況を目の当たりにした。 
28年9月に設立された軍事研究に反対する団体や学者らで組織する「軍学共同反対連絡会」が、北大総長への面会要求や公開質問状の送付などを繰り返したという。
奈良林は「学問の自由を侵しているのは学術会議の方ではないか」と指摘する。
学術会議が日本国内での軍事研究禁止を掲げる一方、「軍民融合」を推進している中国へ渡る日本人研究者も少なくない。
京大名誉教授で原子炉工学が専門の吉川栄和もその一人だ。 
吉川は京大を定年退職後、20年から10年間、中国・黒竜江省のハルビンエ程入で教鞭を執った。
京大時代の教え子だった中国人留罕生か同大の助教授になり、同大の国際化に協力してほしいと請われ、中国行きを決めたという。 
吉川は同大で原子力の安全利用とシミュレーション技術に関する研究を行っていた。
「原子力発電と核兵器は別物だ。原子力発電と異なり、1964年に核兵器を開発した中国が日本から学ぶ核兵器の技術はない」とも説明する。 
だが、同大は中国人民解放軍とのつながりが強い「国防七子」と呼ばれる大学の一つで、先端技術の軍事転用が懸念されている。
吉川の研究室にいた複数の米国人研究者は2014年以降に次々と帰国した。
技術流出を懸念した米政府の方針を受けたという。 
一方、吉川は軍事研究を禁止し続ける日本学術会議の方針について「軍事研究はどこの国も大事だと思ってやっている。日本だけピント外れなことを言っているのは時代錯誤だ」と断じ、こう付け加えた。  
「最初の声明が出た昭和25年は米国の占領下で、日本をやり込めるためのものだった。今もその政策を信じ、担いでいる人は、占領軍の申し子といえるのではないか」

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