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特別支援教室で働いた6年間~みんなの環境になる~

東京都の教員は6年で異動することが基準となっています。

人は入れ替わった方が組織として健全だと思うので、6年で異動というのは妥当なのでしょう。きまりなので仕方ないですね。
 

 
私は1校目、2校目まで学級担任で、担任をしながら専門の教育心理を生かせたらいいなと思っていました。研究会は教育相談部を歴任していたし、子供の心を育てる研究授業もたくさんやりました。

でも、一番やってみたかった特別支援コーディネーターには、なかなかなれない。
組織のバランスの問題です。校内研究推進や、生活指導などを任されてしまい、やりたい仕事ができない。大学院で学んだ成果が生かしきれない。
育休中にも更に学びを重ねて「学校心理士」という資格も取ったのに。
  
 

そんなときに起きた教員いじめ


息子の育休復帰後から主謀の同僚複数名に狙われて、ミスの粗捜しをされる日々でした。
監視され、挙句の果てには、自分のクラスの子供たちの通知表まで隠されました。
(信頼できる先輩教諭が助けてくれて、探し出してもらうことができました)
 

もうここには居られない。居たくない。
産育休を含めたら6年のカウントぴったりのタイミング。
(産育休のおかげで本当はあと3年居られた)


そのときに、本当にやってみたかった特別支援の通級の仕事を志願しました。
 

クラスに通級に通う子供がいて、その通級担当の先生から仕事に関する情報は得ていました。(うちの学校に来てほしい!と言っていただいていました)

我が娘も軽い構音障害で小学校1年の間は「ことばの通級」を利用していたから、そちらの先生からもヒアリングをしていました。
 
 
ちょうど私が異動希望を出す年が区切りで、
子供が通う通級スタイルではなく、先生が巡回するスタイルへ、東京都全域でシフトする年だったのです。どんな仕事になるのかわからなかったけど、ピンポイントで「特別支援教室」への異動を希望し、もしこれが叶わなかったら退職しようと決めました。 

結果、念願が叶い、特別支援教室での仕事を始めることができたのです。
 

念願の特別支援

その6年間で起きたあんなこと、こんなことの一部はAmeblo等にまとめてきました。
 

↑   ↑   ↑   ↑
私自身の主観で残した記録はこちらです。


この3月末日をもって6年間の勤務を無事閉じることができたのですが、予想外にたくさんの手紙をいただいたのです。
子どもから、保護者から手紙をもらうことは結構あったのですが、同僚からというのは、なかなか新鮮なこと。



私ってこんな風に見えていたんだ、思ってもらってたんだ…と新鮮な気持ち、そしてとてもありがたい気持ちになりました。


〇いつもご丁寧な対応、大切な情報をありがとうございました。

〇いつも子供たちのことを一緒に考えていただきありがとうございました。

低学年から高学年、おとなしい子から暴れん坊まで何でも来い!の先生を大尊敬していました。

丁寧にご指導してくださり、相談に乗って下さりありがとうございました。

楽しいながらも核心に迫る授業スタイルは憧れです。

学校中の児童と先生のことを把握しているのではないかと思うほどの気配りと記憶力

個性豊かな児童が互いの良さを認めて仲良くなり、成長してゆける授業

圧倒的な説得力と、次々と保護者の方が涙されていく面談

先生の創り出す空気のおかげて、私たち教員みんなが明るく充実した毎日を過ごすことができました。

相手を思いやる心、仕事への向かい方を学びました。

見えるところ見えないところ関係なく沢山のサポートをしていただき感謝しています。

全体のこと、先のことを見通しての考え方、会議での発言など、本当にいつも勉強になりました。

大変な仕事をいつも一番に引き受けてくださりありがとうございました。


などなど・・・・

打ち込んでいて気恥ずかしくなりつつ、でも、大事な客観的な声(お客様の声みたい)をこんなにいただけることも滅多にないから、記録に残しておこうと思います。


誰かの環境になる


ヒプノセラピーの師匠藤原理恵さん(ちゃんりえさん)がいつも言っていること。

「私はみなさんの環境なんやと思う」
「そして、みなさんも必ず誰かの環境になっていく存在なんです。絶対に」

私も、この六年間で子供たちの、先生たちの環境になれていた
そう思っていいのかな、
沢山の手紙を頂いて、確信することができました。


 
  
4月から新天地で働きますが、ここでも私は誰かの環境になっていきます。
どこまでやれるのか楽しみです。


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